5 | 799件 | ||
4 | 179件 | ||
3 | 107件 | ||
2 | 157件 | ||
1 | 599件 | ||
合計 | 1841件 |
いつもと違うことにチャレンジするのはいいけれど、つまらなければどうしようもないと思った。
新しいことをする前に、一人の人間の生き様をしっかり描写する力量が必要。
噺家がオリンピックを語る必要性は、どこにあるのでしょうか。
五りんの父親が満州で聞いた「冨久」が縁であるならば、五りんは噺家として精進すべきです。
しかし五りんに関して、視聴者は多くのことを知らされていません。シマさんの夫は再婚したのでしょうか?いつ他界したのでしょうか。りくちゃんは小松くんが満州で戦死した後 どのようにして五りんを育て、いつ亡くなったのでしょうか。
小松君はオリンピック選手をめざしていて、落語に興味がなかったはずです。たった一度、慰問の演芸で落語を聞いただけです。五りんが父親の最期を知りたいと思い、志ん生を訪ねていったとき、確か、志ん生は「知らねえよ」と、言ったと記憶しております。それならさっさと帰り、学徒出陣した同じ隊の兵隊を訪ねるべきです。
やはり、最初から物語が破綻していると言わざるをえません。
「いだてん」は大衆向けと言うより、固定フアン向けという感じですね。
>噺家がオリンピックを語る必要性は、どこにあるのでしょうか。
日本人がオリンピックというものを知るずっと前から、落語の話の中に、何かに突き動かされて走る日本人がいたからでは?
落語のネタになって受け継がれてきたということは、日本人にとって、走るという行為は、決して唐突なものではなかったんだろう。
そうそう、固定フアン向きだ。だから視聴率が一桁代だった。
やっぱり臨終シーンがないのは駄目なのね
「あさが来た」のようにに、登場人物を誰ひとり捨てキャラにせず、ひとりひとりの生き様をしっかりと描写してこそドラマです。
このドラマは東京や江戸も登場「人物」の一人だったので、落語家さんの存在が必要だったんでしょうね。
「オリンピックの歴史」だとヨーロッパの話になってしまいますが、東京のオリンピックの話でしたから、東京(江戸)に必須な落語家さんが語る役になったのだと思います。
>つまらなければどうしようもない
私は、いだてんが面白かったです。
とても好きです。
どこの国の人でも走るというこは、唐突な行為ではないですよ。古代ギリシャのマラソンがその良い例。どこの国の人だって、一刻も早く何かを伝えなければならなときがある。
江戸の文化と併合したいのなら、歌舞伎、講談、浪曲もありますよ。三波春夫さんは浪曲師だったのですから、浪曲師が狂言回しをしても良かったのではないですかね。
>江戸の文化と併合したいのなら、歌舞伎、講談、浪曲もありますよ。三波春夫さんは浪曲師だったのですから
次の時代を背負って立つ歌舞伎役者が兄弟揃って出演したり、ごりんが三波春夫のところに転がりこんだりしたのも、意味のあることだったんだね。
そうですね。志ん生一家を狂言回しにするのではなく、三波春夫さんに狂言回しの役を演じてほしかったですね。三波春夫さんは、迫力あり、涙あり、笑いありの素晴らしい狂言回しを演じてくださったと思います。何といっても「東京オリンピック音頭」を歌われた方ですからね。
私は落語に全然詳しくないけど、こういうかたちで進めていくドラマなんだなあと思って、知らない落語のことは検索した。ドラマのスタイルに気持ちを沿わせたというのかな。
近現代史大河において日本の文化を取り上げてくれたのには感謝している。寄席や演芸場が今よりもっと身近にあっただろう時代の娯楽。人の噺を聞いて想像力を働かせることの面白さを知っている人が多かったのではないかと思う。現代はそういう機会が減っている気がするから、大河で落語なんて素直に嬉しかった。それに「いだてん」と「富久」を関連づけた展開は、自分にとってはパズルのピースを合わせたり、謎解きをしたりするような感覚で楽しめた。
私は全体で6割くらい、後半だけで言えば、8割位、視聴しました。
面白かったという意見も、つまらなかったというのも、どちらも分かります。という訳で、全体を通しての星は、真ん中の3にしました。
視聴率低迷の一因に、65歳以上の視聴が半分になった、という記事を読みました。私は、それより少し下の年代で、東京オリンピックをぼんやりと覚えています。オリンピックの裏話を色々、知る事が出来て、その意味では面白いし、価値が有りました。
