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私は、別に、大河といえども、史実に忠実でないといけないとは思いません。
史実とされていることだって、新しい資料が発見されるたびに見直され、変わってきていますし、学者によって、解釈も様々です。
過去のことなので、当然、想像してのことになるし、史実と史実の隙間は、作るしかありません。
小野政次が奸臣でなかったという設定も、私は、構わないと思うのです。
ただ、ドラマの作りそのものは、極めて稚拙で、素人の作品のようです。
以前、よく「学芸会みたい」というコメントを目にしましたが、まさにそう。これは、役者の演技が、というのではなく、話の展開がです。今まで見てきて、最近、とみに思います。
最初の頃の「学芸会みたい」は、おそらく、子役の演技に対してだったのでしょうけど、最近は、ドラマの作りそのものに対して、そう思うようになりました。
始まってからずっと、好意的に、挫折もせず、続けて見ているからこそ、見えてきたことだと思います。
学芸会といっても、演じている役者さんは、さすがのプロですし、お金もかかったドラマではあります。
では、なにが学芸会なのか。
場面場面は、 見せ場があるのですが、それが本当に文字通り「見せ場」なのです。その場面のためにだけに他の人物、他のシーンがあるような感じを受けます。だから、唐突に、その回になって、いきなり個性を持つ人物(急に視界に入る人物)や、主人公に関わる時だけ存在しているかのような人物、セリフが見えるのです。
まるで、自分の登場シーンが来るまでは、舞台の袖で何もせずに待っているような印象です。
例えば、農民たちは、セリフや状況説明的シーンから、綿作りを頑張っているんだなとはわかります。が、普段の生活が、画面に映っていなくても、彼らの生活を営んでいるのだと、想像できないのです。
小野の家臣だってそう。
盗賊団も、彼らの登場シーンでは、画面手前のメインの人物の背景で、楽しそうに動いたりしていますが、でも、見えないところは想像できません。
これは、私の想像力が足りないせいでもあるのでしょうけど、でもやはり、主役以外の人物の作り込みや、見せ場以外の部分の掘り下げが足りないためでもあると思います。
お涙頂戴や過激なシーンで目を引くけれど、他の作りが甘い。(スウィーツではありません)その場しのぎの展開で、徐々に歪みが出てきています。
とても、じっくり筋を追って鑑賞したい大人の視聴に堪える物ではありません。かといって、とても子供には見せられない内容ですし。
学芸会なら、我が子が出るからとか、子供が頑張っているから微笑ましい、というので、広い心で見ることができます。全てが見せ場の舞台演劇なので、突然の人物登場、事件発生、一気解決になっても、そんなものだと思って見ています。泣かせるシーンでは、泣き、滑稽なシーンでは、観客席が一斉に笑い、おいしいところだけしかなくても、辻褄が合わない、などとは思いません。
このドラマも、「学芸会」ドラマだと思って見たら、楽しめるのでしょう。
でも、私が今見たいのは、学芸会ではありません。
前の方が言われる通り、戦国を生き抜いた国衆の物語と思います。
あんな大国に挟まれた弱小の井伊が如何にして生き延び、虎松が徳川四天王と言われるまでになったか。井伊直弼位しか知らなかったのでとても興味深く見ています。
もちろん史実は詳しく解らないわけで、その行間をその脚本家ならではの解釈で作られたものだから製作者によりそれぞれの解釈でいいと思います。そこでどうしてそうなるかとか、見ている側が色々な思うのは自由だし。少なくとも私は学芸会には見えませんが、それぞれの感想を否定するつもりはありません。その人個人の感想だから違うのは当たり前です。そう見えるんだあと思うけれども興味があるから見続けたいと思います。
数か月ぶりに見たら、全く話が進んでなかったです!
