2.12
5 430件
4 145件
3 112件
2 146件
1 1422件
合計 2255
読み わろてんか
放送局 NHK
クール 2017年10月期
期間 2017-10-02 ~ 2018-03-31
時間帯 月曜日 08:00
出演
それは大大阪(だいおおさか)と呼ばれ繁栄を誇った商都・大阪が、戦火ですべて灰じんに帰するという波乱万丈の半世紀でした。いつも周りに笑いをふりまくヒロイン藤岡てんはひょんなことから小さな寄席経営を始め、ついには日本で初めて笑い"をビジネスにした...全て表示
いいね!の投票数順に 30 件(最大30件)のレビューを表示しています。
投票数が同じ場合は新しい順です。
レビューの時間をクリックすると、そのレビューの書き込まれている位置に移動します。
いいね!投票数 21 票
名前無し

伊能に「何のためだ?何のためにそこまでする?」と聞かれて、
風太の答えは「これは行ったもんにしか分からん」???
そんなん、視聴者にも分からんわ!!!
そこを説得力ある台詞で伊能も視聴者も納得させないから
面白くも無いぺらっぺらの脚本なんだよ。

今日も土曜日恒例、単身赴任先のあの世から帰宅した藤吉が、
風呂上がりのようにしれっと登場。
てんが誰にも言えない心の内をさらけ出す展開ならまだ意味があると考えてやってもいいが、
脚本も、能面のてんも、そんな期待には全く応える積りも能力も無いらしい。

おまけに、「亡くなった兵隊さんも、ミス・リリコ&シローの漫才観て
わろうてくれはったんやろ?それだけで慰問に行った甲斐が有った。胸張ってええ事や思う。」
って藤吉の台詞も的外れ過ぎてポカーンだよ!

そもそも、てんは慰問に行っていない。「慰問に行った」のではなく、「慰問に行かせた」のだ。
だから、「慰問に行った甲斐が有った。」の主語は、てんじゃなくて十数名の芸人達だ。
てんのしたことを指すなら、「慰問に行かせた甲斐が有った。」と言うべきだし、
十数名の芸人達を指して主語に据えるなら、「芸人達が慰問に行った甲斐が有った。」
と、主語を省略せずに言わなければ日本語としておかしい。

しかも、この台詞の矛盾はこれだけでない。
「亡くなった兵隊さんも、ミス・リリコ&シローの漫才観てわろうてくれはったんやろ?
それだけで慰問に行った甲斐が有った。」
という台詞の前後関係から、どうやら、主語は「芸人達というより、リリシロ」と言いたいようだ。

ちょっと待て。リリシロは「てんが手配し慰問派遣した」のではない。
「慰問に行った甲斐が有った。」や「慰問に行かせた甲斐が有った。」では参加経緯の矛盾で違和感が発生する。
「慰問先に連絡も無くひょっこりリリコが現れて急遽合流することになった」のだから、
ちゃんと「慰問『を行(おこな)った』甲斐が有った。」と正しく台詞に反映させようよ!
こんな稚拙な日本語能力でよく脚本を書こうとするなとあきれるばかりだ。

いい加減な事ばっかりでごまかしてると、マーチンショ―如く、
おいおい、一度も画面に映らなかった派遣したはずの「看板芸人十数名」はどないしたん??
話にも出て来んのかい!やっぱり居なかったんやないかい!とバレるで。

そして、「亡くなってしまう兵隊さんがおったとしても、わてらがやったことは無駄やなかったって、
そう思えるようになったんです」云々、上っ面をなぞるだけで何も掘り下げない慰問団派遣会議。
明日をも知れぬ命の兵隊の気持ちを代弁する台詞は一言も無く、
自分たちの自己満足を主張する台詞ばかりがつらつらと出てくる違和感。
挙句、「お国の為、会社の為というより自分らの為に行くんや。」「せやから心配せんでええ。」???
戦地に赴くのに、心配せんでええ?この文章の繋がりをどう理解しろと言うのだろう???
設定状況把握してます?台詞おかしいでしょ!!!

本当下らない台詞と展開ばかりだ!

    いいね!(21)
いいね!投票数 15 票
名前無し

同感。
チマチマした内輪の井戸端会議を見るために朝から15分も見ているんじゃない。
前二作がドラマと呼べないほど最低すぎたので、何を見ても点が甘いのかもしれませんが、ストーリーがありテーマがあり登場人物ががむしゃらに行動しているだけ見応えがある。

頑張りもしないのにがんばっぺ!と連呼しているのを聞かなくなっただけでも清々しい。
あの時代に大阪まで2時間もかけて人を探しに行き、兄を気遣い、債権者に食事を配り、料理を作り、セリフが多いヒロインを見ているだけで朝から元気が湧く。
明日が楽しみ。

    いいね!(15)
いいね!投票数 11 票
名前無し

呆れました。結婚の最大の障害である許嫁の楓が週末の帳尻合わせのようにあっさり退場!

