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蘭子が八木を見るじとっとした視線が嫌だな、って思ってしまった。
それだったらのぶが、
「わたし前から八木さんの事が好きだったんです」
とか急に言い出したりする方が面白い。
NHKは実在人物を登場させたドラマで子孫から名誉棄損で訴えられたらしい。「フィクションである」と断ったから構わないという考えだったらしいが、史実だと思い込む人もいるだろうという理由からなのだそうだ。やなせたかし夫妻には子供がいなかったようだからその危険性は無いと判断したのかもしれないが、もしいたならここまで架空の設定を入れてしまうと問題になってもおかしくない。
NHKが16、17日に放送した、戦時下の「総力戦研究所」を描いたドラマを巡り、所長の孫で元外交官の飯村豊さんが26日、東京都内で記者会見し「歴史がゆがめられ、祖父の人格を毀損するような描き方をされた」と抗議した。放送倫理・番組向上機構(BPO)へ申し立てる意向。
↑
これのことですよね。
あんぱんに対して、問題になってもおかしくないとか憶測でしかないことを書かれてもね。
問題が有るなら、始まった時点でやなせさんの親族からクレーム入れられてる。
小松暢さんの新聞社までの人生は史実とあらら・・・だったが、ここ迄お咎め無しだから親族の方々も結構楽しんで見てると思いますよ。
私は東京オリンピック時の
のぶ「これが平和というものながやね」
嵩「ずっと続くといいな」
蘭子「でも昨日まで普通やったのが突然はじまる。それが戦争やき」
のやりとりで、オリンピックが平和の祭典である意識が自分になかったことに気づき、はっとした。もう当たり前のように4年に1回来るが今のロシアやアメリカ、中国ら大国のキナ臭いトップ達のもとで次2028年アメリカ・ロサンゼルス大会が無事終わるのか、どころか問題なく開けるのか不安になって来ました。
自分はのぶは熱くなる時は瞬間湯沸かし器のようなもので、平常時は平穏な普通の人だと思っている。子供時代はじゃりン子チエみたいな下駄を持った手が先に出る子だったが、所詮子供時代。パン食い競争〜教師時代ののぶがはちきんとして活発だったのは戦時中という「おなごは男同様に祭りごとに参加してはいかん=大志を抱いちゃいかん」時代が燃えさせたのだと思っている。終戦して軍国の間違いに気付き反省し、新しい平和な時代にはちきんが怒る幕は無くなっていった。のぶも40代半ば〜後半だ、もう人前でボケ〜!とか言ってる歳ではなかろう。
オリンピックのシーンは「戦争を経験した、平和はいつまでも続かないと知ってる世代が確かにいた」ことを再認識させた。本当に昨今の世界を見て、蘭子の台詞を急遽入れたのではと思ってしまいます。ヒトラーみたいに戦意高揚なんかに使われませんように。
今週のあんぱんで気になるのは手嶌治虫との唯一の仕事になるだろう劇場アニメ『千夜一夜物語』のエピソードがどうなるか。ネタバレになるから書きませんが、史実通りならこれが嵩のその後の創作活動に大きく影響するはずなのだ。
久しぶりに見たが、面白くないなー。テーマが分裂して何が言いたいドラマなのかよくわからない。
いつの間にか「ほいたらね」なんて言っちゃってるし。
ヒロインの今田美桜の存在感が薄い
完全に河合優実に食われてる
ストーリーもなんだかなぁ
やなせたかしを冒涜してるしかなりの駄作だと思う
クレームなんて最終回終わってみないと分からないんと違うか。
やなせたかしを陥れたドラマとして長く語られる作品だとは思う。下着マネキンのそばで…💢
で、今日も酷かったなあ、
蘭子とめいこのエピソードなんかいらないのに。
蘭子のよろめきなんていらないんだよ。
まるで地下で暮らしてる女みたいな蘭子。
