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>この程度の批判
何人もの人が「花燃ゆ」「江」と並ぶ大河史上最低の作品と酷評してますが。
まじっすか。まったく真逆に聞いていますけど。
というか、こんな序盤で脚本家交代なんて言われてしまう時点で酷すぎるんだけど、でもこんな簡単に首切るとしたら、制作統括は無責任過ぎるでしょ。
責任もって、最期までやるべし。
それか、制作統括を首にするなら話は別だけど。
何言ってんだ、変な文章になってしまって申し訳ない。
脚本家変えるなら、制作統括も変えろ。
脚本家だけに責任転嫁して、とかげの尻尾切りは問題の解決にはならないと思う。
でも、途中から他人の作品を作るのは、辛いですよ。
だから、変えないほうがいいと思う。
いくら酷い脚本家でも。
「勝海舟」で倉本聰がクビにされたのは序盤でしたけれどね。
ここの評価ではクビにはならないでしょう。
考慮があるのは視聴率。
おかしな特番やったのと先週の出来で、一気に信頼をなくした感があります。私個人の感覚ですが、長く大河を見てきてる感覚からすれば。
次回以降の視聴率の急降下が十分予想されるのですけれどね。
2018-04-20 21:26:45さんは
「八重の桜」は脚本家交代でよくなったという評判だと書かれていますが、
もし宜しければ、どの段階での交代だったのでしょうか。
私は詳しくは知らないのですが、むしろ後半は、前半の緊張感や丁寧さがなくなり、大幅にドラマの質が落ちたように感じたのですが。
今どこまで撮ってあるか知らないが、こんな脚本家で年末までは到底無理だと思う。
兎に角歴史を知らなさ過ぎる。
早急に脚本を帰るべし。
出演者同士のケンカというのも、演じている本人自身も違和感が一杯だからだと思う。
明後日の次回は、スペシャルで現場の撮影風景をやっていた内容。
つまり、西郷が突然京の朝廷を武力でもって制圧すべし、と斉彬に上申するシーン。西郷よく言った、と。
要するに西郷が突然覚醒、確変する。今まで何のそうした政治的描写をしていないのに突然覚醒するというお粗末さ。
こんな脚本ではこれからまだ半年以上とても無理である。
22:33:16さんへ
21:26:45です。
私の書いた「評判」は週刊文○か週刊新○のいずれかのドラマ批評によるものです(私個人は全話見たのではなく、この作品に関しては評価する立場にありません)。雑誌記者の個人的意見ではなく、テレビ関係者や世間一般での評判だ、という書き方でした。
で、どこからか、という問題ですが、8月中旬から吉沢智子さんと三浦有為子さんが脚本を担当し、従来脚本執筆の山本むつみさんは原作者と言う扱いになった、吉沢さんらが書くようになってから(33、37、40、43が吉沢、36、39が三浦)、週刊誌の記事によると、会話のテンポが良くなり見やすくなった、という趣旨が書かれていました。
あなたがお感じになった印象と違っていれば、きちんとソースを明らかにせず書いた私の不徳の致すところです。すみません。
23:29:12様、
22:33:16です、さっそくお返事をありがとうございました。
ぶしつけなお尋ねをしましたのに、お気を悪くなさらず、
詳しい情報をいただき、恐縮しております。
本当にありがとうございました!