そもそも昨日の母親対決からおかしかった。当時の結婚事情を考えたら、「藤吉郎にはすでに許嫁がいて商家のおかみ修行もしています。駆け落ちの娘なんて認められません。どうぞお連れ戻し下さい」で済むはず。それなのに、なぜか許嫁の「い」の字も話には出ず、「てんを(商家の嫁として)一人前に鍛えて下さい」とまるで結婚が決まったような前提のおしず母の「いいお話」になっている。

楓はどうなってるの?と思ったら、今日になって見事なキャラ変の急展開。
初対面の時は「船場の御寮はんは大阪商人の娘の夢。この縁談は石にかじりついても譲らない」と言ったのに、今日はいきなり『乱れ髪』が出てきて「ほんまは親の決めた結婚なんて興味ない。てんのような自由恋愛に憧れている」。昨日は「遠慮のうイケズさせてもらいます!」鬼の形相で煽っておいて、今日はあっさりてんと仲直り。しかも楓が身を退くと聞いた啄子も全く引き止めもせずあっさり了承。

これならテンポよく話が進むはずです。キャラブレしてでも強引に都合よくエピを連ねているだけなのだから。
人間の気持ちってこんなに簡単に変わるものかな。いじめをダラダラ見るのはイヤだけれど、これでは今までの楓の存在は何だったの、と思ってしまいます。ただ話を複雑にし面白くさせるための、とってつけたご都合的障害。せめて楓がこっそり『乱れ髪』を読むシーンでも入れておけばこれほどの唐突感はないのに。

とにかく吉本せいさんの人生にはない、「駆落ち」「勘当」「許嫁」と色々苦労要素を入れているけれど、どれも描き方がいい加減で中途半端。形だけの苦労で心情描写がなく内容が薄っぺらいから登場人物の誰にも感情移入できない。
これが吉本せいさんがモデルのドラマとは到底思えません。がっかりです。

    いいね!(11)
名前無し

この当時の「勘当」って随分軽いものなんですね。「もう親でも子でもない。たとえ野たれ死にしようと関知しない」と儀兵衛さんは言ったのに、母親がすぐに駆落ち先にお付きの女中を送り込み、風太も心配して様子見に行って藤吉を殴り倒し、今度は母親おしずさんまでお出まし。全く「縁切り」になっていないし、てんが家族を想い悲しむシーンもない。「勘当」の悲壮感が全くなくて白けます。

でも最低なのはやはり藤吉。そもそも駆落ちで実家に戻るのが甘えている。てんは家も家族も捨てたのに、自分は家業を継ぐと言って母親から大歓迎。
今日は風太に殴られて「俺は命に代えててんを幸せにする」とか偉そうなことを言っていたけれど全く説得力なし。使用人の分際ながら藤吉をはり倒した風太にほとんどの人が喝采したでしょう。これまでの藤吉と言ったら、8年もの間、嘘の手紙でてんをだまし、甲斐性もないのに駆落ちをし、母親から決められた許嫁を追い出すこともできず、女中奉公させられるてんを庇うこともできず、あげくは米の買い付けに失敗して女二人に売らせる始末。全く、どの口が言う、としか思えません。
一方、てんの苦労話も、藤吉が求婚するときに「立派に家業を継いでから迎えに来ます」と言っていたらなかった話。わざわざ不自然に駆落ちさせて無理やり作った苦労話だと思うと、てんにも全く同情する気になれない。

結局、てん上げのために藤吉を下げているんでしょうけど、ヒロインの相手役をここまで共感できないダメ男にする必要はあるんでしょうか。このドラマが過剰に意識している「あさが来た」の新次郎さんは、同じように道楽者で商いでは役立たずだったけれど、陰ではあさを支える人たらしで、とても魅力がありました。そういう魅力が藤吉には全くない。松坂さんには悪いけど、役者さんの違いなのかな。
ともかくヒロインにせよ相手役にせよ、もう少し共感できる魅力的な人間に描いてくれないとドラマに惹き込まれません。

    いいね!(11)
名前無し

普通の精神状態で見たらあまり面白くないドラマだろうと思うのですが、自分が個人的事情でどん底だと思ってる状態で、たまたまお父さんの首つりシーンを見て、バカバカしくてふっと笑えたのが救いになりました。
自分の状態をどん底だと思ってること自体もバカバカしくなって、ああ、無理しても笑おうと思えました。

なんだか、ぎこちない、こなれていない感じのするドラマで、決してうまく行っているとは思えないんですが、そんなドラマでも見る人を救うことがあるんだということを実体験しました。

最初で最後かもしれないけど、5ツ星を進呈します。
そしてスタッフキャストの皆さまにお礼を言いたいです。
ありがとう。

    いいね!(11)
いいね!投票数 10 票
名前無し

今日は吉本せいさんの実際のエピを使っててんの才覚や頑張りぶりを描いていたけれど、それを見て視聴者が感心したり感動できないのは、ドラマとして伏線がなく唐突な印象があるから。

藤吉の落語愛もそうだけど、せっかく子供時代を描きながら、その中で藤吉が落語好きで文鳥師匠のまねをするようなシーンは全くなく、芸と称して披露したのはチョコ座衛門とホーホケキョと傘での升回しぐらいなもの。すべて後付けの設定だから見てる者はいきなり落語が一番と言われてもぽかんとするしかない。

てんも子供時代は笑い上戸で笑いが好き。それが唯一無比の特徴で、そのおかげで家が明るくなるとか、逆に騒動を起こし迷惑をかけるというようなた形でしか性格づけされていない。家事もたまに料理の盛り付けを手伝うぐらいなもの。子供時代に奉公に出されそこで商才を身につけた吉本せいさんとは違い生粋のお嬢様。

それが駆落ちしたら突然、料理も縫物も得意で刺繍もできて、おまけに商売の才覚まで次々に発揮する。しかもそれまではなんでも他人頼みで自分では何もできなかったのが、啄子さんの刺激でわずか一日で別人のような変貌ぶり。

結局このドラマは全てがそう。伏線なしの完全後づけですべて都合よく展開するから、共感どころか全く感情移入できず見てて白けるばかり。しかも基本が少女漫画的ラブコメ調で、ヒロインが常にニコニコヘラヘラしているから、苦労が苦労とも見えず、お気軽な成功にしか見えない。
吉本せいさんの実際のエピを使うなら、そうなるまでの過程ももっと誠実に敬意をもって描いてほしかったです。
あまりに描き方が薄っぺらで子供向けの漫画にしか見えません。

