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漫画家ふたりをみんなが心配してくれてよかった。現代だったらたった3日くらいと心配してくれないかも。近所どうしは助け合う長屋暮らしの精神がまだ残る時代なんだろうな。
部屋に入った富さんたち、書き置きでもないか探したんだろうけど、自分たちを描いた漫画があったら思わず見入ってしまうよね。それにしても漫画に早苗は出てこないのか。早苗は怖いから出さないとしたら気持ちはわかる。
偶然お昼を食べたお店でついていたのですが、つまらなさすぎて衝撃…
脚本がひどすぎますね
ノリも寒く、出演者の方々が可哀想だと思ってしまいました
毎日楽しく観ています。
目立たない主人公、会話中心のドラマであることなど、わかっていながら全否定されるのもご意見だと思います。無視するよりも善いことかも知れません。
元治への上から目線、島谷にあこがれる表情、唐突なみねこ呼び捨て…、ヒデのいくつかの挙動不審から次のことが推測される。
かつて、ヒデは元治に告白されたことがあったが拒絶した。
だがここで、この時代理解されづらい同性愛の自由を学び、忍ぶ恋だった島谷への愛を告白する。
これは拒否され、あかね荘を飛び出す。
その後も島谷を想っていたのだが、彼が去った後は、島谷の女だったみねこに変質した愛情を感じ始める。
辻褄は合うが、まさか朝ドラじゃね。
これからラストに向けて一層面白くなりそう。
みね子とヒデくんの関係にもやっと進展があるのかしら。
みね子はヒデくんの好意には全然気付いていない様子だったから
どうするのかなって想像するだけでも楽しい。
島谷くんとはもうほんとに終っちゃったのかな・・・
もしそうなら、私はヒデくんと結ばれて欲しいな。
ヒロインだし、みね子にも幸せになって貰いたいもの。
岡田さん、期待してます!!
156話もあるのに1話だけ見て感想書く人もいるのね。衝撃だ。
それもドラマの見方と言えば見方か。
15分だけ見て作品の批判するなんて自分には絶対無理だけど。
あたしが男だったら、あんなに人によって態度がコロコロ変わるみね子なんかとても好きにはなりません。最近いつもむくれていませんか?爽やかさの欠片もない!オーラが1つもない。
実さんが強盗被害に遭ったと解った時、綿引さんは茨城県から東京まで直に教えに来てくれた。
他人でも、そうすべきだと思ったから、手紙や電話じゃなくわざわざ来たんでしょう。
お父ちゃんが見つかった、でも何だかややこしい。
手紙なんかでは無理ですよ。
どんな文豪でも、あんな状況を文章になんかできない。
書いてたら、やっぱ無理だってなると思うんだけど。
相手の反応を見ながら、落ち着いて話さないとって考える。
だいたい、みね子からして外に飛び出して、真実は良く解って無いと思うけど
もう一度、会って2年半の事を詳しく聞いて、やっぱ直に母や祖父に伝えるべきでしたね。
何かその後、世津子さんの手がみで、知り合いの医者にどうのこうのとありましたが、
そういうことも聞いたうえで、家族に伝えないと。
たった数分の再開で、少しだけ話を聞いて、失踪~2年半を何を伝えるんだ?という疑問もありました。
あれで伝えるべきことを手紙にできるって、みね子は小説家になれるよ。
確実に岡田さんよりは文才があるわ。
先週と今週(まだ2日ですが)は本当に何も心に残らない内容でした。夏休み中の子供が「これ何が面白いの?」と聞いてきます。面白くないよね、としか言えませんでした。
由香がちょっと話があるみね子を誘ってから、なが~い夜が終わって
ほっとした。四~五日かかった。 寝静まっているときに、大声で
歌うのは、近所迷惑だろう。なんでヤスハルは夜中にギターを引くのか・・
まあ近所と言っても、アパートとすずふり亭と中華屋さんぐらいとは思うけど。
省吾と鈴子さん、中華屋さんは、うるさいーなあって,,それか、慣れているのか。
夜中に大声で 若さゆえ 苦しみ 若さゆえ 悩み~を歌わなくてもと思った。
みね子、、地味かな・・漫画の主人公になるし、地味じゃないと思うけど。
愛子さんはかわいく描かれてもいいんです。漫画を買う人は少なくともアパート
住人の5人はいる。
何もないんだなーってことは分かるような気がするけど、田植えの次は稲刈りかな。
ここは田舎に帰って父ちゃんの記憶を呼び戻す努力と、田舎で恋人を作ったらどう
だろうか、・・田舎は早く店が閉まるし、田舎へ帰りずらくなってきたかな。
赤坂に来てから、みね子が行った店は月時計と喫茶店ぐらいしかないと思うと
寂しい。もっと時子と早苗さん愛子さんと出かけたらどうだろうか。
ヒデがやたら強気になってきた。なにか意味がありそう。
歴史ある「朝の連続テレビ小説」だけど、
そろそろ方向転換して、3か月スパンで年4本放映したらどうかな?
