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花子の人生、♪幸せは歩いて来ない、だから歩いて行くんだね、一日一歩三日で三歩・・・♪は無用の世界なんですね。限りなくうらやましいわ。同時にこの時代の一人の翻訳家になった女性の話としては限りなく嘘くさいわ。
お兄いやんがしつこく宮本をつけ回していたエピ、「ああ、あれ?単なる人違い」というのは、本当のことを言えない身内への嘘ですよね、そうですよね? ほんとは、ちゃんと任務があるんですよね?
もし、これでチャンチャンで終わりだとしたら、もうこのドラマも終わりです。
吉高さんも仲間さんも大好きなので、花アンも楽しく観れてます。
脚本も大切ですが、やはり主役を好きじゃないと
ドラマも楽しく観れないですものね。
伝助さん役の人も、今までは苦手な役者さんでしたが
今は素敵だな~って思って観てます。
関東大震災がどの様に描かれるか、心して観たいです。
ツッコミどころ満載だけど、普通に面白いよ、このドラマ。
昼ドラ風かと思ったら急にコント入ったり。
朝軽く見るのにはいい。
たしかに蓮子の散切りカツラは金太郎みたいだね(笑)
だけどそれでも仲間さんはきれいだし、金も身分も捨てて恋に生きる蓮子はカッコいいよ。宮本も言うほど悪くないと思うし。
早く蓮子が龍一や赤ちゃんといっしょに暮らせるといいね。
「龍一さんは親子三人で暮らす日のために弁護士の勉強頑張ってるわ」
残念ながら弁護士の勉強しているところ一度も見たことがありません。ずっと蓮子の尻を追っかけたあとは、子供の名前ばっか考え…最近では花子の子供を相手にオムツ替えの練習をしています。ちなみにおしっこを引っ掛けるほうも引っ掛けられるほうも「歩くん」です。
それに赤ん坊が泣くのが仕事、というのは子育て経験有る無しにかかわらず誰もが知る一般常識なので、帝大では教えてくれません。龍一が妻子を養える日がくるのか、他人事ながら心配です。
赤毛のアンには思い入れなし。
どこがいいのかしらって思っていた小説の翻訳者
が実は熱烈な恋文を交わし略奪結婚
かの有名な白蓮事件の主人公とも交流があるなんて
これは、朝ドラの題材としてイケルわ
赤毛のアンの読者向けにファンサービスでアンのストーリーを随所に散りばめましょう
こういった発想で作っていると思えば納得がいきます。
日常の何気ない一コマが積み重ねられられたものがあってこそ、
何かがおきた後、思い出される大切なシーンとなって
胸の痛みとともによみがえる、そんなドラマが私は好きです。
花アンはこれからいろいろなことが起こるらしいけど
特に思い出したいシーンもないな。
今頃とってつけたようなカメオネタ。
はじめからカヨが好きなら、村岡弟が兄嫁をそこまで思う
説得力もなーんもない。
家事やってないと言われればお弁当。
ツッコまれたらかわすということか?
王子と乞食に4年。
アンの翻訳には、50年ぐらいかかるということですね。
醍醐さんは相変わらず決断の思い切りがいいですね(笑)
世間が知らない嘉納蓮子の生涯を著作にしたいという強い信念から出版社を退職。ほんと、清々しいです。
月明かりの縁側での浴衣姿での夕涼み。雰囲気があって映像もきれいだなぁ、と思っていたら、ここで英治が例のカメオのブローチを花子に贈るんですね。香澄さんのことを思うと切ないけど、英治は社長就任、花子も「王子と乞食」が単行本化と、これから気持ちを新たに夫婦足並みそろえて仕事に励んでいこうという決意を表す行動でしょう。なかなかしっとりしたいいシーンでした。
郁弥は弦楽四重奏団の演奏の中西洋のナイト風にひざまずいてプロポーズ。サプライズで喜ばせようとした演出だけど、かよは「郁弥さんのばかっちょ!」。かよはこんなさらし者にされるような環境でなく、いつものように小花を贈っての素朴な求婚のほうがよかったのかな。
明日も楽しみです。
連子の話も一応区切りであちら関連の人たちはお休みなのかな。
