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大河が好きで、ずっと続けて見ている人の多くは、
こうあるべき、という固定観念で縛って、
大河を見てはいないと思う。
私はそう。
昔の大河も、お堅い歴史モノだから好きだったのではない。
近現代を舞台にしたもの、
(「いのち」や「山河燃ゆ」など)
随所に笑いが入ったもの、
(「秀吉」の竹中直人の「心・配・ご・無・用!」の手のポーズとか、新しいところでは「真田丸」など)
「風林火山」は、「お堅い戦国モノ(合戦あり)」かと思いきや、少女マンガから抜け出してきたような、ロン毛の見目麗しい謙信(GACKT)が、一騎で戦場を駆け抜けるシーンがあったり。
でもどれも、話自体は、真面目に、丁寧に作ってあった。
「直虎」は、大河がどうこう言う以前に、大人が見るドラマとしては三流の作り。
話のぶれや、人物設定の希薄さ、結果だけを力を入れて描き、過程は適当なことについては、先にたくさんの方が指摘されているので、もう書きませんが、
大河以外の枠でも、あまりいい評価は得られないと思う。
というか、大河でなければ、ここまで見る人もいなかったのではないか?
大河だからと、特別扱いしてもらってるのだ。
大河だから厳しい目で見られる。と批判に対して、不満に思う人もいるだろうけど、
大河だからと、寛容な目で見られてもいるのだ。
もう語ることもないなー。来年も再来年も期待してないため、今回だけは最終回まで見るよ。
恋愛脳の脚本家でなければ、同じ「直虎と愉快な仲間たち」をやるにしても、ふつうは当然、井伊家の人々でやりますよね。
直之、六左、南渓和尚、寺の僧侶たち、銃後を守る女性たち…個性的で魅力的なキャスト揃いなのに。乳母でさえ、いくらでも魅力的に描くことはできたのに。
つくづく残念。
矢本くん、田中さんなんてとてもいい個性してるのに、他のドラマではこんなに近しく見ることができないし、ここで大きな話題になるほど、もっともっと出番を増やして活躍させてあげたかった。
腕の冴えた脚本家なら、彼らのバックグラウンドまで含めていくらでも面白いドラマが創作できたろう。
うまくやれば、いかに素材が少なくても、だらだらした変な尺取りなんかまったく要らない。今回は、そもそもほとんどがオリジナルなんだから。
「直虎と井伊家の愉快な仲間たち」。見たかった。
賛否あるようだが、井伊直弼の生涯を描いた大河第1作「花の生涯」を知る者としては、その先祖の物語には興味がある。書籍にされたり映像化されたりすることがほとんどなかったローカルな歴史ドラマとして意義深いものだとも思う。内容が面白いとか面白くないはどうでもよく、淡々と見ている。史実部分であっても、創作部分であってもそのまま受け入れるようにしている。
前回は、政次の本心がわかり、このドラマの分岐点になったのではないかと思う。実は政次は井伊の忠臣だった。これまでの所業から政次の真意を知らない者によって非業の最期を遂げる。この流れもとやかく言うことはしない。見ている者の心情に訴える展開で、感情が高ぶる人がいるものと捉えている。それはそれでよい。その後、徳川への帰属、忠臣への道、直政の成長、直虎の死と描かれるのであろう。途中どのようなストーリーになろうとも、それが映像化されることが重要だと思う。最期まで見続けたいと思っている。
ただ1つ注文をつけるとしたら、桶狭間の戦いが描かれなかったことである。これは多くの視聴者の期待を裏切ったNHKの大失態だと思う。戦国大河では、合戦シーンは絶対に欠かせない。是非こういうことに受信料を使ってほしい。
「楽しい、面白い」ならいいんだけど、なぜか森下作品につくファンって必ずと言っていいほど、
今作は他と全く異質で、かつ優れている。次元が違う
みたいな方向性の感想になってくんだよね。なんでだか知らないけど。
森下自身が自分の作品を補強するためにあちこちにばらまきレビューを書いてるんじゃないのかと思う時がある。
軸が一生さんの表情ファンのためのドラマになっているので
政次以外の人は驚くほど子どものように単純になっていて
荒唐無稽な展開になっているのではないでしょうか。
小野家臣も井伊家の人達も恐ろしいくらい単純で
細やかな感情が描かれません。
政次が春に退場すれば、
残った三人(直虎、六左衛門、直之)のどん底からの奮闘と
けして子どものような単純ではない多様な心情や
成長を描くことができたのにと思う。
そうすれば井伊の価値も理解できますし、
軸は直虎の奮闘になりました。
今までたった3人しかいない
直虎、六左衛門、直之の苦労と奮闘と
3人の味わい深い人間味を軸にしてれば、
南渓和尚の言葉も、味わい深い仏教用語も
