3.53
5 816件
4 216件
3 104件
2 61件
1 454件
合計 1651
読み かむかむえぶりばでぃ
放送局 NHK総合
クール 2021年10月期
期間 2021-11-01 ~ 2022-04-09
時間帯 月曜日 08:00
出演
昭和から令和の3つの時代をラジオ英語講座と共に生きた祖母、母、娘の3世代のヒロインの一世紀(100年)におよぶ家族の物語をハートフルコメディ
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名前無し

一週間見たけどすごく良かったです。
なぜ?、はぁ?、…?が全くなく、すごく見やすくて
ストレスがたまらず次回がすごく待ち遠しい朝ドラです。
脚本の藤本さんは流石としか言えませんが、
演出もすごくいい。
役者さんの汗や、時間帯によって変わる日差し
セミの鳴き声の等の違い等で、季節感や時間がちゃんとわかる丁寧な演出。
出演者も適材適所で、ヒロインに感情移入できる
この感覚は半年ぶりですごく嬉しいです。
半年間待って期待してたんですが、
一週間で心を鷲掴みされました。
名作になりそう。
久々に月曜日が待ち遠しい朝ドラです。

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名前無し

いつもの風景、いつものテーマ。既視感。デジャヴ。俺はこのドラマを何度も見たと思う。
ドキドキもなくワクワクもなく流れていく15分。味のなくなったガムをずーっと噛まされてる感じ。吐き出したくても吐き出す場所も見つからない。

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るい編もがっかりした。
風が吹けば、前髪が舞い上がり、傷跡が見えるのは当然のこと。
この世で生きていくかぎり、風だけでなく、雨に濡れるときもある。必死で走らなければならないときもある。顔を洗うことは日常生活の大切な行事だ。いまさら風で舞い上がった髪を気にして,デートから逃げるのか。
でも、次は何事もなかったようにライブハウスでお茶してるなんて。18歳の女の子がライブハウスに行くなんて、大した度胸だ。るいも安子と同じく情緒不安定タイプの女なのかな。
朝ドラのヒロインなら、染み抜きの方法やアイロンがけを教えてもらって、メモを取りながら必死で覚える姿がいいね。
「善女のパン」「椿なんとか」懐メロなんか挿入しなくても、ドラマが進んでいくようにしないとね。
手抜き脚本、演出、キャステイングミスなど、落胆することが多いドラマだね。

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名前無し

私はカムカムが大好きでした。
人間なんてそんな上等なものでは無いから、
迷ったり捨てばちになったり嘘をついたり、自分を
守って生きていきますが、それでもやっぱり愛する
人への想いはあるのです。
年とった安子の言った事、言わなかった事だけで
判断はできないし、るいの感情も複雑でしょう。
許しだけでは無いと想像します。
るいとひなたは成熟した慈愛ある女性に成長したし、
安子と雪衣さんを思うと、あの戦後の激動期を天涯孤独の若い女性が必死に生きた過酷さを思います。
勇が安子を受け入れたのは、大変な時代を生き抜いた戦友めいた気持ちかとも想像します。
世の中の大部分の人々は、他人からはどんなに素晴らしく見えようと、自分では不器用でみっともなく生きてきた、と思っているのでは無いでしょうか?
カムカムの三世代は、そういう人間の象徴だったし、
そういう人間に対しての励ましにも感じました。
人間の幸福や不幸の根本は今も昔も変わらないのです。
人間を多角的に描いている良いドラマでした。

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名前無し

この期に及んで、なにが稔さん、だ。
安子は、あの世で稔さんに会わせる顔がないだろう。
ラジオで言ったからもういいのかしらんが、るいに謝るシーンもなく、もやもやした。
るいに足の手当をしてもらいながら、痛い痛い、って、なんかもう理解不能。
安子すごいね。日本人の情緒じゃないと思う。

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名前無し

何のときめきもないだらだらとした惰性の中年男女の恋愛は過去の朝ドラの恋愛より大きく見劣りする。
るいは本を読みながらできる店番と配達のみ。こんな仕事をしない朝ドラヒロインは初めて。
高度成長期の躍動感ウキウキ感が全くないのは致命的です。
最低の朝ドラです。
藤本有紀さんでも失敗作はあると言うことですね。

