5 | 72件 | ||
4 | 36件 | ||
3 | 23件 | ||
2 | 43件 | ||
1 | 960件 | ||
合計 | 1134件 |
正確には、天体望遠鏡から電子顕微鏡までの世界。場面によって見える対象物が異なる。
これは、視聴者に想像させるためにあえて含みを持たせてある。倍率をあわせるのは視聴者にゆだねられているので、場合によっては、違った物が見えることもあるし、ぼやけて見えないこともある。
だから、全ての人が同じ答えに辿りつくとは限らない。統一された答えに誘導するのが目的ならば、最初からもっとわかりやすく制作してるはず。
そして、何かを見るためには、見る人がピントをあわせるために努力しなければならい。顕微鏡を使うにしろ最初から倍率があってることは珍しい。その作業を製作者側が視聴者に求めた作品。
えー?これ対象物に焦点を合わせようにも対象物そのものがぼやけすぎていてどんなに高性能の顕微鏡やら望遠鏡やら使っても到底見えないでしょ?極端な話そんな対象物の存在さえあるの?単に気を引くようなものばかりごてごておいて形だけドラマにしたようにしか見えないけど。顕微鏡や望遠鏡をのぞく気にすらしてくれないし、のぞいて何もなくてガッカリして怒った人が多いんじゃない?
だいたいもうドラマがとっくに終わってるのに、作者も擁護者もはっきりと示すこともできない焦点ってなに?
ネタバレしていい時期なのにバラスこともできないのは、それが無いからじゃない。
見てる人がそれぞれ想像するだけでいいなら「創作」なんてわざわざ必要ない。
作者の思想やテーマがあるから「ドラマ」なんでしょ?それがないなら宮古島の海の映像だけ流して、それぞれがいろいろ心になにかを思い描けばいいだけ。
悪いけれど、言ってらっしゃることがピンボケで全然わからない。ズバッと言葉で言えないことをああだこうだとごまかし続けても誰も納得なんてできませんね。
>>その作業を製作者側が視聴者に求めた作品。
この時点でアウト
ものが伝えられないことを視聴者のせいにするな!
顕微鏡だか何だか知らないがそんなものを持ち出してこなきゃ
何も見えないようなものをくずドラマと言うのだ。
作者の伝えたいことが人によって違って伝わるんじゃそんなの
伝わらないのと同じ。
ピントを合わせるのを努力しなきゃいけないのは視聴者じゃない。
ピントを合わせられるような状態を作る努力と能力が必要なのが
ドラマ作者。
創作能力もない者が人に努力を求めるなど思い上がりも甚だしく
聞いてるだけで恥ずかしい限り。
論理性に全く欠けるカルト信者思想を一般に押し付けるのはやめてほしい。
自分だけでこれが好きだ、好きだと連呼しているだけで良い。
ピカソうける
わかる人にはわかるって論理はインチキ宗教とか健康食品に共通する言い訳ですね。
あまちゃんの漁協組合長のでんでんとか
観光協会長の吹越満とか
本当にいそうなほど違和感ない
役者の演技力もあるけど細かいキャラ設定が秀逸なんだろう
反して純と愛は・・・
うんざりしたのは石倉三郎の役(石倉三郎さんは嫌いではない)
オカマを一人入れておくという既視感ある設定
しかも必然性ある?
初心者の小説でよくある設定(決まって陳腐と批判されている)
そんなレベルかな純と愛は
このドラマが好きになれないのは一部の擁護派による「深い」
だの「わかる人にはわかる」だのという自己愛極まりない意見
を見るのも一つの要因なんだと思った。
自分はこの脚本家にそこまでの力量を感じない。
プロの脚本家の仕事として、視聴者の予測をいい意味で
裏切るという展開がある。しかしながらこのドラマは
DV・引きこもり・浮気等々問題は山積していたけれど
どれ一つとしてこちらを唸らせるほどの解決はしていない。
むしろあまりにも陳腐過ぎて引いたくらいだ。
エピのひとつひとつがこの程度なのだから壮大らしい(?)
