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活男を観ていると、当時の純粋でまっすぐな気持ちの少年の姿を感じます。
自分のやりたい事がお国の為に戦う兵隊さんに出来る限りのおいしい食事をつくるごちそうさんになると信じ、決意した活男。
活男の決意が報われますように、そして当時の戦局を考えると難しいかもしれませんが、活男が命を落とすことがないようにと思いました。
そうだよ。国民には負けを伝えなかったので、いきなり本土のに空襲ってどういうこと?って国民は思ってたらしい。しかも沖縄に上陸されても引きつけて一気に全滅させるためと伝えていたらしい。なんかソチオリンピックもそういう風に見える。日本優勢みたいな乗りではじまったのに実は殆どメダルを取れてないし、日本が弱い競技は放送もしない。一体何種類の競技があるのかさっぱりわからなかった。50ぐらいの種目があるんだよね。なんかフィギュアかジャンプぐらいしか見てない気がするよ。
>この頃の国民はみんな騙されてましたからねぇ
騙されないようにしないといけませんね
毎日、録画でみています。正直最近は、惰性で見ているところが、あったんですが… 土曜日のは久々に感動しました。かっちゃんが、可愛くて切なくてたまらなかったです。本当に、こんな時代があって今の日本があるんだって痛感しました。今の時代も、大変なこと多いけどもっと頑張ろうって思わせてくれた、ドラマでした。 しかし、あの時代の人は逞しいですね。
いつも料理美味しそうだし楽しんで見てます。
カツオくん最期の別れに涙
祝いの膳の鯛の代わりにふぐねぇ。
大豆粉の肉もどきで代替鯛の尾頭付きでも作ればいいのに「てっさ」とは。ここは普通に「焼き物」でしょ?
このドラマ、高級食材が出てくるときは必ず流れが不自然になるよね。
「あとはスタッフで美味しくいただきました」になるのかな?
「スタッフで美味しくいただく」ために脚本合わせているようにしか思えないんだけど。
戦争中に庶民の家で ふぐねえ
こんなの初めてみたけど
脚本家さんは たまにこのサイト見るのかな?と思うことが 時々あります。
今日は おやつギャングが ごはん?食べてた!
以前 なぜご飯じゃないんだ?とコメしたことあります。
師岡くんは もう出征したの?
ふくちゃんは ご懐妊?
コメディとして見れば 確かに腹は立たないが…
国に「騙されちゃいけない」のは 現代でも同じですよね。
なんだ、なんだ?
最近の出来の悪さには、目も当てられない。
大きなお世話かもしれないが、このドラマ‥最後に収拾つくんかい?
なんか‥無理矢理感満載のような気がする。
>どちらも同じ思いであるにも関わらず、めい子は前者の言葉を拒否し、後者の言葉を受け入れます。
なるほど。おっしゃりたいことはわかりました。私はあくまで活男の立場から、お母ちゃんのようなごちそうさんになりたいという言葉は素直に受け止めたけれど、確かに息子可愛さから同意を拒否していため以子が翻意した理由が自分を認めてくれていたから、というのにはちょっと引っかかるものもありますね。まあ、親の立場からしたら、子供が自分のようになりたいと言ってくれたらこれほど嬉しいことはないと思うので、わからないでもないですが。
それにしてもこれほど戦況が悪化して自分の家の食べ物にも事欠く状況になりながら、それでもまだ近所の子供におやつを振る舞い続けるめ以子には少々違和感を覚えます。作者はめ以子をこと「食」に関してはマザーテレサか何かのように描きたいのかしら?
いくら息子の出征祝いだといっても、あの食糧事情の時代にふぐはちょっとですよねぇ。ふぐはまだ自由に買えるから、みたいな言い訳は一応していたけど、やっぱり違和感覚えました。今だってみんながみんな簡単に食べられるものじゃないのに。
悠太郎が”疎開の鬼”になっていましたね。この時代の役人として、公人としての義務と個人的な思いの狭間でずいぶん苦しい思いをしていたんでしょう。竹本教授の理想も理解していながら断念させざるを得なかったし。そんな悠太郎がどんな形で反乱を起こすのでしょう。
ふ久は念願通り妊娠していましたね(笑)相変わらず無愛想で無表情だけど。それも子供が生まれたら少しは変わるのかな。ふ久の笑顔を見たいような見たくないような・・・。
ラジオで、ごちそうさんの脚本家が、「ふざけて書いた」と話題になってるようです。 事実なら、ふざけて書いたとは、プロとしての姿勢に何か疑問を感じます。
言葉の真意は不明ですが、今年に入ってドラマの粗が目立つ回収(解決)など、このドラマ否定への言い訳したいのだろうか? と感じてしまいます。
戦況が悪化し 配給では足りず食料を得るため、売るものが底をついた西門のようです。まだ近所の子供におやつを振る舞い続けることに、私も疑問です。 め以子が、ごちそうさんを続ける理由も曖昧ではなかったですか?
