許す、許さない、とかいうのとは別レベルでのドラマ肯定意見、批判意見、というものがあり得る、ということです。許す、というのは単に気づかない、ということもあり得るわけで。
ただ気づいた上でそれを指摘するか、しないか、とか指摘すべきものなのかそうでないのか、とか、それをドラマの「評価」に反映させるか否か、好き嫌い基準を優先したりそれだけで評価をするか、などといったことは人によって違うと思います。
こういうところではドラマの評価、と言っても全く自分とは違う観点で行っている人がいる、ということは最初から意識すべきことと思います。でないと肯定否定関係なくぶったまげることが多く、人のコメントにああだこうだ言いたくなるものだと思います。
ハナと醍醐の就職の決まり方も簡単。
蓮子の再婚先で、夫や継子への食事マナーを促す。
このドラマ、出版社での翻訳、卒業式での通訳。
苦労(過程)がなく、ワープして数年経過して英語が上達と同じ。
就職先もキャストの心情も、あっさり描きすぎです。
原案や原作ありきで、オリジナルが貧困と思います。
嫌いでもドラマを最後まで見て批判をいれ続ける人間はいるし、もう感想サイトでは普通のこと、人を中傷したりしなければいいと思う。
嫌いなんだからドラマをもう見るなや批判を一回でも書き込んだらもう書き込むなと言う意見は間違っているし、ルールの範囲内なのに自由に発言をできないようにしているのと同じことだと気づいてほしいですね。
見るな書くなとはもうしません。
素朴な疑問を持つ初心者も出入りしてることを頭に置くことも必要だと思います。
文句やダメ出しがある人は、理想の「花子とアン」が頭の中にあるのでしょうね。
私には無いので、素直に楽しめています。
時々疑問に思う部分はあるけど、そんな細かいことより話の展開の方に興味があるから、まあいいや、ってなります。
理想の花子とアンがあるんじゃなくて、はながやることをちゃんとやってないからついていけなくなるのだよ。
>文句やダメ出しがある人は、理想の「花子とアン」が頭の中にあるのでしょうね。
だからこういう他の人のものの見方を自分の想像でどうこう言うのがややこしくなる原因になるんだと思いますよ。展開を楽しめる、というのがあなたの理想でしょう?あなたにも理想がないわけではなくたまたまこのドラマとそれが一致してるってことでしょう。
理想、なんていう代案があろうがなかろうが、疑問だとかおかしい、とか感じることって人にはあるんじゃないですか。話の展開を楽しみたいのは皆同じ。そのためにえ?って支障を感じる人はどのドラマにもいる、ということでしょう。
>ID: QwSLMxg2Xf 2014-05-17 14:41:03さま
いや〜、わたし、あのジェムと愛犬のエピソードは是非、小ネタで入れて欲しいのよ。
日露戦争なら、あのままでいけるね。
太平洋戦争で使うとなると、犬猫の供出という悲惨な史実もあるので、かなり辛いエピソードにはなるだろうけど、八月の放送なら、きちんとやって見て欲しいです。
私は、毎度、小ネタは楽しみにしてます。
605さん
>文句やダメ出しがある人は、理想の「花子とアン」が頭の中にあるのでしょうね。
理想の「花子とアン」なんて考えて無いと思いますよ。
「坊主憎けりゃ袈裟まで・・・・」で、なにやってもだめ !!。の人。
反対に、
「あばたもえくぼ」で、なんでも、楽しい。の人もいるけど。
反論する人大勢いると思いますけど、
>文句やダメ出し、は
ドラマ終わるまで、いや終わった後まで続くんじゃないですかね。
所詮、好きか、嫌いでしょう。
好きだからこそ突っ込みを入れて書きますよ。
全て肯定できるドラマなんてなかなかないでしょう。
批判を1回でも書いたら もう書き込むな、
は誤解されてるかな。
同じ内容の批判を 何度も何度も目にすると
さすがに ウンザリ。ということですな。
批判文でも なるほど 新鮮!と思えるものはあるものね。
違う人でも同じようなこと感じる人が多ければ同じような内容が続くことだってあるんじゃないの?