びっくり。
政次が奸臣でなかった、という設定でドラマが上手にできていれば、私もこんなに、つまらないドラマ、とか言いません。「なるほど、それもありうる」と思えれば、奸臣ではない設定でもよかったのです。
でも、奸臣ではない、と設定することで、話に矛盾がうまれたり、辻褄あわせのためと思われるような場面が増えたり、ドラマ全体が混乱してるように見えるのです。
この仕上がりなら、「史実」と言われる、政次奸臣説のほうがずっとよかったのではないかと思います。
大河ドラマを見てると、下手に創作するより、「史実」といわれる説をとったほうが、おもしろく仕上がったのではないか、と思うことがありますが、今回も、その例だと思います。
政次が奸臣だったというのは通説で、実は井伊家(というか直虎)を人一倍思う良き家臣であった。
という創作は別にいいのですが、政次=高橋一生さん人気に便乗したのが明らかなので本当にしらけます。
政次を実はいいやつだったという設定にするには、それを邪魔する悪役が必要なわけで、この展開からいくと近藤康用さん=橋本じゅんさんがその役目。
あまりにもあからさますぎます。
キャスティングが高橋さんじゃなければここまで延命したりいい人に描いたりしたでしょうか。
これ、政次の助命嘆願とかがまたNHKに届くんでしょうかね。しらけます。
別に裏切り上等の戦国時代なんだから、悪役で貫けば良かったのに...おとわとの初恋を絡めたかったから、戦国の調略や生き残りを悲恋として描いているのが寒々しいのです。
女大河はつまらないとか女性脚本家はやっぱりダメだとか言われるのは同じ女性として本意ではありませんが、こういう描き方をしていたら批判されても仕方ないのかなと思います。
(だいぶ古い考えだとは思いますが)近年の大河は全体に軽く感じます。
前回はドラマの題材自体は皆よく知っているというか(歴史ファンじゃなくても)名前位は聞いたことがある人物だったけど合戦シーンが余りなくあってもサラッと流す程度セリフ回しも現代調で昔ながらの重厚大河を観たい物としては いささか不満気味です。
でも何時までも重厚大河では若い人や新しい視聴者を獲得するのは難しいんでしょうね?
ちなみに歴史に興味のない70代の主人と歴史が苦手の40代のお嫁さんは(武井咲主演の四十八人目の忠臣蔵と)直虎面白いらしく嵌まっています。特にお嫁さんはキャッキャ言いながら次どうなるの!と前のめりです。
我が家だけでもいつもは私と息子しか観ないのですが軽くなった分普段は見向きもしない二人の視聴者が増えただけでもいいのかな?(NHK的には)
エンタメ重視で軽くしてある分 判りやすく見やすいのでしょうが重厚大河ファンの私としてはいささか物足りなく不満でもあります。
王家の紋章は、舞台で知られたのだろうか?
我が家も母が、はまって漫画を集めてました。メジャーなのかしらね。過去と現代を行ったり来たり。
直虎と一緒で、モテモテの主人公でしたね。
漫画は、キャロルの取り合いで大変だった。
途中から、見てませんが。
直虎はこれから、どうなるのかな?
直政も苦労したらしいし、一緒に苦労する直政が、見たいけどドラマで見れるのだろうか?
本当に、直虎が主人公である意味がない。
毎回の流れとして、まず問題が生じて、己の無力さを痛感し、我のせいじゃ~とその時だけは嘆き、周囲が励まし、そして尻拭いは彼女を何故か慕う男達がやっていく。
その流れにある回からは突然政に明るくなった直虎が知恵を絞り、物事を解決していく様が加わった。
直虎の成長過程をじっくりと描いてきた訳でも無いのに、孫子も知らなかったのに、突然確変が起こったかのように頭の中身ががらりと変わる様には違和感を覚えた。ドラマの製作陣は自分達でもこの無理矢理な流れは可笑しいとは思わなかったのか?
それとも、小野政次や龍雲丸に時間を割きすぎて主人公の城主として徐々に成長していく過程を描く余裕がなかったのか。
このドラマを見ていると、脚本家自身が直虎に対して愛情もなく興味がないように思えてしまう。
彼女ではなくその端の人物にばかり焦点を当てて、そちらの話の展開に重きを置いていることがありありと分かってしまう。
だからこそ直虎には主人公としての魅力が無い。
カリスマ性も説得力のある存在感も何もない。
むしろ、凡人以下の能力しかない女性が元々生まれ落ちた地位だけで今の立場に居座っている様な不快感を覚える。現代社会でも誰からも尊敬されず、爪弾きにされるようなキャラクターではないかと思う。
社会は、未熟な中年が成長していく過程を普通は待っていてはくれない。
年齢が同じくらいならば能力が秀でている方を選ぶし、成長のない人が切り捨てられる事は当たり前の原理だし、ましてや戦国時代にあんな甘い考えで浅はかな女城主が治めている国なんて、他国の侵略の前に下克上や民の反乱でとっくに滅ぼされているだろう。
大河ドラマで1年にも渡って描かれる人物というのは、その時代の傑物というか、最期は例え悲しく悲惨なものでも、その時代に爪痕を遺したと言える存在感や功績がある人物が妥当で、男主人公の場合はまず間違いなくそう。
この直虎が男だったらと考えると大河どころではない、二時間ドラマにも取り上げられないレベルだと思う。
例えば歴史上の人物を学んで、こんな人が今の日本にもいてくれたらなと考えたりする事もあるが、直虎はむしろ尻拭いメンバーが居なければ取り返しのつかない過ちを犯しそうな予感がするし、こんな人が居たら困るだろうなとしか考えられない。
1年にも渡ってお金をかけて、ほぼ史実無しの脚本家の妄想歴史物語を製作する価値があるとはとても思えない。
小林さん演じる和尚さんが、直虎が、幼い時、女でも男の様になかなかの人物になる様な事をおっしゃられてましたが、そうでもない気がしますね。
あの大きな期待?予知?は、どこへ?
