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合計 | 1471件 |
読み | まっさん | |
放送局 | NHK | |
クール | 2014年10月期 | |
期間 | 2014-09-29 ~ 2015-03-28 | |
時間帯 | 月曜日 08:00 | |
出演 |
マッサンスペシャルを見ました。この先の予告ダイジェストもあって濃い内容でした。人生山あり谷あり、とスペシャルのナレーションが言ってましたが、まさにその通り。まだまだドラマが始まって1ヶ月ちょっと。ウイスキー作りに向けて、種を蒔いてる最中です。久々に面白いと思えた朝ドラなので、良い時も悪い時も活動期も停滞期も、全て見届けたいです。
このドラマは、固定的な視点は避けているように思います。例えば、人の情けを受け入れることができるのが普通だ、という描き方はしません。困った時に人の情けを受け入れることを自然にできる人もいれば、プライドがそれを許さない人もいる。エリーは前者でマッサンは後者。何が普通の価値観なのかを探るのではなく、価値観の違いをどう受け止めて行くのか、に焦点が置かれていると感じます。
人の価値観が変わるには、長い時間もしくは大きな環境の変化が必要。マッサンの場合、経済的な逼迫に加えエリーが病いに倒れるというダブルパンチが彼の意識に変化をもたらしたのでしょう。それまで突っぱねていた「人の情け」を受け入れた。自分の価値観に固執していたため気づけなかった何かに気づくことができたのは、私は成長だと感じます。
私にとってこのドラマがおもしろい点の一つは、固定観念について考えさせられることです。自分が普通だと思っていることが相手にとって必ずしも普通ではない。固定的な視点からは見えないことがあるということ。先週は主にマッサンの視点からそれを考えさせられました。今週は「触らぬ神に祟り無し」。人の情けを受け入れることと、他家の問題に介入するということはマッサンにとって別問題なのでしょう。優子の結婚話に首を突っ込もうとするエリーを止めた時から変わらないスタンス。ここは譲れないようですね。今週もそんなマッサンとエリーとの価値観のせめぎ合いがどのように描かれるのか楽しみです。
このドラマはステレオグラムのようなおもしろさがあると感じています。一見、平面的な画像なのに視点をずらして見ると奥行きのある立体画像が浮き出て来る。そんな風に楽しめる、私には相性の良いドラマです。
22:42:59さんに同意します。いいね投票権がないのが残念です。最近このサイトでよくみかける「同意します。」だけでは、ガイドライン違反ですので自分の注目した理由を付け加えますと、私も、病で困っている人に情けをかけるのと他家の家庭問題に頼まれもしないのに口出しをするのでは行動内容のレベルが違うと思うからです。そのため、今はマッサンの意見を支持しますが、今週のストーリーがどのように収束し自分の今の意見が変わるかは今週の放送内容次第ですので楽しみにしています。月曜日に先週放送内容との比較はできません。
朝ドラの醍醐味は半年間の放送期間だけど…
マッサンに限っては長すぎるのかもしれない。もしくはエリーがマッサンを懸命に支える姿に共感出来るように二人の絆、結ばれるまでをもっと丁寧に描くべきだったのかな?
マッサンが魅力的な人になれば視聴意欲ももっとわくんだけれど、今のところエリーと鴨居社長目当てに留まってます。玉山鉄二が格好よく見えないって逆に凄いw
マッサンのウイスキー造り早く見たいです。
私が22:42:59さんにいいねを投票しておきました。
毎週、喧嘩して仲直りの繰り返しでつまらないという意見をよくみますが、喧嘩ひとつひとつはそれぞれに違っています。同じところをグルグルとまわっているがだんだん上に上がっていく螺旋階段のよう。異国の違う価値観をもった二人がだんだんとわかり合い溶け合って絆を深めているようです。
笑えない、泣けない、感動も無いこの寒い人情喜劇がいつまで続くんでしょうか。
キャストにもストーリーにも魅力の無いドラマだと思います。
エリー最高
☆4から5にアップ!