それは肯定意見だって同じだよ。
さすがにウンザリの同じような絶賛意見だって続くことあるもの。
お互い様じゃないのかな?そういうウンザリなんていうことはお互い思っても言わないほうがいいと思う。それぞれ素直に感想書いててるんだろうから。ま、お茶の間だからいいのかも、だけど。
同じような内容だな、って時は私は飛ばし読みするよ。
あとよく思うけど、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、って人とあばたもえくぼって人は結局同じだよ。
そういう見方しかしない人はドラマが変われば絶賛→批判→絶賛・・を徹底的にやるだけだと思う。毎回立場を変えるってだけで。
そういう発想なんだから。でも全員がそうだと考えるのは間違い。
絶賛した次のドラマが憎いって感覚が私には全くわかりません。
ロスする気持ちは良くわかるけど、次のドラマには何の罪もありません。
点数上げ下げが楽しいってことですか?それじゃあレビューじゃないですよね。
>ドラマの作り方としてへんだな、と感じて
あなたの場合は知らないけど、そこがもう好き嫌いに起因している場合も多いんじゃないかな。ドラマの作り方って、それだってドラマ自体に求めるものが違えば、人によって自然だと思う人もいれば不自然だと思う人もいるわけで。アンネタの多用という作者の作風だって、作風として好む人もいるけど、許せないと感じる人もいる。それってある意味好き嫌いなんじゃないの。
点数上げ下げが楽しいのではなく、贔屓しているものを一番にしたい心理だと思います。
ここの皆さんはいい方々だなあと関心しますが、残念ながら歌舞伎の時代から贔屓方をあげるため悪い点には目をつぶり、対抗方のいい点を悪く言って落とすのは、人間の心理として当たり前のようにされているように思います。
だから「坊主憎けりゃ」とか「あばたもえくぼ」なんて言葉が出来る訳で。
現代のネットはフラットですが、アクセス機会を増やすことで意図操作が可能、特にここは投稿者が少ないのでやりやすいでしょう。
そういう「気配」を感じる投稿は気持ちいいものではないので、控えて欲しいです。
本家にはそういう雰囲気を感じつつあります。
絶賛→批判→絶賛、人間なんてそんなものでしょう。
自分の好きな朝ドラを否定されると次の作品ではそのときの否定派が喜んで見ていると思い込み批判や攻撃をする。
いい例が前作を持ち出して言うとムキになる人達があらわれるからね。
そしてついには前作や過去の朝ドラと比べるなときたもんだ。
この先もなくならないから適当でいいんじゃないのかな。
まあだいたい文を読めばその人がどんな目的で感想書いてるか、純粋感想なのか自分と違う意見は受けつけないようなものなのか、とかはわかるものだと思う。
好き嫌いというのは人には絶対あるから究極的にはそこに至るんだろうね。でもその好き嫌い、というのもすごく感覚的、視覚的なもので判断する人とそうでもないという人もいるんだから皆が自分と同じように好き嫌いを感じる、とは決められないだろうね。
あとなぜ自分が好き、とか嫌い、とかを考えてそれを具体的に言ってくれている感想とただ感情的にそれを言ってるのはやっぱりレビューとしては違うと思うよ。もちろん両方あっていいと思うけど。
なんか読んでると、ああだこうだ考えて観る人が多いんですね。
好き嫌いって、感覚的なものもあるんじゃない。
脚本に多少気になることがあっても、ドラマの雰囲気が好きで見ている人もいると思う。
ほんと見方って、色々だなって思います。
カーネとか完璧って絶賛されてるけど、私的には全然面白くなかったし。
ああだこうだ考えて見る人が多いかどうかなんてわかんないけど別にそれだって全然いいわけでああだこうだ感想書いたっていいわけ。
それをどうのこうの、こういう見方はおかしい、私と違う、みんな結局好き嫌いで判断してるんだ、とかそういうことをいちいち言わなきゃ気が済まない感覚がいまいちわからない。
別に、悪いとか書いてないですが??
ここに書いちゃいけないこととか、別に書いてないと思いますが。
まったくだ。
面白く見てる派の、なんでそんなに否定するの?ってコメントがここも本スレもちらほら出始めましたね。
否定コメントは非常識みたいなコメントも非常識だと思うのだけれどね。
ここでは別に面白く見てる派を否定してるコメなんて
ないと思いますが。
反論的なものはあるけど誰が面白く見てるかそうでないか
よくわかりません。
今回は否定派、というより批判的な意見がちょっと出ると
むしろピリピリしてる派がいるようにこっちもあっちも
見えますよ。
好きなら否定意見なんて無視してドラマをのんびり楽しんだ方が
いいような・・・
そうですね。
大いに楽しんでます!
べつに人の意見なんてどうでもいいですよ。
批判意見の指摘が正しいとも思わないし。
ああ、本当に、人それぞれ感じ方が違うんだなぁと思うだけ。
はなって女学校から師範学校にまで行ったんだっけ?高等科が師範学校ってこと?
