5 | 1428件 | ||
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1 | 931件 | ||
合計 | 2656件 |
(月〜金)昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而と、歌手としても活躍したその妻・古関金子をモデルに、昭和という激動の時代の中で人々の心に寄り添う数々の曲を生み出した作曲家とその妻の波乱万丈の生涯の物語。
リアリティとかいう以前の問題。
誰にも理解されない感性
基本 多くの人を対象にする朝ドラ視聴には不向き
カーネーションやあまちゃんは面白かった。エールはつまらない。
半分青いやなつぞらよりつまらない。
そんな幼稚な事言われてもさ笑
本当に沢山の感動の涙と笑いとをありがとうございました!!あと5日で終わりなんて、、毎日の
生き甲斐のようでした。裕一君と音ちゃんが現実に存在しているような錯覚を覚えます。大好きな
2人でした。他キャスト、スタッフ、「エール」に携わった全ての方々のこれからのご活躍をお祈りします💕❗️
スカーレットはカスみたいなドラマで、二度とみたくもないが、かといってエールは最高か?と聞かれても、いや全然、普通だね、て言う程度のドラマだった。
再放送?まあ見ないな。
まだなつぞらの方がよい。
初回は東京オリンピック開会式当日のシーンで「いだてんの最終的と繋がった!」と大喜びしていた者ですが、今は皆様のレビューを読むのみです。
主人公が関係者用便所に隠れるというヘタレに描かれていましたね。
東京制作だけど、福島出身の主人公をヘタレに描くのって、西日本の感性だと思った。
仮にこのスタッフが宮澤賢治をモデルに描いたら、どんなことになるのやら……。
長いことエールを見て気付きました。
シリアスなエールは非常に見応えがあるのに、コメディにすると途端に面白くなくなる。
良いんだよ エールは朝ドラだもの90%以上の視聴者が楽しめれば
残りわずかの視聴者にまで合わせる必要なんかないさ
そんなことしたら 今度は90%以上からの批判が来ちゃう それが朝ドラ!
そうですね、それがエールとスカーレットも大きな違いかな。
朝ドラは、多くの人の共感を得なければならないのが宿命ですからね。
国民的ドラマなんて言われているんですもの。
普通、ドラマはクライマックス後、大団円(※)で話の回収に向かうものと思うが、この「エール」は、ごく最近まで感動的エピに満ちていた。ところが、この金曜日の「笑い」過多なエピは、今までの緊張感を少し逸脱しているのではないかと思い不満に思った。しかし、それを考える内に、この「エール」というドラマが、既に語るべきもののほとんどを語り、それとなく「別れの挨拶」までしているのではないかと思うようになった。
舞台で、最後、「カーテンコール」で演者が思いを込めて観客に語り掛ける、別れの「挨拶」をすることがある。それは、普通は「それらしい」話の披露になるだろう。また、中には、舞台の上に、普段顔を見せないスタッフを引っ張り上げその苦労に報いるという粋な計らいが見られることもある。
コロナ禍、「エール」が「覚悟」をもって作成されたという制作側からの記事があったが、その戦いの中で、このドラマは視聴者をも含め「戦友」関係にあったと思う。そして、この製作者、俳優たちはこの「戦友」に、3種類の「カーテンコール」で「らしい」話「らしくない」話を披露しながら、別れの挨拶を差しはさみ最終週に向かってきた、と思う。
-------3つのカーテンコールについて<あくまで私の考えだが>-----
●。クライマックス ・戦場の歌
Ⅰ。本編エンディング(主要キャラの①カーテンコール)
・鐘よ響け~栄冠は君に輝く~夢のつづきに
Ⅱ。スタッフの声 (スタッフを交えた②カーテンコール
・ふるさとに響く歌~恋のメロディ
Ⅲ。エピローグ゙ (謝辞と客を交えた③カーテンコール) ・エール
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Ⅰ。本編エンディング(主要キャラとカーテンコール)
・「鐘よ響け」は、裕一の、正攻法の「らしい」挨拶のメッセージ。、
