5 | 211件 | ||
4 | 75件 | ||
3 | 53件 | ||
2 | 40件 | ||
1 | 164件 | ||
合計 | 543件 |
そこは、親のいない子どもたちが暮らす場所。すべての母親に、これから母親になる全ての女性に届ける — 21世紀で一番泣けるドラマ。
私も子供とみています。
高校生ですが
4話で一言
ぴあみちゃんのお父さん
一緒に暮らせなくても
面会くらい行ってやれでした。
ピア美の父親はまた会いに来るんじゃないかな?たぶん。
まだ3話までしか見てないが愛菜ちゃん演技わざとらしい。
良い演技の所もあるけどわざとらしい演技が引っかかる。
脚本も設定もなんか今んとこ特に面白くない。
でも愛菜ちゃん含め子役の子たちが頑張ってるから、これからの展開を期待します。
わたしの主人は「親を切る」という選択をしました。
幼い頃に生き別れてたのですが、成人してから十何年ぶりに会いに行ったそうです。その時は親という実感がわかなかったと言ってました。
また数年後子供が生まれるということで二度目の再会をすることになりました。私も同行しました。
・・・彼には父親がわりでそばにいてくれた人がいたのですが(戸籍上は今も他人です)、二度目の再会後、実の父親に会うことはもうありませんでした。
実の父親には家庭がありましたし、もう会う気はないそうです。
父親がわりの人を「親父」とよんでよくお酒を飲みにいっています。
・・・こがもの子達とは境遇は違いますが、親子の関係って選べるんだなと思いました。愛情は血とイコールではなくて作っていくものなんですよね。
最終回どうなるかわかりませんが、願わくは、ぱちや子供たちが自分達の力で愛情ある家族との幸せをつかんでほしい…と、強く思っています。
愛奈ちゃん演技旨いんだろうけど
セリフと顔とのギャップを感じてしまいます。
顔が幼さすぎる
思春期くらいの年齢か
せめて
見た目ぴあみちゃんくらいの容姿なら
よかったのに
愛菜ちゃん演技が上手いのが仇となってるのか。「女優」としての 「演技」として見えちゃいますね。知名度ありすぎたんかなぁ。
ドラマは悪くないけど、内容に集中できない…。
9歳であんな話し方普通しませんから違和感あるのも当然。でも脚本通り話してるんだからしょうがない。
子供にあんな台詞言わせる方に問題ある。
いくら天才子役でも、あれ?愛菜ちゃん下手になった?って錯覚する。なんか気の毒だ。
子役はみんな頑張ってるし話しも別に普通。もう脚本修正したのかな?別段酷評される程ではないと思うが。
やはり初回のあだ名とか養護施設の話しなど
スタッフの認識の甘さ?とにかく作りがマズカッた感はある。
でも何気に里親が豪華だね!次々とあー!この俳優さんだー!って思う人ばかり。出番少ないのに、なんか嬉しい。
なんか急に展開が早くなった気がする。
打ち切りじゃないだろうし...
そう感じたのは私だけ?
パチとの別れに涙です。
ドンキは年相応の役柄で
1話の土手での号泣のシーンは
切なくて泣けました。
やはり愛奈ちゃんの役柄は無理がありすぎますよね。
アニメのコナンじゃないんだから
17歳のお局が相談したり
アイスドールの接し方が不自然すぎる。
このドラマは即刻打ち切りにする必要がある。
仕事柄色々な場所に行く事が有るが、小学校の前を通り過ぎる時に小学校同士がこんな会話をしていた。
『施設の子は、渾名で呼ばなきゃ駄目なんだぜ!』
(✖️✖️ちゃんとかじゃだめなの?)
[親無しとか古着とかの渾名じゃなきゃ駄目駄目]
驚く事に色々な場所でも似たような会話があった。
もう、面白いだの感動とか言ってる場合じゃないぞ!