直虎は政次の気持ちをどれだけ理解してるんだろうか。
このまま政次が死んで、ちゃんとその想いの深さを受けとめられるのかどうか、甚だ不安。
また「吾のせいじゃ〰️」と騒ぎ立てて、挙げ句に盗賊の頭に慰められ癒してもらう展開?
このサイトの冒頭に出てるドラマの内容紹介とこれ以上かけ離れていかないで欲しい。
すでに主人公は直虎じゃなく政次になっていると言われているのだから。
この大河が終わる時って、歴史的には井伊直政が活躍し始めてそれからが面白い井伊家の歴史物語になっていくのに、そこは描かれないんでしょうね。
史実が殆ど無い女城主(だったかも?)に拘ってまで女大河って作らないといけないものかと甚だ疑問です。
しかも同じ女城主でも、この時代にはもっと史実が豊富で確かに存在していた人が何人も居るというのに…
何故あえて直虎を選んだのか、何故この題材で通したのか、本気で理解できません。
その上少ない史実さえ改竄して頭の悪いラブファンタジーにしてしまい、登場人物の魅力を押し出そうとして逆に魅力が半減しているという残念な状態になっていますし。
私は中学生の時に世界の中心~を見ていて、その後の森下さんの脚本の作品も好意的に見ていたので今回も始めは期待していました。
けれど、まさかこんな矛盾点や突っ込みどころが多すぎる、主人公は頭が悪く浅はかで男好きにも思える、所々出てくる下品な台詞にドン引き、歴史考証がまるでなっていない等々、ここまで適当な作品を見せられるとは思ってもいませんでした。
そして散々言われている様に高橋一生さん演じる小野政次のサービスショットが毎回くどすぎて、不憫煽りが凄すぎて、もう気持ち悪いを通り越しています。
勿論俳優さんには何の罪も無いのですが、「地獄へは俺がいく(キリッ)」とか感動どころか鳥肌が立ちました。
史実をその時だけの為に都合よく変えまくっている為に今更辻褄合わせが大変になってきていますし…
そもそも大河ドラマを歴史縛りから解き放ちたい等と言うくらいならばこの仕事を受けないで下さいと言いたいです。
森下さんは己の力量ならばほぼ100%妄想の歴史ものも1年に渡って作れると考えたのかもしれないですが、安易に恋愛主軸に走り、思い出したように歴史展開を入れ始めたり、付け焼き刃の様な孫子云々や仏教知識をぶっ込んで話をだらだらと進め、それで半年以上消費してしまった事は本当に笑えません。
完全オリジナル脚本だった事で森下さんの本当の力量が見えた気がします。
直虎は凡人以下の能力しかない女性が元々生まれ落ちた地位だけで今の立場に居座っているだけなので、それを愛し自分の小野家すらかえりみない政次が余計馬鹿に見える。ひたすら直虎に尽くし、自分の子孫を作らず、直虎が愛する虎松のため、子どもすらゴミのように外に放り投げ殺してしまう。直虎をこれからも好きだがなつも好き、そんな政次を愛するなつ。直虎のために小野は井伊家のためにある、と言われて喜ぶ小野の家臣。政次は周囲に甘やかされた単なるわがままお坊ちゃまではないか!直虎の関係では、はっきり物言いして自分を曲げない龍雲丸が好き。
政次を奸臣にしないために、井伊の為に尽力を尽くしてくれた、近藤が悪者にされてることが、腑に落ちない。
面白いと思うけどな。ここはそう言った感想もOKですよね。
色々な感想があっていいですよね。
みんな面白くないと思う人たちばかりじゃないよね。いいでしょ、ここは!