・あのシャレ者の久志のやさぐれた再登場は「らしくない」エピで、最後は感動的な再生へと向かった。この「らしくない」姿は、演者の山崎育三郎さん自身が楽しんでいる感があり楽しい挨拶だと思う。
・二階堂さんは「夢のつづきに」で、「生声」で演じ、やがて「蒼き空へ」を歌い上げる「らしすぎる」エピで、二階堂さん自身が「真剣に楽しんでいる」という感じだった。
二階堂さんは「この朝ドラのヒロインオーディションに応募し、応募者2,082人の中から熱演と歌唱力が評価を受けて選出さ」れ当然とはいえ、この音楽に関するドラマで、「生」で歌うということは、プロの前で「声のヌード」を晒すことで、ものすごく緊張することだろう。「椿姫」「ラ・ボエーム」に続き、最後の音楽会で朗々と歌う機会を作ったことは、スタッフの二階堂さんへの厚い信頼を感じるし、音「らしすぎる」挨拶のように思う。
ここでは、「脚本家・作者」達スタッフが、俳優という素材を、イジってイジくって最後の挨拶の土台を作っているようにも思う。そこに和気あいあいとした現場の雰囲気を感じる。
因みに、私は、この章の「夢のつづきに」の終わりが、「本編」の本当のエンディングだと言って良いと思う。
歌い終え、ドアを閉める音を包む夕日の朱色の美しさ、その静寂さは最終回にふさわしいシーンだったと思う(その直後の「あさイチ」でも最終回かと感嘆の声が上がっていた)。
そして家族で音楽会を去るシーンは、この「エール」という、この「家族愛・夫婦愛」を描いたドラマ最終回にふさわしいシーンだったと思う。
そして後は、スタッフの色々な声や、後日談へとつづくことになる、と思っている。
Ⅱ。スタッフの声(スタッフのカーテンコール)
続く「ふるさとに響く歌」の話は、その内容(鉄男、浩二のエピ)から本編の一部と考えることもできるが、その尺の短さを考えた場合、スタッフから2人の脚本家へのリスペクト(敬意)と謝意で用意された「挨拶の舞台」だと私は思う。2人の脚本家が2日づつという枠の中で存分に筆を振るった「腕比べ」の掌編だと思う。
脚本家の挨拶の後での、この「恋のメロディ」は、ついに、スタッフ自身が引っ張り上げられ、舞台で楽し気に挨拶をしているような感じかなと思う。「君の名は」のウラ話等、色々な話を聞かせてもらい、朝ドラおじさんの日村さん迄引っ張りだされ、画面は意匠(いしょう)を凝らし・・・これは、ちょうど気の良いロカビリーのお兄ちゃんが病室でギターを弾くような優しさで、だから、少々の脱線や矛盾に目くじらをたてるのも無粋というものか、と思う。また、同じ病院に入院し隣のベッドという設定も、視聴者を楽しませる為に違いない(まるで志村さんのドリフにありそうな設定)。
Ⅲ。エピローグ゙(③謝辞と客を交えたカーテンコール)
エピログは、プロローグ(序幕)の東京オリンピックにつながるようだ。朝ドラの「定番」の感もありそれはそれでよいと思う。
すでに、これだけ色々と趣向を凝らし遊びを入れた後、本編らしいエピローグを流すのは、例えば、稀にであるが、映画でエンドロール(※)後に突然、本編の続きやメイキング等を挿入し、観客を驚き楽しませる趣向に少しだけ似ているように思う。
「エール」の最終日の「カーテンコール」のコンサートは、あたかも、観客も混じって、交流を深めるようなワクワク感があり、楽しい企画だと思う。
カーテンコールで、普段は舞台に上がらないスタッフ、時には観客までも混じる、例えば、ロカビリー歌手が舞台から引きずり降ろされ、骨折をする、・・私のこの比喩は言いすぎ感があるけれど、そんなことの相似性を感じさせる。
もし私の書いた3つのカーテンコールという例えが妥当なら、このドラマは、舞台の最後で、舞台を終えてもなお、何度も「アンコール」「アンコール」という言葉の響くコンサートのようでもある。
恐らく、この「エール」は、製作者、スタッフ、俳優、観客(視聴者)が、共に困難を乗り越え成立したということが、このドラマの立ち位置だったと思う。
以 上 <長文失礼しました>
(※)大団円(だいだんえん):最終の段階で、ものごと全てに結末がつき円満に収まる事
(※)エンドロール:映画の終りに表示される、製作者・監督・スタッフ等の名前を列挙した一覧
多勢に無勢か アンチの奮闘!
