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銀行設立に奔走するときに達者なそろばんテクは必要ないと思いますがね。窓口業務を行うならそうした場面もあるんでしょうか?
みせる必要のない算盤シーンなら 一生懸命練習した などという 触れ込みなどはいらなかったのでは?
小学生でも できる程度の玉転がしシーンなどは いらない。
私、そろばん習ってもいないし、学校の授業でもほとんどやっていないから、イチから教えてもらって多少訓練しないと全然できないけどな(笑)
ハルさんも、普通に玉を入れられるくらいには訓練したんだと思いますよ。短いシーンであっても本当に計算しているのでしょう。
昔の算盤だからね。
上下の玉の数の違いあるから馴れるまでくらいは練習するでしょね。
彼女の年齢なら、そろばんもさらっと授業をしただけでしょうから、
練習しないと、今のそろばんでも出来ませんよね。
前々回のそんな馬鹿な
新次郎:わてなぁ、お父ちゃんのことただのケチや思てましたわ。せやけどなぁ、今やったら分かります。お家を守るいうのは、そないなつらい決断の積み重ねなんやて。
・なんでだす?そもそも新次郎のトラウマはどん底で苦しむ親友の松造一家を父親が見捨てたことが原因。心優しい新次郎は、非情な父親を責めず、父を非情にした金を責め、金を扱う家業を忌み嫌うようになった。つまり新次郎のトラウマは父親の非情を目の当たりにしたことに起因する。そして父親自身が認めているように、掟を守りつつも何らかの形で松造らを助けることはできたのだ。だが何もしなかった。つまり正吉が松造らを見捨てたことに掟は関係ない。後付けに出て来た「掟」が免罪符になっているが、正吉の非情に変わりはない。よって新次郎のトラウマも解消されるわけがない。
実質的に正吉が松造らを見捨てたことは新次郎も松造もスルー。松造にとってはそこが恨みの、新次郎にとってはトラウマの根っ子であるはずなのに。ここを掘り起こさず根っ子は残したまま、正吉の「堪忍してや!」のひと言とうどんと饅頭で松造の積年の恨みは消滅。松造は自首。すっきりした顔をしていたらしいが、松造が何をどう納得したのか謎。これで過去が清算されたことになり、新次郎のトラウマも解消。お父ちゃんはケチやなかった。松造を切り捨てたのはお家を守るためや。辛い決心どしたな、今ならわかるでぇ。みたいな人情話にすり替わっている。
新次郎の言う「つらい決断」うんぬんは、うどん屋で聞いたあさの受け売り。あさは五代の受け売り。ああチャラい。感動物語ぽく仕立ててあるが、中身がない。一杯のかけそばドラマである。
「一杯のかけそばドラマ」
アンチの声を一言で代弁してくれています。^^
松造は、自分の父親が追い詰められたことで加野屋の大旦那が悪くないということは分かっていたんですよずっと。だけど、両親の末路と自分が置かれていた境遇をずっと加野屋のせいにして、その憎しみを心の支えに生きてきたんだと思います。心開くことなく孤独の中で生きてきた彼の心。ほかのだれでもない、加野屋の大旦那が寄り添い、溶きほぐした瞬間をあのシーンで見ることができた幸せを私は感じました。名優と名優の対峙が本当にすばらしかった。
同じくです。 感動風に仕立てるのはこの作品の得意技ですからね。
でもいつもどこかがおかしい。ストンと心に落ちたことなんて無いので私は感動などしたことはありません。
ともかく最近、中身の濃い回が続いていて、
簡単に批評しては申し訳ないぐらいの、作者の「本気」が貫かれていますね。
誰かこのドラマを「芸術品」だと批評した方がいますが、
本当にそのぐらいの力の入れ方を感じます。
良いものは良い。言えるのはただそれだけです。
そうなんです。私も何で松造が正吉の言葉に納得したのか、違和感がありました。
それに、饅頭と大福帳まで用意する周到さに、計算づくというかあざとさを感じてしまい、あのエピソードは泣けませんでした。
まるでやっかいもの(松造)がやってきたから、何とか新次郎たちの迷惑の種を上手いこと取り除いて処理しよう、みたいな用意周到さですた。そういうのよりも正吉の商人としてのこういう狡猾さをもっと見せてもらいたかったな。
