




![]() |
5 | ![]() ![]() |
1873件 |
![]() |
4 | ![]() ![]() |
341件 |
![]() |
3 | ![]() ![]() |
218件 |
![]() |
2 | ![]() ![]() |
260件 |
![]() |
1 | ![]() ![]() |
1884件 |
合計 | 4576件 |
10:47:36さん、全く同感です。
全体を通してストーリーがちぐはぐだったという印象です。
題材はよかったし、田舎の風景やそこに住む人々の素朴な暮らしも良かった。
でもストーリーがちぐはぐ。みね子は高卒なのに中卒の子と同じ職場で働く。高度経済成長の光と影を描くならみね子も中卒にしないと。高卒で工場勤めの子が絶対にいなかったとは言えないけれど、なんかしっくりとしない。
実さんが女優の家に寄生してたのも、そこに男女の関係がなかったように見せるのもちぐはぐ。
役者さんたちはみんな良かったのに。
>あさが来たも(中略)名作にならないということですか?
「あさが来た」は紅白で特別待遇だったけど。
別の脚本家がスピンオフを書いた「花子とアン」「あさが来た」は本編とは全然違ってつまらなかった。
スピンオフのあるなしがどうしたというのか。
ここはドラマの感想を書く場所です。
この話はお茶の間でして頂きたい。
実と世津子は男女関係にあったと見るべきでしょう
今週土曜日午後6時ににNHKFMで放送予定の「岡田惠和、今宵、ロックバーで」での岡田さんと「わろてんか」脚本家の吉田智子さんとの対談は吉田さんのツイッターでは既に今月23日に収録されてるんですね。
ツイッターのツーショットでは、岡田さんはいつもの眠そうな顔だが堂々の風格、吉田さんはうら若き乙女できれいな人ですね。
「大先輩」と岡田さんをリスペクトされてる感じで謙虚な人だと思います。
それはそうと、林真理子さんとの同番組での対談で知りましたが、岡田さんにとり、ほぼ同い年の現大河「西郷どん」脚本の中園ミホさんは脚本家歴はずっと先輩で脚本協力もしたことがあったそうです。
岡田さんと吉田さんとの対談、これは見逃せません。
「ごちそうさん」森下佳子さんの時のような面白い発言が出るのか、楽しみです♪
14:23:46さんへ
>自ら関係ないこと書かれてますね
事実関係の誤りの訂正は問題ない、と規約にも書かれてますが、何か?
みね子は島谷さんと別れてからよくもまあ
あれだけ短期間でヒデと付き合えるもんだ
すぐ乗り換えたもんね、男の間口を開けていたんだと思ったよ。
とにかく終盤は、恋バナばかりだった。脚本家が役者のために良かれと思って、あえてそうしたのでしょう。
真面目なお付き合いなら、いいと思う。
ヒデ君とは職場でずっと一緒だったから良さもわかっていたので、寄り添ってくれたヒデ君と付き合うのも無理なく自然で良かった。島谷さんよりお似合いの二人だった。
お似合いと感じるかどうかは、人によって感じ方に違いがあるのでは?その役者のファンかどうかによっても。
あの時島谷ロスがファンの間にあって、ひょっとしたら、とと姉ちゃんのようによりが戻るのではと期待した島谷ファンはいたかもしれない。寄り添ったからと言って三男は最後まで時子には片思いだった。みね子の周りに3人も男はいらなかった。だれか一人の恋を成就させてくれたほうが見やすかったと思う。
宗男おじさんが舌なめずりして見たがってたビートルズ公演見れなくて残念だったねー。今振り返っても違和感数えあげてもキリがないドラマだったっぺ。
ある意味昼ドラの延長みたいな所もありましたよね。くだらない恋バナ恋バナ、もっと懐かしい昭和の原風景が見たかったのです。
だから個人的に、後半よりも、何といっても前半が、ドラマとして感動した。それこそ笑いあり涙ありで。
デビ夫人は中卒で働いて月給6000円、父親が亡くなり定時制高校をやめてナイトクラブで働いたらしい。みね子より年がずっと上だろうけど昭和の貧困は厳しいものだった。高卒なら工場に行かずもっと割のいい仕事を選んだのだ。
現実味のないひよっこは楽しかったけど、経済成長期の裏側は描けていなかった。
>お似合いと感じるかどうかは、人によって感じ方に違いがあるのでは?
自分の思ったことを感想として書いてます。
皆さんそうでしょう。
絡まないで下さい。
みね子の就職は、ある意味しょうがないのではないか。なにせ急に決めたことだから。時子も就職よりも女優になることが主眼だった。お互いあの設定は仕方のないこと?