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名前無し

「お母さんに会いたいんやね」ジョーは核心をつきましたね。

人の感情は、白・黒で単純に二分できるものではないです。言葉に出していることが本当の気持ちとは限りませんし、矛盾する気持ちが両立することも普通にありえます。

るいは母親が自分を捨てたことは許せない、でも本当はお母さんが大好きだったからこそ、それが許せないんですよね。お母さんを憎む言葉はそのまま、お母さんが好き、捨てないで欲しかった、もう一度会いたい、という気持ちの裏返しです。

ジョーの短いこの言葉、きっとるいの何かを変えたと思います。
ジョーか片桐か、どっちがるいの結婚相手か、という憶測があるようですが、私はやっぱりジョーだと思います。

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名前無し

ジェットコースターみたいだった安子パートにくらべれば少しのんびりな気もするけど、これはこれで居心地がよくドラマのほんわか感に癒されています。
クリーニング屋夫婦のやりとりは夫婦漫才みたいだし、ジョーもあの時代のファッションが似合ってカッコいい。るいもすれてない乙女チックな雰囲気がいいです。
たぶんこのドラマのもっとも重要な部分が、るいが深津さんの実年齢に近づいた辺りなのでしょうね。そのために深津さんを投入したのでしょう。
るいがだんだん安子のことを思い出していくのも期待大です。
急ぎはしませんけど、やはり知りたいのはあれから安子がどうなったのか。安子とるいの別れの経緯が実際はどうだったのかということ。
生まれてくる子にひなたと名付けるまでのるいの思いの変遷を、これからはじっくりと丁寧に描いてほしいです。

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名前無し

駄作。

安子編の途中まではマシだったが、るい編は退屈でひなた編は矛盾、不快要素とご都合のオンパレード。

朝ドラ制作側は反省していないようなので『舞いあがれ』も期待出来ないだろう。

私の周りはカムカム以降、朝ドラから離れてしまった。

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名前無し

るい編はいろいろ違和感だあります。そもそも岡山を出る時勇の前で自信をもって勝ち誇った顔で出て行ったくせに、また母に捨てられた恨みに負けず雉真家で苦労しながら古本屋でアルバイトをして人生経験をして18といえども、もう立派に成長した大人のはずなのに、いくらクリーニング店の夫婦に世話になっているとしても、あの世間知らずの顔をして猫を被って子どもっぽくいいい子ぶっている態度に違和感があります。いつか本性を表すのか別な意味で期待しています。シャーベットピンクのワンピースが似合っているといっても演じている女優の素の40代の女性としては似合っていると思うだけで10代の若い女性が着ているようには見えませんでした。クリーニング店の夫婦の会話も滑っていたし男女数人の恋の争いも在り来たりで新鮮味がないしドラマ展開も緩いし安子編でネタが枯渇して燃え尽きたのか、るい編はだらけて安直です。

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名前無し

安子がるいに「大嫌い」と言われただけでアメリカに行くなんて…という趣旨のコメントを、この掲示板に限らず、他でも見かけるのですが、るいに「嫌い」と言われた、というその一つの出来事でアメリカに行くことを決めたというより、

①算太による通帳、印鑑の持ち逃げ→雉真の家を出ていく目途が立たなくなった、勇のプロポーズを断っている以上、雉真の家にはもはや居場所がない

②るいが「大嫌い」という時、自分の額の傷を見せた→安子自身、事故でるいの顔に傷をつけてしまったことを深く後悔していた

③ロバートと会っていたところを見られていたことに安子は気付いていない→安子はるいが顔の傷のことで安子を責めていると感じた。治せるものなら治してあげたいが、そのためには雉真の財力に頼る以外なさそう

という複合的な要因が重なっての決心だと私は解釈しました。というか、話の流れを順に追っていくと、そのような解釈が成り立つ流れになっていたように思います。

そのため、安子の決断が「正しい」決断ではなかったかも知れないけれど、置かれた状況の中でそう決断せざるをえなかった「心情」は理解できます。辛かっただろうなと思います。

個人的には、その後、安子がアメリカでどうしているか、ロバートとの関係はどうなったのか、雉真の家とどのような話をしたのかなど、細部は描いて欲しいな、このままではすっきりしないな、安子編がすっきりしないままのバトンタッチになったな、と思いましたが、

まだ物語も進行途中です。るい編の途中、もしくはエンディングに向けて、詳しいことがわかる(あるいはにおわせる)ようなエピソードはどこかで出てくるだろう、ここはあえて視聴者をやきもきさせるような描写の仕方にしたのでは…と思い、今後への期待も込めて星5つとしました。