しかし、どうしても、どうしても好きになれません。生理的に拒絶感も、どうしても拭えません。理由は有りすぎ。否定派の皆さんの言われていることは、どれももっともだと思う。絶対、破綻もしている。徹頭徹尾、破綻しているということで、首尾一貫しているとも言える。
でも、応援する気持ちも有ります。NHKにも敬意を表したいです。何事も、新しい試み、冒険に踏み出す勇気は大切です。クドカンさんにも、また、大河に挑戦して頂きたいですね。
なぜこのドラマは、それまで固定層として居た多くの視聴者が離れたのか。
それはとてつもなくつまらない三文ドラマであるから。
なぜつまらない三文ドラマなのか。
それは歴史ドラマ枠なのに歴史が全く描かれていないから。
描かれたのは時間の推移として流れる事象の事だけであり、歴史ではない。
では、歴史とは何か。
歴史とは、伝えようとする送り手の主張なのである。特にそれが、ドラマ、であるならなおさらその事が鮮明でなければならない。
それが本作では、この事がほとんど無に近い。
長年の固定層である多くの視聴者は賢明である。
このドラマの脚本家、制作陣の歴史に対する意識の薄っぺらさを早くに見抜いてしまつた。
主張はあったよ。
日本が戦時に世界に対し、特に近隣諸国によくないことをしてしまったのを忘れないこと。
だがら日本は世界のために゛楽しいこと″をしなければならないこと。
強い国に忖度して、非人道的な兵器の被害を受けた立場を主張しないのは良くないということ。
占領されている土地でも、そこが日本であることを堂々と主張すべきだということ、など。
満州に取り残されて明日の命も知れない人々が娯楽を求めたことが描かれ、関東大震災のときに在日外国人が暴力に晒されたことも触れられていた。
それらの描かれ方がどれもあまりしつこくなく、押し付けがましくなかったのも心地よかった。
アスリートたちが泣かされたのや、嘉納さんや田畑さんが苦しめられたのは、大抵、戦争のためだった。
快晴の東京五輪開会式の明るさと、雨の学徒壮行会の暗さの対比を見ても、明らかにこのドラマを貫いていたのは反戦の気持ちだった。
でも、戦争が憎いとか許せないなどの言葉を多用することなく、「平和っていいな、スポーツができるって有り難いな」という雰囲気の画面でその気持ちを見せていた。
そういう主張の仕方をするドラマがあってもいいと私は思う。
このドラマでなんか面白かったのは、日本人て頑固だよな~って感じがあったところ。
欧米化一色にならないで、どこか日本らしくしてないと気に入らないみたいな。
特に金栗。
初めてストックホルムに行ったときにも欧米人に反発してたし。
最後まで足袋を穿いてたし。
あと、日本がどんどん近代化して欧米風の生活に寄って行っても、ごりん以外の落語軍団はいつまでも和服。
落語パートがなぜあったのか自分は知らないけど、変わっていく日本の中で、変わらない部分があったのは面白かった。
視聴者はパズルを観たいのではなく、近現代史を生きた人間の心に潜む葛藤や洞察力を観たかったのです。
このドラマによって、従来の大河ドラマフアンが離れ、代わりにクドカンの固定フアンが熱烈に支持しています。来年の大河ドラマでで、従来の大河ドラマフアンが戻ってくることを期待しています。
前に、「大河には殺したり殺されたりするような葛藤が描かれなければだめ」というご意見がありましたが、個人的には私は別に、そういう葛藤は見なくてもいいかな。
だからどうか「視聴者は」と一括りになさらないでください。
心配ないと思う。
来年は普通通りに戻る。
今年のいだてんはとても楽しかった。
来年も楽しみにしています。
ごめんなさいね。パズル(だけ)を楽しんで見ていたなんて言っていません。他にも良いと思う部分はその都度ここに書いてきました。他人が書いたことの一部分だけをとらえて、まるでドラマ全体のことを言っているかのように受け取って違う角度から批判するのはお控えくださいね。
私はクドカンのファンではないと思う。
あまちゃんも見なかった。
でもいだてんはとても面白かったし、大好きです。
このドラマのファンとか、楽しく見ている人たちのことを、非難したり中傷したりは、しない方がいいですね。
私もいだてんは大好きですが、クドカンの固定ファンではありません。
逆にクドカンファンの方で、いだてんが苦手だとおっしゃる方もいらっしゃいましたね。
>逆にクドカンファンの方で、いだてんが苦手だとおっしゃる方もいらっしゃいましたね。
そうなんですね。
作風が違ってたりするんでしょうか。
私は総集編が楽しみです。