2018-04-20 23:29:12 様 横からすみませんが、視聴率で言えば後半の明治編の方が低くなり、最低視聴率も明治編です。 マスコミは色々な方面から影響を受けつつ適当に書かれる記事が多いので(特にゴシップ系)、記事よりも視聴率の方が視聴者の動向の指標になるかと思います。
>カイチーさん
コメント面白かったですよ。ここは自由に自分のドラマレビューを書ける場所なので、また気が向いたらいつでも来てくださいね。
瑛太と錦戸の揉め事かぁ・・何だかナベケン&斉藤由貴のスキャンダルや製作スタッフの不祥事、ナレーションの降板等々、このドラマなんか不運続きだわ。そもそも中園+林コンビを選んだことが大河の神様がこの大河は何か違うと駄目押ししてるんかな、とすら思ってきた。
00:15:58さんへ
アドバイスいただき、ありがとうございます。
嬉しく思いました。
おっしゃる通り、確かに後半は視聴率が前半に比べれば最終回を除きやや低調ですね。
ただ、脚本家が変わったといっても後半の一部のみで、明治期も従来通りの山本むつみさんが書いてる回の方が多いです。新たな脚本家投入は脚本へのテコ入れだと当時言われてました。
私個人はこの作品は全話またはそれに近い回数を見ていないので、作品の出来についてはコメントできません。
どの作品も、視聴率、視聴者センターへの意見、様々なメディア評、識者の意見、主要なテレビドラマ賞受賞状況等、おっしゃる通り一週刊誌の記事にとらわれることなく、多角的に見ていきたいと思います。視聴率はもちろん重要なファクターです。それと自分の好みも当然入りますけどね。
視聴率で言えば、あの特番以降、一気に急降下した「西郷どん」。
たとえ、序盤から中盤低くても、中盤から後半にかけて上昇していく作品は秀作の傾向が強いと思いますが、真逆ですからね。
心配です。
私個人は林真理子さん、中園ミホさん自体は高く評価している。
ただ、どんな作家であれ、脚本家であれ、映画監督であれ、得手不得手と言うものがある。
このコンビは大河作品にも娯楽時代劇にも全く向いていない。
その感覚が週を追うごとに強まっている。
大河は脚本家交代は珍しいことではなく、ありうるかも、という思いがある。
翁の仮面かな。○○仮面へのオマージュに見えた。
私は林真理子の小説を読んだこともなく、また読もうとも思いません。いくら好きな幕末物でも、今作の原作西郷どんも読みたいという欲求が最初からない。
また、中薗ミホ脚本のドラマも視たことはなく、したがって当初から原作脚本の先入観はありませんでした。
が、ここの欄でも当初から両者の評判はよくなかったにもかかわらず、2回位までは大変面白く私は星5を付けるほどでした。
しかし、結局は、中園脚本をよく知っていた方の投稿どおり、回を重ねるごとに評価は下がり今は星1になってしまいました。
結局は当初から中園脚本を疑問視していた方のとおりになり、残念至極ではあります。
中園ミホさんを疑問視していた意見は専ら「花子とアン」に集中し「トットてれび」のような月間ギャラクシー賞を取った作品へはなく不公平感がありました。よく知った人と言うより最近朝ドラを見始めた中年女性と言う感じでしたね。
主に女性による強い憎悪感を含んだ意見も少なくなかったですが、「花子とアン」にしても高視聴率で橋田賞、エランドール賞、東京ドラマアワード脚本賞を取った作品で高評価の人もいます。
しかし、この作品は、視聴者センターへの苦情件数が最近の朝ドラでは突出しており、ある意味、中園さんへの強い嫌悪感を主張する人はそれを物語っていたと思います。
「Dr.倫太郎」と言う私個人は視聴が苦痛で止めたような作品も知っており、今までの展開を見てきました。
「西郷どん」は時代劇のセオリーを全く無視する形が回を追うごとに露骨になり、今までの作品とは違った意味で、視聴者の興味をつなぎ留められない結果が、特番以降の視聴率の急降下に表れていると思います。