そうでないと小学校教師の資格はないですもんね。
昔の代用教員なら女学校卒でもできたんじゃないの?おひさまも女学校から小学校の先生をやっていたね。
ちょっと調べたら大正時代にも教員は資格が必要みたいで、師範学校に行って教員になる朝市のコースがスタンダードってことだったから、はなはなんでなれたのかな?と。
女学校の英語教師なら縁故採用的だし、得意教科だしと思えても、小学校となると他の科目もあるわけで。
んー?と気になりまして。
代用ならいいのかな?
花は本科に進みましたよね。
ちょっと検索してみたら
女学校の本科の場合
付属の小学校で実習が必要と書いてありました。
先週は小学生に教室で
英語の授業をしていましたよね。
代用教員を検索してみてください。無資格者が臨時的に教員になることなのです。朝市は師範学校を出たのに代用教員なのですね。
ま、二人仲良く小学校の先生になるとは思ってもみませんでしたから、楽しく見てますけど。
上のお二方ありがとうございます。
なるほど。代用ならよいのですね。
またはなの授業風景にそういう意味合いもあるとしたらちょっと感心。
朝市は代用教員から本採用になれたらいいなあ。
昔のことですが、無資格で代用教員になりそのまま正教員になったという話を聞いたことがあります。
私は山村で育ちました。担任の先生が産休の時は資格のない若い先生が代わりにきたのを思い出しました。昭和30年代です。
地元の国立大出身の先生が多い中で、その先生は若くて光ってたななんて郷愁にそそられてしまいました。
多分なんですけど、、、昭和30年代頃はまだ「でもしか先生」の時代だったのじゃないかな?
戦時中や終戦後直ぐは人手不足で無資格の代用教員が多かったと聞きました。
大正の頃は実際どうだったんでしょうね。
英語教師になったなら、さすが東京の女学校で学んだだけはある!と故郷でも称賛だと思うのですが、地元で小作農から師範学校を出た朝一君と同じ代用教員って、、、。
将来のことはまだわからない口の悪い人に無理して東京いかす必要なかったんじゃないの?朝一の方が立派だわと言われてもおかしくないですよねぇ〜。
児童文学に目覚めるために必要だったのかもしれない設定ですが、性格悪い私だったらきっとそんな陰口言ってそうです。(苦笑)
東京の女学校に行ったからこそ腹心の友である蓮子と出会えたんですよね。女学校時代は、はなが英語に目覚めて将来の職業につながる礎ができたと同時に将来に影響する大事な友たち(醍醐さんも含む)との出会いの場として重要な意味があったのだと思います。
ドラマでは、16の時に蓮様と出会い
翻訳家になるという夢を持つ
その翻訳家の夢はどこ行っちゃったんでしょうね。
なんだか花子もストーリーそのものもあっち行ったり、こっち行ったり、って感じはしますね。
人の実生活なんていうのはそんなものでもありますが、これは時間の限られた中での
「花子」の「ドラマ」のはずなんですけどねぇ・・・
633 名前無し さま
》東京の女学校に行った〜中略〜英語に目覚めて将来の職業につながる礎〜中略〜出会いの場として重要な意味があったのだと思います。
ん?私が書いたのは「将来のことはまだわからない」あの時点での村の人々に自分を置き換えたとしてでのコメントですよ。
貴方さまのコメは将来をわかっているTVドラマを観ている視聴者側のコメントですよね。視聴者としてその重要な意味があったのは理解しているつもりですよ。
はなの着物が女学校時代よりきれい。
そしておかあとももの着物もきれいになってる。兄やんはボロのまま。
なぜ?と、そんなことさえ気になっちゃう(泣)
いろんな場面で何度も「寒っ!」と思っちゃうし。なんだろう。嫌いではないけど、拒絶反応が出てきた。
やはり脚本が受け付けないのかも。
いつの時代の予算も、女性の着物が先でしょう。
当家ではそうです。
教師になったら
朝市も顔をちゃんと毎朝洗うんだ!!
前から顔は毎朝洗ってたんだとは思うよ。
ヒゲ面じゃなかったから。でも教師は農作業ほど
汚れないんじゃないの?
