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>こんがらがってきましたね。
韋駄天はいますが、馳走というのはいません。
それだけのことなので、こんがらがりません。
走り回って食べ物を集めてくれてありがとう、という意味で「ごちそうさま」と言うんで、「ちそう」は人名や仏の名前じゃないです。
どうぞこんがらがらないでください。
仏教では最上位が如来、次が菩薩、三番目に明王で、四番目が天。韋駄天は四番目の仏教を守護する神様でしょう。天は四天王とか有名ですね。日本では大黒様と恵比須様かな。帝釈天と言う寅さんでお馴染の神様もいますね。他は弁財天、鬼子母神とか。
プレートをスタジアムに見立ててサンドイッチの国旗を並べていく嘉納さんのラストシーンに、欧州では嫌われるなどというつまらないケチをつけていた方。あの船は日本船籍の氷川丸ですから。
韋駄天て、お釈迦様の弟子じゃないですね。
お釈迦様の弟子として有名なのは下記の人たちです。
舎利弗(しゃりほつ)
摩訶目犍連(まかもっけんれん)
摩訶迦葉(まかかしょう)
須菩提(しゅぼだい)
富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)
摩訶迦旃延(まかかせんねん)
阿那律(あなりつ)
優波離(うぱり)
羅睺羅(らごら)
阿難陀(あなんだ)
>つまらないケチをつけていた
せっかくドラマの感想を書いてくれた人を揶揄したり、煽ったりする書き込みは控えましょう。
横浜に係留中の氷川丸は「いだてん」の撮影で、アントワープオリンピックの回のときに使われたようですね。甲板で選手たちがトレーニングをするシーンがあったと思います。
>甲板で選手たちがトレーニングをするシーンがあったと思います。
ああ、あったあった。
あの船がそうだったんですね。
>御釈迦様が亡くなった時に帝釈天が歯を抜こうとしたら、…で走りに走って…。謎が謎を呼びますね。
亡くなった釈迦を供養するために、帝釈天が釈迦の歯を一本抜いたところ、羅刹がそれを盗んで逃げました。
韋駄天が羅刹を追いかけ、盗まれたものを取り返しました。
という話ですので、何も謎ではありませんよ。
加納治五郎先生という人物は、柔道をされる方には、特別な畏敬の念をもって語られる方のようです。
そういう方をソフトにユーモラスに描くのもアリかとは思います。ただ、最初のころ「楽しいの?楽しくないの?オリンピック?」のような軽い口調で飄々とふるまわれたのを見た時から、違和感が強くなり、ずっとその印象が続いてしまいました。
加納治五郎先生だけでなく、人物描写、出来事の描写、何か違うという感じをドラマを見るたびに感じてしまい、何か信頼感を持てない、というのが毎回の印象です。
武術にすぎなかった柔術を武道としてルールのある競技にしたのが嘉納治五郎なのだから、言ってみれば「教祖」で、柔道家が畏敬の念を持つのは当然のこと。
嘉納治五郎それ以外にオリンピック推進家もしくは教育者としての活動があったことを世間に知らしめた点が今作の最大の価値であるように思う。
嘉納さんの最期を看取った実在の平沢さんの回想によると、嘉納さんは船の中で朝からステーキを召し上がっていたらしい。
西部劇か何かでならそういうことをする西洋人を見たことがあるが、朝からステーキを食う日本人が実在したとは驚きだ。
スケールの大きな人だったんだな。
他人のため、正しいと信じることのために借金まみれになり、大食いで、日本人からも外国人からも愛された嘉納さんを、このドラマで知ることができてとても良かった。
カイロのIOC総会で他の委員からの意見に対し、何も言えないと弱々しく声を出す嘉納さんが、ただ己の名に免じて信じてほしいと訴えるのは、もはや最後の砦のようで切なかった。
でも、すぐに日本語で「順道制勝」「逆らわずして勝つ」と言ったときの声は力強かった。それを聞いたラトゥールさんの顔がほころび、彼が日本に来て嘉納さんと柔道をしたときにそのことを教わった場面があったのを思い出した。東京での交流のひとときが総会の場につながっているんだなと思った。
「順道制勝」という言葉は個人的に普段は遣わないけれど、もしかしたら「道理」に近い意味なのかな。嘉納さんは精力を善用するよう心掛けていて、疲労を感じないとおっしゃっていた。ここにきて、嘉納さんの生き方の信条を教えられた気がした。
