やうぼさん、コメントありがとうございます。
今日は第二回ですね。大いに思ったことを書いて下されば嬉しく思います。
第1報連絡します。
BSでざ~っと見ました。
今日は土岐さんと道三の会話が長く続きました。
帰蝶の嫁ぎ先も分かりました。
全体にまずまずでしたよ。
詳しくは追々
百田夏菜さん、コメントありがとうございます。
ワクワクが止まりません。戦国安土桃山はやはり魅せられるものがありますね。
リアルに描いたら残虐極まりない時代なんですが、想像力で面白い物語にするって、シェイクスピアの「リチャード3世」「マクベス」「ハムレット」の舞台劇もそうですね。
こんばんは。
百田さん、352の第一報ありがとうございます。
私もスレ主さんと同様に、今からドキドキしています。
感想については明日以降と遅れてしまいますが、その時はよろしくお願いします。
ラストで守護の土岐頼純が濃姫の夫であるにもかかわらず、茶に毒を混ぜ悶絶死させ、横で悠然と表情を変えずに謡を歌う斎藤道三。
これは暗い大河と個人的には思う「北条時宗」の世界ですね。執権の北条長時が就寝中に襖があいて平頼綱が絞殺する陰惨な場面を思い出しました。「国盗り物語」ではここまでは描かない。司馬遼太郎はあくまで夢や希望を届ける道具として歴史小説を書いていたと改めて思います。
一方で、明智光秀は正義感溢れる若者。敵の侍大将の首を取るにも叔父の面影があると躊躇する優しさ。
念のため確認しましたが史実に基づいていますね、殆どが。
織田信康は信秀の弟ですがこの時に討ち死に。土岐頼純も原因不明の急死。これに道三が頼純の叔父の頼満を毒殺したエピを混ぜています。
光秀の正義感と蝮の道三の陰険さ。
濃姫の川口春奈と駒の門脇麦は美しい。
頼純が毒殺を疑わなかったかと言う疑問について書いておくと、尾張徳川家は血統が断絶しますが毒殺と思われるものが幾つか。何より10代将軍家治の嫡男家基が10代後半に鷹狩の帰りに一橋治斉の手によると思われる毒殺で亡くなっています。治斉は息子の家斉を11代将軍にします。なかなか毒殺を疑うのも難しい時代だったようです。
皆さんの感想をお待ちしています。
アルカンジュさん、コメントありがとうございます。
思ったことをそのままお書き頂ければ。学術討論会じゃありませんし(昭和の学者の本がベースの私は太刀打ちできない)。
今日のメインは、戦もですが、斎藤道三と土岐頼純の会話でしょう。
道三らしく毒殺しましたが、これは仕方ないこと、「やらなければやられますし、力はないといっても名門の守護、お飾りになってくれなければ、やりにくくて仕方がありません」
本木さんの演技は迫真モノでした。土岐さんになってた人は、知りませんが、一生懸命さが見えました。
詳細な感想は追々
私も詳細な感想は、明日以降に書きます。
色ですが、黄色が強いんでしょうか?でも鮮やかな色彩感でよろしいのではないでしょうか。
道三の見事な作戦勝ちでしたね。織田軍2万もいて、情けない…
戦の描き方は、あんなもんでしょうね。
ではまた🙋
百田夏菜さん、芳根京子さん、コメントありがとうございます。
土岐頼純役の矢野聖人さんは「とと姉ちゃん」で赤羽根電機の社長の手下。憎しみを込めた表情で道三を睨みつけながらも無警戒に茶を飲むあたりは育ちの良さでしょうか。叩き上げの道三との違いかとも思いました。
合戦シーンは昔の大河は室内撮影が多いので臨場感に欠けるんですよ、「新平家物語」でも。
「国盗り物語」でもドローンを飛ばして俯瞰して道三と信秀の陣営を上空から撮ったりできないので撮影技法は今が遥かに優れています。
明日以降の感想をお待ちしています。
スレ主さん、土岐頼純情報入ったので、書き込んでおきます。
土岐頼純を演じたのが、俳優・矢野聖人さんです。2010年に演出家・蜷川幸雄氏の「身毒丸」主演オーディションでグランプリに輝くと、蜷川氏の演出する舞台に多数出演するなど演技力を磨いてきました。テレビドラマ「リーガル・ハイ」や「シャーロック」など話題作への出演も相次ぎ、映画「HiGH&LOWシリーズ」など人気作品でも存在感を発揮しています。