横になったあとは身悶えしてたのか、おぞましい。
感じ方ってほんと様々でしかないですね。人間だもの、良いところもダメなところもあって当たり前。でも私には悩みながらでも生涯描き続けた素晴らしい人物としてしかうつっていないので。
それはのぶ始め周りの人物に対してもそう。
良い作品だとしか思えない私はラストまで楽しませて頂きますね。
あの後健太郎はメイ子を高級レストランに連れていき、出てきた料理の値段を当てるというゲームを二人で楽しんだ。
待望のアンパンマンが見えて来て視聴率17%を記録して盛り上がって来た。
終盤に向けて嵩の才能が開花して次々成果を上げて行く展開に引き込まれた。嵩の詩は女性に受けると確信した八木の策で嵩の詩集のサイン会と販売は女性下着売り場で行い大勢の女性客が押し寄せ沢山売れたのは噓っぽくてご都合主義だと思われるが史実だから面白い。嵩の詩集は多くの読者を勇気づけ身内のメイコ健太郎夫婦の危機も救ってくれた。仕事にかまけてメイコに優しく出来なかった健太郎は嵩の詩を読み反省して、長い後ろ髪を引かれるようにメイコの前に導かれた健太郎はこれまで以上にメイコに優しくして愛して元の仲のいい夫婦に戻れて良かった。
専業主婦はそれなりにいい暮らしをしている。しかし、メイコの稚拙な悩みに、これを本編でやるか〜と愕然としてしまった。
夫が忙しいのは良いことだし、子供たちも元気でしかも夫の実家に泊まりに行っている。 今までのメイコのキャラだと悩みほうけてないで自分の好きなことをどんどん見つけて行動するタイプ。
歌はどうした、、、素晴らしい趣味があるではないか!
いじいじしてないで、夫なんか頼らず 友達と買い物やランチに行けよ。 明朗活発なメイコじゃないの?
キャピキャピの演技よりも、物憂いの表情がなかなか良かった原菜乃華さんの演技が良かったです。
詩だの歌詞だの物語だのが浮かぶのは世間と人々と関わりあれこれ思い巡らせてきたから。たかしは人に、人の心・思いが気になる(興味がある)人なのだ。そんなたかしを描くとなれば、たかしが人々とどう関わるか、人々がたかしとどう関わるか、たかしと関わる人々がどうなっていくか、そういう、人々とたかしの関わりをあれこれ描かねばならない。そんな人々の中の1人に中園さん本人もいる。
時とともに環境・状況は変わる。その変化をどう捉えるかは人それぞれだが、ともあれ、人は何かしら変化するだろう。その変化は人と人の関係に影響する。たかしとのぶの置かれた環境・状況も変化してきた。嵩の知名度が上がりのぶは平穏な妻ライフを楽しんでいるようにみえる。そんなのぶに社会貢献せよと要求する気はない。いま嵩にとって妻のぶはどういう存在か、のぶをどう思っているか、のぶの胸のうちは・・、物語には少女(佳歩)が登場する、彼女は9才の時に父を亡くした中園さんなのだれう。同じように父を亡くしたのぶと佳歩がどう描かれるか。
新登場、たかしにファンレターを出した少女、佳保ちゃん、中園ミホさんと同じだ、佳保さんも父親を亡くしているのかな?
華丸大吉も蘭子にメロメロやん
夕べうたコンで次の朝ドラばけばけの主題歌披露してて、ちょっとびっくりした。 まだ八月やのに時期尚早かと、、、
でもなかなかえい歌でした。
あんぱんのOPも大好きです♬ 毎日歌ってます 😉
ばけばけの主題歌いいですね。吉田拓郎さんの「どうしてこんなに悲しいんだろう」を思い出しました。あんぱんの歌はひどかった。
あんぱん脚本崩壊時に、本人モデルが出てくるのは、ある意味シュールだが、もうこれまででつまらない。
杉井ギサブローに誘われて参加した「千夜一夜物語」(1969)より原作脚本もやなせたかしの「やさしいライオン」(1970)の方が重要なのでは?大藤信郎賞も取ってます
つまらなくなってきた
メイコの不満に共感できない
おしゃれしてけんちゃんと歩きたい?
