2.61
5 380件
4 97件
3 104件
2 69件
1 645件
合計 1295
読み らんまん
放送局 NHK総合
クール 2023年4月期
期間 2023-04-03 ~ 2023-09-29
時間帯 月曜日 08:00
出演
好きなもののため、夢のため、一途に情熱的に突き進んでいく! 春らんまんの明治の世を舞台に、植物学者・槙野万太郎の大冒険をお届けします!! 連続テレビ小説108作目『らんまん』は高知県出身の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルとしたオリジナルストーリー...全て表示
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名前無し

今日は昨日の影響で二話連続見たがいやーやはりおもしろい!ちょっと感想を書く時間がなくて来られなかったが皆さん楽しんでおられるだろうか?このドラマは初回から見ていると懐かしく思うシーンや言葉がたくさんあって、朝ドラというより「連続テレビ小説」と正式名称で呼びたくなる。このタイプの朝ドラを楽しんでおられる方も多いと嬉しい。

花のように美しい寿恵子を心から誉める万太郎。いつも草花を愛らしい美しいと誉めているので女性に対しても褒め言葉が自然に出るのは(しかし草花への褒め言葉の方が語彙が豊富なのも含め)万太郎らしくて愛おしい。この万太郎を神木隆之介が丁寧に演じていて、特に今日は彼の表情だけで思いの深さ、やりきれなさも、とてもよく伝わってきた。

美しく着飾った寿恵子は花のよう。その美しさに感嘆の声をもらす万太郎。しかし高藤は彼女の腰に手を回し、その足に触れ、軽々と抱き上げた。殿方に思いっきり触れられる恥辱にわめく寿恵子の言葉を聞かず連れて行く高藤。万太郎はただそれを見ていることしかできなかった。
植物学雑誌の創刊を田邊教授にもちかけ許可を得て。田邊や大窪のプライドをうまく刺激しながらよい方へ話をもっていく万太郎はさすが大商家の元当主。弱い体ながら小さい頃より当主として生きてきただけあって人を動かすのも巧みだ。
そんな万太郎が地に寝転んで空を見上げ「万事順調」と言いながらもその表情は晴れない。自分の立場が宙ぶらりんなのを様々なところから感じ取っている。特に田邊がいつでも万太郎を切れる立場にいるのは視聴者としてとても気になる(先日の回のラストで田邊のバックに雷鳴がとどろいたのが不穏な感じ)。
高藤や田邊・大窪など、人の上に立つ者たちの善悪功罪両面がよいバランスで描かれているのがこのドラマを上質に仕上げていると思う。田邊が日本の植物学を真に憂えており万太郎の才能を発揮させる場を与えているのは事実だが万太郎には何の地位も職責も与えられていない。高藤も寿恵子の亡き父への思いを聞いてから一人の女性として魅力を感じたのは事実だろうが彼には本妻がいるようで、寿恵子が妾になってもおかしくない流れ。寿恵子の母がいい顔をしなかったのはこれがわかっていたからだろうが、和菓子職人文太の「大丈夫ですよ」という言葉を信じたい。

ところで、弱い体の万太郎が長屋の人たちから「とっても丈夫なお人」と思われていたくだりはなかなかおもしろかった。いつの間にか万太郎は健康になっている。それは愛する草花探索のための野山歩きがそうさせたのかもしれず。その変化に気付かなかった竹雄の表情もうまかった。いつの間にか自分の仕事「若の健康管理」までしなくてもよくなっているという現実。竹雄が万太郎の側にいなくてはならない理由が少しずつ減っていく。竹雄と万太郎それぞれの真の独立も近いのか。もしかしたら別れとなるのか。

寿恵子が「なんて歌っているかわからなかったけどとてもきれいな曲」と言った英語の歌について翻訳し教える万太郎。幼き頃に亡くなった母がバイカオウレンという名を知らずともその花をきれいで命の力に満ちていると讃えたのと同じように、歌の意味がわからなくてもただ美しいと感じる寿恵子にその曲名を教える万太郎の姿に、胸が熱くなった。

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べえべえ

何週か見る時間がなかったのですが、まとめて見ました。
これは素晴らしい脚本ですね。
この朝ドラは今のところ私の中では歴代トップ評価かもしれません。
こういう自分のやりたいことと家族や家業などのしがらみの中での葛藤、そしてその中で自分の道に進んでいく物語は大好きです。
エールなどもその類いでよかったのですが、ややお笑い要素が多く不自然さが否めないところもありました。らんまんは、大河ドラマ並みの真剣さで、脚本、演出に違和感なく、神木君はじめ出演者がよく馴染んでいると思います。
子役の子がまた凄かったです。もっと子役を出してと思ったくらい。
ジョン万次郎の話には胸が熱くなりました。今年は大河ドラマがあれなので、朝ドラが大河代わりになってる感じですね。

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名前無し

らんまん、何故か静かな物語の時に、淡々とした場面で傑作が多いような気がします。
私の大好きな朝ドラ、エールが「動」の物語だとすれば、らんまんは植物のように「静」の物語なのでしょうか。
今回も華やかな登場人物のなかで、静かに感動を呼びました。
世界の中で、下げられている日本を実感してなんとか世界の頂点に立とうとする教授と、あくまでも植物を中心に考える主人公の対比が静かに語られていました。
とても美しい浜辺さんを取り巻く場面すら、とても静かでした。
とても気持ちよく流れる場面の中で、静かに葛藤する登場人物達。
難しい演出の中、確かな演技があるからこその物語。
回によりダレるときもありますが、確かな見ごたえがあるのは感じます。
さあ、ラストスパート。是非、走り抜けて下さい。期待しています。

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名前無し

綾が養子だったとは。そして万太郎と綾の結婚。現代人には仰天な案だがこの時代のいとこ同士の結婚は珍しくないし、なればこそのタキからの提案だろう。そんな中で綾の「私らにも心がありますき」は心に響いた。おそらくタキは何度も自分の心を殺して峰屋のために尽くしてきたのだろう。が、時代は変わり、町中で自由と権利が叫ばれる中で若い今を生きる綾はタキとは違う女性としての生き方を考えつつある。「私らにも心がある」の言葉にそれが強くあらわれていると思った。