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畿内に住んでいる当方にとって、このドラマは様々な点で違和感を覚える。
その違和感を挙げてみる。
稔は現大阪市立大学(大阪高等商業専門学校、五代友厚が設立に尽力)の学生だった。この大学は大阪大学に次ぐ偏差値の高い大学だ。知的な稔が女学校もいかず、和菓子屋の店番、配達以外はきぬちゃんと世間話をしている安子にどのような魅力を感じたのだろう。当時の大学生はクラッシック音楽を好んで聴いただろうが、ジャズは夜の仕事をしているような人に人気があったように思う。
進駐軍パーティの場面で、ロバートは安子に「きよしこの夜」を亡くなった人を思い出だす歌だと説明していたように、当方は記憶しているが、「きよしこの夜」はキリストの生誕を祝う神聖なクリスマス・ソングだ。
知的好奇心が薄い安子が英語に興味を持ったのは、稔に恋をしたからだ。その恋が実って結婚し、るいが生まれた。「るいが命」と言いながら、幼子の安全、健康より、お金儲け、進駐軍兵士との恋を優先している。
算太がお金を持ち逃げし、安子は大阪まで算太を探しにいく。「るいが命」なら、るいの入学式の前日に岡山に帰り、入学やお赤飯の準備をすべきだった。
るいが大阪に来たのだが、岡山駅から大阪駅、大阪駅から阪和線杉本町駅から大阪市立大学まで10分ぐらい歩かなければならない。6,7歳の子供がひとりで行くこと(汽車賃も含めて)は不可能だと思う。
安子が困ったときは、いつも都合よくロバートが現れる。イケメン、インテリが好きな安子にとってはうれしいことだが、進駐軍の将校の嫁として渡米することは困難なような気がする。米国領事館は安子の思想、家柄、財産、学歴、結婚の有無、健康状態など調べてから、花嫁ビザを発給するはずだ。はたして安子は将校の嫁としてビザが発給されたのだろうか。
るい編に代わっても違和感は満載だ。雉真繊維の社長と勇は、るいの将来のために、どれだけるいが拒んでも、るいの額の傷の手術を受けさせるべきだった。手術の大切さは子供時代のるいでも、十分解るはずだ。傷のせいで、学校でイジメにあっただろう。
一般的に就職先は学校と会社と本人の希望できまるそうだ。額に傷にある、るいはアルバイトをしてお金を貯めて、意気揚々として大阪に出てきて、新しい服を着て踊っている。学校の推薦もなく、身元保証人もなく、住居さえ決まっていない傷のある女を採用する大手のホテル会社はないだろう。あまりにも能天気なドラマに驚いた。
るいは安子と同様に無軌道、無鉄砲な性格なのだろ。
最後に違和感がパズルのように埋まるそうだが、それまで視聴者に脳内補完せよというのか? 当方は脚本家の意図を読み取るほど暇ではない。

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名前無し

今さらだけれど、戦前の地方都市で職人3人を雇うほどの和菓子屋ならそれなりの収入もあったと思うし、主人である父としっかり者の母と元気な祖父母が揃っている上に手のかかる小さな弟妹が多数いた訳でもないのに、何故安子は女学校に進学しなかったのだろう。
当時の小説や映画を見るとそれなりの商売をしている家庭の子女は大抵は中学、女学校くらいには通っていた。安子が女学校に入学出来ないほど勉強が出来なかったようには描かれていなかったし英語に興味を持つ知的好奇心はあったから余計に不自然に思ったが、結局は若くして稔と出会い結婚させるストーリー上の必然だったのか。
現在の安子の周囲への配慮のない言動と計画性のない出たとこ勝負の行動と感情のままに突っ走る無軌道っぷりに唖然とする。
戦後の混乱がいまだ終結されていない中、自分もしっくり行っていない婚家に幼い娘をほぼ半日預けて計画性もなくやみくもにおはぎを作って夢中になって売り歩く姿に違和感を覚える。
安子が女学校で当時理想とされた良妻賢母としての心構えや女性として身に着けてるべき教養を学んでいたらもう少し思慮深い行動をとれていたかも知れないが、ヒロインのキョトキョトした動きとにたぁっとした笑顔と目をひん剥いたむくれ顔を見ると知性に裏付けされた奥深い演技は望めそうもないと思う。

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名前無し

先週でやっと安子編のその後に取り掛かると思いきや、
またどうでもいいひなたの話を続投。
正直明日でもいいから最終回にしてほしい。
チャンバラから安子を出すのだろうか?くだらない。

さらに三十年近く無職だったジョーが突然ピアニストとして成功...。
その展開は遅すぎだろ!
せめてジョーが猛特訓しているシーンでも出すかと思いきや脇役の一恵の恋バナ...。

安子編の途中からどうでもいい話を連発している脚本家と朝ドラ制作チーム...。

朝ドラの脚本家は1タイトルにつき1000万円ぐらいもらえるらしい。
こんな駄作を書いて医者や弁護士以上の収入を得られるのか?