嘉納治五郎が亡くなってしまった。ほぼ彼が主役のように感じてたし、150歳まで本当に生きそうだったので流石に涙が出てしまった。
日中戦争からの大東亜戦争。ヴェノナ文書が1995年に公開されてからは世界がコミンテルンの策略にまんまと騙されたことが明白になった。
その中で極東の島国日本はよく踏ん張って耐えたものだといだてんを見てても思う。辛く悲しい時代だったが、ポーランドの様に消滅することもなく、なんとか存続した日本。
先人の方々にはやっぱり感謝しかない。
治五郎先生に星5つ。
少し早いですが、クランクアップした今、一番言いたい事は、誰も教えてくれなかった事を題材に大河ドラマとして一年間を通じて放映してくれそうな事にただただ感謝しています。金栗四三さん、田畑政治さん、治吾郎さんの名前すら知りませんでした。
四三、田畑、治吾郎、志ん生、オリンピックの5本を柱として脚本をまとめるのには、ものすごいエネルギーを要したと思います。それだけにバラバラ感は否めませんが、私は楽しく楽しく見てきました。また、タイトルを「いだてん」とした事もよく練られていると思いました。
いつもの大河ドラマは見て終わりでしたが、今年の大河ドラマは「韋駄天」「志ん生」を調べたりと学ぶものが多かったです。
いよいよ、1964年のオリンピックへとラストスパート、あの開会式の感動が蘇ることは当時を知る人にはひとしお感慨深いものがあると思います。私も負けじと、その感動を感じたいと思います。
菊枝さんのきゅうりづくしの手料理は、まーちゃんへの思いやり。
「わかってますよ。ナニでしょ。」と間髪入れずに返す菊枝さん、流石でした。
地味ですが、あのシーンのカメラアングルや編集が気に入りました。
でもキュウリの天ぷらっておいしいのかな?
中華料理だとキュウリも炒め物に使ったりするけどね。
きゅうりは天ぷらにするとジューシーで美味しいです。
ためしてガッテンではきゅうりのフライも紹介されたことがあります。
嘉納さんの死で泣いてしまった。「韋駄天だ!」をはじめ、過去のシーンが去来する。役所さんの名演もあってのことだけど。
私は勝ち馬には乗らないというか興味が湧かなかったので、映画アナ雪も君の名も観てない。いだてんが低視聴率とか言われても、テーマに興味があるから観続けている。
かつて『平清盛』をメディアの評価を過信し、一時観なかったりして後悔してるから(T_T)。
嘉納治五郎が亡くなって悲しい
彼がこの大河を引っ張ってきた
普通の大河だと、主役の父か祖父ってところかな
抜けた穴は大きいぞ
まーちゃんがんばれ
ああ、嘉納さんは他の大河での父か祖父か。
そう言われると確かにそんな感じだ。
キュウリの炊き込みご飯もやったことがなかったけど、おいしいレシピがあるらしいので今度挑戦してみます。
私も今夜はきゅうりの炒め物を作ります。ニンニクで風味付けします。
今日は “天使の日” なんだそうな。
10・テン 4・し だからか。
いだてんの “てん” を1964東京五輪の10月10日に変換して、うまく語呂合わせ出来ないだろうか。
10・いち×とお→いだ 10・てん 無理か……。
何か嘉納さんに動かされてる気がする……(^_^;)。
嘉納さんがストップウォッチを平沢さんに渡したのは、もう生きて田畑さんに会うことはないだろうと察したからか。菊枝さんから「河童のまーちゃんに戻って。」と言われ、オリンピック返上が最善であろうと考える田畑さんだったが、嘉納さんにはそれができないほどの思いがあった。動き続ける秒針を見た田畑さんは、嘉納さんの『時を止めてはいけない』という強い意志(遺志)を感じ取ったのだろう。それが1964年の招致にもつながっていくのだろうなと思った。そして、その東京大会から柔道が正式種目に加わったことが感慨深い。
>その東京大会から柔道が正式種目に加わったことが感慨深い。
嘉納さんには何よりの供養ですよね
今回、見ていて涙が止まらなかった。
スポーツを楽しめるということの根底には平和な世の中があってこそ。
平和を取り戻したいとの思いで加納治五郎は東京開催にこだわったのかと思いました。
そしてそれを受け止め次の世代へと襷を渡す強い思いを持った、深く関わった人達。
