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このドラマを見た後の気分は、個人的にはヤフー掲示板や一部のニュースサイトのコメント欄を見た後の気分に似ている。
あとwikipediaを見て気になったのだが、宮古島で出資を申し出た”男性”と愛の主治医の”女性”を演じた人が同一人物だってどういうこと?
>それが説得力のあるドラマを作る「職人」芸だと思う。コツコツと仕事を積む職人気質がなければ人々を感動させるドラマなんて出来っこない
全くおっしゃるとおり、同感です。
スナックに勤めるように勧められたキョンキョンが「噂になるから」と断る。
母親は「噂する連中から、金、ふんだくればいい」と返す。
観察力の乏しい脚本家、ことなかれ主義の脚本家なら、もっと優しい言葉でスナックに勤めるように勧めるでしょう。
でも、クドカンはそうしない。厳しい暮らし方をしてきた母親の姿を守りつつ、その一方でちゃんと娘の立場も立てている。
それが観ている者に伝わる。それが職人芸ですよね。
脚本家が一つ一つ慎重に言葉を選び、演出家が役者に一つ一つ表情を与え、それを役者がなりきって演じる。
スタッフ全員が気の遠くなるような作業を積み上げていく。だからこそ、人々が共感できるドラマが生まれる。「表現」するって、そういことですよね。
残念ながら「純と愛」にはそのかけらも見つけられませんでした。
ここでもなじみの「みん感」にて
夕べ(14日)21:04 ID;mam***** で五つ星 全く同じ内容が
2件並んで入っている。
ゆうべ22、23時ごろに日曜日の夜中だし・・と見てたが今現在温存。
今まで数分内に1星をいくつか抹殺された経験からは意外すぎる。
いよいよこんなことまでやりだしたか??
あまちゃん見てて思ったんですが、親子の激しいやり取りの中にも愛情が感じられるんですよね。
純愛の時は綺麗事を並べ立ててもなんの情も感じられなかったよ。
遊川氏の視聴率の取り方について考えてみました。
心理的拷問の手法だと思います。
「不幸、グロテスクという負の要素を徹底して視聴者にぶつける」
そうしておいてから「わずかな救いを与える」。
これの繰り返しです。
人によっては「なぜ、こんな不快な世界につきあわねばならないのか」と即、テレビのスイッチを切ったでしょう。
ある人は「わずかな救いを求めて」、延々と見続けたでしょう。
この手法を巧みに使い、民放ではそれなりの視聴率を上げたのだと思います。
平たく表現すれば「加虐と許しという呪縛で人を縛る」ための台本を書くのが上手な脚本家と言えます。
そのこと自体は責められるべきことではないと思います。
こうした手法は民放では珍しくありませんから。
問題は「朝ドラ」にそのやり方を持ち込んだことです。
ストーカー、暴力、排泄物等、「加虐」の部分があまりにグロテスク過ぎて、視聴者に「不快感と嫌悪感」を抱かせた結果、今の評価につながったのだと思います。
誰が一番反省すべきか、やはり企画を採用したNHKさんではないですかね。
高視聴率といわれたミタも私は家族の絆や愛情が感じられませんでした。
そもそもいくら夫に浮気されたからといってそれだけで4人の子供を残して自殺する母親がどこにいるんでしょう?どうしてこのドラマがウケたのかわかりませんでした。この背景が納得できず途中で見るのをやめました
この脚本家の書くものはどうして母親像をコケにしたものしかないのか不思議。
さらにこの朝ドラは上をいく酷さで、漫画でも出てこないようなキャラやストーリー展開ばかり。これが漫画なら当然ボツで世にでないでしょうが、どうなっているんでしょう。朝ドラだったので時計代わりということでTVをつけっぱなしにしてミタと違いつい最後まで目にとめてしまった自分が悲しいです。過去のドラマとして封印したくても悪い記憶として残ってしまいました。
みん感では、星5族の中に純愛禁断症状が出ている人もいるみたいで、スピンオフやらの話題を出しては大喜びして盛り上がっているようです。なんだか不気味な宗教団体が、純と愛を知らない人まで呼び込んで必死で洗脳しようとしているようで、怖くなりました。