近藤さんのシーンに感動するのは、正吉という役を演じているのではなく、正吉をリアルに生きているからだと思います。
あの大福帳も、あの黒糖饅頭も。本当に松造の父親とのやり取りを思い出しながら語っている。だから心が揺さぶられていしまうのだなと。
「挨拶などができる程度の常識を持つ人たちが、年がら年中和気藹々としている」
一般受けする朝ドラって↑こういうものだと思う。
なんでそういうのが喜ばれるのか自分にはわからないが、
仲良く群れてる人たちを見ると安心する、平均的日本人的情緒に合うのかな。
話の辻褄も骨格もどうでもよくて、感情面だけに訴えてくるものがあればいい。
表面的にみんな優しくて思いやりがあって、かばい合って許し合う。
馴れ合い?慣れ合い?みたいなのが喜ばれるんだろうか。
正吉さんの臨終シーン、
やはり視聴者に感動の嵐を巻き起こしたようですね。
難しい脚本をここまで演じられたのは、近藤さんの卓抜な演技力があったからこそ。
脚本家が要求するものに演技者も、要求された以上の演技でしっかりとこたえる。
そんな理想的な関係が築かれるドラマって、最高だと思います。
それを見せられる私たちも幸せ者ですね。
松造はあくまでも「逆」恨みです。だから心のどこかで本当は父親にも落ち度があったことを認めたい気持ちもありながら、怖くて出来なかった、なかなかそのきっかけもなかったけど心の奥底では求めていた、なんとなくまだこちらは解ります。
しかし新次郎は誰がいい悪い、正しい正しくないではなく、他人様の人生をも変えてしまう、命すら奪うこともある、そんなお金の力、そのお金を扱う家業、決断力や責任感や時には割り切り、そういうものが求められる仕事に自分は向いていない、適性がない、だから逃げていたのだと思うんです。今回の松造と正吉の和解でそれらは全て克服できたのでしょうか。今後の展開を見守りたいと思います。
何がいばらの道なんだか。金持ちで旦那は理解があって子育ては他人がやってくれて、事業に失敗しても有能な大番頭が尻ぬぐいに行ってくれ、分家の嫁の身で当主に向かって「炭鉱は売りません!」と言い張っても許される。わがまま放題の好き勝手人生じゃねーか。
正吉お義父さんの臨終シーン長過ぎて
ほんとコント、志村けんが頭に浮かびました。
近藤さんもう出ないから見せ場だったのでしょうね
やっぱり演出かがわざと突っ込まれるのを狙ってるわ
近藤さんは本当に下手。
劇団などに所属したことがなく、
演技の基礎を勉強したことがないからかと思う。
まさか、あさがふゆの縁談をちゃんとしないのは、「シメシメ、今ふゆが子供の面倒みてくれてるから助かってるし、はつ姉ちゃんがうちに頼んだふゆの縁談の話なんて誰も知らないから、なかったことにしちゃおう♪」
ってことだったら、コワイな。
前に姉との許婚交換があったことや、サトシの「新次郎さんはお元気ですか」の話をちゃんと聞いてるのに、聞いてないフリをするあさだからあり得るかもしれん。
正吉の死も3日で「ケロリ」のあさ。笑った。
愛する人の喪失の悲しみは逆に3日過ぎた頃からズシンとくるもんだよね。どんなに明るくしよとしても、心が沈んで力が入らない感覚。どんな人でも最低1か月は続くもんだよ。
正吉の死もあさにとってはその程度の描かれ方。有働アナを泣かせたお涙頂戴も用が終わればハイ終わり。ちなみに有働アナはマッサンの時も号泣してたわ。アホ臭っ。
子守をふゆに押し付けなくても、うめもいるしほかの女中もいますよ。
また今日は新次郎はんが立ち聞きでっか。毎回のことでんな~
おアサさんが商い好きなんは誰も普通に気がついてたと思うけど
おアサさんは、今頃気が付きはりましたんか?(呆)
お家の為とかだけで嫁が商いに口出したり、炭坑の仕事に精を出だしたりするとか無いんやおまへんか?
なんですやろな、このドラマ色々ちょっとズレてるんとちゃいますやろか。
恵まれ過ぎるほど恵まれているアサなのだから、尚更 回りに目を向けてほしいね。
商売もいいけど 奥の仕事の仕切りとか、
まだまだ よのに習うことあるのでは?
