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※BSは朝7時半〜
ぼろくそに批判していても、今作のオープニングの映像は評価していた人が多かったように思う。「まんぷく」の方にも書き込んだが、あの映像は間違いなく私が見た中では低評価に入る。逆に今作や「べっぴんさん」のオープニングは良かった。永野芽郁や芳根京子のさわやかさが出ていた。作品自体の評価はまた別にして。
ゆうこの死は不条理を描いたものであり、人はその不条理をいかに受け止めて生きていくのかを視聴者に問いかけたのではないかと解釈している。人が試されるとは、このことではないのか?
不条理を描きたいなら、ゆうこは最後まで逃げられない患者さんにつきそいました、ではなく、1人でも多く助けたいと患者さんを誘導している中で津波にのまれました、という話で事足りるのでは?
それを、つきそって逃げなかったことにして、津波てんでんこで逃げた人の、心の傷口に塩をなすりつけるようなことをしたり、不自然な遺言を残したことにしたから、不快感いだく人が多いのじゃないでしょうか。?
ゆうこが震災で犠牲になった、いや半青の犠牲になった、スズメのせいで犠牲にして
人を試すとは、怒りが込み上げて来ます
最後に持ってくるあたり、制作側の根性がわかる。
だから炎上覚悟で書いたのでしょう。
いつもながらここのコメは痛いわ。ドラマなんか興味半分で見るもんちゃうのか。なに真剣に語っとんねん。お前らプロでもないやろ。
裕子の死は、自然災害プラス(描かれてはいませんでしたが)母親からの人格否定、鈴愛の「逃げた奴に何が解る」という(混乱していた時の言葉とは言え)その言葉が根底にあり、それが重なったのだと思います。
裕子の死は、私には自ら命を絶つ作家みたいに見えました。受け止め方は人それぞれ、生き方の正邪善悪を含め、答えも人それぞれ違っていいと思います。
また、人は鈴愛のような過ちを知らず知らず犯して生きている生き物であると思います。聖書ではないですが、その罪を犯さず生きている人間などいないと思います。この掲示板も同じだと思います。
人は人で癒され救われもしますが、お互い傷つけあいもします。そんな人間のリアルが描かれたドラマだったと思います。
ドラマの中の『人が試される』は、裕子の死(夢)を鈴愛と律が受け継いで生きてゆく事、だと思います。と同時に、それは私達視聴者も試されていて、自然の恵みと残酷さ、その陰と陽、生と死の世界を、絶望を希望にひっくり返しながら生きてゆくしかない事、その現実がリアルに描かれていたと思います。
ユーコは、鈴愛が思わず言った継母かはわからないけど、両親とはうまくいっていなくて、孤独で居場所がなく、マンガに逃げて、又居場所がなくなり、結婚に逃げた。またと言う危うさがあったと思う。鈴愛のような生きる力強さが羨ましかったのではないかと思う。震災で亡くなったとしたくない曖昧なものがあるような、ないような、描き方が難しい。
兎に角、場面場面を切り取って描いていて、敢えて描かないことがあり、後から描かれていることで見方が変ってしまう。例えば、正人と再会した鈴愛が悪い男だね、と言ったセリフで律が正人と友人になっていなければ、清との付き合いはなかったのではないかと最終に入っても思ったする。
精神的に痛めつけられているようなドラマでもあったが、興味深かった。
追記です。このドラマは確かに
生活の経済面(お金)のリアルは描かれてはいませんでした。精神世界の話だと思います。それがまさに今の若い世代のリアルだとも思います。戦後、高度成長期を生きてきた人とは価値観(生き方)も違う、どちらがいい悪い、正邪善悪の話ではなく、時代の流れ、変化、それもまた自然の摂理、現実なのだと感じました。
ライターさんの参考になりましたら幸いです。
↑ 2018-10-06 10:20:53 の追記です。
なるほど、そういう見方もできるんですね。
ゆうこにスズメが言った、逃げたやつに何がわかる、が、ゆうこを酷く傷つけていたんですね。スズメは傷つくような事ばかり言うので、そんなに注目していませんでした。それが、ゆうこを、逃げることから遠ざけたかもしれないのですか。?