地獄から生還した方久や龍雲丸達も
ドラマで生かされるし意味を持ってきたと思います。
ここの批判の感想には、大河に対する愛情みたいなものを感じる。私も感想を書き込みたいけど、私の感想は、あまり中身がなくて恥ずかしいので、最近は感想を読むだけにしてます。
別に盛り上がってはいません。
少数の筆の立つレビュアーさんたちが、いろんな視点や角度から頻繁に批判を展開しているだけです。
私も、頻繁に書いてます。
このドラマは突っ込みどころが無数にあり、ネタは尽きませんから。
一方で、このドラマが好きだという人も、ぽちぽち、といった感じですね。
(ちなみに、ヲチになるかもしれないけど、他サイトのことが取り上げられるので覗いてみたところ、投稿数もランキングに上るほど多くないし、去年の真田丸とは雲泥の差。投稿する人も一定数。ついでに言うと、批判もちゃんとありました。)
つまり、世間的には全然盛り上がってないんですよ、このドラマ。
ごく一部のクラスタだけが妙な形で騒いでいる、かなり特殊なドラマですね。
そりゃ、どんなドラマでも、好きだという人は必ず存在するので、そういうクラスタに属さなくても、このドラマを好意的に見る人は一定数いると思いますが、それだけ。
世間でこのドラマが絶賛されているように表現する人がいますが、それは違うと思います。視聴率は低く、視聴熱もない。
このようなドラマが大河として蔓延してくれては困るので、これはとてもまともで正しい世間の反応だと思っています。
これからどうなるかわからないけど、終わったら高橋さんしか、覚えてないかもと言う意見は、私も感じます。
政次と楽しい仲間たちだったのかも。
でも、井伊家、脳筋ばかは、誰がいい始めたんだろう。
こうゆうコメントこそ押さえて無くして欲しいんだけど、
もっと違ういい方あるよね~
大河は昔から見ていますが、「秀吉」が良くて、「直虎」がダメな理由がわからないです。私はどちらも漫画的展開で同じくらいおもしろいと思うから。それと、「風林火山」の上杉謙信のガクトのコスチュームは良くて、「直虎」の龍雲丸のコスチュームがダメな理由もわからないです。どちらもファンタジーだと思うから。違いは架空の人物かどうかくらい。
私が今までの大河で一番好きなのは竹中直人の漫画みたいなお調子者の「秀吉」です。あのノリが大河らしくなくて良かったです。視聴率もたぶん20%を超えたと思うので、あの時は漫画的な大河も受け入れられたということでしょうか。かなり唐突にドラマが展開したり、漫画みたいなセリフがあったような気がします。大衆娯楽的なすごく痛快なドラマでした。
あれから20年くらいたったと思うので、みんな目が肥えてしまったのかしら。
やっぱり好みの問題なんじゃないかなぁ。
「直虎」に軸がないとか、整合性がないとか、思いませが…。ちょっと頼りないけどお人好しで頑張り屋の女城主をみんなで助けて井伊家を守るストーリーという軸にブレはないと思いますが。話しも登場人物の性格も今のところ全部かみ合っているので、整合性もあるように思いますが。
かめのジョーファンだけど、高橋さんは、良く頑張られたとは、思っています。というか頑張る様にさせられたが、正しいかな。
幼い頃から、政次は、いい子だった。このドラマでは。
なんか、複雑な気持ち~(-_-;)
通常の大河とは題材も作風も異なるので全然大河らしくはありません。
でも、かといって大河枠だから大河らしくなければならないとは私は思いません。
所詮はドラマなんだから題材も作風も自由で良いと思うし、今後は五輪を題材とした
大河の予定もあるらしいので、局側も特に大河らしさには拘ってないように思います。
大河では歴史上偉業を成し遂げた或いは志した偉人をヒーローとして描くのが普通ですが
今回のは全く違います。小さな国と跡継ぎを守り抜いた頼りない女城主が主人公です。
ですので、大河ぽくない軽妙な今の作りが逆に直虎らしいのではないでしょうか。
大河と考えると物足りませんが、ドラマとして話や展開が面白いので私は満足しています。
ドラマなんて、個人の好みの問題で、おもしろいかつまらないか感じるのだと思う。
ものすごく巧妙にできていて世間の評判が良くても、自分好みでなければつまらないし、世間の評判が悪くても自分好みの内容ならおもしろく感じるから。
つまらないと思ってる人にどれだけ説明してもおもしろさは伝わらないし、おもしろいと思っている人にどれだけつまらなさを説明しても伝わらない。それは個人の好みが違うから。
風林火山の上杉謙信かっこよかったね~
龍雲丸のコスチュームは、だらしない感じ、
上杉さんとは、違うから仕方ない。
龍雲丸は、もしかすると武士に戻って、いきなりバリッとした
感じで、皆がびっっくりしておーっと言われる手はずだろうか
?
