1.50
5 327件
4 109件
3 92件
2 136件
1 3212件
合計 3876
読み べっぴんさん
放送局 NHK
クール 2016年10月期
期間 2016-10-03 ~ 2017-04-01
時間帯 月曜日 08:00
出演
連続テレビ小説 第95作「べっぴんさん」〈全151回〉は、戦後の焼け跡の中、娘のため、女性のために、子供服作りにまい進し、日本中を元気にかけぬけていくヒロインとその家族、そして、彼女の仲間たちが夢へと向かう物語です。 BSプレミアムは朝7:30~(月~土の帯...全て表示
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名前無し

今年になってからは、さくらと健太郎(+おまけの龍一)が中心で、ヒロインすみれの影は全く薄くなってしまいましたね。モデルとなった坂野惇子さんって、あの時代に女性ながら起業した大実業家なのに、そんなにエピソードがないのでしょうか。
当然、そんなはずないですよね。

例えば、手芸用品店を始める下地となった刺繍や洋裁の腕前も、お遊びのような女学校の手芸クラブではなく、しっかり先生について勉強し玄人はだしの腕前だった。君枝や良子に当たる人たちもそう。
それに加えて外国製の布地や刺繍糸などが戦火を免れ別荘に残っていたから、商売には全く素人のお嬢様主婦が始めた店でも、上質な商品が飛ぶように売れて成功した。

最初の2週間の駆け足展開でそういう部分を描かないから、見てる方は、ヒロインは材料の仕入れもすべて人任せなうえ、さしたる技能もなく商品バカ売れの、ただのラッキーガールにしか見えず、とんとん拍子の成功にも白けてしまう。赤ちゃんの肌着が洗い縮みしない工夫にしても、モデルの方は数えきれないほど洗濯実験をしたというのに、そういう場面はなし。キアリスの商品工夫アイデアは、ほとんどがすみれの「なんか、なんかな」のひらめきで魔法のように思いつき「ええね、ええねぇ」であっさり採用されてしまう。

それに五十八が倒れた時だって、モデルの坂野さんは神戸での仕事を終えて家族と夕食をとってから、一時間かけて京都の父を訪ね、明け方まで看病して数時間の仮眠をとっただけで、再び神戸の店に出勤。それを父が亡くなるまで続けたという。そんなに素晴らしい史実があるのに、ドラマでは父親の世話は近江の本家任せで臨終にも立ち会わない。

今年になっての子供世代のエピは、未成年の娘の非行やら男に狂って身重の友人を裏切り駆落画策だの、コネを使りまくりの不正入社だの、嫁に嫁ぎながら手のひら返しで実家に住み姑を悪者のように描くなど、史実にない創作エピで、視聴者を不快にするばかり。

こんな不快で非常識な話をダラダラ続けるなら、すみれたちが洋裁技術を学んだ様子や夫との楽しい恋愛エピ、そして病気の父親への献身的な看病など、ヒロインに共感できる心温まる話をじっくり描いてくれればよかったのに。
フィクションだから全て史実通りに描く必要はないけれど、このドラマはヒロインやキアリスの子供服つくりなど、視聴者が見たい部分を描かず、あまつさえヒロインをなおざりにする。
見てて、ちょっと違うんじゃないかな、とばかり思う毎日です。
今さら手遅れでも、最後くらい気持ちのいい別品さん作りを見せてほしいです。

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名前無し

サザエさんの放送開始は昭和44年だからマスオさんの事は知ってるんだろうな。
マスオさんもそうしてるし、女房の実家に同居もいいかなと考えたのかな?
そして内緒で押しかけてもへっちゃらだと?こんな奴はどこの世の中にも存在してないでしょう。ドラマだからいいの?…なわけあるかい!

それにしても昭和は遠くになりにけりですね。私はかろうじて昭和40年代の時代感を憶えている世代です。それでも最近サザエさんを見ると違和感を感じる。これは架空の昭和風平成市民を描いていたファンタジーなのか?とよくわからなくなる。
昭和を知っている私のような世代ですらそんな具合になってきている。
ならば、ほとんどが平成生まれというこのドラマのスタッフ・キャストにとって、昭和は異次元でしかないのでしょうね。もっとお勉強しましょうね。
まあ諸悪の根源は『脚本家の頭の中が異次元空間になっている』に尽きるのだろうけど。
今日のお話を見て脚本家の必殺技を紐解いてみたくなった。
その名も『異次元殺法』!

☆異次元殺法その①…【会話すり替え斬り】
「婿養子に出したときの話を聞かせてくれ」と紀夫が言うと、すぐさま真顔で「私たちを恨んでいるのか?」と切り出した父五郎。
なにか後ろめたいことがあるとしか思えないセリフだ。
ところが紀夫が「そんなわけ無いですよ」と言ったらコロッと態度が豹変。「すみれが初恋の人だと知っていた」という。
視聴者の脳内がぐにゃりと歪む。早くも異次元空間に吸い込まれていく。
恨まれる理由なんてなんにもないじゃないか?なぜあんなセリフを言わせたのか?そんな考えが頭にうずまき、その後の会話はもう何言ってるんだかわからなくなる。
そして婿養子に出した時の気持ちは語らず、子供が幸せなら親も幸せという話にすり替わる。更に思いを引き継ぐって話に強引に持って行かれる。
次から次へと議論の主題がすり替わる…これが会話すり替え斬りの恐ろしさ…
そもそも婿養子に出した時の気持ちを聞いてどうすんだ?って疑問があるから余計に意味不明なんだけどね。
そして五郎さん、わざわざ来たんだから孫の顔でも見て帰るのかと思ったらいつの間にか消えてしまった。どこに消えたのだ?異次元空間に吸い込まれたのだろうか…?
すみれもお茶出したら消えてしまう。さくらもいない?
どこに?わざわざ義父(さくらにとってはおじいさま)が来てくれたというのに…
すべて異次元殺法の成せる技。

☆異次元殺法その②…【伝家の宝刀いきなり発表会斬り】
みんなを喫茶店に集めて自分の思いをいきなりぶちまけるべっぴんさんの必殺技である。
登場人物はそれぞれ異次元空間からワープして集合したので、これから話すことは誰にも報告しないで済むという画期的な技。
今日は紀夫から「さくらは嫁に出す」宣言でした。
おなじみすぎるのでこれ以上の説明は不要でしょう。
健太郎のマスオさん宣言もこの技ですね。
喫茶店では先程の【会話すり替え斬り】も併用して使われている。嫁に行く行かないの話が、五十八とはなの話と、どうして結びつくのかよく分からない。すみれが一言発するたびに頭の中に疑問が湧いてしまうから、その次のセリフは頭に入ってこれなくなる。
なぜ今更さくらに話すのかもわからない。坂東の精神を残すって意味では分かるが、今ここで言うこと事態が異次元空間すぎて意味がわからない。
どんなに遅くともその話はキアリス入る時に話してるんじゃないかい?
さくらたちはその精神を知らずにキアリスを受けたのか?
感動話のようにして趣旨をすり替えているとしか思えない。
誰から見た「おばあさま」なんだかも解らない。トクコは映像を見て「トクコおばあさま」と分かるが、若いはなの映像に「おばあさま」と言われても一瞬誰のことか分からなくなる。
すみれがはなのことを「おばあさま」と言う?「私のお母さま、あなたにとっておばあさまね」とか丁寧に喋らないのも会話が異次元空間に突入する原因。
はなを「おばあさま」というのならトクコは「トクコおばあさま」ではなく「近江の曾おばあさま」だろう。

☆ 異次元殺法その③…【なんでもお見通しの千里眼斬り】
主に明美が使うことが多いこの技だが、今日は大急会長がこの技を使った。その日の都合で誰でも使える便利な技だ。
会長はさくらの名前の由来を知っていて言い出したのだろうか?
「名前の由来?…あ、さくらが生まれた時、外に桜が咲いてたから」で終わってしまう可能性を考えない?
なんでもお見通しの千里眼を持つ登場人物たちですこと。
↓大急の場面では以下の定番殺法が含まれている。

☆異次元殺法その④…【要らんところは丁寧に、必要なとこは描かない斬り】
これも説明不要の定番殺法ですね。
結婚式の場面もないのに仲人の依頼から始まる懇切丁寧ぶり。そういう丁寧さは要らないから。ね?もっと丁寧にやるべきところがあるでしょ?そもそも名前の由来なんてどうでもいいのです。名前が親から貰った最初のプレゼント?違うと思うよ。「生命」じゃないのかね?違うかな?っていうかホントそんな話はどーでもいいんです。分かるかな?分かんねーだろうな。
大急でそんな話が始まる事自体がおかしい。家でしんみり話せばいいじゃないの?
つまりこんな場面がまるごと異次元空間だし、要らないシーンなのだ。
必要なのは結婚式じゃないの?
なぜ結婚式を描かなかった?セットじゃなくてもロケで出来るだろう?古い教会とかだったらいくらでもあるんじゃない?
母娘2代に渡って結婚式はべっぴんを身に着けるという決まり事が、3代目にして消えてしまった。なぜべっぴんドレスを作らなかったのだ?そこが必要なところだろう?
まあ、厨房の棚の上に麻田のべっぴん靴を放置できる人にべっぴんはもう作れないのだろうけどね。
嫌われさくらの結婚式なんてもう今更見たくもない気持ちも事実。
恐るべき異次元殺法!

☆異次元殺法その⑤…【安直ネーミング斬り】
ところで田中五郎…これってまさか北の国から?
田中邦衛=黒板五郎→田中五郎?
本当にありとあらゆるネーミングが安直でいい加減でセンスが無いですねえ。

☆ 異次元殺法その⑥…【いきなり部長斬り】
この会社には係長とか課長はないのだろうか?
島耕作もびっくりですね。

残り3週間半…我々はまだまだ異次元殺法で斬りまくられなくてはならないのだろうか?

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名前無し

私はオリジナル脚本には寛容です。「まれ」もつまらなかったけどオリジナルなので勝手にやれば良いと思っていました。「純と愛」は未見ですがおそらく(ん?たぶん?)同じ気持ちになると思います。今更見る気はないけど(笑)
だが、実在のモデルが在るものを愚弄する作品は許せない。原作物(小説でも漫画でも)も同じ。好きな原作を改悪されたらムカつくでしょ?
この『べっぴんさん』とかいう謎の番組が正にそうでした。

【事実は小説よりも奇なり…】
実写化すると言うのは、文字や絵よりも現実に近づくということ。嘘やごまかしは現実的に修正しないとすぐにバレてしまう。だからといって史実通りやったら嘘に見えてしまうこともある。そこをドラマとして上手く再構築するのが脚本家の仕事。
だからそこにオリジナルストーリーが入り込んでも、史実と違ってもいい。だけどその過程の先の結末は、モデル(原作)となった人物の精神を捻じ曲げるものであってはならないのですよ。断じてね!
べっぴんさんはメチャクチャ捻じ曲げてます。改悪してます。特にさくらの家出のくだり以降は本当にひどかった。
今作はその上に、ストーリーは支離滅裂、誰一人魅力ある登場人物がいないという愚行っぷり…これがホントの愚行録。
あ、でも、それで原作や史実より面白くなるなら大歓迎ですよ。それがドラマだと思う。わかりますかね?