星1の方が断然多いけど、大半が消されてしまうので、星5族がデカイ顔して存在感を増しているなぁという感じ。まさか、NHKの職員が仕事中に投稿していたりしないでしょうか。仕事としてやらされてる可能性もあるのでは?と疑ってしまいます。
小説家、脚本家、映像作家等、「表現」をする人のデビュー作には、その人の心に広がっている光景が色濃く反映される傾向にあります。
「どこまでも明るく楽天的」か、逆に「どこまでも暗く悲観的」か。
「表現」するという行為の原動力になっているものもさまざまです。
「社会的義務感」、「富と名声への渇望」、「復讐心」、「過去の偉大な作家への憧憬」等々です。
デビュー作とは全く異なる作品を次々と発表する作家もいれば、常に「心にある原風景」をにじませている人もいます。
ミステリーでストーリーは全く違うのに「殺される被害者」はいつも同じ職業ということもあり得ます。
ドラマのテーマなり、一つの要素なりが、繰り返し登場する場合は、作家の心の奥底にそれに対するこだわり、執着があるからではないかと考えます。
作家の心にある風景とフィーリンクが一致すれば、ファンになれます。
生理的に受け付けないとなれば、世間でいくら売れていても、「理解できないわ」となります。
結局、「人それぞれ」、「たで食う虫も好き好き」ということなんでしょうね。
低品質でした。
ミタの時に、桂南光さんが『僕、昨日の最終話しか見てへんのやけど。こんなドラマがウケる世の中がちょっと怖いわ~』と仰ってました。
今になって、何となくその意味が分かってきました…
一応最後まで見た上で感じられた事は…
『手抜きシナリオ』
この一言に尽きますね。
当然その手抜き感は現場のスタッフや出演者に伝わってるでしょうし、モチベーションを維持するの大変だったと思いますよ。
ホント…マジで憶測や御大層な比喩するの勿体ないぐらいに…
『超・手抜きシナリオ』
これでギャラをナンボ貰ったのか知りたいわ40%男w
≫ 心理的拷問の手法
それってまるで世間でよく言われてるDV夫ですよねw
そういやDV男登場してましたが、あれは脚本家の自己投影なのか…
>>2013-04-15 11:14:34
少なくともピカソは芸術に厳しかったですよ。
技術的に厳格に育てられすぎて、子どもの様に奔放に描けない事がコンプレックスだった。
彼が子どもがえりを追求せずにいられなかったのは、よりよい作品を作る上で自分に足りない要素を取り戻そうとしたので、作品という場を借りて無責任な泣きごとを撒き散らしていたわけじゃない。
遊川氏のドラマは…、そういう真剣さが無いと思います。
ドラマじゃなくても別によさそうですよ。漫画でも、小説でも、最大多数相手に脅威感を与え、相手を支配出来さえすれば満足だと。
そして、これまでにないだの、痛みを感じてほしいだの、製作者の痛みには共感を求める割に、視聴者の痛みははじめから取るに足りないものと考えている。
コミュニケーションが無いんです。垂れ流し。
おそらく最初で最後の観客である遊川氏本人ですら、この作品から何かのメッセージを受け取れるとは思えない。
返答を期待しない言葉とはすなわち寝言で、寝言は芸術になりえません。
…あ、でも超芸術の括りには入るのかな。
いや、いらないよなこんなの…ユーモアのかけらもないのに
と、、面目ない。語りすぎ ついつい
『遊川氏の視聴率の取り方について考えてみました。
心理的拷問の手法だと思います。
「不幸、グロテスクという負の要素を徹底して視聴者にぶつける」
そうしておいてから「わずかな救いを与える」。
これの繰り返しです』
と書いた者です。もう一点のみ、追記します。
遊川氏が取る手法では「スピード」が重要な要素となります。
「なぜ、このような不幸が降りかかってきたのか、それを根本的に解決するためにはどうしたらいいのか」といった理論的思考を視聴者にさせないために、次から次に新しいストレスを繰り出していく必要があるのです。
