




![]() |
5 | ![]() ![]() |
630件 |
![]() |
4 | ![]() ![]() |
133件 |
![]() |
3 | ![]() ![]() |
62件 |
![]() |
2 | ![]() ![]() |
83件 |
![]() |
1 | ![]() ![]() |
261件 |
合計 | 1169件 |
ここは基本はファンサイトでしょう。下にファンどうしの対立云々という言葉がありますから。
感想掲示板で、顔も見えない相手に論争を繰り返してるのが日常です。 言い換えれば、顔も見えない素性もわからない相手に自論を書いているのがネット掲示板やブログです。
ここの「いいね」の感想も、主観的で客観性について、疑問です。
消去法でとして、顔も見えない相手の意見に(反論)しないことが良いです。
>さて、一体、活男の「兵隊さんの「ごちそうさん」になりたい」はどのような「ごちそうさん」をいうのでしょうか?兵隊さんを集めておやつを配るのでしょうか、それとも、兵隊さんに食材や燃料を持ち寄ってもらって、共同炊事をしましょうと提案するのでしょうか?全くわかりません。
大変失礼ですがこのような解釈しかできないなんて
理解力想像力がなさすぎなんじゃないんですか?
かっちゃんがなぜごちそうさんになりたいと思ったか
ちゃんとえぴはありましたよね?
そもそもごちそうさんって何ぞやって先週やっていましたが?
おやつ配ることでも、共同炊事をすることでもないですよ。
感想サイトですから批判だってあり、でしょう。
でもドラマそのものを批判や否定(ドラマ自体やそれを受け入れてる人の感じ方に対する「反論」ですよね)を自らしておいて、自分のコメントには擁護派は反論しないで、書きにくいから、という主張はいささか矛盾している、と感じます。
書きにくい、書いた頻度(書いた回数が多く、見ている人が一部ではないか)と書いたのですが、反論意見(釣りコメント)になり、擁護派が多いのかなあ。
やっぱり
個人が個人の範囲で精一杯できることをやるしかないんだよね。
カツオにはそれを考えさせられました。
人のために美味しい物を作りたい、という行為が
戦時下にあってこうも悲しく感じられるのは、本当に辛い事です。
当時もものすごく戦争に染まっていながら、本当はこんな事したくないって
みんな思っていたのかもしれません。
でも中には心から勝つ事だけを目指していた人もいるだろうし
とても複雑ですね。
国とか仕組みとかを考えた時、思考は一つにまとまりがちですが
個人で見るとみんないい人で、みんなちっぽけで、みんな精一杯やってる、けどそれは本当に小さな事。
毎日家族にごはんを作るという事も、その小さな精一杯の一つなんだと思いました。
でもそういう小さな個人の精一杯がたくさん集まって、善意というものになるのかもしれないなあ。
>ドラマそのものを批判や否定(ドラマ自体やそれを受け入れてる人の感じ方に対する「反論」ですよね)
ええっ!?
ならドラマそのものの肯定は、そう感じない人への「反論」なんですか?
その理屈だとそうなりますけど。
その上で、両者まったくのフィフティ・フィフティですけど。
ドラマを見て面白かったつまらなかった、そこに他人の見解なんか関係ないでしょう。
個人の感想の前提として常に他人の感想(未発表)を意識せよと、言わんばかりの
そんなワケのわからない筋違いな認識の人がいるから、不必要に場も荒れるんですよ。
特定意見へのそれこそ「反論」ではなく、
最初に否定感想を書く人も(肯定感想を書く人も)、誰も貴方個人の感じ方など
意識してないしする必要もないと思いますよ。
ズレきった被害妄想の上にどんな理屈を構築しても屁理屈にしかなりません。
あまりにも呆れた意見なので思わず反応してしまいました。他の皆さんすみません。
他人の感想について、感想って必要でしょうか?