カムカムを支持しようが批判しようが、これだけは確かである...。

今回の朝ドラ制作チームは視聴者たちを愚弄している。

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名前無し

今のひなたを見ていると大人になってもあまり期待出来ないなと思う。安子とるいが酷かったのに、ひなただけ良いとか無いような気がするしね。
ドラマ自体もほんとくだらない。
何を見せたいんだろうって思ってしまう。見せかけの愛情とか、つまらない正義とか見せられてもね。
ラストで感動的場面とか見せようと思っているのは分かっているけれど、これまでの中身の無さでは白々しく感じるだけなんで無理だから。

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マイケル・Jの声は一朗太が好き

「ええ曲やなあ。みんな心掴まれるのわかるわ」。
「およげ!たいやきくん」をジョーはそう評しました。子門真人さんはライダーやガッチャマンのような叫ぶ曲がうまいのは勿論ですが、一番聴かせるのは番組名やシャウトの無い曲。バラードや哀愁のある曲を歌った時に余計引き込まれる、心に染みるところが子門さんの真骨頂だと私は思っているので、昨日のジョーの発言には少しグッときました。
私はルイ・アームストロングは「What a Wonderful World(この素晴らしき世界)」と「On the Sunny Side of the Street」しか知りませんが、そうした心にしみるスローな曲がジョーの好み、彼の音楽のアイデンティティなのだと思いました。派手なアップテンポの賑やかな曲よりも、何処か淋しさや哀愁のある影や暗闇の中にも存在する優しさ。それらうつろいを音楽で表現できた事が、そのスローなツボを心得ていたのがかつて「太陽ではなく、月」と評されたトランペッター・大月錠一郎の魅力だったのだと思いました。
今のジョーは昔の見る影もありませんが五線譜をメモしているようだし、完全に沈黙した訳ではなく不完全燃焼でくすぶっている状態だと私は信じたい。やはりもうひと花咲かせて欲しいです。トランペットが吹けなくても他の形で音楽を。病気が直って演奏出来れば良いが、無理なら作曲でも。音楽が、彼が一番輝く道なのです。
それをNight and Dayのオーナーもトミーも、ベリー改め一子も勿論るいも、そして天国の定一さんも望んでいるんだよジョーよ!。セッションでも打ち合わせでもいいからまた音楽にいそしみ、完全燃焼したあとホットドッグを食べてケチャップを上着に落とす姿を、またみんな見たいんだよ!。

期待し過ぎちゃいけないのはわかってますが、これから「英語をペラペラに話するい」「音楽に復活したジョー」本領発揮した、輝いた両親2人の本当の姿をひなたが見れると良いですね。

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名前無し

これからひなたちゃんの成長を観られるのが楽しみ。
そして自分を母から捨てられたと思い込んでいるるいがいつ、
そうではないことに気づくのか。
私もあのとき安子をなんと薄情なと思ったものですが、今になってみて、
自分の不注意のせいで傷つけてしまったるいを幸せにしてやるのはこうするしかないと
安子が決意した切ない思いがしだいに分かってきました。
るいも自分が母となって、いつの日か安子の思いを分かる日がくるのかな。
オン・ザ・サニーサイド・オブ・ザ・ストリート。
懐かしくも優しいメロディーがいまも頭のなかを流れています。
このドラマに巡り逢って良かった。
安子や稔やるいやジョーに出会えて良かった。