私はこのドラマ嫌いですが、好きという方のコメントも色々勉強になります。嫌いというコメントも参考にしてもらえたら、もっと良いドラマを作れるんじゃないでしょうか。もし関係者さんがご覧になってるなら、よろしくお願いいたします。
でも、人が試されるドラマ、とかいうのを、評論家さんが書いたならともかく、脚本家が自分でいうようなものでは、ないような気がします。。
そういう、驕りみたいなのが、透けて見えて、何となく不快感が漂うのかもしれない。
最終週は忘れられないくらい衝撃的で大好きな朝ドラです。絶望から希望へと夢を持つのは人の本能ではないかと、生きる力なのだと感じます。
私は作家ではありません。私に絡まれても困ります。作家や製作者は匿名掲示板には投稿しないと思います。理由を説明するのも面倒になりました。
これで終わりにします。
漫画家を目指していた頃が一番好きだった。
どなたが、どなたに絡んでましたか?
もしかして、私の書き込みならば、すみません。
でも、複数の人のコメントを読んで感じたことを書いたつもりです。どれと何れが同じ方か、わかりませんから。
作家さんや関係者が書き込みしてるとも思いません。読んでるかもしれませんが。
ですから、あまりお気にされないように。
感想じゃなくてすみません。文章を丁寧に書いても、批判とか皮肉に受けとる方がいらしたかもしれないと、気になりました。そんなつもりで、書いてはないのです。すみません。
登場人物が変人だらけで
話が支離滅裂でかなり酷い朝ドラだったが、
奈緒ちゃんや、清野菜名さんを知れただけ良しとしよう
優しい言葉で人当たり良くて誰にでも好かれている様に見える人が実は裏で悪口や酷い事をしている。そんな人達を見てきた私からすれば、鈴愛の裏表の無さだけでも惹かれます。
鈴愛を助けてくれる人達が周りにいてくれて本当に良かった。
朝からヒロインが大変で辛いだけのドラマは見たくないもの。
シリアスとコメディを絡めていたので重くなり過ぎず、とても楽しく見やすい朝ドラだったと思います。
27歳の楡野鈴愛が40歳の楡野鈴愛に手紙を送ります。
拝啓、40歳の楡野鈴愛様
私は、今絶望しかありません。漫画も描けない…結婚もできない…将来性もない…わがままな三十路女になろうとしています。遠吠えする負け犬です。
先日、「お母ちゃん、律、結婚した?」って電話で聞いたら…お母ちゃん凍りつきました。それからは自分でも記憶がありません。気がついたら、大阪をさまよっていました。そして、ある家に辿り着くと、知らない女がベランダで洗濯物を干していました…その家の中からは懐かしい和子さんの声がしました…『律はこれで永遠に私のモノじゃなくなった』と思いました。
最後の漫画、秋風先生に見せました。一言「いいんじゃない…」と…
どうして、「こんな恥ずかしい漫画を私に見せるな‼」と、一喝してくれないの!
どうして、「もう一度やり直せ‼」って、原稿まき散らさいの!
先生、私を見限ったんですよね‼描けない私がかわいそうなんですよね‼
そして、親友もなくしました。「逃げた奴に何がわかる!結婚して、子供もいて、金もある。私には何もない‼」って、大声で怒鳴ってしまった!
「耳のせいか!左耳が聞こえないから!結局そういうことか‼」って、当り散らしてしまった!
取り返しがつかないこと言ってしまった!
