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ある意味、衝撃的な内容だったので、みんなの感想は?と覗いたらいまだに感想欄が賑わってるのでびっくりしました!
批判派も結局は最後までつぶさに見ていた方が多く、これは脚本家の思惑通り・・・と感心しました。(駄作と呼ばれるものは、まず誰も見てくれないわけで・・・)
脚本が湯川氏だったので、女王の教室、家政婦のミタを見ていた私は、朝からおどろおどろしい暗いドラマだったらどうしよう・・・と心配しましたが、そこはさすがに湯川ワールド朝バージョン・・・までは心得ておられたようで、悲劇もどこまでもコミカルにコメディタッチで描かれたのは、新境地?かと安心しました。
だいたい彼の脚本は社会現象になるくらい賛否両論なのは常!彼の作品は元来、脚本にデフォルメとカリカチュアの手法をとっており、そこが個性なので、評価が分かれるのは、それを面白いと感じるか、嫌いかの違いだと思います。
ピカソの後期の絵のように、対象の特徴を誇張、変形、歪曲、簡略化、簡素化して作り手の主観を反映させる表現法・・・だと思うので、細かい整合性などを望んで見ると、がっかりしたり、こんなでたらめ、ひどすぎる・・・になってしまうと思います。
女王の教室、も見るのが辛くなるドラマでしたが、現代社会の闇を鋭くえぐった感性と本当に子ども自身を成長させるために必要な愛とは決してきれいごとではない、生半可なものじゃない・・ことを、まさしくカリカチュア(誇張して描いた風刺)手法で描かれ、放送を中止してほしい・・・という意見があった中、後半には視聴者も彼の信念をだんだん理解していくようになり、向田邦子賞他かなりの賞をとった作品でした。
・・・・なわけで、ピカソの泣く女、を見ての感想で、評価が分かれるのと同じ!
私的には、最後まで湯川ジェットコースターに乗せられてた感じで、上がったと思ったら急降下の繰り返しで、息つく間もなくゴール・・・一度も見逃さず、あっという間に終わった感じ・・でこれってやっぱり魅力的だった証拠かな、と思います。
連続ドラマって大体、主題歌に合わせたまたは沿った、意識した内容になることが多いのにこれはそれを本編で完全否定してる。
毎日主題歌聞いていた時は内容とは裏腹で苦笑するしかなかった
ところでみん感では、一人で何十回も★5を投稿すると、すればするほど★5のパーセンテージが上がるようになっているんでしょうか?
だとしたら★平均がいつまでも2.5以下にならないのは納得できます。見た目「賛否両論っぽく」調整しているというわけですね。
>批判派も結局は最後までつぶさに見ていた方が多く、これは脚本家の思惑通り・・・と感心しました。(駄作と呼ばれるものは、まず誰も見てくれないわけで・・・)
面白いと思って見ていたのではない、貴重な受信料がどれくらい浪費されているか、みんな監視していたんだ。
>脚本が湯川氏だったので、女王の教室、家政婦のミタを見ていた私は、朝からおどろおどろしい暗いドラマだったらどうしよう・・・と心配しましたが、そこはさすがに湯川ワールド朝バージョン・・・までは心得ておられたようで、悲劇もどこまでもコミカルにコメディタッチで描かれたのは、新境地?かと安心しました。
「湯川」って「遊川」のことか、星四つもつけておきながら、人の名前を間違えるな!恥さらしだぞ。
どこが「コミカルにコメディタッチ」なんだ、くすりとも笑えなかったぞ。
>彼の作品は元来、脚本にデフォルメとカリカチュアの手法をとっており、そこが個性なので、評価が分かれるのは、それを面白いと感じるか、嫌いかの違いだと思います。
「ディフルメ」とは高い技術をもって「変形」させることだ。この脚本家はただ、自分の心にある欲求を書き飛ばしただけだ。
その結果、見るに耐えない醜い「カリカチュア」(戯画)ができたんだ。
そういう「個性」を家族みんなで観ている「朝ドラ」で垂れ流したから、怒りを買ってるんだ。
久しぶりに、と言うか珍しく擁護派さんの読み応えのある感想を読ませて頂いた気がします。
ここでの批判派の皆さんの論点がしっかりしていて、様々な角度から突っ込んだ文章に対抗するためにはこれくらいの擁護派さんのコメントがなければ本来はおかしかったのだと思いますが、他のサイトも含めてあまりに稚拙で良識を疑うような擁護意見が多すぎると感じていました。
その上での反論ですが、このドラマにピカソの後期の絵をなぞらえて感想を述べていらっしゃいますが、このドラマにおいて「対象の特徴を誇張、変形、歪曲、簡略化、簡素化して作り手の主観を反映させる表現法」がピカソの絵のように研ぎ澄まされた美に昇華されるに至るまで、作り手の「技術」が本当に活かされてますか?
