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41
トクヨ
ID: hgRTDvw2kH 
2020-01-05 04:38:40

毎度未明に失礼いたします。
司馬遼太郎の「国盗り物語」は70年代に大河ドラマ化されましたね。
原作はどうなのかわかりませんが、このドラマだと美濃のマムシの斎藤道三に仕えていた明智光秀は、濃姫とは確か従兄弟どおしで幼馴染で、光秀は濃姫のことを密かにずっと好きだったのに信長に輿入れが決まってしまい失恋💔したことになっていました。
子供だった私は、「近藤正臣は松坂慶子を恋敵の高橋秀樹に取られたので本能寺の変を起こしたのか!」と長年信じ込んでいました。
その放送部分を見た記憶だけしか覚えておらず残念です。

42
芳根京子
ID: jo3B4mVQiX 
2020-01-05 07:29:26

トクヨさん、もう一つ、史実ではないでしょうが濃姫エピソードとして・・
道三が濃姫輿入れの際に「信長が本当にうつけであったなら、この短刀で殺せ」と言ったというエピソードがあります。

光秀と濃姫が「いとこ」というのは資料にもあるので、本当かも?…

43
スレ主
ID: OB9dH5VHkG 
2020-01-05 07:33:10

トクヨさん、おはようございます。コメントありがとうございます。

近藤正臣さん、今ではお笑い系のコミカルな役から一徹な頑固な老人もやる幅広い役者さんですが、ここでよく話題の「柔道一直線」より「続氷点」で名演が評価され、インテリ青年役が定着してましたね。昭和48年「国盗り物語」の明智光秀と5年後の「黄金の日々」の石田三成。似てるんですね。どちらも知的で聡明なのですが今一つ判断力に欠けて最後に悲劇的最期を遂げる。
トクヨさんのような見方もいいですね。淡い憧れは持ち続けていたかもしれません。

44
トクヨ
ID: hgRTDvw2kH 
2020-01-05 08:59:50

京子さん、スレ主さんコメントありがとうございます。
道三が濃姫(正式には帰蝶というんですね)に短刀を渡したという場面もあったような…
道三が濃姫に最初に「信長のところへ嫁入りしろ」と話をしたシーンで松坂慶子さんの濃姫
「父上、信長様ってどんな人なの?」
道三(調べたら演・平幹二朗さんでした)
「なかなかの美男子だという噂だよ」
濃姫
「まあ、平家の公達のような?」
というような台詞の場面があったのも覚えています。

45
スレ主
ID: OB9dH5VHkG 
2020-01-05 09:25:23

「春の坂道」は後半ちょこちょこと「新平家物語」は非常に面白く全話見て今も記憶強烈、「国盗り物語」は司馬遼太郎の原作がマムシの道三が深芳野に非情な仕打ちをし泣かせる場面が不快で、前半はながら見だったような。女性を泣かせると言うのは時代劇でもいい気はしません。後半に高橋英樹の織田信長メインになりのめり込みました。若く聡明な足利義輝(竹脇無我)に比べ足利義昭(伊丹十三)は風采の上がらない駄目男そのもの。その駄目将軍を必死に補佐する聡明な近藤正臣の光秀はかっこ良かったです。この時、義輝を襲い殺害する松永久秀が全くのエキストラ的扱いで台詞もないのに対し今回は吉田鋼太郎が演じると言う。これも楽しみです。
考えて見れば「おしん」同様に主要な配役の方の多くが鬼籍に入られました。時代を感じます。
「勝海舟」は逆に序盤が凄く面白く、悪い奴らに騙され町娘が竹林に連れ出され多くの男に斬りかかられ殺され渡哲也が駆けつけた時は後の祭りだった、と言うような必殺シリーズ的要素もぶち込みたが松方弘樹に変わってからはキャラが生真面目青年から豪傑タイプに変わっていて「何だ、こりゃ?」ですよ。今回、「別に」の沢尻エリカさんから川口春奈さんに代わって脚本も一部変更はあるのかな。川口さん、取材ではタメ語も言うし「ガキの使い」ではスケバンもやる清純派一本やりの人ではないので濃姫にも興味ありますね。松坂慶子さんは逆に初期のスケバンイメージから清純派に転向しようとしていましたね。