集団就職を書きたかったのはわかります。上野駅再現して大勢のエキストラを使ったのだから。でも、あの時代の集団就職を知ってる方には違和感があったのです。
事実関係を無視して批判のための批判するのはやめたら。
みね子が島谷君と別れる。冬
高子の結婚
父親の発見
世津子の救出 夏
半年間の世津子のあかね荘での暮らし andヒデとの恋 春
15ヶ月くらい過ぎている。
みね子の世代にとってこの期間は普通だろう。
上野駅の壮大なスケールシーンは緻密かつ繊細で🚉岡田監督始め製作側・作り手の心意気とやる気を強く!強く!感じた名場面でした‼️
ひよっこは四年間の物語を丁寧にしっかり描いた,素晴らしい名作品でした。この様な質の高い朝ドラにめぐり逢えて幸運でありとても幸せでした(^^)🌟🌟🌟🌟🌟
その間にヒデとみね子は節子の救出劇をやったりして、とても仲が良かった。ヒデの中でずっとみね子が好きだった。であるからして、夏くらいから二人の気持ちは近づいていったのではないだろうか?うろ覚えで書いてますから、違っていたらごめんなさい。
私もです。私にとっては最高のヒロインであり朝ドラでした。
モデルがいる朝ドラより、オリジナル作品がいいなって思います。
何だか楽しみが広がる感じがするので。
4月からは北川悦吏子さんのオリジナルストーリーなので楽しみにしています。
お返事が欲しくない方だったら御免なさい。
ヒデがわざわざ佐賀まで出向いて島谷に会いに行ったのは、裕福な家の大学生と見習いコックという境遇は違っても、ヒデと島谷が同じ年頃で、同じ頃に地方から東京に出てきたということが切っ掛けで親しくなった友人同士だったからです。
島谷は、ヒデが勉強好きで、本当は大学に進学したかったものの、経済的事情であきらめなければならなかった事実も知っており、自分の境遇を受け入れ、仕事に頑張っているヒデを尊敬し、お互い立場は違っても励まし合っている仲だとみね子に語ったことがあります。
ヒデがみね子に告白すつもりだと島谷に義理立てして挨拶に行ったことは、ヒデの島谷に対する誠実さであるとともに、島谷の恵まれつつも不運な境遇と複雑な気持ちを案じての事だったと思います。みね子のお相手がヒデなら、島谷は苦しいながらもみね子を諦め、自分の結婚を受け入れられたのではないかと思っています。
みね子は綿引さんと結ばれるのが一番ベストだったのだろうけど、一捻りして秀と結ばれた。それはまぁ何とか理解出来たのだけど愛子さん、高子さん、早苗さんはナイナイだったねー。ありえないでしょ。フツーあんなに安直に。あれで三人の良さが⤵️⤵️⤵️
三男にしても、時子と結ばれるのがベストだったろう。みね子も三男もごくごく普通の現実的な道を選んだということでしょうか。
みね子&時子&三男の奥茨城三馬鹿トリオ元気かな〜?
ちよ子と進も毎日元気に〜奥茨城村の小学校と中学校に通ってるんだろうな〜👧👦🌸
二人に会いたいですね~
めちゃくちゃ可愛かったもん。
早苗さん、高子さんはご愛嬌として、省吾さんと愛子さんはストーリーとして伏線と必然性がありますよ。
みね子が初めてお皿を割ってしまったのは、省吾が料理が溜まるのを嫌がって、早く持ってけ、と怒鳴りつけてしまった時でした。
その時、省吾が軍隊時代の話や、修行時代の話をします。
弱い者がより弱い者を殴りつける。それがたまらなく嫌だったと。
そして、愛子さんの過去は幸子と優子から語られます。
元々ライン工だった愛子さんは不器用で、周りから罵詈雑言を浴びせられたり、蹴られたりと酷い扱いを受けたけれど、弟や妹を養うためにじっと我慢をしていた。頑張っている人をちゃんとお日様は見ていると言う愛子さんは、舎監に立場が変わっても仕事のできない新人を怒鳴ったり、叩いたりせず、「大丈夫 その内できるようになる。」と励まし、乙女達の就職先が決まるまで自分の就職は手をつけない先輩だった。
つまり愛子さんは省吾が望んでいる人間性を持っている人だった。
「私には幸せしかこない。もーすごい事になってしまうのよ」と愛子さんが言っていた通りに幸せなれたということはみね子達にも励ましになったんです。
このドラマの中で愛子さんの存在意義はとても大きいと思います。アカデミー助演女優賞を受けましたが、プロの方々の評価が高いのも納得です。
