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NHKは、引きこもり先生みたいに人の心を打つ作品があるば、おちょやんみたいに人の心を踏みにじる作品もあるのですね。
出演した役者さんに罪は無いし、この作品に出たことが可哀想なくらいですが、この作品を作った人たちの罪は重いですよ。
二度とドラマ作りにかかわらないでほしい。
スカーレットに続く駄作。
おちょやん朝から極めて不快で駄作で稚拙でした。
おちょやんは兎にも角にも内容が充実していて面白かった。
多少の中弛みはあったが後半の素晴らしさは朝ドラ史上最高の出来だと思います。
最初の子役さんの頃のストーリーのインパクトがやっぱり悪いほうに強すぎたかな…父親とか、連れてきた義母さんに、愛情が全く感じられなくて、弟との絆もあまり描かれていなかったし、その土台の上に何を積み重ねても、ウソっぽくなっちゃって、気持ちが入らなくて。
喜劇の話は、女形さんが男役に転向したり、喜劇を作り上げていく過程とかおもしろいところもあったんだけど、人間関係の基本の家族の関係が薄ら寒いから、ドラマ全体に信頼感が持てなくて、このドラマをきっかけに朝ドラから離れてしまいました。
このドラマを見て、戦前の道頓堀の芝居の町の豪華さに驚きました。あんなに立派な芝居小屋が並んでいたのですね。
私は若い頃初めて道頓堀に行き。現代の賑わいに驚きましたが、芝居小屋の名残りらしき、劇場ビルがあるだけでした。
千代ちゃんみたいないなお茶子さんがあの町を走り回っていたなんて、想像もつきませんでした。
なんだか感慨深いです。
「生きるっちゅうのは、ほんまにしんどうて、おもろいな」
最後の舞台でのこのセリフで脇役たちや視聴者が泣けるのは千代の人生がそれを体現してきたことを半年間みてきたからだろう。
今も「おちょやん」関連の資料にいろいろ目を通して、その時代や浪花千栄子さんの人生に思いをはせています。ドラマ一つにこんなに肩入れする自分が不思議な気もしなくはないですが、「おちょやん」はやはりそれだけの魅力と価値のあるドラマなのでしょうね。
2021-07-27 04:26:10さん、 ロケ地、近江八幡市の八幡堀についての情報をありがとうございました。とても勉強になります。改めてそれらのシーンに思いをはせています。時代物のドラマにはそういう楽しさもありますね。
「おちょやん」の録画は消さないで保存していますので、時間が出来たときにじっくり見返してみようと計画しています。そのとき教えて頂いたシーンに、改めて注目したいと思っております。私にこんな豊かで充実した時間を与えてくれた「おちょやん」に、今も心から感謝してやみません。
花籠の伏線でさんざん煽ってそのあげく栗子との再会にがっかりしました。栗子の孫春子はモデルの浪花千栄子さんの弟の娘がモデルと伝えられているそうです(諸説あり)。ならば実はヨシヲは生きていてヨシヲと再会したほうが盛り上がったと思います。許しがテーマなら過去の悪行を重ねたヨシヲを許し実はヨシヲに別れた妻との間にできた娘がいてヨシヲの死後、ヨシヲの娘を養女にする展開の方が良かったと思います。育児放棄の冷酷なイメージの継母の栗子とは再会してほしくなかった。
悪評の朝ドラは永遠に語り継がれるんですね。 おちょやんはめちゃくちゃ酷い朝ドラでした。
おちょやんの総集編があったおかげで何度も録画を再生して見ています。
感動を何度も体験できて幸せです。。
本当に「おちょやん」が永遠の秀作として語りつがれる作品になろうとは…。なんとも感無量です。何カ月も前にここに最初に来たころは、やたら批判のあるのにびっくりして、ともかく実物を見てみようと思い見てみたのですが、思いの外内容の深い作品で、最初から引き込まれました。
それでいろんな感想スレやネットを見てみたら、あちこちで熱心なファンの方たちの支持を目にして、随分ここと違うものだと驚きました。やはり人のいうことは鵜呑みにしてはならないと思い知ったものです。
