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次のとと姉ちゃんは既にクランクインしているので仕方ないが、もうこれ以降朝ドラで【実在人物をモデルにしたフィクション】を放送するのはやめていただきたい。
もし、どうしても実在人物をモデルにしたいのなら『ゲゲゲの女房』や『カーネーション』並みにモデルにした人物に敬意を払ってほしい。
今作は広岡浅子氏よりも広岡信五郎氏の扱いが酷すぎる。
五代友厚は改名しなくてはならないほどの歪曲振り。
新次郎はこれから完全にあさの影になるし、五代に至ってはあさにとって既にドラえもんである。
明るく、お綺麗事で、朝から元気が貰えて、1日頑張ろうという気になって、夫婦愛、親子愛、兄弟愛が描けていて、ついでに女性受けのいい「お面のよろしい」イケメンが登場すれば視聴率が高くなるならその手法で毎回ちょっと舞台を変えればいいだけなのだ。
別に「おしん」を書いた全盛期の橋田壽賀子のように一年間夫と別居してまで脚本の執筆に掛けろとは言わない。
ただ妾ひとつ腰が引けて描けないでいるなら実在人物に手を出してはいけない。
今の視聴者は「妾」と「愛人」の区別もつかないおバカばかり、と制作側が視聴者を見くびっているのが丸わかりである。
今作、相当脚本や構成が破綻しているのを役者陣の演技力でカバーして貰っていることをスタッフは一体どこまで理解しているのやら。
恐らく今週か来週には近藤正臣氏演ずる正吉は退場の流れでだろう。
宮﨑あおい演ずる姉のはつもこれまでのように頻繁に登場する展開ではない。
玉木宏演ずる新次郎も完全にあさの後方支援に回るだろう。
内山圭哉演ずる雁助、ひょっとすると友近演ずるうめまでも退場するような脚本なら、本当に波瑠演ずるあさに後半戦はかかっている。
せめて成瀬仁蔵だけはあさを持ち上げるだけの小道具と化してしまわぬよう祈るばかりだ。
サトシこと松造のしかけた爆破事故で人が死んでいたら、それこそぽっくりポンだったわな。
今回のそんな馬鹿な
あさ:たまたまみんな助かっただけで、死人がぎょうさんでたかておかしなかったんだっせ!
・爆発したのは「夜中」。坑道には誰もいない時間。たまたま治郎作親分が様子見に入って巻き込まれただけ。九州から早馬で駆けつけた納屋頭が「夜中」とはっきり言ったのを忘れてはりまっせ。爆発した回は夜中だったのに、次の回ではなぜか夕方になってたのは放送事故レべルのミス。それを引きずった今回のあさの痛い台詞でした。
あさ:加野屋が蓄え全部出したかて到底みんなを助ける事なんかでけしまへん!
・補償金も出せないし、炭鉱で儲けが出ないので本体の加野屋まで潰れかかってるのならのんびりしている場合じゃない。爆発から一か月。金策に走り回るどころか、大勢の使用人に囲まれて子守りにお買物、用も無い寄り合い所に顔を出すのに忙しい痛いあさでした。
あさ:偽善者ではあかん。優しい事だけ言うてる訳にはいかしまへんのや。
・松造に優しい事だけ言うてる新次郎を偽善者呼ばわりの痛いあさでした。
新次郎:寝泊まりするとこは?これから、どないして生きてくつもりだす?お金…ありますのんか?
・あさが炭鉱のことを子供同様に大事に思っていることを知っている新次郎。その炭鉱を爆破した責めるあさから犯人をかばい、あろうことか宿やお金の心配までする。しかもあさの目の前で金を渡そうとまで。そのお金はあさの働きであなたの懐に入っている金でっせ。妻の気持ちなどこれっぽっちも考えない痛い新次郎でした。
松造:あんたもやっぱり…人でなしやな。いや、それでええんや。-略- そんでも、今はこっちゃが道理だって分かる。すまんかった。
・正吉が松造の両親を助けなかった「人でなし」だったことを長年恨んだ末の炭鉱爆破だったのでは?のれん分けの際、金の貸し借りはしないと正吉と父親の間で約束があったことは知っていた。それでも苦しむ父母を助けなかった正吉は人でなしであり許せない。それが松造の道理。あさから叱られたくらいでそれがもろくも崩れ、あさの言い分が「道理だって分かる」。でもあさは人でなし。人でなしの道理が分かるって?いつからどう分かるようになったのか、こちらにはまるきり分からない。目も当てられないほど支離滅裂の痛い松造でした。
正吉:いくら約束やからというてもや、なんぞほかに助ける手だてがあったかもしれへんのに…。私の力不足や。堪忍してや!