結局はそうなんですが、
私のように、最初は、おもしろいと思って見ていたけれど、
徐々に、つまらなくなった人間もいます。
気になるところがあり、ドラマに集中できなくなったら、
もうアウトですね。
過去の大河でも、漫画チックなものはありましたが、
ちゃんとその他の部分、主人公以外の人物も丁寧に作りこんでいれば、少々の「えっ?!」という点も気にならなくなるものです。
ドラマに集中できるのです。
ところで、ネットニュースのランキングに、
「下品、魅力がない。低視聴率・・・」とあるのを見て、
「直虎」だ、と思いましたが、違うドラマでした。
失礼しました。
(でも「キョトキョトバタバタ、落ち着きがない」主人公は、やはり、不評ですね)
大河枠ってだけで、大河らしくなくてもいいのですか?
衝撃的~⁉
個人的には大河枠とか民放だとかジャンルなんて、なんでもいいです。
自分好みで毎週楽しみになるなら。
直虎は途中(直親暗殺後)から次回が楽しみになりました。初めの方より中盤からの方が私の好みです。
私は、直親暗殺までは面白かった。
人それぞれ好みが違いますよね。
私は「秀吉」はあまり好きではなかったのですが(晩年が描かれず、単なるサクセスストーリーで終わったところなど)、それでも、秀吉の「人たらし」な感じはよく出てたと思うし、沢口靖子のおね・市原悦子のなか・松たか子の茶々など、印象に残る登場人物が多数いて、今でも記憶に残ってるシーンも結構あります。
それになにより、弟・小一郎の存在にスポットがあたったのが大きいかも。秀吉に優秀な弟がいて、天下取りに一役買ったって、このドラマで有名になったような気がします。歴史的にいい加減で、マンガ的なところもあったけれど、見どころも多かったと思う。
一方の直虎は、あとから思い出した時、印象に残ってる登場人物って政次しかいないのでは?と思います。肝心の直虎でさえ、政次の蔭に隠れちゃって、よく思い出せないかもしれない。
それに、記憶に残るシーンと言えば、スケコマシや子どもの首のシーンになりそう・・
今のことろこんな感じだけど、「直虎」にもがんばってほしい。
なんだかんだ言いつつ、ここまで見てきたんだから。
政次の退場はあちこち大注目ですね。これから直虎に試練がやってくる。直虎の覚醒が見たい!凄く楽しみです。
大河?拘っていません。
視聴率悪くても
楽しみに見ている人だっている。
そうですね。スケコマシ…これが今作のワード大賞になりそう。
映像大賞は、個人的には政次のおめめパチパチと、ハンパない表情筋です。
彼が何を言ったかは、ほとんど記憶にない。心の琴線に触れるような言葉はほとんど聞かれなかったので。
主人公は、ほとんど霞の彼方です。
そうそう、シーンといえば、直虎の裾を踏んづけてすっ転がしたのは衝撃的でしたから、あれだけは記憶にありますね。
あの当時、臣下が主君の衣に触れるなど不敬の極みのところを、裾を踏んづける、ましてやすっ転がせるなど、手打ちにされても当然の重罪。
それを敢えて政次にやらせたあのシーンは、嗜虐性と性的倒錯が臭って、思わず目を背けたくなるほどでした。
子供の首を切ったりというのもあったし、脚本・演出のエグさは異様に印象に残るドラマでしたね。
ガールズチャンネルの直虎実況、すけこまし大連発だった気