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名前無し

トランペットコンテストで関西1のトランぺッターになった錠一郎。その過去が明かされ、るいとのトランペットの曲を通じての奇遇なつながりが、岡山の喫茶店「ディッパーマウスブルース」を通じて見えてきたのは、想像通りだった。
マスター柳沢定一が進駐軍クラブのクリスマスコンサートでサニーサイド・・を熱唱した場には戦災孤児だった錠一郎と、るいの母の安子が居た。その晩か?バラックの倉庫の片隅に寝泊まりしていた孤児を探しに来て進駐軍から貰ったホットドッグを食べさせた定一は、「お前、トランペットは好きか?」と聞いて、アカペラでサニーサイド・・を口ずさむと孤児は喜び、ビール瓶をトランペットに見立てて吹く真似をして二人で楽しそうに合奏した。この子はジャズが好きなんやなあ、トランペットの素質もあるかもしれんなと定一は思ったのかもしれない。それまで追い払っていた孤児に優しく微笑みかけた。
見上げると明るく輝く満月が。「わあ、おっきいお月さんやな」
その子を引き取った定一は養父となり、戸籍を作った。画面に少しだけ写った戸籍謄本を見ると、錠一郎は昭和15年12月25日生まれと分かる。進駐軍クラブのクリスマスパーティーにもぐりこんで縁ができた、自分のことについては記憶がほとんどないこの子の誕生日として、定一が決めてくれたのだろう。
しかも、あの晩に見た大きな月から苗字は大月に、そして発音しかわからなかった名前は自分の名前を含ませて「錠一郎」と名付けてくれた。戸籍謄本の金偏を指で隠して「定一」と読める名前について、「定一さんは僕の中に居てくれている、いつも・・今も・・」と語る錠一郎。

これはわずか2,3分のシーンで、るいのドラマの本筋から見れば小さなエピではあるが、戦災孤児の厳しさや、それに対する定一の優しさ、るいと錠一郎との不思議な出会いと絆などを表す、よく練られたシーンだったと思う。今更ながら、柳沢定一の存在感の大きさと優れた人柄が感じられて、静かな感動を覚えた。

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名前無し

ジョーはるいの穢れのない純粋な心に惹かれ心から愛しました。あばたもえくぼで好きになれば多少の傷なら問題はないしむしろ傷さえも愛おしくなります。もし最初にジョーがるいの額の傷を見たら弁護士の卵片桐のように引いてしまっただろう。

試着室の鏡の演出も秀逸でした。ジョーは鏡越しにるいを見て鏡に映されたるいの心を含めた全身の美しさに比べれば額の傷は問題はないと思いまた正直にありのままを見せたことでジョーのるいへの思いはますます過熱して愛して大切にすると思います。

るいも額の傷と心の傷まで受け入れ無言で慰め抱いて愛してくれたジョーをこれまで以上に愛するでしょう。今回は二人の葛藤の果ての愛を結ぶ顛末が感動的で心に沁みました。

そして二人のいいところを鏡越しに店主に見られ二人のキスをカーテンで隠すラストシーンも洒落た演出で見事でした。

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名前無し

うぇ〜ん、(;ω;)泣いちゃったよー…
良かった、良かった、そうだよ、おでこの傷なんで大したことないよー、隠せるし。前より小さくなってたじゃない?
ジョーだって戦災孤児なんだからどっかにデッカい傷があるかもしれないし。
感動させてくれる理由はやっぱり深津絵里の変わらない透明感と演技力だと思う。ナレーションの城田優が引き込まれてすごい!と言ってた。多分スタッフもそんな感じで撮影してるんだろな。
私はむしろオダジョがこんなに純な役柄を演じられるとは思ってもいなかった。そりゃ演者は皆んないい年だから老けて見える人達もいるだろう。でも私にはちゃんと若者たちに見えるよ。皆様プロらしくちゃんと演じ分けてる。いや、もはや歳関係ないな。サッチモちゃんとジョーの恋として見てるんだな。(^^)

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名前無し

安子編の終わりかたは最低。酷評されて当然。そもそも雉真家は安子に出ていけも再婚しろも強引に無理強いしていない。あの時代なら雉真家の言い分は普通だ。安子が頭を下げて雉真のためになることをしていればよかっただけ。理解のある嫁ぎ先をないがしろにしたのは安子の方だ。稔さんと楽しかった日々が汚されたようで不愉快。るい編になって別のドラマが始まったようで、それなら最初から深津絵里さんに全編主演してもらっておけばよかった。

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名前無し

親父に反対されただけで簡単に結婚を諦める稔。
妹が血の滲む思いで貯めた金を平気で盗む算太。
事故でできた傷で親を怨む娘。
嫌いだと言われただけで娘を捨てられる安子。
これで共感できたら奇跡だ。