・父親が失踪し残された母親と松造が酷い目に合ってることは正吉も知ってたはず。子供の新次郎さえ知っていたのだから。残された母子に知らんぷりした過去を今さら悔やんでもねえ。ほんの少しの援助があれば母親は死なずにすんだし、松造も10歳で孤児になり苦労することはなかった。息子と同い年の松造の不幸には見向きもせず、我が子はとことん甘やかした正吉。ところが大人になった松造を目の前にするや、父親が残した大福帳や好物だった饅頭を出して泣き落としにかかる姑息さ。饅頭で長年の恨みをチャラにしようとする痛い正吉でした。またそれにうっかり乗ってしまう痛い松造でした。
これで涙を誘おうと目論む痛すぎる脚本でした。
22:59さん
凄いですね!他にも凄い感想読めて嬉しいです!
ホントに アサ上げ見ては げんなりですが ここでスッキリさせてもらってます!(^_^)/
ここのレビューアーさんたちが脚本を書いた方が絶対面白いと思う
うん、うん、同意です。
今に始まったことじゃないけど、脚本破綻してきてますよね。
雰囲気だけは良さげで中身はスッカスカ。
毎朝ツッコむくらいしか楽しみがありません。
朝がきたに限らず、最近の朝ドラはご都合主義展開甘甘なストーリーが多い気がする。
朝から重いエピソードは見たくないという意見が多いからでしょうか?
確かに、重いエピソードは気分が重くなるかもしれませんが、逆にヒロインがそれを乗り越え、力強くたくましく生きていくという姿を見て、改めて「朝から元気がでた」と言えるのではないでしょうか。
ハルさんも女傑広岡浅子を演じているという意識をもって欲しいし、同様に脚本家やスタッフももってほしい。
「おしん」のようなドラマを期待していたのですが、残念です。
重かろうが軽かろうがストーリーがシナリオが、そして脚本がしっかりしていれば問題は無い。
ところがこのドラマは、笑わせる前に泣かせる前に「ちょっと待てよ」が多すぎる。
早い話が小説にも物語にもなっていない。
時系列の適当さいい加減さから始まり、役者のセリフに「?」。
さらにここにきての近藤演じる正吉の都合の良いセリフの数々。
今日は散々引っ張られたサトシエピの回収との事だが、道義的におかしい、セリフとしておかしいが目白押し。
設定上は40歳になろうという年齢なのにガキの論理。
親の博打で不幸になったのに、なぜか犯罪者であるその倅に頭を下げる正吉。
玉利には金を貸し、その玉利から金を借りて加野屋の閉店を免れたのに「金の貸し借りはしない約束」とのたまう程の支離滅裂。
じゃあ玉利から借りた時になぜ新次郎は「お父ちゃんは勝手や」とならなかったのだろうとの疑念も浮かぶ。
結局松造の言葉に正当性があるとしたら、加野屋が金儲けをしようとすれば誰かが不幸になる、という事だろう。
炭坑を買わなければ爆発は起こらなかった、というのが炭鉱編の結論という事だな。
許嫁交換に続きアホらし顛末。
さとしの問題、お饅頭1個で解決できる問題じゃないと思うけどなぁ。殺人未遂まで犯したんだよ。
今日の見所→美味しそうなお饅頭。
松造(サトシ)が、もし仮に警察に出頭したとしたら、どれ程の罪に問われたんでしょうかね?事情から考えて一応、情状酌量の余地もあるとはいえ、あそこまでやったら現在でも、かなりの重罪だと思うけれど、犯罪者の人権など、まるで尊重しなっかたと思われるあの当時では・・・う~ん、ちょっと想像するのも恐いものがありますね。
新次郎はやっとサトシの呪縛から解き放たれて加野屋の仕事に精を出すのかな?