最近は3人分の稼ぎがあるとはいえ、あれだけ高額の借金はどうしたんだと、しつこいようですがずっと気になっていましたが、蔵にあった貴重品を処分してたんですね。お静さんも知らなかったって事は家に無関心な悠太郎は尚更知らないよね。西門家に代々受け継がれてきた品々をめ以子の一存で処分して近所の子どもにも振る舞う。そんな勝手が通るのか?その品々はめ以子一人が好きに出来る物じゃないはず。
ふ久は子どもが生まれて母になったら劇的に変わって笑顔も見られるとか?あのふ久を変えるんだから子どもの力は大きいねぇ、とか?
私も最近心配になってきました。このドラマ、最後はどうまとめるのか。でも、途中も分かったような分からんような話で無事解決とするから、最後も微妙な内容で、ほら!上手くまとまってるでしょ!で終わるんかな。
劇中の「ごちそうさん」なる称号のコンセプトそのものが、観念的に過ぎて上滑りしているとつくづく感じます。それにまつわる種々のエピソードに矛盾や粗がありすぎて、視る者がそのコンセプトについて共通認識を持てるに至っていない。自身の妄想や思い込みを交えた自身独自の解釈を「正解」と言い張れる人にとっては結構なドラマなのでしょうが、エピソードが重ねられるごとに「疑問」を量産するシステムに、戸惑う人も私を含め増えているように思います。
ドラマで言いたい(のであろう)「ごちそうさん(称号)」を「肯定的」に捉えよとの、前提自体が揺らいでいます。これはキツいです。
食というドストレートな人間の根源に、独り善がりな観念を絡めた進行を選択した時点で、ドラマコンセプトが破綻したと思える、年明け以降のごちそうさん(ドラマ)です。
>。西門家に代々受け継がれてきた品々をめ以子の一存で処分して近所の子どもにも振る舞う。そんな勝手が通るのか?その品々はめ以子一人が好きに出来る物じゃないはず。
子供たちのごちそうさんだけのためじゃないでしょう。
あの時代は多くの人が、物を売って食料に変えていたと思います。
お静さんも最後の着物といっていましたしね。
明日は和枝さん登場ですね。
この非常事態でもいけずは健在なんでしょうね。
こんな時代にもまだめ以子や主婦たちは「うま介」に集っておしゃべりをし、まずそうな野草汁にお金払ってたんですね。けっこう余裕! しかも「お肌ツルツル」って、今時の主婦の会話かと思いました。
ラジオでの脚本家さんの発言、詳しく知っている方がいたら教えていただきたいです。話された文脈はわかりませんが、もし本当に「ふざけて」ドラマを書いたとおっしゃったのなら、かなりショックですね。確かにおふざけとしか思えないエピソードが最近は多くてげんなりしていましたから、やっぱりか、と思う気持ちもわいてきます。
諸岡君と、見事妊娠したふくでしたが、
ふくの技術的知識(書物で得ただけの知識や経理)で、現実仕事をしている諸岡家の家業に、通用し重宝されるのでしょうか?
ドラマを好意的に受け止め、脳内補完しないといけませんか?
このドラマって、半年もあるのに、細かいことは無いに等しいです。 ドラマを見るほど、疑問が多くなります。
ドラマが終盤に近づいたのがわかります。
先週は土曜日に解決したわけではないですね。
桜子が疎開して、ふくも…
今週の悠太郎は何をするんでしょう?
>子供たちのごちそうさんだけのためじゃないでしょう。
あの時代は多くの人が、物を売って食料に変えていたと思います。
多くの人が物を売って食料に変えたのは、自分達が食べる為、生きていく為です。
西門の人達が食べていくために食料に変えたのなら、それはめ以子の勝手ではなく当然の事なので、それで蔵が空になろうが仕方ない事です。
でも子ども達に振舞いたいのはめ以子で、その為にも蔵の品々が使われたならそれはめ以子の勝手と言われる事だと思います。
>でも子ども達に振舞いたいのはめ以子で、その為にも蔵の品々が使われたならそれはめ以子の勝手と言われる事だと思います。
家族はめいこのごちそうさんを認め
温かく見守っているのに
大きなお世話なんでは?