テーマが伝わらないのは当然なんだろうと思う。
このドラマ、とにかく他人を気遣う・思いやるという場面が一切出てこない。
人が怒ったり悲しんだり喜んだりする場面で視聴者が共感できるのは、その心底に人を気遣ったり思いやったりするものがあるからだ。
特に純について言えば、常に自分が傷ついた、自分が嫌だと思う、自分が楽しいと思って、怒り、悲しみ又は喜ぶ。人の気持ちはそっちのけ。視聴者は共感を覚えるどころか不快にさせられるだけだ。
>2013-04-21 00:34:50
愛の超能力が、人の気持ちを察しすぎて生き難いとか
自己の境界があいまいで他者の意図を自分のものと区別できずに苦しむとか、
そういう事のメタファーであるのは分かりますよ。
超能力に関わるプロット自体はアリだと個人的に思っているし、
実際ありがちな設定(エンパス)です。
便利な能力を持つに至って過去に甚大な犠牲を払っており(特殊出生)
その代償で苦しむというのは英雄の条件で、
むしろ伝統的な構造にのっとっています。借り物だからでしょうが…
だから、問題はそこじゃないんですよ。
>見ていてつらくなったこともあります
はたして純と愛は苦しみに耐えてでも見るべき価値のあるドラマか?
それだけの価値観を提示できたのか?
散々視聴者に「痛みを与え」て半年間付き合わせて、
答えとして作者が提示したのは独りよがりの作文朗読だった。
結局、痛みに見合う代償としての解決策を作者は用意していなかった。
それならこのドラマの痛みというのは何かの代償ではなくて、
痛みを与える事それ自体が目的だったのだという事になる。
どんな人間であれ、誰かを傷つけてそれだけで満足するような奴は、
嫌われたって文句言えないのじゃないですかね。
こんな中身の薄っぺらい出鱈目なドラマに、深いメッセージなど何もなく、ただ過激な描写だけを多数入れて興味引こうとしただけ。排泄物や離婚・病気・暴力を入れるだけ入れて何の救いも結局なかったわけで、有害ドラマと結論付けて問題はない。
わざわざ、視聴者がピントを合わせて見てみないと見えない謎があるドラマだなんて、脚本家が聞いたら笑うんじゃない?そんな風に勝手に深みを作り出そうとしてくれる信者がいるのか、と。顕微鏡や望遠鏡や、体内や宇宙なんて問題が、このドラマとどういう関係があるっていうの?上の方の言う通り、インチキ宗教そのものだよ。何か病的なモノを感じるね。
朝ドラってそんなマニア向けなカテゴリーじゃないだろ?
朝から哲学やら崇高なテーマやら振りかざして視聴者を煙に巻く手法なんて、底が浅けりゃすぐにエセだってバレバレw
だいたい、自分達の表現力不足を棚に上げて分かる人だけ分かれば良いとか聞いて飽きれるわ。
どんだけ殿様商売なんだよ!