こうまで早く終わって~と思うドラマが三作続くとああもう…
でも、朝が来たとかあまちゃんとか半年間楽しませくれた、
良質の長編小説もあったしなあ…社会現象にまでなったし。
とにもかくにも、脚本家だけは慎重に選んだ方がいいかも。
(日曜夜から今だ心に響くドラマを魅せてくれた脚本家がいるのですから)
勝手に他人の部屋に上がり込むのは未だ良いとしても
馬鹿にしたり貶めたりと酷すぎます。
他人に対する最低限の敬意というものがありません。
一体、この女たち何様のつもり!
脚本家の猛省を求めます。
みねこ入居時にあいさつで渡した饅頭を見て「1週間ぶりの食事」とか言っていたが、相方も長い間富山におって姿無しを含め何を今さら感。
今思っている事は、このドラマにはゴーストライターを含めて5人くらい脚本家が居るんじゃないかという事。
矢田部家の借金はどうした、みのるはもう出稼ぎに出なくてもいいのか、爺ちゃんから貰った1万円は、に始まり、未回収、不整合、時系列のいい加減等々が多すぎ。
ドラマのストーリーは諦めた。
ただ、全く興味の持てないみね子の恋バナや、何かにつけまとわりついてややこしいだけの赤坂編のメンバーの顔なんかを見てるより、せめて奥茨城の自然の中で穢れのないちよ子と進の姿を見ていたい。
そしたら☆1→☆2に変更する。
あのアパートの裏は静かなようだけど、みね子が引っ越してきた番、あまりに賑やかで戸惑っているシーンがあった。つまり静寂な住宅地などではないのだから、ギターの音なんか気にしないくらい神経が太くないと暮らせないだろう。
みね子とひで君の恋バナですか。ヒデ君はみね子の事を前から好きだった様子は描かれてますがみね子は眼中にない感じでした。少しずつ気持ちの変化があるんでしょうか?そういえば島谷君は突然居なくなったけどどこで何をしてるんでしょう。私、見落としたかな?佐賀に帰ったとかナレーションありましたっけ?
カホコは、演技が発達障害のようで嫌です。
かつての純と愛のように、出て来るキャラがみんな少しイカレテル感じ。
みね子は、最近意地悪になってきた。
偉そうになってきてる。お父さんと再会したあたりから。
漫画では、みね子は17~18歳、愛子さんは24~25歳くらいに見えた。愛子さんは永遠の乙女キャラで、この前の怖がっている様子もかわいかった。
愛子さんが影のヒロインと思ってみると面白い。
みね子の自虐ネタもよかった。
ヤスハルがみね子に一目惚れしてたはずだが
これも絡めてくるんだろうか…
そんな事より父ちゃんがどうなってるかの方が大きな問題だと思うんだが、
みね子に心配してる素振りは無く、
ヒデも、父ちゃんが見つかったからその問題解決だね、みたいなノリだった。
この世界の感覚が解らない。
裏庭で大声を出した宗男に近所迷惑だと言ったのはゲンジさんだけ。
由香が昔、早苗さんに、騒いでて怒られたのもあの裏庭だろう。
まあ誰も何の音も出してない場所で大きな音を出せば
怒られたり何事かと騒ぎになるのが当たり前だわな。
もっとちゃんと怒られて欲しい。
辛辣な批判でありながら、★5が続いているけれど、
どう解釈していいの?(笑)
みね子に可愛気が無くなったのは、ここでは成長と見ていいよね。
そうじゃないと、恋愛みても面白くなさそうだ。
地味なみね子可愛いっぺ。しゃしゃりでる子より、よっぽどまし。
実が奥茨城に帰ってからと言うもの、先週の木曜日から、一晩の夜の出来事を5日間にわたって見せられました。
どう考えても、そんなに時間をかける必要のある内容だとも思えません。
そんなに時間が余ってるなら、先週いっぱいかけて、それこそ丁寧に奥茨城での家族の再生を描けば良かったと多くの視聴者は思ってると思います。
漫画家が3日家を空けただけであれだけ心配する人たちを人情豊かと表現するなら、夫が行方不明になって妻は一度しか上京しない妻、綿引に丸投げでほとんど捜さない娘、ビートルズ目当てでしか上京しない弟は薄情とか非情と表現されるべきじゃないんでしょう
か?