誇張、変形、歪曲はできているのかもしれませんが、簡略化、簡素化などむしろ真逆。これでもか、と言うほど繰り返される幼稚な表現、同じような出来事の羅列、簡略と言うより逆に猥雑、過剰な描写ばかりが目立ったのではありませんか?
このドラマにピカソの絵に感じるような「芸術性」があるとは思えません。ピカソの、実は緻密な筆使いや洗練された色使いに匹敵するようなものがこのドラマにありますか?このドラマの表現はただ過激なだけでひとつひとつは煩雑な日常にある陳腐なものばかりです。作品としての「美」が感じられない。感じる人もいるのでしょうが、ピカソの絵ほど多くの人々に印象を残すものでしょうか?
ピカソの絵は抽象的ではありますが、一枚の絵の中でテーマに通じる「整合性」があり、テーマそのものがあるからこそ人々の心をとらえるのでしょう。
「女王の教室」に関してはテーマ(描きたい対象)が「現代社会の闇」や「子供を成長させるために必要な生半可ではない愛情」だと「一視聴者」さんはおっしゃっていますが、ではこの「純と愛」におけるそれはずばり何ですか?
人間の不完全性、なんて当たり前すぎてテーマになどなり得ません。「不条理」「理不尽」にしてはあまりにも安易なものごとの運び方でそんなもの一かけらも感じられませんが、他に何か高邁なテーマでもあるのですか?
現代社会の問題の扱い方、人の愛情の描き方、も実に中途半端で見ていて何も伝わって来ませんでしたが、擁護派の方には本当にテーマとやらがしっかり伝わったのでしょうか?
また絵画作品の場合は二次元の世界に作者の主張を簡素化、あるいはデフォルメした形などで盛り込んでも、鑑賞者はそれぞれたっぷりと自分の時間を使って考え、その理解に近づくことができます。思考の順番、行ったり来たりは完全に見るものに任されています。が、オンタイムで物事を一つ一つ矛盾を感じずに頭の中で積み上げて行けなければ鑑賞には至らないドラマでは見るものがそこで突っかかってしまってはとても鑑賞には至りません。
さらに理解しがたいのは、それほど伝えたいテーマがある作品になぜ「賛否両論」を目指す必要性があるのですか?ある一定の人々には完全な賛同、他の人には徹底的拒絶を求める「主張」とは一体何なのでしょうか?自分に伝えたいことがあるならなぜそんな手法を取る必要性があるのか?ピカソの絵は最初から彼が賛否両論を狙って描いたものですか?
私にはこの脚本家のドラマ作りの目的がどうしても何か自分が持っている独自の主張を伝えたい、ということにあるようには思えません。それよりもとにかく賛否が真っ二つに分かれるような表現方法で「話題を集め、視聴率を取り、自分に注目させる」ことにしか感じられません。そういう意味でそれは非常に下世話で低次元の目的であり、自然や人間の深淵な姿、芸術性とは程遠いところにある作品としか感じられません。ピカソの絵とは異次元ではないでしょうか?