【この脚本家は起業して成功した人を何だと思っていたのだろうか?】
親が成功者で、その後を引き継ぎ発展させ、新たな成功をした2世を何だと思っていたのだろう?
親の七光り?バカだけど親のお陰で成功したと思っていたのか?
バカのくせに親が立派だから成功したと??
…違うでしょ!?
どんな人でも、成功した人には成功しただけの理由が必ずある!
親の七光りだけで成功できる人はまずいない!
例えば2世タレントと呼ばれる人たち。親が有名だからだけでは絶対に長続きしない。消える人は消える理由がある。(←傲りや怠慢などなど)
長く生き残る人には、やはりその理由がある。2世ということに甘えず、やるべきことをやる人は必ず残る。それが現実社会だと思う。
ドラマが、そのやるべきことを描かないでどうすると言うのだろう?

【今作は『一生懸命努力する』が徹底的に欠けていたのではないか?】
この脚本家は、まさにそこが抜け落ちている人物だったのではないだろうか?
このドラマは金持ちに対する偏見と悪意に満ち溢れている(主人公から愛は溢れていない)と感じた。
金持ちは努力しないで世の中をすり抜けてんだろと言わんばかりの世界。
それが『べっぴんさん』という超駄作朝ドラの正体なのではないだろうか?
途中で出てきた、使い捨て(後に使い回されたけどやはり)無意味キャラ「西城」が酔って言った「何が楽しくて、あんなおしゃべり女と机並べてチマチマせなアカンのや!」
これが作者の本音とみて間違いないのでは?私には「努力も一生懸命もない金持ちのバカ女どもの物語なんか描けないわ!」と言っているように聞こえた。

【確かにスミレは恵まれている。恵まれた家で恵まれた育ち方をした。】
でも戦争を経て、感じ、新たな日本の新しい命(子供たち)のために奔走する…そんなスミレのドラマが見たかった。クローバーの仲間が現れ、共に悩み苦しみながら希望を見出し成長する姿を見たかった。
赤ちゃんの肌着の縫い目を表にするという小さな発想から、どんどん大きくなっていく物語を見てみてかった。
華麗なる一族で結構じゃないですか。庶民は見たこともない華麗なる一族の知られざる努力と成長物語。ワクワクするけどね。
でもこの脚本家は金持ちがバカだと思ったので描かなかった…残念でたまりません。

【恐ろしいことに…】
奇しくも、この駄作ドラマのお陰で、NHKに脚本の内容(ドラマとしてどうなのか)を読めるプロデューサーとディレクターがいないのでは?という可能性が露出してしまった。
国営放送ですよ。日本全国で見ることの出来る唯一の局ですよ!?
国民が受信料を払っているのは、NHKが国民の利益になる情報を放送してくれていると信じているからです。
その信頼が、完全に揺らいでしまうくらい酷い内容のドラマだったのではないでしょうか?少なくとも私は今後NHKの報道を鵜呑みには出来なくなりました。このドラマ同様に、真実を捻じ曲げて報道されている可能性があると思うからです。
そんな影響力の大きい放送局で従事するプロデューサーとディレクターたちが、この浅はかで酷い脚本を見抜けなかった…悪いと思っても正せなかったとしたら…恐ろしいし残念でなりません。
もし、本当に国民を洗脳する脚本を書く輩が現れたら…それを誰も見抜けなかったら…ゾッとします。決して大袈裟なことではないと思いますよ。

【視聴率…】
テレビ業界はこの数字が全てになってしまい腐ってしまった。視聴率が悪くても良い作品、視聴率が良いけど駄作…その区別が完全につかなくなったのですね。
良作を作っても視聴率が悪かったら、二度と別の良作を作ることが許されなくなる。
アホが作った駄作でも視聴率が良ければ、再び次の駄作を作れる権利が与えられてしまう。
「視聴率は悪いけどあいつは良い作品を作れる!視聴率が低かったなんて関係ねえ!良作を作るのがテレビの使命なんだよ!だから、あいつに作らせる!」と作品の善し悪しだけをジャッジできる製作者は絶滅してしまったのでしょうか?
少なくとも1980年代くらいまでは生きていた気がする。それが死に絶えテレビはつまらなくなった。
衰退の一途をたどっているのはネットが全盛になったからだけではないと思う。
それが現在のテレビの実態に違いない。視聴率の良かった本作のスタッフ・キャストはこれからも大手を振ってテレビ業界を歩く。恐ろしいことです…なんとか阻止したいものですね。

【最後に…】
真面目にドラマを考えている視聴者は、このサイトのようなところにいるのでは?ここの星の数がこのドラマの正当な評価と思える。
視聴率調査なんて止めて星獲得率にすれば良いのでは?それがインターネット時代の新しい視聴率の在り方ではないのか?と真剣に思った半年でした。
みなさまとはいつか互いに賞賛できる作品に出会って共有できる日があることを願います。

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名前無し

このドラマはつくづく人の心が描けていないと思う。
あくまで展開ありきで、それがどんなに不自然で非常識でも強引に話を進め、丸く収めてめでたしめでたし。
本来、タイトルどおりの別品作り、キアリスの子供服作りや店としてのビジネス展開をじっくり描いてほしいけれど、それを取り巻く人間関係を描くのもべつにいい。
問題は、その描き方。
キアリスメンバーはじめ、友情関係や家族関係などいくらでも描けるはずなのに、今日の龍一エピなども、表面的にさらっと触れるだけで中身がない。心に響かない。
身内同士、仲間同士で腹を割ってじっくり話し向かい合うシーンがなく、制作上のご都合でプライベートなこともみんなのいる前で発表したりお願いしたりの不自然な形にするのがその一因。
すみれとさくらの母娘確執エピでも、とことん親子で向き合うシーンはほとんどなかった。あっても、心は通わぬまま、結局他人任せ。ただ待つしかないと姉夫婦宅に預けきりで、結局さくらが軟化し心を入れ替えたのは、親との話し合いではなく二郎に失恋したから。私はここでがっかりした。その後とってつけたようなすみれの仕事ぶりをさくらに見せるシーンがあったけれど、どうして話し合ってわかり合う形にしないのか。以前の、朝帰りのすみれを紀夫がビンタしたシーンもそう。そういうのがなく、五月の出産でさくらが急にいい子ちゃんになって親に謝っても、とってつけたようで全然心に響かない。
あれだけ長々親子の反目を描いても、起承転結の「起」と「結」だけで大事な過程を全然見せてもらえた気がしない。
このドラマは一事が万事すべてそう。
だから登場人物の誰にも共感できずイライラモヤモヤばかりつのるのではないか。
人間ドラマにこだわるわりに、本当に、人の心を描けない脚本家だと思う。

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名前無し

なんかおかしな話ですね。
キアリスの肌着は飛ぶように売れているのに、その生地であるメリヤス工場は経営難で立ち行かない?
銀行に融資は頼んだのかな?皇室御用達キアリスが上得意なら信用はありそうだけど。
そのうえ値上げ交渉もせずいきなり廃業を決め、取引先の営業マンが自分たちの窮状をわかろうとしなかったと非難する。
これって経営に失敗した社長のただの責任転嫁でしょう。
そもそも親の代から取引があり世間の信頼も厚いキアリスよりも、素性もよく分からない新興エイスを信用するのも常識的に見ておかしい。友達になって親身に心配してくれたというけれど、それだけの理由で会社を簡単に売り渡す?
なんかバカなボンボン社長が言葉巧みに栄輔に丸め込まれたようにしか見えないんだけど。
とにかくビジネスの話としてはかなり違和感ですね。
そして何より嫌なのが、あんなに仕事熱心な武が悪者にされたこと。
以前も紀夫が散々無能扱いされてたけど、このドラマって誰かを無能(もしくは無責任)にしないと話が進められないのかな。
人を落とさないとエピを作れないって脚本家の人間性を疑います。
主役のヒロインでさえ自己中で鈍感で薄情で、全く共感できない魅力のないキャラになってしまっている。
上品な神戸のおっとりお嬢様たちがヒロインで、どんなにほんわり心優しいドラマを見せてもらえるかと思ったのに、毎日見せつけられるのは真逆のドロドロ話ばかり。
失恋しても潔く身を退いたと思った栄輔も、逆恨みで恩になったオライオンやキアリスに復讐するような嫌なキャラだし、さくらはわがままだし、本当に救いようのない不快なドラマ。
数年来の朝ドラファンだけど、我慢もそろそろ限界かもしれない。

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名前無し

『純と愛』放送当時は、あのストーリー展開とギャーギャーうるさい演技者たちに心も乱されたし怒りも湧いていたが…脚本家が最初から「朝ドラをぶっ壊す」と宣言し、演技指導にも口を出すという状況だったため、ああいう仕上がりになったこともある意味許容できた。(私の好きな言葉で言うと「果敢に挑戦してい見事に失敗した」)
それでも、遊川氏の言葉の紡ぎ方は、やはりソツがないのだ。それはその後の彼の手がけた作品を見ても覆らない。
現実で例えるなら、人格は最悪だけど弁がたつ隣人。深く付き合う前に十分危険性を感じさせてくれるので避けなければいけないと防衛本能がはたらく。そういう点ではわかりやすい。
そこにもう一人…口数が少なくて物腰柔らかに見える一見上品な隣人。話をしてみたい聞いてみたいと思って近づくと、どうにも掴み所がない。
もう少し付き合ってみれば「この人はいい人だ」と思えるだろう…と何度もトライするが、地味にキツイことを言われ、ジワジワと心を蝕まれている。でも今さら付き合いを止めるわけにも…。もう声も聞きたくない姿も見かけたくない…でも向こうはこちらの気持ちに気付くことなくニコニコしながら毎日やってくる…

朝ドラはみんなの隣人のような身近なドラマ。
昼も夜もドラマを見ない人でも、朝ドラだけは視聴するという人も多いだろう。
その隣人が上記のような人物だった。
その絶望感がここに集う皆さんのお気持ちなんじゃないかと思うのだ。

最初から危険だとわかる挑戦的なドラマより、向上することなく低レベルを維持し続けた脚本演出演技のドラマの方が罪深い。

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名前無し

「このプロデューサにしてこの番組あり」ですね。
インタビュー読みました。うん、これが本心ならこの人はアンポンタンですね。
特に気になったのは「説明ゼリフ」のくだり。
「説明ゼリフ」が少ないのは意図的か?という質問があって、「意地でも作らないというより結果的にそうなった」と答えるくだりが、このプロデューサーの底の浅さを物語っている。(このインタビュアーの知識の浅さもね)

そもそも、「説明ゼリフ」とはテレビでも映画でも舞台でも…脚本という物において《禁じ手》なのです。
登場人物が過程もなくセリフで全てを説明してしまうのを「説明ゼリフ」と言います。
いいですか?登場人物がいきなり「私たちの会社は私たちが努力して子供たちのためになるようなものを1個1個手作りで丁寧に、そして可愛い洋服を作りました」とか「仕事場と家が一緒なのが本当に嫌で…お母さんとは話がついてます。だから今日からこの家に住ませてください」とか言うのが「説明ゼリフ」なんです。セリフだけでナレーションのように全て説明する。そんなドラマ面白いですか?面白い訳ありません。それがこの『べっぴんさん』とかいう番組(もうドラマと呼びたくないのであえて番組と呼ぶ)です。
「説明ゼリフ」は山ほどありました!
この番組に無かったものは、再三みんなが指摘している「過程」です。
主人公たちが可愛い洋服を作るためにどんな努力をしたのか?…というその過程をいっさい見せなかった。すみれたちが努力する場面。苦労した場面。子供たちのために1個1個手作りで丁寧にべっぴんを作る場面なんて皆無といっていいのでは?
「過程」の無いドラマなんてクズに決っている。
登場人物たちが悩み葛藤する過程においてセリフが必要になる。過程を成立させるためのセリフ、そのセリフが重要なのです。
はい、お気づきと思いますが、この番組では、登場人物同士の会話が極端に少なかったですね。家族友人、誰も会話(相談)なんてしませんでした。いつもいきなり発表会。
ほとんど無かったのは「説明ゼリフ」ではありません。「会話」です。
《会話というセリフのキャッチボール》が全くありませんでした。「全く」といって過言ではないでしょう。
そして、「的確な過程」があり「素晴らしい結論」に到れれば…その時はセリフなんて要らないんです。セリフが無くても分かる結論を見た時は感動しますよ。
それがドラマと言うものでしょう?