無論、冒険作というか異色作であり、賛否両論があることは承知しています。無難な路線を踏襲するならたいした波紋も起こらなかったでしょうが、作者の方としてはそれでは満足出来なかったのだと思います。
しかし一方に異論があったとはいえ、少なからず熱心な支持者を生むことに成功し、識者の方たちにも好評を得ることができました。そしてここでも終わって2カ月以上経つ今になっても、熱心に作品を検証されたり、熱い感想をのべる方たちがおられ、やはりすぐれた作品は…と感心しています。熱心なアンチの存在も含めて…。
それから
>「生きるっちゅうのは、ほんまにしんどうて、おもろいな」
2021-07-29 14:26:28さんが紹介して下さったこのセリフ、私もとても好きですよ。人生の苦しみを味わいつくして、それでもなお人生を愛することをやめられない、そんな人間でなければ絶対に吐くことのできない、大変に含蓄に富んだ感動的なセリフだと思います。
ひっそりした神社の境内。
周囲には枯れ葉がはらはらと舞い、厳かに鐘が鳴っている。
今日は「組見」という、道頓堀の芝居茶屋にとっては大切な日。
女将としては、何があっても空けるわけにはいかない大切な日だ。
それなのに岡安の女将であるシズは一人、
その喧騒を抜けて、いまこんな場所に立っている……。
シズの耳には、一お茶子に過ぎない千代の言葉が鳴っていた。
うちにとって御寮人さんが何より大切な恩人なのと同じで、
延四郎さんは御寮人さんにとって大切な恩人なんです。
いま会っておかないことで、うちは御寮人さんに後悔なんてしてほしくない。
そう、今日のシズは岡安の女将ではない。
ひとりの女、ひとりの人間としてのシズなのだ。
こんな日は一生に一~二回あるかないかの日だ。
いま延四郎に会っておかなければ、もう二度と会えない気がする。
二度とこれまでの恩に礼を言えなくなるような気がする。
かつてお茶子だった自分に自信を失いかけたとき、
優しい言葉でシズを励まし続けてくれた延四郎。
互いに恋い焦がれて、一緒になろうと約束をかわした相手。
駆け落ちまで約束した二人だったが、約束の時間にシズはその場に現れず、
そこから二人の人生は大きく別れた。
シズは芝居茶屋の女将に、延四郎は舞台一筋の道を……。
そしていま、20年の月日をへて再会した二人。
自分が不治の病であると知った延四郎は、舞台を永遠に去るにあたり、
せめて生あるうちにもう一度シズに会っておきたいと思いつめたのだ。
わだかまりない笑顔でかつての思い出を語り合い、
気持ちよく別れをかわすことが出来た二人。
こうして延四郎との短い時間を過ごして、暖かい家族の待つ岡安にもどったシズは、
一カ月後、思いがけなくも延四郎の訃報を聞く……。
悲嘆にくれながらも、千代のおかげで、
初恋の人と悔いのない別れを果たすことが出来たと、
ひそかに安堵もしたのではないだろうか。
忍ぶ恋……。若い人にはいささか陳腐に感じられるかも知れない。
しかし日本の古い大衆文学のほろりとさせる涙と笑いの味を、
「おちょやん」は確かに持っている。
いまの日本ではしだいに忘れられていくのかも知れないが、
それは確かにかつて日本の文化の一つだった。
ある時代まで、日本人はそういう儚い感情を大切に慈しみながら生きてきたのだ。
昨夜のシズと延四郎の別れの場面の投稿、懐かしく興味深く読ませてもらいました。
当時、お茶子と役者の恋はご法度だったことから、若かりし頃のシズは先代女将のハナに止められ、心ならずも約束の場所に行けなかったのでしたね。しかし、励ましてくれた恩人の延四郎にどうしてもお礼を言いたいというシズの思いをくみ取った千代がシズを説得した場面は、このドラマでもとりわけ台詞の長いシーンで、それを感情をこめて真剣な表情で語った杉咲花さんを見て、これは若手女優とは思えない演技力だと感心したのを思い出しました。
それはそれとして、この第3週は緻密に構成されて、登場人物をその後につなげる重要な週だったと思います。その全体のテーマは「別れと新たな旅立ち」というところでしょうか。
シズと延四郎とは永遠の別れでしたが、もうひとつ、大きなエピソードとして、舞台から活動写真に転向する高城百合子が道頓堀を去る話が盛り込まれていました。