過激に数多く頑張る健気さ
エールの盛り上がりに何か影響があるのか疑問んではあるが
頑張れ!
感想欄にバイキンマンさえ登場するくらい「エール」は人気ドラマなのさ。
あなたのとこにもバイキンマンはやってくるかもしれないが、
それはバイキンマンの焼きもちである。
許しておやり。
どんなに重々しくてもそれはバイキンマン。
最終週でやる内容じゃないな。
嫌ですね。
天下の大作曲様も、人をあれこれ値踏みするんだ。
自分の時の事を忘れて、嫌ですね。
なんだかな最後が歌なんて段々丸くなりつまらなくなってきた朝ドラも半年要らん
音の笑い方。
まるで、わろてんかの、てんみたい、。
普通に笑えないのか。
おまけに下手くそな歌。
耳に残らん。
トイレに隠れたおっさんが人に偉そうにのたまうか?(笑)
裕一は自分のことを棚に上げて何を偉そうなこと言ってんだ。
評判落とすぞ!!
足が地についていない。でも手に血がついている。
アキラに目はない。でもあきら めない。
良かったわ、想いのこもった歌。上手い下手じゃなく、なんか胸に響いてきたもの。
裕一と音の様に互いに支え合う素敵な夫婦になって欲しい。
爆笑!これこれ、エールはこれだよ!
汽車は走り出しました。懐かしい。
あのとき、三郎さんと光子さんが許してくれたから、裕一と音は幸せになれたんだよね。
華とアキラも大丈夫。華はしっかりしてるし働いてるし。アキラも素直ないいやつだし。
明日、アキラはなんて言うかな?楽しみ!
華のない華の話は明日で終わって、オリンピックに向けての動向を見せてほしい。
いきなり曲できたなんて、アホな展開になどしていらない。
それにしても役者の少ないドラマだよな。
それはスカーレットと変わらんな。
もう終わるからアンチは黙っててほしい。
最後まで魅せてくれるね「エール」。
再放送も見たからよく覚えてたよ。ファーストキスがあれだったのもw
慌てた二人が廊下に飛び出したら華たちが突っ立ってたのには笑ったww
国民的ドラマなんて言葉がメディアに躍っているのに「国力」とか「国民全員」とか書くとクロスファイア(十字砲火)やトラップやガスライティングなどで……。
でもあそこにお参りはさすがに引いた(-_-;)。一般教養はホントに大事だなと思う。
頑固すぎる “にわかインテリ” にはならないよう自分で気を付けようっと。
裕一は自分のことを棚に上げて何を偉そうなこと言うな、評判落とすぞ、という意見もありましたが。
よく見てくださいね。裕一は自分を顧みて反省して大きな気持ちで娘の結婚を許しました。裕一の優しさが出ていて評判を上げたと思います。どこの父親にも感じる娘への父の思いが良く描かれて同じ年頃の娘を持つ親が見たら親近感を覚えたと思います。今作は主人公の成功物語だけではなく家族の愛情も描かれて秀作でした。それに夫婦別れもせず仲の良いおしどり夫婦を朝から見られて清々しいかったです。
もう終わるし嬉しいな。
綺麗さっぱり忘れて、ラジオなどで、古関さんの曲かかっても実物古関さんしか浮かばない。
ドラマ見てても、何か役にたったかさっぱりわからん。
音っていつみても○人にしか見えなかったな。
>久しぶりに上げ上げ信者と言う言葉思い出した。
批判はいいけれど内容がない短文の短絡的な言いがかりな批判ばかり、中には複アカ使って不正星1操作を何度でも、
それだけエールは非の打ちどころが少ないドラマでした。久しぶり揚げ足取りという言葉を思い出しました。