他にも「『人として絶対嫌だ』という部分は言いますけど」とかほざいてるけど…???
つまり今日の「社会復帰」は嫌では無かったと?

底の浅さは脚本家とどっこいどっこいなんでしょうね。(呆)

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名前無し

長くなります、すみません。

私は素人ながら演劇に関わり、演出をはじめとした裏方を好んでやりました。
このドラマの脚本が耳に入るだけで不快な理由が、やっと言葉でまとまりました。
セリフ回しは、舞台・テレビ・映画・落語・漫才・コントなど、それぞれのジャンルで異なることは、皆様もおわかりになると思います。
絵本や詩のように行間に潜む感情を読み手に伝えたいのであれば、言葉を削って削って最小限で最大効果を生みます。
会話の面白さを、語彙と文の多さで伝えるものもあれば、掛け合いと言葉の絡み合いで魅せるものもあります。
この脚本は?
言葉が足らない。端折って端折って選ばれたらしい言葉と会話が、連続した意味をなさない。視聴者に脳内補完を求めている。でも補完するための材料である役者の演技力も、背景を描写するべき裏方の仕事も、平均以下。
視聴者がドラマの世界に没入するのではなく、作り手が「あんたも一緒に考えて!」と強制してくる。だから見ている方は正気に戻らされるし、疲労してくる。
…ここに来られる皆様の怒りや苛立ちや失望といった感情は、作り手側のわがまま(もしくは手抜き)に付き合わされているところから生まれてしまうのだと思います。

○倒産の描写
あの時代の会社倒産とはどんな意味を持つものか、脚本家と演出家は誰も知らないのでしょうか。
私は平成に入ってから、家族が自ら経営している会社を破産させた様子を近くで見ました。
倒産ではなく裁判所が破産決定を出したので、法的には債権はなくなりましたが、それでも一部の輩が「金返せ!」と自宅に訪れたり(脅せば金を回収できるということでしょう)、いち早く手を打ったヤツには他の家族のわずかな預金や保険まで差し押さえされました。破産ですから持ち家自宅も当然手放しました。
この事態を見た私からしたら、今日の展開はお笑いぐさです。
エイスケが身を隠したのは恥ずかしかったからだと思いますか?会社を潰した社長が身を隠すのは債権者の過酷な取り立てから逃れるためですよ、それは今も昔も同じです。
「うちに来ればええ」と簡単に言っていましたが、どれだけファンタジーな世界なのかとあきれます。
人情を描きたかったのはわかりますが、ただでさえ密度の薄い会話だから、逃げ隠れていた元社長をかくまって再生させる覚悟が見えません。

「経営者じゃ無かった」とのセリフもなんと薄っぺらなことか。
成功したから経営者として名を馳せたのであって、その後の戦略に失敗した=100%経営者失格という描写を見て、本当にこの脚本家は世の中を知らないと感じました。
経営にも新規市場開拓・拡大・縮小・リスク回避など、様々なタイプがあります。すべてのタイプを成功させる社長でなければ経営者の資格がないとはこれもまたお笑いです。

朝ドラの視聴者が全員朝のんびりとテレビを見ている層だと思ってごまかせると勘違いしているのでしょうか。
自らが経営者だった高齢のかた・今現在経営なさっているかたも相当数いらっしゃるでしょう。
「あーよかったね」と思うよりも前に「実際はそんなもんじゃないよ…」と内心ため息をついたのではないかと想像します。

○本日のシーン
今日3.11に、倒産→再生への手がかりという場面を乗せてきたことを評価する感想がありました。(その方への批判ではありません)
『純と愛』でも、1.17に速水もこみちさんが神戸の方向に手を合わせるシーンが挟み込まれ、確か当時「わざとらしく入れてきた」との感想をここで読んだ記憶があります。
3.11に合わせてきたのか?と思ったとき、ならばその前は今日に“合わせるため”幾分か調整が必要なはずだが…と思いました。
万博の映像がやたら長かったり、結婚式・出世・出産シーンがすっ飛ばされたり…まさかね、と思いたいですが、もしや今日のためだけにドラマの間延びや省略を決めた?と疑いを持ちました。
これまでドラマとしての説得力を数々失ってきたのに、まさか(言葉は悪いですが)3.11に乗っかって視聴者の共感を得ようなどと考えたんじゃないよな…と。

長い文の最後に。
「上品な育ちのお嬢様が年齢を重ねたら、いつも笑顔をたたえてスローに話すおばさまになる」
こんなステレオタイプの演技のみで老けメイクをしない若手女優が、テレビで説得力を持つのは至難の業です。
観客側が理解をすすめていく舞台ではないのですから。

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名前無し

時代ものって書くの大変だろうと思っている人多いけど、実は大変なのは考証で、そこさえ固めてしまえば後はレールに乗ってるようなものだ。
実話ベースで本作におけるファミリアのようなモデルがあるならもう原作付きと同じで作家が一からストーリーを作る必要がない。
あえて言おう、楽な仕事だと。
『ごちそうさん』のようなオリジナルでも太平洋戦争などの歴史的な事件をしっかり踏まえて主人公の行動に落とし込むことである程度ストーリーは組めてしまう。
言うなれば市販のプラモデルを芯にして粘土を盛りつけて改造するような話だ。

ここ数年の朝ドラで完全オリジナルの現代劇が『あまちゃん』以外苦戦したのは芯になるプラモデルがなく粘土をこねる所から始めなければならなかったからだと言える。

だから脚本家はファミリア史を確固たる芯にしていれば筆が迷走することはなく視聴者も不愉快な思いをしなくて済んだはずなのだ。
ましてこれはNHKの番組。考証は専任者がいたはずであるし自分で取材する場合でもNHKの仲介で普通の人が見られない資料に当たることができたりと優遇されていたはずである。
例えば紀夫の復員前にすみれと栄輔に淡いロマンスがあったというくだりは不評だが、仮にファミリア史改めキアリス史が一定の説得力をもって描かれていた上でのことだったならばあれは作家の創意工夫として評価されたであろう(それでも風呂に入れて泊めるのはやめとけと言うが)。
1月2月のさくらの一連の非行や奇行も同じことでキアリス史が物語の軸として機能していてのことなら(あと割いた尺が1週程度だったら)若い娘の一時の気の迷いとして楽しく観ることができたと思う。

芯になるキアリス史はプラモデルどころかスポンジのようにスカスカで、周りに盛り付けた粘土…恋愛沙汰や感情の衝突ばかりがボリューム過多、しかも形状が美しくない。そして芯が脆弱なものだから自分の重さに耐えきれずあちこちヒビが入って崩壊した。『べっぴんさん』とはそのような作品だと総括せざるを得ない。
渡辺千穂の独特過ぎる感性や局側が脚本にチェックを入れなかった点も悪いが、本作の失敗の主因は脚本家と局の両者の考証における怠慢だと断言する。

私はそろそろこの作品について考えるのをやめる。このまま叩きを続ければ自分が暗黒面に墜ちる気がする。自分の仕事に真心を込めよう。外へ出て本物の桜やスミレを愛でよう。
………このレビューの健全な感性をお持ちの皆様との出会いに感謝します。投票が可能な限りは週一で一星球を投げに来ます。

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名前無し

 渡辺千穂さんのインタビュー記事を読みました。昨年の出産、その後、育児をしながら脚本を執筆したとのこと。
 中でも、妊娠・出産・育児を跨いで脚本の執筆したが、母になって心境が変化したために違和感を感じるようになった部分を修正したことなどが書かれていました。

渡辺さんは、元気な子を生むことで40代女性の希望の星になりたかった、娘に何度でも観てもらえる作品にしたいと思って脚本を書いた、また、同年代の女性を励まし娘に母としての教えを作品を通じて伝えようとした、とのこと。

その思いを込めて『べっぴんさん』を世に送り出し、『余力を残して、娘に何度でも観てもらえる作品として書き切った』とおっしゃっています。

『たとえ友人の恋人であって、友人がその恋人の子供を妊娠していても、余計なことは教えずに、その男が欲しいなら駆け落ちでも何でもして手に入れなさい』

『義母が鬱陶しくまとわりつかないように旦那にはわかるまで何度もキツくキツ〜く言いなさい』

『道義的なんて考えず、コネでも何でも使いなさい…欲しいものは、仕事でも何でもそうやって手に入れるもの』

『人の気持ちなんかわからないくらいが、結果、変に気を使わなくて楽でいい』

『お金持ちだと、ぼうっとしていても周りの人が大概のことはやってくれる(からお金持ちになりなさい)。腹黒、非常識、狡いなんて云わせておけばいいのよ』

等々、無敵の世渡り術をお嬢様に残し伝えたかったのだろうか? そう思うと、娘を思う渡辺さんの親心に感銘を受けずにはいられませんでした。なかなかここまで教えてくれる親は中々いませんから。

毎回毎回目から鱗の教えの数々、味わい深く苦痛ながらも観てきた甲斐があったと改めて思いました。いやぁ、これまでの私の人生、何一つ出来ていなかったです、はい。

 今日はいよいよ最終回となりますが、終わったとき、どのような心境になるか…この苦痛極まりない数々の人生航海術から解放される安堵感と、このような教えを今後実践していけるのであろうかといった不安との綯交ぜを考えると恐ろしいものがあります。

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今日は本当にもう自然と涙が頬を伝いました…
つまらなすぎて…情けなくって…恥ずかしくって…
これが本当に日本人が作ったドラマなんだろうか?
NHKが作った番組なんでしょうか?
酷いにも程があると思ってたけど、程なんて無かったんですね。

冒頭から7分に渡る登場人物の自己満足映像…これを視聴者が見て何を感じろと?中途半端な時代考証の育児方法を見てどうしろというのですか!?おむつに至っては昭和20年代のやり方なんでしょ?30年進歩しなかったの?せめて現代でも通用する内容ならともかく、全く無意味の7分間。
唖然としたのは主題歌の作詞…坂東すみれ…はあ!?結局紀夫が息巻いてやると言った作詞はすみれに横取りされたのかい!!
しかもどういう歌詞なのか全く聞き取れない。私の耳が悪いの?
更に4分間の無意味演説が続く…言ってることはいつも通り赤ちゃんの笑顔がどうたら、母のためにどうたら…演説の相手も客ではなく身内ばかり…亀田の妻に言ってるのかしら?わけわからん。
そして拍手…この時点で私の頬はびしょびしょでした。繰り返すけど…つまらなすぎて。情けなくて。恥ずかしくって。
ここまで11分も尺をとっている…
さらに予想通りというか…健太郎は映画見て、演説聞いて改心。その気持の変化が全く分からん。
してやったりのカイワレ達の表情がまたムカつく。

