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ラムネは代表的な庶民の飲み物でいいけど
焼き芋はかなり贅沢なおやつなのがなぁ。
なんか戦争中芋ばかり食ってたとかのイメージで、
昔は芋が安かったと勘違いして書いてるんじゃないかねぇ。
一応、石焼き芋は向島発祥の食べ物ではあるんだけどさ…
実が暮らしていた宿舎の管理人さんが言ってましたよね。
「大変なのよ出稼ぎの人達…何の楽しい事もせず、カネは全部クニへ送って…やんなっちゃう人、多いのよ。」
みね子にも楽しい事が無いとね…
今度はみね子が失踪しちゃう。
今日は最高に良かった。
朝から涙腺崩壊です。
鈴子さんの温かさ、すずふり亭の皆さんの優しさが胸に沁みました。
明日も楽しみです。
ビーコロ。
私も働いたご褒美に美味しいお店のパスタを制覇しようとした事あったな。
週末のひよっこは晩酌しながら夜にみます
楽しみ。
実のタコ部屋と、向島電機は雲泥の差。
寮のコックが作る食事も、当時の一般家庭に比べてはるかにゴージャス。
コーラスの練習に紅茶、銭湯、ラムネ、あんみつ。
当時、自宅から通勤している娘たちは、帰宅すれば家事があり、もちろん家計を助けている娘もいたし、嫁入り道具を揃えるために貯蓄する娘もいた。
何より戦前生まれの親は厳しかったし、暴力振るう頑固おやじ雷おやじも多かった。
「毎日が修学旅行」
花畑向島電機。
上司も舎監もあまあま。
父親に比べて、ハチミツ海で泳ぐような日々でしょう。
みね子は甘える相手を間違えてると思いました。
いくら懇意にしてくれているとはいえ、すずふり亭の鈴子さんは親戚でもなければ、祖母でもない。東京の祖母のようなものと、本人が言ってくれるけれど、本当に悩みを相談すべき相手は、実家の母親ではないでしょうか。
母や祖父に心配をかけたくないのに、他人の鈴子さんには心配をかけ、なぐさめてもらってしまった。今月だけはすずふり亭に行くべきでなかったと思います。
母に手紙を書き、返事をもらい、元気付けてもらえば良かったのです。
業績不振で将来が不安になっているのに、元気な顔なんてできない。それなのになぜすずふり亭に行ったのか?それは鈴子さんに甘えるため(本人がそれを自覚していなくても)。実は甘えん坊のみね子の悪い性分が出たと思いました。
不安なのはみね子だけではないのに。
鈴子さんが自分から「東京の祖母のようなもの」だと言ってしまったのが残念でした。また予防線を張ってきた感じがしました。愛子さんも「東京のお母さん」と言いましたが、寮の舎監の立場と、常連の洋食屋の女主人とではみね子との距離があまりに違います。
なんだか、キーワードになる台詞が時々、ストンと落ちてきません。
若いみねこが何の楽しみもなく、ただ働いて仕送りして過ごすより
今のみね子の方が私はずっといいです。
父親は不作の年の借金で出稼ぎに出たけれど、それまでは家族と農業しながら普通に楽しく暮らしていたと思うし。
みね子にも愛子さんや乙女寮の仲間にも今より幸せになって貰いたいなと思います。
みね子は最後の晩餐のつもりだったかもしれません。東京で甘えられる年上の人がいたら、私は嬉しいな…(私はそういう人はいなかったから)
80代の母は、私が物心ついた頃から、朝ドラを見ています。
今も朝と昼見て、夜は私と録画を見ます。
どんなドラマでも、登場人物が泣けば泣き、笑えば笑います。
前作で私が不満を言ったら、怒って1日口を聞いてくれませんでした。
今夜は若かかりしころを思い出して、大泣きしていました。
給料日に甘いもの食べるのが楽しみだったのに、給料減らされて行けなくなり、本当に辛かったそうです。
私もつられて、泣いてしまいました。
私は、母のように、難しく考えず素直に楽しめるようになりたいと思います。
ひよっこを見たあとは、昔話に花が咲きます。
母と楽しい一時を過ごせるひよっこに、感謝します。
2017-05-26 20:44:55さん、恐らくこの脚本家もそうした同郷の人だからとの意図で、この警官は自発的に探す気になったと設定していると思います。しかし、警官も週1の貴重な休みを洗濯や掃除、買い物、レジャーとか色々やる事は有るだろうし、その合間を縫って赤の他人の為に暑い夏も、厳寒の冬も探す気になるでしょうか?仮に最初に警察署で捜索依頼をしていたのが三男の母親だったら、同じように探す気になったかどうか?映画の寅さんだって、どこにでもいるような普通の女性に夢中になる事は一度も無かったし、やはりそれなりに気に入ったタイプだから探す気になった、と思うのが自然でしょう。
コンビニだって、おばちゃんの代わりに可愛いい女子高生(またはイケメン)がバイトに入れば、男性客は行くのが楽しくなるでしょう?他人を無償の行動に駆り立てさせるにはそれなりの強い動機(この場合はみね子を彼女にしたい!)が必要だと私は思います。
「10人に一人居るか居ないかの世話焼き」が多すぎる。
綿引、愛子、食堂のおじさん。
鈴子に至っては、100人に一人もいないくらいの谷田部一家ファン。
鈴子は、美代子の数十年来の友人の君子や、役立たずの宗男や古谷一行を軽く凌駕するほど親身。
みね子のあしながおばさんみたい。
人間関係のバランスが悪すぎて、何がなんだか。
みね子にこの先、何が起ころうと、赤坂の高級レストランの一群がバックアップしていれば大船に乗ったようなもんでは?