肯定する感想や同意する感想を掘り下げる(枝を広げる感想)は、面白いと思います。
このドラマを面白いか否かに対する、反論(主観)って、かみ合わず、揉めるだけ、悪い言い方をすれば、この場を借りて、他の参加者を巻き込んで、不毛の論争ではないですか。
ドラマで肯定でも否定でも構いませんが、肯定でも否定でも、大意が同一見解でないと揉めると思います。 反論があれば、基本はスルーが大人のマナーでは?。 他の感想に、トピ主のように、「逐一」主観的に個々に書かれるから、反論意見もあるのではないですか
ごちそうさんの母を見て育った子ですね、かつおくん。
私の母は料理ができないので、私も料理ができない娘でした。
めいこが子どもたちにしてあげたことは大きいと思います。
こちらは十分に書きやすい雰囲気だと思います。
酷いコメントがあっても、酷いコメントで
返していることが少ないので感心します。
でもあまりに酷いときは、これは仕方がないかな、と思うこともあります。
えええ??
ドラマを擁護してる、ってことはドラマをそのまま受け入れてる、ってことであって批判的な見方を否定してることになんて元々なっていませんよ。
作者が描くままをただ受け入れてる、ってだけでしょ?
そういう人達が批判意見を言うな、って言った時に初めてそういうものへの否定でしょ?
反論、と否定はぜんぜんちがいますよ。
作品として存在しているものに対して異を唱えるのは作品の作りそのものに対しての反論そのものではありませんか。そしてそれが悪いことではありません。異を唱えていない人の見方に対しても反論である、と見て何が悪いんでしょう?だって「作品」という形がまずはじめにそこに存在するのですから。批判している人が元々の作品をつくっているわけではありません。
そもそも直後であろうがそうでなかろうが、こういうところにコメントを書いて同意も反論もして欲しくない、なんていうこと自体肯定否定問わず常識はずれではありませんか?反論がくるかもしれない、くらいの覚悟は普通は持っていてそれでも自分の言いたいことを言う、というのがこういうサイトではありませんか?
もちろん希望としてお書きになるのは自由だとは思いますが、それが思い通りになるとはとても思えません。
自分が書きたいことだけ書いて誰にも反論もされたくないならこういうところではなくて違う方法でドラマの感想を楽しむべきことと思います。
同じく他の方すみません。
大人のマナー、というなら反論は反論、として受け止める。
こういうサイトではそういうことだと思う。
反論するな?自分と違う意見は全てスルーしろ?
そりゃあこういうコミュニケーションサイトに要求すべきことじゃないでしょ?
>さて、一体、活男の「兵隊さんの「ごちそうさん」になりたい」はどのような「ごちそうさん」をいうのでしょうか?
私も同じようなことは感じました。
かっちゃん、とてもよい演技をしていて 感動しました。が、その一方 あれ?あんまりお料理したことなかったんだね。おむすびも 作ったことなかったんだね。うーん…母の背中をずっと見てきて 自分も“ごちそうさん”になりたいと思ったのでしょうけど …
海軍に志願して コックになる、そこまでの決心するには ちょっと足りない気がする、と思うのは 私だけでしょうか。
自分も含めてですが、⭐️がついてないですよね。連続評価ができないからですよね。
狭い世界なんだな、と思います。
あえて評価しない人も いるのかしらん?
そうですね。
感想サイトなんて世の中全体から見ればとても狭い世界だと思います。それをもってそれぞれのドラマが世の中の評価、なんて判断することは不可能なことだと思います。
自分と違う見方には反論する、スルーする、それぞれのやり方だと思います。
スルーすれば?と言うのなら自分も反論をスルーすればいいことであり人になにかを要求することではないと思います。
>大変失礼ですがこのような解釈しかできないなんて
>理解力想像力がなさすぎなんじゃないんですか?
>かっちゃんがなぜごちそうさんになりたいと思ったか
>ちゃんとえぴはありましたよね?
すみませんね。理解力も想像力もなくて。
よろしければ、かっちゃんが、どのエピで、どういう「ごちそうさん」になりたいと思ったのか教えていただけますか?
>そもそもごちそうさんって何ぞやって先週やっていましたが?
