今日は感想ゆっくり書けないのでこちらに(^_^;)
かよ役の黒木華さん、地主役の竹山さんが良かったずら(笑)
蓮子さま、冬子がちょっとかわいそう。
栄養を考えることも大事だけど楽しく食べる事も食育として大切だよ~。
美輪さんのナレーションええやんか
演技の邪魔かな?
藤村志保さんは滑舌悪かったよ
蓮子さんの家族教育。私もちょっとなぁと思いました。
伝助さんは今のところけっこう理解もありそうだけど、あんなだと女中からも疎まれるし、本当に家族の中で浮いてしまいそう。
蓮子さん、相手を立てるってことを知らないんですよね。
子どもの前で父親に恥をかかせても正しいものは正しい
まあ娘はともかく
25も年上の人を今更しつけようとするのもいかがなものか。
自分のやり方が間違ってると気が付く日が来るんでしょうか?
それとも,娘や女中からも疎まれて居場所のないかわいそうな蓮子様の流れですすむのかなあ?
花のリボンや着物は誰が買ってくれているのか、不思議でたまらない。
寝食は困らないけれどさすがに着物は自前ですよね?
アンのゆりかごでは
目をかけてくれる先輩が
自分のお下がりを上げていたんですけどね。
どうせアンネタ使うならリボンのお下がりをもらうなんて細かいとこまでやればいいのに。
基本美輪さんは好き。
でもこのナレはよけいなことまで言う感じがする時があって、そんな時は美輪さんの声がおせっかいオバサンみたいに聞こえる。
大河の藤村さんのナレはよかったよ。どういう経緯にせよアナウンサーの味気ないナレに変わってしまって作品が軽っぽくなっちゃった。
このドラマだって美輪さんの味が生きてるからいいのであって無味乾燥だったらつまらない。ごきげんよう、さようなら、だってその日の展開によって微妙にトーンが違って面白い。
でもごきげんよう、さようならがすごく良く聞こえる時と、さすがになんだかわざとらしくしつこい、って感じる日が出て来てしまった。ナレひとつでもむずかしいよね。
最初の頃に醍醐さんが花にリボンをあげる場面がありましたが、毎回着物までいただいてる訳ではないでしょうね。
かよちゃんの工場の友人、さっちゃんは胸の病?
失礼ですが感染してないか心配です。
着物はお裁縫の授業で縫うのでしょうね。
茂木先生はお裁縫の先生だから、先生からもお下がりをもらえるんじゃないの?
ここのところ花子の着物もリボンも格段にグレードアップ。
まだ働いてもいないのになぜ?って感じる人がいても当然だと思う。自分は大人になった、
くらいでそう気にはならなかったけど。
そのあたりはやはり考えて作らないとね。先輩からもらってる場面作るとか。
勝手にこのドラマやヒロインに都合よく想像して好意的に解釈できる人ばかりじゃないんだし。
先生が特定の子にお下がりあげる、なんてあまり考えられないし茂木先生の地味な着物じゃいくらなんでもかわいそう。着物って意外と年齢制限みたいな不文律あるからね。裁縫の時間に縫うと言ったって反物までは用意してくれないだろうし。
じゃあはなの学用品や教材費や衣類はどうしてるの?
最近、はな緑色みたいな着物きてなかったけ?
赤い着物と小汚い色の着物は見たことがある。
新聞のコラムで卒業式のシーンは記者が感動したとでていましたが
週末はここでも「感動した」「号泣した」とでるのでしょうね。
私には歯が浮くようなコメントでたぶん苦笑いするでしょう。
先週の土曜日のはなの話。(2年位前?)
「高等科へ進み、家へ仕送りをしながら、勉強を続けたい・・・」と
言ってるので少しは収入が有るのでしょう。
気が付いて下さいよ~、流し見の皆さん!。
花ばっかり、脳天気な悪者になっちゃう。
あのグリーンの着物は白鳥様のお下がりということも考えられる。
生活に必要なものはおとうが少しは出してくれたんでしょうね。
あんなにかわいがっていたんだから。
派の浮くコメントで苦笑いしても、ドラマを見てくれればいいのです。
「感動」「号泣」楽しみです。
さてハナは編集アルバイトのお給金を使ってないように思いますので、多少は服飾とか買ったのではないでしょうか。
昨日はなは下級生に英語を教えてるようなシーンが出ていましたが、それがアルバイトなんでしょうか?