普通の民法のドラマとか、全10回程度で終わるドラマなら(それくらいでも十分すぎるほど浅い史実と内容)面白いと自分も思ったかもしれないけど、これは大河ドラマなので、普通の視点と捉え方で観てはいけないと思います。
受信料まで国民から頂いた上で作品を製作している訳ですし、製作者側がこんな感じでこれからも行こうなんて考えて来年再来年以降も史実が殆ど無い無名の人物を選び、それを補う為に他の歴史的人物の功績を盗んでそれはもう凄い人だった様に脚色したり、格好は戦国時代だけど登場人物の考え方がいかにも自分本意で現代的だったり、恋愛主軸で何ヵ月も引っ張られたり、そういうのが大河ドラマのスタンダードになってしまったら、もう大河ドラマなんて枠は無くしてしまった方が良いとなるのではないでしょうか。
直虎を絶賛して見ている方には普段は大河ドラマは見ていないもしくは途中で挫折してきた人や、話題の俳優が出ているからと見始めたという人も多いと思います。
そういった新規視聴者の開拓もアリだと思うし、間違ってはいないでしょうが、その分元々大河ドラマの長年の視聴者であった歴史好きな層等は既に視聴を辞めていたり、知識があればそれだけドラマの歴史考証の浅い部分や矛盾に気付いて気になってしまい、軈て見なくなる人も多いのだと思います。
視聴率の事は一概には言えませんが、女性大河としても花燃ゆに次ぐワースト2はほぼ確定、戦国大河としてはワースト1は確定です。
やはり存在していた、程度でさしたる功績もない女性をさも一目置かれる女傑かの様に1年間も描いた所で、周囲の主要な出来事である史実との兼ね合いは難しくなるし、整合性も取れなくなってしまいます。
自分としては歴史ものとして史実との矛盾点だけでなく、普通のドラマとして見てもどうかと思うところが多々あるので、もうながら見程度ですが腐っても大河ドラマですから井伊直政がどのように描かれるかは興味があります。
ただ、小野政次や盗賊の描かれ方からして期待はできませんが…
そういった惰性で見ている方も多いでしょう。
それだけ大河ドラマという枠は影響力があるのです。
これが民法の普通のドラマ枠だったら、最早話題にも出されていませんし、視聴率は勿論一桁キープだったと思います。
女性が、主役の大河は、どーのこーの言われるのは、嫌だなあ
(-_-;)女性だって、縁の下の力持ちだったり、優れた人は、沢山
いる。見返したいなあ。
直虎、しっかりするのだ。
山本むつみさんの方がよっぽどいい台本を書いていたのに、
山本さんは無情にもテコいれで脚本家追加されて、
演芸噺を繰り広げるだけの森下さんは、テコいれされないんじゃ、
納得できないよ。
直政との時間を大切に描いて欲しいなあ。直政育てが、仕事だよね。
普通には、面白いよ変だけど・・・そして、大河とは、思わない
けど。でも、面白い時は、ちゃんと笑ってるし、でも、なんか違うなーと思いながら見てる。
ヒロインに報われない片思いする役といえば・・
「八重の桜」だと最初の頃に玉山鉄二がやっていたような。視聴者にだけわかるような控えめな感じで、本人がもっと押せばいいのに遠慮していて親の決めた縁談で違う女性と結婚してからも片思い視線とかあったけど、最終的には八重が違う人との結婚が決まったと聞いて、本心から八重の幸せを喜んでいたシーンなんて本当に胸がキュンしてあれは良かったなぁ。
逆にこのぐらいの程度の描写の方が演じる男優さんにとっては美味しいのかもしれない。前にここでも高橋一生ファンの人が嘆いていたので、出演多くても視聴者に煙たがれるような役は可哀想。
まあ柴咲コウと綾瀬はるかの違いはあるかな。綾瀬は嫌味がなくどことなくチャーミングなので不必要に色んな人にモテる役とかでも嫌味にならないんだよね。それに、大河の主演になるぐらいの人物だったら多くの人物に不必要に気に入られるような感じだしそうじゃないと出世も出来ないし話も広げられないので、大河の主演はいつもそうなんだけど柴咲さんにはちょっと無理があったのかな。今までは人気のある主演男優の相手役が多かったからそういう脇で光るタイプなのかもしれない。
小野政次が奸臣だったという説はどうも江戸時代に書かれた文献がもとになっているらしいけれど、江戸時代の文献は勝者(徳川家康)側の立場に立って書かれたものがほとんどであると思われるので、実際はこのドラマのように井伊のために献身的に働いて謀殺された可能性もなくはないと思います。史実と思っていることが事実とは限らないので織田信長が桶狭間で今川を破ったとか、武田が今川に攻め込んだとかどの文献でも明らかなことは史実として認められますが、それ以外はほんとうのところはわからない。明智光秀など謎が多いのでいままで彼の行動にはいろんな解釈がされていたと思います。明治維新でさえ明治天皇は本当に孝明天皇の子供だったのか、孝明天皇は暗殺だったのかなど謎が多いのですから(次の大河ではこのあたりにも踏み込んでほしい)、ましてや戦国時代など謎だらけ。脚本家が見せてくれるドラマでああこんなこともありえるだろうなと思うことがおもしろいです。ありえないだろうと思うこともありますが、小野政次や井伊の話など大河ドラマがなかったら関心ももたなかったでしょうから、知名度のない登場人物を想像をふくらませていきいきと描くこんな大河があってもいいと思います。ただ、演出がまずいところがあるのが残念なところです。