ヒデが島谷に会いに行ったシーンを入れたのは、島谷のその後を描くためもあったでしょう。それにしてもあの当時は佐賀まで行くのは簡単じゃなかったよ。
>みね子は自由な恋愛ができる立場で島谷にお説教
みね子は自由な恋愛ができる立場だったとは言い切れません。島谷が家の存続で自由な恋愛ができなくなったように、みね子も島谷を諦めねばならない立場でありました。それは、彼女もまた、仕送りして家族の生活を支え、家の存続を背負って生きていたからです。なので、みね子は、自分が経済的に相手を支えるという恋愛は出来ない立場でした。
島谷とみね子の恋愛には、其々の立場や背景の対比や格差が複雑に絡み合い、考えさせられる要素がたくさんありましたね。みね子と島谷のデートでは、大学のキャンパス内で出くわした島谷の知り合いの学生たちに「つきあってるの?どこの学部の子?大学生じゃないんだ…。」と表層的で残酷な価値観にもみね子は曝されました。委縮するみね子を島谷が困惑しながらも庇っていたのは二人の心の内が良く描けていたシーンの一つだったと思います。
当時竹内涼真は多忙で、途中で出なくなることはシナリオの段階ではっきりしていたはず。これは初めから織り込み済みだったわけだ。どんな形にするかまで決まっていたかは不明だが。秀が佐賀に乗り込んでいき、しかもとんぼ返りみたいな往復をしたことについては他の感想書き込み欄で論争になったが、相当に無理がある設定なのだけは間違いない。
私も綿引さんとみね子が結ばれるのが一番納得というか、みね子が一番幸せだっただろうと考える派です。
綿引さんが東京を去る時に乙女寮コーラス部で合唱されていた曲は
「恋は優しい野辺の花よ」
でした。「 疑いの霜を冬にもおかせぬ」という歌詞で綿引さんを比喩しているんですがこの曲のフランス語の元の歌詞には
「愛の蕾に誠実の花が咲く」
というフレーズがあるそうです。
一生懸命、東京を去る直前まで実を探してくれた綿引さんでしたが、きっとみね子を好きだったんでしょう。
みね子に「好き」と告げる条件として 実さんを見つけ出す 事を自分に課していたというのは考えすぎでしょうか。
綿引さんもきっと地元茨城の高萩に帰られて,お父様の後を立派に継がれ,素晴らしご縁に恵まれて,幸せに暮らして居ると信じています‼︎みね子の母〜美代子が初めて東京に上京して日比谷警察署を訪れた時に,廊下で〜綿引さんが美代子に対して,同じ茨城県人じゃ無いですか!いばらぎじゃ無くていばらきと。あれから綿引さんは本当に警察官としての責任と信念,同じ茨城県人として様々な想いを抱いて,谷田部家の為に一生懸命父実を探してくれた。本当に優しい素晴らし人だった。みね子がもし奥茨城に帰る設定なら,綿引さんと結ばれていたかも知れないけど,東京のすずふり亭に残り,第2の故郷〜東京赤坂の地に腰を据えて生きて行く設定だったので,同じ職場のヒデに心惹かれたみね子の気持ちは,ごく自然な事で自然な流れで,佐賀の実家から仕送りを受けてまだ自分の力で稼いだ事の無い大学生の島谷さんよりも,(結婚指輪は親の仕送りをで購入するのでは無く,自分の力で汗水流して稼いで想いを込めて心を込めて本来贈るもので有るべき)だからコックとして腕を磨き修行に励み,自分の腕と力でしっかり将来を見据えて稼いで居るヒデに,結果的に両想いで結ばれた事は一番幸せな事だったと思うしベストの選択だった。みね子も賢明な判断をしたと俺は思います。追伸→綿引さんも島谷さんも心優しいじつに素晴らし人だった。
実と世津子の関係が嫌らしすぎて朝ドラとしては
不適切な内容であった
大阪の北部では今、嵐の後の虹が見えています
ふと 乙女寮の女の子達を思い出しました。
大学のキャンパス内でデートしてたら普通は同じ大学の学生だと思われます。どこの学部なんて聞かれるのはあたりまえです。表層的で残酷な価値観などどこにもありません。むかしの慶応なら女子はめずらしいので興味本位で見られるはずです。
ここを読んでいて、今の若い人に昔は自由な恋愛ができなかったと思われるのが嫌です。戦後はかなり自由になったはずです。政略結婚をしないと会社が潰れるような描き方はどうなんでしょう?
