5 | 799件 | ||
4 | 179件 | ||
3 | 107件 | ||
2 | 157件 | ||
1 | 599件 | ||
合計 | 1841件 |
確かに「いだてん」は、当時の写真、フィルム、新聞、雑誌を併用する場面が多すぎる。時代劇なら、その時代の絵巻、肖像画、地図、文献を併用することができる。
そういう媒体をドラマの中に併用すると、ドラマではなく、ドキュメンタリーになってしまう。
「いだてん」は、ドラマではなく、ドキュメンタリーにコメディが加わったようなもの。脚本家の創意工夫を感じ取ることができない駄作。
ほぼ同じ時代のドラマ「おしん」の再放送を観ているが、当時の写真、フィルム、新聞、雑誌をまったく使用していない。全部セリフや役者の表現で完結している。だからドラマとして面白い。
橋田壽賀子さんは、テレビドラマの脚本とは、どうあるべきか熟知しておられる。
クドカンさんは、単に自分の脚本に酔いしれているだけ。クドカンさんのマニアックなフアンはいいだろうが、そうでない視聴者は迷惑千万。
おしんは名作だけど、ドラマの作り方はあれ一つではないからね。
橋田壽賀子さんにはクドカンのようなドラマは書けないし、書く必要もない。
橋田さんはクドカンのようになる必要がない。
同じように、クドカンは橋田さんのようになる必要がない。
同じようなドラマばかりがたくさんあってもしょうがないし、だいたい、飽きる。
私はいだてんもおしんも、両方面白いと思って見ている。
昔の新聞や雑誌が何度も画面に出てきけど、カーネーションも名作だじょ。
昔、ジェームス三木さんが、秀吉・家康・伊達政宗の年齢差を、長嶋・王・清原に置き換えて説明したのは新しかったし、最近では、真田丸の、ゲーム画面を使用したような解説も今っぽかった。
色々なやり方があっていいと思う。
カーネーションはまんま使ってなかったよ。古いファッション雑誌を加工していたよ。ドキュメンタリーにならないように、小道具さんが配慮したんじゃないかな。
橋田壽賀子さんは、忙しく家事をする主婦が画面を見なくても話の筋を追えるよう、すべてを台詞で説明するという手法を使っていた。
それはそれで素晴らしいことではあるけど、脚本家全員が同じことをやらなくてもいいと思う。
いだてんは、ドキュメンタリーとは程遠いような気がする。
ドキュメンタリーには、前畑の死んだ父ちゃんとか母ちゃんとか、出てこない。
おしんに出てきた昔の雑誌といえば、明星かしら。
いだてんには何の雑誌が出てきたの?
岸和田市に住んでいます。おばあちゃんの話によると、実際の小篠さん一家は、ドラマと大違いでした。それでもドラマとして視聴者を楽しませるのが脚本家の腕の見せ所です。
はたして金栗さんや田畑さんのお孫さんやひ孫さんは「いだてん」にご満足されておられるか、考えさせられます。
カーネーションは糸子が新聞読んでたシーンが印象的だったね。
あれもありだと思うよ、全部セリフじゃなくても。
小篠さんの実の娘さんたちが、あのドラマにご不満だったという噂は聞いた。
私はいだてんもカーネーションも大好き。
コンゴには「コンゴ共和国」と「コンゴ民主共和国」があるんだね。
来日したお二人はコンゴ共和国の方らしい。
コンゴといえば、マウンテンゴリラの研究者の映画があったけど、あれは民主共和国側だった気がする。自分の中ではザイールとごちゃまぜになっていたのだけど、調べてようやくわかった。
スーツ姿が美しいお二方。ようこそ日本へ。国歌の演奏が合っていて良かった。
近現代を取り上げて、「実在の人物をモデルにしたフィクションドラマ」では今再放送の「ゲゲゲの女房」は個人的にはどうにも違和感を感じえない。水木プロも出版社も喫煙者が全くいないし、水木しげると妻は年齢差が10歳もあるのにとてもそう見えないなど、同じ「実話を基にしたフィクション」でもリアリズムに差がありすぎる。
過去の映像を各所に入れてドラマにするというのは今に始まったことではなく、特に戦中戦後の出来事をテーマにしたドラマではこの手法が頻繁に使われていることが多いので全く気にならない。
過去の実際の映像を使ってもいいと思います。しかし「いだてん」は、あまりにも多く使い過ぎている。そこが問題なんです。やはり脚本家の技量が問われます。
>脚本家の技量が問われます。
すみません、お聞きしたいのですが、「ここに実際の映像を入れる」などと、脚本に書いてあるものなのですか?