何度も書かれているけど、歴史的見地から推測でおもしろいドラマを創作するのは、
都合の良い妄想とはまったく別ものだからな。
このドラマのついでに叩かれている「花燃ゆ」ですが私もさすがに傑作だったとは思ってないけど、伊勢谷さん、高良さん、東出さんらの幕末の志士の雰囲気の男っぽい前半と後半の田中麗名や松坂慶子らの女大河は華やかだったし大奥っぽい仕上がりは悪くはなかったのではないかと思う。それなりに豪華な俳優陣やテーマ曲は楽しめた。
「おんな城主」も5,6月の最初までは結構、傑作なのかもとおもっていたけどここ1,2ヶ月でメッキが剥がれてきた。
この作者さんは半年が限界だったのか。
それでも「ごちそうさん」や「天皇の料理番」などはもっと時間の流れを生かしていたように思うのだけど、直虎が城主でいた期間というのはほんの数年(2,3年ぐらいだったっけ?)だったらしいから、逆にそれが縛りになったのかな。
俳優の入れ替わりもオープニング曲の映像もずっとかわりばえしない。省エネ大河すぎて、最近は見るのがキツくなっている(家族の
ものが見ているので仕方なく見ているが、一緒に見てる家族もそれほど面白くなさそうだ)
だったら見なければいいのにと自分でも思うが、8ヶ月以上見てきたのでここで挫折するのも勿体無いという気持ちの方が大きいのかもしれない。
そうそう。
最初の頃、「だんだんおもしろくなってきたよ」と、わくわくしながら見ていた私が、
最近、「おもしろくない」と文句を言いながら見ているのを、
夫(ごく初期に脱落)は、「じゃあ、見なければいいじゃん」
いや、そうなんだけど、せっかくここまで見てきた。
また、子供の頃から見てきた大河を、やめるのが、
もったいないし、悔しいし・・・(泣)
「花燃ゆ」は、登場人物がみんな、キャピキャピ、チャラチャラしていませんでしたね。
年相応に落ち着いて・・・といっても、みな20代設定。
「直虎」の登場人物、何歳設定なの?というくらい、青春真っ盛り。
作っている人が違うのだから、同じような人物設定になるはずはないけれど、でも、歳よりも軽く見える。
ところで、弟の嫁なつと政次のエピソードで思い出したけど、
「花燃ゆ」の主人公ふみは、亡き姉の夫と、久坂玄瑞亡き後、結婚したのは事実なので、ドラマで描かれた内容すべてが、まったくの創作というわけではない。
そういう事実を踏まえて、実はふみが少女時代から淡い恋心を抱いていたなんていう、史実のすき間を埋め、ドラマとしておもしろくするための創作をする。それが脚色だ。
そんなことあり得ない。や、そんな事実はない。というのは、脚色としても三流。
まあ、確かに「花燃ゆ」は、ドラマの流れが冗長なところがあり、人気も出ませんでしたが。
小さな国衆が生き残るためにいろいろ策を考える。戦国といえば合戦、合戦より私は好きです。楽しんでます。うまく言えませんが。
他の感想欄で見つけた『葉隠』出典の一文。素敵だなあ!そういう感想を書ける人に憧れます。時々自分の感性の鈍さが情けない、うまく表現できなくて残念に思う。
↑感想になっていませんでした。ハラハラしながら直虎が心配で、しっかり受け止めて頑張って欲しいと思います。
ここの主張を拝見していると、
ずっと大河を観ていた人や、
学校で歴史の成績が良かった人だけしか大河は観れないなんて、
それこそ選民意識じゃないかなと思います。
歴史の成績悪かったけれど俳優さんが好きで観て、
後から当時の本当の史実も調べてみるなんてこともあると思うのですね。
私は龍雲丸のファンだけど、表現力豊かでこの時代のリアル感も感じて、
この時代に興味を持ちました。それに架空の人物が大河の主人公にもなった年もあります。
歴史なんてどうでもいいけど、役者さんの力でその時代だけは歴史に興味を持つことも素晴らしいと思う。
史実重視だけでは、何より学校の授業受けてるみたいで嫌だわ。
戯れ言だな。
なにも100%史実をやれ なんていってないし。
史実準拠のなかに これはってフィクションを入れる分には問題ない。
だが、この脚本は、ほぼほぼ空想・妄想ラブコメファンタジーで、たまに取って付けたようなリアリティーをぶちこむだけの
およそ、大河ドラマとは呼べない代物だ。
なんちゃって時代劇枠でやってくれ。
脚本家には、二度と大河に関与してほしくない。
>学校で歴史の成績が良かった人だけしか大河は観れない
そんなこと言ってる人、ここにいるんですか?