時代劇のセオリー無視もいい場合もあります。
中国俳優を多数出演させモンゴル帝国の描写をした「北条時宗」、女性目線のホームドラマ的視点の「おんな太閤記」、資料の乏しい人物を想像力で創作した「直虎」(これはあまり見ていないが)等ですが、「西郷どん」は特番のせいで、斉彬も吉之助も渡辺謙と鈴木亮平にしか見えず安っぽい印象になり、歴史上の人物の描き方も一橋公が護衛も付けず(「水戸黄門」「暴れん坊将軍」でもありえない)遊郭の磯田屋で平然と寝る安っぽい人物にしてしまいました。遊郭の女性も現代のキャバクラの姉ちゃんのノリで昼ドラ「あかんたれ」で描かれた身を売る女性の苦しみはかけらもありません。子役のふきの話が完全に捨てエピです。
「太平記」で楠木正成を原作にもない平和主義で話し合いを大切にする優しい人物に描いたり、「新平家物語」は吉川英治の原作もですが、悪役の印象の強かった清盛を立派な人物に描きました。
これらは歴史上の人物にリスペクトがあります。
安っぽい人物にするのとは真逆です。
大河作品にも娯楽時代劇にも作者も脚本家も全く向いていないと思います。
私個人は第一回第二回が良ければ高評価を続けtる人間ですが、「トットちゃん!」最終週や「越路吹雪物語」後半やこの「西郷どん」レベルまでレベルダウンするととても擁護できません。
大久保正助と西郷従道と脚本家はチェンジした方が良いと思います。視聴率の急降下が続けば現実味を帯びます。大河作品では珍しいことではありませんから。
放送開始前の雑誌座談会で林真理子さんと中園さんが軽口を叩いたのもファンとして非常に残念です。来年のクドカンさんも軽口をよく叩く人ですが、林さんと中園さんの場合は自分が時代劇では新参者ならもう少し謙虚であってほしく思いました。
15:04:43です。
「トットてれび」受賞歴は月間ギャラクシー賞ではなく放送文化基金賞の間違いでした。お詫びして訂正いたします。
うーむ。渡辺謙さんのインタビュー記事をいくつか読んだんだけど、脚本家もたしかに悪いのかもしれないけど、渡辺謙さんを裸の王様にしてしまったのが、悪かった気がしちゃいますね…。
「分かりにくさ」を意識した。最近のドラマは何でも説明してしまって面白くない。何を考えているのか分からない人物を意識した。
みたいなことを宣っておられましたが、あぁ~…という感じです。(以前からこの事を言ってましたが。)
たしかに意図したとおり?今作の斉彬は私には精神が分裂してる人に見えちゃいましたけど。
私たちは、渡辺謙のやりたいことを見たいんじゃなくて、「島津斉彬の」やったこと、やりたかったことを見たかったんですよね…。
渡辺謙さんが退場されたら、少しは現場の空気も和やかになるのではないでしょうか。それを願います。
よく「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」だ、という批判があるが、「暴れん坊」「金さん」をきちんと見ていたなら、そのようには到底思えないと思う。
私も暴れん坊や金さんを全話見た訳ではないが、遊郭のふきの描写では「暴れん坊」「金さん」の方が遥かに時代考証ができている。
暴れん坊吉宗も金さんも食い物屋や飲み屋で姉ちゃんを侍らせて遊んでるが、ひー様のように遊郭で遊ぶ描写は私は見たことがない。
遊郭の女性が辛い思いをしている描写が回によってはちゃんとある。
「暴れん坊」だが浪人の父娘が金に困窮し娘が遊郭に売られた描写があった。
父親が遊郭の外から格子越しに娘に言う。「必ず助け出してやるからな」。それを見ていた人相の悪い男が「俺達の仕事を手伝えば金をやる」と近づく。
豪商を襲う強盗をさせられ金を奪い、父親が「約束の金をくれ」と言うといきなり悪人に斬殺される。