あちらの話がないともうすかんすかんのお子様話ですね。
全くおもしろくないどころか見ていてイライラする展開。
出版社関係お話がまるで駄目。学芸会よりヒドイし、何だか以前にも増してひどくなりましたね。編集長はコント芸人になったのでしょうか。
醍醐さんなぜやめなくちゃいけないの?だいたいこれまでの流れからしておかしすぎるでしょう。花子と一緒に勉強して来て英語もまったくわからない。花子を持ち上げるためにか知性のないような明るいだけのキャラに描かれ出版社でも雑用的なことをやらされていたのに突然蓮子さんのお話を執筆する?なんのめどもたたないのにやめちゃってどうするの?元々お嬢様だからこんなところもそこは都合よく蓮子の話もすごく上手に書けてすんなり作家デビュー?これは脚本家のお友達の林真理子さんへの気遣い?ドラマを私物化しないでほしい。
英治の印刷会社社長就任も郁弥のプロポーズもカメオの話もなんでしょう?ただただ派手なところばかり描いて日常の仕事風景や人の心など誰に対しても描かれていません。なんでもかんでもパルピ、パルピって馬鹿のひとつおぼえ。誰もかれも幼稚なことしか言わない。本当にこれぞ茶番劇です。見てる大人を馬鹿にしてるの?ってさすがに今朝は頭にきました。
普通に全く面白くないどころか普通に楽しめるような内容のドラマには感じられません。
笑わそうとするような場面もことごとくすべっているし。ギャグのセンスもなさ過ぎです。
蓮子の方の話がないとまるですっからかんでいよいよ総集編だけ見てひたすら終わるのを待とうかな、という感じになって来ました。
いくやさん、
英語を交えて演技するならもっと面白くそれらしくやって
下手過ぎて面白くもなんともなくただのアホみたい
愛する人の一体どこがいいのかまるでわからずに目の前の手近な人にパルピってまわりが持ち上げてめでたく結ばれて、男はイクメンになっていくのがいいのよ~ん、パーティだの祝賀会だのプロポーズだの派手なこともう大好き~っていうのがテーマの恋愛劇もどきの茶番劇ですか?ものを真剣に考えることなんてかったるくてやってられないよ~ん!・・
こういうのを一体どうやったらいい大人に楽しめって言うのかな?って自分は思う。
ユーモアのセンスも小学生男子並みになさ過ぎる。
中園さん本当に錯乱、ですか?
あんなに悲劇的だった蓮子の幽閉は、「赤ちゃんにあえてよかったですね」の一言で、もうきれいさっぱり忘れ去られたんですね。これがあの白蓮事件の終結ですか。すごい破壊力です、これはさすがに予想外でした。
でも、こんなこといちいち考える必要ないんですよね、このドラマ(ドラマ?)は、深刻になってはいけません。かる~く雰囲気を楽しめばいいんですから。
あっという間に一年経って、知らぬ間に「王子と乞食」が完成していましたカンパーイ!。これは、予想どおり。
村岡兄が社長になりましたよかったですね、村岡弟がカヨにプロポーズするんですがんばって、がすべて出版社の一室で進められました、これも今までのやり方どおりで、たいして驚きません。みなさん楽しそうな雰囲気でいいですね。
先妻の残したカメオをハナに渡す、それも亡き人への思いや言葉は一切なし(ハナはただ「ありがとう大切にする」のみ)、これはまったくの予想外。なぜ渡す?なぜ今ここで?といういつものナゼの嵐になりそうでしたが、これもあっさり次の場面転換、で終わり。たいした意味はないんでしょうね。深く考えることなんてありません。
今の懸念は、いずれ震災で亡くなる(はずの)村岡弟をあんなノーテンキな小学生のように描いていいのかと、亡くなった時のダメージとどう折り合いをつけるのか…っと、いけないいけない、そんなこむずしいことを考えてはいけません。「こぴっとがんばるわ」と周りの人たちは、すぐに明るく立ち直ることでしょう、その姿を喜べばいいんです。もしかしたら、亡くならないかもしれませんしね。