レビューをよく読まれてないんじゃないかと思いますけど。
大河ファンはこれに満足いかない、というのは本当ですが、でも、それも視聴者の素直な感想ですから、それに対してどうこう言うことはできません。
それに、フィクションがいけない、史実オンリーにしろ、などという意見もほとんどありません。
だいたいは、「フィクションもいいが、それならそれできちんと作れ」。
煎じつめれば、それだけですね。
これも、レビューをきちんと読まれていたら、誤読はないと思います。
“フィクション”と、“歴史的「常識」を無視したりウソで固めたりすること”(これも今までとっても詳しくあげられてますよ)は、まったく違う。
歴史ドラマにおいて、これは絶対やってはいけないこと。
これをメチャクチャ無視して作るのなら、大河枠などにいてはいけない。
これだけは、はっきりしています。
それって、空想や妄想だけでできているアニメやゲームなどと同じ「ファンタジー」だから。
それをやりたければ別枠へ行ってください、ということ。
NHKにも、ちゃんとそういう枠は用意されてます。
質の問題もありますが、それ以前に、このドラマは大河でやってはいけませんでした。
今作のような、現代人の感覚で描かれたトレンディ創作大河は
えてして普段大河を見ないような人達には人気を博したりする
ことがあるが
ではそういう人達は、実際にその後も大河や歴史に興味を持って
見続けてくれるかというと、その場限りで終わる人が多いと思う
一方、大河を見続けている人たちは、半ば習慣化しているので、
よほどの駄作でない限り、視聴を辞めることは無い
しかし、そんな大河ファンをも振るい落としてしまう大河は、
駄作認定されても仕方がない
なぜなら、一度離れた視聴者を取り戻すのは、過去の例から
見ても至難の業であるからだ
そういったことを踏まえて、大河ドラマのファンを振り落と
さない、一定のレベルの作品をNHKは今後も作り続けて
いって欲しいと願うばかりだ
ほんとに、このドラマ、私たちの生きているこの世界の戦国時代のこととはとても思えない、パラレルワールドの話ですよね。
ファッション、女城主の大冒険、二重の顔を持つナイト、パンクな盗賊との恋…(書いてて気持ち悪い)
これを私たちにつながる、あの戦国時代にいかにもあったような話だという体(フリ)で作っているのが大きな問題。
井伊家の人々も、お家中興の祖みたいな存在なのに、あんな女性が祖先だったという描かれ方はどうなのか、とふと思ってしまう。
ここまで恋愛ファンタジーにぶっ壊すのなら、はっきり「このドラマは史実にヒントを得たフィクションです」とテロップで出すべきだった。
元々は、この枠に近づいてはいけないドラマだったのだけど、そうすればせめても罪がない。
こちらも、次こそはまともな井伊の物語を見せてもらえるかと、期待してははぐらかされ…をだらだら続けることもなかった。
これほど、時間の無駄遣いをさせられた大河も、かつてない。憤懣がたまるのも当然だと思う。
公式のあらすじも、ドラマとは全然違うし、これは立派な「看板に偽りあり」というやつです。
空想やファンタジーがいけないと言ってないですよ。
空想でもファンやジーでもストーリーに整合性を持たせてほしいと言ってるんです。
例えば井伊谷から気賀までは一里ほど大体4㎞弱なんですとそれを直虎さんが最初地名すら聞いたことのないように何も知らなかったのうな反応する描写とかありえない。
井伊の領地って4k㎡以下なのかって思ってしまうし、でもその後、森の木の伐採で隣接する領主と争った森って結構遠いように描写してるから井伊の領地は4k㎡以下じゃないから井伊家の人々や直虎さんの行動範囲内に気賀があるのにお粗末なシナリオと描写が大河ドラマにしてはお粗末だと言ってるんです。
今川に追い出されそうになって山里に一族が逃げ込むが多くの時間を使って気賀を舞台にドラマが進んだのから気賀の水上城は今川に追われたここが使い時ではなかったのかとか・・・いろいろ辻褄が合わなかったり何のためにそれまでの話は有ったのか・・・とか話の整合性の綻びがあまりにも多過ぎるから其れを多くの人は残念に思っていると思う。