    いいね!(10)
名前無し

みなさん、厳しい意見ですね〜。
私はちょっと違ってて、朝ドラにそんな完成度を求めてないし、毎日気楽に見る15分ドラマって感じで見ています。
確かに昨年のべっぴんさんは酷すぎたけど、このドラマは肩の力を抜いて見る分には楽しいと感じてる。
朝ドラの位置付けが視聴者によって違うのでしょうね。
あと、関西人にとっては大阪弁や京都弁満載が耳に心地よい。
関西以外の役者さんのイントネーションの変な部分も少しあるにはあるけど、気にならない程度だし、逆に、関西ネイティヴでない役者さんも皆、上手く関西弁しゃべるな〜って感心しているくらい。
毎日の生活のエッセンスの一つとして、このドラマも楽しんでます。今後の展開が楽しみ。
あと、昨日の回で、鈴木京香が以外に喜劇役者の素養があると見ました。

    いいね!(10)
いいね!投票数 9 票
名前無し

「女太閤おてん」とやらが、国から勲章貰うと大はしゃぎしていましたが、そういった国からお墨付きを貰った人物が、検閲の目を掻い潜ってまで恋愛映画を作る意図って何なんですか?
しかも世相を変えるほどの秀作を手掛けるというならまだしも、小学校の体育館でど素人が集まってやるような三文書き割り芝居を思いつき案でやると言ってはしゃぐ女性たち。映画作りを手掛けるスタッフにはとても見えませんが。

その題材が「お笑い忠臣蔵」?
キャストがしつこく日本人の「忠義」を否定するようなセリフを次々に口にしていましたが、今ではナンセンスと思われる行動でも、あの時代国や殿様に忠義を尽くして命を落として行ったのは至極必然的だったこと。
いくらドラマとは言え、日本のお侍さんや兵隊さんのことを、こんな駄作中の駄作のチャラけた脚本によって貶めるのは絶対にやめて頂きたい。
最初から思っていましたが、このドラマ、日本の歴史そのものに唾を吐きかける場面が随所に見られましたよ。

このドラマ、ヒロインの大根演技を見続けさせられた事に加え、こういった日本人離れした感覚に違和感を覚え、非常に気分が悪かったです。

    いいね!(9)
名前無し

団真、団吾、お夕の登場でようやく大人のドラマが見られるかと期待しましたが裏切られた気分です。

駆落ちは気の進まない団真にお夕の方から持ち掛けたんですね。
師匠に逆らい団真が落語をできなくなる覚悟はあったんでしょうか。
団真の落語が大好きだと言っていたのに。
寄席で失敗しぼろぼろの団真にぶたれ別れを決意をした後、一人になるのはわかるけど、即団吾のもとに走ったのも理解不能。本来、結婚するはずだったのを振った相手。今さらよく行けるなと思うし、相手の想いに甘えて別宅で世話になり、まるで夫婦のように暮らすなんて信じられません。しかも心の奥では今も団真を愛し団吾のことなどなんてとも思っていないのに。
それに今日は「全部うちのせいや」とメソメソしていながら団真の顔を見た途端に「他にすることあるやろ」と鬼の形相。「生きていてよかった」と初めからどうして言えないのか。叱咤するのはその後でもいいのに。お夕さんには本当にがっかりです。

団吾も団真と同じ寄席で落語はできないと藤吉に厳しく言いながら、今日は競演を持ち掛けられて嬉しそうな顔。団真もつい先日ニセ団吾と客になじられ寄席で失敗したばかりなのに、またあっさり寄席に上がる気になれるものなのか。
なんだか3人の行動がすべてしっくりこなくて違和感ばかり。

天才噺家とその兄弟子の確執と芸への情熱。それを崇徳院の落語と絡めて巧く描けば見応えのあるドラマになると思うのに、下手にお夕を絡めたせいで安っぽい三角関係の色恋話になってしまった。本当に残念です。
この脚本家に笑いとか芸を真摯に描く才能もセンスもないと思う。

    いいね!(9)
名前無し

寄席を見ている客の姿が
これを見ている視聴者その物だった

    いいね!(9)
名前無し

藤吉のモデルとなる、吉本せいさんの夫は確かに甲斐性なしだったようですね。
でも、せいさんは恋愛結婚ではありません。嫁いだ相手が運悪く甲斐性なしの道楽者だった。
だけど、てんは違います。
兄が死にいったんは跡取り娘として婿を取って家を継ぐと覚悟を決めながら、あっさり翻意して、家も家族も捨てて駆け落ちする。

それほどまでの魅力がこのドラマの藤吉にあるのか?
立派な米問屋の跡取り息子なのに、家出してまともな職にも就いていない。これでは儀兵衛が反対するのは当たり前。これからは家を継ぐ、と言ったけれど、そこまでてんを好きなら自分の境遇を考えいったんは身を退いて、立派に家業を継いでから改めて嫁に下さいとお願いするのが筋なんじゃないの? 「苦労させるけど一生笑わしたる」って、どうやって? あんまりいい加減で腹が立ちます。

そもそもてんの気持ちを確認もしないで「嫁に下さい」と父親に直談判するのもおかしいし、驚きながらあっさり応じるてんもおかしい。ただただ藤吉さんが好きの一点張りだけど、自分が家を捨てたら妹のりんちゃんが犠牲になるなんて全然考えていない。(幸い、りんちゃんが出来過ぎの良い子で問題なしだけど)二人ともとにかく自分のことしか頭にない。
結局、男に夢中で家も家族も捨てて親を泣かせる身勝手なわがまま娘にしか見えない。
はっきり言って全然共感できないし、こんな能天気で無責任な親不孝娘にしたら、モデルになった吉本せいさんにも失礼でしょう。