人づてに話を聞いた娘が書置きを残し自害。それを御庭番から手に入れた吉宗が父娘の敵を討ちに悪徳旗本と御用商人のもとに乗り込む。ちゃんと護衛の御庭番も隠れていて、ひー様のように一人で磯田屋に泊まることはない。「世迷い事もそれまでだ!」「旗本でありながら数々の悪行、潔く腹を切れ!」のお決まりの台詞だが、ここから勧善懲悪の殺陣が始まる。
遊郭で身を売る女性の辛さはちゃんと表現されている。
青春をエンジョイし「もう、ひー様ったら♪」のふきとは全く違う。ふきは現代のキャバレーやスナックのホステスだ。
「西郷どん」の遊郭を見たら、本当に幻滅する。子役の時のふきのエピは何だったのだ。
金さんも、中村梅之助の時に、身を売る女性を保護すべく部下に命じる場面がちゃんとあった。
当時をリアルに再現する必要はないが(どんな大河作品でも無理だし却って面白くなくなる)、現代劇と変わらない描写や歴史上の人物へのリスペクトが欠けた描写は視聴で嫌悪感さえ感じてくる。
ある意味、歴史に残る大河作品だ。
視聴率がとことん悪くなり脚本家チェンジを望む。
要するに、脚本家も制作統括含めての制作陣が、
大名である殿様がもし殺されたらどうなるのか、ということを
知らないでドラマを作っているということに他ならない。
大河ドラマ徳川慶喜でも、ヒー様がお忍びで遊びに行くという内容があったが、必ず二人は護衛として付いていた。
そういうことからしても今作は有り得ないレベルの低さ。
そうですね。
繰り返しですが「徳川慶喜」には京ことば指導の他に、御所言葉指導の方もいました。孝明天皇役もいましたしね。
五摂家筆頭の近衛家の侍女だった幾島は両親も武家出身。
関西弁ですが、あんな庶民的な下町言葉を話すだろうか、という疑問が消えませんね。
ひい様が暴れん坊将軍か遠山の金さんみたいだ。
『どん』って感じにいつなるんだ?
『ほんまに西郷はん?』に変えたら
>ひい様が暴れん坊将軍か遠山の金さんみたいだ。
相変わらず「水戸黄門」「暴れん坊」「金さん」と同列視する人が後を絶ちませんね。ちゃんと「暴れん坊」等を見て言ってるのですか。
はっきり言って「暴れん坊」「金さん」の方は創作ではありますが、ちゃんと楽しめる娯楽時代劇です。
少なくとも徳川吉宗や遠山左衛門尉景元にきちんとしたリスペクトがあります(悪役の徳川宗春であり鳥居耀蔵にも貫禄があります)。井伊直弼や一橋慶喜を安っぽい人物に貶めている「西郷どん」とは違います。
昨日書いたように遊郭の描写一つ見ても「暴れん坊」の方が遥かに優れています。「吉原炎上」で描かれた遊女の生き様をも「西郷どん」は侮辱している感じがします。
最近は、キャスト目当てで見てる。
パクる割には全てが中途半端⤵︎
魅力的な人物が皆無です。
楽しく観ています、この大河好きなので。
瑛太さんの演技が好きなので、今回の再不祥事は本当に残念です。
プライベートは関係ないという考えもあるかと思いますが、
私としては、どんなに良い演技をしても実際は暴力を振るう人なんだと思って見てしまいます。
渡辺謙も不倫をしているので、どんな演技をしても全く説得力がないと思ってしまいます。
ましてや、インタビューでわざと分かりにくい斉彬を演じたと言っていましたが、受信料を払ってるこちらからしたら
自分がやりたい事を前面に押し出すのではなく、
全体のバランスを考え、分かりやすい演技をすべきではとさえ感じてしまいました。(分かりやすいキャラクターが活きているのなら話は別ですが)
何だか色々ケチのついてしまっている大河で、
鈴木亮平さんが気の毒です。
苦情が殺到したせいか、今になってようやく普通の大河らしく見せようと躍起になってる感じ。だけど、いくら表面だけ似せたからってね。。。ここに来るまでの10回以上の捨て回は、どうしてくれるのか。あまりに視聴者をなめてる。
なんか西郷隆盛の話じゃなく、ただの暴れん坊の物語みたい。
少年マンガとかやったら素直に受け入れられるんやろうな。