本人は、初大河で、とても喜んでいるそうです。
短い出演でしたが、どうもお疲れさまでした。
とてもインパクトありましたよ~
また、会えるのを楽しみにしています。
百田夏菜さん、コメントありがとうございます。
矢野聖人さんのこと、よく分かりました。
考えて見れば「北条時宗」で執権長時を陰惨な方法で絞殺するざんばら髪の男こそ当時テレビでは無名だった北村一輝さんです。当時は印象が悪かったですが、今やお茶の間(ここじゃないよ)の人気者。「スカーレット」のお父ちゃんはだらしないけれど家族思いの情の厚い人でした。「嫌われ松子の一生」でも良かったし。
矢野さんも最初はいろんな役が来ると思うけれど、いつかはお茶の間の人気者になって欲しいです。素顔はなかなかのイケメンですね。
スレ主さん、百田夏菜さん、他投稿者の皆様、夜分遅くに申し訳ありません。360の件、恥ずかしながら矢野さんは初めて名前を聞きました。舞台で力をつけてドラマ出演を果たしたという経歴みたいなのでスカーレットで川原八郎役を演じている松下洸平さんと少し似たような経歴だなと勝手に思っています。矢野さんも松下さんも今後さらなる活躍をされる事を期待したいと思います。361の件、北村さんはスカーレットの川原常治役以外は作品を観たことがないのでどんな役柄を演じてこられたのか全く分かりません。誠に申し訳ありません。また、北村さんは現在50歳だったと思いましたが50歳には全く見えない程すごく格好良い方だなと思いました。
合戦シーンは迫力がありました。ドローンでの上からの撮影がよったです。
光秀が侍大将の首をとるのを躊躇したシーンは、平家物語に同じシーンがあるので、それを思い出しました。
やうぼさん、井頭愛美さん、おはようございます。コメントありがとうございます。
ネットでは矢野聖人さんの素顔が「ひよっこ」ヒデ役の磯村勇斗さんに似ていると二人のツーショットまで載っていますね(笑)。
公式ツイッターで知りましたが、織田の侍大将、似ているはずです。何と、光安役の西村雅彦さんが一人二役で演じていたそうです。さすがに出演者のテロップには出せないか。
あんまり笑わせないで下さい。
ネットで見つけました。
「モッくん、伊右衛門でおくりびと」。
363補足です。
『平家物語』では、一ノ谷の戦いで、熊谷次郎直実が、波打ち際で平家の武者を組み伏せ、鎧の様子から高貴な武将であると見て首を取ろうとしたが、顔を見ると自分の息子ほどの若さ、逃してやろうとしても、味方が近くまで来ており、泣く泣く首を斬ったという話が出てきます。
この武将は、首実検で、清盛の甥の平敦盛15歳とわかり、遺体の腰に「青葉の笛」が挿されてあったことから、その風雅の心に感じて、源氏方もみな泣いたとされます。
『平家物語』名場面中の名場面ですね😆
昨日の光秀が、侍大将の首をとるのを躊躇したのは、これを真似ているのではないか?と思われます。👩
こんにちは。
初めて見る合戦シーンには恐怖もありましたが、双方が勝たねばならぬという執念を感じ、一方で光秀の葛藤も良かったです。
光秀にはその正義感と優しさを、いつまでも失わないで欲しいと思っています。
そして道山、恐ろしい人だ。
本木雅弘さんは、映画で何回か拝見したのですが、その時は柔らかい感じの役柄が多い印象だったのですが…怖いけど惹きつけられます。
また矢野さんはあまり知らなかったのですが、昨日の場面からもっと見てみたい役者さんの1人になっています。
今回の件で、次回に光秀や濃姫など周囲がどのような動きを見せるのかも気になり、尾美としのりさんも楽しみの一つです。
今後もよろしくお願いします。
芳根京子さん、アルカンジュさん、コメントありがとうございます。
敦盛の場面は記憶曖昧ですが確か「新平家物語」にもありました。一の谷の合戦では中尾彬の忠度の最期に時間を割いてましたけれど。共に原作「平家物語」では有名ですね。