くだらないわ
さぞ子育てがラクなんだろうなと、イラッときた
蘭子の恋バナ?ももっと魅力的に描いてほしい
豪ちゃんの羽織もいいけど、豪ちゃんの回想も見たい
のぶが主役だからしかたないのかな
でも、たかしがアンパンマンを描くまでの経緯をもっと知りたい
やっぱり、たかしメインがよかったなあ
メイコのもっと私を見ていて・かまって!エピソード、なんじゃこれはではあるが、なるほど、やなせたかしの逆転しない正義とか人々が争わず平和に暮らし続ける秘訣はこんな些細?なあれこれを忘れないことかも。日常の小さきことどもを気にかけないでいる・かけないでいられる・気がつかないということが、大きな行き違い、相手の気持ちがわからない、相手の正義がわからない、というところに行き着いてしまうのかも。この物語にはそうならないための エピソードがちりばめられているようだ。
今週は嵩(やなせたかし)の詩を巧く乗せて描いた。近所の子供たちが遊んでいた幾つものシャボン玉が舞う傍でのぶが椅子に座り朗読していたのは嵩の詩『小さなテノヒラでも』だった。のぶと嵩が銭湯に行くときも嵩の詩『愛する歌』だった。アパートの部屋でひとり蘭子が八木に惹かれながらも豪が残した半纏を眺め、~その手のひらににじむ遠い思い出、とつぶやいたが、それは亡き愛した豪への思い出を嵩の詩に込めたのだと思いました。メイコと健太郎の仲を心配したのぶと嵩は健太郎に、メイコを歌った『えくぼの歌』を詠ませた。その詩に反応した健太郎は心改めてメイコに優しくして愛した。それぞれの愛に嵩の詩を巧く乗せてドラマを盛り上げた。次の人には嵩のどの詩を乗せて描くのか楽しみです。
朝ドラだと、全く関係が無い場合であってもヒロインの家族もヒロインと同じくらい取り上げられるんだよね。前作のように完全な創作ならまだかまわないが、今作のように特定のモデルがいる場合でもヒロインと同じくらい取り上げられている。どこまで実話なのか調べたりしていないので分からないが、ひょっとしたらメイコ、蘭子ともモデルがいない架空人物の可能性なのかもしれない。
結局脚本家がやなせたかし本人のマルチな活躍を事細かにドラマにできなかった脚本がいかんのよね。
だから願望多くなって、余計な義妹達のどうでもいい出来事ばかり。おまけに恋愛脳だから、恋とか愛とかにきゅんきゅんさせたい場面が多いのかね。
千尋の横恋慕が一番腹立ったけどね。
改悪過ぎたし。もしかしたら千尋に生きて帰って来させて、それこそよろめきじゃないが、不倫に走らせたりしたかもしれない。
蘭子なんか身をくねらせてねっとり誰とくっつこうがどうでもいいが、きちんと柳井嵩夫妻の軌跡はちゃんとドラマにしてほしいものだよ。
半青みたいな脚本家か?
カホちゃんとのエピソードは、やなせたかし先生と中園ミホさんのエピを基にしたもの?大吉さんによれば。
なるほど、そーゆーことでしたか。
子供は、口悪く言ったりすることを、カッコイイと思うのか、大人とはまだ感性の違いがあるけど、それにしても、口を開けば失礼なことを言う娘でした。
「ボロい家でびっくりした。」に、びっくりした。
この物語は、やなせたかし作品集ではない、やなせたかし成功物語でもない。かなり昔、幸せって何だろう何だろう・・なんてCMがあったが、あんぱんは人々が平和に平穏に幸せに暮らすための処方箋は何か 教えてくれる。
明石家さんまが歌ったCMソング「幸せって何だっけ 何だっけ ポン酢しょう油のある家さ」かなり前いつ頃だったか?物語の今頃かもね。
視聴率17・1%。高記録維持。