この後、暗く辛い時代が描かれるのでしょうが、繰り返さないよう、より良い選択をするためにもしっかり見ないといけないですね。
子供と一緒に再放送を見たのですが、世界情勢の説明、大変に乏しいように思いました。
よく使用される言葉「日本が孤立」っていう表現なんですが、当時、西欧諸国はアフリカやアジアへ大変長い期間に渡って植民地を作っており、出遅れていたアメリカも、ロシアも、アジアに利権を求めていたとか、非常に複雑な状況があったと思うんです。
それを何も説明してくれないから、日本が全世界の中で、一国だけ、ただ一人で、孤立してるみたいに(日本対全世界のように)聞こえちゃいますが、もう少し、子供にも歴史の勉強になるよう、世界情勢について、丁寧に見せてほしかったかなと思います。
嘉納治五郎先生のエピソードは興味深く拝見しました。演じられた役所広司さんも素晴らしかったです。
嘉納先生がどうしてもオリンピックをやりたいと言われたのは、長きにわたり、スポーツを推進してこられて、スポーツと政治とは関係がないとスピーチされていた通りの経緯があるので、よくわかりますし、最後まで誠意を尽くされたこともよく伝わりました。
とても役所さんの演じる嘉納先生が鬼気迫る迫力、暖かい人間味あふれるお人柄ですばらしかったです。
でも、政治さんの「こんな国でオリンピックをやってほしくない」と反対されているところがわかりにくく、「あれがあれして、あれだから」みたいな奥様との会話も意味不明。「あなたらしくない」という胡瓜尽くしの料理も、何が言いたいのかわからなかった。
満州事変を報道しながら、オリンピックの聖火リレーのルートを考えたくないとか、新聞社は現在も、日々、そういうスポーツ面と政治面、国際ニュース、様々なものが混在する紙面を作っているのに、何が言いたいのかわかりにくかったです。四三さんやそのお弟子さんはオリンピックをやりたがっていたと思いますし。自分だけかもしれないんですが、何だかスッキリしなかったです。
録画をもう一度見ました。私は「いだてん」を見てくるなかで涙が溢れてきた回は2回あります。一度目は希望を込めた涙でしたが、今回のは役所さんの鬼気迫る巧みな演技もあり、尚更悲しかったです。国際連盟脱退していて、日中戦争が激しくなる中、いつまでも「東京でオリンピックを!」の夢を諦めずに、77歳の高齢者嘉納さんが日本の為に外国をかけまわった事を考えると、胸が痛みます。と同時に「オリンピックに惚れ込んだ男」と感じました。
山下JOC会長も涙声で嘉納先生を語っていらっしゃいました。嘉内治五郎さんは「日本のオリンピックの父」だと思いました。治五郎さんの止まらぬ時計に込めた思いを、まあちゃん、受け止めるんだよ。治五郎さん、安らかに。あとは、ジレンマに落ち込みつつあるまあちゃんがあなたの遺志を実現させますから。
まーちゃんと菊枝さんの場面は、支那事変(日中戦争)の当事者である日本でオリンピックを開催できるのかといった不安と、嘉納さんに問い掛けた上で返上することを進言しようかと考えている…ということを話しているのかなと思いました。
菊枝さんが理解を示したら、頭の中が混沌としているまーちゃんは『いや、違う、冗談じゃない。』と反論したい気持ちが沸々としてくる。それがわかっているから菊枝さんは多くを語らずに「ただ純粋に水泳が好きなまーちゃんに戻ってください。そこを基準に考えれば答えは明確なのでは?」と、キュウリづくしの料理を作ったのだと思いました。
個人的には田畑さんの「オリンピックに失礼だ。」といった言葉が印象に残りました。
水泳を一生懸命練習していた選手2人が田畑氏に「僕たち、泳いでいていいんでしょうか。従兄弟が出征しました。なんだか後ろめたいんですが。」という趣旨のことを言いました。最後に「こんなことでオリンピックが来るのでしょうか。」の選手の問いかけに一瞬言葉を失った田畑氏、あの時まあちゃんも不安と葛藤のど真ん中にいたかと思います。それを振り切るように選手を鼓舞する田畑氏。
実際の話、若者達は全容を知らず、日夜葛藤をしていたと感じました。それだけに東京オリンピック開催は当時の日本人には感動深いものだったと思います。何よりも開催に辿り着くまでの道の長かったこと、辛かったこと、深まりゆく孤立の中で尽力した人達…。1964に辿り着くまでこんなにも興味深い歴史があったとは!