素晴らしい朝ドラだと思う。今日の展開は本当に驚いたが、こうなる前提や背景がきっちり描かれていてどこにも疑問符が浮かばない。峰屋を守り万太郎に継がせるために生きてきたタキが、万太郎と綾のそれぞれの幸せをも願っているのもしっかり描かれてきたので、今日の結婚案がただ峰屋のためだけでなく万太郎と綾のやりたいことをやらせてやる一つの手段でもあるという、根本に二人への愛情もあるのだとよくわかる。脚本がとても上手いと思う。
しかしタキの案は綾の言うように大切な孫二人の「心」を無視している。万太郎も綾も、一人の人間として、心をもった人間として生きたいと思っているのだ。だから万太郎は自分が峰屋の当主であるために植物学を諦めようとするのを「犠牲」という言葉で表現した。万太郎は自分の心を殺して犠牲になろうとしている。

朝ドラの主人公は自分が真に望むものを目指してつかむ生き方を選んできた。『舞いあがれ!』の舞はちょっとそこがぼやけたので好みがわれたようだが、暢子、安子やひなた、モネ、千代、裕一、喜美子と、みな自分が「ちむどんどんする」ものに正直に生きてきた。今作も万太郎だけでなく綾もそう生きるのか、万太郎は将来の道筋は明らかだが綾の方はオリジナル要素をもっていてとても楽しみだ。

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名前無し

まさに《男祭り》!

信念を持ち己の信じる金色の道をそれぞれ歩んでいく5人の男どもの別れと新たなる決意が描かれていた回だった。

万太郎と徳永教授の別れは、お互いを認めあうライバルと戦友同士の別れ。
徳永教授は万太郎との出会いの時に言った万葉集の大伴家持の和歌をはなむけにして、その和歌でのやりとりと、万太郎の絵を誉め称える事で別れを告げた。
多くを語らない。だが、そこには様々な思いがこめられていた。二人はそれぞれの植物学の金色の道を歩み続けていく、だが植物を愛する事では二人は同じなのである。
なんか源平時代の古武士の別れのようなとてもいい美しい別れだった。

次に万太郎は植物学教室にも別れをつげる。万太郎は多くの植物学に殉じた植物学侍の男どもの姿を回想する。そして、万感の思いで、彼等と仕事場の教室に敬意を表して深くおじぎする。
これも美しい別れだった。

佑一郎との再会と別れは、幼馴染みの親友同士が信頼関係を再確認してお互いを励ましあうものだった。
別な道を行ったとしても目指す場所は同じ。お互い名前を呼びあい、背中を向けて反対の道を行きそれぞれの金色の道を歩み出していく。
実にカッコイイシーンだった。まさに二人は今も変わらずに土佐の男なのである。

野宮朔太郎とは約束と報告と彼の決意を見せた。
送られてきた植物図譜を見て野宮は全てを察した事だろう。万太郎は約束を果たした事を。そして野宮は植物研究の自分の金色の道を行く新たなる決意をする。外を眺める顔にそれが感じられた。
彼の手元には共同研究者の南方熊楠の手紙があり、過激な神社合祀令が緩和された事が書いてあった。
南方熊楠は名前と手紙だけの登場だったが、彼もまた学問の金色の道をいく者だ。

最後は千歳と結婚した虎鉄の男への覚醒。
いつまでも書生みたいな虎鉄だったが、結婚写真に写っていた顔は、まさに男の顔つきになっていた。槙野家と嫁を俺が支えるぞという気概に満ちたとてもいい顔をしていた。虎鉄もまた槙野家と生きていくという自分の金色の道にたどりつき、それを歩んでいく事だろう。

万太郎、徳永教授、佑一郎、野宮、南方熊楠、古鉄。それぞれの金色の道をいく男どもの思いが交錯した見事な回でした。
まさにこれぞ男祭り!

多くを語らずに無言でそれを語り、こちらは察する。
男の感情描写とはやはりこれでしょう!
いいもの見せてもらいました!

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マイケル・Jの声は一朗太が好き

千歳「じーちゃん、かっこいいよ。じーちゃん高座に上がるとね、知らない人みたいなんだよ」
久兵衛「(空を見上げ)わし、今日、真打ちに上がれる気がする・・」
(スローモーションで出かける、真顔の久兵衛と子供たち)
りん「牛久さん若返っちゃってねえ。ここにいりゃ独り身でもさみしくないしね」
寿恵子「ほんとに」
りん「ま、あたしは最後は家主と暮らすけどさ」

前回レビューでいろんな縁を描くドラマと書きましたが、らんまんは人間讃歌のドラマでもあります。雑草という草花が無いように無駄な人なんかいない、悪い人の長所も良い人の欠点もさらけ出しそれ以上でも以下でもない。上の本筋に関係ないシーンでも長屋の人全員がピカピカに光っている。お笑い好きでおませになった千歳。励まされ、正面きって寄席へ・・あんな久兵衛さんのカッコいい見せ場初めてです。東京編の初めは「久兵衛さんの主役話も作って欲しい」と不満でしたが、今は「語り部のように長屋に寄り添うのがこの人の役割なのかな」と思うようになりました。
長屋の家主の正体は中尾さん(小倉久寛さん)では?と以前書きましたが、私の朝ドラ予想はいつも外れるので突然イケメンの家主がりんさんと・・なんて事も有りそう。でも奇を衒うのはらんまんらしくないので、やはり私の予想は中尾さんのままにしておきます(笑)。
記事を読むとスエコザサで号泣必死というラスト予想が多い中、全員がハッピーエンドを迎えるという予想も。私は寿恵子が人生に満足し光に包まれ終わるような、「らんまんじゃ」と槙野家の未来を夢見て旅立ったタキさんのような温かいホン(脚本)を長田さんが書かれるのを期待します。「夏の最後に残った一輪の薔薇」の歌詞のように万太郎が取り残されたとしても〝2人の冒険はピカピカだった〟、〝OP最後の草花を差し出すような名付け〟でまた誰かと縁が広がる。涙でなく、希望で締めくくって欲しいです。
ラヂオの時間の保坂卓「このホンに悲しい結末は似合わない」。

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名前無し

なんとも痛快で、心温まる、昔の古き良き昭和のドラマを見ている気分だ。それでいて感覚は現代、令和のドラマにふさわしい。今日も「社会的に価値のないものでも自分にとっての宝なら守り抜く」「身分や経済的上下に関係なく弱き者を皆で守る」などよいところがたくさんあった。毎回楽しく見ている。