最後にですが、非常に下世話なことですが、「排泄物」の描写がピカソの絵のようなものに、どういう理由で必要なのか教えて頂きたいと思います。
(長くなりすみません)
>ピカソの後期の絵のように、対象の特徴を誇張、変形、歪曲、簡略化、簡素化して作り手の主観を反映させる表現法・・・だと思うので、細かい整合性などを望んで見ると、がっかりしたり、こんなでたらめ、ひどすぎる・・・になってしまうと思います
ここで「ピカソ」を引用するってか。よくもそこまで恥をさらせるな。自分で自分が恥ずかしくならないか。
別の方もこう述べている。「具象画」のすべてを理解しているから、「抽象画」が描けると。心温まるホームコメディを一本でも書いていない、書けない人間が「主観を反映させる表現法」で「ハートフルヒューマンコメディ」を作ろうとしたから、こんな無様な結果になったんだ。
>後半には視聴者も彼の信念をだんだん理解していくようになり、向田邦子賞他かなりの賞をとった作品でした
提供クレジットから名前を外したスポンサーはほとんど帰ってこなかった。一時期、表向きは完全に「スポンサーなし」になった。民放では異常事態ではないのか。この点をどうコメントするだ、聞かせてくれ。
>・・・・なわけで、ピカソの泣く女、を見ての感想で、評価が分かれるのと同じ!
私的には、最後まで湯川ジェットコースターに乗せられてた感じで、上がったと思ったら急降下の繰り返しで、息つく間もなくゴール・・・一度も見逃さず、あっという間に終わった感じ・・でこれってやっぱり魅力的だった証拠かな、と思います
何で朝から家族揃って「デッサン力のない最低の落書き」を見せられなければならないんだ。それをピカソの抽象画にたとえるなんて、とことん恥知らずだな。
「湯川」って書くな!同姓の人の怒りを買うぞ!人の名前を間違うようなレベルなら、コメント載せるな!
「朝ドラ史上、いや、日本の放送文化史上、最低最悪のレベル、消しがたい汚点、信じがたい暴挙」というのが「私的感想」だ。
いや…皆さん水を差すようで申し訳ないんですが。
どう見ても、論ずるに値せず。なドラマですよね。
先の方のおっしゃる通り、自分もNHKがこの愚行を何処までやり続けるのかだけを監視している気分になってましたから。
手抜き作品に何かの意味を見出そうとしても虚しいだけだと思うんですよね。
笑える、星四つの人、久々のご登場なのにボコボコにされとるなあ。どうせボコボコにされるなら、星五つにしておけばよかったね。
応援している大先生の名前、間違っちゃったらアカンよ。
これって、一般常識中のジョーシキだから。
遊川を、湯川って書くような人間が、何を長々とピカソを引用して論じてるんだ?湯川って誰だ?知らないくせに知ったかぶりするな。
まあでも「一視聴者」さんは少なくともよくいる擁護派のように批判的意見の人を小馬鹿にしているようなところがなく純粋にご自分の思いを書かれてるのでそういう姿勢は全然悪くないのではないかと思いました。
ちょっと上から目線みたいな書き方ですみません。
「なんだかんだいいながら視る人が多かった。それはそれで成功ではないか」っていう擁護に対して。
「不良品でも売れればヒット商品」「いい商品でも売れなければガラクタ」とかいう悪徳企業の発想と同じではないですか?