今は悲しくて…何もする気がおきません。砕け散ったガラスのようです。
もしよかったら、『どこへ向かえばよいか』だけ教えて下さい。それと、40歳の裕子と話がしたいので、今交流なかったら、仲良くなっていてください。お返事お待ちしています。
草々
耳のせいかなって思うのは当然じゃないでしょうか?私がスズメならそう言う葛藤はあるでしょう。
耳のせいにして何もしなくなったわけじゃなく、常に前に進むスズメは力強かった。
自分の人生でも描かれていないことや見えないことはたくさんありますし、出来事には因果関係があります。人生に似ていて不思議な視点だったと思います。
40歳の楡野鈴愛の返事の手紙は、私が書きます。だから…これを最後にして下さい❤
↑意味がわかりません。
視聴率が少しよかったのは、人気のある有名俳優が多かったから。脚本は、作家の入院等もあり、用意周到に緻密に書かれたのではないだろう。駆け込みで間に合わせた感じもある。シナリオには、セリフだけでなく背景を作る設定も描かれているはず。オフィス ティンカーベルと秋風ハウスは様々なアイデアを入れて作り込まれていたが、喫茶ともしびとおもかげは、瓜二つの設定となっている。かって交際した男女が、それぞれの店主という裏設定があるが、それが、主人公鈴愛と律の運命的なな男女の絆の機微とは、ドラマの中ではからまない。二つの主要な舞台の設定を一つで済ます、節約のためだったのか?漫画家編以降は、舞台の設定がどんどん陳腐になっていったような気がする。
多くの人が納得しやすいドラマにするなら、高校卒業の就活で苦労して、五平餅カフェを立ち上げ、それが秋風との因縁を作り、漫画家時代に繋がる。しかし、そこでアイデアはあるが、構想力がない壁を越えられず、挫折。律が構想力を補い成功。そんな単純な話に運命の男女の話を絡めて、紆余曲折つけてくれればよかった。漫画家編だけで十分。秋風ー菱夲物語を膨らませてくれてもよかった。
それが、鈴愛の極端に自己中でがさつに見える主人公の設定と、何のために挟まれたのかわからない、涼次との結婚編 で話は見えなくなっていった。
逆に、視聴者の抵抗を招くキャラ設定と、意味の伝わらないまま、唐突に極端に展開して終わった涼次との深刻な話に、脚本家の伝えたかったメッセージや世界観があったのかもしれないけど。それが、作者流のたくましく生きるためのメッセージかもしれないが、よくわからなかった。
文藝春秋社は、自社から本を出版してる作家には文春砲は放たないとネット情報にあったが、フェイクだろうか。星の人とか。
今回の文春の記事は、北川氏を悪く言うような感じではなかった。こちらでは私を含めマイナス面の書き込みが過半数を占めるのとは対照的である。
文春の記事を読むと今さらながらにものづくりの大変さが伝わってきて頭が下がります。
新しい試みに果敢に挑戦した意欲作だとあらためて思いました。
そういう新しさが受け入れられない人がいるのもやむをえないか…。
まんぷくがいいならまんぷくの感想欄に書けばいい。
あ、書き間違えたのか。
拝啓、27歳の楡野鈴愛様
未来のことは、教えてはいけないことになっているので、何も答えれません。
俺が勝手に返事書いちゃいけないよな。誰か決まっているみたいだから。ごめん。
でも、この直後、軽トラックで引越する場面を最終回にしてもよかったと思う。悲劇で余韻残して、最高だったと思うがな。もちろん、19歳から27 歳まで詳しくやって、回数はかせぐよ。
ぐだぐだな脚本書いて、後になって体調悪かっただの、入院してただの言われても
それは脚本家の都合であって視聴者には何も関係ない。
視聴者から
ああ、体調悪かったから仕方ないかあ
なんて思ってもらうのはプロの仕事ではありません。
是非やりたいと、ご自分から長丁場覚悟で引き受けられた仕事でしょうに。
とても残念です。
満身創痍。脚本家はよく頑張った。
最も保守的な朝ドラでこれだけやれれば、他局のドラマでもNHKでも、他の脚本家は以前よりも、もっと自由に書ける。
星野源さんと同じく、わたしには何もないって泣き叫ぶスズメのシーンが一番好きです。あれはは人気があるようです。永野芽郁さんの泣きの演技の名シーンですよ。
鈴愛の『何もない!』のシーンは、北川先生でさえ、意図してない最高のシーンだったみたいですね。永野さんのお手柄ですね。最高の乗りで演技がはまったんでしょうね。私もあの前後のセリフが大好きです。
かなり強調していて、回収されなかったボクテの神様のメモの再漫画化という伏線。脚本は全く忘れてしまったのかもしれない。もしかすると、最後の強引に作り出したような、鈴愛と律のハッピーエンドが、ボクテおちなのかな?