視聴者にじっくりと考えられたら、テレビのスイッチを切られる確率が高くなるからです。
「加虐」と「許し」の超高速回転の渦に巻き込まれた人は、あれよあれよと言う間に最後まで見てしまう結果になったのです。
番組終了後、なぜ、こんなドラマを見ていたんだと悔やんでいる人も少なからずいると思います。
理論的思考を排除する遊川氏の「ジェットコースター」に乗せられただけですので、悩む必要はないと考えます。
遊川氏の手法を取る限り、本来、真摯に語られるべき重いテーマ、たとえば「離婚」、「家庭内暴力」、「家族の死」等はすべて超高速回転を絶やさないための「材料」、「燃料」に過ぎなくなるのです。
「純と愛」にテーマがなかったのは遊川氏の手法の構造からくる必然だったと考えています。
「重い現実と向き合いながら、主人公が成長していく」、「成長の過程で周囲の人々と理解を深めていく」という手法なら、「テーマはテーマ」として時間をかけて語られます。
そして、それこそが多くのみなさんが「朝ドラ」に期待している姿ではないかと思います。
「朝ドラ」に遊川氏の手法が持ち込まれたことを非常に残念に感じています。
「人の不幸」をドラマの「材料」、「燃料」にするなんて、とんでもないことだと、今も怒りがわいてきます。
そんな思いで今回も長々と書いてしまいました。失礼しました。
いやあ、ここドラマが終わってますますの充実ぶり、多くの方が本当にこのドラマによっていろいろなことを深く思考されていて、実に読みごたえがあります。
正直ドラマの感想欄でこれだけの内容の濃さは珍しいのではないでしょうか。ドラマそのものより数倍面白いです。批判的なご意見がほとんどですが、単に嫌い、不愉快の連呼ではなくてそれぞれの方が自分が嫌いな理由をきちんと分析していらっしゃいますね。
>作家の心にある風景とフィーリンクが一致すれば、ファンになれます。
「人それぞれ」、「たで食う虫も好き好き」ということなんでしょうね。
たしかに結局はこういうことなのでしょうね。だからこの脚本家のドラマや「純と愛」が大好きと言う感性は当然あり、ということなのでしょう。しかしまた同時に
>ミタの時に、桂南光さんが『僕、昨日の最終話しか見てへんのやけど。こんなドラマがウケる世の中がちょっと怖いわ~』と仰ってました。
私もこの脚本家の書くドラマが大多数の人にウケるような世の中になったら南光さんと同じでかなりの危機感を感じるでしょう。逆にそれがちゃんと批判を受ける、という社会は健全さが保たれていると言えると思います。生命の軽視、モラルの破壊・・それが許されるような社会など考えただけでぞっとします。
このドラマに関しては本当に怖いのは批判者ではなく絶賛者の数なのかもしれません。
たしかにこの脚本家のドラマはめまぐるしく事象を超高速回転させてジェットコースターのように人々に論理的思考を与える隙を作らず最後まで突っ走らせる手法を取っていますが、人間は徐々にスピードにも慣れるし、それによって動体視力もどんどんアップします。ジェットコースターに乗せられながらも意外と早く論理的思考もできるようになってしまう人は実はたくさんいること、そうなれば周りの景色も自分が乗ってるジェットコースターの不具合やつまらなさもすべて見えてしまうことを作者は予想できなかったのでしょうかね。
結局「知らないこと」は(脚本に)書くことができない、ということだと思う。
この脚本家、ホテルを舞台に、実家がホテルの主人公のドラマを書こうとしているのに、ホテルのことを何一つ調べていない。取材をしないにしたって、自分がホテルに泊まった経験から、客の目で見てホテルの従業員がどのように映るかを考える頭があれば、こんな酷いホテルの描写にはならない。
そんなコメントをすると、擁護派は「ホテルマンの出世物語じゃないから」という。じゃあ、家族の絆についてはどう書かれているのか。
脚本家が独身だからって、家族の絆が書けない言い訳にはならない。自分の親兄弟、親族、友人、長い人生いろいろなところで、いろいろな家族の絆を見てきているはずだ。でも、普通に書かれていない。