46
スレ主
ID: OB9dH5VHkG 
2020-01-05 09:29:23

45で、「トクヨさん、コメントありがとうございます。」が抜けていました。深くお詫びします。う~ん、私はちょっと熱くなりすぎてるなあ。

47
トクヨ
ID: hgRTDvw2kH 
2020-01-05 13:23:56

スレ主さん、ありがとうございました。
麒麟がくる、当初の予定では今日から放送が始まることになってたのに、先に伸びて残念ですが、吉田鋼太郎さん、川口春奈さん、楽しみですね。

48
スレ主
ID: OB9dH5VHkG 
2020-01-05 13:30:48

トクヨさん、コメントありがとうございます。

ここでこうしてトクヨさんと大河を語れる日が来ようとは♪
今年はいいことがあるかもしれない。
トクヨさんも一層いいことがありますように。

49
百田夏菜
ID: NACnJC4.ea 
2020-01-05 14:37:51

『麒麟がくる』で今川義元演じるは片岡愛之助さん
でも…明智光秀と今川義元は、直接会ったことないと思います。
でも…ドラマだから、出会いの間、もうけてほしい‼

42京子さんの話には続きがあって…
濃姫「もしかしたら、この短刀で、お父さん突くようになるかもしれませんよ‼」
道三「それでこそ!マムシの娘‼よく言った!」

50
スレ主
ID: OB9dH5VHkG 
2020-01-05 15:25:35

百田夏菜さん、コメントありがとうございます。

今川義元、「直虎」では春風亭昇太さんが眼鏡をはずすと冷淡な表情がよく出ていると話題になりましたね。映画「風雲児織田信長(と思う)」では桶狭間で派手な装束で「織田の小冠者、何をしているのであろうのう」とせせら笑ってるとところに信長勢が急襲。討ち取られるさまが見事に描かれてました。
京の公家風にお歯黒で着飾っていた義元。上方歌舞伎の愛之助さんには適役かも。

そうですね。「国盗り物語」第三巻に描写があります。道三は濃姫とは「うつけ者の信長は合わず嫌いになる。その時は殺せ」と言いますが、濃姫も「お父上を刺す刃になるかもしれませぬ」とにっこり笑顔で返し、さすがの道三も狼狽えたものの、腹立たしくも嬉しくも(己が)情けなくもあった、と言う風に書かれてますね。

51
百田夏菜
ID: NACnJC4.ea 
2020-01-05 23:14:29

今川義元のことを少し弁明しておきますと…

義元は、当時、東海№1の武将でした。

義元は桶狭間の戦いのとき、馬ではなく輿に乗っています。しかし、それは馬に乗れなかったわけではなく、足利将軍家から「塗輿に乗ってよい」という特別許可をもらっていたからでした。今川家は足利一門の名家でした。義元は、尾張の田舎大名織田信長を権威で圧倒するため、輿に乗って出陣したわけです。でもそれが仇になって、軟弱な武将のイメージを後世の人に印象付けてしまいました。

また、お歯黒も貴族的といわれいますが、当時、ある程度の身分の者は武士もお歯黒をしています。将軍とか管領とか…

52
スレ主
ID: OB9dH5VHkG 
2020-01-05 23:44:00

百田夏菜さん、コメントありがとうございます。

そうですね。ただ、北条早雲の頃ならまだ分かりますが時代は加賀が守護の富樫氏を追放し一向宗徒に支配され(下間頼照ら?)、足利将軍家の威光は9代の義尚で終わったと言っていいです。隣国伊豆でも将軍家の縁戚の堀越公方も滅ぼされ北条家に支配されています。
幕末の第二次征長の役で鉄砲隊を中心とした近代的な長州藩に戦国以来の武者装束で立ち向かい大敗潰走した松江藩や小倉藩を思わずにはいられませんがどうでしょうか。