万太郎が草の標本に100の値打ちがあると言い切ったときはタキを思い出した。かの女傑の血が万太郎にもたしかに流れているんだなと。神木隆之介、さすがの演技。彼は「エール」主演の窪田正孝同様、とにかく安心して見ていられるのがうれしい。
やさぐれた男に大東駿介。NHKの仕事も多く(ヒロシ戦記は最高によかった)、この役もかなりよさそう。御家人崩れで上野の生き残りといえば彰義隊?そこまで出すかわからないが、これまでに坂本龍馬、ジョン万次郎といった偉人や自由民権運動など社会的背景もしっかり描いているドラマなので期待してしまう。それほどにしっかり作られたドラマだと思う。

幼少期、裕福な商家の嫡子・万太郎と貧乏武家の嫡男・佑一郎は、立場は違えど同じように父を早くに亡くした長男同士、蘭光先生のもとで友情を育み、東京で再会。すでに洋装が板につくほどに立派になった佑一郎は仕事もしっかりしている。その道を進めなかったのが今日の御家人崩れ(役名まだ覚えられていない)なのだろう。万太郎が高知編ラストで言ったように、彼が無事に成長でき植物を愛していられたのは峰屋の恩恵があったからで、佑一郎も書生になれたので成功への道を進めたのだろうが、人生が上手くいかなかった人々も当然いるだろう。それが今日の御家人崩れで、万太郎と竹雄がこの長屋に住むなら(住むのだろうが)どう関わっていくかも楽しみだ。

日陰に生えるドクダミ。暗い長屋に身を寄せ合って暮らす人々は、小さい命を助けるために力を出し合い、高価な薬と献身で人となりを見せた万太郎を受け入れ、それぞれの家から食事を分け合いもてなした。朝になりドクダミに笑顔を見せる万太郎。どんな植物でも小さな命の力を感じ、愛する万太郎は、人に対しても同じであると、よく表現されていると思う。

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マイケル・Jの声は一朗太が好き

徳永教授、いち予想とはいえ「同じ屈辱を万太郎にぶつけなければ気が済まなかった」なんて穿った見方をしてしまい申し訳ありませんでした!。本当だったら大好きなユウガオを愛でて、源氏物語で万太郎とのお別れを観たかったですがあいにく季節は冬。それでも万太郎が好きだと言っていた万葉集の詠で送り出してくれました。
結局、徳永さんと細田さんがドイツで受けた差別の実情は観せず語らせず、想像にまかせる形を取りましたね。この〝視聴者の想像にまかせる〟という部分、あえて端折って描かない手法は視聴者によって印象は良かれ悪かれでしょうが、私はともすればこの省略と残したシーンの取捨選択も「らんまん」の魅力の一つではないか、と感じるのです。
最近だと『野宮さんが大学を辞めるくだり』が上手いと思いました。普通なら大学で非難される野宮さんのシーンを撮るところを「本当に酷いのは、この日本国内だったんだ」と羽多野さんに語らせるのみにし、責めたのは徳永教授や細田助教授なのか、帝大の他の人間なのか、或いはもっと上のお偉いさんなのかどうにでも想像出来るようにした。野宮さん本人も誰のせいでもないと後腐れなく出て行き、この配慮のおかげでその後のシーンも徳永さんや細田さんを悪人という目で観ずに済んだ。
私が此処でレビューを書き出したきっかけも『綾の見合いシーンをカットして人力車で帰る綾とタキさんを見せて破談を表現』したスタッフの非凡なセンスを感じたからでした。『大畑儀平さんが釣書を持って入った後の白梅堂のシーンを省略』も有って良かった気もしますが、やっていたら寿恵子が万太郎の元へ走るカタルシスが間延びしたかも知れない。
もちろん全部観せて欲しかった、物足りないとこれを不満点に挙げる人もいます。虎鉄くんと千歳の恋模様は明らかに尺が無くてやらなかったし、万太郎の採集シーンも後半ロケが減っていった。私的には倉木さんの盗みの件がうやむやになった件や、園子誕生に都合良く万太郎が帰って来た件など演出上で望んだ展開と違いガッカリしたというのも有りましたが、全体の根幹を揺るがす致命的なミスは無く「らんまん」はそういう中での取捨選択、〝どれを削ぎ落とし、どれを残すか〟の構成力が冴えていたと私は思うのです。予算の都合や俳優のスケジュールの都合や時間の都合、出来なかった理由はいろいろでしょう。スタッフが切磋琢磨した結果が作品の出来となる訳ですが、「らんまん」は残したシーンでこれはやっちゃいけなかったと不要に思うものは無かった。
だからこれはいい悪いでなく好き嫌いの問題。例えば私は昔「ニュー・シネマ・パラダイス」の完全版を銀座で観ましたが、その前にレンタルビデオで観た劇場公開版のほうが好きなんですよね。その後のエレナとの話が加わった完全版も良いのですが、トトとアルフレードの友情に絞った劇場公開版のほうが無駄が無く、観ていて心地良いのです。でも私の勤める会社には「完全版のほうが長くていいじゃないスか」と言う人もいて、つまりどちらが悪いでなくその人の好みですよね。「らんまん」も綾の見合い破談シーンや大畑さんが白梅堂で喋るシーン等が加えられた完全版が作られたらやっぱり観るでしょうけど、私はやはりカット版がいいと言うかも知れない(笑)。本作は〝想像にまかせる〟作風をむしろ作品の形として作ってますから完全版は作らないと思いますが、それくらい〝どこを切って、どこを観せるか〟の構成力は的確だったと思いますね。

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名前無し

新橋編になって、俄然浜辺美波の演技が光り出した。それほど動きがあるわけではない。言葉も少ない。表情だけで、寿恵子がどう考えてもいるかわかる。

岩崎弥之助が大物だとわかって自分の失敗に気がつくが、「やっちゃた。それはもうしょうがないわ」と思い直すシーン。
軍人さんが差し出すご祝儀を見て、「芸者より稼ぐ中居がいるってこういうことか」と気づくシーン。
菊千代さんの美しい舞を見てそこまでに至る努力を思い、「芸者の邪魔をしてはいけない」と言われた意味を知るシーン。また、母の凄さを思ってるんだろうと視聴者に想像させる。菊比べの話を聞いて、チャンスに思い至るシーン。 お座敷のシーンでは終始無言を強いられるのだが、視聴者は浜辺美波の顔の変化を見ているだけで寿恵子の胸中を感じる事ができる。