嵩の詩のファンの小学生の女の子佳保が訪ねて来た。歯に衣着せぬ物言いで小生意気な子供だが可愛い。佳保を演じた永瀬ゆずなちゃんはのぶの幼少期を演じており、別人の別人格の演じ分けが上手くて感心した。将来の可能性を感じる子役だと思った。これからの女優としての成長が楽しみです。佳保と蘭子は嵩の詩をともに共感したようだ。それは『てのひらのうえの悲しみ』~てのひらににじむ遠い思い出、まばたいてすぎたなつかしい愛の日、ゆびさきにいまものこるしあわせな思い出。これは蘭子は豪、佳保は父親、ともに大切だった人の思い出を分かち合い心温まりました。また嵩の詩はともに父を亡くしたのぶと嵩の詩でもあった。佳保は嵩が描いたアンパンマンの原型を見て、この絵好きだと言ったが、佳保の純粋な子供の感覚で認めたアンパンマンはやがて全国の子供たちの間でも認められ大人気になる伏線になるかもしれない。
子役の女の子、ちょっとメイコに似てて最初メイコの娘が福岡の祖父を連れて来たのかと 💦 流し見で勘違いしました。
しかし少女の登場は、なかなか先が見えない混沌たる柳井家の暮らしにスパイスを投じた様だった。
子供の味方、アンパンマンがもうじき生まれるのだろうか。
クライマックスに向けて崇の作家としての活動がいよいよ本格的になり、これまでのちょっとどうでもいいような暢の独りよがり物語が終わって、面白くなるのだ!と思っていたら、なんか勢いというか盛り上がりというか感じません。比較してはいけないのかもしれないが、ゲゲゲの女房は丁寧な作りで後半は水木しげるがどんどん活躍して登場人物もいろいろいて面白かった。物語に活気があった。
このままダラダラと終わるのだろうか。期待していただけに残念。
幸せって何だっけ何だっけ・・ずっと後1986年のCM。円高・低金利、バブルが始まり土地投機やら、勝ち組・負け組とか金金金の世の中に、物語はいま1966年、まだまだずっと前だ。この年、中薗さんは7才。
佳保がアンパンマンを発掘し、ダメだししながら育て、後にはその脚本のほとんどを書いていたというストーリーなら面白い。面白くないか。
私でも書ける…
そういうマウント精神でずっときたドラマ。
おむすびC級作品だと思ってきたけど、あんぱんはF作品だな。
はよ終われ。
アンパンマン誕生が最後の1週間になるのでしょうか。
やなせさんの多彩さを描いていく脚本は大変ですね。
ドラマに採り上げ切れないほどの多彩さ。
単調になりそうな終盤に中園さんがモデルという少女の登場。
面白かったです。
それにしても早くトイレ付きの家に移ってほしい。
自分のことは創作にしたりする必要はないだろうから、中園ミホは子供のころからこんな性格だったのだろう。これくらいの年齢から周りに気を使ったり空気を読んだりするような「いい子」では独特の発想など生まれない。思ったことは何でもズバズバ言うような子は大人からすれば嫌な扱いにくい子だろうが、作家などの多くは幼少時こんな感じだったりするらしい。大抵は大人たちが「悪い子」扱いして潰してしまう。
このお話はアンパンマンのお話でなく、いつの間にかアンパンマンにたどり着いてしまった男とその妻のお話。二人を取り巻く人々のお話。絵本あんぱんまん出版後の話をするなら作者のことでなく絵本を読んだ人や子どものことになる。
絵本あんぱんまんはこうこうこうしてできましたなんてことをこと細かく描いたり説明したりしません。絵本あんぱんまん出版後こうこうこうしてアニメ化されましたなんて細かく描いたり説明したりしません。みんな争いなんかしないで穏やかに幸せに暮らしましょうよというメッセージなんだから。そのためにお互いにアンパンを与えあいましょうよということなんだから。要するに、目を背けず気にかけ優しくしましょうということなんだから。そんな劇的なことじゃない、いたって地味な当たり前のことなんだから。
私はこんな風にユックリと、でもちょっとしたキッカケがあったりしながら最後にアンパンマンにたどり着く様なお話がとても良いと思うな。あんぱんにはあんぱんの良さがある。
これまでヒロインがずっと張り切ってたり頑張っていたりでハラハラドキドキしながら見ていたけれど、こちらは見ていてとても落ち着く朝ドラで、あまりこんな感じの作品って無かったかも。良いね、こういう朝ドラも。
ファンレター書いたことがきっかけで、家に招いてくれたのに