どうも私には馴染まない世界です。
当時は漫画を読むのはほとんど小学生以下だったはず。みね子の漫画は少女向けなのだろうか。それにしてはヒロインの年齢が高すぎるようにも思えるが。
「もりとんかつ、泉ニンニク」
みたいに、
「若さ ゆえ 苦しみ 若さゆえ 悩み~」
「バカさゆえ 苦しみ バカさゆえ 悩み~」
は50年前に実際あったギャグです。岡田さん凄い。
あのころも「ゆえ」という言葉が古すぎて、「古式GS」みたいに言われてました。
荒木一郎さんの曲も渋かったです。
ただ、ドラマそのものになんの影響もないんですよね。
というか、どんどん冷めて引いてゆく…
今日の中だるみ発言で、岡田さんは、自分に、「違うだろおお」と叫んだ後に入院した脚本界のとよたまゆこみたいになってしまいましたね。
昨日は21・2%で遂に平均視聴率19・99%になりました。
いよいよ20%に王手です。
最後の秘密兵器ミニスカートの威力で20%越え間違いなし!
ミニスカートはまだか。
昨日も今日もミニスカートのミの字も出てきてないぞ。
ど~~~なってんだ、岡田!
私もそう思います。せっかく東京に出てきてすずふり亭にもアパートの大家さんにも挨拶せずに特別急いで帰らなきゃいけない用もないのに逃げるように奥茨城へ戻った美代子なんて人情のかけらもありません。とってつけたように人情、人情と言われてもえ~!どこが?って思います。
やはり心で行方不明の父に語りかけ、せっせと労働仕送りも抱えてた環境から、今や父も見つかりガラリと変わっても、はたとなるよね!
終わってほしくない!
ひよっこ、おもしろすぎます。
「宮城県の壇蜜さん動画。幅広い認知は取れても、幅広い納得は得られたのか。公共の前提は市民や納税者の幅広い納得だろう。その点は自発的な資金獲得を行う民間事業者と、強制的な税徴収による資金獲得を行う行政との大きな違いだ。納得はなくても認知さえとれればいいという発想はこの前提を無視してる 。」
以上は、
問題となってる宮城県のPR動画の件での、とある大学教授のコメントです。
これは、ひよっこ、朝ドラにも言えることだと思います。
私も、ドラマなので細かい矛盾点は、そんなに意識しません。
しかし、どう考えても設定がおかしいと、納得できない。
小さな矛盾なら、俳優さんの演技や練られた脚本であれば、納得できます。
しかし、ひよっこは設定が矛盾だらけ、俳優の演技も力が入っていない。
脚本・セリフは薄っぺらい。
見ていて納得できない。
なぜ見てるんだ?という事にありますが、40年以上、欠かさず見てる朝ドラファンだからです。
ひよっこ 最高です。
みね子と島谷さんかひで君
愛子さんとシェフ
三男と米子さん
みんなが幸せなりますように。
いくら岡田ファンとは言え、いやだからこそ、作品の評価は是々非々でしないといけないと思う。
自分は、今のひよっこの状態には全く納得できていない。
楽しみにしてただけに、とても残念だし悔しい。
わたしはこのドラマは実が発見されるまでは
たいへん楽しく視聴していました。
でも、今は見ていてイラっとくることの方が多いです。
ですが、最初が良かっただけに、
途中で視聴をやめるという事がどうもできません。
最初から面白くなければとっくの昔に視聴は中止したと思います。
半年もある朝ドラ。
数か月も視聴を続ければ、ある日突然面白くなくなっても、
見るのやめようと思えないのもまた人情だと思いますよ。
朝ドラ視聴が30年以上習慣になっている年配者の知り合いは、
会うとここと同じような批判を言っています。
朝ドラを見ないという人から「ならなんで見るのか?」
と聞かれたら、
家族で文句言いながら見るのが楽しい。
1時間のドラマだったらとっくの昔に見るのやめてるけど、
一日15分だから、どんなつまらない朝ドラであっても、
30年以上必ず見続けている。そう仰っていました。
面白くてもつまらなくても、様々な人が見ていて視聴率が高い。
実はこれは大変凄いことであり、
国民的とはそういうことなんだと思います。
誰も漫画家たちを心配してないよね。
しかも夜中何時なんだ?帰ってきたんだから早く寝ろよ。家捜ししたことは謝れよと思った。
実との再会と帰郷で一区切りついたためか、先週から一気につまらなくなりましたねぇ。 世津子が再度出演らしいので乞う御期待ということかな?
