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もう一回書きますよ。
お茶の間はこういうのこそ誘導して下さい。
時系列問題は置いといてもこのドラマはファンタジーにせざるをえないと思うんですよ
「いい人」がビジネスで成功するわけないと思うから
↑↑ ご自分でされては?
ヒロインに演技力はないし、ドラマの内容も辻褄が合ってないことだらけでは評価出来ません。宮崎さんの魅力で観てきましたが、この先が凄く不安になってきました。
NHKが今は何年とテロップを出し、アナがそれから半年後だとか1年後だとか言っているのに、役者が違う事を言っているから「時系列」がおかしいと指摘している。
また、セリフだけでなく景色や衣装までが適当。
極端に言えば、真冬なのに風邪でも引きそうな格好をしているという事。
これも年号テロップやアナの説明とは大きく食い違っている。
こういういい加減な作りなのに、役者が良かろうが、その時その時にどんないいセリフを言おうが信頼できませんよ、と危惧している。
史実とは、何年に何が起きたという事であり、皆が指摘しているのは史実ではない。
時系列、史実の定義の議論になってきてるみたいな。これからも、その話でお互いに反論しあうようならそろそろお茶の間にしたらいかがかな?そのことを含めての感想ならいいけど、そこだけ言い合うならあちらが適当かもと思った。別に強制ではありせんけど。
前作はもう初めからリアルなんて無視と割り切った世界観だから
多少の齟齬も気にならなかったけれど
今作は心理描写が丁寧だとかいかにもまともそうに言われるドラマだからこそ
時系列や季節感の矛盾などがどうにも気になってしまいます。
はつと惣兵衛の描写なども全然物足りないし
決して丁寧な造りとは言えませんね。
実在モデルがいる以上、フィクションといえど
歴史上の人物をファンタジーにまでしてしまうのも如何なものかと。
時代物は時代物らしい安定・安心感が欲しいです。
私はこのドラマの細かい所は余り気にならないんだけど、姑がはつを蔵に閉じ込めるシーンだけは少々、唐突だと思ってました。けれどどなたかが書かれている、商売が傾きかけていることをはつの実家の人に知られたくない・・・という気持ちからだとしたら、なるほど納得がいきました。全般的には面白いドラマだと思ってます。
はつが嫁いだのは1865年(慶応元年)3月。あさが嫁いだのは同年の9月 。これは複数回の年号テロップとナレーション、劇中のセリフから確定事項。
第14話、あさが嫁入りしてから一ヶ月のナレーション。
第15話、1866年のテロップ表示で京に新選組登場。季節は冬か。その後、家を抜け出してはつに会いに行くあさ。そして、次に暑い日に堂島にでかけて五代と再会(出かける前にセミの声らしき効果音)。
第16話、五代と別れた後、半年後 1867年(慶応三年)のテロップで梨江が山王寺屋を訪問。
「嫁いでまだ1年もたってない」というセリフ。 しかし、着物やお菓子から夏と推測できるので、2年ちょっと経過してるはず。
そこで菊ともめたことから、あさに会うのはあきらめて、同行した女中を介して、お菓子(鮎は夏の季語)と手紙(歌)を渡す。
お菓子をそばに置いて、手紙を手にとっているあさ。そこに新次郎が現れたので、手紙のことで相談しようとするも明日きこかと言って出かける新次郎
頭に来たと尾行するあさ。着物の柄からシーンが継続していることがわかる。三味線の師匠の家から一緒に戻ってきて寝床につく二人。手紙のことを思い出し、話をしていると、戸を激しく叩く音。
新選組がやってくる。外は北風。証文の日付から慶応3年(1867年)12月
新選組が帰ったあとにはじめての夫婦の営み
梨江の山王寺屋訪問、あさの尾行、新選組にお金を貸す、二年遅れの初夜
これが12月の同じ日にあったこと。
昼は夏、夜は12月。摩訶不思議なあさが来たワールド
なるほどこうして詳しく書いて頂くと、このドラマのいい加減さがよくわかりますね。この様なドラマに感情移入など出来るわけもなく、残念としか言い様がありません。
摩訶不思議な朝きたワ―ルドには雑な描写しかなく、違和感だらけでハマれる要素はありません。
16話の冒頭、去ってゆく五代の後姿を見送るあさのセリフ
「なんで?なんで五代さまがウチに文をくれたん?何をしているお方なんやろか・・
あぁ、訳がわからへん。世の中が変わるって何!?」
何度見ても凄まじい棒っぷりに爆笑です。特に「何をしている~」の部分が最強レベル。