この作品に限った事じゃないけど。
『広げた大風呂敷はちゃんと畳んで下さい』
そういえば寝たばこ火事を起こした女性を純が怒鳴りつけるシーンはやだったなあ。なんか結局自分の思い通りにならなかったことを怒ってる幼児みたいでさあ。
自分がムリムリくっつけようとして起こしたことだったのに。変なドラマ・・・
君はそのままでいいと言われるヒロインが出るドラマは数あれど、このドラマほどそれがマイナスと思えたドラマはありませんでした。
2013-04-21 11:31:27 名前無しさん
>そういえば寝たばこ火事を起こした女性を純が怒鳴りつけるシーンはやだったなあ。なんか結局自分の思い通りにならなかったことを怒ってる幼児みたいでさあ。
そうそう私も同感です。ってか純っていつでも自分の思い通りにならないと怒ってたり凹んだりする幼児みたいだったよね。
愛の超能力とかくだらんSF設定置くぐらいなら、いっそ子ども時代の純(安養寺可蓮ちゃん)を現代にタイムスリップさせて社長業やらせた方が面白いドラマになったんじゃないかと。(もちろん、タイムスリップした回で夏菜は降板ね)
そういえば、ストーカー事件の週で、水野と対決する愛が実は早朝トレーニングで体を鍛えてたってことがあったけど、あれも結局その場限りの捨てエピだったなぁ…。その後鍛えてる様子なし。
里や編の寝たばこ火事を起こした女性客を怒鳴りつけるシーンはさすがに戦慄した上に、その次のシーンでは夢ともいわんばかりにほっぺたをつねるとこで絶句。→宮古編で自分の作る魔法の国ってのを具体的に知らなかったことで???に。
オオサキ編での初週の面接で宣言してたことがあっさり無くなっていた上に里や炎上の時「もう少しで魔法の国が~」となナレーションで言っていたのは何だったの状態。
い、一応純はホテル?の支配人だから怒鳴りつけたらアカン。サービスを提供する側なんだからお客様に怒るなんて言語道断だったわ。
それだったらお客様を笑顔にすることなんでできないのは当たり前。あの時は夏菜がブサイクに見えた最高の瞬間だったな。
土曜ドラマのご縁ハンターに、火事をおこした女性の相手の男性が出演してました。
婚活パーティーで観月ありさ演じるヒロインに、お付き合い申し出て振られる役で。
アノ役のその後かな?
「一人で豆腐屋、やってます」
って、自己紹介してました!
バツ1だって!
『深い』とか『わかる人には~』みたいな抽象的な表現って便利ですよね。
これ言っちゃうとお叱りを受けるかもですが、巷におられる『ハルキスト』と呼ばれる方々の何割かは同じ様な人種だと、個人的には思いますよ。
わからない物に対しては、わからないとハッキリ言えるほうがいいですよw
自分が理解できないもの、コントロール不能なものを祭り上げて「神」に仕立てるのは宗教に共通したところがあるのかもしれませんが、純愛教信者(好きな人全員がそうとは限りませんがそうとしか思えない人が多い)の特徴は訳が分からない教義でも自分が信じるものは人も信じるべきでありそうできない人間は見下すべき存在として攻撃するところです。実際には、なんだかよくわからないものを無防備に崇拝できる人の方が特殊だし、それが危険という意識はない人達なのかもしれません。
このドラマの擁護意見にはそういう大きな特徴を感じます。
他の朝ドラ(あまちゃんも含めて)の擁護意見とは比べものにならないカルト色です。
これまでのドラマにも批判者から「信者」などと揶揄されたそのドラマの擁護派は存在しましたが、その人達はもっと明確にそのドラマの長所やテーマを言葉で語っていました。「リアルだから」「人には分からないすごいものがあるから」なんて言う理由でそのドラマを絶賛するなんてことはなかったと思います。
元々特殊な傾向を持っている一部の人達だけがこのドラマを理解し支持できたのではないでしょうか。
どう欲目で見ても一般的に受け入れられる要素の極端に少ないドラマだったと思います。こういうものは朝ドラではもう作られることはないだろうと私は思います。
今若者を中心によく使われる言葉に「神(かみ)」と言うものがありますが、聞いているとそれは非常に優れた技術を持っているものなど、目に見えるはっきりとした対象に対して使っていることがほとんどです。
「純と愛」というドラマに対して「神ドラ」と言う人は少ないのでは?