最後はビルの絵を見てワンダーランドに興味津々のすみれ?
銀座のどこなのか?どういう条件なのか?面積は?間取りは?
そんなことは一切聞かないうちに決定したみたいな表情?
…脳内ワンダーランドには虫が湧いていることでしょう。

「光の射す方へ」でしたっけ?今週のお題は?
どこに光があったのでしょうか?どこに向かったのでしょうか?
毎週毎週よくもまあいい加減なサブタイトル付けられることに感心するよ…あ、また涙が…(呆)

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名前無し

このドラマの新基準、名付けて「奇消添欠」

奇・・・変な話が始まる。
消・・・過去の話、今までの話は消える。
添・・・必要のない話が添えられる。
欠・・・いろいろと中身が欠けたまま終わる。

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今さらながら、今日はっきりわかったこと。
このドラマでは一般世間の非常識が常識だということ。

昨日の親以外の人が大勢いる人前でのいきなりの結婚宣言はもちろん、
家に帰ってからも、それぞれ親子で全く腹を割った話し合いをしない。
いくら幼馴染でも、いつから本格的な交際を始め、お互いをどう思い、将来をどう考えているか、親にきっちり話すべきでしょう。
親だって25歳ともう年ごろの子供たち(本来、見合いを考えてもよい年齢)なんだから、子供の考え、将来設計をじっくり聞いて確認すべき。
とにかくそういう当然の筋道がなく翌日には親同士の話し合い。
しかし話し合いの場である喫茶店の前まで来ながら、なぜかご近所さんたちのいる通りで立ち話のまま結婚承認を決め、店にはその後食事をするためだけに入る不思議。
その前には龍一が勝手に看板を書き換え、父親と喫茶店を食堂にするしないで、通りで大騒動。本当に、家族の話は家で家族だけでする、という当たり前の感覚がこのドラマには全くない。
話の内容以前に設定そのものがすべておかしいです。

正月以来、親子関係が中心に描かれているけれど、この脚本家はどうやら夢を追う若者の自由や自立を応援したいという気持ちがとても強いらしい。ケ・セラ・セラにレット・イット・ビー。気ままに生きよう。若者の反抗や家出、自由恋愛を容認・支持するヨーソローのママや栄輔。忠さんの資金援助で世界を放浪の旅をする龍一。キアリスに入りたいという自分の希望のためなら不正手段までするさくらと健太郎。
だけどこのドラマには自由や自立には責任が伴う、という当たり前の視点が欠落している。登場人物の若者たちにその自覚がないから、視聴者にはただのわがままにしか見えない。ただただ自分はこうしたい、の一点張り。今日の龍一こそ一応理由を説明していたけれど、それでも常識的な手順を踏まないから唐突で違和感を覚える。
一事が万事。このドラマには常識的な手続きが一切ない。
正直、脚本家さん自身がそういう生き方をしてきたのかな、とさえ勘繰りたくなる。
いくら作り物のドラマとはいえ、実在モデルのいる健全志向の朝ドラだし、視聴者の大半は常識的人間であることを忘れないでほしい。

何かにつけて意識が遠くなる君枝の病弱設定復活も不思議ですね。
今日唯一笑えたのは、画面から消えた後の紀夫の「お風呂はお父さんが先やろ」のつぶやきです。でも今ならともかく、この時代にこんな威厳のない父親いたのかな。

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ドラマだから多少のご都合や誇張表現はあっても当然。ツッコミどころの全然ないドラマなんてたぶんないですよね。私は別に龍一のにわかコックなどは笑って見られます。

だけど「べっぴんさん」の場合はご都合にしても、あまりに唐突でとってつけたような設定や、登場人物をキャラブレさせたり突然第三者を登場させてのあっさり問題解決など、展開的な不自然さや、社会常識・整合性に欠ける部分が多すぎると思うんです。
二郎の東京行きが突然の弟の登場で頓挫、一気に五月にプロポーズでめでたしめでたしとか、恋に狂い友達を裏切っての駆落ちまで考えていたさくらが急に良い子に戻ったかと思うと、入社試験ではまた平気でコネを使って不正を働く傲慢お嬢様になっていたり。おまけに最終的には不正などなかったかのように実力入社の綺麗事にまとめられてしまう。
今回の若手社員による仮店舗経営のエピなども、はっきり言って何から何までおかしなことばかりです。ビジネスの常識も整合性のかけらもない。それなのに最後は新入社員の健太郎がリーダーとして持ち上げられ、カドショー社長にまで一目置かれる、あざとすぎる結末。
しかもそういう描写や展開の稚拙さに加え、このドラマは多くの登場人物が応援したくなるような魅力的に描かれず、視聴者に不快感や嫌悪感を覚えさせるような嫌な人間に描かれる。そのあと急に良い人になられても、今さら感で白けるばかり。
そこがこのドラマの一番残念な所だと思います。
少なくとも、私が最初このドラマに期待し思い描いたイメージは全く違ったものでした。神戸というお洒落な街を舞台にした、育ちの良いお嬢様たちが、上品なたたずまいを保ちつつも、戦後の苦難を切り抜けて慣れない商売に奮闘し成長していく物語。
本当に、このドラマは色々な面で残念です。
残り1ヵ月、少しは見ててすとんと腑に落ちる、明るく気持ちの良い話を見せてほしいです。

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名前無し

正月明けからドロドロの母娘確執に未成年の家出・同棲・妊娠を絡め、さらには身重の友人を裏切り駆け落ちまで企てる自己中さくらの恋狂いで長々・散々視聴者を不快にさせた挙句、そんなことはまるでなかったかのように、あっさり一週間で全てめでたしめでたしの綺麗事にまとめた先週もひどかったけど、今週は輪をかけて最悪ですね。

本来、すっと流せばいいようなさくらと健太郎のキアリス入社試験エピ。健太郎はともかく、さくらがデザイナーとしてキアリスで働くことになるだろうことは、これまでの描写で多くの視聴者が予想できたこと。当時なら普通に縁故入社で違和感もないし、仮に縁故入社の是非を問いかけるにしても、試験を受ける前に親とじっくり話し合い、熱意をもって真摯に説得して、正々堂々と入社試験を受けて実力を示せばよいだけのこと。ドラマでも結局、実力で選ばれたことになるわけなんだから。
それなのに、わざわざ問題を紛糾させるために、中西を使っての裏口受験(しかも履歴書紛れ込ませと最終試験ねじ込みの2回!)なんていう明らかな不正行為をさせる。他の受験者がいなくなった後で直談判してアピールする。経営者の娘としてではなく「個人を見て」といかにもな正論を言いながら、実際にはコネを使いまくりの行動の矛盾。結局、心を入れ替え良い子になったはずのさくらはまたまた身勝手な性悪娘に逆戻り、人の良い中西まで不正に加担させられてイメージダウン。
一体、こんな描き方をして誰に何の得があるんだろう。正直、脚本家の気持ちが理解できません。最終的には実力合格のめでたしめでたしだけど、誰もさくらに共感も応援する気にもなれない。
結局、ネタ切れでこんなどうでもいいエピで話を膨らませたかっただけなんだろうけれど、
それにしてももう少しましな話が作れないものかとげんなりします。
本当に、これだけ主要登場人物に感情移入できない朝ドラは初めて。
素人のくせにプロの仕事にケチはつけたくないけれど、ここまで作りが稚拙で内容が薄く、おまけに不快なドラマを見せられると、本当にプロの仕事かと思えてくる。
残り2か月、一体何を期待していいのか。本気で早く終わってほしい。

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名前無し

サクラが五月のことを二郎に伝える係にされているのがまったくもって理解できない。15歳(?)の小娘が好きな相手に「恋敵に子供が出来たようですよ。知ってますか?どうするの?」と言えと強要するの?スミレちゃん……これ何?イジメ?なつかない娘への復讐?
そんな地獄の場面から始まる今週の朝ドラなのでした…

さらに事態は地獄から修羅場へ…「東京へ行け行け!」とご乱心のサクラ。
スカウトもびっくり!まさか突然やってきた知らん親父に「今日のところは引き取れと!?」おいおい!スカウトの事情はどうでもいいんかよ?お前らキアリスと違って忙しいんだぞ!(たぶんね)
すずババア…ダンマリ決め込むんかい!この騒動に全く介入せず?
このドラマの登場人物は全員困るとダンマリを決め込む決まりですねえ…ヤレヤレ

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い…
じゃないけどミスチルの歌もオープニング映像も、ドラマからかけ離れた世界観に、もはや不快感を覚える。

キヨさん…まさか主役の座を狙ってる!?
オープニング明けは一転してキヨさんと五月のほのぼのシーンだが、なんか急にキヨさんが饒舌に語り始めるのどうなんだろ?まあ、悪いこと言ってはいないと思うが、やはりセリフのバックグラウンドが描けていないこのドラマでは説得力に欠ける。セリフの締めが「スミレ奥様(あれ?急に奥様になってる??)もそうでした…」って言って昔の写真見るから余計アカン。結局スミレ上げのセリフだし、そんなことスミレはしてないからサクラ事変が起きてるんじゃないのかい???
でもまあキヨさんは責めまい。なんなら明日からは、連続テレビ小説『きよさん』にしてもらったほうが視聴者は安心できる。

サクラ帰宅…え?笑ってる???笑顔なのそこ??
帰って早々…さっきまであんなご乱心だったサクラ…笑ってキヨと挨拶????すぐそこに五月がおるぞ!?二郎引き連れてるのに??何しに帰ってきたんだよ?この駆け込み迷惑一家、自分の家には何があっても静かに帰宅するんかーいっ!?
ここで二郎も言って欲しかった…「サクラだけやない。二郎も来たで!」と……影からコソッと「五月…」って…アーア
あ!五月逃げた!…あ!部屋に鍵がついてる!…すげー!平成の家みたいで都合がいいなあ!金持ちの家は知らんけど、昭和30年代に部屋に鍵なんてついてたとは思えんけどね。
でまあ、五月の迷惑かけたくないから身を引くって慎ましい気持ちは分からんでもないのだが……父親がいないほうがいいとかなんとか、会話がすっ飛んでて全く心に響かない。

五月はこのドラマでは希少な「いい娘」なんだろうけど、何か腑に落ちない…多くの方が指摘している通り、昭和35年、未成年のシングルマザーはどう考えても不幸になることが目に見えている。しかし、ドラマの中では大丈夫、幸せになれる!といい切ってしまうギャップの激しさが、素直に五月に感情移入させてくれない理由なのかなあ。
どうせあっさりハッピーエンドにして解決するんだろうけどね…ヤレヤレ
結局二郎はまたダンマリ決め込む…ダンマリドラマかい!!