これだけ時系列がいい加減だと、新次郎とあさの初夜はあさが嫁いだ年の1865年12月という設定で、二人は演じていた可能性もあります(通常、撮影の順番はバラバラなので)
三味線のけいこに没頭して2年以上も夜の夫婦生活がなかったというのも視聴者の認識を超越していますから
国内外で賞を取ったり、演技や役作りには定評のある主役級の役者たちがそろいもそろってなにをやってるんだか。
本当に・・・あのセリスはボーちゃんでした。
しかも拘るところそこじゃないよって突っ込みました。
「なんであのお方はすぐにウチのことがわかったん?訳がわからへん」でしょ、普通に考えて。
梨江の山王寺屋訪問の際に、はつが白っぽい着物を着ていたからと言って必ずしも夏とは限りません。秋冬に色の薄い着物がNGと決まりがあるわけじゃありませんからね。
堂島へ出かけるあさに、よのが「蛍柄の絽を~」と言ったので、これは初夏(5~6月)確定です。和服は季節先取りなので、盛夏に蛍柄は着ません。
タブーとまでは言えないにろ、野暮ですね。粋ではありません。
その後の流れから見ても、テロップ通り慶応2年の初夏・堂島から半年後の慶応2年の秋から冬と見るのが妥当ではないでしょうか。
確かにお庭は青々とした緑でしたし、障子も相変わらず開け放たれていましたが・・・。
時系列も大切かも知れないけど、ドラマ造りにはそれと同じぐらい、あるいはそれ以上に大切なことがいっぱいありますよね。このドラマにハマッてしまった方たちは、それら別な面での魅力に惹きつけられているのではないでしょうか。私の場合はそうです。私もこれまで、どうしても細かい所が気になって見る気がしなくなるドラマも沢山ありましたが、このドラマは今のところそうなっていません。自分を惹きつけてやまない魅力が沢山あるので。
あさは秋に嫁入りして五代に大阪に来たばかりと言っているのが初夏なんですか?はつは3月末日に嫁入りして梨江が1年も経っていないと言ってるのが秋なんですか?
時系列の話はまだまだ続きますか?
もう一通り出尽くしたように思うのですが。
気にならない人もいるので、これ以上はお茶の間に移動してほしいです。
他の感想が埋もれてしまいます。
波瑠さんの演技力、私はなかなかだと思っています。
とても自然で好感が持てます。
「びっくりぽん」の口癖ははきっと一生言うのかもしれませんね。
何か驚いたときに、はあ?!って憤慨する場面でも、あさは「びっくりぽんや~」って軽く流してしまえるのでしょう。
前向きなキャラが表れていると思います。
波瑠さん本来のさばさばした雰囲気のなかで年相応の可愛らしさが出ているし、不快感がないです。
大河ではなく朝ドラで時代劇、毎日15分の枠の中でうまく見せてくれていると思います。
明日も楽しみです。
宮崎あおいと玉木宏が出ているけどおもしろくない朝ドラだね。役者達も朝ドラに出るよりも民放のドラマに出ているほうがよかったですね。。世間はこんな退屈な朝ドラをおもしろいと思うのでしょうかね。どこがおもしろいのかわかりません。もちろんこの朝ドラで笑ったことなんてない。宮崎あおいと玉木宏でなんか違うドラマでもつくってくれたほうがよかったです。見ていると眠たくなってしょうがないよ。
製作スタッフ(主に美術やスタイリスト)が季節感に疎いのではないでしょうか?
おそらく「若鮎(和菓子)」も京都の母のお土産だからという理由だけで、季節関係なく安易に使ってしまったのでしょう。現代なら年中売っていますから。
和菓子は季節の演出にとても効果的なんですけどね。勿体無い。
お菓子にしろ着物にしろ自然の風景にしろ、放送前に最終チェックがあるはずですが、そのチェック者が無知かそれ以外の部分しか見えていないから負の連鎖が止まらないんですね。
悲劇的なほどです。
ようやくあさと新次郎が夜を共にするようになりお姑さんが安心したというのに、本当は二人で夜通しかかって帳簿を調べていた・・・。なんでもないシーンなんだけど、このドラマにはこんなふうな節度のある笑いがあって、私は好きです。新撰組の「待たせたな」のシーンも、別に違和感なく笑えました。厭味がなく好感を持てるドラマだと思います。ただ、一つだけ不満を言えば、確かにはつ夫婦のことが少し描写不足には感じますが。
このドラマの玉木さん、皆さんがおっしゃるように確かに良いですよね…。わたしもエロいのではなく、艶っぽいのだと思います。彼の新しい魅力を発見しました。一見ちゃらんぽらんに見えるけど、案外、懐が深いのだという気がします。
佑さん元気かな?宮崎あおいは元気かな?