新次郎が両替屋の仕事を嫌い理由には説得力が無さ過ぎてさすが「旦那様の秘密」の
続きだなぁ~と思ったが(笑)
男らしく仕事してあさほ負担を減らしてやってくれ!
それにしてもサトシを説教するあさがイチイチ白目剥くの止めてほしいわwww
波瑠のアップの半分はあの目を見開くシーン(・・;)
話に集中できないわ…
いくら何でもギョロ目のシーンが多過ぎて可笑しいぞ!
OKシーンの画面を確認しないのか??
「今回のそんな馬鹿な」
いつも面白いです。ありがとうございます。
新次郎は覚醒間近(だと思う)。
加野屋が炭鉱事故にあってピンチの時ぐらいは、番頭らと女中らのコントはやめてほしい。お気楽すぎてゲンナリする。それならあさの物語というよりも「お江戸でござる」でいいじゃない。
やひちさんの「そんなことも知らへんのでっか」の頭かき分けるポーズは桂三枝師匠のパクリでしょ(プンスカ)
商売、経済、経営に造詣が深い人が脚本を書かなければ、そりゃ商才なんて書くのは難しいだろう。だから「これは夫婦愛の物語です」と最初から逃げたのだろうけど。だからと言って、最初に志ありきのストーリーでもないし。マッサンで言うところの「日本人で一番始めに本格ウィスキーを作りたい」、まれで言うところの「パティシエになりたい」、どんど晴れで言うところの「女将になりたい」というものもない、だから、五代や新次郎に言われた言葉に乗っかったら上手く行きました、しか書きようがないのだろうが、それで半年持たせるのはかえって至難の技ではないか。
あとはそれぞれの役者さんの力量頼み、だから本編にしてすでに名場面集みたいになってしまい、毎回毎回確かにイイカンジではあるのだが、振り返ってみたらこの2ヶ月半のあらすじはハテ何だっけ、中身がなくてとんと説明出来ない。昨日なんかはその最たるもの。そして最後の「頑張る女性たち」がうどん屋さんなのは狙ってやったのか??
まあ確かにあの時代、女性に人権なんてまだまだなかったのだろうから、志なんてもちろん持ちようもなかったのかも知れないが、お家を守ると言う以上、加野屋の商売が傾いたら加野屋の中がどんな風なのか、その描写くらいは欲しいよね。いついつまでにこれをどこそこに支払えないと◯◯になる、みたいな。マッサンにはいよいよ従業員解雇しなければならなくなって、選定した人員の名前を読み上げるまでに追い詰められたり、住吉酒造時代に社食の昼食の内容が貧相になるとかならないとか従業員の会話があったりしたと思うけど。そういうお尻に火の点いたような描写がないので、こちらはポカーンとただただ傍観しているしかない。そしてどうせフィクションなら、初週の梨央ちゃんの熱演を活かして「女性が自由に学問の出来る時代が来て欲しい」くらいは設定しておいてもよかったようにも思う。
つまらなかったら見るなという人もいるが、身体を壊すほどの不快感がなければ、見始めてしばらく経ったドラマの視聴をやめるのは簡単ではなく、そのままズルズル見ちゃうのが小市民ですよ。
あれだけ大きい事故だったのに加野屋の連中がのんびりしているように見える。昨日は波瑠の目がどんどんでかくなっていき、ずっと目を見開いている状態でそれを見て思ったけど波瑠の演技って下手だと思う。あとサトシ役の役者は台詞まわしが下手、昨日は何を言っているのかよく聞き取れなかったよ。グレキチくんのほうが演技台詞ともうまいと思う。
もう一人の店を見てたのはだれや!
ああ~
もうあらすじみちゃおうか?
「なにしますねん」
お~っこわぁ
あれはほんとに怒ってたな(笑)
かわいらしいなぁ~
あさ~
臨終真近に、他人に「家族だけにして」なら解るが自分の子供に向かって
「よの(妻)と二人にしてくれ」なんて可笑しくない?