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このドラマの最大の欠点は、安子の母親を戦争で死なせてしまったことである。つまり安子は自分の本心や悩みを打ち明ける人がいないまま生きている。
雉真家で自由に暮らせているが、夫である稔がいないので情緒的には不安定だ。「ありがとう」「すみません」という言葉しかでてこない。困ったときは、目をキョロキョロさせているだけ。つまり自分の意志を持っていない女性なのだ。
こういう女性は朝ドラのヒロインにふさわしくない。母親から女性としての生き方や子育てを学び、世間とどのようにして折り合いをつけるかを相談し、決断し前進するときは母親の理解や励ましがあれば、未知の世界に飛び込んでいくことができる。
つまり安子と母親の会話から、安子が何に悩み、どのように進んでいきたいか、視聴者は察することができる。
例えば、ロバートの英語教室手伝いの件は、とてもじゃないけど意味不明だ。わずか七、八年前は、皇国日本を背負っていた神社の宮司が、なぜ敵国アメリカ人に社務所を貸すのか。戦争未亡人の安子が男寡ロバートの英語教室を手伝う気になったのか。英語はカムカム英語放送が終了しても、英和辞典、文法書、FMラジオなどで勉強することができる。
安子の母親を生かしておけば、安子と母親の会話から、安子の心の動きを視聴者は推察することができただろうに。
ドラマはこれでもかというほど安子に不幸を振りまき、安子に常識外れの行動をさせる。
視聴者(うちの年寄りたち)は、うわべだけの母親、無節操で芯のないヒロイン安子を応援することはできない、と言う。

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名前無し

進駐軍のクリスマスパーティで、ジャズ喫茶のマスター定一が歌ったOn the Sunny Side of the Street(日向の道)には彼の万感の思いが籠っていた。
パーティの数日前、安子と再会した定一は、今の自分は戦死した稔や、音沙汰の無い息子の健一の対戦相手だったアメリカの音楽をかけ、アメリカ人を喜ばすために進駐軍のクラブに派遣するバンドマンを斡旋していると自嘲しながら語った。「あれが戦勝国、アメリカじゃ・・・」とつぶやき、昼間からバーボンのコーラ割りを飲み、荒んだ様子は安子を心配させた。
しかし安子が、子供が生まれ、るいと名付けたと、それはどこの国にも自由に行き来できて、どこの国の音楽も自由に聞けて、演奏できるような世界で、これからの子供たちは「日向の道」を歩んでほしい、との稔の思いが込められていることを伝える
と、定一は顔色を変えて喜んだ。
クリスマスパーティの日も、バンドマンを連れて指図していた定一だったが、舞台裏で「何がメリークリスマスじゃ、ええ気なもんじゃ・・・」とアメリカ人への軽蔑を口にしてバーボンの瓶を口にするのだった。しかし、バンドの演奏を聞きながら、安子から聞いた話を思い噛みしめていた定一は、千鳥足で舞台に出てくるとバンドにストップをかけた。酔っ払いが何だ!とざわつく会場。しかし、定一がバンドマンに何か言い、トランペットが高らかに演奏を始めたのが、何とOn the Sunny Side of the Streetだったのだ。演奏に乗って、定一は力強く、リズミカルに歌い出した。アメリカ人もすっかり聞き惚れ、会場は大盛り上がりに。
定一は決してアメリカ人を喜ばせようとしたのではない。稔と安子の話を思い出し、敗戦国日本もこれからは胸を張って日向の道を歩いて行くぞ!という、日本人としての誇りを込めた歌だったのである。歌の持つ力。それは偶然会場に来ていた安子にも伝わったし、アメリカ人にも共感を与えたに違いない。

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名前無し

安子編は少女漫画的恋バナばかり、かと思うと昼ドラになったり、ホラーになったりで訳わからずで大嫌いだった。なのでヒロインが深津さんに変わるということで、るい編に期待したけれど年齢的に無理があって苦しいし、どうでもいいことをダラダラと見せるだけで退屈。
恋バナしか描かないのも同じで、ハイここで感動して下さいね的に場面を作るのも安子編と変わらずで白けるだけ。

一生懸命頑張る姿とか見せて貰っていないのに、周りに助けて貰って都合良くいくことばかりなので、ヒロインに共感も出来ず応援する必要もなく。
何より、どう考えても端折るところが間違っているとしか思えずで、いまだドラマに入り込めません。

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母、娘、孫をつなぐ100年の物語ということで期待した。
いざ観てみると、風呂敷を広げすぎて、包みきれないほどモチーフが散乱している。
モチーフは英語、ルイ・アームストロング、おはぎ、ひなたの道などを挙げることができるが、こんなにたくさんのモチーフを扱うこと脚本に綻びが出ている。