ナレーションにかぶせて実際の映像を入れる判断をするのは脚本家なんですか?
それは演出の一部になるのではないのですか?
無知なのでお教え願います。
私も演出家の判断だと思っていました。
まあ感じ方は人それぞれなので脚本に矛先を向ける人もいるんだなとは思いましたけど。
今日の夕方4時からNHKで、
「ミラクルトラベル 熱狂の1964東京へ」
という番組がある。
なんかオリンピックに関係あるかな?
番組情報ありがとうございます。
予告を見ましたら中村勘九郎さんご出演と知り、それと日劇が映っていたので録画します。
「ミラクルトラベル」今日の放送は再放送で、本放送のときに見ました。全く無関係とは言えないでしょうね。
再放送だったのか!
いだてん最終回の前日ということで再放送なのかも。
実際の映像が多用されている、いないは、実際の映像が残っているかどうかにも関係あると思いますが。
私はそれを使っているから良くないとは考えません。
それを見ることで、その部分は信じがたくても実際にあったんだなと、その時代の事を再認識できると思えます。
ドラマが終わり、紀行のときはナレーションと共に写真やフィルを使うことは賛成です。でもドラマの中で大量に使用するのはいかがなものでしょか?
>いかがなものでしょか?
気になるほど多くありません。
5分に一度とか本物のフィルムが出てくれば大量だなと思うだろうね
>ドラマの中で大量に使用する
具体的に、一話について何回、昔のフィルムや写真が出てきたの?
最初は「『おしん』には昔のフィルムや写真が一度も出てこなくて、全部がセリフで説明されていて素晴らしい。ドラマはそのように書かねばならない」という話でしたから、具体的な回数ではなく、『おしん』に比べたら大量だ、ということではないですか?
個人的には、『おしん』は『おしん』だから良いのであって、見るドラマ見るドラマ全部が『おしん』のようだったら、私はドラマ全般、見るのをやめます。
本物の映像や画像が作品中に挟み込まれるのは、ある意味、近現代史ドラマの醍醐味と言えるとも思う。
なんと言っても「映像の世紀」だし。
ずっと昔の時代を描くドラマでは、それをやろうと思ってもできない。
比較的最近の時代の西郷さんの肖像画ですら本物と似ていないと言うし、今まで「○○の肖像画」と信じられてきたものが調査の結果別人だったとわかることもあるから、ドラマの中で歴史上の有名人の肖像画や銅像を出してきてもあまり意味がない。
でもそういう時代のドラマには別の面白さがある。
近現代の話で写真や映像が残されていて、それをドラマを見ていながら見られるのは贅沢なことだし、楽しいことだと思う。
そう言えば、私の世代(わりと高齢)が学校の教科書で見ていた足利尊氏と源頼朝の肖像画は、今では両方とも別の人物の肖像画だということになった。
聖徳太子なんか実在したかどうかも怪しいと言われているし、聖徳太子の肖像画と言われているものは、もちろん誰を描いたのかわからない絵だ。
誰だかわからない人の絵をずっと一万円札にしていた我々日本人……
その点、新しい一万円札の渋沢栄一は渋沢栄一に間違いないから大丈夫だ。
ツルツル頭でヒゲづらの武田信玄の肖像画も別人なんだってね。
ドラマや映画の信玄像って割りとあのツルツル頭とヒゲづらが基本だと思うんだけど。
「影武者」の信玄もそうだ。
再放送のミラクルトラベルは、いだてんに関連のある話はもちろん面白かったけど、若いときの美輪明宏の美しさと幼い勘三郎のトリス・コンクジュースのテレビCMが印象に残ったw
1964年に300円のジュースって高かったんだろうな。
ドラマの内容とさほど関係のない話題で盛り上がれるスレは希少だ。
語るべきことがないからなのかね。
昭和39年に東京都心で食べる豚カツは280円、蕎麦屋の盛り蕎麦やかけ蕎麦は50円だったらしい。
トリスの300円のジュースは高級品だね。
「ガソリン入れて」とウイスキーを来客に注ぐ田畑の場面の直後に煙草に火をつける大松監督の徳井義実。
「なつぞら」の週刊ガソリン擁護の応援をこんなところでするとは開き直りと言うか、開いた口が塞がらない!