ヤフーの意識調査では「純と愛」の満足度について0点~30点が6割超えてます。その中で0点が22%(断トツ1位)もあるんですよ。視聴率が10代後半にありながらこの満足度では、詐欺商品と言われても仕方ないと思います。
リコールで少し受信料下げてもらえないですかね。
「あまちゃん」「八重の桜」で楽しんでるので返せとまでは言えない私です。
星四つの人、まず全国の「湯川さん」に謝った方がいいんではないの。ちょっと下から目線でご忠告しました。
カメラが捉えている絵以上の広がりを空間的にも感情的にも全く感じないのは、一種異様な体験でした。ホテル、病室、純の部屋・・・すべてが個々に閉じていて、何の関連性も感じない。宮古の自然の中ですら無菌室のように感じました。非常に低クオリティのPCゲームをテキストと数シーンのCG画面だけで進めて行くのに近い感覚でした。
星四つの人、あなたが展開した「ピカソ論」について、長文をもって問い返している人がいる。
その人は頭ごなしにばかにしたり、汚い言葉を使ったりせず、真摯な姿勢で対応している。
なぜ、その人に答えないのか。きちんと返答するのが最低の礼儀ではないのか。
閉塞感ハンパ無かったですよね。
まるで街が存在せず、住民との会話が無い一本道シナリオのRPGを延々とプレイしてるかのような…
ピカソの絵になぞらえて意見を述べられている方は、とても真面目でちゃんとした大人の見識をもってらっしゃる方だと思います。
でも世の中には、ユカワさんのように心根のひねくれ曲がった人間は少なからず存在します。そうした人の考えを理解しようと努力しても不可能、関わらないのが一番。一般社会ではみんなそうすると思います。
一番の問題は視聴者の受信料で番組製作しているNHKが心根のひねくれ曲がった人を脚本に起用したということ。受信料を支払ってるかぎり無視できないから。
ここのサイトに批判意見が相次ぐのも、このドラマを観て少なからず残った胸の中のわだかまりを払拭したい人が大勢いるからだと思う。
NHK がそれなりの対応をしてくれない限り今後も気持ち悪いわだかまりを持ったまま生きていくのはつらいね。
これって人間にとって結構重要な問題ですよ。
>「あまちゃん」「八重の桜」で楽しんでるので・・
私もこの二つは何だかやたら安心した気持ちで楽しめています。
ん~、やっぱり純愛嫌いな人とは感性が似てる人多いかも・・・・
純と愛の分だけは迷惑料として返金してほしい
>一番の問題は視聴者の受信料で番組製作しているNHKが心根のひねくれ曲がった人を脚本に起用したということ。受信料を支払ってるかぎり無視できないから
全く同感です。誰がこの企画を発案し、どこまで決裁を取ったのか、企画検討会議でどのような意見があったのか、NHKは少なくもとそういう点を説明すべきではないかと思います。
「おーい、星四つの人、まだ、トイレにたてこもってるんかあ。あんまりそこにいるとますます臭くなるぞ、頭の中が」
(「コミカルなコメディタッチ」で呼びかけたつもりだけど、カチンときたらゴメンね。これって僕の「個性」だから)
みん感より
「待田家の人々のキャラは、現代に生きる人々を象徴していた」星5
あんなわけの分からん能力者が、なんで今の日本人の象徴だなんて言えるんかな?こんな意味不明な発言をするのは、頭の狂った信者特有の症状なのか?他人の本性が見える、他人が臭いと面と向かって言う、他人見ると耳鳴りがする、そんなキャラが実在するはずないし、居てはいけない変人だと思うんだけどな。
ほんと怖いわ、信者の狂言。みん感って、やたら信者が多くて気持ち悪い。
すみません!!