せっかく家族全員揃って見守っているのに妻だけ残して解散~?(笑)
だから臨終の時もすぐ正吉の部屋にも行かず個々に泣いてたって訳ですか(笑)
あさも元々ギョロ目なんだから、目を見開くの気をつけたら良いのに!
今日のあさもドタバタ走ってましたね。
おきまりのデカ目演技といい、げんなりします。
お顔立ちは整っているのに、聡明さのかけらも見えない。
梨央ちゃんのパチパチさんの演技のほうが、聡明で学問や商いへの情熱を感じました。
ドラマ冒頭に女学生に壇上から熱弁しているあさを見ましたが、もうかなりの年齢のはずなのに、軽々しい浅い語りと表情だったのを思い出します。
視聴率がいいことにあぐらをかかず、演技力を磨いてほしいです。
本当に見るに耐えないレベルです。
正吉さん大往生。
ようやくできた孫の千代ちゃんの成長本当にもっと見たかったでしょうね。その気持ちわかります。これからが一番可愛い時期だし、「おじいちゃん」って呼ばれたかっただろうな。
でも長年心の奥に引っかかっていた松造の父親への悔悟の念も昨日解消され、同じく心配だったに違いない息子新次郎もなんか仕事への興味を持ち始めたようで、そこは一安心でしょう。
それに店は当主の栄三郎がだいぶ自覚ができてきたようだし、何よりあさへの信頼がある。心残りはあまりなかったんじゃないかな。
でもよのさんとの別れはやっぱり寂しいですよね。二人きりになって昔のお伊勢参りを懐かしむシーンは切なかった。よほど楽しかったんでしょうね。もしかしたら新婚時代?「よのさん、手」と古女房に手を握ってもらい、神様に加野屋とよのさんのことをくれぐれ頼んます、と祈りながら逝くシーンは泣けました。
主のいない机に置かれた大福帳とよのさんの折鶴が哀しく、本当に、一時代の終わりを痛切に感じる今日の回でした。
あとここに雁助がいなかったのが辛いですね。予言的な正吉さんの言葉通り、恩人である大旦那さんの死に目に会えなかった雁助さんの気持ちはいかばかりでしょう。
でも最後、朝の帳場に一人立つあさの顔は決意に満ちていました。
栄三郎との対立もありますが、新次郎と協力して加野屋をこれからがんがん引っ張っていくんでしょう。
寂しいけど、未来の展望が感じられて清々しかったです。
栄三郎の手を取って喜ぶ様は、
保育園のお遊戯会かと錯覚しました。
家族にはそれぞれちゃんと言葉を残し、後は長年連れ添った妻と、の気持ちは分かります。
風吹ジュンの演技に泣けました。
昨日に続いて今日も泣きました。朝ドラで朝から泣くなんてと思いながら観ていました。
生前の正吉さんを思い出してしまいます。
よのさん、新次郎、榮三郎、あさ、加野屋の面々の喪失感は、観ていて悲しかったですが、正吉とのつながりはこれからもずっと続いて、榮三郎、新次郎、あさと三人の商いへの意気込みにワクワクします。
ちょっと長すぎな臨終シーンに ひきましたね。
雁助、一度くらいはウメから手紙貰ったんか?ウメは大旦那の事は知らせたのか?
榮三郎…相変わらずアサに押され気味で 全くもう!
どうせ炭鉱編はこれでなんとか上手くいったことにして 次はまた五代の お導きで東京行くんでしょ!
大阪の店にいても やることないしね。
それにしても 千代を連れて炭鉱に来てね…と言ってた話は続きあるのか?
カズが何故そんな事言ったのか未だに分からない私だよ!
今日の正吉の言葉で一応、正吉が栄三郎の嫁のことを気にはしていたと知って、少しだけほっとした(ってか、臨終前に急すぎ。実際に栄三郎の結婚式や子供をみたくなかったのかな、不思議)。
ここで初めて栄三郎の嫁の話が出てきたので、今後、その話はじっくりしてくれますよね。平番頭の亀助の幼い恋愛や熟年恋愛の雁とうめの恋愛をあれだけ長い期間やっているのだから、栄三郎の話もちゃんと時間をかけてしてくれますよね。
ここは素直に期待したいな。
あと正吉さん、一度手が止まってから、再び激しく起きだしたからかなり驚いた。お伊勢参りのお話は感動したけど、その話はついこないだしたばかりでは。伏線を直前に出すのは伏線とは言えないぞ。はつが泊まりに来た時に夫婦でどこか旅行してたけど、その時にお伊勢に行ってたら良かったね。
今日の臨終シーンは全然泣けませんでした。
まだ動物が死ぬ場面(ドラマとか)などの方が泣けます!