寿恵子って、おきゃんで、機転がきき、愛嬌、度胸を持った生粋の江戸っ子、下町娘だったのだとその演技からわかる。

これって、演技力そのもの。

映画、「君の膵臓が食べたい」で、可憐な少女を演じて人気を得たのだが、あの映画では 死に至る病気を持ちつつも、明るく笑顔を絶やさない 不思議ちゃん的な役だった。 多くの笑顔のシーンがあるが、浜辺美波は意識して笑顔に変化を持たせ、どれ一つとして同じ笑顔がないように演じたという。それが、映画に奥行きを持たせてヒットをもたらし、浜辺美波の評価を上げた。

今週のらんまんは浜辺美波が主役だが、私は魅了されている。

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名前無し

毎回うなるほどおもしろいのに感想を書く時間がない!時間があったら『おかえりモネ』の時のように毎回怒濤のように書いていくのに。というくらいに内容の濃い朝ドラだと思っている。セリフ一つ一つ、逆に言わない言葉にまで気配りの行き届いた脚本に感動。全く知らない脚本家なので驚いている。これは『カーネーション』のように大きく育つ朝ドラになってほしい。

キャラの言動が理にかなっているのが好きだ。万太郎はもちろん、綾、竹雄、タキ、寛太まで。個々の性格と背景からくるセリフたちがとても心地よい。いいところばかりではないのも気に入っている。今日の回だとタキが綾の結婚を気にしているのが実は「この娘がいなくなると万太郎だけになる(峰屋が危ない)」ことなのだと。綾本人のことより頼りない当主を心配するのがいかにもこの時代の女あるじという感じで良い。それでいて祖母として孫の綾をとても大切にしているのは、先週の金曜日の回で小学校に初めて行く綾にばっちり身支度を整えてくれていたこと、今日の回で嫁入り前の綾に美しい着物を仕立ててやっている時の嬉しそうな表情などを見ればわかる。一つ一つのシーンの積み重ねが人物像をよく作り上げていると思う。

流れるようなドラマなのも久しぶりだ。近作は週ごとにイベントがあって曜日ごとに起承転結があるような感じが多かったが、久しぶりに年月の流れにのってドラマが動いていくような感覚の朝ドラだと思う。『あさが来た』や『カーネーション』に似ているような。この先どんな風に展開していくのか予想できなくてとても楽しみ。
そして早速いい俳優が登場。幸吉役の俳優はブレイクの予感。子供の綾が蔵で落としたかんざしを拾った男の子だろうか?幸吉と竹雄に注目していきたい。神木隆之介もさすがのうまさでとてもよかった。最初のシーンで黄色の花を見つけて語りかけたときの目の輝きが子役から受け継がれたそれだった。

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名前無し

素晴らしい朝ドラが見られて嬉しい。毎朝とても楽しみに見ている。再放送組のあまちゃん、ひらり、あさが来たと並んで全く見劣りしない、素晴らしいできばえだと思う。
無理にキャラ立ちさせなくても言葉の端々、動きや視線で人となりが浮かび上がる、まるで大河のような朝ドラだ。おそらく俳優が大人になったら雰囲気は変えてくるだろうが、基盤となるこの子役編で世界観やテーマはしっかり見せているので、大きく揺らぐことはないと予想。

二週目にして第一週の天狗(龍馬)が土佐偉人繋がりの出演だけではないことがどんどんはっきりしてくる。徳川の世が終わり新しい時代の始まり、女人禁制に家長制度が強力にある峰屋の当主として万太郎の生きる道は。水撒き用務員(?)が言うことは龍馬の言葉と重なっている。時代の変化が万太郎に問い続ける。お前のやりたいことは、お前の考えは。姉の綾はどうか。忠実な竹雄にも大注目だ。
女は汚れていると綾を叱るのが同性のタキ、汚れてなんかないというのが異性の万太郎というのも興味深い。綾は確かに「甘辛しゃん」のようなドラマになっていくかもしれない、これは楽しみだ。しゃんとあがった秋晴れの味、だったかな。綾に輝く笑顔が見られることを願っている。たぶん万太郎は大丈夫だろうから・・・なるほど、ドラマをモデル有りで王道路線の万太郎と先が読めない綾で紡いでいくのかもしれない。

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名前無し

脚本は創造部分が確かに多いけど悪いとは思わないな、見ていて不快さは無かったし。
落ちついて、安定して見れる朝ドラ王道の一代記だったと思う。
カムカムは情報過多過ぎて、中にはちゃんと納得しきれない結末の付け方もあった。安子編の結末なんてひどいもんだった。
あまちゃんは確かにできが良いがその一時代を切り取ったスラップスティックで、朝ドラ全体の中では王道とは違う存在。

見る人で思い入れは違うだろうけど分家の人たちは峰屋没落後の竹雄と綾を見捨てなかったし、印刷所の職人たちが鍛えてくれなかったら万太郎は石版印刷覚えられなかったし、印刷所の娘が寿恵子の高藤家入りをリークしなかったら万太郎と寿恵子の縁談はなかったし、クララ先生に出会わなかったら寿恵子は心のままに万太郎の元へ走らなかったし、早川逸馬に出会わなかったら融資の話も無かったし、タキや竹雄以外にもどうでも良くないキャラクターはたくさんいたと思うけどなあ。

東京大学の万太郎の処遇は最初は田邊教授に受け入れられてから後に出入り禁止、その後は田邊の没後に教室の方針が変わってから再び受け入れられ、時代で状況が変化していく中での出来事だという事がしっかり描かれていた。雑と感じる人は前半からちゃんと見ていないにわかファンじゃないですか?。

失礼、読んでてどうしても違和感があったので。

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マイケル・Jの声は一朗太が好き

先週、一番心に残ったのはやはり112回(火曜)の皆がめいめいに月を見上げるシーンです。
「らんまん」での〝月〟はこれまで竹雄と綾のシーンでよく登場したので「太陽のような万太郎・寿恵子の存在に対し影のように寄り添う竹雄と綾の象徴」と思っていたのですが、草長屋での宴の面々や台湾の地で陳さんと見上げるおぼろ月を経て、どうやら「迷った時、期待する時、決意した時の登場人物みなの象徴」だったようですね。
余談ですが、はやぶささんが書いておられた「長屋の面々全員がもう一度集まって催す宴」私も観たいです。前に寿恵子が加わった時は園子を亡くして失意の時で、万太郎も席にいませんでしたから。万太郎・寿恵子を中心に丈之助や倉木&福治一家・九兵衛さんも加わって、出来れば虎鉄くんや千歳ら子供たちも一緒に笑顔の宴を、夢のシーンで良いから観たいですね。