3人の子どもを育てて大学までいかせようという親が、堕胎を迫ったり、子どもに「生まれてこない方が良かった」など言ったりすることは決してない。
家計を支えて、10年以上も慣れない土地で慣れない仕事を続けてきた親が、上司に罵倒されたぐらいで、家計の柱である仕事を辞めるはずがない。
下手惚れして結婚した妻が、若年性認知症にかかって、自分の記憶をなくしたからと言って、夫がそのそばを離れるわけがない。
逆に、22年も飯を食わせてもらって、大学まで行かせてもらって、そんな親に感謝の気持ちを持たない子供はいない。
普通の親子が普通に持つ感情を何一つ書いていない。
この脚本家はそういう境遇にはなかったし、そういう親子が周りにいなかったか、全く孤独に生きてきたか、ともかく何一つ知らないんだとしか考えられない。
だから、とってつけたような不幸やグロテスクをちりばめるだけで、放りっぱなしにするしかできない。おそらく今まで出会ってきた不幸は、乗り越えてきたんじゃなく、逃げるかうやむやにしてきただけだと思う。このドラマにはそういう描写しか出てこない。
上の方に同感です
親子だろうと家族だろうと、不満を持つことがあってもお互い感謝の心はありますよね。それが親子だと思います。本音をぶつけあってもケンカしてもそこには相手を思う気持ちがあるはず。
それが感じられないんですよね。この人の脚本は。
単に不満をぶつけあう、ケンカですらない見ていて不快なシーンばかりでした。
今日のあまちゃんを見て余計そう思いました。
最近朝が平和です
先ほど、「このドラマに関しては本当に怖いのは批判者ではなく絶賛者の数なのかもしれません。」とおっしゃられていた方がいましたが、全くその通りだと思います。本来なら批判されるべき言動をみんなで賞賛する、わたしはむしろそういう人たちの方が許せない。
例えば最近体罰で問題になった大阪の高校教師、福島の農家をオウムよりひどいと言った某大学教授、20年前に起きたいじめ事件で被害者の遺族に嫌がらせを続けた山形県の某市民など、それが間違っているかどうかに関係なくそんな人たちが少なくないと言うことの方が怖いです。
人の考えは人それぞれと言われればそれまでなのかも知れませんが。
スレ違いで失礼「みん感」の「あまちゃん」感想欄で香ばしい人が暴れているらしいので見に行きましたが、ank******という御仁が20件以上連続で、「くだらない・・」を投稿中でした。
気になってみると、「純と愛」星5常連さんじゃないですかw。他にもと思い見てみるとmid*****さん、必ず数分で連続投稿してらっしゃる。「純と愛」では信者よろしく絶賛しているのに、「あまちゃん」では脚本家が未熟とか設定が云々とか重箱の隅を突くような
・・・・って、あれ?これって星5の面々が星1さんに対して言ってた言葉じゃなかったっけ??
笑止千万、少なくとも自分は、ある程度ニュートラルな位置から、朝ドラを見ていたから、こういう御仁は「崖っぷち」にいる気分なんでしょうね、見事なまでのダブルスタンダードに、きっと気づいてもいないw。「純と愛」の毒気に当たったからかなぁ?
>本来なら批判されるべき言動をみんなで賞賛する、わたしはむし
>ろそういう人たちの方が許せない。
全くもって、その通り。
自分では「義憤」だと思っています。こんなドラマが評価されていいのか?いや、こんなドラマが制作される事がまかり通るのか?まで思ってますから。
「私怨」と言われればそれまでですが、こんなにも物事に対し嫌悪感を持ったことが無いので、暫くはあらゆる機会を通じて市井の者ですが発言し続けようと思ってます!
↑ 加虐と許し+スピードの分析、とても頷けます
そんな手法のミタで視聴率を獲ったことはアリですけど、そのミタに「日本を代表するドラマ」とか賞賛を付けて授賞したギョーカイに腹が立つ今日この頃です笑
仏壇燃やそうとした、そして母親の遺品を燃やしたミタはまともなドラマじゃない。あんなドラマを評価する人間がいたから、今回さらなる悲劇を生んだ。
日本のメディアは狂ってしまった
これは酷い.......
酷過ぎる.......