家長として店の当主として、娘のわがままを許したら示しがつかない。可愛い娘に勘当を申し渡さなければならない父親の気持ちはいかばかりか。男泣きする儀兵衛さんが可哀想でした。
あの時代の妻、大奥様なのに、娘や孫がどこの馬ともわからぬ男と駆け落ちするのに同情的なしずとはつには違和感しか感じません。

    いいね!(9)
いいね!投票数 8 票
名前無し

「便りがないのは元気な証拠」というような事は昔からよく言われていました。ご尤もです。しかし、それは便りを寄越さない相手が天変地異もなく平平凡凡とした生活が出来ているという大前提の下での「便りがないのは元気な証拠」であり、大震災や戦争といった状況に置かれた人に対して使っては、その人の生死に関心が無いと言っているのと同義で、とんでもなく冷淡な発言です。どんな状況かを考えずに決まり文句だと思って言ってしまうのは、人としての温かみに欠けます。

「写真が無いのが良い便り」は前述の言い回しを言い換えてみたただけでしょうが、文としても全く意味を為さず、首を傾げるばかりです。書いた脚本家も言わされる女優も疑問を持たなかったのでしょうか?そして、今日はその直前の「兵隊さんらに満面の笑みか~、良かった~」に対する「けど、うちの人の写真、何処にもありまへん。」というトキの台詞にも強烈な違和感と嫌悪感を覚えました。何で風太の写真が新聞に載らないといけないの?まるで、わろてんか隊はどうでも良くて風太の無事だけを確認したがっているような自己中な言い草。そんなこと思っても口にする神経が判りません。

こういった不自然な会話がわろてんかには多すぎます。

    いいね!(8)
名前無し

この話の中での てんの立ち位置っていったい何なんですか?
女社長のわりには確固たる信念も無さそうで(演技の問題かもしれないが)、人の意見にすぐ左右されてあっちにフラフラこっちにフラフラ。
挙句いつも伊能に相談に行き、最後はさも自分の判断であるかのように鶴の一声で決定を下す。
そして最後に「お気張りやす」
周りはそれに納得して一件落着。
これで何度目だろう。

てんがいつも上っ面の演技と心の籠らない声でみんなに向かって偉そうに「お気張りやす」と言う時、自分があの未熟なてんに説教されてるみたいで、ものすご〜く嫌な気分になる。

それと、ここんとこ てんの笑顔のドアップでドラマを締めくくるのが定番になっているようだけど 是非ともやめて欲しい。
PRのつもりか知らないけど、個人的には嫌悪感が増幅するだけです。

    いいね!(8)
名前無し

結局、この脚本家は見る側に脳内補完を強いる作品しか書けないのだ。
突然現れた大量のみかんの皮の正体にしても、史実で吉本せいが、寄席で売ったみかんから出た皮ゴミを乾燥させて陳皮として売った事実をちょこっと変えて、タダ又はタダ同然で(おおきに以外の描写は無いので不明)妹の藤田屋に持って行かせたということだけど、見る側に予備知識が無ければ、何であんなに大量のみかんの皮が山積みなのか疑問に思うだけ。

これまでも、散々、兄のナレ死でのてんのはしゃぎぶり、藤吉の落語は芸の最高峰発言、啄子やキースのアメリカ渡航、コロッと良い人になって去ってゆく寺ギン、あっという間にたまる大金のへそくり、あっという間に増える寄席、あっという間に戻る志乃の記憶喪失と栞の確執や隼也の反抗期など、掘り下げることなくあっという間に解決のエピの数々が多すぎる。唐突過ぎる強引な話の運びばかりで、ドラマの最も大きな醍醐味であるはずの、「そこに至る葛藤や経緯がごそっと無い」ためにバカバカしく薄くて中身の無い、ただひたすら最終回に向かって話を進めているだけの惰性の芝居ごっこになっている。
 
豊かな史実の予備知識が有り、「そこに至る葛藤や経緯がごそっと無い」部分を脳内補完で美しく補い、出演者の未熟な演技やお粗末な脚本を温かい目で見られれば気にならない作品なのだろうが、それでは、あまりに視聴者への要求が高く、不自由を強いていないだろうか。

    いいね!(8)
名前無し

花形がいるからこそ寄席が盛り上がる、他の芸人たちの底上げにもなる、だから団吾にこだわる藤吉は正しい、とリリコに説教されたてんは「どんなお人かこの目で確かめたい」と風太に頼み団吾に会いに行く。それならなんでまず団吾の高座を見に行かないんだろう。芸人の価値は素の人柄でなく客に見せる芸。天才的芸で客を沸かせる姿こそ、2万円もの大金を注ぎ込む最大の要素だと思うんだけど。実際、視聴者が見たいのもそこなのに、頑なに団吾の落語を見せない脚本家の意図がわかりません。

団真になじられ頬をぶたれ別れる決意をしたお夕だけど、いくら「団吾のところへ行け」と言われたにせよ、実際に団吾の世話になっているのには驚きました。別宅とはいえ、団吾はかつてお夕に想いを寄せていた男性。今も想い人がそばにいてくれる喜びがその表情には表れていた。本気で団吾と一緒になる気がないのなら、団真に対しても団吾に対しても罪作りだと思います。私には考えられない行動で、今日のお夕さんにはちょっとがっかりしました。

またお夕が団吾の世話になっていることを、迷いもせず団真に話してしまうてんの神経もどうなのか。複雑な事情や心情の絡むよその夫婦の事柄に平気で首を突っ込むてんには腹が立ちます。

これまで馴れ合いで散々甘やかし芸の成長もないままほったらかしだった雑魚芸人たちに今さら偉そうに正論をぶつ藤吉も含め、登場人物たちの行動がいちいちぴんと来ず、イライラするばかりです。