たまに思い出したように子守りするだけだし。
昔の オモチャに どんなのがあったか分からない 知らないけど独楽は ちょっと危ない気がした。
でんでん太鼓?とか お人形だと良かった?
もちろん千代の雛壇は あるんでしょうね~?
見せてね!
毎回、思うんですけどこのドラマもそうだが何で朝ドラは人が亡くなる時、死に際にベタな台詞を言わせるんでしょうね・・・
これもドラマだと言えばそれまでかもしれないけど、もっとひねりが欲しいところです。たとえば縁側で何でもない時に よのとふたりで夕日を眺めながら思い出を語り合っていて よのが嬉しそうにしているところで静かに息を引き取るとか千代をあやしている時に微笑みながら死んでいくとか、いろいろ別の演じ方があったと思うんです。毎回毎回、似たような展開では「またか」と思うだけでちっとも感動なんかしないと思うぞ。
おあさ様は苦労知らずで当然。
生まれつきお金持ちのお嬢様で、何の苦労もしたことがない。
だから、五代様にレールを敷いてもらって時代の最先端を走ることも、
おあさ様にとっては十分いばらの道なのだ。
家が貧しくて遊郭に売られたりする娘だってあの時代にはごろごろいたけど、
おあさ様に見えるのは自分の周囲半径10メートルぐらいなんだろう。
私も そんな茨の道なら乗り越えられそう(笑)
いっそ朝ドラで遊郭に売られたりする娘がヒロインの朝ドラが見たいよ。この朝ドラはつまらないと思う。
今日のあさの回想場面でまさか泣かされてしまいました。正吉さんは天に召されたけれど魂はあさの精神の中に息づいている。あさの仕事への思いを新たにする場面は清々しく美しかったです。
そのイバラって、チョコで出来てるんじゃないですか?
全然いばらの道じゃないよ、楽勝の道が用意されているもの。
昨日の今日で早くも回想シーンが出て ちょっと萎えた。
回想の多さにも ちょっと…
松造自身、逆恨みだと気付いていたという意見がありますが、私はそうは思いません。気付いたとすれば、いつでしょう?炭鉱爆破のあと大阪へ逃げたのは加野屋を爆破してやろうと思ったからだと本人が言ってました。でも正吉は死にそうだし加野屋が潰れる噂を町で聞いたので手を下すまでもないと思った、とも。この時点ではまだ逆恨みだと気付いてないようですが。炭鉱を爆破するまで約5年もかかったのは犯行をとまどっていたというより単に準備にそれだけ時間がかかったように思えます。自分の収入源を失ってまで松造に協力する動機のある仲間をあれだけそろえるだけでも時間がかかるでしょう。そのへんの事情や仲間がその後どうなったのかはまったく説明なしですが。
松造に自分のやっていることが逆恨みだという自覚や復讐を躊躇する気持があるなら、それが視聴者にちゃんと伝わるよう描くのが制作側の仕事。あさに説教されて急に謝る松造に、あんなに恨んでいたのにいつ気が変わったのか唖然としました。新次郎の優しさにほだされたとしても唐突すぎる。松造の心境の変化が全く伝わってこない。怨恨を全面に出し過ぎて、それ以外の松造の内面が全く描かれていないからです。
このドラマのつまらないところは、根拠が示されないまま感情に訴えて強引に作者の狙い通りの結果に持っているところ。過程がすっぽぬけていたり、辻褄が合わなかったりは当たり前。でも、扇情的なだけでは心に響かない。逆に、胡散臭くてしかたがない。冷めた目で見てしまい、私の中ではつまらないドラマということになってしまいます。
2015-12-19 19:31:46 ですが
結果に持っている→結果に持って行く
修正します。
アサが 悪阻で苦しがってた時のミカン鼻を 五代が見たら、百年の恋ならぬ 百年の横恋慕も冷めたかしら…。
正吉の最期のシーン、何度見なおしても涙が溢れます。
うわごとのようにお伊勢参りのことを呟きながら、
正吉には、自分が愛するよのと旅をしているシーンが、
本当に見えていたのでしょうね。
ドラマで人の死を描くことは、マンネリ化する恐れがあり、
非常に難しいことですが、
このドラマはそれに見事に成功しましたね。
2015-12-19 19:31:46 名前無しさん
第70話のサトシのセリフから逆恨みの自覚は子供の頃からあったようです。
わたしもサトシは逆恨みだと自覚していたと思います。
うどんを食べているシーンでサトシは、
「暖簾分けをするときに旦那さまから何があっても金の貸し借りだけはできない。
それがしきたりだ。」と父からは言われたが、両親が苦しむの見ていられなかった。
だから、新次郎が優しいと知っていて無茶を言った。
というようなことを言っていました。
無茶を言ったと承知の上なので、子供の頃から逆恨みの自覚はあったと私は理解しました。
人間の心は複雑なんだなぁと思います。
わかっちゃいるけどやめられない時があるんでしょうね。
サトシは、鉱山を爆破したとき、親分が中にいるらしいと聞いて、驚いた表情をしていましたよね。
根は悪くない人なんだと思ったけど、甘いかな?