ひよっこみないと1日が始まらない〜
念願のヒデがいよいよかしら。
やめるなよなんて言ってくれる人が自分にもいたならば…
他のドラマは観ていないけれど、ひよっこだけ観ている知り合いの人と澄子が可愛いねと言い合っています。またあかね荘に遊びに来てくれると嬉しいです。
ひよっこの批判されているところが気に入ってたりします。ここまで毎朝楽しく観ることが出来て私はラッキ―でしたが、やはり実さんの記憶が戻ってくれたらなと思います。
そしてすずふり亭に重箱を返して貰いに谷田部家全員で行って、みんなですずふり亭のお料理を食べて欲しい。
それが私の願いです。
ヒデさんなら、離れていても家族のことが気になるみね子の心中を察して、「奥茨城へ帰りなよ。家族のそばにいて助けてあげなよ」という言葉をかけてくれるものだと信じていました。
ヒデさんの「すずすり亭、辞めるなよ」は、ヒデさんという人物が自発的に発した言葉とは思えず、東京のみね子を描くために、脚本に言わされた感じがしました。
よく小説家や漫画家は、登場人物が勝手に動いてしゃべりだすと表現することがあります。ヒデさんの人となりを考えると、たとえ今みね子に想いを寄せていたとしても、みね子の家族思いのところ、そして離れて暮らす家族のために、そっと彼女の背中を押し上げる人物だろうと思うのです。自分の欲求や気持ちよりも、相手をの気持ちをまず考える、それこそがヒデさんではないかと。
脚本家の都合に合わせて話す操り人形のようなヒデさんには、魅力がありません。
丁寧に描かれ、役者さんも丁寧に、そして見事に演じてきたのに、今日は言動の根幹となるものがわかりませんでした。
個人的には、みね子は奥茨城に帰って、家業を手伝い、代わりに美代子さんが自宅から町の洋裁店に勤める。というストーリーの方が自然な気がするし、残りの一ヶ月は奥茨城の美しい自然やらを見せていただきたいです。
茨城は素敵なんですよ、本当に。
みね子にはせめて奥茨城で恋をしてほしいです。
ヤスハルの歌とギターの下手さ加減がちょうどよいと思います。
ボロアパートの前で、あまり上手に弾き語りされると白けます。
彼はプロじゃない。和菓子屋だけに「アマアマ」なんです。
すみません。お義父さんのセリフをパクりました。
ヒデ、なんか気持ち悪いですね
とーちゃんを襲ったのが実はヒデだったなら
純と愛さえ超えられそうです
今日もひよっこに対して,賛否両論,叱咤激励,色々有ったけど、皆さんの愛のムチだと受け止めて,明日からも,ひよっこ&みね子〜遠く奥茨城からも〜応援してっから‼️〜がんばっぺね〜🐥🐓🌠
一晩が過ぎるのに
先週木曜日から今日まで 一晩の出来事を、月時計会議3話+漫画家の部屋の捜索2話でもかける
悪い意味で歴史的な作品だと
これだけ実の無い脚本を書くぼけ老人を大御所として起用している
まさに忖度の世界のNHK
5日連続で住宅地でコンサートを開催しても苦情0が通る不思議な世界観と歌っている人は、大物の息子という、忖度の賜物
こんなくだらないもののために視聴料金を取られているのがすごい
バカバカしいわ(呆笑)
私は興味がある朝ドラしか見ません。朝の忙しい時間帯に無理してみる必要もないし、録画して見るにしても時間がかかるのは同じ。評判を聞いて途中から観出すこともありますし、評判が高くても自分が興味が持てない物なら見ません。「面白くなくても習慣だから見続ける」なんて信じられないです。