今で言えば講師、準教授?。
そこまで偉そうじゃないか。
どちらにしても、薄給。。
たいしたもん買えん。
なるほど、その線もあるかも。
けどせいぜい色違いくらいで、ものは良くないのでしょう。
勝手に空想の翼を広げてひたすら好意的に見れる人だけはものすごく楽しめるドラマ、
って気がして来た。白鳥様から頂いた着物?小さい人たち教えて収入?そんなこと都合よく想像できひんわ(笑)
原案では先輩だか友達から着物をもらってたと書いてあったし、卒業後は山梨の東洋英和で教師をやったいたのだから、想像の翼を勝手に広げて書いてるわけじゃないよ。
原案にあったって、ドラマに出てこなきゃないのと同じでしょう。
あくまでも原案でしょ?フィクションでしょ?
都合いいとこだけフィクションって言ったり、原案って言ったりするのは違うんじゃないのかな。
そう、なんの説明なしに新しい着物がでると不自然、なぜなら、花には買うことができない身分なのだからさ。こういうのドラマのなかで見せて説明してよ、ナレだけの説明でもいい、とにかく説明より省略しすぎるんだよ、自分たちで脳内補充しろだなんて言うなよ。
このドラマに今だ興味をもてないで見ている人たちにとっては不満がでるのは当然ですって。視聴者に親切じゃないぞ、これが荒さなんだよ。
うーん何かここにはいられない。
ごきげんようさようなら
ごきげんよう。
バイトのお給金で買ったも貰ったも脳内補完ですか・・・。
っていうより「数年間着物一枚だけだったに違いない」
と考える方が、かなり補完な気もします。
緑色の着物が新品かどうかもわかりませんし。
>うーん何かここにはいられない。
ごきげんようさようなら
気にしないで見てたら!。
元々ここは、、だいたいなんでもOKなんだから、
ほとんど見てない人も、想像力少ない人も、しらけてる人も。
みんな、あつまれって感じだ、気にしない、気にしない。
民放のドラマでも、お給料いくら貰ってるの?っていうのありましたよねぇ。
住んでるてことか、身につけてるもの生活レベルが高すぎるっての。
まぁ、ドラマだし〜で流して見てますけど朝ドラとなると、そうはいかない?
このドラマは明治の時代、貧困層に生まれながらも苦労して勉強してやがて敵国語になる英語の翻訳をこれまた戦時下苦労して続けて世の子ども達に名作を届けた方のお話なんだから貧乏な暮らしの描写は手抜きナシでやってたようなんだけど、、、。今だにみんな顔洗ってないし(笑)
かよが「ふかふかのお布団で寝れる!」と喜んでいた割に花のお衣装には何にも触れて来なかったのはワザと知らんぷりというか、まっいっか勝手に想像してもらいましょってとこなのかな。帰省の時の醍醐さんの借り物は説明あったし。作者が必要と思った時だけー何かエピぶっこみたい時だけはちゃんと説明いれるんだろーな。そういうとこが嫌。
勝手に予想してみました。
というか、願望です。
蓮子さんが、将来かけおちする相手が、成長した兄やんだとイイなぁ。
綺麗な賀来賢人くんの姿が見たいです。
もう吉高花ちゃんの、お相手は、村岡さんで決定だと思うので、せめて蓮子さんは、かなり、フィクションにして。
だけど、そしたら、やっぱり、花ちゃんカップルより、蓮子さんと兄やんの方が美男美女カップルで、またまた、目立っちゃうかなぁ。
>うーん何かここにはいられない。
ごきげんようさようなら
そんなこといってもまた来たくなっちゃうんだから
好きにしてくれ。
ここにはいられない、とか去る、とか宣言する人っているけど
なんで?
わざわざ言わなくてもいいことで去りたきゃ黙って去ればいいし
来たきゃまた来ればいいだけのことと思うけど。ここにずっといる人も
いるのにさ。それも結局すごい意思表示なんでしょ?