まるでディズニーランドにでも遊びに行くかのように
1歳の赤ちゃん連れて炭鉱に行くとか言いだす
あさにポカーン( ゚Д゚)
松造(サトシ)は独身で子供もいないんでしょうかね?炭鉱編の最初の方で、たしか夫婦や親子で住み込んで働いている者も多いと説明していて、実際に治郎作親分にはカズさんがいます。
松造は一人で生きているので失うものなんか何もないと思っていたのかな。そういう人間は物の考え方が片寄って周りが見えなくなってしまいがちなんですよね。
実際に爆発させた坑内に親分がいたと知って、戸惑いの表情を浮かべました。あさからも納屋頭としてのサトシを慕っている者たちの存在を諭されました。自分に目を掛けてくれている者、慕ってくれている者、信頼してくれている仲間、そういう存在を忘れていた、そこに初めて気付いたのでしょう。
正吉との和解はその後です。
と、脳内補完しているんですけどね。
5年掛かったのはあさと加野屋側の展開の都合です。
そもそも松造は、新次郎がただのボンクラ怠け者ではないことにするためと、正吉の退場間際を盛り上げるため、そして史実の落盤事故をどうにかしてねじ込むために、作り上げられたキャラですから。松造ならぬねつ造です。だからそんなに緻密な心理描写がされていないのでしょうねえ。
新次郎があんなに負い目感じてるんだから逆恨みもすることでしょう。
そのゆがんだ男2人の間にあさが切り込んで、過去を一切清算したってことね。
女流脚本が色濃く出てる顛末だ。
サトシの逆恨み自覚は結構微妙な線引きだと思いますよ、視聴者の主観の域に入るので、個々の意見を大事にした方がいいような気が。というのも、サトシの描写は大阪に逃げてくるまではほとんどなかったですからね。
それより、サトシはあさに新次郎は元気ですか?とせっかく勇気を出して告白したのにも関わらず、完全無視され、その後、新次郎とあったのにも関わらず今度は目があって相手が気づいたとおもったのに、見ないことにされてるかのように黙殺され、自分は妻子なし給料の減るわ、加野屋の連中はあさがピンハネしてるのにあさは皆に慕われてるし、豪華な着物はきているわ、新次郎は籠で来たなりこんなとこいややみたいなこと言ってるわ、でどちらかというと過去の恨みもあるんでしょうがそれに加えて、最近の加野屋の贅沢振り羽振りの良さにいらいらしての行動かな、とも思えます。
それと、あの事故の時に親分が別人かなと思うほどべろべろんに酔っ払ってたのが気になりました(苦笑)そのあとのここの皆さんの親分の怪我が悪化してるのは補償金狙いかも、との推測に笑わせて貰いました。
今週は泣けました。
暗峠から榛原に抜けて後は一本道…のくだりは場所を知っているだけに、情景が浮かんで涙が溢れて止まりませんでした。
こういう情景を大切にしてる所が、このドラマの最大の長所ですね。
松造が新次郎に「無茶いうた」と言ったのは、新次郎のせいじゃないのに優しい新次郎に当たってしまったという意味では。松造は「しきたり」のことは父親から聞いていた。それを知った上で、父母が苦しんでいるのに耐えられず、助けてくれない新次郎の父親を恨んでいたのでは?この時点で逆恨みをしている自覚が松造にあるなら、つまり正吉に非が無いとわかっていたのなら、復讐する動機が無いでしょう。
松造が逆恨みだと気付くのは炭鉱を爆破した後じゃないとおかしくないですか?それに松造は「今はこっちゃが道理だってわかる」と言ってます。こっちゃというのは、あさの言う事故を起こしたのは取り返しのつかないことだということ。「今はわかる」ということはその前はわからなかったということ。以前は恨みに駆られてわからなかったけど、今は悪い事をしたとわかる。炭鉱爆破の前と後で松造の心境が変わったことを示しています。大阪に来て加野屋を吹き飛ばそうとしていたのだから、その時まではまだ恨みにとらわれていたということでしょう。いつ気が変わったのかわかりません。