楽しく観ています。
同じことの繰り返しって感想が多いですが、わたしはそう感じないですね。
それぞれのできごとでマッサンもエリーも感じていることが違います。
起こっていることや、行動だけ見ると同じに見えてしまうのかもしれないけれど、その都度気づく部分が必ず違う。
マッサンのあっちもこっちも八方ふさがりでストレスが溜まっていくのがよくわかります。
そしてそのマッサンをなんとかしようとするエリーが、一方で少しずつ日本の人々との距離を縮めていく。
ウイスキーとご飯炊きの時は2人で頑張っていましたが、今はマッサンがマイナスに向かうところをエリーがプラスに向かい、エリーが行き過ぎるところをマッサンが引き止める、みたいなお互いが逆方向に向かって進んでる。
そのあたりの描写が面白い。
上でも書かれていましたが、人間の行動はそうそう簡単に変わりゃしません。
すぐに変貌を遂げることは少ないです。
それを見せつけられると嫌な気持ちになるかもしれませんね(笑)。
最初からよくできた人、でないのがいい。
楽しい。
よくできたドラマだと思います。
病気の子供が本人の家にいて、エリーがホットトディを作って渡してあげるくらいだったら、マッサンも文句は言わなかったと思います。泊める必要はないと言ったのは、本人の説明ではエリーが病気になったら困るからだそうで、災いが振りかかる可能性を回避したいという思いからでしょう。そのリスクを取ってまでも、情けをかける必要はないというのがマッサンの考えなのでしょう。別に私は、情けを受け入れることと他家の問題とを対比させているのではないのですが(困惑)。
さて、スペインかぜは多数の死者を出した恐ろしい病気です。いくら医者の娘とはいえ所詮は資格を持っていない素人で、判断に誤りがあるかもしれません。ただの風邪であっても肺炎に発展するかもしれず侮れません。しかし、エリーはリスクを取ってまでして情けをかけることを選びました。
先週の諺に絡むエピは、リスクを取って情けをかけたことによって、手厚い情けが返ってくるという構成です。残念ながら、(かなり上の方がご指摘のように)他にこれといってエリーがご近所衆に情けをかけていたというエピがありません。チンドン屋のエピなど挟むのなら、こちらに注力すれば諺エピがぶ厚くなったのにと思います。
ということで、諺エピの基準になるのは、エリーのなした献身的看護とそのリスクで倒れてしまったことに対するご近所衆のお返しでしょう。ならば、ここから主にマッサン(エリーも一部)が学んだことは、単にプライドを捨てて人の情けを受け入れるということに留まるものではありません。情けをかけることで情けが返ってくるのだ、それはリスクを負うこともある…ということでありましょう。
そういう「成長」ではなかったのかと思うのですがね。
たしかに、今週のケースは明確に頼まれたものではないです。しかし、最初の段階では、エリーはマッサンと次のように会話したのに過ぎません。
「だいじょぶかなー」
「何が」
「幸子と由紀子さん」
「余計な事に首突っ込まんでくれよ」
まだエリーは何をするともしないとも、具体的なことはまったく言っていません。口出しをすると宣言したわけでもありません。この程度の心配そうなそぶりなら、気持ちの優しい人であればすることはあるでしょう。
それをマッサン、随分と気の早い先回りぶりではないですか。なぜ敏感に察知したかのごとく、ピシャリとお断りコメントになるのか。これは先般の看護と関連付けて考えるのが自然でしょう。「あんなことはもう懲り懲りだ」とでも思っているかのようなセリフです。確かに家族の病気はよくないことですが、そのおかげで分かったことがあるというエリーの話に肯いていたはずです。これでは、何を学んだのだろうかと思いたくもなる。
そこでエリーが、「困った時はお互さま、情けは人のためならず」と、あの時のことを思い出させようとしても効果がありません。
もしも、マッサンが情けをかける事の大切さは学んだが懸念もあるということなのであれば、一例ですが次のような会話になるのではないかと思います。「相手が嫌でなければ話を聞いてあげる、相談に乗るくらいはいいが、下手に深入りすると返って問題を悪化させることがあるから気をつけたほうがいいよ」といった内容のアドバイスです。
また、エリーとの対立を繰り返しながらも成長してきているのであれば、「日本ではこうだ」と一方的に教えてやるというような態度と論調から、そろそろ卒業してもよいのではないかとも思います。
視聴者それぞれの視点ごとに随分と違ったものに見えているようですし、多面的な創りになっていると思います。