カチューシャの唄を口ずさみながら道頓堀を後にして、芝居小屋の前で立ち止まって、道頓堀の景色を名残惜しく眺めていると、傍にいたチンドン屋がカチューシャの唄を哀愁を帯びた曲調で演奏、歌って見送ってくれた・・・、これもまた名シーンだと思います。
そして、千代自身は数えで18歳になり、年季が明けました。かねてから、年季が明けたらどうするか、しっかり自分で考えなさいとシズから言われていた千代は「改めて、これからもよろしゅうお願い申し上げます」とシズ・宗助に伝えると、「しっかり励んで、一人前のお茶子になりますのやで!」とシズから激励され、明るい未来が開きかけたのですが・・・。その直後、激しく店の戸を叩く音が。千代が戸を開けてみると、「千代け?!元気そうで何よりや」とあの子供の頃に捨てた父・テルヲが立っていて、次週への暗い予感が広がりました。
高城百合子にとっては新たな旅立ちは期待が持てるものでしたが、千代にとっては暗転の未来が見えていたのでした。
それから、ほんのワンシーンでしたが、ヨシヲのことにも触れていたことも忘れらません。
シズが延四郎と会っている間、岡安は組見(芝居の団体見物)の接待で大忙しでした。宴会で賑わう席で、一人の客が「おい、よしお。お前何か歌え」と大声で言います。一瞬顔を曇らせる千代。そしてその脳裏には「姉やん、姉やん」と後をついて来た子供の頃のヨシヲのあどけない姿が浮かびました。しかし、次の間合いで立ち上がり「あほ」と呟いたよしおは、おじさんでした・・。賑やかな宴会のほんのわずかのシーンでしたが、明るく振る舞う千代が一瞬ヨシヲを思い出す、大事なシーンでした。
ヨシヲのその後のことが分かるのはまだまだ先のことでしたが・・・。
いま、録画を見直してみて、この週は今後のこのドラマの展開に目を向けさせるために巧みに考えられていた週だったと思いました。
モネを見ていると、お仕事は人間を成長させてくれることを描いてくれていると思いました。
皆さんの文章を興味深く読んでいます。
そのシーンが目に浮かんできて、懐かしくなることもあります。
もっぱら離婚で話題になっている篠原涼子さんですけど、
女将の和服姿が板についてお似合いでしたね。
高城百合子役の井川遥さんもお美しかった。
お酌していた千代が「ヨシヲ」と呼ぶ声にハッとした場面には、
私もちょっとウルウルしました。
あのときのヨシヲ役はMrオクレさんでしたね。なんともいえず切なかったです。
シズが、延四郎と会うのを認めてくれた宗助のもとに帰ったとき、
宗助の袖を可愛らしく引き寄せたのが印象に残りました。
顔を見たらホッとして、改めて夫の優しさを感じて
一層好きだとシズが感じた瞬間だったと思います。
今でも星評価が投稿されるのは、それだけこの番組が良く言えば印象深かったからではないですか?インパクトが強い場面もあったけれど、とても細やかに描かれた場面もありましたね。
わたしも懐かしくなって、時々この部屋を覗くのですが、新しい投稿を読んで、ああそんな場面もあったな、あそこは面白かったななどと思い出すことが多いです。
宴会でMrオクレさんがおじいさんのヨシオ役をやってチラリと出てきたことなど忘れてましたが、ここを読んで思い出してニヤッとしました。
継母の栗子の後半のキャラ変がやはり違和感あり過ぎた。
繰り返しになりますが、
ここはあくまでもドラマの感想を書く場所なので、
そういうことはお茶の間にお願い致します。
過去のドラマの良いとこどりを寄せ集めて毎週一話完結形式で飽きさず見せて面白かったが、ヒロインが何のために女優になったのかはぼやけていました。幼いころから大女優にあこがれたとしてもそれだけで女優になった目的の説得力がありませんでした。世の中の役に立ちたいとか明快な目標がありませんでした。やらねばいけないことがあるのですと洋書の人形の家のセリフを連呼したがドラマとかけ離れて共感できませんでした。結局このドラマのヒロインは何を志しに女優になったのか訳も分からず興ざめでした。
管理人さんが大量の複垢不正評価を削除している現実が 見えていないには無理がある!