スミレ「恋には…色んな意味があると思うの…いろんなことに気づかしてくれたり…」
どの口が言うのか?お前なんも気づいとりゃせんだろ!
「何が正解で何が間違いか分からんけど…物事の答えはいつか見つかる」???
この正解がない論理、何度繰り返したら終わるの?もうわかったし、視聴者は知ってるよ!?そんな偉そうに言うことじゃないよ。
この脚本、たぶん「今わたし良いこと言ってるでしょ?(ウフフ)」って思ってるよね?(呆)

そして本日最大の笑撃…衝撃発言!
二郎がダンマリのまま去る…すると…
「失恋…しちゃった(テヘペロ♡)」!!!!!!
ここ!?ここで言うセリフだった???予告見たときからダメなセリフと思ってたけど、ここで言ったらもっとダメだろ〜っ!!
もちろんとっくに失恋してたわけだけど、ここまで執拗に追いかけた二郎へのストーカー魂が、ダンマリ決め込んで去って行く二郎を見ただけで「失恋」とはどういうコッチャ!?二郎と五月の問題は何も解決していない!むしろ二郎と五月はたった今、この家の中で話し合い『別れた』と捉えてもおかしくない場面だったはずだ。
ご乱心のストーカーサクラならこの時ばかりに「私がいる!」と言える場面だったのに…唖然呆然…

たとえば今週末の土曜日の放映でさ…
…生まれた赤ちゃんを大事に抱えてさ…五月と二郎が東京へ旅立つ…そんな幸せそうな親子3人を切なく見送るサクラ…ポツリと「…わたし…失恋しちゃった…」って言えないのかしら…そして迷惑をかけた人にちゃんと謝る姿を見せてくれれば、ほんとツマラナイ茶番劇だったこの一ヶ月を少しは取り戻せたかもしれないのに…
まさかと思うけど家出編はこれで終了じゃないよね???
「大丈夫や!サクラは日本一かわいい」
これ解決のセリフなの?親ばかを表現したセリフでしょ???
「五月ちゃんはスゴイなあ」
スゴイの?マジでこれからの人生は修羅場の連続になるで五月。手放しで推奨するのほんとにヤメてくれませんか?不幸推奨ドラマだから仕方ないのか?
あ〜らら!?近江に行っちゃったよ??
近江のテロップ、琵琶湖の実景が2カットも悠長に入るってこんなに溜めるとこ?58死んだの?

あ!し、死んでる!?と思うかの58さん。
みんながドタバタ来てもビクともしません。
お昼ごはん…「ココに持って来いや!」と聞こえちゃったよ坂東姉妹。
手伝いもしないのは坂東家の家風なのはもう分かったけどさ…なに?病人の前でみんなで昼ごはん食べるの??ビクともしない病人の顔眺めながら???
どんだけ悪趣味な一家なの??

ダメ押しのナレーション「そばに居てくれてあたり前の人を失うかもしれない怖さには…計り知れないものがあります」
はい、見てりゃ分かるし、そんなこと視聴者は偉そうに言われんでも知ってます。
「私イイ事言ってるでしょ(テヘペロ♡)」な脚本家が透けて見えてキモいわ!

迷走は続くようです…
長文失礼しました。

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名前なし

モチーフは良いのに、もったいない作り方をしている。
4人の起業物語でありながら、群像ドラマになっていないしネガティブ。
肝心の仕事と育児の内容が薄い。

まず、すみれ、良子、君枝と、その夫たちの個々の性格や背景がきちんと設定されておらず、四把一絡げ。
たとえぱ、今日の放映では、銀行が融資のために視察に来ているのに、誰一人事前に知らされておらず、全員で同時刻に店に帰るのは不自然すぎる。
キアリスメンバーは、何をするにも横一列に並んで、全員で同じ行動を起こすため、学芸会かお遊戯会のようで、子供っぽさに拍車がかかって見える。
史実では、営業と仕入れをすみれ、型紙を良子、デザインを君枝、欧米式ベビー服の知識を明美、というように分担していた。
史実をそのまま肉づけして脚本にした方が百倍も面白かったと思うが、ことさらフワフワ感と世間知らずさを強調する方向へ変更を加えた理由は何だろうか。

実際には昭和23年開業をドラマでは昭和21年開業に前倒ししたり、大急出店も4年前倒しするなど、より過酷な戦後混乱期の中での設定にしているが、実際の内容は、布や刺繍糸や缶や絵具がどんどん湧いて出て、魔法のごとく何でも立ちどころに完成してしまうので、前倒しした理由も不明だ。

ズブの素人の時子たちに一から裁縫を教えて縫製させた品物を大急百貨店で販売するくだりは、目が点になった。
史実では、当然ながら、有名洋裁学校の卒業生であるプロに縫製させている。
史実から変更を加える箇所が、ドラマに厚みを出すためではなく、チャチな方向ばかりで、「欲が有りません」「金儲けは嫌いです」のお嬢様感覚の強調が半端無く、仕事にネガティブな印象を受ける。
確かに、キアリスは最初から大企業を目指したわけではなく家内制手工業の個人商店から始まったとは思うが、欲の無さや世間知らずのアピールではなく、「良い品物を作る」という方向を強調した方がポジティブなドラマになると思う。

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終わって数日過ぎたのに、今もなおモヤモヤイライラが治まりません やはりここで吐き出すしかなさそうです

忠さんが転がって「ここはどこ?」と言ったとき そう!そうなんです!私もです!今思えばあのときから私のイライラも始まっていたんです 「このドラマダメかも?」と思いつつも前半はいい場面もあったし、多少ツッコミながらも普通に見ていました あまり面白みはないもののあのままの感じで後半も進んだならここまで嫌な気分にはならなかったでしょう
後半に入ってからの酷さと言ったら…腹がたつやら呆れるやら、怒りさえ感じました 
朝ドラは「あまちゃん」からはまって、その後BSの再放送も含めて見てきました
もちろん全部が名作というわけもなく、「まれ」と「どんど晴れ」など「ん?」と思うものもありましたが途中で止めようとは思いませんでした ところがこの「べっぴんさん」は、後半に入ってから何度リタイアしようと思ったか 「嫌なら見なきゃいい」そうですね、でもそう簡単にやめられないのが朝ドラです 習慣というのもあるし、怖いもの見たさなのか、不快になりながらも回が進むにつれ「ここまで来たら見届けてやる」という気持ちでした
結果、終わってみて残ったのは不快感だけ
今まで「ツマラナイ」と思ったドラマでもこんなに怒りを覚えるほど不愉快になったことはなかったし、 まして脚本家やプロデューサーが誰かなんて考えたこともなかった
三鬼さんて方のインタビュー記事に「頑張る姿に周りが放っておけないヒロイン」とありました
頑張る姿? 後半のスミレにそれがあったでしょうか
確かに「元気で明るくがむしゃらに突き進むヒロイン」ばかりでなく内気でおとなしいヒロインがいていいと思います でも「一生懸命に頑張る」これがなかったら朝ドラのヒロインではありません 「まれ」のヒロインも礼儀知らずで図々しいなぁと思っても「一生懸命さ」というのは伝わってきました (昔の自分を「私、バカだった、恥ずかしい」と反省する場面もありましたし)
後半は一生懸命どころか不愉快極まりないサクラがヒロインのようになって、内容も酷く、早く終われと願うばかりに…
私としては受信料を使ってこんな低レベルな不愉快なものを作った責任を取ってもらいたいくらいですが、これがいい作品で好きだと言う人もいるようですし、プロデューサーと脚本家は描ききった、名作が出来た、と満足してるんですよね だったら「あなた達はもう作らないで!書かないで!」と言っても無理でしょうね 
今後はこの人達の名前のあるものは絶対見ません

それから制作スタッフの方々、制作費が少なかったとか若い人ばかりだとか聞きました 大変なこともあったのでしょうがそれは言い訳です やる気のなさがあちこちほころびとなって出ていました もっと考えたり工夫したり出来る事は色々あったと思います こんなドラマで満足していたらこの先はありません 

俳優さんの方々は酷い脚本と演出においても引き込まれる演技をされている方もいて流石だなと思いました
特にやはり市村さん、私にとっての「べっぴんさん」は麻田さんです
芳根さんは、経験不足だったのでしょうね 
頑張ってはいたのでしょうが、「40代は足腰が痛くなるからとスタッフと相談して、あの演技になった」と言ったというようなことを聞いて、少し違うかな、と思いました
もちろん年相応の演技は必要です でも40、50でも元気な人もいれば20代でも足腰の痛い人はいるでしょう
一般の50代のオバサンではなく、神戸のお嬢様育ちで大会社の役員だったスミレとして考えてほしかったです
今後はいい脚本家、演出家、スタッフに恵まれることを祈ります 年齢にふさわしい役を沢山やって演技力を磨いていって下さい 

「ひよっこ」心配でしたが、どうやら楽しめそうです
今日もほっこりしたり思わず笑顔になったり、「えー、まさかそんな事」と思っても、いい意味で「ドラマだから」ならいいんです 不快なものは「ドラマだから」では流したくありません
あさイチでの有働さんとイノッチもいい笑顔でした
つまり、そうゆうことでしょう

大変、長々とスミマセンでした 最後のつもりで書き始めたらとまらなくなってしまいました

ここのサイトの同じ思いの皆さんのおかげでストレスを溜めこみ過ぎずにすみました ありがとうございました

まだ星だけは付けにきます

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名前無し

今回、脚本、演出、プロデューサーの奇妙な嗜好や力量不足は言うに及ばずですが、特に将来のある若い俳優の方々には、受け手の評価をしっかり伝えることが成長の一助になると思います。

本作では多くの俳優さんに、例えば…目が泳ぐ、滑舌が悪い、間をはかれない、立ち姿・座り姿が美しくない、下手な小芝居(アドリブ?)、様々な所作や基本的な演技ができていないところが、残念ながら多々見受けられました。劣悪な脚本と演出の下で厳しい環境であったことは想像できますが演者の未熟さは否めませんでした。もしそれを環境のせいにしてしまうとすればプロの俳優としていかがなものか、と思います。(終始めちゃくちゃな物語の中でも、しっかりと演技を行い伝わってくるものがあった俳優さんもいらっしゃいました)

演者も送り手の一部です。俳優の方々も、脚本家が云われたように余力を残してのクランクアップであったのか、プロデューサー氏が云われたように上品な作品に仕上がったと満足されているのか…もし否であるとするならば、果たして創作の現場でどれだけの議論・闘い・試みを行なったのか。もし不本意であったとして、それが無気力、投げやりや粗雑に向かうようであれば、プロの俳優・表現者としての資質を再考するべきです。(特に受信料をもとに制作され公共の電波に乗せて発信される本作のようなものに関わるのであれば尚更にです)

役者攻撃は控えるべきとの感想(ご意見)がありましたが、それはプロの俳優さん(表現者)に対しては非常に傲慢な物言いではないでしょうか。プロである彼ら彼女らは、受け手がいかなる評価を下そうとも受けて立つという覚悟とそれを支える矜恃の下で〝仕事〝として出演している(と期待する)のですから、受け手が生半可に甘やかすこと(正当に評価しないこと)は、表現を行う方に対してはむしろ失礼なことです。

様々な力学により云われるがままに演じたとしたとしても、それを受け入れたことを含めて表現者たる自身の力量であり、賞賛、厳しい評価…双方を謙虚に受け止め成長されることを期待します。

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名前無し

明日21日、神戸で脚本家の渡辺千穂氏と制作統括の三鬼一希氏のトークがあります。タイトルは「べっぴんさんの作り方」だそうです。
ドラマ終了を前に、渡辺千穂氏は「4人の個性をうまく書き分けられた」、三鬼制作統括は「視聴者に予想以上に届いて嬉しい」と言っています。
「厚顔無恥」と言う言葉があります。図々しく恥知らずの様という意味です。お二人に送りたいと思います。

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名前無し

「私たちの頃は戦後で物がなくて苦労したわ」的なこのセリフ、何回言えば気が済むの?
ばあさんになって昔のこと何回も言っちゃうのってリアルでしょ?ってこと?
事あるごとにみんなでセリフ分け合って喋ってるけどさあ…何度も言うけどさあ…っていうけどぉ〜…そんな苦労してる場面見たことないですから!斬り!残念!(←古っ!)むしろ闇市で潔と栄輔に頼んだらなんでも簡単に手に入ってたじゃないかいな!