「赤毛のアン」は戦火の中でハナがあまり苦労もなく訳していくでしょう。おそらく今までの自分の半生を思い出しながら、アンにも「腹心の友」がいたのね私と同じだわ、私もアンと同じように葡萄酒で酔っぱらったことがあったっけ、そうそう、屋根から落っこちたこともあるわ、「想像の翼」!私がよく使った言葉だわ、おんなじなのね…と自分とアンを同化させるでしょう。当然そこには回想シーンが走馬灯のように出てきます。おそらくこの近辺でドラマが終わると予想。
でも、深く考える必要はありませんね。ハナはほんとに「赤毛のアン」を翻訳するんですからタイトルどおりなんですから、それでいいです。
ごちそうさんの創意工夫の下ごしらえや
皆のために〜的な魚をおろす包丁サバキに慣れていて
今回の何とかクッキングみたいな
『はい、ここに出来たものがあります!』な
お弁当登場にシラッとしてしまう。
吉高由里子さん本当に料理苦手なんですね…。
1923年夏ってもう、関東大震災の直前なんですね。
明日は木曜日。今週後半はそれに関連した話かな。
かよと郁弥の結婚はどうなるんだろう。
村岡家や蓮子にも影響はあるはずだし。
明日からの展開が怖いような楽しみなような…。
こんなドラマで深く考えようもないけれど、考えようが考えまいが内容が幼稚、台詞や表現がまるでおもしろくないから楽しむなんてほど遠い珍しい朝ドラです。人ってドラマ見ていてもふつういろいろ考えるものですからね。何も考えずにドラマを楽しむってどういうことなのかわかんないなあ。
そもそもドラマなんて普通は見てる時はいちいち深く考えるなんて
せずに出てくる人物の気持ちと一体化して(共感して、と言う人も
いる)筋が追えるから楽しめるのであって、こう現実離れした大人
こどもみたいな人達の言動に???ってなってばかりではそれ自体が
できない。
で、感想を書く時になってはじめてああ、だから楽しめないんだ、
っていう理由が自分から出てくるわけであって、批判的な感想書く人が
深く考えるから楽しめないなんてこととは全然違うのだと思う。
このドラマは一日15分の中に変なことが多すぎる。それが楽しめない
理由、といえば理由で変に思うな、なんてできないよ、NHKさん。
確かに変な行動する人ばかりで
共感ってものが出来ない。
醍醐さんとかよちゃんがが良いと思っても
見事に巻き込まれてから
わざわざ、いやいやこれは姉妹だからな
とか腹心の友じゃないからか?と
自分なりの辻褄合わせをしながら見るのが
正しいドラマの鑑賞なのか?
もうそれさえわからない…。
一緒になって、白蓮も忘れてカンパーイ!
あはははってやりたいわ
早く終わって早く忘れたいようなドラマです。
村岡花子や柳原白蓮についてはほとぼりが冷めたころ、ちゃんとしたものを読んで彼女たちのことをちゃんと知ろうと思っています。
朝イチでの、イノッチの『はぁ?』って
表情が全てを物語っていると思う
社長就任のあいさつで英治が若輩者って言えないで何度も言い間違えるのはなにがおもしろいんだろうか?
英治さんってヒロインの相手役なのに全然魅力的にならない。
朝ドラって少なくともそういう人はだいたいなんとなく素敵なものなのにこれはその伝統も壊したような・・・・
これの鑑賞法は、つじつまが合わないことがあっても「おかしい」と思わない(あるいはつじつまなど初めからきにしない)、理由をいちいち「なぜ?」と考えない、雰囲気だけを味わう・・・ということでしょうか。
できなーい!雰囲気を味わうってどうするんですか?コツを教えてください。
王子と乞食にどれだけ時間をかけているんだろう?
本の出版もあんな軽い流れ
史実とあまりにも違いすぎる。
カメオのブローチ
前妻の思いがこもったもの渡すって
私には理解できない設定。
>社長就任のあいさつで英治が若輩者って言えないで何度も言い間違えるのはなにがおもしろいんだろうか?
私も思いました。
大々的なパーティでもない
いつも顔を合わす内輪の打ち上げで
あそこまで緊張するもの?
プロポーズに演奏家たちを雇うって?
時は大正でしょう?