>おやつ配ることでも、共同炊事をすることでもないですよ。
先週のエピで、めい子が馬介の頭突き土下座を見た後、糠床ナレが、「馬介さんこそ「本当のごちそうさん」だねぇ」と言い、めい子は、その後「私を「ごちそうさん」と呼ぶな!私は「アカンタレ」や。」とうちひしがれていました。
私はあれを見て、馬介がなぜ「本当のごちそうさん」で、めい子が自分を「ごちそうさん」ではないとしたのかが分かりませんでした。その後の悠太郎との問答、室井のアドリブ放送、婦人会での共同炊事を経て、なぜ、めい子が「ごちそうさん」を再開することになったのか。何度なぞり返しても理解できません。
週が明けたら、いつものように子ども(しかも増えてる)におやつをあげて、「ごちそうさん」と呼ばれる生活に。一体、めい子の「ごちそうさん」は何が変わったのか?
理解力も想像力もある貴方ならおわかりなんだと思います。差し支えなければ、「本当のごちそうさん」とはどのようなことなのか、教えていただけますでしょうか?よろしくお願いいたします。
今週の親子の描き方はいつの世の中でも通じる親子の気持ちとか距離の取りかたとかが上手く描かれていたと思います。
悠太郎とめ以子の夫婦は子供達にたいして高圧的でも放任でもなくほどよいかもと感じました。
カツオがめ以子におかあちゃんのようになりたい、ごちそうさんって言われたい・・と言ったことでこの母息子が良い関係でうらやましいくらいだなと感じました。
このドラマならではのセリフと納得が行きました。
それだけに海軍に入る直前の朝にこれまでと同じように一緒に食事を用意する二人の姿が何だかすごく悲しかったです。
本当のごちそうさんは、このドラマを見て各自が感じ取るものだと思います。
感想サイトでは、淡々と感想を書きたいのですが、
他人の感想の感想に書いて、発展性があると思えない、が私の意見です。 こういうサイトは、向いてないのでしょう。
めい子がご近所さんにステーキを気前良くふるまって、ごちそうさんと呼ばれるところに合点がいきませんでした。
ごちそうさんと呼ばれるスタート地点からずれてるものを感じましたが、それはめいこを成長させるためだったのかなあと、貧すればうどんすの週を見て感じました。
共同炊事やオムレツを家族で味わうところを見て、少ない食材を分け合って食べる深刻な状況と人とのつながりを感じます。
が、来週の予告ではまだ和枝さんと仲良くするような雰囲気はなかったなあ。
まだまだめいこの修行が足りないんでしょうか?
>自分も含めてですが、⭐️がついてないですよね。連続評価ができないからですよね。 あえて評価しない人も いるのかしらん?
これ、意味がわかりません。
今後の参考に、具体的に説明していただければ。
星は一週間に一つしか付けられないから、
星のついてない感想は既に評価を終えた人。
ここには毎日、おんなじ人ばかりが何人か来てコメントしてるってことが言いたいのでしょう。
一週間に星5の人が何人、星1の人が何人いるか
数えたら、擁護派?批判派?がここに何人いるか分かるってことでしょう。数えたことないですけど。
狭い世界でも、ドラマの感想が語り合えることは私はとても楽しいです。
⭐️は、星のことですか。 説明、ありがとうございました。
回答いただいた人も含め、他の人も、ドラマの感想以外のことで、お時間とらせて、申し訳ありませんでした。
>大変失礼ですがこのような解釈しかできないなんて
理解力想像力がなさすぎなんじゃないんですか?