サイダーはないの?だの、あんぱんじゃなくケーキはないの?だの、家は小さいだの、この程度の詩なら私でも書けるだの、漫画の代表作はないのだの、似顔絵を描いてもらったのに似てないだの、
どんだけ傍若無人で無礼千万なガキなんだ。連れて来た爺さんや親はどんな育て方してるんだ。
やなせさん子どもの頃に女の子の友だちがいた。その子は中園さんみたいな子だったとか。😉 なんと傍若無人で無礼千万なガキなんだって、デフォルメ・デフォルメ、中園さん、あんなだったんだ!😁 なんて、大ザービスだね。
なぜ失速したと感じてしまうのか、自分なりに考えてみた。
正直に言って、私はそもそものぶという人にあまり興味がないから、かもしれない。
「あんぱん」が始まってから、やなせたかしやアンパンマンについて知ることが増えて、それなりに興味が湧いてきたのに、そのあたりが中途半端では物足りないと思ってしまうのだ。
史実(という言い方は違和感がある。私はやなせたかしを歴史上の人物とは思っていないし、事実というほうが適当かと思うが)通りの話を求めているのではない。
ドラマの中の、やないたかしという人物像をもっと豊かに描いてほしいと思うのだ。
ドラマでは、のぶは嵩の幼なじみという設定の下、前半では、のぶの周りに釜爺やヤムおじさん、ハタコ母など、魅力的な脇役がたくさんいた。
高知新報の編集部もイキイキと楽しく、見応えがあった。
でも、上京してから、戸田恵子代議士と袂を分かって以降、のぶの周りには誰もいなくなった。
妹の蘭子とメイコ以外は、嵩関係の登場人物しか出てこない。
この状況で、のぶをメインにした話にするのは難しいのではと思う。
のぶも、蘭子もメイコもそれぞれに悩みを抱えているが、狭い人間関係の中でのもので、閉塞感を感じて楽しめない。
内向的な性格の嵩だけが、さまざまな分野で物怖じしながらも新しいことに挑戦し、締め切りに追われ努力し、認められ、成功しているのに、本来の漫画を描かない(描けない)ことに自他ともに責められ悩んでいるのは、バランスが悪いと思う。
とりとめないコメントになってしまったが、のぶは嵩より先に亡くなると聞くし、この先どのように物語をまとめるのかは興味がある。
幼い時に父を失った脚本家の記憶と物語の中の暢の記憶が重なって同じ子役になったのでしょうかね
あんぱんまん(アンパンマン)誕生という言い方があるが何をもって誕生というのだろうか。あんぱんまん(アンパンマン)にたどり着く(着いた)という言い方もある。あんぱん(アンパン)は何を象徴するのか。たかしが人の世になくてはならないものがあんぱんであると思い至ったのはいつか。少なくとも両手にあんぱんを持って空を飛ぶた太っちょの デッサンを描いた時には思い至っていたはずだ。むろんあんぱんは空腹を満たしてくれるが人はアンパンのみにて生きるにあらずだ。となればあんぱんは空腹を満たすだけでない何かでなくてはならない。
カホちゃんの失礼さ加減はともかく、長瀬ゆずなちゃんの演技そのものは素晴らしかった。
ここのところちょっと停滞気味だったので今日の回はインパクトがあって15分間惹き込まれた。
この物語は神や仏を持ち出すことなく、人の心の有りようについて、人としてどうあるべきか、考えるきっかけを与えてくれる。脚本家は世間に遠慮せず恥ずかしがらず言わせたいかとを言わせている。その心意気を買いたい。あんぱんは良いドラマだ。
今日の回は久々に良かった。
このドラマは、中園ミホさんが自らの視点と、彼女の想像したのぶの視点を融合させた柳井夫妻のドラマなので、のぶの子役を演じた永瀬ゆずなちゃんが中園ミホさんの役回りで、今田さんののぶと共演するのは、なかなか斬新かつ衝撃的だった。
佳保は、子役のぶよりも不躾で、ズケズケと物を言う。
おそらく、中園さんは、そういうイメージを、ある程度は、のぶにも持たせ続けたかったのだと思う。でも、朝ドラを続けると、内外から色々な声が出て来て、それが許されなくなっていく。今田さんが主演した「花咲舞が黙っていない」的な演技も期待したのに、それは全く封印されてしまっていた。