みね子が自由に恋愛して最後に幸せに向かったのは良かったです。
一見、大学生にとっては何気ない自然な質問に思えるからこそ、失踪した親を探しながら家に仕送りをせねばならないみね子にとっては、表層的で残酷な価値観なのです。みね子が大学生でないと分かった途端、ばつが悪そうに彼らは去って行きます。そのことこそが、表層的で残酷な価値観なのです。
女子学生のみならず、今より大学生の数が圧倒的に少なかった時代だからこそ、大学生という社会のヒエラルキーや優越感が顕著だった時代です。島谷は4年生で、付き合っていたのは秋~冬なので、大学内の数少ない女子学生なら同級生も全学年の顔を皆把握している位でしょう。同じ時代を旧帝大で過ごした母や伯母たちが、「女子はみんな顔を知られているから講義を休むと教授から「お風邪でしたか?」と聞かれちゃうのよ」と私の時代との違いを話しています。だからこそ、「あれ、珍しいね。どこの学生?」と聞かれていたのです。ついでに言うと、労働着であるジーパンで講義を受けるのを良しとしない教授もいらっしゃったそうです。今よりも、ヒエラルキーの線引きがハッキリしていたと思います。
また、今と違って昔は自由な恋愛ができなかったのではなく、いつの時代にせよ、皆それぞれの事情があり、誰しもが自由な恋愛ができると思うのはどんな時代においても幻想だということです。好き勝手に自由に恋愛し、結婚・離婚することが出来る人もいますが、そうでない人も沢山います。現代でも、政界、財界では政略結婚なんて当たり前のように幾らでもありますし、親の介護や、長らく続く経済の低迷で仕事が安定しない人や、給料がなかなか上がらず結婚できないという人など、個人を見れば、様々な理由で自由な恋愛が出来ないと感じる人も少なくはありません。
あれ?もしかして、昭和52年くらいの 関西にある旧帝大ですか?
私はその当時、同じキャンパスで学んでいて、文学部だったかで発生した同学年の女の子が発端になったジーパン論争を興味を持って観察していました。
あれは、ヒエラルキーというよりは、ジェンダー問題だったように思います。「女性は、スカートをはくべきだ」という旧時代人の固定観念の問題です。
たまたまジーンズを着用した女学生の受講を拒否したのが、白人のアメリカ人講師であったため、まるで、文化を守る人のように持ち上げられたのですが、今の価値観で言うとバカげた話が、その当時は真剣に新聞などで語られていました。 でも、学内ではさめた目で見ていました。
私はジーンズをはいて講義を受けて教授に嫌味を言われた年代です。自由な恋愛とは何か?これはお茶の間談義ということで。
03-01 10:15:46です。母や伯母たちの話は、昭和52年よりずっと前の事です。島谷より世代は上です。当たり前ですが、当時はジーパンをはくような女子学生はいませんでした。そもそも、レディースのジーパン自体が70年代の途中まで存在して無かったはずです。
教授は日本の方で、ほぼ男子学生しかいない講義中に余談として「近頃は、よその大学では労働着のジーパンで講義を受けるという学生もいるようですが、あれは感心しない。」と教壇でお話しされたそうです。今とは違って、ジーパンは学問を修めるという真剣な態度に相応しいくない服装だったということです。
母や伯母たちは、戦中に生まれ育った世代ですが、戦中はあれだけ外国語統制が厳しく海外渡航もほぼ禁止されていたのに、戦後のキャンパスでは、海外に行ったことが無くても英語がネイティブのように堪能な学生やフランスに行ったことが無くても裏路地の様子まで見てきたかのように詳しい学生がいたと驚きを持って常々話してくれていました。インターネットどころか書籍すらも今よりずっと限られていた環境においても、当時の学生の質は少数精鋭で今よりも高かっただろうと思います。父の私立中学の卒業アルバムには自作の漢詩を添えている男子学生(女子ならまだしも)が沢山いることからも、当時、経済だけでなく、教養という点でも国民の中に格差が激しかったことが伺えます。
太郎と高子の恋バナは、ご愛嬌、喜劇的でドラマとして面白かった。早苗の場合は、いくらドラマ、作り話とはいえ、突拍子もない展開だったと思います。
みね子は向島電気倒産してすずふり亭で働き始めてから給与激減したはず
なぜ急にお洒落な服装したり月時計でジュース飲んだり出来たのですかね
脚本が可笑しい
みね子以外は皆自由に恋愛して結婚していた。
訂正
みね子も自由にいくつか恋愛して結婚相手は自分で選んだ。
みね子もだけど、愛子さんが幸せを掴んでくれたことが本当に嬉しくて。
切ない気持ちになることもありましたが、見終わると幸せな気持ちになれた朝ドラでした。
愛子さんはそそっかしくておっちょこちょいで、そのためにできの悪い後輩を擁護することを知っていた。優秀過ぎる人はできるのが当たり前でここまではできなかったはず。そういう人を首にすることなく雇い続けた向島電機は本来は温かい会社だったはずだが、それが原因で潰れてしまったのだろうか。
それにしても、小田原の弟の家に居候している間ベッドを使い続けていたのだろうか。この弟は姉に恩義を感じてそれを許したのかもしれないが、運送料だけでも馬鹿にならないと思うけど。
スポンサーリンク