ごめんなさい、投稿しようかどうしようか迷ったのですが。
こういう反論?があるので、なんだか余計なこと言えないな、と思ってしまします。大げさかもしれませんが、人間性を否定されている、と思ってしまうんです、私みたいな性格だと・・・
だから私はもっぱら皆さんの感想を見ていろいろ考えているクチです。こういうサイトは向いていないんだな、と思います。
人の感受性とかはそれぞれなので、意に沿わない投稿があっても、優しく受け止めてほしいなあ・・・優しく、とは言わなくても、ちょっとワンクションおいてほしいです。
素直な意見が言えるサイトになってほしい。
2014-02-22 21:03:12 です。
補足。私数日ぶりの投稿です。いろいろ誤解が生じるといけないので。
私は何度も書き込みしてますが、星の評価はしていません。ここを知った当初はしていましたが、はっきり言って星の評価に意味はあるのでしょうか?そんな物より、一つ一つ書かれている内容を読めば、全体的な評価は分かると思います。
最初の頃は好感触な内容が多く、批判的な内容には怒涛の反撃がありましたが、今年に入ってからは疑問視する内容が増えてきて、ふ久の投石、火付けのあたりからさらに批判的な内容が増えて、最近は辻褄が合ってない、意味が分からないというような内容が多くなってきたように感じています。
私はどちらかと言えば、ここはおかしい、とか、以前のエピと今週の内容が合わない等の疑問コメントをすることが多かったです。
昨年なら、それはこう考えるんだと反論があって、なるほどなぁ、私の解釈が浅かったなぁと感じる事も多々ありましたが、最近はそう思えるコメントがあまりありません。
深い思慮でごちそうさんを見て唸らせるコメントしていた人達はどこへ行ってしまったのか。
最近はコメントする回数も減って、ただ皆さんのコメントを読ませていただくだけが多くなってきました。
活男が「(好きな料理がしたいから/本格的な料理がしたいから)海軍に志願して主計兵になりたい」と言っても、活男を死なせたくないめい子は「あかんもんはあかん」とはねつけた。(ひとまず、「お母ちゃんを人殺しにする気か」発言はおいておく)
次に活男が「おかあちゃんのようになりたい」「兵隊さんの「ごちそうさん」になりたい」と言ったから、めい子が翻意して活男の海軍志願を許したとすれば、めい子が「ごちそうさん」としてやろうとしていることを活男が海軍の主計兵として実現しようとしているからでなければならない。(めい子がやろうとしていることを自分の息子が同じようにやろうとしているのだから、めい子にそれを止めることはできない。それでこそ「大きゅうなったんやな」の台詞が生きてくる。)
では、めい子が「ごちそうさん」としてやろうとしていることとはなんなのか。活男は海軍でそれをどのような形で実現しようとしているのか。先週のエピでめい子はそれまでの自分の「ごちそうさん」としての活動に疑問を持ち、馬介の行動に「本当のごちそうさん」を見て、悠太郎との問答、室井の放送を経て、共同炊事を提案した。めい子はこれで本来の「ごちそうさん」を取り戻した・・・はずなんだが、相変わらず、子どもにおやつをあげて「ごちそうさん」と呼ばれる毎日。
それが「美味しく作って美味しく食べさせる」ことだというなら、海軍の主計兵だって普通にやっていること。めい子は活男の海軍志願を最初から許さなければならない。めい子の「ごちそうさん」に何か特別の思い入れがあって、活男がそれを引き継ぐ意志を示した、というのでなければ、あの場面に共感はできないし、「お母ちゃんを人殺しにする気か」はただのインパクト狙いの下衆な台詞にしか思えない。
戦争をやんわりと、家族単位で描く範囲を超えないところが
日本のぬるさかもしれない。
戦後の平和主義の教育と、その後のゆとり教育
これらのせいで、はっきりと主張する事を良しとしないオブラートに包んだ表現と
読解力の低い視聴者にあわせたわかりやすい単純なストーリー
でしか、今のドラマを作れないのかもしれない。
でないと視聴率がとれないから。
実際、ごちそうさんはすごく視聴率がいい。わかりやすいから。そして戦争時においても平和でふんわりしているから。
それでも一部の視聴者には理解できていない部分があるのだから、もうふりきって数が低くてもいいから主義を通したドラマが見てみたい。
め以子は元々ほめてもらうために人にものを作ったり子供達におやつをあげてた訳ではないと思います。
しかしほめられればやっぱり人間だからうれしい。
そしてほめられてごちそうさん、と祭り上げられることに慣れてしまうといつの間にか自分でも人になにかをしてやっている、という感情が生まれてしまう。
め以子はそんな自分に気づき自分をごちそうさんどころかただのあかんたれに成り下がっていた、ということを自覚したのでしょう。それで、自分のためではなく純粋に相手が喜ぶことを目的として人にごちそうするのが本当のごちそうさん、という本来の自分の理想、目指すものに気づいたのだと思います。
だからありがたいと感謝されるのでなければもうおやつなんて作らない、なんて言った自分を恥じてあれ以来はまた、ただ子供達の喜ぶ顔が見たいから作る、と変わったのだと思います。
そういうめ以子の変化、この母が本来持っている人に美味しいものをたべさせてあげたい、という純粋な気持ちに活男は魅かれ自分もそういうふうになりたい、とああいう道を選んだのだと思います。
でもそんな親子の結びつきが親にとっては嬉しくもあり、独立して自分から離れて行く引き金にもなる、そのあたりの複雑な親の気持ちがよく描かれていると思います。
一人一人の登場人物の気持ちをおろそかにせず大事に描く。戦争に関しては皆が皆「私はこう思う」なんてことをあからさまに言わなくてもそれぞれの言動から庶民の生活レベルや芸術や言論の自由などという観点からそれぞれの人物が感じているところが伝わって来ますし、作者が戦争中のこの人々の生活に疑問を抱いているだろうことは見ていればわかります。一般庶民として、世の流れに身を任せなければ生きて行けない部分とそれでも流されているばかりではない人々の様子が描かれていると思います。そういう意味で理解でき共感できる人も多いのではないでしょうか?