がするなあ。すけこまされた~って、なってる。
私の直虎の思い出一位、スケコマシ。二位、鶴ちびの時、あの子うまかった。ずーっと、鶴引きずってたら、スケコマシで、ぶっとんだ。後、ノコギリと首かな?今の所思い出すのは。
首にノコギリでセットになりそう。
もう、セットでいいか。わけわかんなくなってきた。
なぜ急に 鼻息荒く 星五つ www
俳句の様ですな。
大河らしいからしくないか、ではなく、単純にドラマとして失敗しているからこその低視聴率では。
現代恋愛ドラマっていうスープに、あとから戦国時代っていう具を「ぶつ切りにして生のままぶちこんだ」ような作品。
あと擁護論でどうしても気になるのが一点。
昔のような大河だと時代に合わないとおっしゃる方がいますが、この作品がもし時代に合っているなら、直虎は高視聴率じゃなければおかしい。だが現実はクソ低視聴率ドラマです。ですからのこのような論者はただ自分の好みを一般論に摩り替えて正当化しているに過ぎない。これはよくない。
マイノリティはマイノリティの自覚を持って発言してください。話がややこしくなる。
明日は、直虎流れ星5の流星群か、来るかもしれません。
気象予報でした。
私は、高橋さん、結構好きだよ(^_^)v
昔のような大河だと時代に合わないと思う者ですが、昨年の大河も今年のと同様に大河らしくないものに挑戦したドラマだと思いますよ。おそらく、NHKはもうずいぶん前から新しい内容を試行錯誤しているのではないでしょうか。今後の予定を見ても、オリンピックを扱うなど、大河の枠を超えた挑戦をしようとしているのは明らかです。それは視聴者の大河離れが原因でしょう。昔のままではますます視聴率は低下すると予想されるからでしょう。今作は決して視聴率が良いとは言えず悪い方だと思われますが、今まで大河に見向きもしなかった人たちが大河に興味を持つきっかけにはなったのかもしれません。その人たちがそのまま満足でき、尚且つ、既存の大河ファンも満足できるドラマ作りが今後の課題でしょう。そういう意味でNHKは昔ながらの良さも忘れずに大河の枠を超越したドラマ作りに挑戦していってほしいと思います。
えーと、政次は、結局具体的に何をしたんだっけ。
井伊を守った守ったというけれど、
実は、転機になる重要な策や行動は、ドラマ上では直虎自身が決めている。
(しかし、その時は、亡霊のごとくエア碁に現れ、彼女に策を授けた無理やりな体になってるのが苦笑)
政次の口から、記憶に残る言葉として聞いたのは「戦わずして勝つ」、これぐらい。
しかし、それとて、どこで回収されているのか、さっぱりわからない。
今や、関口の首を上げるとか何とか物騒なことを口にして戦う気満々だし。
「噂を流せば人が集まる」などと誰でも考えつきそうなアドバイスをしてみたり、重要な転機の時には、出し抜かれたり置いてきぼりを食らったり。
今川で井伊をかばい立てするも、効を奏さずだし。
一つだけあげるとしたら、虎松の代わりに子どもを殺し、首に死に化粧をして今川に奉ったことぐらい。
これで「切ない」「不憫」「萌え」「胸キュン」などと言われて、一体何だったのだろう、この存在は。
去年の大河は、極めて大河らしい大河でしたよ。
どこが大河らしくなかったですか?