そもそも、こんなドラマで感動や勉強など出来る訳が無い。
ポストは親を知らない。ならば、私は誕生日が何月何日かさえ知らないんだ!ぐらいの台詞があっても良いぐらいなのに、チンケな脚本で関係者と馬鹿と餓鬼を喜ばしてるだけ。
日テレが作った、恥知らずドラマ
ただそれだけ
ぴあみかわいい。
レンくんが出てくるたびに
「レンきゅん♥︎」って言うのが好き。
内容は落ち着きどころが見えてきましたね。
ドンキちゃんの里親候補とのシーンで感動しました。
あと、あの飴細工はめっちゃ似てた。
魔王は、子供たちがコガモの家に執着せずに、里親の元で幸せになることだけを考えてるんですよね、きっと。ちがうかな。
なるほど。
魔王の今までをみてるとそれも納得ですね。
施設が家族じゃ居心地のいいところになってしまいますものね。
>仕事柄色々な場所に行く事が有るが、小学校の前を通り過ぎる時に小学校同士がこんな会話をしていた。
あなたは、その小学生に注意をしてあげましたか?
そんな風にあだ名をつけちゃダメなんだよって。
私は殺戮ゲームをしてる小学生に、そんなゲームしてちゃダメだよって声をかけました。
「うるせー、ババァ」って返ってきましたが。
ここに反対コメント書いてる人たちは(肯定コメントもそうですが)そういう子供たちを見てるだけなのでしょうか?
そこが問題なのでは?
今は子供に声を掛けると変質者や誘拐犯に間違われるって・・・。
中国の人も言ってました。怪我した子を助けると、自分がやったと思われるので助けないと。話がそれてしまいました。
子供がそういう話をしてた、って書き込んでいる人たちはそれをただ傍観してるだけなんですか?
ドラマを中止するくらいの気持ちがあるのなら、そのような小学生に声を掛け注意するぐらいの事は必要なのではないでしょうか?
子供は何を見聞きしたって好き勝手に解釈し、時に残酷な現実を産み出してしまうもの。
そんな子供を非難するのではなく、正しい(何が正しいか?なんて禅問答はここではスルーで)道に導いてあげる事こそ大人の大事な仕事。
ただ上から押さえつけ、臭いものに蓋をする、見せないようにするのではなく、ある程度は体感、経験をさせ、選択に迷ったとき、間違えそうな時にだけ手を差しのべればいいと思う。
一応テレビと言う最低限のモラルは守られている媒体から得る情報は、子供の視野を広げる可能性と、偏った考え方を植え付けようとする相手からの対処法を学びとる場でもあるように思います。
我々大人は与えるのみ、けして縛らず、けして驕らず、けして惑わせる勿れ。
施設の子供を演技としてとは言え、見ているはずの大人なら、子供の気持ちや目線にもう少し理解ある議論を交わしてほしいと感じます。
別にドラマを擁護している訳ではありませんが、ドラマの感想を言い合ってるより、書き込み者同士の争いの方が目立ってしょうがないです。
ドラマを見て感じたことについて話し合うのは凄くいいことです。話が逸れてしまうこともあるでしょうが、内容がしっかりしたものなら構わないとも思います。
あまりに逸れすぎてて意味のないものは個々で触れなければいいのでは?
でも、感情的な争いのレビューはよんでても気持ちのいいものではないですよね。
子供たちは確かに見たままを素直にとってしまうことが多々あります。でも、だからこそきちんと大人が道徳を説けば素直に理解することも多いと思います。
そんな子供たちばかりではありませんがそれは大人も一緒ですよね。せめて自分の目の届く範囲で、私達大人がそれを話していくことが大事なんじゃないでしょうか。
毎回、楽しみにさせてもらってます。
三浦くんのファンです。
寡黙な役ロッカーですが素敵です。
コガモの子たちにも何気に優しく、そっと傘をさしかけるタイプ。
次回はそのロッカーがメインの回です。
楽しみにしてます。
ドラマを中止する必要があると強く言う割には
社会参加 ゼロなの面白いね。
全くの人ごとなのに流れに乗って批判するのは
実に見苦しい。
その点 ババアと言われた人は素晴らしい。
魔王の瞳に隠しきれない愛情を感じる。
このドラマの着地点は見えて来たが
問題は最終回の後にあるように思います。
ドラマとは関係ない話ですが、昔自分の子供に悪魔って名前つけた親がいましたね。あの子供今どうしてるだろ。
あれは結局、漢字を変えてアクマってつけたんだっけ?