爆破事件のことをあさに謝った後にでも、回想の形ででもよいので松造の心境の変化が描写されていれば伝わったのですが。それが無いので、あさに言われて松造がすまなかったと唐突に謝罪したようにしか見えない。引っぱりに引っぱったエピソードの終わりがこんなでは、すごく違和感を感じました。
なんだ武田鉄矢が出るのか。
嫌だわ〜
主役や準主役、その他主要人物の死。
その人物が物凄くいい人だったり、所謂悪人であったとしても非常に魅力的な人物として描かれていたら、その死の場面は観客(今作はドラマなので視聴者です)の涙腺を刺激してそれは悲しくも感動的になります。
ましてそれが動物だったり子供だったりした日にゃ涙腺決壊です。
翌日も目が腫れて大変です。
正吉大旦那の死。
私も見ていて悲しかった。
妻・よのが最期を看取り、息子たちや嫁、店の者たちがそれぞれの持ち場で正吉の死を心の中で受け止める。
加野屋らしい、いい演出だったと思います。
さて。
ここから少し今作とは直接関係のない話を書くのでここから興味のない方は読み飛ばして次のコメントに行ってください。
人の死や登場人物の悲しむ場面、号泣する場面なら我々お客もやはり悲しいです。
登場人物や物語そのものに入り込んでいるなら尚更です。
とある娯楽作品の話しですが、クライマックスからエンディングにかけてたくさんのお客さん(映画や舞台で言う観客、TVドラマで言う視聴者)に涙させた作品があります。
そのクライマックスシーンでは【誰も死にません】
そのラストイベントで登場するそのイベントシーンまでに登場した主要人物たちは
【誰ひとりとして泣いてなどいません】
(まあ一人だけ普段から泣き虫の小さな女の子がビェ〜ンと泣いてますがw)
そのシーンは【全く悲しくありません】
むしろ武者震いするシーンです。
感動で鳥肌が立ちます。
人としてのDNAに直接訴えかけられるような台詞が続きます。
作品コンセプト、プロット、シナリオ、演出、映像、BGM 全てが噛み合ったプロフェッショナルの仕事でした。
何故 悲しい場面ではないのか?
何故 誰も死なないのか?
何故 誰も泣いていないのか?
答えは、制作者がこのクライマックスでお客さんを泣かせようなどとはこれっぽっちも考えていないからです。
制作側が予期せぬシーンで勝手に泣いているお客の多いこと、多いこと(笑)
こんな僥倖に恵まれることは娯楽作品ではあまり無いことですし、今作とは同じ娯楽作品でも媒体が違うので比べること自体ナンセンスだということは知っています。
それでもドラマであの感動が味わいたいと願うのは視聴者の過ぎた我儘なのでしょうか。
ドラマを見た感想は人それぞれですが。
正吉逝去のシーンの捉え方(感じ方)が人によってだいぶ違うのだなあとこちらのレビューを読んで思った次第です。
番頭としては有能だったが経営者の器じゃなかった、それだけのことでしょ、松造父。博打にすがる前に金に困った訳だし、正吉以外に頼れる人脈もなかったんだから。議論する価値もない、どっちに転んでも矛盾がある話。
朝ドラって、
たかが ドラマ
されど ドラマ
所詮 ドラマ
…最後まで見て出る私の結論は どれか、春が楽しみです!
???
あさが来たでは泣かせようとしてましたよね?
私にはむしろ逆効果でしかなかったですが。
大体、サトシのエピってこんなに引っ張るほどの事?
いつの間にか新次郎が連れて来て、おうどんすすりながら3人でちょっと話しただけで
簡単に頭下げちゃっててビックリ。それもアサの言ったことって、五代さんの受け売り。
後は正吉とのお約束のお涙頂戴に笑っちゃいました。
そういえば、おうどんすすりながらは以前もありましたね、心の闇の誰かさんと(笑)
なんかワンパターンも多いですよね、このドラマ。
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