>少年マンガとかやったら素直に受け入れられるんやろうな。
「巨人の星」「あしたのジョー」とかに失礼でしょう。
何じゃこりゃ
政治に関われない外様なのに自分の思い通りにならないからって
武力で脅すのを無理やり美談にしてるよね。
実際のところは斉彬は反対派によって
消されたんだろうね。
ピー様が俺は将軍になる、と聞いた西郷が、次のシーンでないごて京の近衛家にいるのか。ないごて西郷のような下級武士が公家に会えるのか。そしてないごて以前から知り合いであったかのような月照がそこにいるのか。
その経過を全く省いたこれらのシーンは、視聴者置いてけぼりの制作者側すらも理解していない、もう滅茶苦茶なのでは。
そしてまた江戸のシーンに変わり、そしてまた京の今度は嘆きのシーンに変わるとは、何だこれ(笑)
なんか薩摩の連中が日本のために動いてるようには
全然見えないんだが・・。
役者さん達が奮闘しているので★3にしときますが。
脚本家の倉本聰さんは勝海舟の脚本を担当した時、製作側が自分の脚本の意図通り作らないで勝手に改ざんされたことに腹を立てて投げ出しました。西郷どんは逆で酷い脚本にスタッフ、キャストたちが投げ出したくなっているのでは。
封建制度の武家社会の中で、藩主が下級武士に向かって、俺になれ、
などというわけがなかろう(封建体制の崩壊を意図的に目指すならば別であるが、斉彬の意識にそこまでぶっ飛んでいた事実はない)。
そして言われた下級武士が、ハイ、などというわけがなかろう。
何故なら封建制度を否定する事になるから。
もちろん、脚本及び制作側は精神的にそれくらいの気概を持て、という意味で使ったのであろうが、現代劇ではないのだから、あまりに時代背景を無視したお花畑極まれりのセリフと言えるだろう。
家定遺書改ざん井伊直弼は佐川宣寿前国税庁長官か、吉之助突然変異で覚醒した、第二形態シン、ゴジラか。
今回は面白かった。
自分の歴史知識プラスで都合良く脳内補完しています。
じゃないとこの大河は楽しめない。
基本的に演者さんはいい。
すげー退屈です
収録はだいぶ以前に行われており、苦情が殺到したから今になって普通の大河にしようとしてる訳ではないのではないか。
朝ドラでも2月に既に収録したものを5月に放送した際に、批判があったから変更してきた、と主張する人がいたが。
それはそうと、回を追うごとに粗がどんどん酷くなっていく。
今日の回で行くと、左大臣の近衛忠煕の座敷に上がり込んで話す吉之助と橋本左内。下級公家ならともかく左大臣は内大臣の徳川将軍でも平伏する相手なんだが。
もっと気になったのは、吉之助と斉彬が「異国から国を守る」という趣旨の発言を繰り返すのだが、異国の脅威が映像はおろか台詞でも全く示されないため(日米修好通商条約締結の話がごっそり抜け落ちている)、視聴する側は狐につままれた感覚になる。
今日の展開に対する作者または脚本家の意向を好意的に尊重するなら、「異国に備える」という発言の代わりに、「井伊掃部が幼将軍を擁し国政を壟断する(私利私欲を貪る)のを防ぐため」としたら、まだ意味が通り視聴の側も理解できるのだが。
もう一つ分かりにくい点がある。
左大臣近衛公を通じ天皇の詔を頂いたものを覆されたのを、近衛公の「井伊が九条関白に近づいておった」と言う台詞だけで済ますから視聴の側はまたしてもちんぷんかんぷんになる。
直弼の謀臣の長野主膳は神保悟志さんがちゃんと演じてるのだから、九条関白家臣の島田左近らへの井伊の工作を描かないと何のことやら分からなくなる。特番やったり、吉之助の個人的事情に尺を割き過ぎたつけに思える。
唯一、家定が柿の実を篤姫に食べさせてやりたい、と言った真心を自身の策謀で大老就任と紀州の慶福の次期将軍指名にすり替えた直弼の狡猾さは作り話だが、これは本寿院、直弼を悪役とする他の大河作品でもよくある勧善懲悪劇で良かったと思う。