この脚本家の異次元脳みそ世界には『戦後は物がなくて苦労した』というお約束事だけがポッカリと漂っている。
苦労しないで物を手に入れられた人もいたかもしれないとか、他にも色々な人がいたとかの可能性を探ることは決してしない。そんな思考回路しか持ち合わせておられないのでしょうね。
だから「物がなくて苦労した場面なんて描かなくてもみんな分かるでしょ?今まで戦争映画でも終戦記念特番でもやってたじゃない!見たことあるでしょ?だったらそれで脳内補完してよ!」って事になる…いやいや、私たち視聴者はこの作品の登場人物が何を手に入れられなくて苦労したのか、どんな物を手に入れるためにがんばったのかを見たいんですよ。分かる?異次元脳の脚本家さん?お約束事をマニュアル通りに書いたつもりか知らんけど、それじゃ面白い訳がない。
君江とさくらの嫁姑の諍いも同じ。『嫁は姑にイジメられるもの』という雛形しか脚本家の頭の中に無い。
「みんな分かるでしょ?橋田先生が書いてたじゃない!姑にイジメられるから一緒に住みたくないのよさくらは!」
私たちはこの作品の登場人物の守るべき正義が知りたいんですよ。その正義の為に人は戦うわけでしょ?
正義は一つじゃない。嫁の正義、姑の正義、互いの違う正義がぶつかり合うのがドラマの醍醐味。
さくらが君江との同居を嫌がる理由が知りたいんです。そこに正義があると感じて初めてさくらに感情移入できるんです。
君江は「さくらは村田家の嫁なんだから、同居して村田の家のために働くべきだ」としっかり主張するところを描けばいいのに。それは村田家の正義そのもので間違っていないでしょ?(←それを悪みたいに書くのがこの異次元脳脚本家で胸糞悪くなる原因)
2つの正義がぶつかった時、視聴者は初めて、どうなるのだろう?と「ワクワク」出来るんですよ。そしてそれが上手に解決した時、感動するんです。
急に『嫁は姑にイジメられるもの』という雛形に視聴者と演者を押し込めるやり方では絶対に感動は生めません。何がワクワクなんだか…
あ、…すでに書き終わってる脚本に四の五の言っても仕方ありませんね…(虚しい)

…そして今日も般若の顔で人を睨むさくらの出来上がり。
可哀想に…15歳の子供が、悪いスタッフに言われるままに芝居して、史上最凶のヒールに仕立て上げられてしまった。
でも同情するけど金はあげたくない。
金払ってこんなもの作られて、被害者は視聴者です。
俳優はギャラ貰ってチャンスも貰ったんだから、般若にならないように気をつけるのも自分の仕事。もっとお勉強しましょうね。

それにしてもキアリス社員はさぞや高給取りなんだねぇ。
8ミリカメラ…社長へのおべっかには高すぎるんじゃない?(たぶん今の価値に換算したら10万円くらい?)社長にそんなプレゼントする社員って実在するの?従業員全員からのプレゼントって言うなら分かるけど、2人からって…人気ねえなあ社長。
紀夫も社員がくれた高価なプレゼントをニコニコ受け取ってバカなのか?武は妻もいるんだぞ?中西は知らんけど。
映写機は自分で買ったのかな?自分の孫の8ミリ上映を社員集めて見せつける愚の骨頂ぶり。権力を得て金にまみれて頭がおかしくなった人みたいだわ。
但し、この藍ちゃん役の赤ちゃんが尋常じゃなく可愛いので、この上映は見ていられる。5ヶ月このドラマを見続けて初めて「かわいい!」と思った場面でした。さくらとか他の奴ら映すなよ!と思っちゃいましたよ。
年齢、そして何より役柄が演者本人と合致すれば、芝居なんて出来なくても鑑賞に耐えうるものになる。という事かな。(←今回は赤ちゃんだけど、芳根さんの高校合唱ドラマもそういうことでしょ?未見ですけど)
すみれもさくらも年齢も役柄も何もかも合致しない上に、演者としての技術も無いわけで、その上に悪い脚本、悪い演出が重なった日にゃ……
為す術なし!
…出来るべくして出来た駄作ということですよ、これは…(ため息)

さて、オイルショックでメリヤス工場もさぞや大変なことになっているのでしょうね。
あれ以来メリヤスのメの字も聞いたことが無いけどすみれは足繁く通っているのかな。武よりも強い絆を工員たちと結んでいるよね?すみれちゃん?…あれ?行列見て呑気に「何ごと?」とか、テレビが映らないって叩いてる場合?
すごい経営者夫婦だなあ…緊迫感ゼロかよ…(呆れ果てる)

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名前無し

60代の主婦です。今月に入ってから何度かレビューを書かせていただいています。ドラマの感想のレビューを書くのは初めてでしたが、『べっぴんさん』に関してはドラマと思いながら納得がいかない部分が多すぎて、こちらのサイトを拝見しました。
擁護されている方のご感想があっても私は良いと思っていますが、皆様おっしゃるように本当にこのドラマは視聴者に対して不快感しか与えない残念な朝ドラになってしまいました。視聴者はご都合主義や予定調和な展開は百も承知で見ています、ドラマと割り切って視聴すればよい事も分かっているのですが。
昨年末までの展開は登場人物に関して少なからず感情移入が出来ていました。しかし今年になってから登場人物のキャラ変更が多くて、ついていけなくなりました。他のドラマとの比較はしたくなかったのですが、過去の朝ドラを見ても、ヒロインや脇役の人たちも終始キャラがそれほど変わることもなく、話が進んでいましたので、見る側も分かりやすくて楽しめていましたし、途中から視聴しても違和感はありませんでした。
『べっぴんさん』の場合、今年になってからはさくらが何度もキャラが変わってしまうので、混乱してしまいます。変わり方にも説得力がないまま進んでしまうので、ドラマを楽しむどころか不快感に変わってしまいました。
ドラマの感想からそれてしまってすみません。
02-23―16:07:12さんが書かれていたように、当時は男性社員にお茶くみなどはあり得ませんでした。キアリスには女性社員がいるはずですが・・・・。
私事で恐縮ですが、私の就職した会社では男性社員が出社する前に女性社員が事務机の掃除、灰皿の吸い殻の処分、それからお茶くみというのが普通でした。もちろんお客様が来られたら、仕事を中断してお茶をお出ししていました。男性社員のたばこの煙にまみれながら仕事もしていましたし、そういう時代でした。別の方が書かれていましたが、当時は女性社員は結婚前の腰掛というのが概念で、24~25才になると職場に居づらくなるというのが普通でした。結果退職を余儀なくされるというのも珍しい事ではありませんでした。
今週の放送での面接のエピソードは現在就活されている方や、周りのご家族など不快な思いをされたと思います。以前の放送分の父親の介護の件なども含めて、最低限のリアルさは描いて欲しかったです。朝ドラは広い年齢層が視聴者ですので、いろいろな矛盾が不快感の原因になっているのではないかと思います。
もちろんすべてをカバーするのは無理だとは承知しています。
脚本家さんも出産、子育て中の執筆は大変なご苦労だったとは思いますが、私の個人の感想で申し訳ありませんが、朝ドラですので奇をてらったストーリーではなくて、すみれや仲間たちのキアリス中心の話でストーリーの展開をしていただければよかったように思いました。さくらが普通に良家の子女で、大学進学、留学、結婚、その後キアリスをすみれから引き継ぐというストーリーならさくらに対して嫌悪感を抱く方も少なかったと思うのですが・・・・。
サイドストーリーが入り過ぎたためにすみれの影が薄くなってしまい、逆にすみれが前面に出てしまうと逆効果になったりと、脚本家さんの意図と違う結果になってしまったのでは
ないかと思いました。(素人が生意気な事を言ってしまいました。申し訳ありません。)
『長文失礼しました』さんのレビューお休みされているので残念ですが、またレビューを書いてくださるのを楽しみにしています。今まで私のつたない長い文章にフォローしていただきました方にもお礼申し上げます。相変わらずの長い文章、乱文お許しください。

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♪梅は〜咲いたか、さく〜ら〜はまだかいな……ええっ!まだ続くんかい!?今日であっさり解決するのだと思ってたよ。アーア…

玉井が喋って以来、脳が思考停止状態です。もはや私にとって玉井はキモカワイイ妖精のような存在。ずっとしゃべらないで栄輔に引っ付いて欲しかった。
その栄輔さん…いい人になって役割終了?昨日今日と出番なしとは、もう使い捨てですか?これが人は役割を持っているってことなの?
今日も酷いナレーションで始まりましたなあ。
「守るべきものとは何なのか?いつでも人は自分に問いかけながら生きているのです」???この朝ドラの登場人物は大変だねえ。役割やら守るべきものやらルールの多いこと(呆)

今日はオープニング明けも前回のリフレインから。
そしてこのすずってババア(あえてババアと言わせてもらう。江波さんは尊敬する女優ですけど)が心底嫌いになった。口先ばかりで何もわかってない空っぽの人物「そっか、そういうことやったんか」って今気づく?ほんとに親身になって五月の面倒見てたんか?二郎と五月の同性知ってたんなら避妊のこととか注意してなかったのか?何が責任持って面倒見るだよ!本当に出てくるだけで不快な気分になる。
今日の最後の騒動でもこのババアがなんで二郎に五月のことを話していないのか?まったくもって最低のババア。
サクラが二郎に恋しているのを分かったのに何も言わないで家に返しちゃうの?バカ親の極みなり。
平気で未成年の前でペラペラと五月の妊娠話を言いふらすデリカシーの無いこのバカ親だから仕方ないか。

相変わらず、いつ?何時?っていうのがさっぱりわからない。正太、夜宿題してるけど何時?五月が風呂あがりで、喜代さんが家事が落ち着いて編み物やってるくらいだから9時位か?この当時の上流階級のお方で、夏休み、そんな時間に小学生に勉強さす親はたぶん皆無でしょう。ご飯食べてお風呂入って目がトロ~ンとなってるのじゃないの?普通朝やらせるでしょ?

喜代さんは本当に良い人だ。
今日唯一真っ当な場面だった五月と喜代の交流。でもそんな場面を見ながら湧き上がるのは「どうしてこんな良い人に育てられてサクラのような出来損ないが出来る設定を作れるのか?」という事ばかり。
そんな時間にもかかわらずキアリスのお花畑さんたちは呑気に家庭の愚痴大会?
とっとと仕事終わらせて帰らないからおかしくなるんだよ!
明美の「難しい年頃やねえ」とかなんなの?そんなセリフ誰でも知ってるし言えるよ。で、今言うの?それで何週間も悩んでるんだろ?
その後の良子のセリフも笑えって言うのか?「私たち苦労してきた年代やない?」どこが?戦争が?子育てが?どの年代も薄っぺら〜くしか描かれてないから分からんよ。君が言ったって理解不能だよ。

そして軽快なジャズのリズムに乗せて今週のクライマックスへ!?
健太郎の密告とサクラの暴走がシーンバックして緊張感をあおってるのかな?この演出は?よく分からんがそんな緊迫の中に紀夫の「二郎って誰や?」なんてアホなセリフ入れないでくれる?健太郎もまた一から説明せにゃあかんやろってなるやろが!!阿呆!緊迫感なくなるだろ!…まあ元からよく分からん演出だからしゃーないけどな。
すずが二郎に五月のことを言わないのと同様、スミレも紀夫になにも言わないのは分かっているが、何べんも繰り返されて頭がおかしくなりそうだよ!