次作は興味が無いので初めから見るつもりもありません。
第19週「ただいま。おかえり。」
「私はどんな人だったんでしょうか?」で始まる。他者を通して自分が何者かを知る。実もみね子も内面を再構築して新しい関係を築いていく。
実には夫と呼ぶひと、息子と呼ぶ人、父と呼ぶ人、兄と呼ぶ人らがいて帰るべき場所、家があると知る。
みね子は鈴子さんに「(実が)生きていけるか見届けておいで」と送り出された。みね子は自分が実をみつめる視線が、実が幼く頼りなかった自分をみつめていた視線と同じと気づく。わが子が生きていけるか?父母はそのように自分をみていたと。実を通してみね子は自分の内面の変化と成長を実感する。親と肩を並べる姿は頼もしくなっていた。
みね子は帰郷の晩は家父長として「いただきます」を言い、帰京の朝は美代子に言うように促す。偉ぶらず、こだわらずリベラルな風を奥茨城に吹かせた場面だった。農村の無自覚、無教養だった娘が東京で得て故郷にもたらすものはお金ばかりではない。
実はまだ実感を持ってただいまを言うことができない。みね子は実感をもってただいまを言うことができる。ご苦労様、頑張る、女は強い、血肉となった言葉がリフレインされる。みね子のらしさは同一のものとなり谷田部みね子は谷田部みね子になって、帰るべき場所、家に帰る。
画でみせるために台詞は抑え気味にしてフラッシュバックを多く用いた。眼の表情で戸惑いや気遣い、信頼など感情表現と、手などを使った動作表現で家族間のコミュニケーションを繊細に描写した。画に力があり語るよりも雄弁で説得力があった。空間の余白が詩情をそそり、時間の余白には感情が流れていて映画的だった。星5つ
みね子も怒ればいいのに。地味だとか言われてまで、漫画の主人公にしないで
くださいとか、、でもまあ・・漫画家が嬉しそうだったし、勝手に書いていると
思えば許せるかな。自分で盛り上げるみね子になって欲しいなあ。いままでは、
なんとなく周りがよいしょしてくれた。
漫画家とヤスハル、あんなに楽しそうに歌ってたのに、
たこ焼きパーティに招待してやれよ。
気の毒すぎて笑ったよ。
第20週「さて、問題です」
「存在と時間」を本に落とし込み一週間を構成。人物の内面を掘り下げていく。谷田部実が谷田部実になろうとするのと同じ。ひとは日常のなかで自分が何者かを忘れている。挿話と回想をコラージュしてみね子と由香が何者か問うのがメイン。劇中の語をつかえば経済観念と固定観念を軸に二人の相違と相似を浮かび上がらせる。人は環境(社会、制度、家庭など)を内面化する動物であり、ある種の観念に縛られ囚われる「不自由」な姿もみえてくる。
哲学の問いにはクイズの解答のような明快さはない。どちらの生き方が正解ということでなく、こうあるべきという強い主張もない。人の有り様、社会の有り様をそのまま描いている。徹底したリアリズムで分かりにくいものを分かりにくいままに表現、台詞でもそのように言わせて分かったつもりにさせない。
「何となくわかる、何が分かるのかと言われたら分からないけど、気持ちは分かる、分かる気がする、ただ面倒くさいとは思う」「何となく解決した」という台詞のとおり。すっきりしない、もやもやする、わからないが正解と言える。
みね子はどんな人物か?