次の就職先もアパートも、どうせすずふりがお膳立てするでしょ。
と、視聴者が思っちゃうところが、だめなんだな。
このドラマは。
なんかここ大騒ぎになってますね。
ただ今日の回は見てて意見が割れるだろうなとは思いました。
確かに人によってはみね子はぶりっ子に見えるかもしれない。すずふり亭の人にしろ綿引にしろ、みね子や矢田部家の人にみんな親切すぎるかもしれない。実際、人間関係でみね子は非常に恵まれているし、それは多くの人から見て甘々な世界なのかもしれない。
でも私はそんな世界が好きです。
それはたぶん、自分自身がみね子のように健気でもなければ、その周囲の人のように誰にでも寛容に思いやり深くなんてできないから。
一種ファンタジーかもしれないけれど、そんな世界の話が私は見ててすごく心地いいし、
自分の人間的器の小ささや狭量さを反省して、もっと人や家族に優しくしなきゃ、
もっと自分が努力して良い人間関係を築こうとしなきゃ、と思えたりする。
私にとっては生きるための教材、子供たちにぜひ見てもらいたいと思う道徳の教材のようなものなのかもしれません。
そんなのドラマとしてつまらないと思う人もいるでしょうけど
私はここで描かれる人の優しさや思いやりに素直に胸打たれるし、ほろりと涙がこみ上げもする。
金銭的な細部には多少の矛盾もあるかもしれないけれど、それでもみね子が家族のために精一杯頑張って仕送りているのはわかるし、そんな中で月一のレストランでの食事というささやかな楽しみを目標にするのも共感できます。
大きな夢もない平凡なヒロインだからこそ身近に感じられて感情移入もできる。
まあ、人それぞれ色々だけど、今の私は人生の厳しさや醜悪な部分を見せつけられるより、
こんな心優しい人の温かさを感じられる世界を楽しみたいです。
地方在住者ですが、当時向島から赤坂へ早く行ける交通手段は?
両国へ出てから総武線に乗り、四谷で丸の内線に乗り換えて赤坂
見附でしょうか?
この朝ドラ、働いてるとかなり共感してしまう部分がある。
脚本家がまるで自分に向けて書いてくれてるんじゃないかと思ってしまいます。
浅草まで歩いて銀座線一本じゃないかな。
みね子と警官は、付き合っているわけではないでしょう?デートじゃないわよね、あれ。
貴重な休日を潰して実父ちゃんを探してくれている。
みね子は、クリームソーダを逆にご馳走してあげなくちゃいけない立場。
なんで毎回毎回、普通に奢って貰っているのだろう?