ドタバタコントの始まり始まり〜!
サクラは大阪から神戸へワープ終了!(だから何時なんだよ!?)
演奏が終わったとたん他のバンドマンもお客もスゴスゴ外に出てった?誰も金払ってないみたいだし、何この店?
例によっていきなり入り込んでくる迷惑一家。
人が話してるとこにデリカシーなく割り込んで大声で自分たちのことだけ喋り始めるってなんなのこいつら?どうして人目のないところへ連れて行って話せないのだろう?バカだから仕方ないのか…
「お母さんだけやない、お父さんも来た!」
全員ずっこけるとこだよ!そこは!ずっこけたら笑えるのに誰もしないのか!?

スミレの説教は意味がわからない。何言ってるのこの人?
「悩んで悩み抜いて出した結論なら良い」???
「でも神戸を黙って出るんは違うと思う」???
このバカ娘の悩みなんて一刻も早く家に連れて帰って二度とヨーソーローや繁華街に近づけないようにすれば、あんたたちの言う「時間」が解決してくれるよ!
ホントバッカジャナカロカ!!
「五月ちゃんはどうなるの?」???
もはや脅しの道具となった五月なの?
「どうして自分の事しか考えられないの!」???
そっくりそのままスミレにお返しします!

ずーっと黙って座っているスカウトマンたちが玉井に変わる新たな妖精となるのか?乞うご期待!…なわけあるかい!

で?今週のお題『守るべきもの』って何だったの?ナレーションで「守るべきものは何なのか?〜」って言ってたのが今週のお題の全て?

つくづくこの脚本家の底の浅さが透けて見えて本当に腹が立つ。
ファミリアがNHKと世論に訴え出て放送打ち切りになるのを心待ちにしたい。
今日は(いつも?)汚い言葉が多くてごめんなさい。長文失礼しました。

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名前無し

冒頭からしょぼい展示としょぼい挨拶。あれ?スチュワーデスとか理容師さんないじゃん?すみれにテーマは女の一生って言われても客はポッカーンとするしかないしょぼさ。予算もスペースも限られてるのか知らないけど、100とは言わないからさ、せめて50体くらいのマネキン並べようよ。10体程度でいろんな女の人生って…ないない!どこに自分がいるのかさっぱり分からないと思うけどね。
にも関わらずエキストラの皆さんは大喜びで見ている。デパートの展示をこんなに大喜びで見てる人見たことないわ。子供が「わーい!」って道を行くエキストラよりワザとらしい。
そしてコウノトリの中身を見せろというこれまたワザとらしい女学生エキストラ。あり得ないだろ?そんなこと言うか?中身も知らずに汚い脚立を持ち出して展示品の中身を開く?中身は丸めた新聞紙でした〜!ってのが普通だろ?黒澤明の美術部が飾ったんかい!?(※映らない薬棚の中にもキッチリ薬が飾ってあったって有名なエピがある)
あ〜らびっくり、袋の中に赤ちゃん人形が!?なんと明美が仕込んでいたのです!って本当に見せ方の下手な演出脚本。昨日の展示準備のときとかにさり気なく明美が何かを袋に仕込むカットでも入っていればちょっとは納得できる。武が(コウノトリの足が取れたとか変な描写だった時)、その時に袋に気がつくとかやっとけば…そして明美と目配せすれば少しは優しさに溢れるシーンになったろうに。視聴者は小山と悦子が目配せしただけでネタバレを予想できるんですよ。それをしないで、後から明美がやった場面を放り込まれても、視聴者は「はあ、そうですか」としか言えませんよ。

ヤクザ映画の密談のような栄輔と伊武雅刀。そして遂に玉井さんは栄輔の後ろで玉ボケになって佇むのみ。玉井は再登場して数週間全くエキストラ扱い。ひどすぎね?
栄輔のキャラ変、スルーされ続ける玉井の謎は解明されるのだろうか?

ようやらやっと会いに行くことを決意したすみれ。「さくらに会いに行ってきます」って一人で行くんかい!?紀夫といけよ!家族の問題だろ?紀夫は紀夫で「オレも行く」とか言わねえの?呆れた夫婦だねえ。
バカ夫婦、仮面夫婦…ありとあらゆるダメ夫婦の形容詞が似合いますな。

さくら、少女漫画読んでる。取ってつけたような持ち道具。
今更の母娘の会話…退屈すぎる。
そして「それはワガママよ!」ってみんな2週間前から知ってるってのよ…(;´д`)トホホ…
百歩譲ってすみれは初めて気がついたでもいいけどさ、さくらもそれ聞いて「もう家に帰らない」とかまだ言う?謎すぎる。この1週間で色んな人からアドバイスされてたけどなんだったの?決意なしの家出に、この先ドラマ的何が見えるというの?
すみれよ、決意して会いに来て「ただのワガママ」に気がついたんなら首の根っこひっ捕まえて連れて帰るのが親だろ?黙って座って「つづく」ってなんだよぉ????

予告も最悪だね。絶対来週もつまらないのが目に見えてうんざりする。

いやはや今週もぺらっぺらの1週間が終わりました。紙よりもオブラートよりも薄い1週間。出がらしのコーヒーを飲まされ続けたような1週間の苦行でした。
正直☆一個もつけたくないほど面白くもなんともありません。受信料払ってこんなもの作られて垂れ流されて腹立たしい限り。

長文失礼しました。

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名前無し

今日も長文失礼します。
週頭…先週特に不快に感じた場面ばかりをアバンにブチ込んでくるとは!たしかに否定派にケンカ売っているとしか思えない。
違うならやはりこの制作陣のセンスはズレている。

さくらがいなけりゃそろってのんびり朝ごはん食べる一家?嫌いなの?さくらのことが疎ましいから仕事のふりして顔合わさなかったのか?私は朝ドラだから明るく爽やかにして欲しいとは特に思ってない。なので、今後、すみれのダークサイドをしっかりとしたドラマで見せてくれると言うなら大歓迎したい。実の子供を好きになれないけど、素晴らしい子供服を作れる矛盾した心を内面に秘めたダークヒロインが主人公の朝ドラ。それなら画期的で現在は評価されなくても将来傑作と言われることもあるかもしれません。ま、この脚本家にそれが出来るとは微塵も期待してないですけど。
おっと、逸れました。こんなこと書いてるから長文になるんですね。
でもってミスチルのオープニングも本当にこのドラマに似合わないマトハズレな映像になっちゃいましたね。
タイトル明け、いきなり女の一生大絶賛?「これやったらどこかに自分を当てはめられる?」…おいおい本当か?明美も当てはまるのか?ヨーソローの江波さんも?五月も?すみれさん、あんた土曜日にヨーソローでいろんな人生があることを実感して涙したんじゃないのか?
「よーく考えたねえ!」と大急社長。幼稚園の先生かっ!
チャチなイラストから大急の一番を出すって話にトントン拍子?元々キアリス一社を全面に出してやろうって話だったんじゃなかったっけ?他のメーカーの承諾もなしに決定できるの?デパートごっこもいい加減にしなはれや…トホホ
「なにせキアリスですから」って小山だっけ?悦子とのネタをここまで引っ張る理由はなんだろ?ほんと悦子の相手が栄輔だったり二郎だったり、紀夫とかだったらどれだけめちゃくちゃで面白いダークドラマになるだろうと思うよ。でも、違うんでしょ?ここまでミエミエに小山を引っ張っちゃったんだから違ったらまた総スカンだよ。

続いてオライオンもキアリス上げ。「女の一生かぁ!いいですねえ」「キアリスの発案なんや」…もういいって!視聴者はもうわかった!いらんセリフでしょ?

武デスりネタ。記憶ないから許される西條?水飲んでたから平気?どうやって水飲んでたんだろ?ペットボトル隠し持ってたか?自分が飲むはずの徳利を全て水に入れ替える?ウイスキーを水に入れ替える?おいおい色が違うよね?ビールを水にする?泡と色はどこにいった?得意先に注がれた酒をどうやって水にする?ドラマだからそれを面白おかしく映像にして見せてくれるなら納得する。あるいは武を連れて行かなくて結局失敗するというならわかるのですが…結果はスルー。西條連れて行って正解だったの?って事は武を笑い者にするだけのシーンだったってこと?そりゃあ人格を疑われますよ。

「いってらっしゃい」を言わないすみれ。夫婦でも社長と社員でもない、ダークな関係。

さくらは制服姿でヨーソローへ。学校行ったの?だからその学費は誰が払ってるの?
お休みのヨーソローと港に行く場面になんの意味があるのか?回想シーンを入れての尺稼ぎだよね?

また無意味なキアリス会議。「ここまでは自分のたどってきた道だからわかるけど…」って君枝。おいおい、明美はたどってない。そらあ嫌味のひとつも言いたくなるわ「この通りおばあちゃんになってお終いやろ」明美のダークサイドがこの後炸裂して欲しい。

「与えられた時間で、親としての在り方を問うすみれです」…また随分説明的なナレーションだけど…「その時間は、すみれにとっても必要なのです」……全く意味がわかりません。今日の放送で一番目が点になりました。企画展の画を指でなぞって、昔の写真とカットバックして、涙してるすみれを見て何を感じろと言うのでしょう?

そしてゆりもキアリス上げ。「さすがキアリスや、発想がちがうな」って…トホホ。
ゆりは少しでもすみれの仕事をホメてさくらにわかってもらおうとしてるってこと?だとしたらお門違い。無理くり押し付けてどうすんねん!お前が時間が必要っていったんだろ?さくらが帰ってきたらさり気なくテーブルの上にあって、さくらが見るとかさ、やり方は他にもあるだろ?
その後の紀夫が会社に帰って来たとこも、さくらが寝室でボケっとしてるとこも尺稼ぎですよね。

で、また朝はのんびり。
「今日は早く終わりそう」……嘘でしょ?企画が通ってこれから実際展示するために必要なものを調達したりと忙しくなるのはこれからなんじゃないですか?
「ゆりさんの家にいかんか?」…間違ってはいないです。でもね、昭和30年代の日本の常識ではあの家は「潔さんの家」なんですよ。ぼかしたい、っていうか親なら「さくらに会いに行こう」が正解でしょ?
「私は行かない。行ったところで言えることがないの」…口をあんぐりしてしまいました。
「なんで家族なのに一緒におられへんのかわからん」とか甘ったれ発言でどんどん株を落とす紀夫。
やはりこのままダーク朝ドラにするしかない。
さくらはオライオンと手を組みミキハウスを創業。ファミリアと敵対して……スイマセン、言い過ぎました…。

すみれの「さくらにいう言葉がない」って言うのは脚本家の本音なんじゃないかな?「心配してる!っていうセリフしか書けないのよ!」と、どうしていいかわからなくなってるとしか思えません。育児ノイローゼになってないでしょうか?NHKさん、脚本家のケアをちゃんとしないと大変なことになるかもしれませんよ。冗談ではなく。

もう最後まで書き終わってるならいいですけどね。

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名前無し

コラムニスト木村隆志さん、このドラマ見てるんですか?
「ドラマ全体を“穏やかで優しい”世界観で統一・・・」
えっ!どこが穏やかで優しいんですか?全体を覆うグダグダ、だらだら感。繰り返される底意地悪いイジメ。薄っぺらな人物描写。
「“女性たちの仲良し物語”と思われがちなところがあります」・・・
その通りでしょう?年末まで仲良しお嬢さんの学芸会だったでしょう?
何言ってんですか?木村さん。

「脚本の渡辺千穂さんが、「毎朝見終わったあと、人に優しくしたくなるドラマにしたい」と話していたように」・・・
えーっ!あんたが言うか?って話ですよ。視聴者こそがそんなドラマを毎朝見たいと熱望してるんですよ。
「人間の良心や身近な人々とのつながりを丁寧に描いてきました。」
丁寧? 次々と無くてもいいトラブルエピを繰り出して、あっさり解決。どこが丁寧なの?