53
芳根京子
ID: DUTWnpNeWE 
2020-01-06 06:02:03

今川義元と言えば、桶狭間の戦いでは、圧倒的に兵力を有していたにも関わらず、織田信長の奇襲により討ち取られてしい「ダメ武将」のレッテルを貼られてしまいましたよね。 

このたった1度のミスが、今川家の衰退を招き、その子、今川 氏真は、戦ができない文化人だったため、今川家は大領土を失います。

ですが、義元の生涯を振り返ると…壮絶な家督争い(花倉の乱)を制し、今川家の当主となり、駿河、遠江、三河の三国を支配した大大名で、武田信玄や北条氏康とも互角に渡り合った名将だと思います。

また、優れた領国統治によって、米の生産量が多いとは言えなかった駿河・遠江・三河を豊かな国にしています。

そして、司法の面では、『仮名目録追加21条』を制定して今川仮名目録を補訂しています。この法は、戦国時代では、優れた分国法と言えます。

桶狭間の敗戦というのは、不運だったと思います。義元が無能だったから討ち取られたとは、思えません。

また後日、時間があれば、今川義元から捉えた「桶狭間の不運」を書かせてもらいます。 

54
スレ主
ID: 4HmQzLPsua 
2020-01-06 08:33:55

芳根京子さん、おはようございます。コメントありがとうございます。

ここは自分の思いのたけを自由に語れるスレです(ナチス絶賛等は除く)。ぜひ、名将今川義元論をお聞かせください。
今週は今日と明日、木曜が私と母の通院日で夜にならないと帰宅できませんが、「いだてんファンスレ」同様にスレ主をして下さっても構いません。

55
井頭愛美
ID: EsNZdjetCv 
2020-01-06 16:24:48

織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康、今川義元、武田信玄、上杉謙信・・強そうな戦国武将は、中部地方出身が多いですね❗🐧

56
スレ主
ID: 4HmQzLPsua 
2020-01-06 20:10:51

ただいま帰宅しました。
井頭愛美さん、コメントありがとうございます。

おっしゃるとおりですね。関東には北条早雲・氏康、奥州の伊達政宗、九州には鍋島直茂、島津義久。あれ、関西人がいないよお。

57
井頭愛美
ID: EsNZdjetCv 
2020-01-06 20:29:44

四国は、長曽我部元親ですか?
スケールが小さいですね❗🐧

58
スレ主
ID: 4HmQzLPsua 
2020-01-06 21:35:51

井頭愛美さん、コメントありがとうございます。

どうしても帝のいる京から遠ければスケールは見劣りします。島津維新入道も長曾我部元親もそれぞれ九州、四国全土を統一しようとしていた人物なんですけれどね。
そこへ行くと関西人は地元じゃないですか。戦前の「またも負けたか八連隊、それでは勲章九連隊(くれんたい)」と言うのは大阪第四師団の中核部隊第八連隊と京都の第九連帯を揶揄した言葉です。
司馬遼太郎によると商いの街の大坂・堺や文化人の多い京都は武芸ごとに向いていない土地柄なのだそうです。

59
百田夏菜
ID: eTI5szQrmR 
2020-01-06 22:23:34

織田信長軍団は、戦国最強のように言われますが…兵隊はむしろ他の大名家と比べて軟弱だったと言われています。
経済力で、周辺地域を圧倒したように思います。お金の力で、兵を養い、武器を取り揃えて、天下に覇を唱えたように思います。

尾張は、豊かな穀倉地帯。その上、商業が盛んな土地柄でした。
信長の前の織田家の当主、信秀の時代から商業で生計を立ててきました。
小国でありながら巨万の富を築き、非常に豊かな国だったそうです。
信長が楽市、楽座などの制度を考えたのはやはり父の影響が大きかったと思います。