だから、自分がモデルということで、ストレスを発散したようなところがあるのじゃなかろうか。
佳保は、言葉の棘とは裏腹なはにかみと感受性の豊かさももち合わせており、それをゆずなちゃんがうまく表していた。そして、その刺激を受けてだと思うけど、今田さんが、内面から優しさがこみ上げてくるような演技を見せてくれた。高知の戦災孤児やアキラたちに取ってつけたような寄り添い方をしていた時の演技や、八木や薪鉄子のそばで何か縮こもったような演技をしてたときに比べると別人に思えた。
自らの原点のちびのぶとの共演で、今田のぶが甦ってくれるなら良いのだが。
昨日の回では、メイコと団扇で顔をあおいでいたけど、それが左手じゃなくて右手だったなあ、とふと思うくらい暢気なイメージから抜け出てほしい。
日本サッカーのサムライブルー、大谷のドジャースブルー
日本人のイメージ色として青も悪くないんじゃないかと近年思えて来たが、
そう思うとあの旧日本サッカーの燃える赤、聖徳太子いわく日出る国の日本
かつての日本カラーの赤が恋しく、懐かしくなって来るのだから不思議
この「あんぱん」で言えば赤はのぶのイメージカラー、蘭子の青はやはりNo.2のイメージなのだ
昭和のサッカー日本代表はお世辞にも強いとは言えなかったが、真っ赤なユニフォームで世界に出たいと悔しがる彼らにこちらも闘志が湧いた
衣笠始め、あの頃の赤ヘル軍団も燃える闘志のイメージだ
思えば昭和の日本は未成熟でも赤く燃えていた、熱い時代だった
赤いイメージカラー服ののぶを見ていると正に昭和はそうだった、
あの時代に似つかわしい人、太陽のようだと思うのだ
走って、迷って、それでも突き進む
自分は何かが出来る、いや例え自分が成せなくとも好きな人を照らす事は出来る
嵩を信じて、日輪の輝きのように
前回蘭子が亡き豪を思い出して暗唱したと思う、てのひらににじむ遠い思い出は、今回蘭子と佳保が掛け合いで暗唱した嵩の詩集『愛する歌』にある『手のひらの上の悲しみ』だった。蘭子は豪、佳保は父、互いに大切な人を失った悲しみに寄り添う詩であるためか、二人は意気投合して好きな映画を話し合うほど仲良くなった。てのひらの上の悲しみの詩を暗唱する佳保は最初生意気な子供に見えたが、父の死の悲しみを癒してくれたこの詩を暗唱した佳保の表情はもとの純粋で素直な子供に戻ったようでした。嵩の詩は嵩自身が父や伯父や弟など大切な人たちを失った悲しみを経験した思いが根にあるので同じような体験を人たちにも共感させるのだと思いました。
いくらかじりついてもあんにたどり着けないあんぱん。
そのかわり見せられるのは、カオスな場面ばかり。
狭い狭い喫茶店の椅子で大人たちが取り留めなく話をする。
こっちは忙しいのに義理の妹が大泣きして、姉としてなだめる自分の妻は、どう考えても仕事の邪魔。
すぐそこに本人がいるのに受話器を渡さず、のぶがずっと仕事相手と話す。
今日の暴言少女、あんなに可愛らしいのにものすごいことを言う。自分なら門前払いだ。
題名を「柳井嵩の災難」にしたほうがしっくり来る。
今回の今田美桜さんの表情演技がとても素晴らしかった。穏やかでありながら優しさや可愛らしさ、ちょっとした驚き等々クルクルとした笑顔で魅せてくれていて、見ていて素敵だなぁって。
のぶは何者にもなれなかったのかもしれないけれど、旦那さんである嵩の才能を誰よりも信じ花開かせた人物として最高の奥さまになれたんじゃないでしょうか。
いつかその事に自分で気付いて胸を張って欲しいなと思う。
のぶは曲がりなりにも主人公なのだから、最終話まで生きていると思うけどな。もちろん例外はあって、「すずらん」「カーネーション」では主人公が死亡していたが、今作は展開から言ってそのような終わり方はしないと思う。
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