昼に投稿して今覗いたら、色々とご意見頂いてるようで、びっくりしました。
脚本家のお名前間違いは本当に失礼しました。ご指摘ありがとうございます。
なんだか、擁護派になってしまってるようですが、ただ単に自分の感想を書いただけなので、あまりにも深く突っ込まれると・・・自分で書いたものをもう一度自分で分析しないとだめになってしまいますね。
私もこの作品を全部崇拝するつもりもなければ、全否定するものでもない・・・者です。
映像作品に限らず、どんな素晴しいものでも全部の人が良いと思うわけではないし、どんなに自分が気に入らないものでも、それを良いと思う人もいる。
私自身、終盤にいくにつれ、はぐらかされたような展開に???だったので、このページを覗いたわけで・・・
まさしくジェットコースターだったなぁ・・・というのが正直なとこです。
でもこんなにも多くの方が意見を戦わせておられるのを見ると、それなりの存在感があったのは、さすが遊川さんかな?と思って自分なりに分析しただけなので、気を悪くされた方がおられたのなら、申し訳ありませんでした。
でも色々と好意的なご意見も頂き感謝です。
>なんだか、擁護派になってしまってるようですが、ただ単に自分の感想を書いただけなので、あまりにも深く突っ込まれると・・・自分で書いたものをもう一度自分で分析しないとだめになってしまいますね
これが大仰に展開した「ピカソ論」の答えなのですか。あきれるわ、本当に。
>自分で書いたものをもう一度自分で分析しないとだめになってしまいますね。
この部分は脚本家の大先生にも言ってもらいたなあ。最低、一回ぐらいは読み直した方がいいって。もう、手遅れだけど。
2013-04-14 12:42:25さん
純愛の悪夢を見た者です。
ほんとこのドラマ、悪意のかたまりですわ~…。
過激な描写で視聴率を上げるためなら全国に悪影響を与えても構わないというゲスなN〇Kを恨みます。半年間、視聴者を精神攻撃し続けた罪は大きいよ…
自分の意志でドラマの内容を思い出そうとしているわけではないのに、純愛を夢でも見てしまうなんて、もう最悪の経験。
その日は一日中ダメージを引きずっていました。
実生活の負担になる朝ドラって一体なんなのでしょ…
>自分で書いたものをもう一度自分で分析しないとだめになってしまいますね。
本当に勉強になります。数行のコメントにしろ、それなりの根拠と覚悟がなければ表現してはいけないって。ましてや全国ネットで放送される「朝ドラ」ともなれば、最大限の慎重さが求められるって。今回はそういう謙虚さがなかったんですね。
あと、すごく丁寧に私の感想にご意見くださった方に、この作品のテーマは?と聞かれたので、少し考えてみたのですが・・・
シンプルに「人は誰か、たった一人でも支えあう関係の人がいれば生きていける」(どうしようもなく不器用で、世の中からはみだしていた純と愛・・・それぞれ一人ではつぶれてしまってたキャラクターだったように思います)
そして、作者はそれだけにとどまらず、最後に「その大切なたった一人を失うことになったら、人は生きていけるか?」そんな命題を純に吹き込んだのかなぁ・・・と思ったりします。
「みんなを笑顔にしたい!それが私の幸せ」
といった究めてシンプルな生き方を選んだ主人公を、あえて「めげながらも最後は人々に愛され幸せになる」といった単純なストーリーにせず、おとぎ話の中では通用する展開が実際の世の中ではどんなに妨害や障害が多いか・・・そこで、主人公が何を選択してどう生きていくか・・・を描きたかったのかな・・・と思ったりします。