「いたずらに大事件を起こしたり、特異なキャラクターを投入したり、小ネタを盛り込むなどの仕掛けで視聴者心理を揺さぶろうとするドラマも多い中、」・・・これってこの朝ドラそのものじゃん。木村さん!

脚本家や、NHKの大本営発表だけをネタ元にしてたら、ソッポ向かれますよ。 ただでさえ、ジャニーズ絡みで、芸能記者さん、芸能誌紙そのものの真価を問われている時ですから。

どうぞ冷静になって、「正当に評価されていない」このドラマを「正当に評価される」ドラマに導くような評を、プロであるである木村さんが発信して下さることを期待してます。

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名前無し

仕事始めの日に店で朝から立食パーティ? この時代、お節料理を和服姿で立って食べる風景にすごく違和感。

外国人相手のベビーナース経験に加え、以前テーブルクロスの注文を受けたときも英語が堪能な明美に通訳を頼んだくせに、今、英語を話せる人と聞いてすみれが明美を思いつかないなんて冷たすぎ。しかも正月も独学で英語を勉強する健気な姿を先に見せておいて、いざ商談の席ではそれが全く通じずに恥をかくという残酷な展開。
本当に、この脚本家はなんて意地が悪いんだろう。

明美は英語がわからないのではなく単に会計用語を知らなかっただけ。「決済」くらいのビジネス用語は明美が独学で勉強しておいて、さすが明美ちゃんという展開にしてくれれば気持ちがいいのに、なぜかいつも明美は落とされる役。
キアリスのベビーガイドにしても明美の知識や指導内容をまとめたものなのに、いざ冊子にするとなると明美は文章が下手で役に立たず手柄はすみれのもの。
みんなで創業したキアリスなのに、新聞で取り上げられる時は、単に独身で子供がいないというだけで、一人無視される。

お嬢様がた3人は女学校時代に手芸クラブに入っていただけで、正式に洋裁を学ぶシーンがなくても何でもできちゃう設定なのに、どうして明美だけいつも頑張りが報われないんだろう。
本当に、見てて不快になります。
明美が一人貧乏人で身分違いという設定があるから余計にそう。
一人苦労人で常識があるはずなのにその長所も生かされていないし、本当に明美の扱いがひどすぎ。
せっかく今日はすみれが明美のために着物を用意する優しさがあったのに(着物は明美が一番似合ってた)がっかりです。
さくらちゃんの「おぜんざい、まずい。作り直して」に続き、正月早々不快な展開でうんざり。

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名前無し

あの最初の2週間の超高速展開は何だったんだろう。
母親の影響で刺繍好きになり麻田さんの言葉から別品作りに興味を持ったことこそ伝わったけど、将来一緒に店をやる良子や君枝との関係はただ手芸クラブでちょっとチクチクしただけで、それぞれモデルの方はプロ並みだったという洋裁の専門技術を習得するような描写はなし。店を開こうという段になっていきなり良子は型紙おこしが得意だし君枝はデザインが得意で家にはミシンもあるという。すみれも刺繍とおむつ作りくらいのシーンしかなかったのに当たり前に縫い物は得意な様子。しかも3人がその技術を生かし丹精込めて売り物の子供服を作る具体的描写はおよそなく、新店舗開店となればお針子さんにど素人の近所の主婦を雇う。そしてそれでも商品はバカ売れでついには一流百貨店にまで出店。
お金持ちのお嬢様の話だと親近感がわかないから庶民感覚をと思ったのかもしれないけれど、キアリスの商品は粗悪品があふれた時代に上質な布地を使った仕立ての良さが売りだったはず。それをど素人の主婦たちに縫製丸投げで自分たちは雑貨作り(主にお絵描き)にばかり励んでいるなんて、本末転倒でモデルの方にも失礼だし、百貨店でも売れる高品質商品の説得力皆無。
どうして最初の2週間に将来の下地になるこうした部分や良子や君枝との絆をしっかり描かなかったのか。すごく残念です。

それとこのドラマで気になることはいくらでもあるけれど、麻田さんや明美の描き方も私は不満。
子供の頃ものづくりの精神と素晴らしさをすみれに教えた麻田さんが、いつの間にかキアリスにとっての便利屋さんになり、ついには名ばかりの社長としてコントキャラ?にされている。家族同然の親しい関係にしても描き方に敬意がなさすぎるんじゃないのかな。
明美も最初は身分違いの対立構図だったのが、手縫いの写真入れであっさり確執が解けて仲間入り。縫製ができないぶんベビー相談で能力発揮はいいけれど、なぜかいつも一人仲間外れのような立ち位置で、貧乏人・苦労人だからこその良さ(お嬢様にない社会常識など)が生かされていない。すごく中途半端。

描くべき部分が省略されて、どうでもいい辞める辞めないの繰り返しなど構成の不満が目立つ前半でした。後半はただすみれに都合よく話を進めるだけでなく、周囲の人間ももっと丁寧に魅力的に描いてほしいです。

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名前無し

大金持ちのご令嬢で、戦争で豪邸を焼失しても別荘にあった豊富な布地や刺繍糸は無事。だから手芸品店を開店しても材料には困らないし、学生時代に洋裁を学んであったから、粗悪品のあふれる時代に上質な生地の仕立ての良い商品が富裕層に受けて大繁盛。

こんなお嬢様のとんとん拍子のサクセスストーリではドラマ化しても共感を得られないだろうと、ヒロインたちに試練を与えて苦労させ、力強く乗り越える姿を描こうとしているんですよね。
それはわかります。でもやっぱり表現方法が巧くないんじゃないのかな。
実際にモデルの方も世間知らずで値段をつけ忘れたりどんぶり勘定だったりはあったようだけど、あくまでもそれは本当の初期の話。それを新店舗開店して数年たってもまともに帳簿もつけられないように誇張して、お嬢様のおおらかさを超えた愚かさや非常識さを強調してしまう。

お嬢様3人が相次いで辞める辞めないの騒動などは創作ですよね。
これも病弱で姑に仕事を反対されていた君枝はともかく、良子など愛想がなく差別的な接客態度を指摘されての逆切れ出社拒否だし、すみれも家庭との両立に悩んでという理由はよくても、言い出しっぺの経営者が簡単に辞める無責任さや、夫に相談もなくみんなの前で宣言するという身勝手さ、夫への配慮のなさが感じられて共感できない。
紀夫が復員前に早々戦死を覚悟して、自分に想いを寄せる栄輔に心を許すような曖昧な態度をとり、家に泊まらせたりしたのも悪印象。

世間知らずのお嬢様のおっとりは決してマイナスイメージではない。それなのに史実を変に曲げて誇張したり、下手な創作脚本・演出で、逆にヒロインたちのイメージを落としてしまっている気がします。
ほんと、実在モデルのいる話のドラマ化は難しいですね。
人間ならば欠点があるのは当然。失敗もするし愚かな行動もする。
だけどそれでも応援したくなるような魅力的なヒロインにするのが脚本家の手腕じゃないのかな。
仕事で名声を得たヒロインなのだから、人間関係でいたずらに苦労させるより、仕事で悩み苦しみながら奮闘努力する姿、その前にまず肝心の子供服作りに愛情をこめ丹精を込めて取り組む姿を見せてくれるほうが多くの視聴者は満足すると思うんだけど。

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名前無し

※今日の疑問

五十八はぞくぞくと帰還してくる船の情報をラジオで聞きながら、なぜ諦めた方がというのか?前を向けって、はぁ?なんですが。
その中にもしかしたら紀夫がいるのでは、とは思わないのだろうか。
無理やり紀夫を待つのは後ろ向きってことにしようとしてますよね。っていうか、その話をわざと栄輔に聞かせ妙な期待をもたせすみれにコクる決意をさせるための小芝居脚本ですよね。
そういうところやるならもう少し視聴者にその意図が判らないような自然な流れにしてほしいです。いつも仕掛けが不自然。
そして明美が視聴者涙活促進のために、引きこもったすみれにさらなるダメ押しの一手!・・・もう結構です。

アサヤの開店は何時?
いつも朝早くからクローバー達は、そろってますけど、町内のみなさんが玄関先の掃除をしたり、チュンチュン・・と日差しのさし加減から、結構早い時間に思えるんですけど。
旦那さんはほうりっぱなし、家事もしてないんですかね?
君枝の義母は相当お冠かと思います。
体が弱いのに大切な息子と結婚させてやって、寝込んでる時には世話もして、生きがいだかなんだかとわがまま言うから、やりたいこともやらせてあげてる・・一日四時間と決められたはずなのに、楽しくなっちゃったら始終出かけるとんでもない嫁です。

ん?朝なの夕方なの?
その朝っぱらに朝がえりする潔はいったいどこをほっつき歩いてたんでしょうか?ゆりも平然とお帰りって・・・・うーーーん
たぶん夕方ということでしょうね。
潔とゆりのシーンと前のすみれ達のシーンとのつなぎが雑で、一気に早回しすぎるので、混乱しそうでした。
そして、ここから栄輔がやってくる次の日の朝も唐突につながれているので一連の朝の出来事のように感じ、この人達、瞬間移動してるの?と錯覚おこしちゃいそうです。脚本家が自分が言わせたいセリフを早く言わせたくて仕方がないって感じ。
もう少し丁寧にことを運んでほしいですね。たっぷり時間はあります。青春時代をハショッてるんですから。

それにしても潔とゆりの話は唐突でなんで近江が突然出てきたのかと思えて仕方がありません。
お父さんとお母さんのやってたことを自分達がするって原点に帰ろうってことかとは思うのですが。
その発想の原点がわからへん・・・・どこをどうしたらそうなるのでしょうか???

へへ・・ここまで盛り上げておきながら、一気に落としましたね。
手紙がきました。
哀れ、栄輔ピエロさん。
前半の紀夫は諦めろのダメ押しいる?ただ栄輔に決心させるためだけの茶番でしかないです。
それにもとより、このエピは強引すぎてイライラしました。まだ一年経ってないのに、みんなであきらめて、あきらめてって。
そろそろ本格的に面白いエピをやってくれないとほんとに脱落しそうです。

※どうしてもやめてほしいこと。

子供を貧困をあらわすためだけの小道具にしないでほしいです。
靴磨きの少年と、花売り娘、ほんとにやめてください。
すみれ達が小奇麗な恰好でどうでもいいことやってるだけなので、なんだか本当にかわいそうになってきます。セリフのひとつもなく、貧困を表すためだけにボロ着せられて座らされてるなんて。
なんだか虐待にも思えてきます。

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