「永遠の0」、読み終わりました? シナ○ンさんは、?
空襲が来たら防空壕に避難して消化活動にあたるなんて、当時はこんなのんきに爆撃を考えていたんでしょうか?
国民が騙された戦争です。ドラマより事実に腹がたってきました。
気になって大阪の空襲を検索してみました。想像以上の被害でした。
祖母がとうとうドラマを見なくなっちゃいました
”お母ちゃんを人殺しにする気か?”とう台詞がダメだったようです
祖母はめったに文句を言わないのですがこの台詞の後
”この人はいつもうるさいね”と言ったのでめずらしいなと思ってったら
先週末からさりげなくドラマの時間は新聞を読むようになりました
話の前後とか関係なく祖母の兄が出征してますし自分の母親を思って
悲しくなってしまったのだと思います
言いたいことはわかる気はしますが高齢者も見るドラマなのだから
もうちょっと台詞に気を使ってもらいたかったです
私はこのドラマがちょっとイヤになってきているのですが
ここまで見たのにやめちゃうのはもったいない気がして
録画でこの先も見ようと思います(面倒くさいからやめちゃうかも)
私は4月からは朝ドラ見れなくなっちゃうので3月いっぱいは祖母と
教育テレビでも見ようかなww
ドラマの感想
め以子を素直に見れなくなってしまった自分が悲しい
お静さんが洗濯物を干してるのが一番印象に残りました
つい洗濯物ってあれだけなのかな?とどーでもいいこと考えました
>家族はめいこのごちそうさんを認め
温かく見守っているのに
大きなお世話なんでは?
これだけ貧窮しても子ども達に振舞って、それを温かく見守ってる家族。
あまりに現実離れしたファンタジードラマなんだと、ついつい忘れてしまうんですよね。
にしても、大きなお世話ね〜(笑)
家族はめいこのごちそうさんを認め
温かく見守っているのに
大きなお世話なんでは?
でも視聴者は納得いかないから
気持ちよくみれない人が多いんだよね
どうして暖かく見守るに至ったのかを
みせてくれていれば違うんだろうけど
>家族はめいこのごちそうさんを認め
温かく見守っているのに
大きなお世話なんでは?
「大きなお世話」という表現が正しいのでしょうか?
もう少し、言葉を選ばれたほうがいいのでは?
ふくの疎開先をお願いに行くのに、なんで、めい子が和枝のところへ行くわけ?
悠太郎が山下家の当主のところへ行くのが当たり前でしょ?悠太郎が仕事で忙しいなら、夜中に行けばいいじゃない、人の迷惑顧みず。ふくの嫁入りのときはそうしたでしょうよ。
西門家の前の路地の狭さから考えると、結構密集してるけど、建物疎開したほうがええんちゃう?西門家に疎開しろ言わんけど、周りの建物を赤色に塗って引き倒しを指示する悠太郎を見てみたいわ。
夜中?先方のことを考えてみてください。
>空襲が来たら防空壕に避難して消化活動にあたるなんて、当時はこんなのんきに爆撃を考えていたんでしょうか?
消化→消火
一般市民は、疎開ができなければ、防空壕に非難するしか方策はなかったのでしょう。
旅客機の空路の下に実家がありますが、母は、亡くなるまで、旅客機でもプロペラ機の音が聞こえると避難したことを思い出すと言っていました。
今日、空き地を作るため、家屋を取り壊す仕事について強行し思い悩む悠太郎。彼の演技力か演出か、喜怒哀楽わかりにくい(一部では演技が上手くない)。個人的感想です。
悠太郎が、戦争で取り壊して住居を失う人々に対し、真摯に描くエピソードが今後細かにあれば共感できるのでしょうが、なんとなく「ごちそうさん」で結末でなければ、無駄なエピソードと思います。
疎開先のお願い、よく考えたら悠太郎が行くべきですね。1日の休みもなく働いてるのもありえないし、休みの日に行けば良いんですから。
でもそうするとめ以子と和枝のバトルが描けないからめ以子が行くんでしょう。
こんな風に何でもかんでもめ以子がするようになってるから、悠太郎が家を顧みない人みたいになってしまうんでしょうね。
>今日、空き地を作るため、家屋を取り壊す仕事について強行し思い悩む悠太郎。彼の演技力か演出か、喜怒哀楽わかりにくい(一部では演技が上手くない)。個人的感想です。
>悠太郎が、戦争で取り壊して住居を失う人々に対し、真摯に描くエピソードが今後細かにあれば共感できるのでしょうが、なんとなく「ごちそうさん」で結末でなければ、無駄なエピソードと思います。
(誤)なんとなく「ごちそうさん」で結末でなければ、無駄なエピソードと思います。
(正)なんとなく「ごちそうさん」で結末となる場合、このエピソードは必要なのでしょうか?