そういう傾向の世の中はこの手の表現方法一つとっても非常に稚拙なドラマが受け入れられる土壌ではないと思います。
ヒント君は定期的に出現してる荒らし。
構ってあげると喜んじゃうよ。
掲示板も荒れる原因になるから無視するのが一番。
純と愛の擁護派で弱そうな奴がいると途端に集中砲火してイジメてら
このドラマに出てくる悪意だらけの人物となんか似てねーかwww
べつに荒れてるようには見えないけど。
自分で説明もできないものが分からない馬鹿な批判者と決めつけて攻撃してるのはどっちだろう?弱そうとは聞いて呆れる。
世の中にはこのドラマのように無視しちゃいけないだろうってものも存在するんですね。
なにか言いたいなら腹いせ発言じゃなくってヒント君を文章で擁護すればいいだけのこと。
どうでもいいけど愛くん、小柄であまり強そうに見えなかったな。
あのトレーニングシーンはなんだったのか?その場限りの使い捨てエピソードだったな。
そもそも宿泊客のストーカーさん、なんで純なんかに惚れて?ストーカー?意味わかんなかった。魅力のかけらもない女性なのになんかもててたな。
普通ならあの最終週のシーン寝たきり夫を介護する姿に感動するもんだけど、できなかった。そらぞらしいというかなんというか。
愛くんへの愛とか言ってる割に最後まで夫婦愛が感じられないドラマだった。
うちの子が、純ってすぐ平気で男捨てそうな感じなのに、違和感ありまくりのシーンだったと言ったのを思い出した
お怒りごもっともです。
すごくよくわかります。
ドラマ自体も擁護意見も人を小馬鹿にして挑発するようなものばかり。
「能ある鷹は爪を隠す」の全く逆だと感じています。
キャラもネタもその場その場で使い捨て。
一人の人物とは思えなかったり連続したストーリーとは思えない酷い作り。
指摘してる人がいるとおり愛のあの即席トレーニングの描写はなに?笑っちゃうよね。
今時漫画でもあんないい加減なこと描かないでしょ?
こんな素人以下の酷い脚本でよくも偉そうなこと言えるもんですね。よくこんなものを持ち上げる気になれるものだと思います。
で、あげくに思いっきり上から人を意味もなく見下して「わかる人にはわかる」???
ホント、あんた(達)何様?って感じします。
擁護のコメントとか見てると「なんか悪いもの食べました?」って思います。遊川丼大盛り、とか?
賛否に関わらず、このドラマは不幸の連続だった、というのは共通認識だと思うが、よくよく考えてみたら、純はほとんど不幸の当事者ではなかったよね。
旧サザンの借金は善行が背負っており土地建物を売って返済。
(純は善行の邪魔をし、また、ホテル再建ごっこでむしろ借金を増やした)
オオサキは大先社長の放漫経営により借金がかさみ外資に吸収合併され、大先社長は社長の座を追われる。
(純は大先社長のご厚意によりオオサキに就職できて、好き放題やっても解雇されず、吸収合併後もリストラNo.1候補なのにリストラされず、大先社長に土下座して頼まれたのに自己都合で自主退職)
里やの借金はサトさんが背負ってた。里やは失火で全焼。
(純は他のホテルを紹介されたのに強引に里やで働かせてもらい、好き放題したあげく、酒はダメだと言っていた客に酒を飲ませて泥酔させ(寝酒も見逃し)火事の原因を作る。また、簡単な初期消火に失敗し里やを全焼させる)
新サザンの借金は晴海の借金(ミス宮古島ファンクラブによる模合)
(純は別荘を譲り受け、晴海に借金をしてもらって改装資金にあてる)
・・・なんか全然不幸に見舞われていないし、むしろ周りを不幸にしている気がするんですけど。
そう、前代未聞の疫病神がヒロインの朝ドラ。不幸の連続って言うより疫病神の不幸ごっこのお遊びにしか見えませんでした。
わかる人にはわかる・・ってわかるように人に説明できてるコメントに出会ったことありません。脚本家の魂に共鳴できる超能力を持ってる人だけが自分だけわかった気にならない以上わからないんじゃないでしょうか?わかりたいとも思いませんが。食事時にウ〇コまで受け入れなきゃわからないものなんてわからなくて結構。
ドラマだから何かしら「あり得ない」ことがあるけど、少なくともコメディにおいては、
「あり得ねぇ~(笑)でも本当にあったら面白いかも(笑)」となるか(純と愛以外)
「あり得ねぇ~(呆)本当にあったらどん引きするわ(怒)」となるか(純と愛)
の違いだと考えればいいのかな?