作風や描き方の問題とか、笑いがあるないとかは、大河らしさとは関係ありません。
史実を踏まえたうえで脚本家の個性のままに自由に脚色するのが悪いとは、ほとんどの人は思っていないと思います。
そうではなくて、さまざまな人の織りなす歴史を、歴史的常識にもとづいてダイナミックに描く、歴史の醍醐味を教えてくれるのが大河という認識の人が多い。
それからいくと、真田丸はバリバリ大河の醍醐味を味わわせてくれました。
女性の描き方は批判もあり、私も苦手でしたが、大河としてはいい大河でした。さまざまな人間の生きざまが、まさに一つの川に流れ込んで大河を作っていました。
たとえ、近現代物だって、オリンピックを描いたって、そういう物語であれば、大河らしいドラマになります。
それを、歴史的事実を歪曲して個人の周辺のことばかり恋愛を中心にちまちま描き、脇役の一人の人気俳優に頼り切ってテーマがぶれてしまう、などというドラマになってしまうと、これはもう大河ではないですね。
↑
来週の話しを見れば、政次がどのように直虎を守るのかわかるのではないでしょうか。
私も、歴史を出来るだけ壊さない様に新しい大河作りに挑戦
して欲しいです。
余談ですが、高橋さんの直虎の思い出で、直親が、亡くなる前に音羽と三人で井戸の所で話した事、三人の絆。
この幸せが、いつまでも続けばいいと思ったとおっしゃってました。
高橋さんの中で、かけがえのない友情であり、大切な
シーンだと思います。
本人が、そう言うのですから、物語の中の
重要なひとこまだと思います。
つまり直親が、死ぬ前です。
すみません。
>それを、歴史的事実を歪曲して個人の周辺のことばかり恋愛を中心にちまちま描き、脇役の一人の人気俳優に頼り切ってテーマがぶれてしまう、などというドラマになってしまうと、これはもう大河ではないですね。
これを書いた者ですが、「これはもう大河ではない」どころか、ふつうのドラマとしても、さっぱりいただけませんね。
書き忘れたので、つけ加えておきます。
昨年の大河も薄っぺらい内容でしたよ。
直虎の感想欄で言うのもなんですが。直虎と同じくらい。特に主人公と茶々の関係などは、見ていられなくて、チャンネルをかえようかと思うくらい。
見ていてイラッとくる場面もたくさんありました。
大河らしくなかったと思います。
私は再来年のオリンピック大河をとても楽しみにしています。
好き嫌いの問題はさておいて、クドカンなら、あざとい手を使ってドラマの構造を犠牲にしてまで人気取りを先行させ、テーマが分裂して何を言いたいのかわからない、などという批判を受けるようなドラマは作らないと思うからです。
いろんな人の人生を粒立たせながら重層的に描くことができる脚本家なので、きわめて大河らしい大河になると思います。
時代とか、軽妙か否か、笑いがあるか否かなどは問題ではありません。
記憶に残るシーンと言えば、スケコマシや子どもの首のシーンになりそう、と書いたものです。
私は、亡くなった方に「スケコマシ」はないでしょう、と思いました。死者への冒涜、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、実在した井伊直親さまに失礼では?と思いました。実在した人が登場するドラマを作るときは、「その方の人生をドラマにさせていただく」という気持ちが必要なのでは?と思うのですが、その気持ちが制作者側に欠けているように思いました。
あと、子どもの首についてですが、戦国時代に首をとる、なんて日常茶飯事だったと思いますが、幼い子どもの首を取る、云々、を描いた大河ドラマって、今まであったかな?と思います。合戦シーンや残虐なシーンもあったけれど、子どもの首って・・子どもが残酷に亡くなるシーンを描かないという配慮が、今までの大河ドラマにはあったのではないか?と思います。後味悪かったです。
だから「なんでもあり」大河。
今までの制作者たちが、
「こういうことがあったのは、(ちゃんと時代考証の先生もついてるし)わかってる。けど、それを描いちゃあお終いよ」
と、自分たちでセーブしてきたことを、
躊躇なく、バーンと表現した。
それを、「今まで目をそらしてきた事を描いた。きれいごとではない現実を描いた」と、受け取ることができるのが、わからない。