あの112回のラストは「ウエスト・サイド物語のTonightを思い出させる演出」なる記事を読みましたがあれは月そのものは映らずジェット団がシャーク団へ喧嘩しに行く悲劇への前兆と言えるシーンなので、縁起の悪いイメージなんですよね・・。私がむしろ思い出したのは「月の輝く夜に」の登場人物たちが大きな満月を見るシーン。「月の光を見るとつい女が男に心を奪われ、老いも若きも血が騒ぐ」月光が夢や希望というより男女の吸引力の源として描かれた、不思議な映画でした。「らんまん」の月を見るシチュエーションもみな困った時に照らす月明かりに願をかけるような、力をもらうような前向きなものですよね。
あと私が〝月〟と聞いて思い出す映画は下記のロマンチック・コメディです。ここでの月とは〝身のほど知らずの恋、高嶺の花の存在〟を意味しますが、万太郎の身のほど知らずの図鑑発刊の夢、それを後押しする寿恵子の高嶺の花のアルミニウム印刷機購入、2人の大冒険に幸が来る事を願って。
父トーマス「月に手を伸ばすな」サブリナ「月が手を差しのべるのよ」。

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名前無し

寿恵子がいきなり起き上がって
「園ちゃん、園ちゃん、園ちゃん、園ちゃん」
としゃべりながら歩いたと思ったら
「園ちゃんの夜泣きが聞こえた気がして。」

最初はコントでも始まったのかと思ったよ。
訳の分かんない演技しないでくれよ。
馬鹿馬鹿しい。

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マイケル・Jの声は一朗太が好き

店の屋台から綾が「竹雄〜!」と呼んだのを観て笑ってしまいました。いや、笑うシーンではないのですが結婚して子供がいれば普通「あなた」か「あんた」か「竹雄さん」になるところが(はちきんの綾が夫にさん付けは絶対無いですが)子供時代からの呼び捨てのままで〝変わらないなあ・・〟と顔がほころんでしまったのです。「うちの人も槙野さんはなんて丈夫な人なんだろうって」えいさんは「うちの人」、「あんた、呼吸、呼吸」大畑イチさんは「あんた」、聡子はずっと「旦那様」でしたもんね。本当にいろんな夫婦がいるなあ・・。
竹雄も主従関係が無くなり「綾さま」から「綾さん」に。でも決して「綾」と呼び捨てにしない。そこに呼び捨てになった「万太郎」と違う、昔からの綾への特別な感情、尊敬の念を感じます。
藤丸さんは揚げ芋の時の「良かった。俺に出来る事1つくらいあって」でわかる通り〝誰かの役に立ちたい〟想いが常に有って、彼が本当に求めていたのはスッポンタケより変形菌より〝自分の存在理由〟だったので、だからあれでいいんです。世話になっている義理の姉と兄夫婦に、綾と竹雄が重なったんじゃないかな?。
・・寿恵子の「どうして生まれ変わらなくちゃいけないんですか」に通じる〝歳をとっても、時が流れても、人の本質は変わらない〟長田さんの主張がところどころ見えますね。

普段は明け透けな、でも決める時は決める万太郎。「〜と思います」「〜なんです」ですます調で、時に石版購入に商売に思い切った決断をする寿恵子はもちろん、みな言い回しや立居振る舞い、思想や拘りの〝癖〟が有って、それら癖が強く形になったものを人は〝個性〟と言う。「らんまん」の魅力の1つはこのキャラクターの個性で(私は毎回朝ドラを観だしたのが「まんぷく」後半からなのでそれ以降での比較ですが)その豊かさは「エール」に並ぶと思います。そしてらんまんの場合、身分や立場が変わってもその人の本質は変わらない。

大勢の前では「この峰屋の看板を〜」、1人になると万太郎の絵や手紙を愛しむタキさん。
羽多野さんなら語学、飲んだ帰りに万太郎に本心を打ち明ける、「でもキュウリはもらう」は忘れられない。
「逆らってはいけませんよ」から東大を辞めるまでずっと〝私は一介の画工〟の姿勢を崩さなかった野宮さん。
田邊教授ならバイオリン、何かにつけ「You see?(わかるか?)」、庭のシダを見る麗しき表情。
「あっちじゃ」遠い目で万太郎の行く先を示す佑一郎。
丈之助なら壁の穴に・標本の下から・戸口に神出鬼没、「旧態依然の日本文学を!」、庭で大声を出す。
それを「自分で考えな!」とあしらい、別れた子の幸せに拘るおゆうさん。
りんさんなら「〜だね」、「たけちゃん!」、裏表無いのに連れ合いの家主だけはミステリアス。
「汚いじゃないの!」「可愛いじゃないの・・」職人たちに言う光景が浮かぶ佳代。
徳永教授は万太郎を庇っての「植物学教室教授として命ずる」、細田さんも万太郎の台湾の植物調査の評価は素直に「面白い」、帰国後は国策に身を投じてますが善意が消えた訳ではない。

やらないと思いますが、出来れば私は「ユウガオを見て微笑む徳永教授」や「九兵衛さんの落語の話を嬉しそうにする千歳」を観てまた〝変わらないなあ・・〟と笑いたい。普通、TVの連続ドラマの醍醐味は〝成長したなあ・・〟ですが「らんまん」の場合はみな進歩もする中で変わらない芯が有って、その〝成長も楽しめるけど、その人だという源は変わらないよという個性も大いに楽しめる〟のが本作の真骨頂じゃないでしょうか。
万太郎と綾が指切りした拳の上に竹雄が両手を添える、かつての土佐のシーンの再現に新たに寿恵子の両手が加わる。物語の根っこは変わらない、むしろ忘れないまま枝葉を付けて進んでるという演出。「えっ、あのキャラクターこうじゃなかった?」と思い出し違和感を感じる事もなく、物語も一貫してブレず、長田さんが初心を忘れないで描いてくださって本当に良かったです。
ギターを持った渡り鳥・滝伸次「思い出すって事は、忘れるって事だろ?。俺は忘れた事もない。だから思い出す事もないさ」。

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名前無し

今日の物語を見て、本当に感じました。この静かな物語。なんとも心地良いです。
これだけ淡々とした物語を退屈で飽きることなく、しっかり見せる。構成のリズムが良いのでしょうね。
こんな感じの朝ドラは私の中では初めてかもしれません。
それぞれが自分の思いを込めて、黙って月を見上げる。
それだけで感動出来ました。
ここに来て、この物語の作り方がが完成の域に達した感があります。
先日、星5つつけてしまいましたからもう今週は5つつけられませんが、今日も気持ちを込めて星5つ!