もちろん視聴率がよければ良いドラマ、などと単純に言うことはできないことと思いますが、分かりやすい、という朝ドラで共感を得て楽しく毎日見られる人が多い結果として、視聴率が上がることが悪いこととは思いません。
ここでも最近は批判よりもドラマに好意的なコメントもまた増えてきているように感じています。
私も星の評価はあまり気にならないのでつける週も忘れてしまうこともありますが、とにかくムリヤリ擁護もムリヤリ批判もすることなくドラマもここも楽しませて頂こうと思っています。良いと感じる時も疑問を感じる時も素直に書かせて頂き、同意も反論もする時があると思います。
また戻って来てそしたら・・とことばにつまってしまう
めい子にカツオの方からアイス久リンを作ろう、牛乳で
オムレツ作ろう、とまるで母を安心させ励ますようなことば。
まだまだあどけない子供の顔なのになんて立派な男の子に
成長したの、カツオくん、と頼もしく感じられた。
子供は元々持ってるもので自分で成長していく、みたいな
ことを言っていたふ久の言葉を思い出した。
なんだかもうカツオが返って来ないような気がしてしまったけど
良い意味で裏切って無事にもどってほしい。
>最近は辻褄が合ってない、意味が分からないというような内容が多くなってきたように感じています。
そうでしょうか。逆の意見や批判に対する反論も多くなっているように感じますが。前半はむしろ先取り批判や非常に主観的なめ以子憎しのような否定コメントが多かったように記憶しています。とらえ方はいろいろですね。
後半はじめのふ久の描き方などには疑問の意見はいろいろあったと思います。
もともとこのドラマの肯定的コメントや批判に対する反論はめちゃくちゃなただの信者意見のような感情的、超主観的なものが少ないように感じていますよ。
わたし自身は、最近こそいろいろな辻褄が合って来たりめ以子がどんな性格なのか、とか何を目指してるのか、とか、このドラマでテーマを描く上で話がどういう方向に進んでいるかがだんだんわかってくるようになりました。
正直後半に入ったくらいの時まではよくわからないところがありましたが最近、特に先週、今週の展開は人の気持ち、という感情面でもめ以子や西門家の心がよく伝わって来ました。
上、すみません。最終行、西門家の心、ではなく西門家の人々の心です。
訂正、付け加えさせてください。
活ちゃん 無事に帰ってきてーーー
>ここは基本はファンサイトでしょう。下にファン同士の対立云々という言葉がありますから。
それは違うと思いますよ。これはドラマというものを好きな一般のドラマファンという意味で、特定のドラマファンのためのサイトというわけではないと思います。現に、このサイトの他ドラマのものを見ても、決してファンサイトにはなっていません。星評価を見ればわかるでしょう。そもそもみんながこのドラマを好きなファンだけのサイトなら対立自体起こらないでしょうしね。
>反論意見(釣りコメント)になり、擁護派が多いのかなあ。
私はどちらかというと批判的意見を書くことが多いですが、ドラマの開始当初と比べたら最近は、ずいぶん批判意見も書きやすくなっていると思いますよ。すぐに反論が来て意見を書きにくいと感じることがあるというのは、どなたかが書かれていた通り、否定派、擁護派どちらの方にも言えることでしょう。
別にそんなことを気にせずに、自分の思った意見を書かれればいいんじゃないですか。
>肯定する感想や同意する感想を掘り下げる(枝を広げる感想)は、面白いと思います。このドラマを面白いか否かに対する、反論(主観)って、かみ合わず、揉めるだけ・・・反論があれば、基本はスルーするのが大人のマナーでは?