360度どこから見てもとは言いませんが、いままで朝ドラを見なかったお父さん、お酒好き、惰性や習慣で見ているかたも、楽しんでいるようです。
幅広く支持を取れているドラマが成功に近いとしても、この狭い世界と少ない登場人物だけ、1回15分という中でよくもこんなにも多面的、立体的に描けている、と感心します。
また、人情とお節介のように紙一重のようなもの、夢と現実、男と女のような対比もうまい、面白いと思う。
これからもしばし、マッサンは自分の理想とするウィスキー作りができるまで、エリーはそんなマッサンをサポートし日本人になるまで、もがく日々が続くでしょうが、最後まで見続けたいです。
今日はエリーのスコットランドの回想シーンがすべて字幕スーパーでしたね。
やはり吹き替えがよほど評判が悪かったのか。
自然と素直に画面に引き込まれ、とても見やすくてよかったと思います。
エリーが静かに優しく話しかけ、自分と似た境遇であることを説明して幸子の共感を得、徐々に心を開かせていったのがいいですね。
お義母さんと仲良くしなくちゃだめだよ、なんてお説教めいたことを言わずに自分から心を開かせたのが。教会の歌声教室でも今は笑顔で歌を歌うようになって、表情が明るくなりました。
雪解けの近さが感じられて見てるこちらもほっこり温かな気分。
亡くなった自分の父親を思い出してひっそり涙するシーも切なかったし、エリーの包むような優しさが感じられて、いい回でした。
エリーの回想・・・
Can you get me a biscuit?
secret!
OK ダディ・・・(T_T)
亡き父とのやり取りに・・・
今日はなんだか、涙が止まらない15分間でした。
マッサン、頑張るんだよ!
こっちも俄然やる気が湧きましたぁ~p(^^)q
お母さんて呼んだら本当のお母さんが悲しむ…
子供らしい素直な答えにグッとこみ上げてきてしまいました。
亡くなったお父さんに会いたいか?のマッサンの
問いに、マッサンがいるから大丈夫のエリーの答えにも…。
朝イチのゲストにマチャミがいて面白かったのでよかった。
亡くなった家族の話には弱いので…。
マッサン、エリーの夢を早く叶えてあげてね。
伏線うんぬんとか考えること自体無駄だなと感じる今日の素晴らしさでした。
エリーとマッサンの生き様や学び、思考すべてがこの後の人生において糧になっていくのだろうと確信しました。
幸子の思いが伝わる自然な演技、包容力溢れるエリーのしぐさや表情、胸に染み入るようなセリフ。とても見応えがありました。
マッサンは未熟でもなんでもない、エリーのおせっかいを止めるのは当然だと思う。英語や歌を教えるだけじゃなく、キンパツ先生になってるのがよくわかる。これがドラマだからうまくいくけど、実際そうならないことが多いから、いつも冷めた目で見てしまう。
マッサンもエリーも北海道ではかなりの社会貢献をするんですよね?
今の状態は、特にマッサンは大阪のおばちゃん達から
溢れるほどの人情洗礼を受けているところ(笑)
エリーは、元々キリスト教徒として汝の隣人を愛し助けている。
マッサンには『触らぬ神に祟りなし』なのに、、。
この対比の見事さが、ドラマのウリなのかと思う。
やがてマッサンも、どこを触って行けば良いのか
気が付き大きな男に成長して地域の為に貢献し。
エリーの隣人愛が、あのウイスキーの事情に詳しい
大家の心も動かすのだろうかと思います。
今のだめだめマッサンが描かれないと、後のマッサンもないかな?
初めから人間が出来ていたら、住吉酒造を損させないで
ウイスキー作りに着手する方法を思い付いてそうだし(笑)
辞めても鴨居社長のとこにすぐスライド出来るような算段も
抜かりなくやってそうだし。
不器用で、ウイスキーの事で頭が一杯のエリー大好きマッサン!
なんだと思います。
広島県人の情の厚さも、描いてくれてますよね。
>起こっていることや、行動だけ見ると同じに見えてしまうのかもしれないけれど、その都度気づく部分が必ず違う。
その都度気づく部分が違うなんて、そんなことは当たり前ですよね。人間だれだってそうです。場面が違えば感じること気づくことも違うでしょう。
でもその表現の仕方がいつもワンパターンで工夫がないと感じる方が多いのだと思います。
脚本家や演出家もプロなんですから、あまりにベタといわれる手法だけでなく、独自の表現を見せてほしいですね。
首を突っ込むなというマッサン
皿洗いで疲れていると文句を言いながらも
子供のお世話をしていましたね。
なんか、ちょっとほのぼのしました。
今日最後に出た人は誰でしょうか?