ごめんなさい、私が銭湯毎日行ってやってけないよ?と書いたから教えてくださる人がいらして有難うございます。そうかあ寮にあったのですね!あまりに皆で行くものだからー(自分が協調性なく皆でとか苦手なもんで)
綿引が実を探してくれるのは自分への好意だろうと思うのが普通よね。
それを気付かない振りで会う度にクリームソーダまで奢らせるみね子は相当したたか。
お給料貰ってるんだから今度は私が払いますからとも何も言わず
会ってあげたんだから当然みたいな顔して澄ましてるみね子は性悪女だよ。
一番同性に嫌われるタイプ。ぶりっこで性悪。こんな娘にはなってほしくない。
泣いてもいいと思うけど・・・クリームソーダは、ソーダだけに、お願いすれば・・・私から見ても、飲めなかった味だ・・・
でも、そういう遠慮とかは、わからないかもしれない・・・
私もそうだったから・・・
奥寺佐渡子の、物凄く多面的で人の感情の綿密な推移を優しく暖かく哀しく描いた「リバース」を見てからひよっこを見ると、まるで学芸会。
信じられないほど単純な人間たちの仲良しこよしと、「私は親切です」と言わんばかりのあからさまなセリフ。
バラエティの寸劇にありそうな三組の夫婦。
出会い頭から、みね子の顔に惚れただけとしか思えない綿引の様子。
人物造形が単純すぎて、馬鹿みたいです。
幼稚園児でも、もう少し、「我」というものがあるし、複雑な人間模様の世界で生きているだろうに。
これからもこの調子でしょうか。
向島電機にはもう期待していないので、次の就職先、まさかすずふり亭はやめてくださいね。
さらなるお花畑でつまらなさが加速するだけですから。
すずふり亭は一時しのぎにして、客の誰かの紹介で早めに転職してほしい。
ひよっこは、女性の細かい心情描写がまるでないんですよね。昔はこんなのがうけたんですかね。みんな死人みたいに嘘笑い、嘘泣き。なんで泣くのか、なんで笑うのか、なんで悩むのか、それぞれの心の動きを描かず、台詞だけなぞって演技されてもわかりませんよ。感動どころか共感さえできない。早く終われ。
私は見栄っ張りなのか、女の子(特にに意識してない普通の娘でも)多少懐具合が寒くても、喫茶店位だったら二人分、自分が払ってたよ。今でも余程年上の女性以外はそんな感じ。
私は「ひよっこ」の登場人物たちが流す涙の理由。そこに至る心情。見ててすごく伝わります。
今日のビーコロを食べながらのみね子の涙も、奥茨城の子供を案ずるお母ちゃんたちの涙も、痛いほど伝わりました。
すずふり亭の人たちや綿引の善意も心から純粋なものだと感じます。
少なくとも、このドラマの中では。
父の失踪や故郷を離れての集団就職など恵まれない環境でも
温かい人間関係で救われる。。
そんなところに岡田さんの限りない人間愛が感じられて私は好きです。
韓国ドラマのように、とりあえず父親を失踪させる時点で、脚本家には愛はないでしょう。
今のところ、登場人物全員でみね子を守る物語になってる。
父ちゃんの失踪理由もそう言う所に落ち着くんだろう。
これじゃ面白い話にはならない。
まあ、「みね子さんです」の澄子と雄大は守る気無いかも知れないが。
焼芋食べて、ビー頃食べて、クリームソーダ飲んで。
一日の放送で3回も食べものの話入れるな。
食べてばっかりのみね子に、悲壮感なんて全く感じない。
美味しいものは食べるな、銭湯行くな、水着買うな、里帰りしろ、遠出するな、交通費使うな、泣くな、金使うな、他人に頼るな。etc
ただただ働き、父親を探せ。
こんなの奴隷だし、そんなドラマは見たくない。
一つ2つのささやかな楽しみではなく、割と贅沢三昧だから批判されるのでしょうね。
たこ部屋の父親に比べると全然健気でも何でもない。
奢って貰った焼き芋やクリームソーダ一杯は、多分ビーコロより高い。
すずふり亭も、何か記念日に行くならともかく、毎月毎月赤坂レストランとか、現代の貧乏学生でもしない。
朝ドラひよっこをこよなく愛してやまない‼︎楽しみに待って居る‼︎日本全国の皆さん‼︎おはようございます😊‼️第48話〜ひよっこ物語まもなく始まります‼︎みね子どうなっかな〜頑張っペねみね子‼︎今日もひよっこ存分に楽しんで素直に観っぺ〜🐥‼️
みね子の境遇にせよ経済的状況にせよ失踪にせよ、同情を買う為にそういった暗い縛りを作ったのは製作者。
縛り過ぎて身動きとれなくて、マトモに対応していたら奴隷のような設定にしたのは製作者。
でも今やお涙頂戴の設定が足枷で邪魔なんでしょうね。
失踪、借金、貧乏、家族愛を、軽く道具扱いするからブレつ批判が起こる。
特に実際の社会問題だった失踪、失踪者が記憶喪失だなんて万に一つもないようなレアケースだったら軽蔑します。
少し中弛みを宮本信子氏で一掃かな来週に期待
批判派の多くは、人に対する優しさを否定している訳ではなく、谷田部家がそこまで赤の他人に入れ込まれる理由が分からないから腹が立つのだと思います。
片親の家庭など珍しくもないし、集団就職の若者も山程いる。とっかかりの実自身も大勢の出稼ぎ労働者の一人だったに過ぎません。
実の素朴な人柄に魅せられたのだとしても、何がそんなに鈴子の琴線に触れたのか描写が不充分だと思います。私などは決して、優しい鈴子さんが見たくない訳ではありませんよ。
綿引さんの「お互い、親のことで人生が変わってしまったね。でも子供として嬉しくもある」という言葉が深いですね。
このドラマは確かに甘いところもあるかもしれませんが、思いやりにあふれて優しい気持ちになります。
鈴ふり亭でビーフコロッケした頼めないみね子が、どうしてクリームソーダが飲めるんだ?