村岡父は、かよちゃんお気に入りだけど
花と違い高等教育も受けていない
カフェの女給
育ちも違いするのにあっさりOKって・・・
「王子と乞食」の翻訳出版パーティーで花子が歩君にケイト・グリーナウェイの絵詩集を見せていましたね。大学時代、イギリスの児童文学が好きでよくグリーナウェイの童話は目にしたので懐かしかったです。これからも、こんなふうにさりげなく英語の有名な作品を出してくれるとうれしいな。
花子もようやく「王子と乞食」を完成し、単行本化して翻訳家として完全に独り立ち。今後戦時中のアンとの出会いまで、動乱の時代が続くけど、そんな中でどんなふうに翻訳の仕事を描いてくれるのか楽しみです。
王子と乞食やら赤毛のアンやらグリーナウェイやら村岡さんご本人が書いた童話やら、形や名前だけは出してくるのだけれど、その中にある文学性やら精神性やらに全くと言っていいほど触れていない。キリスト教についても同じ。クリスマスだの結婚式だのの表面的なことだけの借り物。
そういうところでもうこれがいかに表層的な現象だけを断片的にとらえて羅列しているようなドラマで、一人の文学者、翻訳家、などという人の姿をとらえていない的外れなドラマであるか、ということがわかってしまう。
こういう内容のドラマをやるなら、何か一つのことを成し遂げたような人を主人公にしないことだと思います。
朝ドラというのは一般大衆向けのドラマだから、ある程度表層的でいいと思います。とくに宗教は。文学だって、グリーナウェイ知っている人なんてごくわずかですよ。村岡花子の童話にしろ、翻訳作品にしろ、有名なものを折々紹介しつつ、恋愛や友情、家族関係などを描く形でいいと思う。
女学校時代を評価している人もいますけど
葡萄酒事件、ロミオとジュリエット
私はマイナス評価です。
アンを翻訳出来たのは、クリスチャンだったから
カナダ人のミッションスクールで思春期を過ごしてきたから、
でもまったくそれを感じられない。
白蓮の紹介で日本文学を習い、女学校にはおいていない現代文学を読み漁り
16から家庭教師のバイトをし家に仕送りをし
教師になっても高名な人たちとのとの交流があったことも
翻訳家の基礎と思われる部分をすべてなかったことにしているんですよね。
『おひさま』で高良健吾が出て来た時は
おーおお!と家族中の女子がどよめきました。
『梅ちゃん・・』の時も、ウンウンと母が頷いてました。
『あまちゃん』は、先輩とマネージャーに派閥が別れました。
『ごちそうさん』東出君だけではなく、息子も幼馴染も良かった。
これは…まさかの伝さま?と朝市のみ??
「もうこれはドラマではない」という声がありますが、私もそう思います。ドラマとしては、とっくに崩れ去っています。
これは、単なる展示会です。並べられた一つ一つの品を見て「これきれい」「私これ好き」「りっぱ」と感じるだけ。
朝ドラに限らず、ドラマとして、こんなひどいのは初めて見ました。
つまらないドラマはいっぱいあって、それはストーリーが平凡だったり、セリフが平板で陳腐だったり、先が読めてしまったり、役者が大根だったりで「しょうもない」という感じになるのですが、これは、その多くがあてはまる上に、「支離滅裂」というのが加わり、大崩壊を起こしました。
(役者の点では、宮本を除けば、ハナはなんとか許容範囲、あとは問題ないと思いますが)
今までの凡百の「しょうもない」ドラマでも、最低つじつまを合わせるということはやっています。その方法が下手というのはあるにしても。
このドラマ?は、それすらできていない。だから、総合点で言えば、ドラマの中では最低レベルです。やたらに派手派手しい部分に目を奪わせてごまかしをきかせているつもりかもしれませんが、視聴者もバカではないので、おかしいものはおかしい、ときちんと指摘します。
NHKも、これからも良いドラマ作りを目指そうとするなら、そうした声に、真摯に耳を傾けるべきでしょう。
表層的だって話につじつまが合ってたりキャラが一貫してそれぞれに魅力があったりすれば十分いいですよ。
でもこのドラマはそれさえできてないと思います。
それにやっぱり題材が題材なのですから、いくら朝ドラだって見てる方はほとんど子供でもないんだから、多少なりとも元の作品の持っているものをちゃんと紹介したり文学的な要素を入れたって一般の人は十分理解できると思います。宗教だってそんな教義がどうとか、なんて言うんじゃなくてキリスト教の持つ博愛精神とか人を許す気もちとか悪いことをした時には素直に懺悔する、とかそういうことって別にわかりにくいようなものでもないし、特定の宗教を宣伝してるなんてことにはならないでしょう。キリスト教を信仰してた人をモデルにして日常でその人が何を大切に考えてたか、ってことを描かなければその人の友情や恋愛、家族などを本当に描くドラマにはならないと思います。キリスト教信者ではない、ということにするならこの時代にわざわざクリスマスを祝ったり、キリスト教式結婚式なんて出さなくてもいいでしょう?