いや火をつける場面があるだけ「いだてん」の方が悪質かも。
ついに最終回、感無量!
>本物の映像や画像が作品中に挟み込まれるのは、ある意味、近現代史ドラマの醍醐味と言えるとも思う。
なんと言っても「映像の世紀」だし。
ドキュメンタリー(映像の世紀)と、ドラマ(いだてん)は違うんだよね。ドキュメンタリーはドキュメンタリー、ドラマはドラマ。そこをよく考えるべきだよ。
1964年東京オリンピック開催までの道のりをドラマ(いだてん)ではなく、ドキュメンタリーで観たかった。
昭和のおっさんたちは、お酒を飲むことを、よく「ガソリンを入れる」と言ったのよ。
今でも大阪辺りにはその言い方の名残りみたいな、ガソリンスタンド風の飲み屋さんがあるらしい。
看板がガソリンスタンドみたいで、お酒の値段もガソリンの値段のように書いてあるそうです。
ガソリンでパワーを充填して、昭和のおっさんたちはまたバリバリ働く。
あの時代の働き方は、今考えると異常だった。
そしてまた、あの時代の人たちは、よくタバコを吸った。
部屋の空気が真っ白に曇るほどで、今にしてみると、非・喫煙者はよくあの環境に耐えたなあと思う。
このドラマではあの時代のおっさんたちの自然な姿が描かれてるだけで、なつぞらとは何の関係もないから、無理して結びつけなくてもいいですよ。
>1964年東京オリンピック開催までの道のりをドラマ(いだてん)ではなく、ドキュメンタリーで観たかった。
NHKにリクエストすれば作ってくれるんじゃないですか?
頑張れ!
私も応援します。
リクエスト頑張って!
中井貴一さんが演じていた信玄は、ツルツル頭ではなかったと記憶に残っております。
>中井貴一さんが演じていた信玄は、ツルツル頭ではなかった
私もそういう記憶があります。
直虎の松平健信玄はツルツルで髭でしたね。
>ドキュメンタリー(映像の世紀)と、ドラマ(いだてん)は違うんだよね。
誤解を与えてしまったようですみません。
自分は「映像の世紀」という言葉を、「BSのドキュメンタリー番組の番組名」として引用たのではなく、「近現代は『映像の世紀』であるから、近現代の歴史を描くドラマに本物の『映像』が使われることはふさわしく、面白い」と言いたかったのです。
ただ、そういう手法を取らないドラマを否定はしません。
ドラマはひとつひとつ、作り方が違って良いからです。
食べログとかには、「エネルギーチャージ!ガソリンスタンド居酒屋☆インスタ映え必至の給油機サーバーは必見♪」なんてのがある、
聖火ランナーの坂井さんがナーバスになって涙を流す場面は、ドキュメンタリーでは伝えられないのではないかと思います。たとえ実際にその映像が残っていてナレーションで説明したとしても。その前に記者や田畑さんが違う呼び名で声を掛ける場面を入れたから、坂井さんの気持ちが視聴者に伝わって印象的なシーンになったと思います。
インドネシアで現地の人たちがホテルに入ってきたときにアレンが背負い投げをしたのも、ドラマならではの演出でした。あのときに起きたことは、ホテル内はドラマで再現、ホテルの外の様子は映像資料を使用していましたが、外にはこれだけたくさんの人がいたのかと驚くと同時に状況把握することができました。
1960年になるとアフリカ諸国が独立した、というときに使われた映像は、国旗がコンゴ共和国のものでした。岩ちんが交渉に行ったのもコンゴ、最初に選手が来日したのもコンゴ。つながりをもたせているんだと思いました。
こうしてみますと、映像資料は大勢の人が映っているものを使用しているような気がします。
中井貴一の武田信玄は坊主頭でなくて当時クレームが殺到していた。「イメージに合わない」というわけ。今肖像画で引用されるものは坊主頭では無いから、むしろあれが正しかったわけだ。
わび・さびを感じなかった。
>中井貴一の武田信玄は坊主頭でなくて当時クレームが殺到していた。
そんなことがあったのか。
怖いことだな。
最終回、寂しすぎる。
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