記憶がちょっと曖昧なんですが…。
なんかマスコミとか病院関係者とか福祉関係者騒ぎすぎの感じがするわな。三上にしたって、悪意だけで悪態ついているわけではないことなどは見ていれば伝わってくるし、捨てられているのにもかかわらず。親を忘れられない子どもの健気さなど見ていると本当に涙が出そうになる。芦田愛菜のことが今まで嫌いだったが、ポストのキャラにはとてもあっていて、いい演技をしているように感じる。
批判する人こそ、本当に見ていっているのか!と言いたいよね。
障害者施設での虐待死事件などに見られるように、現実社会では本当に理不尽なことが行われている。社会風刺としてもあえてもっと
過激であっても良いとさえ私なんか思ってしまう。作風が批判されてから、少しマイルドになってしまったことが逆に残念なきがする。
批判言ってるやつは見んなよ。
逆になんで見んの?
今現在は配慮したとしても、1話は倫理的問題があり、よって危険なドラマであることは間違いない。
また社会的問題になっていることを、厳粛に受けとめるべきだよな。アダ名そのままってどうかと思うぜ。
ドラマ自体は子供漫画のような作りで、大人が楽しめる成熟した作品ではないな。
よって結論…倫理観のない幼稚な者が楽しめるドラマってことだ!
悪魔ちゃんの事件は名前を亜駆(あく)ちゃんに変えて落ち着きました。変換で出てこなかったのですが、「駆」の字はへんとつくりが逆です
落ち着いたって言っても、みればわかるけど漢字分解すれば立派な(?)アクマ、になります(亜 区 馬)
すいません、完全な横路でしたね
でも、こんな完全に頭がおかしい人間が親として生きている…
施設にあずけられ、親を知らずに育つのが不幸なのか、それとも上記の様な親を親として生きるのが不幸なのか、僕にはわかりません…
第一、ポストってネーミングにグダグダ文句言うくらいなら、なぜ現代のキラキラネームに文句言わないのか謎です。子供たちに悪影響だとか言うなら、たかだか3ヶ月そこらで終わって、すぐに忘れ去られてしまうドラマより、役所に記録され、一生つきまとうそれのほうが、確実に悪影響な気がしますが。
このドラマに関しては、ポストやこがもの子供達が将来どんな人間に育つのかな?なんてドラマの枠組みを越えて考えられるドラマだと思います。最近のドラマはどれも「あ~終わった~チャンチャン♪」なドラマか「説明不足すぎて、この後どうなったか興味すら湧かない」か「どうせ続編が出て、大した変化もなく盛り下がっていくだけなんだろうな…」なドラマが多く、「所詮ドラマ」感が否めないです。
明日ママはその点で言えば、続編は必要ないけれど、視聴者各自の脳内でそれぞれの続編を想像できる所謂「一粒で二度おいしいドラマ」と感じて見ています
批判してもいいと思いますよ。
批判しつつ視聴してもいいと思うし。
でも、前も出たけど人の感覚に対するレビューは要らないよね(笑)
アクマちゃんに関しては、彼のお父さんにはお父さんなりの考え方があったんだと思います。じゃないとあんなに悪魔に固執しないだろうし。我々には理解は難しかったけど、子供に強い思いを持ってたことは確かなんじゃないかな?よかったか悪かったかは別として。
こんな風に明日ママを通していろんな社会問題や親子関係についてみんなで話し合え考えられるのは凄く意義のあることですよ。
そういう意味でこのドラマは世の中で問題作、と言われているのかもしれない。
このドラマは確かに小中学生のお子さんがいるママさんは大勢見ているようですね。私の知り合いにも結構いますが、子供が見たがるから、というのが理由のようです。基本、子供目線のドラマだし、出ている子役さんのファンも多いでしょうから、子供が見たがるのは自然かもしれませんね。でも、話してみるとそういう親御さん、そんなに社会に対する問題意識なんて持ってませんよ。それが現実。ここで論じている方は立派な方が多いのだと思います。そして私のように子供のいない人間からすると、このドラマはあまりにお子様向けで、正直大人が楽しめるレベルとは思えません。2回ほど見てただ刺激的な演出ばかり目立ち、がっかりしました。
ポストってネーミングにグダグダ文句言うくらいなら、なぜ現代のキラキラネームに文句言わないのか謎です
↑ こーゆー感覚の大人が絶賛してるドラマなんだな。
イジメなんかないって言い張る、気がつかなかった、っていう奴らと同んなじ感覚だね。
キラキラネームこそ、撲滅させればいいよね!
批判は大事ですよ。
日テレには、今後、良いドラマをたくさん作って頂きたいので。
今作のように高視聴率に甘んじていては、駄目だと思います
う~ん。野島作品だからね~。
もともと過激でショッキングな作風の人でしょ?