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名前無し

ふと考えてみました。
ひとりの偉大な業績を残した老学者の植物学一途な生涯をテーマにした作品って まんまに見せられても暗い
派手なものじゃない。貧乏と無学歴も 災難や他者の悪意による不幸でもなく 自ら選んだ道の成り行きに他ならない。むしろ健やかな一生を。
我々視聴者が楽しめたのは 多くのドラマチックな話を書いてくれた脚本家のおかげだ。素朴な幹に多くの枝葉を半年つけてくれた。感謝ですよ。
実際は交流の無かった奥方どおしも 友情を育くんで華やかになって良かったとおもう。金策は借りることしかできない身の上がかなしいが 寿恵さんが何かの商売を切り盛りするところまで見たい。
 

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名前無し

だいたい、明治15年当時の東大理学部植物教室の連中はみんな変人だらけ。学生達もオッサンから若い奴まで年齢はバラバラでモサイ男どもばかり。姿も当時の学生スタイルの定番の着物袴の書生スタイルだった。
多分、みんなが想像しているような外見が知的でスマートな洋服姿の学生は、当時では慶應義塾大学にしかいなかっただろう。あそこは今も昔も裕福な家の子が通い、卒業すると経済界や高級官僚になっていく。
ちなみに、今回、登場した万太郎の仲間になる学生達はみんな将来の日本の植物学を発展させる大学者になる連中ばかりなのである。

そして、この当時の東大の先生達や学生達はみんな超優秀だった。
今も昔も東大は入学するのに大変だが、当時はもっと狭き門だった。基礎学問として漢文と英語の語学力が優秀なのは当然で、理学部では数理学も理解してないとダメ。
だからまず、学問好きでないと無理で全国の優秀な学生のトップのみが行ける、それが東京大だった。
ドラマでも語られたが、当時の東大は外人教師ばかりで授業は英語、教科書も専門書も洋書しかないので、かなりの語学力と理解力がないと授業についていけなかっただろう。
しかも、生物学は多少ラテン語も理解出来ないとダメなのだ。学名はラテン語だから。ラテン語まで解る日本人は当時は東大にしかいなかったと思う。
ちなみに田邉教授はすごいインテリだ。洋書のシェイクスピアのハムレットとアルフレッド・テニスンの詩集が置いてあった。この当時にハムレットとテニスンが原書で読めて理解出来てる日本人はもはやスゴイ存在だろう。どちらも西洋文化と哲学を理解していないとまず無理だからだ。教授はかなりの教養人でもある。
それをさりげなく見せた演出は、解る人には解るちょっとしたサインでなんか感心してしまった。

そんなわけで外見はあんな感じだが、みんなインテリなのである。
たからこそ、みんな万太郎の学問のレベルがかなり高い事や独学でそれに至るまでの努力の大変差をスグに出来たというしだいである。助教授も講師もそこは認めたくないけど認めたはずである。
万太郎は単なる金持ちのボンボンのバカ息子ではなく、万太郎もそこそこのインテリだったわけである。

まさにインテリはインテリを知る、なのでありました!

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名前無し

BSの英雄達の選択の牧野富太郎の特集を見た。実にイイ番組だった。
しかし、これ見た人の感想は二つにパックリ別れるだろう。

一つは、ばく大な借金をして世間や親族に迷惑かけた植物オタクの学者バカ。
それとは反対に、
二つめは、志や信念の元に好きな植物学を追求して、学者ならみんなが憧れる好きな学問を追求して自由に生きる、そんな生き方を実践した日本植物学に寄与したスゴイ学者。

多分、牧野富太郎さんや彼をモデルにした万太郎を批判する人は一つめなんだろうね。そして、その生き方に理解と共感する人は二つめだと思う。ちなみに私はもちろん二つめなんだけどね。
まぁ~、その人に対する評価というのは人それぞれだから、どちらが正しいという事はないでしょうがね。

ただ、番組で荒俣宏さんや出演者全員が熱く語った「牧野富太郎の笑顔」の素晴しさ。それと番組最後でさりげなく語られた
昭和天皇陛下が牧野富太郎の良き理解者だった
というエピソードがとても素敵だった。
昭和天皇陛下は生前に
「世に雑草といい草はない」
という牧野の言葉を口グセにしてよく言っていたとか。そしていつも側近に
「牧野は元気かね」
と尋ねては常に彼の事を気にかけていたそうだ。
昭和天皇陛下も実は生物学者でもある。だから、お互い学者どおし共感して、牧野の事をとても理解していたのではないだろうか。
また実際、昭和23年に牧野は昭和天皇陛下にご進講で陛下とはお会いしている。
ちなみに、牧野と同じく変な学者の南方熊楠も昭和天皇陛下に親しまれておりましたっけ。

あの素敵な笑顔と昭和天皇陛下が親しみを感じ理解していたちょっと変な学者。多くを語らなくてもこの二つだけで、牧野富太郎さんの学者として人間としての素晴しさは理解出来ると思う。

この二つの意味が解らない人は、もはやどうでもいいや!
私はホントにそう思いますな!

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マイケル・Jの声は一朗太が好き

先週、良かったのはやはりあの川べりの竹雄と綾のシーンです。
常に竹雄を綾のうしろに置き、2人の目線を合わせずお互いが顔を合わせない映像が「2人の主従関係」と「竹雄の使用人として綾の前に出れない、好きと踏み出せないもどかしさ」を表現していました。その上、立ち位置が美しい。あの会話しているのにカメラ位置が変わっても2人の目線がそれぞれ外れている為に、思いが交差せずそれぞれすれ違い、消えてゆくような切なさ。あの〝目線外し〟の切ない演出が祭の夜景の川べりという舞台装置を、竹雄の暗い着物に綾の赤い着物という色の対比の工夫を更に引き上げ美しく観せていました。上手いとしか言いようがない、朝ドラというより時代劇の撮り方のようでした。やはり非凡ですね。竹雄には、赤く映える綾がまぶしく映ったに違いない。
ここまで竹雄を台詞で雄弁にせずナレーションでも語らず、映像だけで気持ちを観せるのも好印象。綾とのシーンの竹雄の立ち位置は大抵、彼女の横かうしろ。万太郎とはツーカーだが普段は自分から前に出ない。しかし東京で「若はわしらを捨てるがですか?」と詰め寄らせ、そういう特殊なきっかけが有れば正面から目線を合わせ本音を出せる、使用人の遠慮が外れる人だとわかる。それが綾にはなかなか発動しない、出来ない、「自分から前に出て好きと言うなどおこがましい、恥ずかしい・・」。幸吉と綾の会話を家の半地下で盗み見るシーン、川べりのシーン、祭で踊っても綾のうしろの立ち位置・・といった絵づくりが彼のそんな心情を台詞や説明代わりに語っていたと思います。
私は祭の最後、竹雄が綾を諦め川べりに櫛を投げるのかと思っていた・・でも良い意味で裏切られた。少し考え、懐に櫛をしまう=つまり、自分に好機はまず無いとわかっているがまだ綾を諦めていないという事。上手いなあ!。竹雄はいまのところ、言葉でなく映像の表現で心の内を見せるのが徹底してますね。これから一歩踏み出し、綾と常に顔を向かい合わせられるのか?、すれ違いの立ち位置のままか?。今度こそ櫛を投げるのか、全く別の展開が待つのか。楽しみに注目します。