60
スレ主
ID: 4HmQzLPsua 
2020-01-06 23:32:44

百田夏菜さん、コメントありがとうございます。

なるほどねえ。私の知らないことばかりで勉強になります。
三河武士は強かったんでしょうか。大久保彦左衛門の逸話なんか聞くとそんな感じですが。

61
芳根京子
ID: uQ4UN1w7i0 
2020-01-07 00:07:23

スレ主さん、三河軍は強いです!
それが如実に表しているのが『姉川の戦い』です。

この戦いで、長政軍は、その数5000~8000人ほど。対する信長軍は20000~23000人です。

数でいえば圧倒的に信長が有利。しかし長政軍は士気が高く、信長はかなり劣勢に追い込まれたそうです。

勝敗を分けたのは、援軍の差でした。信長に対しては、家康が5000人の兵を率いて参戦します。一方長政にも朝倉家が支援をします。人数は8000人ほどいましたが、家康優位で戦いが進みました。

朝倉軍をあらかた倒した家康軍が、信長軍までバックアップをし、最終的に信長&家康連合軍が勝利することになりました。

家康軍がいなかったら…信長軍は??です。

62
べえべえ
ID: wWEdiIXyrn 
2020-01-07 01:08:52

また遅くなりすみません。

17:芳根さん、18:トクヨさん、20:スレ主さん
ありがとうございます。そのように言っていただき嬉しく思います。
また、3姉妹のみなさんの復帰、うれしいです。
今後ともよろしくお願いします。

私は古代史が好きなので、たまたま聖徳太子とか大化の改新とかの単発ものを見たのですが、みなさんのような詳しい知識や情報はありません。
ここで皆さんの詳しい解説が読めて、知らないことがたくさんあり、大変ありがたいです。ますます大河ドラマが楽しみになりました。

63
スレ主
ID: uAO/AAo5.c 
2020-01-07 06:49:52

芳根京子さん、べえべえさん、おはようございます。コメントありがとうございます。

芳根さん、やっぱりそうですか。大久保彦左衛門は大言壮語の法螺を言ってた訳ではないんですね。
べえべえさん、「西郷どん」の感想読ませてもらってますから、それはご謙遜と言うものでしょう。大いにここで語って下さい。ファンスレなので制約はありますが。

64
芳根京子
ID: uQ4UN1w7i0 
2020-01-07 10:44:55

べえべえさん、ご心配おかけしました。
古代史は、私も好きですよ。ロマンがありますよね。
テレビの偉い方、「いろんな説があっても、思い切ってやれ‼」と、言いたいです。

65
井頭愛美
ID: 7z8Qy.ORRj 
2020-01-07 16:25:47

戦国時代、実際、戦うのは、ほとんどが農民、戦続きで、鍬使うより刀や弓や槍や鉄砲を使う方が上手な農民がいたかもしれませんね⁉

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66
べえべえ
ID: wWEdiIXyrn 
2020-01-07 19:20:41

スレ主さん
西郷どんでは書き過ぎました、お恥ずかしいです。
また、ファンとして感じたことを書かせていただきます。

芳根さん、
そうそう、ドラマなので大胆に切り込んで欲しいんですが、知名度の問題もあるのか、撮影セットが難しいのか、古い時代はなかなかやってくれませんね。

戦国も色んな地方があるので、いままでやってない地方領主なら新鮮味があっていいと思います。直虎もよかったです。
主だった大名はいままで出て来ましたので、それこそまだやってない今川氏はおすすめかも。他には北条氏か、長曽我部氏や宇喜多氏などをやってくれないかな、と個人的には思います。
それか、視点を変えて三好や松永、足利将軍を中心にしてもいいかもしれないですね。
光秀は、皆さん書かれているように、国盗り物語で演じられているのですが、随分前で私が見たのは子供の頃ですし、若いときからやっていくとのことで、面白ろそうです。

67
百田夏菜
ID: 4vL5j.mcVF 
2020-01-07 20:57:58

べえべえさん、私は戦国時代は専門分野です。
でも、奈良や平安はもっと好き‼
貴族社会の大河ドラマも良いですよね!