擁護派の人は「純と愛」に関しては気味が悪いほど寛容なのに、その中の一部の人は他の番組では感想とも呼べないような誹謗中傷を平気で投稿していたりする。「純と愛」の品性そのままですね。
知ってます。
あまちゃん、梅ちゃん、その他のドラマにも明らかにこのドラマの擁護者、ではなくて「信者」が感想とは言えないただの誹謗中傷を繰り返している。なんかとんでもなく嫌な感じの人達だね。どうしてそういうことしかできないんだろう?全員がそうじゃないと思うのにそういう人格の人がやたら目立つ。このドラマがそういう人達を惹きつけるものを持ってたということなのでしょう。
純と愛って、最初から一つもレベルを上げられない設定のRPGで、目の前に次々と中ボスが襲い掛かってくるのに対し、主人公の二人が「独善的な正義の押し売り」ってコマンドを連打している内に、いつの間にかそれまで敵対していた周りのモブキャラが味方につき、その人達が中ボスを倒してくれてるって感じです…
そして、中ボスにからめたイベント(様々な社会問題)を投げかけておきながら、それらは全て中途半端にやっつけたまま…
最近はすっかり甘くなったファミ通のレビューですら、1点つけるレベルのクソっぷりです…
そもそも常に洒落にならないくらいに酷い「対立構造」を作り出す事でしかストーリーを進められない脚本家に、「愛」だのなんだの言われたくなんかありません。
それに対して「あまちゃん」はどうか。
確かに、夏さんと春子、足立家の確執はあるものの、それは「お互いに性格も(物理的・精神的)距離も近すぎるから」こそ生まれる憎しみであって、その根底に流れるのはどこまでも優しい家族愛だから、どんなに激しい口喧嘩を観ても、視聴者は「いつか理解しあえる日が来る!」と楽しめるのではないでしょうか?
そういえば、ファミコンの、否、ゲームの歴史に残る名作RPG「MOTHER」シリーズも、その根底に流れる普遍のテーマは「愛」でした。
僕が、純と愛が未来永劫高く評価される事は無いと確信するのは、この作品には脚本家のキャラへの愛とストーリーへの愛。そして視聴者への愛が一切感じられないからです。
それを「わかる人はわかる」と御神輿ワッショイして崇め奉る信者さんに…遊川氏がどう思っているのか是非一度訊いてみたいものです。
あと、モノアイ氏がなにやら漢字を使ったナゾナゾを投げかけて逃げて行ったようですが…
では「心」を「受ける」と書いて何という字になるでしょう?
この作品は、正に「その字」を名前に冠する男が主人公の一人であったにもかかわらず、当の本人は他人の”心”を”受”けようとはしない。
そして脚本家も、そんな鬱展開爆発ドラマを朝から見せられる視聴者の”心”は一切”受”けようとはせずに、「このセットだけで制作費にいくらかかった!」という、バブル真っ只中に一番浮かれていた連中特有の感覚で、視聴者からの大事な”受”信料を毟り取る事だけに腐”心”し続けたのが、純と愛という史上稀に見る駄作に残された「謎」、というかゲスの極みの「本性」だと僕は思います。
それと、ここでまだこの駄作を擁護されている方と、「あまちゃん」の感想に連日くだらないイチャモンコメントをしている方が同一人物に感じるのは、僕の気のせいでしょうか?