    いいね!(8)
名前無し

呆れました。
まさかの初回冒頭の寄席でのドタバタシーンの丸ごとリプレイ。
子供たちが高座に上がって逃げ回り、大の大人はわざとらしくコケまくって捕まえられない。落語は台無し。でも観客は大喜びで笑い転げる。
私は見て全然笑えなかったけど、でもこれがこのドラマの笑いの原点なんですね。
お金持ちのお嬢様が子供とはいえ寄席をただ見して、プロの落語を台無しにしながら、全く悪びれもせず、笑いを取る快感に目覚めて目を輝かせる。
でもこれってただバカ騒ぎで笑われてるだけですよね。
観客もいくら子供とはいえ誰一人眉を顰める人はいないのか。
人を「笑わせる」ことと「笑われること」は違うでしょう。
こんな芸も何もないただのドタバタが本場大阪の笑いの原点だとは。
福君の食いしん坊もだんだん意地汚く見えてきたし、福君がらみの笑いも全然笑えない。
それから丁稚の子供が年上に向かって初対面でいきなり「おまえ」呼ばわり。その後もずっと偉そうな口のきき方をするのも不快でした。
松坂さんもてんの相手としてはあまりに年齢が違い過ぎて違和感しかありません。
昨日の家族のシーンはなかなかよかったのに、肝心の笑いのシーンに全く説得力がない。
今のところ笑いのテーマより、イケメン頼みの安直なドラマにしか見えない。
大阪の人情味あふれる深いドラマを期待したのにがっかりです。

    いいね!(8)
いいね!投票数 7 票
名前無し

好き嫌いは別にして
とにかく今日観てて、きしょく悪いものはきしょく悪かったんで仕方ない。
伊能とてんのロボットダンス、お尻がムズムズして思わず目を伏せたわ。
しかも藤吉の写真の前で、趣味が悪いと言ったら無い。まず踊る意味がわからん。
脚本家が他から上っ面だけをパチって来てるから、シーンが滑稽でサマになってない。

お笑い忠臣蔵は大成功?
検閲はいつ通った?ロケはどこでやった?主役は誰?
通天閣買収反対で怒鳴り込んで来た割烹着ハチマキおばはん隊はどうした?てんは口をへの字に啖呵を切ってたが話はついたのか?あれは何のために出て来させた?
初めて見る芸人2人が出征だとかで、おてんから餞別と羊羹1本貰って泣いて感謝してたが、なんで台所からわざわざ持ってきたのが羊羹1本?なぜ片方だけに渡す?

戦争をここまで陳腐に描くドラマに未だかつてお目にかかったことが無い。
よくここまで意味不明の駄作に仕上げられるものだ。

    いいね!(7)
名前無し

田舎の百姓の娘が朝6時まで寝てるのも、料理が出来ないのも、11時就寝なのも、ち~が~う~だ~ろ~と思った。

百姓は日の出と共に起床し、日の入りと共に帰宅。夜は早く寝る。就寝11時は現代感覚過ぎる。料理も、お嬢育ちのてんなんかより余程家のことを小さい時から任されており、味噌汁の味がダメなんて有り得ない。辛いって、使い古されて陳腐な姑の嫁いびりのセリフ。

ダメなのは、とわじゃなくて、とわを委縮させているなつなのに気付かない風太もアカンし、泥鰌鍋を一口食べただけで望郷と悲しみが襲ってきたとわの異変に気付いたのは、「大阪のお母ちゃん」であるはずのてんでなくて、幼い隼也。食卓についていた隼也が居なくなったことに気付くの遅過ぎ。隼也失踪パート3かい。だから、情が薄いのに「大阪のお母ちゃん」は無理だって!

食事も終わって片づけをしてたかのように皆で手ぶらで台所から出てきたのも意味わからん。食卓には手つかずの白飯と泥鰌鍋、一体どんな状況???

やっとドラマも中盤の折り返しに来たのに、またこんなエピの使い回し。この頃は、ダラダラと未練がましかったリリコの藤吉へのバカバカしい横恋慕エピも完全終了でやっと本来の物語を見せるのかと思っていたら、なんだこれ?

年末最後の放送のこの期に及んで、またリリコや栞のラブコメの二番煎じ???
どうせ、「今度の新作映画の演技の練習や」とかいう下らないオチなんだろうが、
はぁ~???ち~が~う~だ~ろ~!!!が盛り沢山な酷い回だった。

チョコ座衛門、ホーホキョ、赤ちゃん隼也失踪、伝書鳩夫婦喧嘩、etc etc...何回つまんないエピのパレード回してんだよ!そんな時間潰しばかりしないで、もっと見応えのあるドラマを見せて欲しい。

    いいね!(7)
名前無し

2軒目の寄席も手に入れ世の好景気に乗って風鳥亭は順風満帆。
隼也もちょっと大きくなったけど、その間に会社が大きくなっていく様子の描写は一切なし。2号店はセットもなし?
おまけにキース、万丈目、アサリ、岩男ら創業メンバーは相も変わらずナポレオンに後ろ面と同じ芸ばかりで全く進化なし。最初全然受けなかったのがいつの間にか受けるようになったのも???だったけど、ここまで繁盛すれば常連客も多いだろうに、同じ芸ばかり見せられて文句は出ないの?すごく違和感です。脚本家さんに新しい芸を考え出す能がないってこと?
それに寄席を増やし事業拡大を目指すのはいいけれど、またまた多額の借金? 過去に借金で実家の店をつぶしたのに、全然懲りないのだろうか。もしかしてまたまた伊能様か嫁の実家頼み? 相変わらず全く考えなしの無責任男です。
目玉のお抱え芸人を見つけたいも、またまた話題の団吾師匠の良さを説明したのは風太。確か藤吉は、商才も芸の才能もないけれど、「芸を見る目」だけは確かだったはずですよね。その設定も風太に移ったのでしょうか。
席主ならまず自分の力で芸人を発掘、育成することが大事なのでは? 今いる芸人を疎かにして、借金してまで手っ取り早く売れっ子を手に入れることしか頭にない藤吉は相も変わらず愚かにしか見えません。
それと破天荒な団吾師匠がいかに面白く、どんなに受けているかも、藤吉の説明でなく映像で見せてほしいです。会社が大きなる様子や風太が寺ギンの下で働くようになったいきさつなど、大事な部分をいつも見せてもらえずイライラします。