これって要するに、否定意見は書くなっていうことですよね。このサイトでよく本筋を理解して解釈しろ、という意見を拝見しますが、ただ面白いと書いている感想だってかなり多いけど、主観がダメならそういうのもダメということですか? 反論や批判だけが主観的と考えるのは違うでしょう。前にもあったけど、ここはファンサイトでも批判サイトでもないのだから、賛否どちらの意見を書き込むのも自由ですよ。あなたのおっしゃる通り、不毛な議論は私も好きじゃないから、ドラマ本体と関係のない議論は避けるべきだと思うけど、肯定意見には反論するな、スルーしろ、というのはおかしいと思います。
>あれ?あんまりお料理したことなかったんだね。おむすびも作ったことなかったんだね。
そうじゃないと私は思うけどな。活男が海軍に志願することになり、シェフの父親にアドバイスを請うたら、大人数相手の料理ではスピードが大事と言われたので、改めてめ以子が特訓しただけじゃないかな。これまでも活男が炊事のお手伝いしているシーンはあったんじゃないかしら。
それとこのドラマでのごちそうさんには私もうんざりしているところがあるんだけど、活男の「おかあちゃんみたいな、兵隊さんのごちそうさんになりたい」はそのまま素直に受け取ればいいんじゃないかと思います。べつにおやつの振る舞いや共同炊事に限ったことではなく、ただ人に美味しいものを食べさせて喜ばれる母親を見て、子供が素直に憧れただけでは? 子供は私たち視聴者のように、客観的または批判的に母親め以子を見てはいないから。まあ、泰介はけっこう冷静に見ている感じもありますけど。
人の感想に対して、揉めるような反論は避けましょうって意味だと思います。
>人の感想とかそれぞれなので、意に沿わない投稿があっても、優しく受け止めてほしいなあ・・・
本当にそうですよね。時々こういう上から人を見下した、というか本当に他人の人間性を否定するような表現をされる方がいて、私もいやになります。考えが違ったら反論されるのは仕方ないけど、その表現の仕方には少し配慮があってもいいかなと思います。
海水からにがりをとって豆腐を作ったという台詞や、泰介のおにぎりの具を考えたのは活男だったという台詞から、活男は料理が好きなことがわかります。
でも、軍隊の厳しさは現代人の想像を絶する世界でしょうし、最初は下働きだけなのかもしれませんね。
負けるなよーかっちゃん
>肯定する感想や同意する感想を掘り下げる(枝を広げる感想)は、面白いと思います。このドラマを面白いか否かに対する、反論(主観)って、かみ合わず、揉めるだけ・・・反論があれば、基本はスルーするのが大人のマナーでは?