モッくんは主役の「徳川慶喜」では教養ある落ち着いた人物で、当時テレビでは無名の小日向文世さん演じる西周相手に薩長の天皇絶対政に危惧を持ち「帝はいつの世も中立で政で汚してはならんのじゃ」と説く人物で会津や桑名にも自制を求める民主的な平和主義者に近かったですが、さすが演技力の幅が広い! 陰惨さも持つ蝮の道三を見事に演じ切りました。公式ツイッターでは甲冑着たまま茶道するのは非常に苦しかったそうです。若い矢野さんにも演技前に声を掛ける道三とは真逆の気配りの人でした。アイドルではなく真の実力派俳優ですね。
いやいや、これは大当たりの予感です。
366の補足です。
その後の熊谷 直実です。
一の谷の戦いで、自分の息子と同年代の平敦盛を討ち取ってからは戦場に姿を見せなくなりました。
よっぽど首をとったことがショックだったんでしょうね。
その後、出家して名を「法力房蓮生」と改め、法然上人の門に入り、修行に励みました。
その数奇な一生は、『平家物語』や歌舞伎・浄瑠璃など文学や演劇の世界でも語られています。
これを大河ドラマ『麒麟がくる』の参考にしてもらったとしたら、嬉しいですね👩
平家物語はほとんどフィクションですけどね。源氏の世になってから勝者目線で書かれた物だし。
でも文学的でイイですね。
2012年の大河「平清盛」も低視聴で批判されましたが、平家物語の文学的要素を上手く現代的な感覚で取り入れていてファンが喜んでいました。
熊谷直実など源氏側の武士も平家全盛期には、多くは平家に従っていたので、気が咎めたのでしょうね。
芳根京子さん、コメントありがとうございます。
秀吉が秀次の幼童を多数母親と共に惨殺し、家康が秀頼の遺児の国松を7歳で従者の14歳の少年と共に斬首させたことを思うと、この時代に熊谷直実と言う人物がいかに慈悲深い人物か分かりますね。
スレ主さん、他投稿者の皆様、こんばんは。投稿させて頂きます。364の件、磯村さんは名前は聞いた事がありますがどんな作品に出演されているのかは全く分かりません。若手の俳優さんかなというイメージです。368の件、自分も麒麟がくるは名作になる様な気がします。自分は予告などで少し観た位ですがとても迫力のある素晴らしいドラマだなと思いました。自分が持っている大河ドラマのイメージそのままだなとも思いました。
トクヨさん、やうぼさん、コメントありがとうございます。
「平家物語」は平家を徹底的に悪役にし僅かに重盛を人格者にしています。それを歴史学者が「玉葉」等から反対論証し、私は「新平家物語」に中学生の時に魅せられました。「猛き者もついには滅びぬ」。これは平家一門だけでなく木曽義仲のことも言ってるのですね。やがては「吾妻鏡」では源義経もそうなるのですが。
「麒麟がくる」は名作の予感がします。史実云々ではなく創作物語として面白いと個人的には思っています。
「勝たなければ自分が討たれる」「戦がある限り勝つしかない」「これが武士の誉れなのか」と苦悩する光秀に胸キュンです😊
衣装デザインは黒沢和子さんが担当し、風水に着想を得た色鮮やかな戦国時代の世界を演出しているとのことです。
明智光秀の萌木色の着物良いですよねぇ。地味目の顔に生える色だと思います。
熊谷 直実はそうですね!トクヨさんの言うとおり、
桓武平氏の子孫で、
平家に仕えていましたが、石橋山の戦いを契機として源頼朝に臣従し御家人となっていますね。
スレ主さん、
なるほど、承久の乱や秀吉の朝鮮出兵、慶安事件も、そうなのでしょうね。 今回の光秀はそういう冷静さを失った光秀ではなくて、あくまで天下のため、というシナリオにするのかも、と思ったりします。いずれにしても信長との関係も楽しみです。
きのうは、もっくんの道三は、凄みも非情さもさすがでしたが、ケチなところなどもあり意外な人間味もある人になっているのも面白いです。光秀の心の師匠はやはり道三なのかな? 根からの戦好きでも陰謀好きでもなく、無駄なことはせず、効率的に治めていくようなことを光秀に示唆していたように思います。