長いんです!息をひきとるまでが…
前の臨終シーンと同じ、ドラマと分かってるけど!早よ死ねや…思いましたがね。
以前 リエ母さんとハツが縁側で喋っていたシーンは泣けました!
榮三郎が アサみたいな でなくてお母ちゃんみたいな嫁を貰うと言ったのには 万歳!
ざまあみろアサ(笑)でした!録画していたとしても臨終シーンは早送りだな!
このドラマは問題が起こってそれを解決してと段取り良く上手くいってる感じが強すぎる。
詰め将棋じゃないんだけど、脚本家の手の内をすぐに見透かされるようなわかりやすさ。
昨日、今日の回はまあまあ素直に見ると普通に良い回なのに、全体的にばかまかれてるわざとらしさが、そういう良いシーンの邪魔をしてるので勿体ない。こちらが素直に見ようとしても見逃せない突っ込み部分が大きすぎるんですよ。
お祖父ちゃんもお舅さんも、お亡くなりになるシーンの演出がほとんど同じでひねりがない。
訂正です。
>全体的にばかまかれてるわざとらしさが、
じゃなくて
>全体的にばらまかれてるわざとらしさが
です。
ついでに「あさいち」見ていたら北村一輝がどうしても朝ドラに出たいと猛烈プッシュしていた。これだけの俳優が出たいという朝ドラ。たぶん近いうち、数年後には北村さん出るんじゃないかな。いまや朝ドラは凄い大舞台になっているのを「あさが来た」のスタッフは知ってほしい。
医者はどうした?
サトシはさすがに警察に出頭したんですね。まあ、当たり前だけど。ただ昨日の最後、正吉さんが松造に詫びるシーンで、父親の大番頭とは金の貸し借りをしない約束があったとして博打の件はなかったことにするような、相変わらずの綺麗ごと処理は白けました。
でもサトシが捕まっても補償金が出るわけでもなく再建には莫大な費用が掛かり石炭採掘の目途も経たない。炭鉱事業に否定的な見方をする栄三郎にあさがくってかかり、客がいつ来るかもしれない帳場で二人で険悪な雰囲気でにらみ合いをする。まったく、あさは大人げない。しかもその後雁助の見積もりがわりと良いことで栄三郎が態度を軟化すると、とたんに態度を豹変し、にこにこ顔で大喜び、相も変らぬドタバタ走りで帳簿を取に行く。この幼稚な演出はどうにかならないでしょうか。さすが当主だけあって、年の若い栄三郎のほうがよほど大人に見えます。こんなヒロインに正吉さんは店を託して大丈夫でしょうか。今日は正吉さんの臨終で泣かせのクライマックスでしたが、こんなヒロインを息子以上に信頼し最後の最後まで持ち上げる正吉さんに共感できないのが残念です。
そしてこのところ頻繁に加野屋の周辺をうろつき店を覗く謎の男。私もてっきり火でもつけようかと思ったという松造かと思ったけれど違うようですね。
またまたこれで話を引っ張るのではないかと非常に不安。
いつまでも成長しない幼稚なヒロインにがっかりだし、同じ話をいつまでも引っ張り展開のない内容もうんざりです。
私はよのさんと二人のシーンは泣けました。このドラマで初めて涙が出ました。
あさのおじいさんの時とは全く違う演出に思えましたけどね。
泣くんなら、むしろ昨日のほうかな。
ここ数か月の間親を二人看取ったのでドラマの臨終シーンでは泣かなくなりました。
(^^;)
人はあんな風には死なない・・
あの正吉のペラペラ喋り様だとあと数日は大丈夫です、きっと。
でもね、ドラマですもんね、リアルには出来ないのも重々承知してます。
ですからこれは批判ではありませんよ。(^^)
サトシの件も片付いたし、お父さんも亡くなったので(本当はもっと早い段階で亡くなってるはずだけど)
これで「新次郎はバリバリ働く」のお膳立てが出来ました。
でもまた一人、はっちゃん以外の謎の男が加野屋を睨んでた話しが誕生!(@@;)
今度はなんのこじつけの為のトピックでしょ?