空想でもファンやジーでも良いのでストーリーに整合性を持たせてほしいと言ってるんです。
アニメでやるような突然現れたり唐突に進行するストーリなら大河以外でやれと言いたい。
花燃ゆは自分も流石に傑作とは言えないし、視聴率が悪かったのもさもありなんと思いますが、出演していた俳優女優は皆きらびやかで、華々しくはありましたよね。
高良健吾や東出昌大、伊勢谷友介に大沢たかお等魅力的なキャストがこれでもかと出ていましたし。
主演の井上真央さんは演技には定評がありますし、だからこそあの作品の内容も視聴率も、出演者の皆さんが気の毒でした。
まさに脚本家や演出家が作品をぶち壊していましたが、出演者は大河ドラマらしく絢爛豪華だったと思います。
一方の直虎はこれぞ大河と言いたくなる様な豪華な顔触れとは程遠く、むしろこれ誰?初めて見た、と言いたくなる様な人が家臣団やその他に沢山いる所がもう驚きです。
自分が見てきた中で、あれだけ無名の俳優女優がチョイ役とは言えないポジションで長々出ている大河は初めてです。
それでも話が面白ければ良いのですが、散々批判されている様にあらゆる矛盾点や歴史軽視に史実改悪の脚本によって話は支離滅裂、戦国大河とは思えないほど視聴率も残念なことになっていますし…
そして、主演の演技力もとても大河ドラマ向けとは言えないものです。
興奮すると声はヒャンヒャンと裏返り、あの顔立ちで甘えたような表情に仕草は戦慄ものです。
そういう風なキャラ設定と演出なのでしょうが、柴咲さんにあんな演技をさせるのはミスキャストだと思います。
それに、花燃ゆは面白くはなかったけど少なくとも下品ではありませんでした。
花燃ゆに限らず、これまでの大河でもですが。
あれだけの話題の俳優が勢揃いしていたら森下さんならば完全逆ハーレム展開に間違いなくしていたでしょうが、当初のキャッチコピー「幕末男子の育て方」(これも相当気持ち悪かった)は作品の中には反映されていなかったし、それで良かったのです。
しかし直虎は、当初のポスターではいかにも男を薙ぎ倒し、大国と渡り合った女傑のような雰囲気を醸し出していましたし、宣伝でも直親との純愛が作品のメインテーマとして放送していましたが、直虎は頭がとにかく悪く、周囲の男に助けてもらわなければ何も出来ない一番嫌われるタイプの女上司で、直親はあっさり退場しその後は盗賊にうつつを抜かし我のものになれ~等と絡むという最悪な方向へと行ってしまいました。
話もキャラクターの性格も(今回の小野政次しかり)一貫性が無く、頭の中身が現代人の感覚だなと思ってしまいます。
この内容を大河ドラマでやる意味が分かりません。
だから、先にも書きましたが、
おいしいとこ取りの「学芸会」大河。
見せ場だけで構成されてる。
理にかなっていない点が随所に見られるけれど、
とりあえず目立つシーンに感動して、
それには目が行かないようになっています。
「20時近くになってそわそわ」してましたね~(笑)
過去は。
本当に、1話飛ばしたら、話がわからなくなるから見なくては。
と、あまりおもしろくない大河でも、続けては見ていたのに、
今作は、飛ばしてもいい。と思ってしまうからなあ。
よく「半年でいい」という意見も見たけど、
そう。半年なら、むしろ、今よりも良くなってたかも。
だらだら無駄な話で時間を取られないから、
大事なところに時間を割いていたのでは?
もっと引き締まっていたかも。
見る人によって、感じ方も違うのでどんな感想もいいと思いますが、何だか違うと思えば時間がもったいない!
大河ドラマはこうでなければいけないなんてことがあるのかなあ?そんなこと考えたこともなかった。面白くなかったら、今まで見なかったし。
どんな感想でも人それぞれで良いのと同様に、
時間の使い方も人それぞれで他人に干渉されるいわれはない!
あなたが、自分の意に沿わない感想を視界に入れたくないがために、他人の時間の使い方や、見るテレビ番組の選択を示唆しようとするのは、とても自分本位!
ヤフーのは、私は森下さんの組織票だと思ってる。
確かに今まで見ていて整合性はまるでないけど、
カシラが出てる限り見続けるぞー!