過去は、目をそらしたのではなくて、常識と、恥を知っていたということ。
日曜日の家族団欒時だよ。
ゲームだって、特別残虐シーンがなくても、ごく軽いラブシーンや、武器を持って斬り合うシーンがあるだけで、「年齢推奨B、C」なんて、ついてるのに。まあ推奨だから、強制力はないでしょうけど。
話題を集めるためには、なんでもありなんだなあと、思った。
確かに、私なども、まんまとその術中にはまって、こんなふうに話題にしてるけど。
好評価の方々は、「そんな、いちシーンだけが記憶に残らない。批判者は受け取り方が極端」なんて思っておられるのかもしれないが、
そのいちシーンを入れるための、そこまでの過程が、とにかく雑。そういう、視聴者をびっくりさせるシーンを入れるために、その時のエピソードを作った感じに見える。
まず結果ありきで、そのために事件を起こしたり、周りで動いている(はずの)歴史や人物を、急きょ描いてる。
そもそも、たとえ他がよくても、たったいちシーンが、全てをぶち壊すなんてことがあるのだとわかった。
確かに、過去の大河でも、滑稽なシーン、残酷なシーンはあったが、話自体がひとつの流れとして、ブツブツ途切れることなく作ってあったから、いちシーンが突出して全体を壊すなんてことはなかった。もちろん、そのシーンの記憶が残った、ということはあるが。
何度も言うが、表現が露骨なことと、真実をリアルに捉えることは違う。露骨な表現をするにしても、そこに至る過程が、丁寧に描けていれば、みな不快感など残らないのだ。
ところで、よく昨年の大河「真田丸」が比較として出されるが、
そもそも脚本家が喜劇作家なので、笑いを取るシーンが随所に見られはしたが、話自体は丁寧に作られていたと思う。
また、これも舞台脚本家らしく、特定の人物にではなく、すべての登場人物への思い入れが感じられる作りになっていた。登場人物の人気投票というのがあったが、これだけ主人公以外にも票が分かれた大河も珍しい。
子供の頃から、大河が好きだったという脚本家が描いた大河は、あれも描きたい、これも描きたい、という思いが伝わってきた。ちょっと1年という時間が足りないくらいだった。
今大河は、時間を埋めるのに苦労してるなあというのが、わかる。
大河同士を比較してあれこれ言うべきではないが、昨年のには、少なくとも下品さはなかった。
映画にはあるのに、テレビドラマには、R指定はないのだと、あらためて知った。
大河枠でするな、という中には、こういう意味合いも入ってるかな。
「真田丸」の主人公✕茶々は良くて、「直虎」の主人公✕政次がダメな理由がわからない。どちらもファンタジーでしょう。
いつもは、しゃべくり007みたいな内容なのに、急に昼ドラ風になったり、戦国時代風の残酷さを出してくるから違和感を持つ方が多いんじゃないかなぁ。と思うよ。
>「真田丸」の主人公✕茶々は良くて、「直虎」の主人公✕政次がダメな理由がわからない。どちらもファンタジーでしょう。
ここだけ抜き出せば似てるけど
箇条書きマジックって奴で
要するにシナリオライターの腕の差なんでしょうね
直虎のライターは下手ってこと
好みの問題だと思いますよ。
三谷脚本と森下脚本、どちらもそんなにかわらないと思います。
個人的には三谷脚本の笑い要素は軽薄に感じる。他の民放ドラマや映画も好きではない。
森下脚本はJINと朝ドラしか知らないが、軽薄な笑い要素は感じなかった。
どちらも昔の大河ドラマっぽさはない。
「真田丸」の主人公✕茶々は、話の大きな軸に影響してこないし(関係をもち、秀頼が本当は幸村の子、とかでもないし)、茶々が精神的に不安定なのかな?と思うことができた。彼女が不安定なことが、政局や合戦に影響したことはありうると思うので、恋愛ばかりを描いたのではないと思う。
一方、「直虎」の主人公✕政次は、あってもいいと思うけど、そのために政次を忠臣に描いたのだとしたら、話の大きな軸に影響しすぎだと思う。
恋愛はあってもいいと思うけれど、そもそも架空の話だし、話の大きな軸に影響しすぎると、やりすぎ、と思う。
今更だけど、直虎は俳優陣が小粒な人が
多すぎて気の毒。
直虎の家臣とか、大事な役どころに誰?っていう
人使うし、名脇役も小林薫ぐらい