ハマカーンやここでコメントしてる人ではないけれど、これほど「ゲスの極み」という言葉が当てはまるドラマはないように思う。ドラマの内容も人を馬鹿にしたようなくだらなさだけれど、なによりも作る姿勢やモラルのなさに人として最低のものを感じる。
不快表現を連発して面白がっていられるのは人への思いやり、気づかいなどを全く持ち合わせていない人間の証拠。不快感を自分が感じないのか、わかっていてわざとやっているのかは本当のところは分からないけど、どちらにしても最低は最低。なぜこんなドラマが自分の住む国の公共放送の朝ドラとしてまかり通るのか本当に腹立たしい。
その上、このドラマ支持者の、このドラマが人を傷つける要素が満載なのを無視して絶賛し、しかも傷つく人たちを含めて批判的な人に対する横柄さ、傲慢さに対しては怒りを通り越してあきれ返るものを感じる。ドラマ同様、もしかしたらそれ以上に人を傷つけるもの言いを繰り返す無神経さ。自殺した家族がいる人やストーカー被害に合ってる人に対しても「このドラマの良さがわかる人にはわかる」などと言う事ができるのか?自分が一体何をわかって人に何をわからせようと言うのか?
人の心の痛みがまるでわからないで人が傷つく嫌がらせを平気で出来るのはこのドラマを賞賛してさらにそういう事を言う奴だと思っている。
自分が楽しければいい、自分さえ救われればいい、世の中の他の人なんてどうでも
いい・・・そういうドラマだったと思う。
作った奴も擁護してる奴らも人格おかしいだろ。
いや…格差社会に対して不満や破壊衝動を持ってる「負け組」か?
そして「負け組」の負の感情を利用して、のし上がろうとする教祖みたいな脚本家。とw
こう考えていくとこの構図…関東の方々はあまりピンと来ないかもですが、「被差別部落と解放同盟」の関係性に似ている。
関東に住んでいるので2013-04-22 07:25:59 名前無しさんのおっしゃるようなことはわかりません。
他の国との対立がこのドラマに隠れているようなことも言われていますがそういう事も事実かどうかの判断ができないので何とも言えません。
しかしそういうものがあろうとなかろうと、いずれにしても、人々の間に極端な賛否両論を引き起こしてお互いに対する対立感情を煽るようなドラマを公共放送が作ること自体が大間違いだと思います。
しかも現在まだ東北の大震災や原発事故、国全体の経済低迷、そういうものから立ち直っていない国の状態の中でですよ。
こんな状態の中で人々の間でお互いに対する悪感情を抱かせることに何の意味があるのでしょうか?誰が楽しんでいるのですか?
NHKはこのドラマが招いたこういう状況をきちんと受け止めて猛省すべきです。うやむやにしていること・・・それこそが一番倫理観のない姿です。肯定派であっても否定派であっても、視聴者に元々罪はないのに、お互いが憎しみ合い、嫌い合うような状況をわざわざ作ったのは一体どこの誰ですか?
ヤラセを作って情報操作をしてまで人々がお互いに喧嘩する姿を闘鶏のように楽しんでいる奴らがいるのかもね。
そういう奴らがはびこっていると思うと恐ろしい世の中だよね。
このドラマの制作者たちも批判を「思惑通り」などと言ってたくらいだからそういう類の人間なのだと思う。
NHK全体がいくらなんでもそこまで落ちてるとは思えないからこのドラマは完全に造反組、はみ出し者たちが作ったものだと思う。
しかしなぜそんな奴らをかばう必要があるのか???