エリーの日本語と幸子ちゃんのボソボソ喋ってるので聞きずらくて。回想シーンは字幕になって良かったけど
今さら感が強くなっちゃってて、最初から時系列で観たかったです。
父親のシーンを時系列にしたら
マッサンと出会う前の時からの話になっちゃうよ?
今日の話はいい話だったけど、それだけ。
私は一度見たらもういいや、って感じで朝の2回目は視聴しませんでした。好きな朝ドラなら絶対続けて見るのに。
「マッサン」ってそういうドラマなんですよ。
普通に面白かったり、いいお話もあるのに、心にグッと来ない。
何人かの方も書いていたけれど、次も見たい、という強い視聴意欲を掻き立てられないんです。
結局このまま最後まで見ちゃうとは思うんですけどね(苦笑)
>すごいなぁ…。今日のような心がホッとほぐれ、じんわりする話にも冷めた目線を送る人は揺るがないのかぁ…。
このドラマは史実以外のことが無理やりだっていう感想がありましたが私もそう思って見てます。幸子はエリーに言われて継母に心を開くのではなく、母子関係で納得のいく展開をみたい。エリーの介入で今週はそうなるのかもしれないのだけど、そういうおせっかいな展開に無理を感じてしまうのです。私自身がクールなつきあいしかできないのでそう感じるのかも知れません。
私は史実を知らないので、テレビ小説としてすごく楽しませてもらっています。すごく良質な作品だと感心しています。
マッサン、エリーは若いせいもあってか至らない所はたくさんあるけれど、表裏が無く、素直な所が人を惹きつける魅力でしょうか。周りの人を笑顔にさせる二人の奮闘ぶりがいいですね。
時系列で、スコットランド編からして貰ってたら、その時にエリーの父親のことも自然に絡めて貰ったら違和感なく見れます。今頃、突然出て来られてもって感じなんです。
>今頃、突然出て来られてもって感じなんです。
もう少し柔軟に見てもいいんじゃないでしょうか?
亡くなった母親に恋焦がれ
父親からおねえちゃんなんだからと言われている
幸子を見て
お姉ちゃんなんだからと母親に言われ
それをフォローしてくれていた亡くなった父親を
思い出したという設定ですし
スコットランドでも父親は回想シーンになるのなら
どこで回想しても同じかと思いますけどね。
すみません、個人の感想なので人それぞれ感じ方や捉え方があって普通ではないでしょうか。
朝ドラの手法として、週明けに問題が発生視聴者をビックリさせて
週末に見事解決!その間にいろんなエピが絡んでくると
それが定着し始めていて、マッサンのユルユルがつまらないと
そんな感じなのかと思います。
特に前作はビックリの連続で見せる脚本家さん
前々回はエピの繋ぎ方の上手さでお落とすのが上手な方
今回の方は、コツコツと積み上げて行く方かと?
ビックリエピの連続でドキドキもしないし、ヒロインの突飛な
行動に大笑いもない。
ジワジワと二人の成長を描く昔ながらの人情ドラマ
何か酷い悪人のいない『あかんたれ』のような(再放送で視聴)
長いスパンでの一代記なのかと? 大阪編では特に感じてしまいます。
二人の出会いとか、ウイスキーの研修が
時系列じゃなく回想というのがなじめないという
感覚は理解できますけど
時系列のスコットランド編で
父親を回想するのがよくて
日本で回想するのが違和感というのが
不思議だなと思って・・
私もいきなりエリーの父親が回想シーンで登場したのはちょっと唐突、というか、いまさら感を覚えました。
これまでのスコットランドの家族の回想では、大好きな母親を捨ててまで日本へ来る葛藤のシーンと、叔父とかいう人が日本人の政春にスコッチなど作れるはずがない、と二人の交際を反対するシーンしか印象になく、父親に関してはただ医者だったということが台詞で出てきただけのような気がします。回想シーンを見るたびになぜ父親が出てこないのだろうと不思議に思った記憶があるので、いまさら家族の写真を見て亡き父親を思い出すシーンを見せられても、なんだかなぁ、という感じ。これまで故郷の母親を想って涙することはあっても父親を想うシーンなんて一回もなかったのですから唐突感を覚えても仕方ない気はします。今日の幸子の境遇と無理やりこじつけた感じですね。
ついでにナツちゃんに折り紙しながら英語を教えたマッサンだけど、「お水一杯」はふつう
a cup of waterではなくて a glass of waterです。
基本中の基本なのに留学経験が生きてなくて残念でした。
ありがとうございます。私の言いたい事詳しく書いて下さって、まさしくその通りです。
過去の回想シーンで父親のことが出ていたら
違和感がなかったということですよね?