幻想と思う事が幻想になってしまってる
自己中ヒロインの性格は受け入れ難かったですね。周りは常にヨイショというのも何だかなでした。
同じく杉咲花さんの演技も見ていて辛かった。半年間という長いスパンの朝ドラでは個性があり過ぎる演技と言うのも飽きがきますね。好きな人なら良かったでしょうが。
不快感を散々撒き散らしラスト辺りで普通の朝ドラに寄せてきたけれど、ハイ綺麗にまとめましたよという作風が大嫌いでした。
とてもいい朝ドラでした。
所々で映画のワンシーンのような綺麗なシーンが上手かったですよね。
お笑いだけでなくさまざまなシーンに工夫が凝らされていました。
画面は汚いわ、煩いわ、わざとらしいお涙頂戴ばかりでウンザリ。
千代は偉そうな物言いばかりの不愉快なヒロインで、これといって見どころも無く
つまらない笑えない舞台ばかり見せられて辟易してしまいました。
朝ドラでは無く、深夜にでも放送して欲しかったと思います。
このドラマはどこに視点を置いて見るかによって、ずいぶん見え方が変わってくるドラマだったのは確かですね。見る人の好みとか、期待感とかで見え方が180度変わってしまいます。
朝ドラに適していたか、夜の芸術ドラマ枠の方が良かったか、賛否が大きく分かれると思います。
個人的には朝ドラとして十分に楽しめたし、刺激とウィットと伝統的笑いが混じっていてとても良かったと思っていますが。
千之助が長年の恩讐を超えて、かつての兄弟子の万太郎に最期の舞台をつとめさせた回も感動的でしたね。
戦後まもなくの日本、旅から旅へのドサ回りから懐かしい道頓堀にもどり、大山社長の新たな鶴亀新喜劇に迎え入れられたとき、千之助はかつてのライバルで兄弟子だった万太郎が、喉のガンにかかり、声が出なくなっていたことを知ります。
万太郎は声が出ないままで、最後の舞台をつとめさせてほしいと大山社長に懇願し、容れられて稽古にかかっている最中でした。それを訊いた千之助は、万太郎のもとに乗り込んでいき、自分が協力してその舞台を立派につとめさせてやると約束します。
そして当日、閻魔大王に扮した千之助と、死者に扮した万太郎は、満員のお客を前に息のあったかけあいを演じて賑やかな笑いをとり、文字どおり最期の舞台となった舞台を成功させたのでした。
二人の共演は実に40年ぶりのこと。感動にむせびながら息をのんでそれを見守る大山社長や熊田や劇団の団員たち。彼のために大きく開いた極楽への扉に向かって進みながら、万太郎は突然満席の客たちを振り向き、思い切りベロを出しふざけて最期の挨拶をして見せます。どんなときも決して悲劇的にならず、最後まで笑いを忘れないのは、さすが道頓堀の一時代を作った万太郎でした。
沸き上がる拍手に見送られ楽屋にもどった万太郎は、安堵と満足の微笑みを浮かべながら静かに世を去ります。「一名さま地獄へご案内!」そう叫んで、喜劇王・万太郎の業績を讃える千之助の声に、思わず見ているほうもドッと涙が溢れたものです。
おちょやんは思い起こすとイラッとするシーンが多かったですよね。
だからおちょやんは史上最低最悪の朝ドラだと視聴者から評価されたんです。
>終わって2カ月以上経つドラマに
いつまでも似たりよったりの内容を投稿するのは、違反になりますよ。
横ですが、8ヶ月以上も経っているエ─ルに毎日毎日、似たり寄ったりの内容の投稿がされていて、削除もされていませんが。
爽やかな朝から見るにはあまりにもお下劣なシーンが多すぎました。
だからおちょやんは朝ドラ史上最低最悪だと多くの視聴者から評価されたのです。
無理くりなお涙頂戴や、ご都合主義によるキャラ変に付いていけず
あざとさが全面に出すぎていて大嫌いな朝ドラの一つになってしまいました。
2021-08-05 12:43:41さん、大変失礼いたしました!