史上最低のクソドラマ。
他に言葉は要らんでしょ
私はこの番組が始まる前は、沖縄が舞台ということで以前のちゅらさんのようなものを期待していた。
ヒロインと後に夫となる少年とのガジュマルの木の下での再会を約束するシーンが美しい沖縄の島や海に溶け込んで秀逸な作品だった。
少年からもらったスーパーボール?だったかビー玉だったかの小道具もヒロインがずっと大切に持ち続け、大人になったときに再会し
・・という話の流れも良かった
また昔、好きだった某テレビ局で放映されていたHOTELを舞台にしたドラマのような、宿泊客とのエピソードを楽しみにしてた。
どれも似ても似つかぬ、あたりまえだけど別物でがっかりしました。
風間さんちょっと屈折した青年の役なんかとてもお上手なのに、変な使われ方をしてしまいましたね。
若村さんは、かつての朝ドラのヒロインとしてはつらつとした素敵な女性を演じていらっしゃり、かつての朝ドラのヒロインが、ヒロインの母親役などで起用されるのはよくあることですが、せっかくの演技派女優さんの無駄遣い。
息子の嫁にゴキブリ女と言わせる脚本家の本意は何?何が言いたかったという感じです
それは、武田鉄矢さんも同様。武田さんのお父さん役楽しみにしていましたが、ろくな台詞を言わされず生きている間は最後まで娘に理解されず亡くなるという、使い方。
脚本家の方は、自分が作りあげた登場人物に愛着がないのでしょうか?メインの方々はもとより、ゲスト的に出てこられた方も、使い捨てみたいな感じがしました。
純というキャラクターがこの脚本家そのものに見えてしまいました。
遊川って、弱い男が強い女を支える、っていう構図を描きたかったらしいけど、弱い男役の愛は弱いというよりどこまでもキモイ男、強い女役の純は何も出来ないくせに口だけ偉そうでいつも自己中な女。それぞれ、強い弱い以外の面ばかりが目立ってしまって、遊川の描きたかった男女の関係が、とことん気持ち悪くて不快なモノになってしまって、非現実的過ぎたのだと思う。弱い男にするために、何故超能力を???働かない男にしたかったから?そういう所が勤勉な日本人には受け入れられなかったんだから、そもそもそういう構図自体に無理があったってわけだな。
朝ドラのファンだった
純と愛のよいところを探そうとしてた時期もあった
でも・・・・最終話までみてKUSOドラマだった
でも・・・・なんらかのよい(主観で!)点をさがしてた
でも・・・・それももうやめた
さようなら kusoドラマ
別れ際に言いたい
何もないのに何かあるようなそぶりを見せるな!
もうこのKUSOドラマは忘れることにする なかったことにする
だが・・・・この・・・を 持ち上げて美化するような輩が
増えた場合には断固として異議あり!と叫ぶために舞い戻ってくる
以上
弱い男・・・変な超能力を死んだ弟のせいにしてたただのニート
それと強い女・・・確かに自己主張だけは強い女だったな。
どう考えても支えあっていける夫婦にはなれない。
お互いどこにも魅力を感じられる要素ない。
自分に欠けているものを相手が持っているわけでもない。
よくキレルのだけは似たもの同志。
つーかよくこの結婚難の時代に結婚できたなという感じ。
中学生のカップルでももっとましなんじゃないか?
>中学生のカップルでももっとましなんじゃないか?
そう思う。はるかにまし。
あの二人のいい大人のくせに小学生低学年のような
わざとらしい会話が気持ち悪すぎた。
特に愛の純もちあげ台詞は毎回虫唾が走るものだった。
作者は大人の女性と会話したことがないのか?
時々面白いかな?って感じで見ていました。
でも、里や編の寝たばこ火事には疑問符だらけ。
あの火事、酒癖の悪さで婚約破棄されたあげく酔いつぶれた宿泊客の寝たばこって設定だけど、酔いつぶれた客が自分の寝たばこが原因ってハッキリ理解出来るとは到底思えない。
百歩譲って、酒で前後不覚になる人が寝たばこしたのを覚えていたとしても、純が出火原因の調査結果を知る前からその客の寝たばこだと決めつけて怒鳴るのも不思議で仕方ない。
スムーズに流れない話に何度もつまずきながら、いつかは良い感じに変わるんだろうと最後まで見続けました。偉いなw
結局、色んな人が出て来ただけで絆も繋がり感もないままで、ここには魔法の国なんて出来ないだろうなーって終わり方でしたね。
このドラマは脚本書いた人も演者も傷を負ったと思います。
若村麻由美さんの演技はいい感じでしたが。
まことに珍妙、不可解、不愉快、日本放送協会、な作品であった。
話が展開するときは必然性がいります。そうじゃないと唐突です。今朝のあまちゃんではユイの動画がUPされ鉄道オタクがどっと押し寄せる。これが今後の流れになる。
純と愛では病気や台風といった唐突感。2012年である必要もない。オオサキの外資買収もよくあるエピだし、もっとホテル業界の内部を調べて見ているものを「へぇ、そんなことあるんだ」という展開してほしかった。寝たばこ→火事も素人が思いつくような流れです。いずれにしてもエピが大仰すぎる。雑な印象です。
ひとつの意見に集中砲火のようで驚きました。
反対というのはわかりましたが、できれば人格や生育歴まで否定されることはやめていただけませんか?