68
百田夏菜
ID: 4vL5j.mcVF 
2020-01-07 21:17:04

本能寺の変の時、寺の中の全員が死んだわけではありません。
女は逃がしてもらっています。男でも『弥助』という黒人武士は脱出しています。
この弥助という信長の家来、信長が宣教師からもらいうけたアフリカの奴隷だったわけですが、信長、最初見た時、どうしても真っ黒が信じられず、たわしでこすって洗ってみた、という記録があります。

69
べえべえ
ID: wWEdiIXyrn 
2020-01-07 22:03:17

百田さん
前に、奈良、平安好きって言われてましたの覚えてます。
貴族や天皇を中心とした大河もいいと思います。
前に話しましたっけ? 桓武天皇や阿弖流為とか,etc...

戦国時代が専門ですか、確かに書かれている内容が詳しくて納得です。
私はドラマで見た内容くらいしか知りません。いろいろここで教えてもらえると嬉しいです。

70
芳根京子
ID: uQ4UN1w7i0 
2020-01-07 23:41:51

『麒麟がくる』で、天海=明智光秀説が採用されたら面白そう!
でもそれは…絶対あり得ませんね…

71
トクヨ
ID: mkWsKPNcfj 
2020-01-08 00:21:14

信長と外国人宣教師たち、それに「弥助」との絡み、興味が尽きません。
スペイン人やポルトガル人に連れて来られて、アフリカの人も日本にこの頃たくさんいたんでしょうね、本能寺で、「外国人だから」と信長は弥助を逃してあげた、と言われていますね。
その後弥助はどうなったのでしょうか。

他にも信長は大の相撲好きで、今に続く相撲のルールをいろいろ整える試みをしていた、と聞きました。
力士が東と西から登場するとか、土俵を作って勝負が早くきちんと付くようにしたとか(異説あり)、行司採用とかそういうことだったと思います、相撲のことは三姉妹さんが詳しいと思うのでご存知ないでしょうか?

72
芳根京子
ID: 30C6z1H4Td 
2020-01-08 06:23:03

トクヨさんへ
弥助は、本能寺脱出直後、近くにいた信忠のところに入って、光秀軍と戦っていますが、とらえられました。
その後は、はっきり分からないのですが、キリシタン大名有馬晴信の家来に黒人武士がいたという記述があります。でも弥助かどうか?
宣教師と海外に出た?とも言われています。

相撲は、平安時代には、行司はいませんでしたよね。
信長は相撲好きで、この頃には行司もいますが、詳しいことは、知りません。

73
トクヨ
ID: mkWsKPNcfj 
2020-01-08 08:15:37

京子さん、ありがとうございました。
私は、信長が相撲のルールを作ったと聞いたことあったのですが、諸説あるみたいです。

74
名前無し
ID: kndwfSVlHc 
2020-01-08 08:29:14

本能寺の変といえば、かなり昔の大河ドラマ「太閤記」で信長役の高橋幸治さんが死んで行くシーンが子ども心にも衝撃的で半世紀以上経っても忘れられないジーンです。

75
スレ主
ID: u1Tg8Llsas 
2020-01-08 10:29:03

芳根京子さん、井頭愛美さん、べえべえさん、百田夏菜さん、トクヨさん、74さん、おはようございます。コメントありがとうございます。

昨日は帰宅してすぐ熟睡し申し訳ありませんでした。
皆さんのご意見一つ一つがごもっともで私が横からしょうむないコメントを出すのは失礼ですね。
百田さんはスポーツの他に戦国がご専門ですか。短気で衝動的な6代将軍足利義教が猿楽を見ながらの酒宴中に襖を開けて乱入した赤松一派に殺害されるところ(嘉吉の乱)からお聞きしたいです。義教は鎌倉幕府の内管領・平頼綱、織田信長や井伊直弼のような人物だったんですかね。共通してるのは反対者は残虐な手法で片っ端から虐殺し独裁政治をするが怨恨(今回の信長は知りませんが)で暗殺されるというところ。

74さんは「春の坂道」から大河を見始めた(見たのはごく一部分のみで、全話見たのは「新平家物語」から)私より古い大河歴の方なんですね。映像で秀吉の緒方挙と石田三成の石坂浩二の「殿(信長)はこうして食べられるのじゃ」の焼き鳥の串を食べるようなしぐさの部分を見たことがあります。