来年の大河ももちろん期待しています。
>長年の固定層である多くの視聴者は賢明である。
このドラマの脚本家、制作陣の歴史に対する意識の薄っぺらさを早くに見抜いてしまつた。
当方もこの方のご意見に深く賛同いたします。
高齢の視聴者層がこのドラマから離れたのは、登場人物が多いことと時間軸が行ったり来たりすることの二点でストーリーが理解しにくかったからだと分析されていたものを読んだ。
歴史に関する主張がなかったからだという分析は見たことがない。
仮にそういう分析があったとして個人的に思うのは、制作側の主観があまり前面に出すぎると偏った作品になりかねず、NHKとしては好ましくないのでは?ということだ。
最近の西郷どん、直虎、真田丸などを思い出してみても、特に制作側の主観的な歴史観が強く押し出されていたようには思われない。
高齢者ではありません。休日を利用して小説を書いています。小説や脚本を書くということは、自分の感情の発露である自分が興味を持っていること、得意なことを書いても、誰にも関心を持ってもらえません。
偶然、読んでくださる方々、観てくださる方々の心を掴むには、幅広い分野の知識、物事を俯瞰で視る眼、そして何よりも大事なことは、人間が描けているかです。
残念ながら「いだてん」は、人間が描かれていないのです。そして小説や脚本の基礎である時間軸と空間軸の取り方を誤っています。
高齢者のみならず、若者である私も稚拙なドラマだと思っております。
「いだてん」の制作統括プロデューサー訓覇氏は、「外事警察」「ハゲタカ」など、硬派で知的なドラマを制作されています。この2作は、現代社会と人間の心理が、痛いほど胸に突き刺さり、私の心に残る名作でした。
訓覇氏は大河ドラマ「徳川慶喜」の制作プロデューサーでもあった、とウキペで知りました。「徳川慶喜」をアーカイヴで観たのですが、水戸藩、一橋家、幕閣、朝廷など、慶喜の視点で描かれ、やはり硬派で知的なドラマで、何よりも主人公とそれに関わる人々が丁寧に描かれていました。
いったいNHK内で何が起こっているのでしょうか? 制作統括訓覇氏よりも、脚本家の力が強いということは問題です。小説の場合は、小説家より、編集者、出版社のほうが権限を持っています。
私はそれで良いと思っております。他者の意見が入ることで、作品を俯瞰して書くことができるからです。
「いだてん」を観終わって、制作統括プロデューサー訓覇氏の本心をお聞きしたいと思う今日この頃です。
いだてんも知的だよ。
外事警察はキャストが苦手なので見なかったが、ハゲタカと慶喜は見ており、面白かった。
ハゲタカは好きすぎてDVDを持っている。
しかし、ハゲタカには原作があり、慶喜も司馬遼太郎の小説から筋を取っているので、見る人の胸を突き刺したのは訓覇氏ひとりのお手柄とも言えないと思う。
自分はいだてんも面白かった。
意欲的な作品だった。
自分は高齢者に属すると思うが、制作側の歴史観を鮮烈に感じて印象的だったのは、明治時代の負の側面を描いた「獅子の時代」だった。自分なりの正義を実現するために闘って破れ去った架空の人々が、実在の人物であるかのように自分の中に記憶された。
経済的な視点で忠臣蔵の時代を描いた「峠の群像」も、とても興味深かった。
「いだてん」も上記2作に並んでとても面白く感じた大河だった。特に、人力車の時代からブルーインパルスの時代へと社会が激変しても、水を浴びながら自分の身体ひとつを武器に走り続ける金栗四三氏の変わらなさの描写が、日本人像のひとつとしてこれからも自分の中に残りそうだ。
「徳川慶喜」について書いた方がおられるが、あれも当時の大河としては主人公が美化されていないのが新しかった。慶喜が美化されなかったのは美化しようのない史実があるからかもしれないし、出身地との結び付きがあまり強固ではないからだったかもしれない。慶喜の父親・烈公はかなり美化されていたように思うが、地元の人々にとっては慶喜より烈公の方がより大切な存在なのだということがわかった。
そう、司馬遼太郎の原作だと、徳川慶喜のお父さんは女漁りが卑しすぎて、女性を人間扱いしなくて、大奥で毛虫のように嫌われていたと書いてあるけど、大河ドラマの中では神のような人ですよね(笑)
はじめは登場人物の多さやキャストの豪華さであんまり進まなかったけど、ストックホルム辺りからはどんどん引きつけられて、すっかりいだてんファンになりました。
全部録画して、テレビ放送が終わってから一気に見たけど、最近は視聴率とか関係ないんじゃない?