自分の思い通りにならないのなんてどこ行っても同じだと思うよ。
はい、このドラマこそご都合主義って言葉がけっこう当てはまる
ように感じてますよ。いろいろ。
ご都合に合わせられる人は楽しいけど皆が皆誰かのご都合には
合わせられない、ってのは感想サイトと同じ。
ドラマは視聴者皆のご都合の方に合わせてくれなきゃ。
それも、それぞれの捉え方の違いでしょ。
皆が満足するドラマなんて 無いよ。
皆が皆満足、なんてこと言ってないよ。
好き嫌いがあるのは当然だから。
作者のご都合でいろいろ省いたり、丁寧に描かないで見てる人
それぞれの想像に頼る、みたいなのはダメドラマだってこと。
少なくとも多くの人がなんで?って話の運びやキャラ設定なんかで
疑問を感じるようなことが多いのは満足するかしないか、なんていう
以前の事。
疑問を感じない人は別に楽しめばいい。
このドラマに関しては最近になって疑問を感じることがだんだん
多くなっている。
第一週はよかったんだけどな。
生活レベルが一般的な現代のドラマなら、いろいろな服着ていてもそうそう気にはならない。
だいたい見たことある服を着回すこともあるし。
だけれど、あの時代で、さらには実家の家族はいつも同じ着物で、ボロボロで、はなだって寮に入ってからも地味な着物着ていた。
大きくなってからもずっと地味な着物。
それが、一度帰省したあたりから少しいい着物着るようになったのね。醍醐さんの借り物じゃなくて。
そこにお下がりをもらうようなエピソードも説明もなければ、そりゃ見ていて不思議にもなる。
お下がりもらったのかなー?って保管するのは親切すぎるかな。
ずっと同じ着物だったあたりからも、醍醐さんがリボンをくれたのはお下がりをもらうというのとは繋がらないと思うし。
かよや、他の家族との対比がしたいならよけいに、はなが無意味に綺麗な着物になるのはどうかとも思う。
ドラマ見ていて脳内補完してもいいところもあると思うけど、そういう大切なところに脳内補完が必要すぎるのは、見ていて萎えるよ。
私は美輪さんのナレーションは絵本の語り口のようで好きです
だから花はこう思いましたとかになってるのかな-と思って聞いてます
でも美輪さんじゃなかったら私も説明しすぎーって思って
イラッとしちゃったかもしれないです
私は花ちゃんはまだ学生さんで子供だから贔屓目で見てますね
子供に関してはなにがなんでも擁護に近いかもしれないです
でも脚本がよくないとかの意見を見てもそうかもとかなるほどねとか思います
自分に都合よく見てる自覚があるおかげでドラマとここのサイトと
両方楽しめてます
今日は地主さんのところからふじさんがとっとと帰っちゃったときは
「やっぱり顔かー、ふじさんって絶対面食いだよ、優先順位が顔なんだよ」
って意地悪な事を言い合いながら(職場の人と)楽しみました
ちなみに脳内補完って普通に日常で使われている言葉ですか?
私は今まで使った事がなかったけどなんか使ってみたくなりました
議論と雑談はこちらも本家と似た感じになってきて、主流は「今回ダメダメ」って感じでしょうか。
みんな頑張ってるように思うし、個人的には面白く見てます。
「少なくとも多くの人がなんで?」と思うであろうことが当たり前な感じですが、それは誰も「正」と言えないのでは?
自分の感想とこのサイトの流れがそんな感じだからっていっても、それすべてじゃないし、どこかでは逆みたいだし。
こういうサイトではある意味言い切ったもの勝ちになりやすいけど、よく考えれば「たくさんの人が楽しく見ている」というコメントと内容の信憑性は同じだと思うんですが。
脳内補完という言葉、私は前作の感想サイトで覚えました(笑)
私も前作はいろいろツッコミどころがありすぎて、細かいことまで指摘するたびに、脳内補完が足りない、行間を読め、とお叱りを受けました。ここ数日のこのサイトを見るたびにそんなことを思い出します。どんなドラマも好き嫌いがあるのは当然だし、好きでない作品はどうしても厳しめに見てしまうし、好きな作品なら甘めに見てしまう。人間ってそんなものですよね。
今日初めて、夜遅くまで勉強して
母親が驚いているシーンがありましたね。
今までは徹夜したのは、脚本を書く時だけ
後は好きな本を読み、わからない単語がると
図書館に走っていくシーンくらいでしたか
今までなぜ勉強を頑張っているシーンを出さなかったんでしょうね?
↑ 別にいいんじゃないのかな。
はなが勉強に励むシーンが足りないと仰る方も大勢いるけれど、この程度の描写で十分と感じる人もまた大勢いると思いますよ。
私は後者。ああ、やっぱりはなは頑張ってたんだなぁと素直に納得してます。
〉好きでない作品はどうしても厳しめに見てしまうし、好きな作品なら甘めに見てしまう。人間ってそんなものですよね。
確かにそんなものだと思います(*^^*)
思わず頷いちゃいました。
ただ私の場合、厳しめにみるとか、甘めとかじゃなくて、好きと意識する前に自然と脳内補完?が出来ちゃうドラマは後になってこのドラマ好きだなぁと意識するようになり、見逃すまいと気にかけるようになります。
逆になぜか、突っ込んでばかりで脳内補完出来ないドラマは観る事を続けられないか突っ込みながらも観続けています。花アンは後者。
厳しめに観てるつもりはないのだけれど、自然と脳内補完が出来ない(出来ないじゃなくてしないかな)ので好きではないのかなと思いながらも、花アンは見逃すまいと気にかけています。
あら、不思議。で、そういうトコが花アンの魅力かな(笑)
そうそう、理屈は好き嫌いの後についてくる。
本スレでは、中途半端なサゲがほとんどだけど。
ドラマ楽しんでる人は満足してるんで、
感想書く気にもなんないのかね~。
そんなもんだろな。
前作板見れば一目瞭然、やり過ぎてサイト価値を落としてる
その余波が今作までポイゾニングってとこ
今作を好む方々は平和主義っぽいから対抗する気ないみたいだし
それならそれでいいやってところで諦めてる感じ、そのうち止むでしょ
なんだろ。
否定的な意見を見るとまるで誹謗中傷を受けてるようなこと書く人っているよね。
今作は誹謗中傷に当たるコメント全然ないよ?