目標の個人を毒殺するのも、無用な戦で多くの死者を出さないための方策だからなのかも。
戦闘シーンも見ごたえありましたけど。
またオープニングの音楽と映像も、往年の大河といった感じでいいです。
井頭愛美さん、百田夏菜さん、べえべえさん、コメントありがとうございます。
光秀は正義感強い誠実な人物に描かれてますね。敵の侍大将の首を取るのに叔父に似ていると逡巡するところ。苛烈な信長と合わない伏線なのでしょうか。策謀家ではないですね。
登場人物の衣装の色彩は私は違和感なしです。オペラやミュージカルでは演出上よくあることで、創作作品として楽しんでいる私には美しいと言う感情しかありません。だいたい、リアルを追求したポランスキー監督「マクベス」は舞台劇と違いグロテスクで二度と見たいと思いません。
熊谷直実の話は「ミッション」「ロべレ将軍」と言ったキリスト教圏の映画を思わせる面もありますね。若い頃に過ちを犯し贖罪感から我が命を犠牲にしてまで弱い立場の名もなき人達のために一生を捧げた物語です。
斎藤道三、打算的でしたたかで他人の前で息子も面罵する。茶の湯で守護を毒殺の時も謡を歌い無表情。ドローンを使った戦場の立体的俯瞰と騎馬武者多用のスピーデイー、それに対しての静かで陰惨な茶の湯での復讐方法。非常に見ごたえがあります。蝮の道三。司馬遼太郎は岡田以蔵や土方歳三でもどこか登場人物に愛着があり陰惨な面を和らげています。そう言う意味では新鮮です。一方「北条時宗」は陰惨一方でこれは私には暗い印象が残りました。
なるほど風水ですか‼︎
萌木色、萌黄色、新選組の羽織の色?と思っちゃいましたが、あれは浅葱色でした。あはは🤣
風水では方角のラッキーカラーがお馴染みですね。
Dr.コパの風水占いでは、家の西に黄色い物を置くと金運がアップするというので、うちではピカチュウのぬいぐるみを置いていますが、一度も金運に恵まれたためしがないです。宝くじも当たったことないし。
トクヨさん、おはようございます。コメントありがとうございます。
風水ですか。まあ、それとは関係なくても私は美しい色彩だと思っています。
風水は父の死後にトイレから鏡とカレンダーを撤去しました。私個人は家相とかは考えてしまいますね。家族は無頓着ですけれど。
スレ主さん、コメントありがとうございます。
風水ではそういうような事もあるのですね。
ところで麒麟がくるの戦闘シーンはとても迫力がありますね、過去の戦国大河ドラマでは、合戦を省略してナレーションで済ましてしまうものがあり、よく視聴者から批判されていました。
また本スレでも投稿されていた人がありましたが、石川さゆりさんや、川口春奈さんが、「立て膝」で座っている場面が史実に忠実に再現されていて、既存の大河と違うな、と感じました。
芳根さんが「平家物語」の敦盛について書いてくださったので思い出したのですが、源平の時代の合戦は「一騎討ち」で「やあやあ、遠からんものは音にも聞け、我こそは…」と名乗りを上げてから闘う悠長なところがありますけど、戦国時代は鉄砲や大砲がこれから主流になって行くのでそんな優雅で呑気なものではなくなりますよね。
(名乗り、は論功行賞の証明の為に行ったという説ありです)
トクヨさん、コメントありがとうございます。
武者同士の一騎打ちで名乗り合いが通用しなかった例は私の知る範囲では木曽義仲の倶利伽羅峠の戦いでの牛の角に松明を付けて突進させたもの、源義経の一の谷の戦いの鵯越、元寇、織田信長の長篠の戦いがありますが、木曽義仲と源義経の例は後世の創作だと言う学者も多いようですね。
トクヨさん、スレ主さん、お返事ありがとうございます。
桶狭間の戦いでは、織田信長は異例の通達を出しています。『敵将の首は持ち帰るな‼』
(信長の言葉)
「敵が仕掛けてきたら、ただちに引き、敵が引き上げたら押し返せ。もみ合いの中から敵のスキを衝いて、一気に追い崩せ。首は切り取らずに、捨て置きにせよ」