朝ドラだから云々、と言うのに今やどれだけ意味があるのかな、と思ってしまいます。朝ドラだろうがなんだろうが、いろんな良質のドラマがどんどん出てくる中このドラマはとても見劣りがしています。
私は、朝ドラだから表層的でいいとは考えません。どんなドラマでも「表層的」なものは、見る者に感動も情緒も与えず、つまらなくなると思います。
特定のヒロインの特定の話の朝ドラで特定の宗教を出さない、なんてことまで気にするなら牧師が出てくるキリスト教結婚式なんて出さない、キリスト教系の学校の描写もしない、ってことになってしまうと思います。そういうものだけ出しておいてキリスト教の内面に関わる部分を出さないなんてナンセンス。
また文学について一般の人はわからないから、などということでこんなおちゃらけた浅くて馬鹿げた内容にするなら最初から文学者など題材にしないことと思います。
朝ドラの視聴者が皆、文学や宗教を身を飾る着物や髪飾りなどと同等、ととらえている人ばかりではないでしょう。
>文学だって、グリーナウェイ知っている人なんてごくわずかですよ。村岡花子の童話にしろ、翻訳作品にしろ・・
知っている人がごくわずかなことこそ紹介するならちゃんと紹介してくれなければ紹介してることにならないし誤解を生むことがあると思います。
特にこのドラマでそれを感じるのは村岡花子さんに関してですが。
世のなかに紹介する、っていうのは人でもものごと(文学作品なども)でもただ名前だけを自分に都合の良い創作の道具として表面的に出しておけばいい、ということとは違うと思います。世の中により知られていないことこそ細心の注意を払って真摯な気持ちで紹介してもらわないと・・・
いろいろな面になんだか鈍感さと人そのものや人が作ったものに対しての掘り下げる気持ちも敬意も感じられないドラマだなあ、と感じます。
私は、とにかく人が人らしく描かれていないのが違和感でたまりません。人はふつうあんなに変なセリフを言いません。分かり切ったことをわざわざ口にしません。耳触りのいい柔らかい言葉ばかり使ったりはしません。表情が作りもののお面のようではありません。何でもかんでもその場で解決しません。中の人間がおかしいです。
いよいよ弟とかよの話なのですね。
でもすぐにかよの人物紹介にあったようなことが起きるのかな?
ついていけん…
ももはいつ上京するのかな?
もうあと2ヶ月しかないよ。
なんだかすごいドラマに巡り合ってしまったのだな〜と感じています。
アラばっかり目立ってしまって、
伝えたいことがまったくわからない…
これ…いくらただの原案であったとしても、
本当に関係者各位、大丈夫?
私がもし宮本龍一のモデルとなった人の関係者だったら、
絶対苦情を言っていますよ!
あんなになっさけない人に書くなって怒ります!
村岡花子にしても、
ただのノー天気で他人への配慮もない、
常識もない、就職中は仕事への責任感もない人だけど、
赤毛のアン、その他を翻訳したの。
あの白蓮事件の当事者と知り合いなの。
ってだけ…
怒るで、しかし。
女学校時代までは、
まだ学生さんだからな〜と思ってまあまあ楽しめたのだけど…(私はね)
このころからアラはありましたが…
あんな身内のパーティで口ごもるような
ことさせる時点で脚本家や演出が
村岡さんを魅力的なキャラにする気がないのか
もはやどうすれば修正できればいいか
わからなくなっちゃってるんですよ
役者さんも違うやろて心のなかで
おもってるに違いない
作り手がもう投げてる
ここまで茶番を堂々と続けられるとは、日本は平和ですなー
もう皆様がコメントしてくださってるので細かいところは置いておいて、
花の翻訳があっさり終わり、思い付きで単行本出版の提案、おふざけのGOサイン…
村岡花子さんにとって、王子と乞食の翻訳は、大きな悲しみの中、救いを求めるように取り組んだ作品だったと私は思っていましたので、よくもここまで1人の人間の人生を踏みにじれるものだ。
私はこのドラマ自体に真剣さを感じない。関係各位に媚びてる感じがするし、脚本家がウケを狙ってヘラヘラしてる印象。
がっかりとか残念を通り越してびっっくり。
これがプロの仕事でしょうか⁉︎この驚きのドラマ、朝ドラの歴史に残るヒドさは最後まで見届けなきゃ!