星四の方はこの状況の中で勇気のある感想を書いてくれたと思いますし、擁護をしたからといって反論はされるとしても責められるいわれはないです。もう少しおおらかに受け入れましょうよ。
ただ、「純と愛」および遊川氏への怒りはもはや妥協の余地はなく、私自身このドラマは遊川氏の術中などではなく詐欺まがいのものだと確信してます。
作品のテーマをいちいち、第三者に語ってもらはないと、視聴者に伝わらないというのが致命的なんじゃないですか。
ドラマ見た後、三時間ぐらい解説書読まなくてはいけないですかね。
そういう代物は「テレビドラマ」とは言わず、「教書」と呼ばれるものではなないでしょうか。
最終回が駄目さを語っていたと思う。
何もかもありきたりな言葉で、きれいごとだけ。
何一つ心に響いてこなかった。
仁などに出てきたような、何かしらオリジナリティある名言や言葉があればよかったのに。
その言葉にたどり着くまでの伏線やエピソードがいい加減。
最後をモノローグだけで閉めるのならよけいにそう思う。
途中までは、どれだけリアルさがなくてもキャラがころころ変わっても
薄っぺらくなっても、解決が急でもいいから
毎回騒動をとりあえずおこして引っ張る、みたいなやり方ばかりしてきたのに。
最後はベッタベタで古くて新興宗教のような上っ面のまとめセリフだけなんて
バランスが悪い。
脚本家がいかに高尚なテーマを持っていても、それが「ドラマ」を通して視聴者に伝わらなければ、「テーマなしのだめ作品」と言われても仕方ないよね。
ましてやそれが視聴者からの受信料で作られたとなると、大いに問題だ。
それに今回は「テーマなし」だけではなく、「嫌悪感誘発作品」だったから、ますます厳しく批判されている。
企画を採用する段階で徹底的に検討しなかった結果だと思う。
テーマは多分、一視聴者様の仰るとおりだと思いましたが、その表現方法がとても雑で幼稚だったがためにこんなに嫌われるドラマになってしまったんでしょうね。実際の世の中の妨害や障害の表現そのものにリアリティがなかったり、プロセスがいいかげんだったり。実際にうつや認知症や脳腫瘍、火事を体験された方があまりに無知な表現の為に嫌な思いをされたという感想も多々ありました。
どのテーマもそれ一つで一つの作品ができるほど深刻なものですからね。
自民党の鬼木誠議員が、NHKの受信料に対して「見ない人に選択の自由がない。テレビを持っていたら必ず徴収される。異例の課金システムだ」と発言したそうですね。このまま皆の望む展開になって欲しいのですが(笑)
国会議員の先生にお願いしたい。どういう基準で脚本家を選ぶのか、作品の水準はどういう基準で検討されるのか、衆議院予算委員会か何かで質問してもらいたい。
そういうことがはっきり分かれば、受信料だって快く払える。日本の放送文化を守るためにも、ぜひ、やってもらいたい。
あのう、結局、「ピカソ論争」はどうなったんでしょうか。
「純と愛」は「一般人が理解するには高度すぎる抽象画」ではなく、デッサン力が全然ない自称画家が書きなぐった「落書き」だったということで決着したんですか。
擁護派から有効な回答がない以上、「落書き」説が定説になると思いますが。
NHKの予算は国会で審議され承認されるらしいが、受信料を払っている国民が詳細を知ることは可能なのだろうか?純と愛に一体どれだけ受信料が投入されたかについては他のドラマとの比較も含めてぜひ知りたい。
NHKのドラマも次々に作られ、ほとんどは純と愛ほど酷いものでもないとは思うけれど、最近数が多すぎるようにも感じている。
特に朝ドラは期間も長いし、大河ドラマの次にドラマ部門の中では金を使っているのではないか?看板番組だけでも毎年どのくらいの出費をしているのかきちんと公表されているのか?