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紅白でらんまんの主題歌、愛の花、を歌うあいみょんさんを応援に登場した神木隆之介さんと司会の浜辺美波さんが並ぶと、らんまんの万太郎寿恵子夫妻を思い出して感無量でした。あいみょんさんの歌に感激の涙を流す浜辺美波さんが印象に残りました。また歌うあいみょんさんのバックに映された数々の名場面に感動が蘇りました。万太郎寿恵子夫婦を讃える主題歌と本編の夫婦愛の物語が一体となった秀作でした。

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「朝ドラ屈指の傑作」の呼び声も高い劇作家長田育恵氏の脚本と書かれていましたが
主人公だけではなく、周りを取り巻く一人ひとりにもスポットを当て描いていく作風がとても好きです。

おかげでどのキャラにも親近感を覚え寄り添えることで、よりドラマの面白さを感じることが出来たような気がします。
朝ドラにはありがちな中弛みもなく、ここまで魅せてくれるとは。ラストスパート期待しています。

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>私が言いたいのは自由民権運動とは別に植物学を目指す大きな物があったのだろうと想像する。ドラマでは、そこを端折ってしまってるから今一つ伝わるものがない。

東京で心の友と会って、植物学が何たるかを知って植物学を目指したいという気持ちは充分伝わりました。端折ってないのはドラマをちゃんと観ていれば分かります。
でも「わしらを捨てる気ですか」という竹雄の勢いに自分の本当の気持ちを押し込めてしまった。だから不眠症になり笑わなくなったと竹雄が心配していた。
自由民権運動では「自由」は何だ?と引っかかったままでした。未だ植物学の気持ちは押し込めたままでした。
ジョン万次郎と出会って「ちょこんとした双葉から色鮮やかな花まであの硬い種から植物が芽吹く力を思うと胸が熱うなります。一体、どれほどの種類があるがじゃろう、色、形があるがじゃろうとじっとしてはおられんがです!
本当は鎖を引きちぎって野山に行きたい」
熱い気持ちを吐露し、ジョン万次郎から「後悔はせんように」と背中を押されました。
又シーボルトの本を見てそこで自分の道を確信した瞬間だったと私は思いました。
丁寧な脚本です。

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名前無し

お菓子を全部買ったと批判する人がいますが、万太郎は饅頭を20個買うつもりだったが、20個はなかったので全部買ったが全部と20個の差は大きい開きがある訳ではありません。
20個だと差配人を含めると計10人になりますから一人2個ずつの計算になります。
前日泊めてもらったり当日は掃除や荷物運び、万太郎の事情を聞いて午後は手伝わんと言っていた長屋の人も皆お人好し。ドクダミの収穫を手伝った。
お菓子のお礼は当たり前。
前に言及していた人もいますが、お菓子全部買うのは意味がある。白梅堂に最初から寿恵子さんが座っていればと思いきや、一回しか会った事がない人は時間が経過すれば顔は忘れてしまうもの。店内だと寿恵子さんは万太郎を思い出さなかったかも知れません。
お菓子が全部買われた→暖簾奥から寿恵子さんがお店に来て驚く→誰が買ったのか外に出る→タンポポに話しかけるカエルさんを思い出す(草花に話しかける人はそうそういません)。
この様な巧みな事を脚本家さんは仕掛けているのだと感心しますよ

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名前無し

二話目にしてもう心をつかまれているのを自覚。うまい朝ドラだなあ。
天狗さんは超有名なあの方のようだけど、本当に会ったことがあるのか史実はわからなくても、あの幻想的な映像と巨大なご神木のおかげですごく味のあるシーンになってたと思う。「夢かもしれない」でもかまわないと思った。
あと、竹雄少年(後に志尊淳?)が万太郎不在に気付いてうまく動いていくところからの一連の流れ、大奥様松坂慶子の番頭を呼ぶ仕草、番頭の客人のあしらいから分家筋が気付いて伺う表情まで、わずかな秒数に情報量がぎゅっと詰まっていて、こういうところは朝ドラ制作班のうまいところだなあと思った。
そして姉(後に佐久間由衣)が酒蔵の戸を開けて「ええ匂いがする」と言ったのが興味深い。この時代なら女人禁制だろうから、この少女がどう酒蔵(家業)と向き合っていくのかも楽しみ。

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歴史に残る至高の作品であった。

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マイケル・Jの声は一朗太が好き

脚本・俳優以外も記憶に残る「らんまん」(その2)

あと、個人的に好きな点として登場する食べ物がどれも美味しそうだった事も挙げておきます。
私は「まんがはじめて物語」や「梅安」「鬼平」の池波作品、「美味しんぼ」や「このおこだわり、俺にもくれよ!!」など食べ物のエピソード好きで、朝ドラを毎回観る習慣になったきっかけも〝まんぷくラーメンを萬平さんが作るシーン〟に出くわしたからでした。
だから本作の料理も私の琴線(食欲?)に大いに触れました。「佐川の豪華絢爛な皿鉢料理」を始め「肉を食べてウ〜ン!と、グツグツの湯気の牛鍋」「文太さんのアツアツのカル焼きに食べるのが勿体ない葉を模した上生菓子」「薫風亭の分厚いが中は柔らかそうなビフテキ」「竹雄のまだケチャップが無い時代考証通りのプレーンオムレツ」「披露宴の祝いにふさわしいミョウガの握り寿司」「藤丸さんの妊婦にも子供にも優しい揚げ芋(フライドポテト)」「巳佐登のもてなしの象徴、綺麗な鯛の刺身にカツオのたたき」「〝土佐〟のあの屋台で食べたい!と思わせるぶっかけ、羽多野さんご執心の蕎麦」「寿恵子の南蛮菓子好きメニュー、山桃のボーロ」「荒谷さんの只者でない具と調味料のおにぎり」「槙野家の朝、食べたくなるごはんとみそ汁とメザシ」「千鶴のトロリとした玉子がたまらない親子丼」まで。どれも美味しそうで植物採集シーンの草花レプリカと同じくらい、スタッフの〝手を抜かないぞ〟という熱が有った。