だったらそれって
時系列じゃないからは関係ないのでは?
今まで父親のことが触れられてなかったから唐突に感じるの。
それなら、理解できます。
うわあ、さっき書いたじんわりのコメがもう削除されていることに驚きですが。
冷めた目線が悪いとは言ってないつもり、興味がある勉強になると言ったのも素直な感情だったのに兎角ムズカシイものです。
話変わって。
上のかたの、酷い悪人のいない「あかんたれ」には笑わせてもらいました。
本当にその通りですね。(私も再放送で見ました)
まさにその辺りが古くて新しいと私は買っているのですが、コツコツ苦労を積み上げる一代記は例えば韓ドラなんかには未だによくあるけど、日本のドラマではもうあまり受け入れられないのが現状なんでしょうかね。
だから私的には、時系列でそこに父親のことも自然に絡ませて欲かったんです、唐突感が薄れるから。
ちょっとしつこくないですか?
もう終わりにして頂いてよろしいでしょうか。
折り紙のコップだからあえて cup of water なのかもしれないですよ。
ネイティヴの方など詳しい方にお聞きしたいところですが。
台本の英語考証はドラマの性格上しっかりされていると思うけどな。
私は、最初に視聴者にエリーやマッサンのプロフィール、家族構成等をすべて公開した上でストーリーを進めていくなんて、何のひねりもドラマとしての醍醐味も無くて嫌です。だいたい、じゃあエリーとマッサンが生まれた所から始めればいいのか、それでも足らず、父母のなれそめから...?きりがありません。私はマッサンとエリーが二人で生きていこうと決意したあの時からのスタートに、すごく新鮮な印象を持ちました。
何か困難な事が起こった時に自分の経験と重ね合わせて共感することのできる感受性の豊かさが、ドラマの中にからじわじわと感じられて、好感を持って見ています。
↑の方
多分、私も新聞紙の紙コップだから敢えてカップと言ったのだと思いますが、英語で水を入れるコップはglassですからね。
学校のテストでcupと書けば間違いになります。
エリーとマッサンの子供時代まではいらないけど、せめて二人の出会いのころからスコットランド編として描いてくれた方が視聴者としてはわかりやすいし馴染みやすかった気はしますね。
そうすれば政春がスコットランドに留学して異国でウィスキーづくりを学ぶ苦労も断片的でなく描かれて説得力のあるものになったと思うので。それに異国人である二人がグングン惹かれ合っていくシーンだって見たかったし、せっかくのスコットランドの風景が断片的な回想だけなんていうのももったいない気がしますし。
最近のぐずぐずマッサンをこんなに長く描くなら、スコットランド編を作ってくれた方がよかったのに、と思います。
父親を回想するシーンは、直前にマッサンの台詞「エリーも会いたいか?亡くなったパパに」エリー「大丈夫。私にはマッサンがいるから。」という会話があります。このやりとりがきっかけですし、両親のうち母親を亡くした幸子に感情移入しているエリーが、同じように亡くした自分の一方の親(父親)のことを突然懐かしく思っても自然だと思います。しかも、「人生は冒険」と教えてくれたのは父親で、そのことばにエリーが改めて励まされたというのですから、私はただ感動するだけでした。
>すごいなぁ…。今日のような心がホッとほぐれ、じんわりする話にも冷めた目線を送る人は揺るがないのかぁ…。
このコメントが削除されたというのはお気の毒な気もしますが、書いたご本人に悪意がなくても書かれたほうは嫌味や皮肉に受け取れると思います。私ももし自分だったらいやですね。
今日はなかなかよかったと思います。
でも、本筋からはやっぱり離れていますよね。
きっと幸子と継母の関係修復にエリーが一役買うのがのちの展開に影響してくるんでしょうけど(そうでなければ全くの無駄なエピになってしまいますから)、そうなるともうお金持ちの野々村さんが政春に資金援助か、と予想がついてしまう。
なんか面白みに欠けますね。
たまには意表をついた展開とかないんでしょうか。
水をください~という時に、glass of waterと言うのであって、
これは決まり文句だけど。
実際に、コーヒーカップの様なものに水が入ってる状況とか、または見るからにグラスよりカップっぽいものを手にしてて、それをcup of water って云い現わしたならそれは別段間違いではないと思います?