☆昔の(設定が古い)、画力の低い(描写力がない)、少年少女まんがを読んだ印象。
☆登場人物は棒立ちで顔のアップが多く、画面に立体感がなく台詞でストーリーがうごく。
感性は十人十色で良いとは思うんですがね…
このドラマに関してだけは、有害指定ですわ。
このドラマを、文句つけながらも見続けられた人はすごいと思う。
途中リタイアしたけど感想欄読むだけで話はだいたい把握してます。
要するに、遊川に脚本書かせると有害ドラマしか誕生しないので、日本の国益のためにも二度とドラマの脚本など任せないようにしないといけないってことですね。
みん感で必死で評価を上げたところで、ドラマの内容ぐらい多くの業界の方も見ていて正しく評価されていると思います(有害ドラマとして)。表向きは誰も本当のことを言いませんが、出演された役者さんやその周辺の方など、遊川のことは相当広まっているのではないでしょうか。そして、もう二度と遊川脚本のドラマにだけは出たくない、と今後は主張されるんじゃないでしょうかね、常識的に考えると。
純と愛は、視聴者も被害者ですが、出ていた役者さんも相当な被害を被ったことに違いないと思うので。
ドラマの見方としては実に邪道ですが、途中から、つぶさに見て徹底批判をするつもりで頑張ってほぼ毎日見続けました。ここまで社会にとって害悪なものを、自分にとって興味がないから自分は関わらなければいい、なんて放って置く気持ちになれませんでした。
ドラマと言うよりも有害図書が言論の自由の元に本屋の店頭に並べられたのを監視するような気持ちです。
批判するために一応自分でも買って細かくチェックする、またそういう類の本を一体どんな人間が好んで買いに来るかも重ねて知りたかった。
それがこれを見続けた理由です。決して「批判しながらついつい最後までひき込まれて見てしまった」なんて言うのとは違います。冗談じゃない。
しかしおかげでここの皆さまのコメントや批判ご意見の内容もよく理解できたし、NHKやBPOに細微に渡って苦情をいう事ができました。これで終わりではありません。続編や再放送に大反対と言う意見も言うつもりでいます。私は本気でこのドラマには怒ってます。
最後まで見たけど、内心は凄くニュートラルで冷めてましたよ。
おかしいところを突っ込む目的でもなければ最初の2,3日で視聴をやめたのは確実。第一週から全く受け入れられないし、大仰な設定の割に話のつまらなさにあきれた記憶がある。
なんでだろう、なんでだろう
「純愛ロス」なる言葉がでるほど人気が高いらしいのに、視聴率が「てっぱん」以下だったのなんでだろう
「純」と「愛」がこれほど人気が高いらしいのに、「純」を主人公にした「スペシャル」ではなく、「人気の高い富士子を主人公としたスピンオフ」(3月22日の広報資料)しかできないのなんでだろう
なんでだ、なんでだ、なんでだ、なんでだろう
純愛ロス患者は、間違いの指摘にお礼もお詫びもいえないらしい
「脚本は同じを投稿した者、名前間違えた、丸山さんです、スピンオフは丸山さんも脚本書いたけど、遊川さんとの共同脚本、メモリアルブックに載ってる」
↓
間違いの指摘にお礼もお詫びもないとは
いかにも「純」や「愛」を礼賛する人らしいな。
それはそうと3月22日の広報局の資料に
<原案>遊川和彦 <脚本>丸山智
ってはっきり書いてある
メモリアルブックは見ていないけど、これと違う記載があるとすれば少なくともどっちかは間違い
もっとも私はどっちも間違いで
<脚本>山本敏彦 <演出>遊川和彦
の現代版「とりかえばや物語」だと思っているけど
裏でプロデュースしてる奴らがいます。
でないと自分達の立場が危ういしw
ウソをつき通せば真になるって思ってるんじゃないですか?
純愛ロス症状報告会って何?怖すぎる~~
何の新興宗教か知らないけど、純と愛が良かったと思える感覚の人間がいる事自体信じられないのに、いろんな純愛ロス症状を並べられると、朝ドラで汚物タンクを出す事以上の怖さがある。本当にこんなに純愛ドラマを崇拝する団体が存在するなんて、日本は大丈夫なの?危なくない?