    いいね!(7)
名前無し

わろてんかファンの皆様、攻撃するつもりはありませんが、これから批判を書きますので、ご不快ならば読まないでください。

私は、朝ドラファンです。わろてんかを楽しみにしていました。これからも面白くなることを期待して、来週も見ようと思っています。

しかし、今のところ、てんと藤吉夫婦には、怒りしか感じません。特に藤吉、嘘の手紙を書き続け、くだらぬ詐偽に引っ掛かって家業を潰し、勘当された妻の実家から借金して何の見通しもなく寄席を開き、さらには芸人の給金を使って、また見通しもなく二軒目を買い、あまりのクズっぷりに腹が立ってなりません。

その藤吉をなぜてんが好きになったのか、さっぱりわかりません。てんがこれまで何をしたのか、ただニコニコして、せいぜい下駄みがいたか、冷やしあめを冷やしたかくらい。なるほどさすが、と思わせるヒロインぶりが見えません。

他の作品と比べて、どうのと言うつもりはありません。ただ、何がつまらないのか説明させてもらいました。どうしても言わずに、我慢できませんでした。失礼いたしました。

    いいね!(7)
名前無し

運よく廃業した寄席小屋を見つけるも、小屋主が素人には売れぬと頑なに拒否。それを説得してやっと小屋獲得かと思ったら、即金買い取りのライバルが出て小屋主が手のひら返し。それでもてんが勘当された実家に厚かましくも借金を申し込んでめでたく解決。やっと小屋を手に入れたと思ったら、湯飲みや座布団の備品がなくて頭を抱えるも、運よく店を閉める料亭がありすべてタダ同然で手に入る! そしてめでたく念願の寄席開業!!
次々に難題が降りかかり、いかにも苦労続きに見せながら、ヒロインてんはいつもニコニコ、そしてまさかの幸運や登場人物の都合の良いキャラ変に恵まれて、問題はすべてあっさり解決。まさに幼稚園の学芸会か少女漫画並みの安直さ。モデルの方にも失礼なレベル。
そのうえ寄席を手に入れるのも親の金頼み。備品調達も他人の助言と助力頼み。啄子さんが腰を痛めてようやく一時働いて見せたものの、今はその気配もなく、夢の実現に浮かれるばかり。笑いが好き好きと言いながら、寄席経営のイロハも知らないくせに、他の寄席を回って勉強したり先輩の亀井さんに教えを乞うこともない。

なんだか、見てて本気でバカバカしくなります。頭を空っぽにして見れば楽しめるかな、とも思ったけど、それでもあまりの二人の無能、無責任、能天気ぶりに腹が立つばかり。
吉本新喜劇風のギャグやコントも私は全く笑えないので、これからそんな演出ばかり見せらるかと思うとげんなりです。
もっと泣き笑いの人情喜劇を見せてもらえると思ったのに、ただあらすじをなぞるだけでまともな人物造形も心情描写もない薄っぺらさにあきれる毎日です。

    いいね!(7)
名前無し

おもしろく視聴しています。ストーリー構成はよく考えられていると思います。幼い頃、口減らしのため親に捨てられたとひねくれていた風太を自分の「弟」として家中の者に紹介したエピソードから、てんの前向きさ、頭の良さが伺われました。風太が藤岡家に馴染むきっかけを作ったのですから。亡くなった兄の論文を栞に届けたのも、経済的危機に陥った家を救うきっかけにもなりました。こういう背景があったので、てんの前向きさや機転の良さは北村家に来てから急に発揮されたものという風に私は感じませんでした。前振りを周到に用意していて、矛盾を感じさせない丁寧なストーリー作りだと思います。

登場人物の心の動きも、深層心理まで描き出されていると思います。例えば、思わずてんに家訓を教えてしまう啄子。嫁と認める気はないのに、なぜ教えたのか啄子自身も不思議がっていました。この場面から、てんの商才に触れた啄子が同じ才覚の持ち主として心の奥でてんを認め始めている様子が伝わりました。楓も単にライバルとしててんにイケズをしていた訳ではなく、親に逆らえない自分がいて、我が道を行くてんに嫉妬していた心理状態が描き出されていました。そこに気づくまでに楓自身にも葛藤があったのだろうな、と想像できます。また、啄子が息子の恋愛結婚に反対する理由が、自身の不幸な結婚生活の原因だったことなど、登場人物の背景とともに心の深部まで照らし出す手法は、なかなか見ごたえがあります。

風太や栞のてんに対する気持ちも、もっと掘り下げられるだろうし、今後が楽しみです。来週は北村家に何やら暗雲が立ち込めそうで、ドラマチックな展開に期待しています。

    いいね!(7)
名前無し

モデルの扱いについては、どの朝ドラでも大きく改変が加えられています。
「とと姉ちゃん」では史実を適当に使いながらも、本人の経歴や枠組みはまったく変えていましたし、「花子とアン」に至っては、実名を使いながら、出自・経歴はまったくのフィクションという荒業を行使(しかも筋がふらふらだったため、大きな批判が巻き起こりましたね)。「あさが来た」などは、比較的よく経歴をたどった方です。
このように、朝ドラのモデルというのは、だいたいが、史実上の人物から「ヒントを得た」という程度のざっくりした扱いです。
このドラマも、吉本せいさんの一代記ではありません。彼女の生涯にヒントを得たまったくのフィクションです。
ですから、そのあたり、史実に忠実でないからといって批判にはあたりません。要は、ドラマの出来がどうかということだけです。