あの演出が感覚的に駄目という人は受け入れられないと思う。
自分もあーゆうのは苦手なタイプなので。
家族が見てるから見るけどさ。
子供が見ててその親はなにも考えてないのが多いっていうのもわかる。実際たくさんいると思うよ。
擁護するわけじゃないけど、このドラマを見て考える事ができたって人がいることがイミのあることなんじゃない?
野島作品昔は好きだったなー。
ひとつ屋根の下とかほのぼのしてて名作だったけど(レイプシーンはいらなかったが)
今考えると酷いいじめシーンや虐待、レイプなど過激なシーンしか覚えていない。
これは野島監修なだけで、野島作品といえるのかな?
今の若い子は観た事ないだろうけど
昔の野島作品観たらネット大炎上で凄い事になるね。
これ一人ずつ幸せな家庭に貰われて終わりなのかな?
ポスト独り残りそうだけど。
ここまで騒がれると無難にハッピーエンドにもっていきそうだよね。
変に平和ボケした生ぬるいドラマより野島作品好きです。
というか、常に訴えるものが熱い感じ。
大問題にもなったけど世の中の問題点を改めて考えさせられたって人も多いのでは?
2014-02-15 17:00:58名前無し
嘘くさい話はやめましょうよ。
リアリティなさすぎですよ。
このドラマ、放映前によく目にした子供達が1枚の毛布に包まっているポスターの映像はイギリスのロックバンドThe Whoのドキュメンタリー映画キッズ・アー・オールライトのパロディなのって分かる人居ますか?
作中でも芦田愛菜ちゃんはモッズコートを着ているしオマージュしているのは間違いないと思うのだけど、それがどこまでのオマージュなのかがとても気になっていました。
それはただ単純にキッズ・アー・オールライトを子供達は大丈夫と訳して、それだけを引用してみたのか?それともタイトルナンバーのキッズ・アー・オールライトの歌詞の中に出てくる「俺はここを出て行くべきなのだと分かっている」と言うようなストーリーをなぞっているのか?あるいはモッズカルチャーそのものの持つ体制に反発する労働者階級の反骨心をモチーフにしているのか?
そんな事を考えると、魔王の存在は絶対君主的な体制の象徴であって子供達はそれに反旗を翻すモッズになぞらえるようなストーリーが初期構想には有ったんじゃないのかな?って気がして来ます。
後半でバリ封や立て篭もりなどに話が展開していけば俗に言う野島作品の芸風にも実にシックリとはまる気もするし。
もしそこまでの構想が有ったのならその軸は崩さずに進んで欲しかったと勝手に思ってしまうけど、魔王はスッカリ内心好い人設定になっちゃったし毎週登場していたイカレタ里親候補達もいなくなっちゃった今となっては臨むべきシリアスな展開はあり得なくなってしまった。
結局ただ単純に子供達は大丈夫の一言だけをパロディしただけだったのかな?
出来ることならドラマ終了後に本当に書こうとしていたストーリーを小説などにして発表して頂きたい。
確かに当初の演出方法や世間への対応が後手に回ったことはこのドラマの最大にして決定的なミスだったと思うので、ドラマはもう穏便に終わらせること以上の解決策は無いのだろうと諦めるしかないけど、方向性を見失って骨抜き状態の現状を最後まで見ても局側が主張した本当に伝えたかったことは闇に葬られたままになってしまうだけで、最後まで付き合おうと決めたこちらはただただモヤモヤした気持ちになるだけで終わってしまう。
見続けた人達に対するケアを何かしらの形で示してくれたらとても有り難いと思っています。
な、長い…。
でも面白い(笑)
そう考えますか~。とても深い洞察力ですね。
確かに小説にしたら違和感なかったかもと思いました。
実現しそうなはなしですよね。
ドラマ終了後のケアまでは考えてないと思いますが、一時のブームで終わらないようにしていだきたい…とは思いました。
長かったですね(笑)
本当はもっと色々と考えていたのを頑張って自分なりに短く書いたんですけどね(笑)
そのバンドも映画も知らないですけど早速ググってみたら成る程的を得ている気がしてきますね。ちょっと興味が湧いて来たので指摘されていた歌の歌詞も読んでみます。
野島さん監修のカラーが出たのは番宣から1話までじゃないかな。上の方が言うポスターもオマージュ的な意味が含まれていたんじゃない?私は今でもポストが赤いヘアゴムを挑発的に鳴らして、初登場したシーンが忘れられない。彼女は重いものを背負いながら、果敢に子供達は大丈夫なのかよ?!って大人達に迫って来る役目だと思った。あんなにドラマへの抗議活動していた児童養護団体も、今じゃこのドラマのタイトルを堂々と寄付金サイトに掲載している。同情するなら〜くれ、ってやつなのか。このシニカルな現実を野島さんが前もって読んでいたとしたら凄いわね。