敵の首を取ることは、論功行賞の査定となる。だが、それをしていては時間の無駄となる。前田利家などは、信長の命令に反して首を持ち帰ってきて手柄とした。すると信長は、「この戦いの手柄は首の数とは関係しない」と言い含めて、前線に送り返しています。信長は常々、「備えず構えず、機をはかって応変する。この間合いこそ肝要なり」と固定された戦法ではなく、臨機応変こそが勝機につながると考えていました。
この点が信長の卓越した発想と行動力で、天下統一の要因なのかもしれませんね👩
芳根京子さん、コメントありがとうございます。
似た描写が司馬遼太郎「燃えよ剣」に出てきます。鳥羽伏見の戦い。戦陣を放棄した彦根藩や中途で寝返った津の藤堂藩を手厳しく批判する一方で、司馬さんは会津兵の勇猛果敢さを讃えてるのですが、軍法が古く、軽装で銃や大砲を持つ薩摩藩に対し会津藩兵は戦国武者よろしくいちいち相手の首を取っては腰に括り付け身重な体になって行きます。土方歳三は「首を捨てろ!」と言うのですが会津兵は止めないと言う描写です。
幕府の直参は指揮官は有閑階級と化した旗本と御家人。兵は臨時に集められた無宿者等の烏合の衆。
信長が幕末にいたらどう生きたでしょうね。
384は国語的に明らかに間違っていますね。
× 腰に括り付け身重な体になって行きます。
○ 腰に括り付け重荷になって行きます。
身重じゃ妊娠ですものね。お恥ずかしい。
383補足
信長は、首をとることに重きを置かなかった桶狭間の戦いでは…
簗田 政綱を第1の功労者としています。
彼は、今川義元の本陣の場所を信長に伝えただけなのに、義元の首を挙げた毛利良勝よりもその功績は大きいとされ、沓掛城主となっています。
(ハッキリとした証拠はない)
芳根京子さん、コメントありがとうございます。
こんなことは昭和の学者の本にもないし、学部の専門課程と言うより院レベルじゃないですか。非常に勉強になります。これからもいろいろな投稿をお待ちしています。
【桶狭間で今川義元を討ち取った人】
まず、服部小平太が勇猛果敢に敵陣深く斬り込んで、総大将・今川義元に一番槍をつける大手柄を立てました。しかし、義元の反撃によって膝を斬られてしまいます。
小平太が態勢を崩すとにわかに形勢は逆転、あわや斬られそうになったところを同僚の毛利新介に助けられますが、義元の首級は新介に奪われてしまいました。
388の2人のその後ですが
毛利新介は信長の側近だったんですが、本能寺の変の時に亡くなっています。
服部小平太のほうはというと、新介よりも長生きはしました。
秀吉が政権を手にしてから豊臣家に仕え、派手ではないものの着実に武功を積み重ねて城を与えられています。
が、羽柴秀次に付けられたことから運気が下り坂に……いまだ謎の多い秀次事件の連座を受けて、切腹することになってしまいました。
井頭愛美さん、百田夏菜さん、コメントありがとうございます。
このレベルは学者の本にも載っていません。とても勉強になります。嬉しく思っています。これからもよろしくお願い申し上げます。
第2回で最も強烈な印象残したのは…
本木雅弘さんの斎藤道三
もう…強烈😃
演技力抜群なのに、元アイドルですか❔
井頭愛美さん、おはようございます。コメントありがとうございます。
モッくんは俳優歴が長く、アカデミー賞外国語映画賞「おくりびと」他多くで数々の主演男優賞を取り、大河も「徳川慶喜」で主演をしていますからね。
似てるのに「おしん」で初子役の元キャンデイーズの田中好子さんがいます。「黒い雨」では数々の賞を受賞し演技力が評価されました。
しかし、伊右衛門のCMの人がお茶で毒殺。宮沢りえさんが伊右衛門のホームページで「夕べは主人がお騒がせしました」と書いていたらしいですね(笑)。
スレ主さん、土岐頼純がもっくんのお茶をなんの警戒もせず飲んだのが変ですね。
天文16年(1547年)というと信長は1534年生まれなので、13歳くらいです、まだこの戦には従軍してないんですか?