だいたい誰の視聴率?といつも思う。
クドカンファンだけど、やっぱりクドカンは裏切らないと思ったよ。
オリンピックに興味なかったけど歴史を見たら来年のオリンピックがすごく楽しみになってきたからこのドラマは大成功ですね。
いだてんだから見たけどいつもの"大河"だとそもそも見たいとも思わないし見ない。
いつもの"大河"ファンの受けがよくなかったみたいだけど、クドカンにはまたやってほしいと思った。
オレ、「いだてん」観てたけど、胸が痛むほど悲しい場面はなかった。腹を抱えて笑う場面もなかった。
オレ的には「LIFE」が、心の底から笑える番組。
この番組は台本を書く人より、制作、演出家の人たちの努力が実っていると思う。
「いだてん」は、なんとなくだけど、脚本家のごり押しが効いているみたいな気がする。NHKの内部のことはわかんないけど。
「徳川慶喜」はカメラや自転車などの趣味人と生きた半生を見たかったのに、大政奉還で終わってしまったのが残念だった。オヤジに言わせると、「そんなつまらないものを見たがる人などいない」のだそうだが。
確かに、趣味に生きた後半生を延々と描いたら叩かれそうだね w
>なんとなくだけど
>内部のことはわかんないけど
そこまで不確かな憶測に基づいて、その上で悪口を言うと、ドラマのレビューにならないと思いますので、ご遠慮いただけませんか?
慶喜は刺繍も趣味だったし、飯盒を使って自分でご飯を炊くのも好きだったんですよね。
ニュースで年末の “煤払い” (すすはらい)をやってて、
「スッスッ、ハッハッ」に聞こえた。
金栗イズムが染み込んできたか……。
第96回箱根駅伝まであと5日(^_^)。
もうすぐですね、箱根駅伝。
私は仕事で生中継を見られませんが、結果を知った後でも見たいので録画しようと思っています。
いだてんでの箱根駅伝は出場校が4校。早稲田から河野一郎さんが箱根路を走り、金栗四三さんに声を掛けられていました。あれも伏線だったんですね。事前ミーティングで慶応の学生さんが一般的なイメージの慶応ボーイのいでたちで、思わずクスリとさせられました。
復路の朝は雪で、金栗足袋の底を削って滑らないように工夫していましたっけ。
あと地元の方々が、雪かきをし沿道から傘を差し出し応援していた姿に、心が温かくなりました。
箱根駅伝も往路復路があるから、富久と同じなんですね。
「美の壺」という番組が64年の東京五輪をテーマにしていたので見てみた。
パラリンピックがパラリンピックという名前になったのは64年、東京五輪のときだったということや、東京五輪の開会式のファンファーレは琴の音調子を取り入れた、和の音階で作られていたことなど、多くのことを新たに知った。
いだてんを見てなかったら64年のオリンピックのことになど、こんなに興味を持たなかった。
30日の総集編、正月の箱根駅伝も楽しみ。
知識を羅列してオリンピック蘊蓄を伝えることには成功したが、人間ドラマの感動を伝えることには見事に失敗したな、と言うのが皆さんの感想から見て取れる。同じ思いだ。
勝手に一緒にしないでください。
嘉納さんから受け継がれた一念を日本のため、未来のために花開かせようとした熱量溢れる男たちの人間ドラマ、内なる熱情に突き動かされて古い因習と戦った女性たちの人間ドラマを堪能しました。
このドラマのファンを執拗に攻撃し続けるのは異常です。
もう落ち着いて、他のことに関心を持ってみたらいかがでしょうか。
箱根駅伝も四三さんのことを思い出しながら今までとは違う感じで見るだろうなという感じ。
64年の東京オリンピックの映像を見ると何となく感動してしまうのは、その背後にまーちゃんや岩ちんのドラマを感じるからだし、箱根駅伝が楽しみなのは四三さんの面影のせい。
ドラマがあってこそなんだよね。
クドカン作品ということもあり、とても期待していましたが、私にとっては少しも面白くなくて残念でした。
来年からの大河に期待したいと思います。
確かに落語のところなど分かりにくくて面白くない部分もあったし、はっちゃけた感じの場面が多くて「いくらなんでももう少しみんな真面目にやってたろうに台詞がふざけ過ぎ」とも思った。
でもそれ以上に、蘊蓄でもなんでもオリンピックやスポーツや近代史の「初めて話」にいっぱい出会えて目から鱗の楽しい作品だった。
NHKの人がもう懲りて、これからはみんな大好き戦国ものばかりになり、もう二度と異色のちょっと変わった大河は無くなるのだろうと思うと残念。
戦国・幕末・戦国・戦国・幕末・変なの・
戦国・幕末・戦国・戦国・幕末・変なの
ぐらいの周期で、変なのが来るといいよね
変なの大好き
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