たぶん全部外れています。
どんなドラマでも物語でも嫌いな人がいて、好きな人がいる。そんなことは当たり前とわかっています。
でもリアル、というのは文字通りで、親子であれ兄弟であれ夫婦であれこれに近いことが身近で起こっていませんか?
どこかで見たことはありませんか?
だから現実に起きている逃げたいような場面を見てしまったような気がしたのですが…
(ただ、それを見たくないとおっしゃるのはもっともだと思います。)
このドラマが好きという方は確かに少数派のようですのでこれを読んで不満をもつ人は多いと思いますが、私はかすかな希望を残してくれた話と感じました。
製作にかかわったみなさんに感謝しています。
>近いことが身近で起こっていませんか?
非常に断片的には起こっているような気もします。
しかし前後のつながり、全体的な状況、程度、対処の仕方・・・総合的に考えるとこのドラマのように極端な状況というのは非常に考えにくいです。
全てにおいて物事の運び方が安直すぎて漫画でも読んでいるようで人間の心の動きまで含めてリアリティを感じません。
擁護意見で、「このドラマはリアルだし人間の嫌な部分を映し出しているから自分にもその要素を感じて見るのがつらいから批判するのだろう」という趣旨のものを頻繁に見かけましたが、全くの的外れであると感じていました。
でもこのドラマにかすかな希望を見出すことができた方は個人的にはそれはそれでよかったのではと思います。
私はどのキャラにもストーリーの組み立てにも全く納得ができなかったということとこのドラマが持っている攻撃性やモラルの欠如はどうしても受け入れることはできません。
あと集中砲火というのはちょっと違うと思います。結果的にそう見えてしまうかもしれませんが、書いている一人一人はそんな意識は全くないと思います。
それだけこのドラマには皆さん不快感や逆にものすごく人間性を傷つけられた気持ちが強い、ということの表れだと思います。
このドラマを好きな人の全てを否定するつもりはありません。
自分に限って言えば、擁護派の意見にあまりにも「わかる人にはわかる。」だの「物事を深く考える人にはわかる」だのという抽象的で上から目線のようなものが多いから反感を持つだけです。
確かに身内の醜い争いは存在します。
それでも自分がこのドラマにリアルを感じないのは、例えば兄の「自分は一度もおまえを可愛いと思ったことがない。」という台詞。
その心境にいたるまでの過程が雑すぎて解らない。そこまで言っておきながら何故ことあるごとに兄は妹を頼りにするのか。またそこまでの確執があったのなら何故簡単に和解するのか。父との関係も然りです。
人には思っても口に出してはいけない一線があります。
そこを越えてしまったら簡単に関係は修復できないのです。
このドラマは一見リアルな事を取り扱っているように見えて何ひとつ正面から
向き合っていない。
若年性認知症をこんなに軽く扱っているドラマが他にありますか?
DVなら同じNHKであったシングルマザーズの真摯な向き合い方とは比較にもならない。
深刻なテーマを持ち出すならそれなりの覚悟をもって書く。
そんな脚本家の矜持を何も感じられなかったただの駄作です。