>久しぶりに上げ上げ信者と言う言葉思い出した。
信者という差別は発言は遺憾です。控えてほしい。
アンチは終わってうれしいですね。
どうぞ次週から始まるわろてんかの二番煎じの
おちょこちゃんをお楽しみに(笑)。
老け姿なんて他の朝ドラでもほとんど見たことないわ。白髪を一本増やすくらいかしら。
途中からダラダラと話が進んでいくドラマが多い中、最初から最後まで見所たっぷりで最高の朝ドラだったわ。ありがとう。
ドラマなんてものは真実に忠実に描いたものは少ない。「大嘘はダメです」というのは実在の人物の話を「再現ドラマ」的に描いたものに限られるが、それですら日常生活まで真実通りであることはまずない。連続テレビ小説のばあい主人公をはじめとする登場人物の名前も変えているくらいだから重箱の隅を楊枝でほじくるようなことを言ったところで始まらない。他局ドラマではテレ朝の「トットちゃん」みたいに登場人物まで実在人物名を使っていながらフィクションドラマに仕立てたものもあるくらいだからそれに比べれば些細な事だろう。
>老け姿、拒否の役者など、書いてあげるのもバカらしい。
書いてあげるのはバカバカしいと感想もないのに星評価は規約違反です。
スカーレットの喜美ちゃんもわろてんかのおてんちゃんも
50代なのにお肌ぴちぴちでした(笑)。
シンプルに四人の会話が楽しかった。裕一の求婚の時同様にアドリブもあったのではないかな。
だから今時の女優は老け役なんかできるもんか♪
なんですね。
当時のおばさんなんて、ほんとに老けてんだから。
次作番宣で、エールロスになるのが確定してしまった。
やっぱり苦手なBK朝ドラ!
いまからでも何とかならない!
もう一回再放送の続きで良いので、続けてくれないかしらNHKさん。
ああ、もう今週で終わっちゃうなんて。
寂しい。。。本当に大好きな朝ドラになってしまった。
コロナ禍でもエールのお陰で明るい朝が迎えられてた。
最後の週、噛み締めて見ていきたい。
今日も楽しかった。厳格な父っぽい祐一面白い。
自分の時はもっと酷かったよね。いきなり音の家行って泊まってきたり、父親が来たり。
私も次作の予告を見て、ああ今までのありきたりな朝ドラに戻っちゃうんだなという印象。杉咲花ちゃんは好きだけど、一代記はもう飽きました。
エールをもっともっと見ていたかったです。
福島の名物お菓子は舟和のあんこ玉に似ていますね。
アキラに対する裕一の態度に腹が立ちました。音楽への潜在意識が言動に現れてしまいましたね。
でもアキラの歌を聴いて考え直したようで、それは良かったですね・・・としか。
こういう急展開は、作り手がコントを見過ぎだからなのでしょうか。
『笑う犬の冒険』の「娘よ 久保惣吉」を思い出しました。
窪田さんは真面目そうだから、台本どおりに読んで演出家の言うとおりに演じているんだろうなと思います。座長として、従順に飼いならされちゃったというか・・・そういう現場の雰囲気がうかがえるような気がしました。
脚本とアキラで台無しになっちゃたなあ。こんなに色気のない男がスターになれるわけないし、鳶の検定を死んだ岩城さんにやってもらいたいくらいです。それ以前にこんな話ナレで済ましてほしい。
実子の音楽的才能を見極め、違う仕事につかせた古関さんなら、アキラ君に鐘を一つ鳴らして帰ってもらったろう。
しょぼい歌歌って鼻血出したら、あっさり結婚を認めちゃうのか?