高橋一生をあういう使い方しないともたない。
真田丸なんて、三谷ファミリー総出演で
それだけでも豪華なのに、くらべたら可哀想。
俳優に脚本が負けてたもんね。
今回は、華のない役者ばかり。
だから、高橋一生贔屓な筋でここまで持たせてきたんだと思う。
私はそれなりにたのしんでいる。
明日楽しみ。
ベースはお笑い系で「しゃべくり」や「よしもと新喜劇」みたいな軽いノリなのに、ラストの10分あたりで無理やりシリアスとか感動に持っていこうとするから無理がでるだよね・・。
前にこの作品ってどこかでみたような既視感が強いと書いてるような方がいたけど、わたしもそう思う。脚本家の方が過去に見た大河(もしくはあまり大河を見てなかったと言ってたらしいので評価が高かった過去作を慌ててみたのかもしれない)
例えば盗賊とその子分たちの感じとかビジュアルとかは「黄金の日々」の石川五右衛門に似ているし、急に直虎の口から「鋸引きの刑にする」というセリフも唐突だった。鋸引きの刑は「黄金の日々」でのインパクトがいまだにあるし、唐突にヒロインが鉄砲に拘り出すのも、もしかして「八重の桜」?、あと登場人物がやたら囲碁をしてるのは「翔ぶが如く」かな、などなど過去の大河を知っていたらそれ見たことある的な場面が多い。
脚本家さんは原作ものが多い方らしいのでオリジナルの引き出しがないのかも。
それと、まあキャストでお金をちゃんをかけてないので、それなりに有名な俳優さんが出ていたら、何てことないようなシーンでも自然と大河らしくなるのだろうけど、低予算でどうにもいかない感じだ。本田博太郎さんとか橋本じゅんさんとか他のドラマだと上手い使われ方をされてるのに、このドラマだとなんしか地味でしょぼい画面に見えてしまう。この枠は無理に予算をかけなくても若手俳優らがこぞって出たい枠のはずなのに、有望な若手俳優さえもほとんど出てないのはどういうわけだろう。
井上芳雄を下ろすのを早すぎたのでは。他にも今なら浦井健治や間宮祥太朗、志尊淳とかいくらでもいい俳優がいるだろうに。予算がないのか脚本家か製作者がそういう意向(なるべく旬の俳優は使わないとか)なのか、そこらあたりが気になります。
直虎のお粗末な脚本じゃ、どんなに華がある俳優が固めても、面白くはならない。
それに十分豪華な布陣だよ。どこが地味?
杉本哲太や吹越、でんでん、筧利夫。
宇梶剛士、花總まりに、財前直見、菜々緒に海老蔵などなどまで出しといて、
活かせず。
とても言い訳はできないでしょ。
しかも去年と違って三浦春馬や菅田将暉等、イケメンにもだいぶ頼ってよびものにしてるしね。
去年なんて大泉洋と堺雅人だよ笑笑。
それに軽薄だとか言われてるけど、物語が現代的思考に立って作られてはいないし。
物語自体に力があったからこそ、あのような変則=キリの言葉遣いやコメディタッチな部分などが生きるわけで。
あれらはよいアクセントにも、息抜きにもなり得たし、
同時に、視聴者のとっかかり入り口を広めてくれたよね。
直虎は、言葉遣いとコスチュームだけ時代物で、芯がない。
でイケメンに花背負わせてメロドラマやってるだけだもん。
コスプレだよ。
着物着た美男美女が、何とかじゃー!って昔っぽい言葉で話してるのに萌えるっていう感覚だよ。
早々に死んでしまった人並べられても。
堺雅人と大泉洋 小日向文世 私からした神キャストでした。でもすごく良かった〜とはいいきれない
大河でした。
直虎は 次は阿部サダヲと菅田将暉がひっぱって
いくんでしょう。
脚本も勿論大事だけど、役者も大事。
両方が揃うと素晴らしいドラマになるが
篤姫、平清盛、以来かぶりつきでみるような大河は私はないな。
でも、それなりに(笑)楽しんでます。
誤解があるといけませんが、森下さん好きでは
ありません。ごちそうさんリタイア組です。
JINは原作がしっかりしていたので粗が見えにくかったんじゃないかな、でも揚げ出し豆腐のくだりとか違和感あった。どうも森下って人は書きたがる割に時代物・史劇の素養がない気がする。
よく出来た大河ドラマはじっくりかまどで炊いたご飯だけど、今年の大河はまるで菓子パンですね。
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