突如想像を絶する境遇にただ一人放り出され、
漂流民や孤児を受け入れながら明るく生きる龍雲丸や龍雲党の人達ってやっぱり魅力です。
結構現代に通じるものもありますしね。
頭は井伊を客観的に見ているし、肝心なことはよく解っている気がする。柳楽さんは素敵です。
私は、ばかで、あんまり大河見ませんが、珍しく三浦さんが、たぶん当分出ないか、ドラマに出ないかもしれないと思って見始めました。けど、色々あって、出来るだけ真実の歴史に近い事は、必要だと思いました。反面教師です。高橋さんが、小野の墓も龍願寺でしたっけ・・・直虎たちと一緒のお墓にあるので、全く嫌われている
わけでは、ないのではないかとコメントに書かれていて、確かに
ありかなと感じましたけど・・・・
やっぱり、ラブコメ、直虎中心では、ないのが否めないというか・・・出来の悪い方だったにせよ何もできないって事は、ないだろうし、直政育てたんだろうし、この小国を守ってきた謎は、深いですね・・・・
何、言ってんだろ私・・・
直虎が好きな人と嫌いな人が住み分けているだけなんじゃ?
ヤフーは直虎を面白く思っている人が集まって、此方は嫌いな人がいると思えば何の不思議もないような…。
やっぱり違和感ありますよね。
花燃ゆの時も感じましたけど。
間違いなく○○○○信者
あそこも否定的な意見は、削除されやすい。
所詮バイトのレベルが・・・
住み分けてるんだ。納得!それぞれ特徴があるね。
そうそう。ここでは、批判している人も、最初から批判しているわけでも、はなからアンチ森下さんというわけでもなく、見ているうちに、いろいろ見えてきて、批判に傾いていったという感じの人が多いように見受けられる。
きちんと真面目に視聴しているからこその批判。
ドラマの感想ブロガーやコラムニストの方が、「○○の演技が・・・」とか、「こういうところまできちんと描くのがすごい」なんて、絶賛しているのを見ると、そういう部分部分しか見ていないのかとがっかりしてしまう。
目を引く部分以外や、全体の流れなどをひっくるめて見ているのかなと、ちょっと信じられない気持ち。
まあ、欠点に気づいても、名前を出して批判はしにくいですけどね。(私も、なので、そこはあまり言えない)
称賛コメントには、「いいね」が集まり易いので、ついいいところだけを探そうとしてしまうものだ。
私も、最初の頃はずっと、別の感想サイトに、褒めコメントを書いていた。
私がそうだから、そんな気がするだけかもしれないが、「直虎」は、星5から星1に移行組、けっこう多いと思う。こういう大河も珍しい。
大河初期の頃は、著名な作家の原作を脚本家が脚色して、大河ドラマとして世に送り出していた。特に吉川英治の「太閤記」「新平家物語」、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」「国盗り物語」、海音寺潮五郎の「天と地と」「風と雲と虹と」などは、テレビにかじりついて見ていたのを覚えている。日本史に名を遺し、学校の歴史の教科書にその名が出てくる人物たちの波乱万丈の人生や登場人物たちが繰り広げる人間模様を描いた映像美を十分堪能していた。壮大な合戦シーンも多くあり、大河の醍醐味を味わっていた。
しかし、最近の大河ドラマには原作がない。したがって、脚本家はとても大変だ。史実を調べ、その上に見ている者を魅了する物語性を施さなければならない。1年間の長丁場、どう物語を進行させるのか、史実以外の話をどうするのか、悩みに悩むだろう。
この「直虎」も史実が少ない中での制作、放映だと思う。したがってフィクション部分が増えることは仕方がないことだ。さらに今回、小野政次は、「井伊の奸臣だったのか」、「奸臣のふりをしていたのか」、両説あるところで、どちらを選択するのかがさらに悩ましい。結局、「奸臣のふりをしていた」を選んだが、とても良い選択だったと思う。一気に物語が面白く楽しくなった。もやもや感が吹っ飛んだ。次回以降の流れが大いに期待できるようになった。
確かに小野政次をどう描くかがポイントだったかもしれない。
弱小の国衆の話はあまりドラマになりにくい気がする。周りの大国に大して関わった訳でもなく、直政の養母としての存在だけでは難しかったでしょうね。そんな井伊から直政の登場は確かに凄いと思うから直虎には興味はあるけれど。
21:30と21:37は自作自演じゃない?
ますます怪しい。
私は、直虎絶賛感想欄に行ったら、消され続けるので、ここに
置いていただいています。
消し続けるって、ひどくありませんか?
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