特急電車に通過される駅のごとく1866年がすごい速さで終わっています。まだ一ヶ月たってないのにこの調子だと先が思いやられます
それを言うなら京都-大阪を1日で往復した健脚一家今井家のごとく、です。
婚礼の日に、野がけ→祝言→三味線のお稽古を1日でこなした新次郎のごとく、でも可。
今回初めて朝ドラファンになった娘は、時系列の違いなんて全く気にならないそうです。話が面白ければそれでいいと。
良くもなく悪くもなく
とても安らかで自然な気持ちで見られます。
こんな気持ちは半年ぶりです。
本当に、本当に、ありがとうございます。
ようやくさわやかな朝が戻ってきたと感じてる方が多数のようですが、私もその一人です。今期は主人公を素直に応援しようという気持ちになれますね。
今の大河があんまりひどいので、なおさら朝ドラの面白さが際立ちますね。ずっとこのままで行ってほしい。主人公も愛らしいですよ。
物静かな波瑠さんの「あさ」健闘されていると思います。
元気で無邪気な役というのは実はなかなか難しい!
視聴者をイライラさせてしまう場合が多々あるから。
宮崎あおいさん演じる「はつ」の方が余程の事が無い限り
無難な演技をしていたら「可哀想~!」と視聴者から共感を受けるはず…
まあ波瑠さんが主役なのだから大変なの当然かも知れないが(笑)
たのしく毎朝みてます
時系列がおかしいというのを読んだんで
ほんとかしらと思って、今週のをじっくりみなおしてみました
13,14話は1865年 あさの婚姻は9月
15,16話の途中までは 15話の最初のほうでナレーションが婚礼から一か月と言ってる。それから、新撰組登場はテロップで1866年。何月かはわかりませんね、あさが米市場にいくのはよのさんと絽の蛍の振袖の話の時に、セミの鳴き声が聞こえていて、8月か9月を予想させる。小説土佐堀川では9月の設定だから、9月かな?
結婚したら振袖はないんじゃないの?とすこし思ったけど、小説の設定でもそうだから、その時代お金持ちではそういうものだったのかな?それともよのがだいぶ天然?とか楽しく想像してました。
16話途中から、その半年後といっていて半年後は10月から3月の半年で1867年3月末から4月かな?。テロップでも1867年とでてる。梨江がはつに会いに行って追い返されたとき。
17、18話 新撰組の借用書に慶応3年卯月。旧暦では1867年4月。新暦では5月 初夏の頃 鮎のお菓子が出てる頃。鮎のお菓子が梨江からあさに届く。
こんな感じなんですけど、どうでしょう?
朝見てる時もじっくり見直しても時系列がおかしいとは感じなかったんです。
でも実をいうと一か所だけw
梨江が嫁いでまだ1年たってないといったのはやっぱりおかしいかな。でもこんなことでこの朝ドラがひどいとは思えないです
話が面白いんだから面白いものは面白い
明日もBSでしっかり見ます。
ここだけでなく、新次郎さんの人気すごいんですね♪
私はこれまで玉木さんは好きでも嫌いでもなかったけど、
このドラマでファンになりそうです。
2015-10-18 16:38:17 名前無し様
時系列のこと詳しく説明して下さって有り難うございます。
私はそういうこと、余り気にならないのですが、
こうしてきちんと解きあかして下さり、
なるほどと思いました。
私もこのぐらいのことでこのドラマが嫌いにはならないです。
おっしゃるように、面白いものは面白いのだから仕方ない♪
他のドラマはもっとひどいから、おかしなところは見て見ぬフリする、という理屈がわからないですね
波瑠が頑張ってるならまた見ようかな。うん。
あささんどうなってるか。母親は好きだが…。まぁたまにつけます。
山本耕史さんの土方歳三「待たせたな!」って新撰組は観ていない
ですが“”池田屋での台詞ですよね…
申し訳ないが、あのドヤ顔に鳥肌が立ってしまっってww
基本いつもあのドヤ顔をしてますよね。
何故いつもあの顔なんだろう?と不思議に思って仕方ありません。
(お好きな方スミマセン!)