安子とるいが別れてから、安子の消息やるいが雉真家でどのように育ったのか分からない。
これは視聴者に対してあまりにも不親切である。

るいが過去を封印するために大阪に出てきても、るいの父親は大阪の大学生だったし、るいが傷を負ったのも大阪であり、るいが母親とロバートの恋の現場を見たのも大阪だ。どこに住んでも親子の心理的な葛藤は残る。ドラマは、るいが自分の過去と向き合い、前進するために大阪に住むという設定にしたほうが良い。

タイトルが「Come Come Everybody」なのだから、るいは雉真家にいても、クリーニング屋に住み込んでもラジオ英会話で英語を勉強すべきだ。若者は簡単な英会話が話せるだけで人との繋がりができる。

るいとルイ・アームストロングの関連付けは難しい。昭和30年代にデキシーランド・ジャズが好きで、ルイ・アームストロングの良さを知っている人は少ないと思う。さらにこの時代の道頓堀界隈は芝居小屋、いかがわしい飲み屋、キャバレーなどがひしめき合っていて、若い女性が一人で歩くには勇気のいる場所だ。

おはぎに関しては、欧米人は手でこねたおはぎのような菓子などを食べることを嫌う。勇が野球の練習を終えて仲間を連れて、おはぎを食べる場面にも違和感を覚えた。男子学生は広島焼のようなお好み焼きとか、揚げパンなどを好んだと思う。

違和感といえば、ロバートがアメリカの大学の日本語学科を卒業し、通訳をしていたことだ。
日本語は欧米人には難しい言語で体系的に日本語を学んでも即戦力にはならない。よって進駐軍の通訳は日系2世、3世の仕事だった。欧米人が日本語を話せるようになるのは、カセットテープ、ビデオテープのダビングが発達した昭和40年代以降だと思う。

「誰でも好きな国の歌を歌い、好きな国に自由に行ける世の中になってほしい、生まれてくる子供にはひなたの道を歩いてほしい」と稔が言ったが、この抽象的なセリフは脚本家自身が回収するのに苦心し、ドラマの破綻へと導いている。つまり風呂敷がぐちゃぐちゃな状況になっている。
人は誰でも「ひなたの道」を歩きたいと願っている。そのために目標に向かって頑張り、良い人間関係の構築にも努力をする。それは家族、ご近所さん、友人など、身近な人々との誠意ある関係から生まれるのであり、外国人や外国の音楽から「ひなたの道」が生まれるのではない。

他人の優しさに依存し、頑なでイヤなことがあれば、すぐに逃げ出するいを観ていると、イラッとする。世の中の酸いも辛いも知ってそうなジョーも不気味な存在だ。このドラマはセリフが少ない。役者の感情の変化でストーリーを理解しようとしても、年齢的ミスキャストに阻まれる。

朝ドラのセリフは明確でなければならない。ドラマの展開は始まりを起点として、前に進めていく。回想シーンや過去の出来事に多くを割いてはいけない。

たぶん、このドラマを最後まで観て、「はぁ~、何がいいたの」というオチになるだろう。
大森美香さんは膨大な資料を読み込み、咀嚼して脚本を書いておられる。藤本さんは中園ミホさんのように面白ければ、何でもアリの脚本家なのかな。

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このドラマは「狂気と怨嗟」のドラマと、どなたかが書いておられましたが、同感です。
しかし「狂気と怨嗟」は朝ドラにふさわしくないですね。昼ドラ、あるいは夜ドラとして放送していただきたいと思います。

朝ドラのヒロインは、王道かもしれませんが、子育て、仕事を頑張り、人間関係に配慮ができる強くて優しい女性がいいですね。安子とロバートの不倫のような関係、子供時代のるいの額の傷のアップ画面。ジャズ喫茶に一人で行く18歳のるいの姿は、朝ドラらしくありません。

横道にそれますが、BS再放送で『まぁー姉ちゃん』を観ていると、すべての登場人物がいきいきと描かれていて、ヒロインとの相関関係も分かりやすく、セリフの切り返しが面白く、時代背景もドラマの中の映像とセリフだけで理解できます。
さらに『まぁー姉ちゃん』が朝ドラらしいと感じたのは、男性たちが真の優しさを持っていることです。魚屋さんの天海さんは「結婚したら嫁さんが後家さんになってしまう」と言い、独身で出征しました。まり子の婚約者は出征前に婚約を解消します。「僕が戦死したら、君はいい人をみつけて結婚しなさい」と言って、戦地に向かいました。