徳川家定と島津斉彬が急逝心筋梗塞のような発病の仕方は史実と違うがまあいいと思う。
非常に分かりにくいという点で、娯楽時代劇としても話にならない。
脚本家、原作者の手にはとても負えない感がする。大河作品にも娯楽時代劇にも向いてない人選であったと思う。
西郷確変モードに入りました、って777が出たシーンはやってなかったが(笑)
西郷の月照との出会いはどのようにして出会い、
西郷は、月照のどのような考え方に共感し影響を受けたのか。
それらをまったく描かずに、次週はもう西郷と月照の入水自殺のようである。
これでは何の感慨もなく、チンプンカンプンであろう。
何故上記のことを全く描かないのか。それは脚本及び制作陣が理解していないからだと思う。
21:50:20です。
私個人は斉彬が吉之助に「お前は俺になれ」と言ったのは自分の死期の近いのを薄々感じていた斉彬が若い吉之助に「自分のやりたかったことはお前に託したぞ」と言う意味に思いましたけど。
弟の久光とは疎遠だったんですかね。
吉之助、言われた通りに働いたし、一橋様も将軍になるって承諾したのに、何が起きたの?御庭番クビって、どういうこと?実家は相変わらず貧乏そうだし。下級武士は、使い捨て?何にも報いてはもらえないことにビックリ。
井伊直弼が寝所にまで入り込んで、将軍様に貼りつくことができたのも謎。一橋様の方が偉いのなら、一橋様が家定公の側に行って井伊直弼を追い出したら?他の人たちは何をしていたの?
篤姫は何のために輿入れしたの?家定公から離れずに看病したら、あんなことは防げたんじゃないの?
頓挫して、何もかもダメになったということはわかったけど、経緯がわかりにくくて、一橋様が全く不在になっていたから、スッキリしなかった。
おまけに、挙兵するって、どういうこと?一体、何が起きているの?
ええっ。来週はもう月照との入水自殺ですか。
予告編では安政の大獄が始まるみたいでしたね。
私の受ける感じでは、制作陣は、西郷のプライベートな身の回りの描写に時間を割き過ぎ(恐らく、奄美大島での生活にも時間を割くことが奄美の配役の多さから予想される)、政治の世界のことは二の次になってるんだと思います。
織田豊臣の頃ならこれでもいいですが、幕末や明治期にこの手法をされると視聴する側は訳が分からない状態になってしまいます。
困ったものですね。
お前は俺になれは、もちろん脚本制作陣は、その意味で言ったと思います。
が、例えば現代劇の会社社長が目をかけている係長補佐くらいに言ったのと時代背景が違います。
時代は封建制社会であり、封建制社会での身分制度を無視したセリフであり、またそれを聞いた者があまりに恐れ多いことであり、ハイなどと言うわけがない。ハイなどというのはあまりに越権している。
一橋公は政治の世界から逃げ回ってる人間に描かれてるので、家定の寝所には行かないでしょう。
史実では家定が一橋公を非常に嫌っていた記述がありますが、その描写がないから分かりにくいですね。
井伊掃部は溜り間詰め筆頭の譜代大名なので、家定には近づけたのでしょう。では江戸にいる水戸斉昭公はという疑問もあるでしょうが、家定の他に本寿院が斉昭や一橋公を毛嫌いしていた描写があれば良かったと思いますね。
確かに分かりにくいです。
必要でないシーンを雑に描き、必要なシーンも雑に描く、結局は全部雑な大河ドラマです。
22:30:33さんへ
「西郷どん」では斉彬と吉之助は既にツーカーの酒を酌みあう仲に描写されています。その延長でしょう。
今日も左大臣と同じ座敷で吉之助が会話するくらいですからね。
封建制度は既に社会経済面で崩壊しつつありましたが(後には長州奇兵隊、新選組に百姓町人が加入します)、斉彬と吉之助では、おっしゃる通り通常はあり得ない話ですね。
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