>夜中?先方のことを考えてみてください。
『人の迷惑顧みず』と書いておられるので、夜中は先方にとって迷惑な事だと分かっていて、あえて書かれたコメントでしょう?
だから、『ふくの嫁入りのときはそうしたでしょうよ。』とも書かれていますね。
ふくの時と一緒にできないでしょう。
今度は悠太郎が、体制の手先の「疎開の鬼」ですか。
しかも体制側なだけあって、絵にかいたように冷酷な。
戦争初期のめ以子の、アホ丸出しだった「軍国オバサン」と、同じ手使いますか。
どうせこの後、なんか大袈裟な出来事があって、悠太郎も転向するんでしょう。
そのキッカケの出来事にしても、どうせ所詮は小手先だけ、ストーリーを動かすための
舞台装置でしかない、その場限りの軽い軽ーい扱いなんでしょう。
出来事が大袈裟で深刻であればあるほど、扱いの軽さに
腹が立つ仕組みになっているようです。
これまでの実績(換言すれば前科)からさすがにこちらも学習しました。
しっちゃかめっちゃかに広げた風呂敷を、一体どう畳んでくれるものか、
そのお手並みを拝見するのが残り1ケ月の見所でしょうか。
既に期待は費え、単なる好奇心のみが原動力になっている状況ですが。
上の方のおばあちゃんのお話、聞いていても胸が傷みます。
「人殺しにする気か」
小手先だけのインパクト頼みの、しみじみと酷い言い草ですね。。。
>1日の休みもなく働いてるのもありえないし、休みの日に行けば良いんですから。
ありえないこともないのでは?
戦時中ですしね。
一週一話完結型なので、広げた風呂敷の大きさはあまり感じないドラマです。
最後まで食と家族にからめた話しょうし、ヒロインがでしゃがんばることでしょう。
悠太郎の安全な街づくりは、最後まで志を捨てないでいただきたい。
>悠太郎が、戦争で取り壊して住居を失う人々に対し、真摯に描くエピソードが今後細かにあれば共感できるのでしょうが、なんとなく「ごちそうさん」で結末でなければ、無駄なエピソードと思います
あらすじを読む限り今週は必要なシーンでしょう。
それにしても
お母ちゃんを人殺しにする気か?にたいして
意味の取り方は様々なんですね。
ちょっとびっくりしました。
まあ、
真っ白な銀シャリと言い切ったり
一瞬ためらって言葉を探して
諸岡さんにおめでとうと言ったのに
躊躇いなく
おめでとうと言ったとを批判する人もいますから
仕方ないのかもしれませんね。
和枝以上の小姑が魚の目タカの目であらさがしに必死な感じもしますね。
>和枝以上の小姑が魚の目タカの目であらさがしに必死な感じもしますね。
和枝以上の小姑、誰のことですか? ここのあなたの意見に合わない人のことですか?
杏さんって芯の強くてイイ感じの女優。
あの時代に思い切りのいい献立にも注目しています。
>和枝以上の小姑が魚の目タカの目であらさがしに必死な感じもしますね。
あらさがしに必死? 意見が合わなければあらさがしになるのですか?
まあまあ
厳しい意見が目白押しですが、好意的に見てる自分でも、つっこみどころは多いなぁと感じます。
実話ならば、空襲で一面焼け野が原の中、諦めて家族で笑って一日過ごしたあくる朝たった一軒何事もなく生き残ったとか、嘘のような本当の話も、ドラマではそんなのありえへんと言われるでしょう。フィクションって難しい。人によって人生の変数も違う。
私は戦争ものとか悲惨なものは観れないタチですが、このドラマは最初は軽くふんわりと、だんだん深くなってくるので気がつくと泣かされてる感じです。細部にひっかかるところはあっても、包み込むような優しさがある。
もちろんこういうドラマが嫌だと感じる方の気持ちもわかります。
書かれた言葉について、疑問を投げかけても、匿名ということもあり、返答いただけないのでしょうか? 匿名だからということで。
永遠の0、私も買ってきました。
結構、分厚い。ドラマを見て、こちらのレビューを見て読んでみようと思ったので、頑張ります^_^
ふくちゃん、ご懐妊、おめでとう!!
和枝さんちに疎開させてもらうのかな?
二人が意外にも気が合ったら面白いな〜。
永遠の0、ドラマの感想と関係あるのですか?
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