ところで、きゅうりの味噌汁は美味しいですよ。お椀に味噌汁を注いだ後、上にたくさん千切りきゅうりをのせ、七味トウガラシ一振り、夏が美味しいです。
ドラマの中、政治さんの描き方、あまりに発想が繊細すぎて、新聞記者に見えない。
戦争に関わっている国は、オリンピックに関わるべきではない、ということを描いているように見えるが、武器供与をしたり、背後で戦争に関与しつつ、オリンピックに参加する国はある。オリンピックのボイコットなど政治利用もある。
アスリート達は、世の中で何が起ころうと、鍛錬し、ベストの状態をキープして、その時のために命がけでやっている。政治さんはそれをよく知っているし、その立場に立っている人だと思っていた。
田畑さんは最初は高橋是清さんに向かって「国がオリンピックを利用すればいい」というようなことを言っていたのに、実際にアスリートたちにに深く関わるようになって考えが変わってきたのですよね。
つねに矛盾し、揺れていて、そのことを自覚している人のように見えます。
今思うと、四三さんのほうが人間として魅力があったし、おもしろかった。懸命に走る姿も、九州の言葉も温かみがあって、人柄も好きだった。
田端さんは、どうも惹かれるものがない。微妙に選手とは距離があって当事者じゃなく、上から目線で、「ーじゃんね!」の話し方も、あんなに騒がしいと、だんだん苦手になってしまった。
そう見えるかもしれませんね。
四三さん時代は、彼を取り巻く家族、女生徒達などの思いがはっきりと描かれたり走り方や足袋の工夫もあり、わかりやすかったです。戦争シーンはあまりありませんでした。四三さんご自身のもつ真面目な姿勢が日本人には受け止めやすいと思います。
しかし、私は田畑さん時代もなかなか面白いと感じます。嘉内治五郎さんのご活躍、人となりが田畑さんのそれと微妙に混じり合い、ジジイと呼びながらも、田畑さんは尊敬の念を、嘉内さんは田畑さんに次の時代を築けと言わんばかりにストップウォッチを遺した、田畑さん以外の人達もオリンピックに向かいどのように考え、悩み、葛藤し、今後実現させていくかを考えるとワクワクしてきます。そこに立ちはだかる日中戦争、国際連盟脱退、太平洋戦争、原爆投下、敗戦等をどんなふうに乗り越えたか、少し昔の日本人の方々が行ったことを知りたいです。
まあちゃんはイライラしたり葛藤したりすると「アレがナニして、ナニになってアレだ、アレだ…。」と、こそあど言葉が増えます。それをちゃんと理解し、本当のまあちゃんは政治部記者よりもオリンピックを実現させたいのだと、愛するキクエさんがきゅうり尽くしの料理を。カッパのまあちゃんになり、自分の進みたい道進めと背中を押し、まあちゃんもその気持ちを受け止める。国をも支える夫婦愛、育まれていますね。
いいじゃんね〜!
実際にどうだったかは知らないが劇中の金栗四三と田畑政治が対照的なのは確かだ。金栗は口下手で田畑は思ったことはすぐ口にする、金栗は「無言実行」で口下手だが実際にやって見せて人望を集めたのに対し、田畑は「壮言実行」初めに周りが到底できないと思う様な、でかいことを言ってそれを現実にすることで人望を集める。口数が少ないことを美徳とする日本人の多くは金栗の方が親しみを覚えるのだろうけど。
はじまる前はただただオリンピック万歳みたいな
ドラマなのかと思っとりました。
四年に一度、民族の垣根を越えて
皆でその栄誉を讃えあうことができるということが
どんなに素晴らしいことなのか再認識しました。
最近は幕末か戦国か二択しかないような大河で食傷気味だったから
よく知らなかった歴史が興味深い。
ふんばれ、まあちゃん!