純と愛のような質の悪いドラマに莫大な受信料を浪費されているのを国民が黙っている必要はないと思う。
このドラマは内容的にも制作姿勢も前代未聞、まれに見る酷いものと感じた。公共放送としてのモラルも大いに問われる。完全に調子に乗って視聴者の嗜好を無視して作られた作品。
好感が持てた人は好いだろうけど、不快感と疑問しか感じない人間にとってはこれに受信料の一部を使われたことは納得できない。しかもNHKは公共放送と言いながら、ドラマの本当の視聴者による評価を隠ぺいし、独自の満足度調査も行っていないなんて、受信料を集めているのに視聴者を馬鹿にし過ぎ。
これまでこんな風に考えたこともなかったが、このドラマを機にNHKの視聴者は消費者としてもっとシビアになる必要があるということを思い知らされた。消費者が甘すぎるからこんなドラマが大手を振るって許されているとも言えるかもしれない。
2013-04-14 21:30:29 一視聴者 さん。
ピカソ云々に関してはよく解らないのですが、正直、こういったご意見は非常に珍しいですし貴重だと思います。
少なくとも盲目的狂信者ではないと伝わりました。
抽象画に対する感想としては、「面白い」とか「嫌い」とかいう以前に「わかる」「わからない」という段階があると思う。
「一視聴者」さんはそのつもりはないと言っているけれど、このドラマを抽象画に例えて「賛否両論」としている点で、「分かる人にしか分からない」「自分は面白いと思う」という擁護派のよくやるコメントと同じになっている。
まあ個人の意見は人それぞれでいいと思うが、少なくとも私は抽象画を観ていて「面白いかも」とか「よく分からない」と思ったことはあっても不快感や嫌悪感を感じたことは一度もない。
擁護派の人たちのコメントの多くは、この「不快感や嫌悪感」を完全スルーしているから、読んでいて不快にさせられる。
「一視聴者」さんは、批判派の多くが感じている「不快感や嫌悪感」についてはどう思っているのかな?
>自分で書いたものをもう一度自分で分析しないとだめになってしまいますね。
>この部分は脚本家の大先生にも言ってもらいたなあ。最低、一回ぐらいは読み直した方がいいって。もう、手遅れだけど。
朝から笑えた、上のやりとり。本当に手遅れだわなあ。スピンオフで脚本家交代になっちゃったんでしょ。
擁護派の諸氏、もっとここにコメしてよ。もっと、もっと楽しみたい。
>自分で書いたものをもう一度自分で分析しないとだめになってしまいますね。
これをNHKのスタッフのみなんさんへ贈る言葉にするとこうなる。
「大先生の書いたものでももう一度自分で分析しないとだめになってしまいますね」
そう、丸投げはアカンのよ。「分析、検討、再修正」は品質管理の基本なんだから。
まあ、いいじゃないの。
ピカソ云々のご本人はドラマを楽しく観たからここに書き込んだだけっていう旨を再投稿していることですから。
あまり攻め立てる必要もないのでは。
自分の意見が闇雲に消されないこと、それはここの良さでもあるのですが、行き過ぎると投稿者自身を追い込みがちになります。
安易に辻褄の合わないことや、人の気分を害するようなことを書けば反論もあること承知で書き込みしなくてはならないですが、反論する側ももう少し心の余裕が必要と思います。
「女王の教室」で提供クレジットからスポンサーが名前を外した時の担当者にインタビューしてもらいたい。
結構、厳しい状況にあったのではないかな。
「プロヘッショナル 仕事の流儀」で放映してもらいたい。
ついでに「純と愛」の企画を通した経過も放映してもらいたい。
>(テーマは)人は誰か、たった一人でも支えあう関係の人がいれば生きていける」(どうしようもなく不器用で、世の中からはみだしていた純と愛・・・それぞれ一人ではつぶれてしまってたキャラクターだったように思います)
一視聴者さんのこのご意見にああそうだったのかも、と感じました。私は一視聴者さんの最初のコメントの後に長文を書いた者ですが、これまでのこのドラマの擁護者とは違うとても丁寧で真摯な対応を一視聴者さんには感じています。このドラマを擁護される方でもただ批判者を馬鹿にして感情的に狂信するのではなくこのような方もいらしたことは嬉しいです。
で、テーマについてですが、私自身はおっしゃるような「テーマ」が、見続けていた時も今もドラマ自体からは全然わかりません。純と愛と言うカップルにお互いを支え合う本当の愛情を全く感じられないからです。純は本当に人のことを考えているとは思えない自己本意の理想実現のために愛に頼り、彼の能力を利用しているだけ、愛は自己の欲求を満たすために純に「そのままでいて」欲しいから純を助けているだけ。愛が体調をくずしても一番近くにいる純が、大手術が必要とされる脳腫瘍とわかるまで何も気づかない…こういう描写ではこの二人の間に夫婦愛など感じられませんでした。このドラマの描写から一視聴者さんがおっしゃるようなテーマを読み取れた人が一体どれだけいるのでしょうか?擁護者でさえ、ほとんどの人が漠然となにかすごいものがありそうだ、くらいにしか言えなかったのでは?