信長は若い時ヤンキーだったんですよね。
驚いたことに光秀は生年さえ不詳なんですね、
私は本能寺の変の時信長は49歳で、光秀はそれより10歳くらい歳上の、50代後半かなと勝手に思い込んでいました。
トクヨさん
通説では光秀は享禄元年(1528)生まれとされているので、天文3年(1534)生まれの信長よりも6つ年長と言われています。
ただし、光秀が信長に仕えるころまでの経歴は、確かな史料からは明らかにされていません。先の享禄元年生まれというのも、『明智軍記』という江戸時代に著された軍記物にあるだけで、信用できるものではありません。
したがって、実際には??
トクヨさん、コメントありがとうございます。
土岐頼純が亡くなったのは23歳くらいでしょうか。
実は江戸時代も尾張徳川家で吉通、継友と言う若い藩主が相次いで亡くなり宗春が後継になるのですが吉通は明らかに毒殺。まだ20代前半。継友も麻疹とも言われていますが。こちらも20代前半。
もっと顕著なのは徳川家治10代将軍の嫡男家基で10代後半で明らかに鷹狩の帰りに毒殺されています。一橋治斉が我が子の家斉を将軍にするためにやったと言うのが定説です。
共通しているのが若いと言うことと、内部の信頼している者に殺害されているところ。それと育ちが良い。蝮の道三のように「人を見たら泥棒と思え」とは思いもしなかったのでしょう。
明智光秀は謎の人ですね。肖像画を見るとトクヨさんのおっしゃる通りかなと思います。濃姫が当時10歳の女児だと言うのに「麒麟がくる」「国盗り物語」も年頃の少女(10代半ばから後半くらい)に描いてるのも面白いですね。
芳根京子さん、コメントありがとうございます。
芳根さんでも分からないものは私は全く分かりません。想像の世界で楽しめば良いと思います。濃姫の年齢も勝手に年頃の少女にしてるのですから。
スレ主さん、京子さん、お答えありがとうございます。
信長と光秀は私が思っていたほど歳の差はなかったのかもですね。
濃姫は土岐頼純に嫁いだのってスレ主さんが言われるようにきっと10歳くらいですよね、いや信長に輿入れしたのだって12、3歳?信長が15歳くらいの時に結婚してますから。
トクヨさん、参考になれば嬉しいのですが…
織田信長が13歳で元服して2年後の1548年(天文17年)、尾張と敵対していた美濃国領主、斎藤道三と、織田信長の父・織田信秀が和睦し、平手政秀の案によって織田信長を斎藤道三の娘婿にする縁組みが取り決められました。織田信長は、斎藤道三の娘「帰蝶」を妻として尾張に迎え、尾張と美濃の緊張状態は和らぎます。
この時期の織田信長は派手な身なりで、年齢の近い近習や小姓と城下を練り歩き、悪友と悪ふざけをするといった奇行が目立ちました。織田信長の家臣「太田牛一」が著した「信長公記」では、織田信長の身なりと行動について、このように記しています。
「織田信長の身なりは湯帷子[ゆかたびら:浴衣のこと]を着用し、半袴を穿き、火打ち袋などいろいろな物を身に付け、髪は茶筅髷[ちゃせんまげ:髷を茶筅のように結った髪型]にし、紅色や萌黄色[もえぎいろ]の糸で巻きたてて結い、朱色の鞘に収めた太刀を差していた」
「また織田信長は、下品な振る舞いも多く、町中を歩きながら柿や栗、瓜を人目もはばからず齧[かじ]り、立ったまま餅を食すだけでなく、人に寄りかかりながら歩く、または人の肩にぶら下がりながら歩行をした」
美濃国と和睦したことで、平穏に落ち着いた城下では、織田信長のこのような奇行が目に余り、織田信長は人びとから「大うつけ」(大馬鹿者)と言われました。
トクヨさん、芳根京子さん、コメントありがとうございます。
トクヨさんのおっしゃる通りと思います。濃姫は頼純暗殺の翌年に信長に嫁いだとウィキにはありますね。
芳根さんの書かれた他に父の信秀の葬儀で焼香の際に抹香を手づかみで投げつけた、とか、濃姫との婚礼で信長が家臣を引き連れ馬に乗ってる様子をこっそり見て「残念ながら山城(道三)の子供はたわけ(信長)の門外に馬をつなぐに違いない(家来になる)」と言った逸話が有名ですね。
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