今のところ、このドラマは、ドラマというものに正面から向き合って、素直に作ろうという姿勢には、とても好感がもてます。
だから基本的には応援していますが、演出のユーモアのセンスには少し問題があるかな、と見ています。しっとりした場面作りは、なかなか上手ですが、ユーモラスな場面作りがあまり上手でなく、ちょっとすきま風が吹きます。
脚本も、「笑い」というのに固執しすぎて、話に無理をさせており、それが気になります。
笑いというのは、悲しみや痛みや苦しみがあってこそ心に染みる、という面がある。ときには、人間、笑おうとしても笑えないことだっていっぱいある。
そういうさまざまな感情の豊かさを、もっと表現してほしいと思います。ドラマの作り方でいえば、緩急、寒暖とりまぜる、ということになるでしょうか。
そして、「笑い」について言葉でことあるごとに説明しないでほしい。その大きなテーマがわかっていれば、それが言葉によらないところに表現されているのを見て、私たちは納得したり感動したりするのです。
平均点には達しているドラマですから、そのあたりがもう少しかなえられれば、さらにいいドラマになると思います。
がんばってほしいです。

    いいね!(7)
名前無し

新一お兄ちゃんの死がまさかのナレと写真だけ。驚きました。いくら笑いがテーマでも冷たすぎますね。好演した千葉さんが可哀想。

それにしても毎回、感動的ないいシーンをコントでぶち壊すのはこのドラマのお約束なんですね。
若い人をたしなめるべき大奥様が好奇心丸出して率先して話の盗み聞きをして、お約束どおり襖ごと部屋に倒れ込み(失笑)、おまけに孫の縁談相手に「わたしもおりますよ」と女をアピール。バカバカしくて全く笑えない。感激して男泣きしていたエンケンお父さんが気の毒でした。

そしててんちゃんが手紙と共に送った新一の論文を読み、伊能さんが店の援助を申し出る一方で縁談ははっきり断る。これで藤岡屋は救われるし、てんは家を気にせずに藤吉への恋心を満喫できる。あまりのご都合に笑ってしまいます。おまけに最後はまさかの藤吉との再会。伊能との出会いといい、このドラマは「まさかの運命的」要素ばかり。倉庫の家事や兄の死まで、ヒロインの恋バナへの都合の良いお膳立てとして利用するだけ。笑いの素晴らしさを訴えるためには自殺騒動も利用する。あまり気分の良いものではないしセンスを疑います。
それにもう一つ気になったのは、新一の遺品整理で論文を見つけたのがてんだったこと。普通は、新一の夢や志も聴いていたのだし、父親の儀兵衛さんが見つけて何とかしようとしませんか。それをてんの手柄にしたために、伊能さんに対し何も知らなかった儀兵衛さんが間抜けに見えて仕方ありませんでした。

ストーリーといっても、ただ次々に騒動を起こし、ヒロインに都合よく繋げるだけ。安直な騒動主義で、深い人間ドラマはありません。下手に笑いを盛り込むからドラマに情緒もない。関西ならではの人情味ある温かい笑いもない。
今のところ脚本も演出も全く好きになれません。

    いいね!(7)
名前無し

これぐらいで不快と言われるほど窮屈な時代には、朝ドラを作るのも大変ですね。

いまの時代に、不朽の名作おしんやすずらんを放送したら、貧しい妊婦が雪の日に川に入って赤ん坊を堕胎しようとしたり、姑が嫁を自殺に追い込むまでいびったり、夫が妻を張り倒したり、悪人が丸太で殴ったり、子供を虐待死させたりで、不快だ不快だと連日クレームの嵐だったのでしょう。

ゆとりの平成時代ではなく明治の話なので、時代劇として見ています。
茶碗を投げつけようと、酒ビンを叩き割ろうと、ごくつぶしの亭主が女房の着物を質屋にたたき売ろうと、芸のためなら女房を泣かせでばかりいりいる道楽な亭主が登場しようと、極道が登場しようと、娘を売春宿に売り飛ばそうとするロクデナシが登場しようと、手癖の悪い番頭が店の金を着服していようと、ドラマの1シーンとしてまったく気になりません。

そんなことを気にしていたら、昭和の邦画など一作も不快でない作品など有りませんから。

この世界観なら「芸のためなら女房も泣かす」「ワンマン亭主やワンマン父親、ほっておけないロクデナシと情にほだされた女や男が山ほど出る人情物」でOK。

説教くさい嘘くさいドラマを朝から見たくない。
通天閣まで買収したヤリ手のヒロインが見たいから、もっと破茶滅茶なノリでも良いくらいです。

テンポの速さが爽快です。

    いいね!(7)
いいね!投票数 6 票
名前無し

伊能と母親のくだりが酷すぎるのは言うに及ばずですが、今日もうひとつビックリしたのは…
震災援護の関係で東京へ行って1週間便りが無い(設定の)風太をおときが心配している時、てんが言ったひと言が「便りが無いのが元気の便り…」
こんな時に使う言葉では無い。中学生でも分かる。
親元離れて遠くで暮らす息子が、平穏な毎日の中 親に便りを送って来ない時に使うのなら分かる。
震災で皆が行くのをためらっている中 命の危険を冒して援護に行っている人間から連絡が無いのに対して、呑気に吐ける言葉ではない。