私もさんざん本作の「花期で物語を紡ぐ」レビューを書きましたが上記の食べ物登場シーンもみな思い出す事が出来、間違いなく物語を紡いでました。その草花に負けず劣らずの爛漫ぶりは〝「らんまん食べ物図鑑」を発刊して欲しい〟と妄想するぐらい(笑)。料理一品を写真付きで4頁ほどで載せ、メモ程度の調理スタッフのレシピも有ればオムレツや揚げ芋、おにぎりや親子丼あたり作って再現してみたくなりそうな・・。「揚げ芋の塩の量は藤丸さんのふったのより実際はこのくらいで」とか「荒谷流・握り飯の鮭とおかか、みりんと醤油の練り込み具合はこう」とか書かれてたらメチャメチャ嬉しい。NHKにリクエストしようかな?。→いやいやいやいや、無い無い無い無い(笑)。

たかが食べ物なんぞに・・ですが私にとって観ていて幸せになる、どうしても外せない点でした。美味しそうな料理を見ると自然に顔がほころびました。
仕事でもオフでも料理が大好きで「食べ物は、美術」と拘られ、スタッフ間では通称〝消えもの〟と呼ばれる食べ物に幸福や喜びを込めてくださった美術プロデューサーの佐藤綾子さん(NHK_PRの記事読みました)、ありがとうございました。ほんのわずか数秒だけ登場の料理にさえ精魂を込めて作ってくれたスタッフの方々、お疲れ様でした。

私がレビューを書きだしたのは「おかえりモネ」の頃からですがそれ以来、植物の花期や分布地や花言葉まで、こんなに調べて書きたくなった事は初めてでした。何度も書きたくなる朝ドラでした。あらためてありがとう、らんまん!。

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マイケル・Jの声は一朗太が好き

万太郎が元気を無くしてしまった理由が今週、ちょっと語られました。
116回(月曜日)で「もうすぐ日本中のフローラが」と言う虎鉄くんに「ちっくと恐い。この図鑑は愛されるじゃろうか。完成するだけじゃ只の自己満足じゃ」。「わしが世界に打って出るのを眺めちょったらええ」と英語でパフォーマンスした天才が、ここに来て自分の夢を大衆は受け入れるか、自分は意味が有る存在なのかと迷っている。
119回(木曜日)の逸馬との会話「今はわからなっちゅうがです。小学校も出ちゃあせんわしが、大学の身分があるき信用してもらえる」。かつて田邊教授に入学・留学を断った男が、今は学歴無しで身分の有る立場に戸惑っている。
歳を取った?、時の流れ?。もちろん図鑑が評価されなかったらという不安や、そうなったら支えてくれた皆に申し訳ない気持ちは有るでしょう。日本植物学は出逢い名付けの分類学より解剖学が中心になってしまい、国はささやかな人や野山を大事にしなくなった、それも有るでしょう。

映画ファンの私は「ブラック・レイン」の撮影終了後2人で酒を飲み交わし、恐らく余命少ない事を知っていた松田優作さんが「みんな見てくれるかな」とつぶやき、安岡力也さんが大丈夫、見るに決まってると返したエピソードを思い出しました(力也さんが生前語ってました)。夢中で突っ走ってきた人間はどんな天才でも自信家でも、完成が見えた時ふと「自分はこれでいいのか?、他人はそれを望んでいるか?」と立ち止まる瞬間が有る。今の我々はそれが立派な偉業と知ってますが当時者本人はまだそれが正しいかわからない。史実の牧野富太郎さんはただただ突っ走った末だったかも知れません。でも長田さんが創作した槙野万太郎は望みが高過ぎる植物バカながら妻や子を尊び、草花にも人にも同じ愛情を注ぎ、田邊教授の成果を祝福し、逸馬に抱きつき礼を言う男です。心がわかる優しい人間です。

万太郎が元気を無くした一番の理由。「寿恵ちゃんはわしを信じて懸命に走ってくれちゅう。この図鑑は応えられるじゃろうか」この116回の台詞からの私の想像ですが、図鑑が八犬伝のように読み継がれなかった時、寿恵子に期待外れと見放されるのが〝恐い〟のでは。自分があそこまでやってくれた妻に見合う人間でなく只の自己満足野郎だったとなった時、失望され見限られたくない。このまま発刊されなければそうなる事は無い、〝図鑑は出したいがわしの存在価値がはっきりしたら、寿恵ちゃんにそっぽ向かれるかも知れん。嫌じゃ〟それで立ち止まってしまう、そんな心境なのでは。永守徹の申し出を一旦待ったのもそのせいかと邪推してしまいます。でも傲慢に明け透けにわがままに、共にここまで来てしまいましたからね。どんなにためらってもあとは勝負!とオープンするしか、はっきりさせるしか有りません。日本のフローラも、夫婦の本当の気持ちも。
あくまで私の想像ですので当たらずも遠からずですが(笑)、万太郎がまた歩き出すきっかけが必要です。出来ればそれは寿恵子であって欲しい。「世間からそっぽを向かれても万太郎さんは必ず大成します。もし大成出来なかったとしても、私は最後まであなたを正しいと信じる」視聴者はみんな知っているこの気持ちを、夫にぶつけて欲しい。人はそれを〝愛〟と言います。

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借金で首が回らなくなると、叔母のみえさんや三菱財閥総帥の岩崎弥之助さんを出してきて、それで解決するという、極めて安易で中身のない朝ドラになりそうですよね。いや、冗談ではなくて・・・!!

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名前無し

こんなに中身の濃い朝ドラ見るの初めてです!GW中でリアタイできなかったのが悔やまれるほど。感想遡って見てきたけど追い付けない~
盛り上がってきましたね!
世代的にタキさんの気持ちが一番わかりますけど、万太郎がとにかく可愛くて仕方ないです。綾と竹雄も自立してこれから生きていくのが楽しみです。
万博のとき万太郎竹雄の弥次喜多道中が面白かったので竹雄も東京行くことになってうれしいです。月曜日早く見たいな!

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