あまちゃんの感想欄にくだらないを連投している人がいますが、あまちゃんが星1なら純と愛は星マイナス10以上です。
このドラマを擁護している人達、星1の方々の人格を何度も否定していましたが、結局やっていることは何ら変わりませんね。哀れです。
>カメラが捉えている絵以上の広がりを空間的にも感情的にも全く感じないのは、一種異様な体験でした。ホテル、病室、純の部屋・・・すべてが個々に閉じていて、何の関連性も感じない
>この脚本家の書くものはどうして母親像をコケにしたものしかないのか不思議。
コメントを引用させていただいたお二人は遊川氏の特性を極めて鋭く直感的に捉えられていると感じます。
それに関して、個人的感想の述べたいと思います。
大方の人が生まれて初めて接するのは「母親」です。母親とのつながりから、人は「人間的感情」を育んでいきます。
「母親像をコケにした」といのうは「人間的感情」に冷淡であると解釈できます。
私たち生身の人間が生きている世界は「人間的感情の総和」です。
遊川氏は「生身の人間が生きている世界、すなわち人間的感情の総和である世界」を描くことに価値を見い出していないと感じます。
「純と愛」に登場する人々は私たち生身の人間が生きている世界に立っているという設定です。
「生身の人間が生きている世界」を描くことに冷淡である脚本家が、その世界に立っている登場人物に感情移入できるはずがありません。
その結果、取り敢えず画面の中に登場人物が立っていて、台本にあるセリフを口にして、周囲にそれらしきものがあれば、それでいいでしょう、それで十分でしょう、という作りになったのです。
場面一つ一つに「人間的感情」がこめられていないから、「カメラが捉えている絵以上の広がり」がなく、「すべてが個々に閉じていて、何の関連性も感じない」という感覚を招いたのだと考えます。
遊川氏が本領を発揮されるのは「人間的感情の総和である世界」ではなく、「ダークな寓話の世界」なのです。
その世界を描いているからこそ、視聴率を上げられ、根強いファンを獲得されたのだと考えます。
最初から「朝ドラ」とはミスマッチだったのです。制作スタッフが企画を検討する段階で、もう少し慎重に臨んでいればと、今も残念でなりません。
個人的な感想を長々と書き記しました。失礼しました。
誰か「受信料ロス激怒報告会」を作ってくれ!
「最悪場面集総選挙コーナー」を作ってくれ!
わしは真っ先に「尿タン、出た」に投票するぞ!
遊川和彦の脳内には『連続ドラマツクール』みたいな典型ソフトがインストールされてるんですよ。だから画一的(純愛は整合性0だが)でインスタントな作品しか出来ません。
単純に夏菜さんがお気の毒としか言いようがない
他の実績のあるベテランの方たちはまだいいでしょうけど。
朝ドラのヒロインはその後の活動を左右すると言ってももいいぐらい抜擢されれば名誉なはずだったでしょうに。
カーネーションの尾野さんなどは何度もオーデションにチャレンジされて嬉しかったとおっしゃっていたので、作品が評価され出世作になったので良かったでしょうけど、対照的にほんとお気の毒。
役者さんにとって、その役者さんの魅力や技量を引き出せる作品に出合えることはとても大切なことだと思うのですが。これを乗り越え頑張っていただきたいです。
遊川さんがそんなに立派な人なら、なんで続編も書かせないの?
みんな作品の内容そのものよりも、遊川さんが書いたから話題になっているんでしょう? 普通なら同じ人に書かせるでしょ?
なぜ別の人が書いているの?もう次の仕事で忙しいの?
プロフェッショナル仕事の流儀の遊川和彦のやつさらっと見てみたけど、放送以前で流れた番組で現場にしゃしゃり出たの見たらマジで頭沸いてる。
脚本家なのに脚本で悩むシーンあんまりないじゃないの。むしろ現場に出てるシーン多いわ。ミタの映像も流れてたけど何か棒立ち人物多すぎ…。
悲劇の朝ドラになったのも無理ないだろ…
申し訳有りません。
個人的感想としては、夏菜の演技力など、
尾野さんの演技力などには、とうてい及ばない
ようにしか、感じませんでした。確かに脚本は、
カーネーションとは、比べようも無い程酷いものでしたが
演じる女優さんの演技力は、脚本の内容とは切り離して
評価したいと、思います。
厳しいようですが夏菜さんについては私も 2013-04-17 00:05:54名前無しさんのおっしゃる通りと思います。
これほどひどい脚本でもベテラン俳優さん達はその場その場で演技力を発揮しています。
夏菜さんは大変つらい思いをしたとは思いますが、仕事においては安易な同情は認められません。
脚本家とぶつかったことが取りざたされ、ご本人もつらかった思いをトーク番組で話していました。しかしそんな内輪話は本来どうでもいいことです。それは彼女の演技者としての技術とは関係ないことです。
もし俳優を続けるなら夏菜さんにはそれに気づいて頂きたいですね。
私自身はこのドラマでの彼女の演技はまるでダイコンなどとは感じませんでしたが、笑うにしても泣くにしても一本調子でまるで緩急がないことは否めません。尾野真千子さんは年齢的にも大分上だとは思いますが彼女の演技などをよく研究して頂きたいです。
でも見た目はショートカットもすごく似合うし、スタイルもよいし私はどちらかと言えば好きな容姿です。
恐らく純愛信者こと「新興宗教まほうのくに」信者のコメと思われるとても香ばしいモノが、あまちゃんの感想に書かれていたのでw
>2013-04-17 01:30:55名前無し
朝にしては暗いのではないか?夜間に放送するなら良いが。
朝はもっと明るい話を見たいもの。残念
これって純と愛で、信者じゃない皆さんが散々仰ってきた事の仕返しのつもりですかね?