単に自分は面白くないとか、ここが気になるとか普通の感想ばかり。
前作と比べるなら、前作はそれを超えたひどい誹謗中傷コメントあった。それでも割合穏やかに流してる人たちが多くて、ごちそうさん好きな人は大人だなってよく思ってました。
誹謗中傷じゃないから好きで見てる人たちも自分は面白いよって書いてるだけ。
誹謗中傷は許せないけど、ドラマなんて好きじゃない人がいても当たり前だと思うよ。
被害者意識が強いコメントは、それこそ普通に楽しんでるファンの価値まで下げるのでやめていただきたい。
>ドラマ楽しんでる人は満足してるんで、
感想書く気にもなんないのかね~。
楽しんでいる人は楽しいっていう感想ちゃんと書いてると思いますよ。ただ、好きな人の多くは自然と脳内補完できるから理屈っぽく書かないだけ。べつに批判的意見に対してもそのまま納得しているわけじゃなくて、読み流しているんじゃないですか。
だって自分が楽しいならそれでいいんだから。自分の考えと違った意見が出ても、そう感じる人はそれで仕方ないものね。みんながみんな論争好きなわけじゃないよ。
まぁまぁ、かおる子さまに有終の美を飾ってもらったからもういいよw
職業婦人が珍しい時代に、ハナと醍醐の「あっさり」就職先が決まったことにビックリ。 結婚が主流で、女性が働くことが少ない時代のドラマでしょう?
現実、現代の就職難より恵まれているのではないですか?
予告を見て、屋根を歩く場面。「赤毛のアン」にありました。
このようにアンを多用するなら、ドラマのタイトルを「和製赤毛のアン」に改めてほしいです。
ハナは、アンでも、翻訳された人物でもなく、架空のヒロインですから。
≫好きでない作品はどうしても厳しめに見てしまうし、好きな作品なら甘めに見てしまう。人間ってそんなものですよね。
そんな人間ばかりじゃありません。
好きでないものは見なくなるのが普通でしょう。嫌いなものを厳しく見るってあり?
アンシリーズとは違い
アンのゆりかごはあんまりおもしろい話でもないので
アンネタちりばめ、面白くしようとしたんですかね?
年取った花が赤毛のアンの原作を読みながら
私と似てるなんて言うシーンが登場しましたが
ギルバートは朝市によくにてるとか
石版でたたいたシーン
塀を歩くシーンを読んでも、あっ似てる
と思わないとおかしいですよね。
戦争が始まったら、
戦争に行ったアンの息子を駅で待ち続ける話(カナダ版忠犬ハチ公)まで登場しそうですね。
好き嫌いで甘く見るか厳しく見るか、なんていうのも人それぞれ。
どれも同じように期待して見ながら、ドラマの作り方としてへんだな、と感じて好き嫌いとはまた違うところで批判的なことを言う場合だってあるよ。ツッコむから嫌い、というのとはまた違うのに自分がそうだから人もそうだ、と考えること自体がおかしい。
細かいところが気になるかそうでないかは全体的に見てそういう細かいところが全体に影響してしまっているかどうか、が問題なのであり、全体の流れに大きな影響が考えられないのに自分の価値観だけで細かいところを叩くのはただの好き嫌い基準。細かい部分がドラマの流れやキャラ設定に影響しちゃってると根拠を上げて言ってるものは好き嫌い基準とは限りません。
細かい部分と言ったってそれが枝葉末節の無視していい部分なのかそうでない部分なのかはドラマ解釈の上で全く違う。
そういうのの判断ができない、しない、というのとそれができる、する、という人を一緒くたにしてどうこう言うのはおかしいですよ。
今さら赤毛のアンを読んでも感動せず、アンのゆりかごは村岡女子の生涯を始めて知り興味深く読みました。文学にも社会運動にも激動と言われる時代に生きた女性の情熱を感じましたし、ヘレンケラー女史来日の際の通訳を勤めた本当に国際的な方だったのだと思います。
ドラマは全く別のあたりで楽しく描かれてるので、物足りないところがありましたが、先週当たりから友情と勉学と家族愛がうまく重なり合ってきたように思い、はなのこれからが楽しみになってきました。
甲府人どうしの抱擁には笑えましたが、醍醐さんが出版社で働くのは村岡氏とはなとの三角関係を作る為なのが見え見えですね。
許す、許さない。
許せる、許せない。も、ありますね。
自分は、許せる、の方かな。
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