あと2ヶ月なのにサプライズプロポーズなんかやってる場合じゃないだろうになぁ
他に書くことあるでしょって思ったけど、
これで脚本家が翻訳家の人生を描くつもりじゃなかったのがはっきりしましたね。
そうならそうと、最初から翻訳家の人生を描く!なんて言わずに、
「白蓮事件と同時代の恋愛群像劇!」とかにしとけば良かったのにね。
ヤレヤレだぜ
どんな最終回になるのか楽しみです。
何度も言い間違える英治。
大きなマルを作るトボけ顔編集長。
頬っぺたをつねる花子。
やっちまったなナレーション。
今日、見ていてサブいぼが出そうになったシーン…。何でこんなことさせるのかな?笑うべきシーンなのかな?それとも、可愛いなー、微笑ましいなーって思うべき?本気でわからなかった。
先週から小学校の学芸会にしか見えないです。一回そう見えちゃったから、もうそういう風にしか見れないのかな。いや、でもやっぱり変だったよ…。
蓮子のことは昨日で一段落着いたみたいな雰囲気で、それにもびっくりしました。赤ちゃんに会えたからめでたしめでたしで、もう花子は何も心配していない…というより蓮子のことなど思い出しもしていない。
あれから一年…って蓮子は一年間ずっと幽閉されたままなんでしょ?時間が経てば経つほど、普通は蓮子の精神状態を思って心配が募ると思うのですが…。
こういう所の描写がまったくないから、花子が蓮子に会った時にすごく心配していたような素振りをしても嘘に見えてしまうと思う。
再会した時に「蓮子のことを良く思い出していた」みたいに言っていた時もすごい違和感でした。お屋敷に乗り込んで怒鳴り散らした時も、何度も通って情報を持ってきたのは醍醐さんで、花子は自分からは何もしていなかったことに??でした。甲府ではあんなに伯爵を怒鳴りつけてたのに。
場面転換すると、登場人物達が今まで起こったことや考えていたことを全部忘れてしまったかのように呑気になったり激昂したりするのにどうしても着いていけません。
2014-07-30 10:56:00 名前無し さん
それは赤毛のアンのファンで、今回の村岡花子さんが
ドラマ化されることを喜ばれて原案の書物を読まれた方々にも
純粋に文学的情緒を楽しみたいと思った朝ドラ視聴者にも
失礼じゃないですかね。
宗教も、大河でさえ細川ガラシャを通じて慈愛の精神を
伝えてましたから。
今回のドラマがどれだけ視聴者を小馬鹿にしてるのか
正直呆れます。
因みに、自分は大学で文系でしたからグリーナウェイ知ってますし
誰も知らないから表層的で済ませるなんて
プロとして、一番恥ずかしい仕事じゃないですか?
脚本家さんが何もわからないにしても、恋愛部分とのバランスが
悪過ぎます。
このドラマが楽しく見られたのは私は甲府でのはなの幼少時代まで。でも辞世の歌をスラスラ読み始めたころからあれ?って思い、女学校は昔のチープな少女漫画みたいだと思った。このあたりからはなという人物がまるで主体性がなくものをちゃんと考えることなく成長がストップした人間に感じられた。でもまあ軽い朝ドラとして確かにここまでは女学生たちもかわいいし明るい感じがよかったのでツッコミながらも楽しめた。その後の教師時代もへんではあったけれど朝市やももがよかったから見られました。
しかし村岡との恋愛、香澄のわざとらしい登場、失恋(したと思い込み)のあたりからもうはなも英治もキャラブレが激しくドラマとして破綻し始めたと感じた。そして辞書の扱い方、漬物石やら枕にして最後には雨の中に投げ捨てようとまでしたヒロイン。ここで私はこのドラマへの期待は完全にキレました。こんなの翻訳者になるような人の話じゃない!!