ただもう野島さんが携わるようなドラマ、特に社会的な弱者が関わって人間の暗部を抉るようなものは、過去のものも含めてフリーの地上波では再放送も不可能な時代になると思う。演出方法や外部調整なんてやっているうちにオリジナリティは潰されるし、そのままやったらやったでもう明日ママどころの騒ぎじゃなくなるもん。(苦笑)潔くR指定して有料放送か映画、DVD発売あたりで、誰に文句言われるでもなく存分にやってくれる方が平和だろうね。地上波、特にゴールデンタイムは、文部科学省とか厚生労働省推薦っていうシールが張られた当たり障りのない番組ばっかり流れるようになるんじゃないかな。
キラキラネーム、ホント親のレベルが問われますね。
そんな名前も親が思いを込めてるのでしょうけど。
個性的というけど、異質な名前と紙一重な名前もありますね。
そもそも、赤ちゃんを預ける施設に「赤ちゃんポスト」のネーミングも嫌だなって感じた。ポストって手紙を「投函」するものでしょ?「投げ入れる?」って。
「何でポストなの」って初めに思いました。
気軽に預けられるように? そもそも育てられないからって赤ちゃんをポストに投函って・・・。
ドラマでポストの母親が何故に赤ちゃんポストに自分の子供を預けたかという理由を明かしてくれるかどうかは分からないが、それをドラマがどう説明するか知りたいので見ます。
ポストに預ける母親も2種類いますからね。
本当に生きていくのに大変で、赤ちゃんまで飢餓の状態にさせられなくて置いて行く親と、もう自分では面倒が見られなくて誰か知らないけど「あげる!」って気持の親と。
ポストが自分を赤ちゃんポストに捨てた親を許せるか、許せないか。見てみたいです。
ドラマがそこまでやってくれればですが。
僕は魔王の言動に意味が有ると思わせちゃったところが第一のつまずきだと思いますね。
あの人はあのまま悪の具現者にならなきゃいけなかったと今でも思っています。
それから里親のお試しと言って舞台を施設外に持って行ってしまうところもイマイチ納得出来ない。
本来コガモの家は一つの社会の縮図になっていなければいけなかったんじゃないのでしょうか?
あの中で事件が起きてあの中で解決して行くように描いて、いつかココを飛び出そうと言う想いを表面化していくのが正当なストーリー運びの手法だと思うけれど、このドラマは問題を里親のステージに託してしまったからコガモの家は帰る場所になってしまった。
オツボネのエピソードは完全にコガモの家をマイ・スウィートホームにしてしまっていた。
それでは魔王には何の役割も無くなってしまう。
今では子供達に諭されて受動的に行動するだけの傍観者になってしまっている。
あれほど勿体無い三上博史さんの使い方は無いと思います。
そしてコガモの家の中でストーリーが展開しないことで主演の少女達4人が一つの行動を取るシーンもほとんど無くなっている。
急に戯けた子供らしさを前面に出して世間の反発を緩和する役割りと、セリフを使った今日のポイント説明のように就寝前に互いの近況報告をし合う以外の機能がない状態に見えてしまう。
具体的な脚本の練り直しがいつ頃から反映されていたのかは分からないけれど、2話目の時点でだいぶ世間の反応に応えるような編集をされていたと思います。
脚本家が新人と言うことで周囲が口出しする部分が多すぎるのではないか?という印象。
キッズ・アー・オールライトへのオマージュなど、とうてい野坂さんが考えるセンスではない事を思うともう少し自由を与えて書かせればもっと良い結果が出るのではないか?と言う気がします。
あぁ、野坂さんじゃなくて野島さんですね。
間違えちゃいました。
ここの住人にそんな本格的なレビューしても理解出来なくて誰もレスしてくれないよ〜
それどころか萎縮しちゃって誰も書き込みできなくなっちゃう(笑)
あるドラマがキャンセルになったので短期間で書いた脚本なので仕方ないと思います。
本当ならば「××しました」の台詞が流行ってたのかもしれませんが。
とばっちりをくった子役や役者さんが気の毒ですね。
局側の事情はよく知りませんが(笑)、まだドラマは完結してないので失敗かどうかはわかりませんね。
最近いいドラマでも最終回で肩透かしというかもやっとしたまま終わるのが多かったから、評価は結末次第かな?