震災に関してもかなり軽く扱ってるところがあるし、台詞にも心無い言葉が多すぎる。
何なんだろう、この制作陣は。

    いいね!(6)
名前無し

>過程が描かれないから不満だとか、毎年訴える人はいますし。

過程が描かれないということは即ち登場人物の丁寧な心情描写がないということです。
たとえば藤岡屋から分家の話もありながら、正式な退職もしないうちに、通りで肩がぶつかっただけの寺ギンと、次のシーンでは意気投合しお気に入りの子分になっている風太。この二人の関係は今日の大どんでん返しにまでつながる重要なものなのに、そもそもの出会いのいきさつが全く描かれないから、寺ギンと風鳥亭の関係も知らない風太がなぜこんなやくざまがいの男に急に惹かれたのか、一方の寺ギンも風太のどこを見込んで手下にしたのかなど、二人の心情が全く分からない。心情がわからないということは感情移入できないということです。その後あとづけ的に、てんの力になるため笑いの勉強がしたいから、とか人を見る目を大切にする寺ギンに憧れて、とかセリフでの説明があるけれど、ドラマならきちんとシーンで見せるべきだと思います。少なくとも「人間ドラマ」なら。
「崇徳院」エピでのお夕や団吾も行動が唐突で明らかに心情描写不足だし、栞のてんに対する想いや藤吉との殴り合いの後の意気投合→友情の芽生えなども、あまりに唐突であ然とするばかりです。

べつに展開だけ面白ければそれでいい、という見方もあるのでしょうけれど、展開の都合で登場人物のキャラがころころ変わったり、伏線なし運命や偶然頼みのあまりにひどいご都合展開では、人間の心の機微は伝わりません。そのうえ笑いがテーマのせいか、人の死を悲しむシーンがなく逆に大笑いさせるなどヒロインの性格づけも共感性がない。
全般的に内容も描写も幼稚で少女漫画的。展開だけでなく、心から笑ったり泣いたり素直に感動できる、普通の大人の人間ドラマを見たい人には物足りないドラマだと思います。

    いいね!(6)
名前無し

「風鳥亭はわしら芸人を家族みたいに親身になって心配してくれるんや」って、ケガをした曲芸師の妻にお金を貸した以外、どんな風に? いつか席主が芸人の給金の金を持ち出したり、お抱え芸人からストライキ起こされたりもあったたけど。

「俺はこの世界は一にも二にも人を見る目や。そう言われてあんたに憧れてやってきました」「寺ギンの後を継ぎたいの?」
通りで肩がぶつかっただけでいつの間にか寺ギンの手下になり、てんの力になりたいから寺ギンの下で笑いの勉強をするとか以前言ってたけど、風太は寺ギンに憧れて後を継ぐつもりだったの? 日頃借金の取り立てや日銭の回収以外にどんな仕事をしているのかもよくわからない。その風太が寺ギンにそこまでの気持ちがあったとは。

どちらも描写不足で全然実感として伝わらないですよね。中身のないセリフだけが浮いている。そういうことがこのドラマはとても多い気がします。

それに寺ギンが先手を打ってオチャラケ派と伝統派が手を組んだと言っていたけど、それはつまり伝統派も風鳥亭に噺家を派遣しないと決めたということ? 以前に文鳥師匠をあんなに立派で思慮深い人物に描いたのに、あっさり寺ギンと組むような浅い人間に貶めるとは。驚きましたしとても残念です。本当に、場面場面、展開の都合でキャラがころころ変わるんですね。
色々展開があるから一見面白そうだけど、人物描写が薄っぺらでキャラにもセリフにも説得力がなく、全然惹き込まれません。

    いいね!(6)
名前無し

キースに万丈目、アサリに岩男。雑魚芸人は確かに芸も進化しないし情けない連中だけど、自分たちをないがしろにし、人気噺家団吾のために無理して多額の借金までしようとする藤吉に不満を抱く気持ちは理解できます。そのために自分たちの給金にまで手をつけられたのだから。

そんな彼らのストライキに対し藤吉の言ったセリフが「働きとうないんなら出てもらわんでもええ。好きにせえや」
家出した子供時代に寄席に身を寄せ面倒を見てもらった仲間たち。
家業をつぶして路頭にっ迷った時も、藤吉一家を長屋に住まわせてくれた。
藤吉が給金を持ち出した時も2、3日食わんでも平気やからと我慢してくれ、夫婦喧嘩の仲裁に心温かな初節句の祝いをしてくれた気のいい仲間たち。
つらい時も楽しい時も共に過ごし、互いに支え合って生きてきた仲間たち。
それなのに団吾に夢中になって言い分をまともに聴こうともせず、冷たく突き放した藤吉に腹が立ちました。
自分は困ったときに嫁の実家の援助を受け、何かというと伊能様が相談に乗ってくれる。これまで散々他人に助けられてここまで来たのに冷たすぎます。席主ならまず芸人を大切にすべきでしょう。

そもそも団吾が破天荒なのはわかったけれど、朝から金をばらまくような下品な男。見て決して気持ちのいいものではない。その前にまず肝心の高座の面白さを見せて魅力を伝えるべきでは?でないとなぜそこまで藤吉が夢中になるのか理解できません。
新しい時代を切り開くのはいいけれど、そのために古くからの仲間を切り捨てるような不人情な話は見たくないです。

    いいね!(6)
名前無し

あまちゃんからの視聴者を…
べっぴんが断ち切り…
…そうになったのをひよっこがかろうじて繋ぎ止め…

…たのに……

……この作品で朝ドラは完全崩壊だわ。

    いいね!(6)

スポンサーリンク