朝ドラのヒロイン、ヒローは、強くて優しい女性と誠実な男性が鉄板だと思います。❛come come everybody ❜に、困難に立ち向かう強くて優しい女性と誠実な男性はいますか? いないと思います。ゆえに❛come come everybody❜は「狂気と怨嗟」のドラマで、昼ドラ、夜ドラに向いていると思います。

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名前無し

戦争の爪痕が丁寧に描かれた朝ドラだと思っていた。
母と妻を一瞬にして亡くしたたちばなの父、最愛の息子の戦死の一報を受け立ち直れないキジマの母、剽軽に見せながら、心の奥では家族の死を泣いていた算太、YOUに見透かされて大声で泣く濱田岳のシーンは圧巻だった。
なのに!私なんか見逃してるのかと思うほどのわけわからなさ。安子がるいのことをいちばんに考えていたとは思わないし(キジマ父が大阪から岡山に連れ戻そうとするのを渋っていた時も、意地になってるようにしか見えなかった)、るいを大切に思う気持ちよりも、どうしても実家のおはぎを復活させたいという思いの方が強そうなのも共感できない。おまけにロバート?稔のことも忘れたんか安子〜。まあ、本当にるいを置いてアメリカに行ったとすれば、呆れるしかないわ。雪衣はほんとに嫌な描かれ方で岡田結実がかわいそうすぎてもう。

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名前無し

ドラマだから、ご都合設定なのは良いんです。
ある程度までは。
野草が立派な菊でも、
ラジオ講座で英語がメキメキ上達しても、
あんこの材料がどこからか手に入っても、
そのへんは、私の感覚では大勢に影響しない。
でも、いやしくも大学で日本語を学んだというアメリカ軍人が、老婆相手にパニクるというのは、いかがなものか。
おそらく、最初から慌てるはずがないから、
「その花はいくらですか」と、素直にカタコトで聞けば良い。
わざわざ老婆を怯えさせて、ボーイミーツガールに繋げるのは笑えなくて、不愉快。
私はなぜ英語を勉強し続けてるのか、と、問うのも愚問。や、あんたがそれを他人に聞くんかい?と、まじめに突っ込みたくなる。
世良さんの歌は素敵だが、なんの番組なのかと思えば興醒めだった。
尚、ふらふら進駐軍の兵隊について行くのも、良家の日本婦人のすることではない。
安子は、一応、お金持ちの部類に属する女性であり、子供もいる戦争未亡人。
アメリカ軍人とのエピを作るなら、おはぎを食べてファンになった軍人が店頭に通うようになって話を交わすようになったとか、他に作りようもあるでしょう。安子は菓子屋の娘で菓子を売ってるんですから。
なんでもアリなわけではないとおもう。
いちいち、ひっかかる小骨が多いドラマで、がっかり。
さださんの英会話講師、姿は見えねど味はある。

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名前無し

安子の真に迫った演技が大好評だが、その反面、脚本が超高速展開のために人物の心理描写や背景の説明が足りず、粗っぽいストーリーになっている。例えば金太から預かったおはぎを上手に売ってきた少年は戦災孤児だろうが、少しばかりの金を全部渡したところで、それを元手に商売を持続できたら天才肌だし、すぐまた元の腹ペコの浮浪児に戻るだろう。だったら、おはぎの売り子にしてやれば救う事も出来たし、やがて菓子店再興の戦力にもなれたかもしれないのに安子はあっさり見送っている。
「エール」では元陸軍将校が戦後、友人の商社に入り優遇して貰いながらも、「自分がやりたいのはこの仕事では無い!」と疑問を感じ、ラーメン屋を始め、そこで知り合った戦災孤児を我が子として育てていた。それに頭取の娘との結婚も式直前にドタキャンしようが、会社は何の問題も無かったようで、足袋の工場が焼け残った事もあって経営は続いている。「アグリ」では当時帝大生だった吉行淳之介が空襲警報を聞いて、「ついに東京にも新型爆弾が!」と、下宿の未亡人と手を握り、死を覚悟するシーンがちゃんと有ったが、「岡山県民は広島の惨事を誰も知らなかったの?」と思ってしまう。銀行との関係も含めて、こんな杜撰な脚本ではあの時代に岡山が奇跡的に平穏でいられた幸せな街だったのか?と誤解を与えてしまうだろう。

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