これを書いた者です。
ドラマの感想とはズレますが、辟易している方、すみません。
この件について御意見いただいた方、参考になりました。
私の言いたかったことは、正確には伝わってないです。
理由は、殆ど「名前無し」で書いてますので、わかりづらい。
ドラマの感想やこのサイトでの、肯定&否定(反論)など、それぞれの言葉の解釈が異なっていること。
反論意見は書くな、とういことではなく、匿名「名前無し」ですので、正確には伝わらず不毛な状況になっていくので、スルーの方が良いのでは? と書いたのです。
「大人のマナー」は、押付けた表現で、申し訳ありませんでした。
各自ご判断されればと願います。
>それが「美味しく作って美味しく食べさせる」ことだというなら、海軍の主計兵だって普通にやっていること。
それでいいんじゃありませんかね。活男は実際に軍人さんから主計兵の話を聞いて、それは大好きなお母ちゃんがやっているのと同じことだ、料理好きな自分も兵隊さんにごちそうさんと言ってもらえる存在になりたい、と感じたんじゃありませんか。これはあくまでドラマ中の活男が感じたことですから、私はその点は結構素直に受け止めました。ただし、「お母ちゃんを人殺しにする気か」の台詞には、またかという感じで私もげんなりしました。
↑↑の方へ
「肯定する感想や同意する感想を掘り下げる」という限定的表現で、ドラマの擁護派だけを支持するような印象を与えたのがまずかったんでしょうね。おっしゃりたいことはわかります。
めい子の本性が「美味しいものを食べさせたい」ではなくて、「自分が作るものが(一番)美味しい・自分がすごいと言われたい」であったことは、活男が子どもの頃の、柿の葉寿司やアイスクリンのエピからも明らかです。そもそもめい子が「ごちそうさん」と呼ばれ始めたのは、ステーキのエピで、お弁当を持ってこられない小学生に美味しいものを食べさせる方向を向かず、「私はこんな犬も食わんような不味いものを作ってはいけなかった」と悔やみ、発作的に高級霜降り肉をご近所に配って悦に入ってたことからです。
活男は純粋に「美味しいものを食べさせたい」から料理人になりたい、だから「海軍に志願する」と言い、母も「美味しいものを食べさせたい」人だと思いこんでいるから、「お母ちゃんのようになりたい」「兵隊さんの「ごちそうさん」になりたい」と言いました。どちらも同じ思いであるにも関わらず、めい子は前者の言葉を拒否し、後者の言葉を受け入れます。
めい子と活男のエピは、めい子にとって、活男の「美味しいものを食べさせたい」という思い<活男を死なせたくないという思い<活男がめい子をリスペクトする思い、なのであって、めい子の「ごちそうさん」に対する考え方、「美味しいものを食べさせたい」<「自分が作るものが(一番)美味しい・自分がすごいと言われたい」が形を変えて表現されただけのことです。めい子の主義・主張がここまでブレないのはある意味さすがだとは思いますが、観ていて気持ちのいいものではありませんでした。
このサイトの感想がもう、右翼と左翼の罵り合いにしか見えない今日この頃。
わざと悪く解釈して叩きまくる左翼と
それを頭ごなしに否定しまくる右翼。
でも元はといえば、このドラマを曲解して必要以上に悪く悪く言う左翼に問題があると思う。
でもどちらにしろいい意見も悪い意見も、バランスを欠いている…。
長年論じられている右翼と左翼を、フィクションの朝ドラマに置き換えてのことでしょうか?、 同等に扱って良い問題か、簡単に当てはまるのでしょうか?
家で料理してればええやんか。何も海軍に入らんかて料理はできる。
息子を戦地に送りたくないめいこの気持ちに対しての、兵隊さんのごちそうさんになりたいは、成長した活男の強い意志を感じました。
名場面だったけど、自分の夢が戦争参加になる時代が悲しい。
わたしは ごちそうさん前半は結構楽しく見てました。
自分自身 嫁姑の関係で とても苦しい思いを経験しましたが それでも め以子が大阪に嫁いでからの奮闘に泣いたり笑ったりでした。
ですが 皆さんおっしゃるように 年が明けてからはいただけません。
毎週毎週 裏切られた気分になり、今週はなかなかよくまとまっていたかなとは思うものの もう以前のように気持ちが高揚しません。
朝ドラって 残りひと月になると あー、もう少しで終わっちゃう!と 切なくなるのに 今回は そんな風に終われないです。まったくもって 残念。
もちろん わたし個人の感じ方です。
本当ですね。
かっちゃんが諸岡くんが感激しながら料理を食べている姿をみて、初めてお国のために働きたいと思った…とめ以子に告げ、小さい子どもだった我が子が、立派な青年に成長したことを知り、そして志願を許す…という場面は涙なしには見れませんでした。
子どもの夢を応援したい、でもそれは戦場にいくこと、なんとも悲しいです。
スポンサーリンク