76
芳根京子
ID: 30C6z1H4Td 
2020-01-08 12:45:01

室町幕府六代将軍の足利義教ですか…
唯一くじで将軍になった人ですよね。

「くじ引き将軍」などと呼ばれますが、ある意味、足利15代将軍中、最もマジメに将軍をやっていた人ですね。

77
井頭愛美
ID: RHCU9Hi4MR 
2020-01-08 16:17:01

歴史上、時々、独裁者が出てくるんですね😆

78
スレ主
ID: u1Tg8Llsas 
2020-01-08 17:47:58

芳根京子さん、井頭愛美さん、コメントありがとうございます。

そうですね。真面目と言えば真面目ですね。室町幕府の強権化を図り次々戦さを仕掛けた人物ですから。ただ、情緒不安定でカッとなると見境がなくなるところは織田信長的な感じです。

独裁者は恨みを買いやすいのも分かりますね。天保の改革の水野忠邦もかなり強権的で失脚した途端に江戸の屋敷には町人が暴徒化して投石の雨だったようです。

79
百田夏菜
ID: r4Jy88SfLV 
2020-01-08 22:15:42

明智光秀のもう一人の主君15代将軍足利義昭ですが、信長に京都から追われた後、どうなったか?ですが・・

義昭が京都を去った時点で「室町幕府は滅んだ」とされていますが、秀吉が九州討伐を終えるまでの間は征夷大将軍でした。毛利氏の庇護のもと、領土ももらっていたみたいです。また、政務が取れる程度の家臣もついてきていたようです。

征夷大将軍の地位から退いた後はすぐにお坊さんになって、「もう積極的に政治には関わらないよ」という姿勢を示しています。
しかも朝廷からは皇后などに次ぐ位である「准三后」を授けられましたから、秀吉も粗略に扱うことはしませんでした。

秀吉は、槇島に領地を与え、さらに「前将軍で准三后の人は敬わないとマズイだろ」というわけで、豊臣政権では破格の待遇を受けていたそうです。
秀吉の側近であり話し相手の「御伽衆」にも名を連ねていたり、朝鮮出兵のときも渡海はしなかったものの名護屋までは行っていたり決して冷遇されていたわけではないのです。

足利義昭は京都で亡くなってしまいます。享年61歳。
このとき、葬儀をとりおこなったのが、細川藤孝(細川幽斎)でした。

80
スレ主
ID: u1Tg8Llsas 
2020-01-08 22:27:36

百田夏菜さん、コメントありがとうございます。

私の知識なんぞ、将軍義昭は毛利家を頼って庇護されていた程度のものです。詳細に教えて下さり、ありがとうございます。
中国の元王朝が宋王朝の子孫に貴族待遇を与えていたのと似ていますね。
一時は信長を室町御所改築の際には「御父信長公」とまで書いていたんですけれどね。

81
芳根京子
ID: 30C6z1H4Td 
2020-01-08 22:48:04

あの冷酷な信長が足利義昭だけは、寛大な処分で済ませています。
自分の命を狙ったにもかかわらず、京都追放で済ませているんですね。
やはり、征夷大将軍という地位を敬ったんでしょうか?

82
スレ主
ID: u1Tg8Llsas 
2020-01-08 23:34:45

芳根京子さん、コメントありがとうございます。

私にも分かりません。元将軍職だったのもあるかもしれないですね。
寛大な処分の例としては他に武田勝頼の元武将だった穴山梅雪に甲斐等の支配を認めています。もっとも梅雪は本能寺の変で堺から逃亡中に落ち武者狩りで亡くなりました。家康と違い武具で重装備だったのを狙われたと読んだことがあります。

83
井頭愛美
ID: GHo/4tERQ2 
2020-01-09 05:29:33

梅雪が亡くなったのは、本能寺の変後の伊賀の山越えですか?
家康が、晩年「最もピンチだった」と言ってますよね。🐧

84
スレ主
ID: qwsjEQHaFZ 
2020-01-09 07:14:13

井頭愛美さん、おはようございます。コメントありがとうございます。

徳川家康は落ち武者狩りに合わないように軽装で地理に詳しいものを連れていた、と中田易直中央大教授は書いてますね。

85
芳根京子
ID: oUTw.U1ski 
2020-01-09 12:45:35

穴山梅雪といえば、やはり「裏切り」のイメージが強い。落ち目の主君・武田勝頼を裏切ったために不忠者として語られることがほとんどで、伊賀の山越えで命落としても…あまり…同情されなかった人物かな?