社会的に余剰が生まれる時代、重厚長大を高らかに謳う世情でみね子は足下を見つめる。農を基礎におくみね子は累乗的に果実が大きくなる、増えることに馴染みがない。実を大きく増やしていくには「ゆっくり」「時期がきたら肥料」のような地道な努力しかない。それでも空梅雨や多雨などで努力は報われず不作となる。お天道様が財布に穴をあけることを肌で知っている。農村を離れ経済という名のお天道様の無慈悲さも向島で知る。CM出演のギャラは「労働の対価」としては大きすぎ素直に喜べない。このようにみね子はお金を「努力に見合った果実」と捉えているため、島谷との玉の輿結婚を嫌悪し由香のお金の扱い方にも執着する。堅実か堅物か。
由香はどんな人物か?
牧野家にとって由香の存在は、節子の不幸(過去)を日常に呼び覚ますと由香は思っている。いない方が互いのために良いのだと家を出た。良い娘でなければならない、笑顔でいなければならない、そのような観念に由香は縛られている。本質は演技するほど器用でなく自分が思うほど大人でもない。仔犬みたいに人懐こくて良い奴。アルバイトで稼いでいながらも家族やみね子の関心を惹くための道具としてお金を使う、寂しがり屋。
自分で自分を縛っているのはみね子と同じで、みね子も由香もお金を媒介とした人間関係に、感情の拗れが現れる。拗れの解消、自分で縄を解くことができるか?が物語の本筋にあたる。
副題として「頑張ってればいいことがある」「努力は報われる」を問い、板東英二の棚ぼた勝利と米子の屈折した努力を挿し込む。また自由に伴う責任と義務について触れ、稼ぐこと、仕送りすることを自由と同梱し、好き勝手(観念的な自由)と区別させている。ほかに比喩や隠喩、哲学ネタなど書ききれない。
存在やお金、努力や自由など抽象概念をあつかい会話劇も三日間やった。娯楽エンターテインメントとして厳しいのを承知でいかに見せるかに腐心したと思われる。動かないストーリー、動きの少ない画面だったが内容は濃く多かった。「みるために目を閉じる」言葉のとおりの内容だった。
色んな視聴姿勢の方がいるようですね。
私の朝は朝ドラが始まるまでに全ての家事、支度を済ませ、
朝ドラ視聴→あさいちの受けを見る→出勤。
主婦モードから仕事モードへの切り替えというか、
気分転換にちょうど良いんですよ。
ひよっこの感想ではなかったと思いますが、
時計代わりに見るという書き込みを見た事があって、
それに近いものがある気がします。
朝ドラに限らずドラマを途中から見ることはないですね。
面白さもつまらなさも、最初から自分の目で味わいたいです。
朝ドラはひよっこに限らず、突っ込みどころ満載だから面白いと思っています。
本気で批判したい人もいるでしょうが、
半分面白がってる人も多いように感じています。
私はドラマの変なところを発見するの楽しいですけどね。
自分で自分を「素直で良い子」と言ってる由香とか、
日常ではあまりお目にかかれない場面なので面白かった。
批判とはちょっと違うと自分では思っています。
毎回自分の好きな朝ドラなんて無理だと思ってます。
過去には大嫌いな朝ドラが何作もありました。
久々に大切に観たいと思う朝ドラに出会えて幸せです。
ひよっこ、終わって欲しくないです。
もう暫くは観たいと思う朝ドラには出会えそうにはありません...
時間の流れを半ば無視しつつ、少ないセットの中で役者さんが演技をするシーンが延々と続くことや、合間に野外ライヴで当時のヒット曲を挟んでくる辺りは、テレビドラマというよりは舞台演劇に近いものを感じました。
ツッコミどころ満載なのに、突っ込まずに片目をつぶって鑑賞するぐらいが丁度いいんだよ、
と囁かれているように思います。でもそうすると、ドラマを真剣に観る気持ちが薄れることも確かです。
歌で盛り上がった直後は、少し離れ気味の音声で「うるせーぞー静かにしろ!」とご近所さんの苦情を入れ、「はい、すみませーん……。」と小さくなって謝るシーンを入れたら昭和のドラマになっただろうなあと思います。
富さんの一喝シーンも東京の母ちゃん的人情を表現したかったのでしょうけれど、それでしたら彼らがいないところで『小物』などとはっきりセリフで言わせてはいけないよね、と思いました。
奥茨城の宗男さん、しずちゃんの3人の息子さん
可愛いジョージ⁈たちは どこに…?
はわわ使い捨て…とか以前😭
田植えシーンで来たら、とても癒されたかもしれません。
残りの放映楽しみにしています!
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