2013-04-14 23:02:14 名前無しさんがおっしゃるように表現方法が雑で幼稚過ぎたのが原因と思われます。
ドラマを作ってテーマを伝えたいなら、それが伝わるような表現方法が取れなければドラマを作る意味がありません。このドラマからテーマを一般人にわからせるのは無理があり過ぎる、ということです。ピカソの絵とは逆方向の、デッサンはじめ絵の基礎技術を全く学んでない者が、訳の分からない装飾物をくっつけまわして飾り立てたぐちゃぐちゃの絵のようにしか私には感じれませんでした。
又そういうテーマを伝えるために(しつこいですが)排泄物や暴力、いい加減な病気や社会問題の扱い方で人々に不快感を与えることがなぜ必要だったのかについてはやはり全く納得行きません。本当にそんなに伝えたいメッセージがあるなら、そんな無駄としか思えないことを何故したのでしょうか?これが分からない以上、このドラマはテーマを伝えることよりも単に人の気を引くことが目的のものづくりをする人間が作ったにしてはまことに品性を疑うもの、としか考えようがないのです。
(また長くなっちゃったな‥すみません。ピカソになりたい!!)
自己中どうしがくっついて支え合っても彼らは生きてはいけるかもしれない。でもそんなことしても生まれるのはさらにパワーアップした自己中。社会にとっては迷惑この上ない。
だから作者は最後に愛をあんな風にして、純を一人で生きて行くようにお仕置きしたのか?
その方が自己中人間をつるませるより社会にとってはまだマシ、ということ?
実はすごい倫理観の強いドラマだったりして?まさかね。
先週、職場のテレビで「あまちゃん」を放映している時のこと。
発車しそうな電車から、キョンキョンが娘の手を引っ張った場面。
観ている人たちから、拍手が起こった。
「そうだよねえ、これがまともなドラマだよねえ」と心から思った。
理屈なんかこねなくても、質の高いドラマなら、多くの人が共感を抱くものだ。
「純と愛」にそうした場面があったのか、教えてもらいたい。
あまちゃんを見てて感じるのは、脚本家の実に細かいところ・・例えばこの土地の人ならどういう反応をするか・・などに非常に神経を使い、研究していることがよく分かる。ヒロインの母や祖母には北三陸でも一部の地域出身の女性の性格の特徴をきちんとつかんで「らしさ」を出している。
そういう事が出来ているから、見てる方はいちいちいろいろ考えなくてもごく自然に受け入れられるのだ。
それが説得力のあるドラマを作る「職人」芸だと思う。コツコツと仕事を積む職人気質がなければ人々を感動させるドラマなんて出来っこない。
この脚本家は性格的にこの仕事には合ってないのではないか、と強く感じさせられたドラマ。
ピカソの比喩自体は面白いなと思いました。
「泣く女」はご存じ「ゲルニカ」の一部分をクローズアップしたものですが、遊川氏が若き日に負ったトラウマ=ゲルニカを、泣く女=純と愛という形で吐き出したようにも思えてきました。
とはいうものの、私も星はひとつですが。
自分は気分が悪くなったら、自分の家のトイレで吐き出すことにしている。
公共の場でそれをやったら、何を言われるか、分からないから。
この脚本家は自宅のトイレに駆け込む余裕がなかったのか、はたまた、元々、自宅のトイレと公共の場の区別ができていなかったのか。
分かりそうな方、教えてくれ。