ってことでその後はもっぱら蓮子や伝助の方だけ楽しみにして見てましたが、それも駈け落ち事件から最終的にはなや一家が関わったことでもう話としてめちゃくちゃ。元々演技に難あり、の宮本なんて帝大生にも司法試験を受けるような人にも、あの蓮子が選んだ人にも見えなくなった。こちらまで花子一派に面白くなくされた、という感じです。
もう今朝なんかとてもこれが最初からずっとつながりのあるドラマとは思えずツッコむことだけしかありません。だいたい村岡弟とはなの妹の恋(結婚に至るのか?)なんて史実なのか?こんなくだらない話を盛り込むなら、それこそ村岡花子が訳した王子と乞食の文章を美輪さんにそのまま読んでいただいた方がどれほど時間が有効に使えるか、と思ってしまいます。
村岡印刷の社長の就任なんて大事なことが花子の王子と乞食完成のパーティのつけたりみたいになってていいのか?
なぜ単行本の出版を出版社の人間でもない印刷会社の人間があの場所で提案などして出版社側がおかしいと思わないのか。社長は何のための社長なのか?
かよはドミンゴの一従業員です。その仕事中に楽団まで引き連れてプロポーズ?仕事場の完全な私物化。フツーに世の中で仕事したことある大人がこんな話をすんなり受け入れられるって思ってるのか?完全なファンタジーなら別ですが。
この脚本家さんて世の中の公私の区別も知らない人なのかしら?
あきれるばかりのおみごとな世間知らずの脚本です。もっとまじめにお仕事してください。
題名「花子と蓮子」にすれば良かったのでは。
こんなストーリーなら花子の部分、一切いりません。
「蓮子物語」の方がどれだけすっきりしたことか。
世のなかに赤毛のアンのファンがけっこういてグッズも売れ商売促進になり視聴率も取れるだろう、そんな思惑でさして村岡花子にも興味のないような人間がこういうドラマを安易に作ろうとすることが間違いのもとだと思います。(私、相当イヤな奴に思えるでしょうがこのドラマを見た率直な思いです。)
NHKは、ネットなどを見ると、このところのドラマ作りの中で「不倫」を扱うと数字が上がることを学習したようです。
この朝ドラもその路線でいこうと、プロデューサーをはじめとする制作が一丸となって進めているのではと思います。
脚本も演出もあんなありさまで視聴者からは批判がわき起こっているにもかかわらず、支持する一定の層がいると踏んで、いけいけドンドンでやっているとしか思えません。
そして、もくろみは見事に当たり、局内はわきかえっていることでしょう。
何かあちこちにコネらしいものも見えますし、このドラマは、さわやかそうな表面とは裏腹に、とても猥雑で薄汚れたような内側を感じます。
なんといっても、「赤毛のアン」および村岡花子のイメージを傷つけたことが最大の罪です。
美輪さんの存在も気持ち悪く思えます。あのナレーションも気持ち悪いですし、肝入りの俳優を云々というのも、朝ドラ史上聞いたことのないような話で、このドラマの気持ち悪さを増幅しています。
お孫さんどんな気持ちでドラマを見てるんだろう?
本もよく売れているから文句は言えないんだろうけど。
恋バナばかり出てきて
翻訳家としての努力や困難が全く語られず
原作では登場しなかった脇役の伝様人気急上昇。
さぁ これからは中園隊長主催の合コン
メインがくっ付いたから脇を片っ端しから
カップルにしちゃいましょう!
がんばろー!ってか?
夏の日に子供を横にようやくと翻訳終えて風鈴がなる
新しき道を見つけて退職す心のときめき大切にして
社長業あとを譲って一安孫の相手と次男に嫁を
新社長記憶に残る本作り緊張しながら抱負を語る
評判の王子と乞食を一冊の単行本に仕上げましょう
母からのマリアのカメオ幸せな家庭を守る妻に託せり
バースデイ祝う弦楽四重奏女神に捧げ愛の求婚
あまりにも突然のこと戸惑ってできるはずないすぐに返事は
感激のうれし恥ずかしサプライズばかっちょ残し外に飛び出す
どうなるの郁弥の告白結末は失敗したのかそれとも成功
大震災誰も知らずに迫りくる九月一日正午直前
それでは、また明日
合コンかあ
かよと村岡弟
醍醐とあにやん?
あとは北海道から逃げ出したももと朝市?
ついでに編集長と富山先生(今更?)
武は思いつかない。
中園さんは、50代半ばだそうですね、びっくりしました。あのセリフの稚拙な言葉・言い回しや常識のなさから考えて、てっきり若い人だと思っていましたが。
脚本家にかぎらず、文学の作り手というものは、作品のすみずみにその人生経験や知識・教養というものが反映すると思うのですが、その点からいっても、今回のドラマは釈然としないですね。
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