今のところいい感じで見させてもらってるので失速しないようにしてもらいたいです。
星はそのあとにつけることにします。
意味分かんな。
こんな必死で頑張ってる子役を傷つけてまで批判することってなんなんですかね。
嫌なら見るな。批判するならなんで見るんですか?
言ってることとやってること矛盾してませんか?
明日、ママがいない。最高。以上
TV局は冒険しなくていいよ。
無難なもの作って流しとけば。
問題ばかりが先だって普通に見れないんだったらもういいよ。
というテレビ局が増えないことを祈ります。
ちょっと話は逸れますが、いつの頃か世の中は権利を主張するあまり攻撃的になる人たちが増えてきたように思います。
例えばモンスターペアレントと呼ばれる類いの人もそうだし、会社なんかでは少し軽口叩いただけでセクハラやパワハラと呼ばれ下手したら訴えられたりもしてしまう。気に入らないという理由で店員に土下座をさせた客もいましたね。
先生や上司は抗議が怖くて萎縮してやりたいことがやれず、言いたいことも飲み込む。
明日ママも問題作だからこんなのはけしからんと紛糾し、結果として制作側も謝罪をせざるを得なくなる。・・少しやりすぎじゃないのか!?
・・もちろんいきすぎた表現や取材不足など反省するのはいいんですが、だからといってこのドラマを作ったこと自体を反省してほしくはない。
伝えたいことを堂々と伝えればいい。胸を張ってドラマをつくってほしい。
批判が怖いからってひよっていたらいいドラマなんて生まれて来なくなるよ。
不味かったところは反省し、それ以上は変に萎縮せずに最後まで描きたかったものをきちんと描ききってほしいと思います。
そう言う世の中を作ってきたのはテレビですけどね。
一例上げられていたセクハラ、パワハラと言う言葉と訴えると言う攻撃方法は報道番組や情報番組が流布したものです。
ドラマも同じく、悪を設定して善たる主人公がそれを倒す図式で成立する。
テレビの影響力は即時性が強いからすぐに世間に浸透して瞬く間に皆を同じ方向に向かせる。
自分の正義だと思っていることはほとんど全て群集心理で、それをプロパガンダしているのはテレビです。
その集団ヒステリーに拍車を掛けたのがインターネットの匿名性ですよね。
逆にモンスターペアレンツなんてものは実際にはどこまで存在するのか、自分の周りを見回してみてもそんな人は見当たらないような気はするけど…と思ってもテレビの中には日夜登場している、それはイコール実在にすり替えられてしまう。
一億人総白痴化と言うやつです。
テレビが生み出した白痴の群れにテレビ自身が噛み付かれている。
>こんな必死で頑張ってる子役を傷つけてまで批判することってなんなんですかね。
誰も子役を傷つけたいなんて思ってないよ。子役を批判しているわけじゃない。批判されて子役が傷つくような作品を作った制作者を批判しているの。
ほんと、放送中止にまではならなくても、こんなふうに問題視される作品に出た愛菜ちゃんたちは可哀そうだね。演技者としては認められるかもしれないけど、大きくなってどんなふうに感じるのだろう?
そういうテレビ(ドラマ)も、その番組の大もとのネタを作り出すのも、私たち大人なんですよね。出て来た結果に私たちが騒いでいる傍らで、幼い命が大人によって奪われたり捨てられたりする現実を、私はこのドラマを通して改めて痛感しました。
私の子供も通園の福祉施設(障害者)のお世話になっていますが、やはり閉ざされた環境のなかにあります。幸い、大学生から中学生くらいまでの方たちが研修や職業体験で来るので、こういう子供達の存在について具体的に若い方に知ってもらう機会があることが有り難いですね。児童養護施設も、もっと地域の子供たちにオープンになる機会を作ることも考えられた方がいいのではと個人的に思います。コガモの家のボンビのセリフにもあったように、親が欲しくて得られない子供達がいるっていうことを改めて広く知らしめたという点では、このドラマは評価に値すると私は思っています。それを受け止めた大人達が具体的にどう行動を起こすか、というのはこれからなのではないかと思います。