多分、「日本におけるオリンピックの起源」をこんなに丁寧に描いてくれるドラマ映画には、一生出会えないと思います。また、心に残る言葉が新鮮かつ印象的で見てきて良かったです。
あ、95%が水分のきゅうり、ちくわの穴にきゅうりやチーズ突っ込んでわさびやマヨネーズで食べるのも簡単!🍺に合いますよ。キクエさん、思い切り煮込んでました👌
今日の放送を先ほど見て、「1940年当時の日本は、戦争がどうのこうの言う以前にまだ国として弱くて、オリンピックを開催できるほどの力がなかったんじゃないか?」とふと思った。
オリンピックを自国でやるには、若すぎ、弱すぎ、小さすぎた感じがした。
自分は歌舞伎の舞台などを見ないし、七之助を見たのはとても久しぶりだったのだが、亡くなった親父さんに似ていたので驚いた。
昔は全然違う顔だと思っていた。
冒頭場面でガッカリ面白くない。
嘉納治五郎の棺を霊柩車に運び込んだのには驚いた。こんな昔から自動車の霊柩車があったのか?私の祖父が昭和46年に死んだときは人が牽いて運ぶリアカーみたいなやつだった。もっとも、昭和36年に田畑政治がカップ麺を啜るシーンが出てきたくらいだから、どこまで時代考証をしっかりしたのかは分からない。カップ麺が登場したのは10年も後のことだから。
小松勝、学生の身分でりくと結婚したんだね。りくは何歳だったのか不明だが。小松がどこの学生なのかは結局明らかにされなかった。架空の人物だから実在の学校を出したらまずいということか。
生まれた金五は昭和18年ではまだ2歳のはずだが、とてもそうは見えなかった。
>昭和36年に田畑政治がカップ麺を啜るシーンが出てきたくらいだから、どこまで時代考証をしっかりしたのかは分からない。カップ麺が登場したのは10年も後のことだから。
なんか、日清がカップヌードルを発売する10年前(昭和36年)に、明星食品が明星チャーシュー麺ていうカップ麺を発売してたらしい。
召集令状をもらうと、国の為に役に立つ一人前の男として認められたと、先程のテレビの状況のようになったと聞いたことがあります。赤飯を炊いて近所に配ったりしたそうです。
実際の家族内では、個人的には、果たしてそうだったでしょうか。召集令状をもらい、逃げると軍部が探し出し銃殺されたとも聞きました。
戦争を知らない私がこの事で何か言うべきではない事はよくわかっていますが、今日のいだてんを見て、オリンピック開催無しとは別に、日本兵はどのような思いで日本を離れ戦地に赴いたのか、家族、子供、新婚の嫁さん、恋人を忘れ戦地で元気に戦争に向かったのかはわかりません。追求したいところですが、この戦争はサンフランシスコ平和条約にて終わりをみたわけですから。
大変ショックな回でしたが、今は、小松マサルさんらが無事帰国することを願うばかりです。まあちゃんの無念さが痛いほど伝わりました。
Wikipediaによると、
「昭和初期の霊柩車は主にアメリカ製高級車パッカードを改造したものが多かったという。戦前日本においては上流層の自家用や官公庁の公用車としてパッカードは好んで用いられ」
だそうだ
聖火を神火にしようなど、今では考えられないことを当時の軍部の人は考えていたのですね。
本当にねじれの位置だったんだ……と感じました。
明星食品のカップ入り叉焼麺は試験販売だったそうだ。
カップに耐油性がなくて市販はされなかった。
だから日清のカップヌードルがカップ麺第一号ということになってるらしい。
田畑の食べてたカップ麺、よく見ると「試供品」とカップに書いてある。
昭和36年に試験販売した明星の叉焼麺なんだな。
すげー細かいとこまで再現してる。
嘉納さんのご遺体が乗せられた霊柩車の車種とかは自分にはわからないが、外車みたいだからあれがパッカードなのかな?
全体には良いと思ったが、学徒出陣壮行会で、あれだけでかい声で反戦とまで言わないが戦争にネガティブな発言の田畑が陸軍憲兵に連行されないのはあまりに嘘くさい。そんな自由な発言がましてや東条首相臨席の場でできないと思うが。
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