86
井頭愛美
ID: GHo/4tERQ2 
2020-01-09 16:26:21

徳川家康は、伊賀の忍者に助けられたのかなぁ❔
服部半蔵とか…でも、その時はいませんよね❗

87
百田夏菜
ID: CHwcb9l8ho 
2020-01-09 20:19:09

愛美さん、伊賀越えには、服部半蔵いましたよ‼

家康は、「本能寺の変」の起こる数日前から、信長の招待を受け畿内各地を見物中で、泉州の堺で事件のことを聞きました。このとき、家康のお供は、本多忠勝・(服部半蔵)・武田氏の旧臣穴山梅雪等のわずか30人余りでした。何はともあれ、いったん本国三河へ帰ろうとしました。

そのため、家康の一行は、伊賀越えをし伊勢の海から船で三河に渡る最短の経路を選びました。堺から南山城へ出て、近江信楽付近(スカーレットの舞台)から伊賀丸柱を経て、鈴鹿(サーキットで有名)の山を越え、伊勢国へと急ぎました。

しかし、一行は落武者と同様で、武士と言えども少人数で間道を通行することは危険きわまりないことです。地侍や土民(農民)の一揆の恐れがあり、穴山梅雪は、一行より少し遅れたため土民に殺害されています。家康の一行も、途中、地侍や土民に襲われたこともありました。家康の生涯においても、大きなピンチの一つであったのです。そのとき、伊賀出身の(服部半蔵)がおり、甲賀者や半蔵が集めた伊賀者によって助けられたと言われています。このように、家康の一行は、彼らに守られ伊勢までたどりつきました。この「伊賀越え」以来、徳川家康は護衛にあたった彼らを召し抱え、甲賀・伊賀の忍者組織を手の内に入れることになりました。

 伊勢に着いてからは、どこから船に乗り三河に渡ったか様々な記録が見られます。大きく分けると、白子あるいは若松説、長太浦・四日市説があり、確実なことは言えませんが、いずれにしても、家康は堺を立って2日後の6月4日に本国の三河に着いたということです。

88
スレ主
ID: qwsjEQHaFZ 
2020-01-09 20:30:49

芳根京子さん、井頭愛美さん、コメントありがとうございます。

そうでしたか。穴山梅雪は裏切り者でしたか。徳川家康を小牧長久手の戦い後に裏切った石川数正のようなものでしょうか。家康の初期の腹心の酒井忠次も家康の長男の信康切腹で冷淡な態度だったのを家康は忠次が死の際に「息子を頼みます」と言ったところ「お前でも息子は可愛いか」と言ったとか。

家康の伊賀越えは京の豪商の初代の茶屋四郎次郎が金品を逃げ道周辺の人間にばらまいたとも言われてますね。

89
百田夏菜
ID: CHwcb9l8ho 
2020-01-09 21:52:37

白い鳩さん、「いだてんファンスレ2000到達おめでとうございます」
お茶の間大河スレでは初の大台、素晴らしいですね。
これも、白い鳩さんの誠実な人柄と深い知識の結果だと思います。

では…これからは「麒麟がくるファンスレ」でよろしくお願いします。

90
スレ主
ID: qwsjEQHaFZ 
2020-01-09 22:40:34

百田夏菜さん、コメントありがとうございます。

「いだてんファンスレ」は2まででいいかな、と思っています。話題も過去の大河が中心なので。ここまで来たのは三姉妹の皆さんやトクヨさん等のお陰と本心で感謝しています。
百田さんのスポーツ知識は学者等の専門家並みでしたね。戦国時代にも詳しいのですね。

これからは構いませんので、過去の大河についてここに書いて下さって一向に構いません。



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