つい早とちりしてしまったようです。
どうもありがとうございます。
おちょやんは空前絶後の駄作でした。
スピンオフすら作られていないことでも完璧に証明されています。
こちらこそお気持ちは痛いほどわかりますので(__)
>マッチポンプの主がわかるのはありがたくありません。
複垢で何でもできる場所では権力をふるえるように思えてもそれこそ幻想です。
大勢の声に見せたり、アンチを叩いているふりをしたり自分のコメントにいいね付けても傍からはむなしく見えるだけです。
何より不正をやめれば皆さん抗議しなくなるでしょう。
私もそう思いますが、それはアンチのことだとは思いません。不正をやめて貰いたいと思うのは反対の立場に立っている人も同じです。
憶測でものを言うのはいかがなものでしょうね。少なくとも今批判を書いている人は2人以上はいますよ。いいねは私が入れましたから。不正な投稿を指摘している人も少なくとも2人以上はいます。
指摘している人は良心的な方だと思っているのなら、どちらが指摘しても良いってことになりますね。
おちょやんでは★5と★4の不正な評価が削除された事実があるのですから、疑う人がいるのも当然なことです。 以上
削除の数がわかるほど皆さん気にしていないでしょう。
私も議論するつもりはありません。
ただいろいろなことが以前よりすごく見えてきていることだけは確かです。多くの人に。
ここの評価のことですが、別に「戻った」わけではないですよ。
ファンの方たちがちゃんと規則を守ってコツコツと感想を投稿し、星を入れてきた結果、
こうなっただけのことです。
それをなんの根拠もなく、まるで不正があったかのような言い方はお慎み下さい。
ここは誰もが自由に投稿できるはずです。
それなのにファンの人が星5を入れたときだけ、不正だ複アカだと騒ぎ立てるのは、
何か不穏な意図があってのことと思われても仕方ないでしょう。
現に、星5を入れると複アカと勘違いされるので、入れたくても入れられないと書かれている人が、数人おられたのを記録しています。
個人の勝手な思惑や憶測だけで、断じて投稿の自由が妨げられるようなことが起こってはならないと思います。
怒り💢は 不正常習犯に向かうのが本当じゃ無いかしら
見てれば誰だって気づく事なのにね
複垢だと言われてしまうのは そんな人が堂々と参加しるから巻き込まれているって事でしょ
本当に星5で不正な評価投稿をしている人はやめて頂きたい。やめないから訴えてます。
管理人さん、また一括削除お願いします。
無理ならもう星は付けられないようにして欲しいです。
不正は複垢のことなら★一も星五も区別なく。処分して結構です。
でも複数アカウントで投稿しているってどうして証明できるんでしょうね。
同じ家の端末とか証明できないと無理でしょう。
>「おちょやん」のドラマの星5だけをターゲットに
不正呼ばわりするのは間違っています。
違うスレでも不正はやめてと書かれていますよ。
そちらは星1ですが。
複垢だと自分のコメントにいいね付けられるのも問題ですね。
いいねはトップに載りますからアピールできます。
複垢使うのは個人のマナーの問題で普通は自分の意見にいいねなんて恥ずかしくてできないですが、目的をもってそういうことする人には有効なシステムになってしまっていると思います。
2021-08-06 10:50:51は
2021-08-06 10:45:21名前無しの方に
宛てたものです。
大半の無実の人たちを不正扱いにしているんじゃなく、不正を働いている人に向けて言われているだけです。
不正をされて、傷付いている人達も沢山いる。
何が一番ダメなのか良く考えて貰いたい。
自分がものを言う権利は頑張って主張しないと失われていくと思います。
美しいこと正しいことが語られていればよし。
もめるのは迷惑。
はもっともですが、千代が必死で訴えたように言うべきことを言わずに、流してきたつけが来ているんです。
中傷はスルー不正もスルーでも不正がこれだけ見逃されてきたことは根深い問題。
それを無視していては何処でも同じことが行われ、現にモネの方でも中傷コメントが続いています。
ともかくここにそういう問題を書くことは違反です。
別の場所でやって下さい。それだけです。
おちょやんは朝ドラ史上最低な内容でした。
主題歌が全くドラマの内容に合っていなく、印象にも残らない程最低でした。
いずれコロナが収まって大阪万博開催されるころ、昔の道頓堀がどこかに再現されてあのにぎやかさと楽しさが味わえるテーマパークを見てみたいと思ってます。
昔それも太平洋戦争の頃にも芝居小屋は全国いたるところにあって、そういうところに歌舞伎役者が戦時中でも巡業にに回った記録が出てきたという記事を新聞で読みました。
お芝居が庶民の身近にあって愛されていたころ、生の芝居に親しめた時代それはとても贅沢だったと今思います。
毎朝不快感を撒き散らし続けた朝ドラとしては全く相応しくない作品で、ヒロインを不幸にして、暗くて地味にすれば良さげな作品に見えるんじゃないかという雰囲気がプンプンしていてガッカリでした。
モデルの名を借りただけの傲慢ヒロインで、老け演技もしない人気女優とはとても思えないような千代には呆れてしまいました。
お茶子物語というのならまだ許せたんですが、あまりにも残念なヒロインでした。
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