律のプロポーズの時、短冊が風に飛ばされて、受け入れられなかたのを、最後短冊がらみでハッピーエンドにした。短冊が神様のメモと対応してる。とすると、実は全編がボクテの想像した、漫画のなかのお話でした。という夢オチ的な、無責任結末だったのかもしれない。体調不良の時間不足等で詰められなかった破綻や不整合と見えるところが沢山あるドラマなので、意図的な暗示なのか、失念による未回収なのかわからない。
大ヒット作『ふたりっ子』の双子の一人は結婚前に男と寝ていたし、保守の壁などはとっくに朝ドラには存在しない。←作者の大石静が朝ドラ初だと言っていた。
OPが良過ぎてドラマ内容を超えてる作品として半青と西郷どんは双璧と感じる。次点は『江』。半青も江もトヨエツ氏が前のほうで消えてるなぁ……(^_^;)。
とにかく酷かった
つまらなかったけど
完走しました。
苦痛でした。
たまってた録画を消去しました
キレイさっぱり!
最後の最後まで主張がボケてる話は初めてでした
貴重な経験をありがとう!
学園祭の出し物でも無理でしょう。
最高に面白かった。
またこんな朝ドラをよろしく。
恋愛しか書けず、興味の幅が極めて狭い人が、朝ドラに手を出すからこんな少女漫画の出来損ないみたいなものしかできなかった。
朝ドラには当然恋愛要素も入ってくるが、そればかり力が入っていて、中身スカスカの浅ドラなんか要らない。
ユーコは、「逃げたやつに何がわかる」と言われて、逃げなかったのだと思います。
つまり自己犠牲ではないでしょうか。
優しさに溢れたドラマでした。
『半分、青い。』ありがとうございました。
最悪
子供時代のスズメが、ブッチャーに一斗缶を投げ頭に当たった、人に一斗缶を投げる、その行為は大変な事なのに親が叱らない、母親ハルは、食堂のおばちゃん、声がいつも小さく陰気、スズメに甘い毒親、スズメも同じく、毒親になった、
とても、見てて薄気味悪い怖さがあった。
私は一斗缶を投げるスズメが好きでした。この世界観に入れるか否かで賛否が分かれたのです。
みっちり詰まりすぎていて、いっぱいあるのですが…。
律が国語のテストで、かぐや姫が去って行ってお爺さんとお婆さんはどう思ったか、というサービス問題で「せいせいした」と答えて先生に叱られた。
人が生きる上で正解はないと描かれているように思いましたが、なぜこんなに批判の嵐になるのかわかりません。
しかし、秋風先生風に言うと、それはその人の自由です、自由でよいのだと思っています。
一つの正解、国語の感想文ですら要求されます。私も中一の時、(授業で)教えた答えと違う、と感想文を突き返されたことがあります。感想文って自分の感じた感想を書くんじゃないの?と思いましたが、言い返す事ができませんでした。ただ、言い返したら、反抗的な生徒として目を付けられていたかもしれません。それから長い間、私は本音が言えなくなりました。ある日、息苦しさの元を手繰り寄せると、中一に行き当たりました。もちろん、先生は教育指導要領に則って正しい答えを教えようとしたにすぎません。逆に大人になるとオリジナルが求められます。矛盾しているな、と思いますが、鈴愛も律も自分らしい生き方に辿り着いて本当に良かったです。
創造は常識にとらわれない自由の翼だから、私は鈴愛に希望を感じていたのかもしれません。
これが構想5年と知って、のけぞった。
行き当たりばったりの極地のようなこのドラマが?
すべてを肯定的にとらえようとする人は批判や否定も肯定しようとします。だから自己犠牲的に苦しくもなります。自分と他者とのバランスは本当に難しいです。
確か、鈴愛は、かぐや姫の幸せを祈る両親の清々しい気持ちに変換し、フォローしたように思います(うろ覚えです。間違っていたらすみません)。
大人になった律にも、律する、と言う意味を、リズム(調和)に変換しました。
そんな発想の転換も好き(希望)でした。
リズム=調律 でした。
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