もうはっちゃんはお払い箱かな。
韓国モデルを韓国に優しいNHKさんが電通さんあたりの圧力で出しただけなのかな~、
なんて勘ぐってしまいました。
籾井さん、シッカリして下さい・・・(--。)
今日はマッサンでのピン子さんが、臨終間際にベラベラと喋って亡くなったシーンを思い出してしまいました。ちょっと白け気味です。相変わらずのあさの稚拙な演技にも辟易。私にとっては、なんだかダラダラした回でした。
これまでまったく何も感じなかったこのドラマだが、加野屋の一時代の終焉を迎えた今回はさすがに違った。正吉の臨終には笑わせてもらいました。もう死ぬと言う時に、あんなにペラペラペラペラよく喋る。息も絶え絶えというのじゃなく、長台詞を戸板に水状態。あんなに元気な臨終場面は私史上見た事がない。前回、松造と対峙した場面もそうだったが、いくら最後の見せ所だって死にかけてるのに近藤正臣さん張り切り過ぎ。芝居がかった台詞を聞きながら大笑い。伊勢参りの前フリを思い切り回収したかったのは分かるが、道中再現までするとは陳腐過ぎるしとにかく元気。ああおかしい。よの役の風吹ジュンさんがよく吹き出さないなあと感心。
心臓発作で倒れた時も普段より喋ってると思うほど正吉の台詞が多かった。その後再び倒れ、今度は三日間の昏睡から目覚めたところで、またペラペラと元気なこと。あの時は、馬鹿馬鹿しくて呆れたが、今回は馬鹿馬鹿し過ぎて笑えた。そう言えば爆発で崩落し煙が充満した炭鉱の中に一週間ほど閉じ込められてた親分も、救出時にはペラペラ喋ってた。一か月後の方が弱っていたというおまけ付き。思わぬところで笑えるドラマだ。
今日のの回も素晴らしかった。
泣かせてもらいました。
これは傑作品だろうね、ヤッパ。
そうですね。ごちそうさんのときの正蔵の最期は悲しかったのに、今回は同じ近藤さんなのにそういう感情がなぜか湧きません。
どうしても、私の頭のなかでは正吉さんの死を「お義父さん、ぽっくりぽんや」と言うあさの姿が浮かんでしまうのですよね。
だから今回は微妙です。
何でもかんでも臨終を絡めれば視聴者は泣くなんて思われたら困るよね。
散々「もうすぐもうすぐ」なんて不自然な演出を何度もされたらいい加減興ざめ。
だいたいこの時の医療で、元気なうちから「あと少し」なんて判るはずもないし。
そしてペラペラとよくしゃべり、なお且つまたまた伊勢の話のぶり返し。
で次は雁助が「死に目に会えなかった」とかいう演出なんだろ?
本筋でこれだけ適当でいい加減な事を繰り返しておいて、「臨終」で良くも悪くもリセットしちゃうんだから呆れるばかり。
号泣なんてめったに使わない様な日本語を使わせたいのなら、もっとストーリーをちゃんとしてから出直しなさい。
2015-12-18 11:37:11さん
全くの同感でございます。数分後に死ぬ人間があんなにペラペラしゃべれるものかい!!
と突っ込んでしまいました。ただし、「戸板に水」ではございません。「立て板に水」でございます(老婆心ながら)
雁助の説明では、松造の父は資金繰りが厳しくなったときに博打に手を出したが、
正吉は「商人の筋を通すため」に助けようとはしなかった、と言ってました。
理由が「博打に手を出したことを怒って」ではなかったのが不思議で、
「商人の筋」とは何なのだろう?とずっと気になっていました。
「暖簾分けをした者にはどんな理由があっても決してお金の貸し借りはしない」
という「しきたり」があったことが分かってスッキリです。
共倒れを回避するための当時の人の知恵だったんでしょうかね?