朝市の顔のよごれについて花子の名前のこだわり
よりもこだわってる人がいるのが可笑しい。
花子に負けずにこだわり続けて。
顔を洗えばきれいになるんだね(笑)。
前にどなたかが染み付いた汚れで水で洗ったくらいじゃ取れないって言っていたけど、教師になる直前まで朝市も汚れた顔をしていたから、やっぱり洗えば落ちるんだなーって思いました。
かよちゃんもきれいになってたものね。
野良作業終わった夕ごはんの時くらいはみんなきれいにしてないのかしらってわたしも思いました(笑)。
農作業をする前、朝から顔は汚れていたかと
朝市の顔の汚れだけが気になるんじゃなく
他の人も小作人はみんな
時間関係なくいつも汚れた顔にしているのが
違和感があるだけ。
ID: Q7JE6C/e.w 様 2014-05-17 19:15:52
アンの娘リラを知っている人がいてうれしいです。
私も最初は小ネタは楽しみにしていました。
でもだんだん無理やり感がありすぎていやになってしまいました。
そして小ネタ最大の失敗作は屋根の上を歩くシーンだと思います。
私はリラの話が一番好きなので、その話を小ネタに入れて
台無しにしてほしくはないという思いがあります。
まあ自分勝手な思いなんですがね。
戦争中の話なので小ネタに使われやすいでしょうね。
農民は日焼けと土汚れと囲炉裏の煤でどす黒くなるんじゃないの?
手なんか洗っただけでは落ちないようになると思います。
農民や農作業と顔の汚れについてそれぞれこだわりの
談義。
あー、これこそお茶の間だあ、ってもう嬉しくて読んでて
ホントおもしろい。
ここできてよかったー。だってこんなお茶の間談義、本欄で
やったらたちまち枝葉末節でしょ?ってお叱りが出るもんね。
アンネタ談義よりおもしろいかも。ここ活用されてるぜい!
>手なんか洗っただけでは落ちないようになると思います。
ここだけじゃなく
他のサイトやブログでも
突っ込まれているのは
手の汚れじゃなく、顔の汚れですね。
囲炉裏の煤の汚れなら
朝市も花も汚れるでしょう。
日焼けでまず黒くなる、農作業をすると土の汚れがつく、囲炉裏や火を炊くと煙で顔が煤ける。しかし毎日風呂に入るわけでもなく石けんがないときもあるでしょう。冬は肌が荒れるけど、手入れをするわけでもなかったら貧しい小作民の顔は自然に黒ずむというのが私の想像です。
しかしおかあのヘアーといいもちっと清潔感が欲しい。顔が汚れてなくても貧しさは充分でてるよ。
追加
昔は米ぬかで顔を洗ったりする生活の知恵があったと思います。
日焼けや煤で肌が黒ずむのと汚れているのは違うと思う。
この時代の小作民の生活容態はよく知らないけれど、ドラマを見る限り汚れていても洗うということをしなかったのでしょうね。時代考証がキチンとされていればの話しですけど。
適当に小作民だからと汚しているのであれば演出に偏見があるということですよね。
でも、大河でも時代は違うけど農民とか下級武士はみんな汚い顔してたなぁ〜
643名無しさま
608名無しです。
ジェムと犬の物語は、子供時代に、なかなか愛犬に巡り会えなかったジェム坊やの物語、だと思っているので、私の中では、アンシリーズからも独立しているのかもしれません。
日本だと忠犬ハチ公が有名ですが、私はハチがかわいそうで。
アンの娘リラ、では待ち焦がれた飼い主と、きちんと再会できて、ほんとに嬉しかった〜(*^^*)
ある意味、ケネス帰還より泣けました。
屋根のシーン、なくても良いけど、あっても気にならないです。
昔、カナダで製作された赤毛のアンの映画を見たのですが、だいぶ、ニュアンスが変わっているように思えて、面白いと思えませんでした。
さらに、その続編はすごくて、ギルバートが第一次世界大戦で出征して、アンがヨーロッパ大陸にわたって、ギルを探す・・・という無茶ぶり?
本国の人たちが、なぜ、あんなふうに作ったのか、今でも謎です。
このドラマの小ネタの使い方は、私の感覚だと、モンゴメリさんも村岡さんも、貶められたとは感じない程度ではないかなあ、で済んでいます。
村岡さんのご遺族のお気持ちはわかりませんが、わたしが同じ立場なら、祖母をあまり現実的に描かれるよりは、ゆめゆめしく描かれた方が、気持ちが楽かも。
ただ、戦時中の生活とはいえ、カナダと日本では、かなり異なるし、国の立ち位置も違うので、リラのお話からの小ネタは、使わない方が無難だろうと、わたしも思います。
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