時系列の件、私なりの解釈で申し訳ありませんが、
若あゆのお菓子は季語として登場したのではないと思っていました。
「風変わり父は新たな風に乗り」という句が一緒に入っていましたよね。
そして、鮎は遡上する生き物です。父は海から川に遡上したよ・・・
つまり世の中が変わり、幕府という大海を見限り、たとえ険しくても新しい時代の激流に乗ることにした。
天王寺屋ではダイレクトな伝え方をしたばかりに追い返されたので、
そのことを暗に伝えようとしたのだろうと思ってました。
母の真意を汲み取ったからこそ、あさは新選組に対して、
「今幕府はいったいどうなっているのか?」と素直な疑問をぶつけたのでしょうかね。
それで時系列の問題が解決するのかは、余り気にしていなかったので分かりません。
それよりも、この後、時代の波に乗れる人間とそうでない人間。
その対比が描かれていたような気がして面白かったです。
新選組が来たのは会話の中に「幕府再興」という言葉が出てきましたので、大政奉還の後と思われます。ちなみに劇中の借用証は大同生命が所蔵する史実の新選組借用証(モデルの加島屋が400両を貸す)を復元したらしく、実際の資料の借用証の日付は慶応三年十二月となっております
史実ドラマとして観てるので合わないと不快
面白くない上に、時系列までおかしいとなれば作品としてどうなのかと言うレベルになってます。
米市場での五代が「あさ」の顔を何故認識できたのか?
あさは2年もの間、床を一緒にしていない、新次郎は2年も三味線の稽古に行っていた事になるが等々。
嫁いで1年か2年では大きく違う。
例えば1年目は子宝は諦めても、2年目ともなれば姑も黙ってはいられないなど。
「はつ」にしても1年と2年では天王寺屋の商いの仕組み、または経営状態がどうであるかの情報量も違う。
さらに家族の一員になれる度合い、信用のされ方も違う。
当然の事ながら「夫婦」としての見られ方も違ってくる。
このドラマはそういった事を丁寧に伝えるからこそ成り立っているはずだし、時の流れによる人の変わり方は今も昔も同じ。
まして1年1年で歴史が変わってしまう幕末であるからこそ、時を正確に伝える事は何より大事。
朝ドラは、登場人物たちの時の流れを丁寧に描いてこそ朝ドラなんだと私は思っています。
そのために半年もの時間が与えられているのですから。
あくまでも私の私見であり感想です。
そもそも、ついこないだまで幕府や新政府についての知識ゼロで「近藤勇じゃ!」みたいなノリだったのに、いきなり新時代について語りだすのが唐突過ぎて・・・。
せめて町中で世の中の不穏な動きに気づくようなシーンでもあれば納得できますが。
ところで「ウチも仕事がしたい」とゴネて譲ってもらった水汲みの仕事はあれっきりですね。力仕事は懲りたんでしょうか。
ここまで一度も家族の食事シーンがないのも謎です。
波瑠さんが好演だと思ってます
脚本にいくらかの齟齬はあるようですが
今のところ、それが取り立てて邪魔になるような致命傷にはなってない印象
次の週が楽しみなので星は高評価で
録画を見直して検証しましたが、夏と思われるあさと五代の再会の日から半年後の梨江のはつ訪問と北風がヒューヒュー吹いてる夜の
新選組参上が同じ日としか解釈のしようがないです
訳がわかりません
ろくな修行シーンも見せられていないのに、ナレで勝手に2年も飛ばされ、あっという間にスーシェフとなり一人前のケーキ職人になってた事よりビックリポン。
2年間も旦那が何をしていたのかも知らず、世の中の事もどうでもいいような事を言っておきながら、母の手紙の「風」という文字を見て五代に繋げる感の良さにもびっくり。
「もう一度お名前を」という程記憶力も悪いのに。
まあその前の手紙では「五代」と聞いて直ぐに顔を思い出すなんて事もあったけど。
あれだけの膨大な帳簿を一人で調べ上げる能力があるのなら、奉公人も番頭さんもほとんどリストラだね。
金の事や経営に口を出すのなら、まずそこからでしょ。
おかしなおかしな毎日は違和感から不信に変わっていくと思うよ。
番組HPのいちばん左下から劇中の3件の出来事の時期に関して質問のメールを送りました。
回答を待ちたいと思います
あ、私も3日前に問い合わせしてますが回答いただけていませんよ。
回答はこないと思われます。
ドラマ、ドラマ、どうせ架空のお話。
白岡あさなんて名の人居ないし、楽しが善ろし。
実モデルの女性は豪傑過ぎて大河向きだし、朝は楽しが善ろし。
最後には花子とアンも出て来るだろうし、朝ドラは、楽しが善ろし。
あまりな目鯨は美容と健康の敵。
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