あまちゃんが暗い?え?どこが?
…とにかく、「まほうのくに」信者は、他作品を否定するにも他人を否定するにもその論拠が薄っぺら過ぎるのが痛々しくて仕方ありません…
ちなみに↑の感想が書かれていたのは、ここと同じサイトのあまちゃんの感想欄です。
何だか毎日のように書き込まれる、イチャモンとしか思えないdisコメが痛々しいです。
オオサキホテルのエピを放送していた頃、みん感に投稿した。
---------------------------
SF作家の星新一さんは、お子さんの前では決して憂鬱な顔はしなかった。だから、そのお子さんは憂鬱な顔というものができなかったそうだ。
子供は親を見て育つ。親の表情とその心の動きを、自分でまねていく。そのうち、親が、悲しんだり、苦しんだり、怒ったりするのを見るだけでつらい気持ちになってくる。そんな顔をしてほしくない、なんとか笑顔になってもらいたい、そういう気持ちが他人をも思いやる心を育んでいく。
純と愛には、この心が完全に欠如している。
この二人が、怒り、悲しみ、苦しむ親に対して、「笑顔になってもらおう」とした場面は一度としてなかった。回想シーンでも自分自身がつらい目に会っているところしか出てこない。親が自分たちを育てるためにつらい思いをしている場面が出てこない。
そんな二人が他人の気持ちを思いやれるとは到底思えない。
悲嘆に暮れる宮古島の新婦さんの前ではしゃぐ、茫然自失する聾唖の新婦さんを見送って笑い合う、これが二人の本性だと思う。
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昨日、あまちゃん視ていて、夏バッバと春子の喧嘩をアキが止めに入る場面で涙が出てきた。自分の感性が間違っていなかったと確信した。
「独断的な思い込みを達成するためには、どんな手段も使う」
そういう人間を描いても、それが視聴者に受け入れられると思っている。
この脚本家、「人間的感性」、「人間的感情」が完全に欠落してるわ。
そんなドラマを垂れ流した人間も同じだわ。
さらにそんなドラマを信望している人間がいるなんて、怖いわ。
「あまちゃん」みたいなさわやかな、いいドラマをどんどん作って、そんな連中、追い払ってほしいわ。
そういえば、カーネーションの糸子の啖呵は良かったなあ。進路をめぐっての父親との親子喧嘩のシーンもなんか全然違うんですよねえ。糸子などはお父さんによく殴られたけど愛情があったなあ。
尾野さんの演技力もあるんでしょけど、よくありがちなささやかなシーン1つとっても演者や書き方によってこれほど違うとは・・・。
演技力云々は若い方の場合はこれからということもあり仕方無い部分もあるのかもしれませんが、昔、天花のヒロインの藤澤さんはドラマが始まったころは、演技がつたない感じでしたけど終盤は驚くほど変わっていて感心しました。
新人の場合はドラマとともに成長するでもいいと思います。
それが今回感じられなかったから、言われてるのでしょうか?
プロは大変ですね。でも失敗を経験として生かしていくことも大切なのではないでしょうか。
>朝にしては暗いのではないか?夜間に放送するなら良いが。
朝はもっと明るい話を見たいもの。残念
このコメントをこのサイトの「あまちゃん」のところに書いている人間、見ればわかりますがとんでもない奴ですよ。
こういうことしかできない、まさに「独断的な思い込みを達成するためには、どんな手段も使う」人の典型です。
なにか独断的な思い込み(ポリシーを持っているわけではない)で、ただ人の幸せをぶち壊すことだけを目的に生きてる人間に見えます。それでわざわざ「自分は純と愛の支持者ではない」と断っている所が大笑いです。支持者じゃなくて「純と愛」の根底にあるずばり「そのもの」です。
読んでいるといちいち腹が立ちますが、それがこのドラマの作者がやってることとそっくり。冷静に見ると本当に痛々しいものがあります。