結果、松造の一家には悲惨な末路が待っていると分かっていても、
正吉は商人として筋を通すことのほうを優先し、
松造の父もそれをちゃんと理解していた。
でも、それを目の当たりにした双方の息子達には、暗い影を落としてしまった。
正しいことだと頭では分かっても心は拒絶してしまう。
子供の頃の体験というのは恐ろしいものですね。
何故身内を助けないのか?と簡単に言ってしまいたくなりますが、
現実はそれでは済ませられない厳しさが必要な時もある。
その決断をする人はある意味悪者を買ってでているわけで、
五代さんの言う「偽善者ではいけない」とはそういう事なんでしょう。
でもお金があるなら、偽善者になった方が自分の気持ちは楽だったりします。
理屈で納得できるものではないから、人間関係は難しいのかもしれません。
目の前の人が不幸になるのを目の当たりにしていても、
商人としての厳しさを忘れず筋を通す必要はあるのか?
蔵にたくさんお金はあるのに、自分の父親は単なるケチではないのか?
それが新次郎の長年のわだかまりだったのでしょうかね。
親がケチケチ貯めていると思っていたお金で道楽することが発散方法だったのかも?
なんて思ったりしました。優しいダメ男ですね。
あっ、でも新次郎は後見人としての役割を果たそうとしないだけで、
勤務時間内は店でそれなりに働いているようなので、
結婚してからの道楽は自分のお給料から出てると思ってます。
松造にお金を渡そうとしてあさから厳しく止められた新次郎。
そんな新次郎も少し変わりつつあるようですが、
どんな形で行動に移すのでしょうか?気になります。
アサの再放送入る時間の裏番組(生)にフユちゃん 出ていて びっくり!
主役でないしまぁいいか(笑)
かわいいし(笑)
2015-12-18 12:12:47 名前無しさん
>「どうしても、私の頭のなかでは正吉さんの死を『お義父さん、ぽっくりぽんや』と言うあさの姿が浮かんでしまうのですよね。」
「お義父さん、ぽっくりんぽんや」に一票(^o^)。
お義父さん、ぽっくりぽんって
まるでこの番組が人の死を軽々しく扱っているかの印象を与えます。
人の死を軽視する表現のどこがいいのかさっぱりわかりません。
お涙頂戴のしつこい脚本演出にすれば軽々しくない、というわけでもない。
あんなに元気にしゃべってしゃべってしゃべって、
次の瞬間にパタッと死ぬなんてことは人間にはできない。
人間という生き物の真実や本質はとりあえず棚の上にあげといて、
泣けるように泣けるように大袈裟に持っていくようなドラマ作りは、
一見丁寧で人間の生死を重んじてるんだみたいに見えるけども、
表面的で浅い表現の仕方だと思う。
赤ん坊が生まれた時も、このドラマはそうだった。
登場人物が騒ぎすぎる。
大阪一の大店の隠居さんの死だから さぞかし立派は お葬式しますのやろな?
じいちゃん死んだ時 葬式場面あったっけ?
死ぬ直前の長いお喋りしか覚えてません…
アサの結婚式、これまた しょぼかった…。
襲名披露は 鯛が映っただけ…。
ま 明日は葬式済んだ後なんでしょね?
てか 今日最後のアサ場面で終わったのが 葬式後!?
いつも尻切れトンボなドラマですな!
リアルな表現というよりは、様式化された舞台劇か良質な人情落語の一節をみているようで、こういう表現もありだなと私は感動しました。
この回を見て「ぽっくりぽん」という表現は思いもつきませんでしたし、私はそうは思いませんが、そういう見方をする方もおられるというのは、それはそれでおもしろいですし、もし正吉さんがそれを読んだら、「ぽっくりぽん、よろしおますなー。」と言いそうな気がします。
息を引き取ってシーンありました?
手の握ったシーンで終わりではなかったですか?
そのご家族や従業員がそれぞれの場所で泣く
亡骸に抱き着いて泣き叫ぶより、グッときました。
夫婦二人で最後の時を迎える、私はよかったと思います。
楽しいと思うけどね。長く感想を書く程のことは思いつかないが、毎朝楽しみであるというだけで充分。
何も言わないけどそう思ってる人は多いと思います。
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