私も今日の父親の回想シーンはよかったと思いました。
大事に育てられても、親から愛されても
姉妹の複雑な思いはやっぱりあるんだなあ。
まあ仕方ないことなんだけど
子供のころはちょっと辛かったりするんだよね。
比較的新しいドラマの手法だと思いますが、あえて時系列で一直線には見せず、視聴者から見て伏線回収的に過去のエピソードを挿入する演出がありますね。編集の妙というところでしょうか。
一見古めかしく見えるマッサンですが、物語の構成はこういった最近のトレンドを意欲的に組み込んだ所などが古くて新しい21世紀の人情喜劇だと思っておもしろく見ています。
今作はちょっと批判的に書くとすごい反論にあいますね。前作はその逆だったような。
父親のことが今さらながらも出てきたのはうれしく思いましたが、幸子の境遇に絡めてるのはどうかなぁって感じでした。
赤い鳥小鳥の歌が大正っぽくていいなあ。
水の入っている容器によって表現が異なります。
グラスに入っている水なら a glass of water
カップなら a cup of water
ピッチャーなら a pitcher of water
鉢なら a bowl of water
などなど。
マッサンが作ったのは紙コップなので
a cup of water で合ってます。
時系列でやったら、序盤は吹き替えor字幕オンリーになるし、ロケが長すぎて予算大変だし(ただでさえ余市はロケ多いのですから)…。
ドラマ制作も普通のお仕事と同じ、そんなに何でもかんでも思い通りにはならない中作っているのではないでしょうか?
お父さんのシーン、
「パパはドクターで忙しかったけど家族の時間は大事にした」
「仕事の手伝いをしていたから看護の知識がある」
など、何度も台詞で出てきているので、私は違和感はなかったです^^
マッサンが「他家にあまり干渉すべきでない」と考えているのは、育った環境、なのかも。広いおうちでしたし、大阪の家のように密集して窓も開けっぱなし、というのとは距離感が違う。
登場人物の性格や環境が都度対比され、それが影響しあっていく、というのが見ていて面白いです。
>マッサンが作ったのは紙コップなので
a cup of water で合ってます。
cupというのは一般に取っ手があって温かい飲み物を入れるもの。
glassというのは一般に取っ手がなくて冷たい飲み物を入れるものです。
マッサンが新聞紙で作ったのは当然、取っ手がない、日本語でのいわゆるコップです。
やっぱりglassなのでは?
それに子供に初めて英語を教えるなら、a glass of water という学校で習う一般的表現を教えるべきだと思います。
cupでもglassでもどちらでも良いと思いますが(笑)
自分としては湯のみのようなものを想像しました。
紙コップはPaper cup
だからcupが正しいのでは?
まあどっちでもいいと思うけど
マッサンと妹のやり取りは
なんかほのぼのして良かったし。
glassじゃなきゃ駄目という人いるけど、”一杯の水”として会話に登場する時の言葉のみでの表現ならそうかもしれないけど
取っ手があろうが無かろうがなにかしら入れ物に入った水が現に目の前にあり、それを指して言うときはどっちでもいいと思う。
異国に来てまだまだ自分のことで精いっぱいなはずだけど、エリーだからこそ幸子の気持ちに寄り添える。そんなやり取りに感動しつつこちらにきてびっくり((((;゜Д゜)))
まさかの紙コップ論争w日本は平和ですね(笑)
晩年のリタさんに向けて少しずつ動き出したように思います。
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