小学生でもわかる計算だ。
これもユルユルの朝ドラルールか??
みねこってホント、一人だけ「ヘアメークさんついてます」って髪してるね。
うっすいエピしかないのに、歌いながら思い出にふけられても、まったく共感できません。
クリームソーダ飲んでる。
すずふり亭での涙はウソ泣き?
やっと竜星涼くんは終わったか。
井之脇海や向島電気の子たちも来週までかな。普通に面白くはないな
おごってくれる人がいないから泣いたの?
話しの内容も、話し方も、気持ち悪かった綿引が居なくなったことだけ◎
話は相変わらず、ぐずぐずダラダラの意味なし。
今日は一体何の話だったのか思い出そうと思っても思い出せない程薄い話。
あかね荘になるまでまつか。あて書きの脚本だからあんまり面白くないのかね。雄大と綿引の屋台のシーンうすら寒かった。二人だけのシーン数々作ってたけど、、ね。
東京って人が冷たいっていう部分のほうが多いのに、この朝ドラではみんなが仲良しこよしで気持ち悪いです。少しは東京者の冷たさを描けと言いたいね。
おひさまでも、全員が偽善者の集まりと非難されたのに、この朝ドラでも同じことをするのですね、脚本家の岡田は。
だから、この朝ドラは違和感だらけ、特に佐々木蔵之介の意味不明なニタニタした笑顔は不気味さを感じます。朝からきつい。
合唱の場面は少なめでいいと思っていたのですが、画面の歌詞を読んでみると、日本語の表現が味わい深くて、知っている調べを新鮮に感じることができました。
昨日レベルダウンのビーコロで惨めで涙をこぼしたと思ったら、今日はビーコロより高価なクリームソーダを1人で飲んでいる。
余裕はあるのかないのか。
ビーコロエピソードが、また作られた嘘感動に転落。
ちょっと小道具の金銭感覚の整合をとって欲しい。
くだらなさが底なし。
大人の視聴に堪える作品ではない。
おんな城主大河でも思うけれど、下世話さ底意地の悪さこそが「真・リアル」ではないし、そういうドラマが人間をよく描けてるかというと全然違うと思うよ。
むしろ大人だからこそ面白く見れるドラマだと思ってる。
子どもじゃちょっと掴みきれない思いが描かれてる。
綿引と雄大、いつの間にか友情が育まれていたんだなと思って嬉しかった。
いつも金がなくて奢って貰ってばかり。今日もそうなんだろうなと思っていた。だけど今日は綿引に奢りたい気持ちだけどやはり金が無い。だから二人分のラーメン代を貸して欲しい、必ず返しに行くと言う雄大がちょっといいなと思った。これで会えなくなるわけじゃないと雄大なりに言いたかったんだと思う。いつか雄大が金を返しに行ってまた二人で何処かでラーメン食べるところを想像したら嬉しくなった。
「赤坂」と聞くと、どうしても高級料理屋街のイメージがわく。
向島で働く出稼ぎ娘が赤坂へ食べに行くという構図に違和感あり。
すずふり亭の人々も人情に厚そうだし、下町の例えば上野か浅草
あたりの店にした方がしっくりくるのだが・・・。
決して赤坂の人が人情に薄いと言っているのではありません。
色々経験した大人が聴くとちょっと陳腐に聞こえますね。
大人子供なら深く感じるかも。
ただこれひよっこだから、青臭くても良いのかも。
製作者は、きっと親の縛りなしに好きに青春を生きた人なんでしょうね。
だから親に左右される子供の心情が薄っぺらい。
本当に若い頃から親の事情と共に生きてきた子供はああは語らない。
まあ綿引は就職するまで自由だったからこそのあの青いセリフ語りなんでしょう。
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