三郎光子裕一音のコント回再び!先週からコント調で初期の頃を思い出させるセリフや演出がたくさんあったので、これを持ってくるのではないかと思っていたがやはりきた。華役の古川琴音はなかなかうまい。宮沢氷魚も頑張った。唐沢寿明に鍛えられた窪田正孝はさすがで緩急ばっちり。二階堂ふみもこれまで見せてきたコメディエンヌの面目躍如。そして裕一&音の息がぴったり合っていて夫婦漫才も良。今日も楽しかった。
ツルツルの饅頭(羊羹?)が出てきたときから裕一たちのプロポーズ回を思い出させる仕掛けは始まっている。ザ・娘を持つ父な裕一は最後の方で音に笑みを漏らすまでずっと渋面で通したが、アキラの女性遍歴16人で驚いた顔はかわいかった。音はずっと音らしく百面相。華は華らしく真面目に対応、アキラが天然ぶりを炸裂させ根っこは裕一と似ているのではと思わせる。
始めは裕一対三人だったのがいつのまにか三人対アキラになっていて(ここで喜ぶ裕一の幼さ笑)、アキラは起死回生の歌を投入、華のために作った曲を古山家全員の前で歌う。宮沢氷魚、あの場で歌うのはさぞ緊張しただろう(笑)。歌っているとやはり父親に似ているし、『コウノドリ』で見た時よりも随分と演技のテンポもよくなっていると思った。アキラの歌を聞く華の顔は、裕一に恋い焦がれていた頃の音と同じ顔。アキラの歌は裕一が音のために作った曲とは似ても似つかぬソングで、時代の流れを感じさせる。しかし込められた想いはきっと、あの頃の二人のものと同じ。
裕一は、音に苦労をさせてきたので華には苦労をさせたくないと言う。音はそれでも楽しかったと言う。娘が不幸になるのを恐れたり、好きな人と結ばれて幸せになってほしいと願ったり。親の気持ちとしてとてもよくわかる。そして裕一は三郎と光子を思い出し、何もなかった自分達の結婚を許してくれた両親に感謝するのだった。
汽車は走り出し、心が行けと叫ぶ。もう止まらない、止められないのは自分達が一番知っている。あの時の三郎と光子のように、我が子を信じて。最後に裕一はアキラに「なぜ華なのか」という疑問を投げかけ、さあアキラがなんと答えるか。明日のお楽しみ。
今日は懐かしい映像がたくさん出てきて、裕一も音も年をとったなあと思った。窪田と二階堂の年を重ねた演技の上手いこと。二人ともしっかり親の顔になっている。最終回まで残りわずか。最後まで全力で楽しむ。
最終週1日め
ひどいを通り越して気持ち悪い。ひたすら下品。
演じさせられている役者、付き合わされているスタッフが気の毒でならない。
救いは、こんなコント猿真似に、古関メロディを使わないでいてくれたこと。
作曲家のドラマが作れないことは120%分かった。ドラマもコントも楽しいドタバタ番組も作れない。
明日からも古関メロディとは全く無縁で通してほしい。
ここで歌の下手な人を出しておくと、久志が映えるからいいと思う。ただ岩城が本気出すと、それも水の泡になるかも。
面白かった関内家でのプロポーズも、わりと下品だったけれど4人が上手かったんだよね。アキラ君のような画面3秒ももたない役者がいると、柳の下にどじょうは現れない。
今朝も凄く面白く見ました。裕一や音の親としての気持ち良くわかります。
だけど自分達もそうだったんですよね。何だか懐かしさを覚えました。一瞬の回想場面を見るだけでもその時の感情を思い出してギュっとなります。
これもこれまでずっと丁寧に描いてきてくれたおかげですね。残り少なくなってきましたが1日1日大切に見て行きたいと思います。
最終盤の大事なところ。
地味な仕事を一生懸命やっている役で、泉澤祐希さんに華にプロポーズしてもらえれば、安心できたのに。
ロカビリーのブームなんてすぐ終わる。
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