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https://www.nhk.or.jp/scarlet/
※BSプレミアムは朝7時半〜
常治の意識が無くなった時、自分の思い出を語る喜美子。
普通、「お父ちゃん、大丈夫か。死なんとって。」とか言って、「お父ちゃんが・・・」とか叫んで家族を呼ぶやろ。家族が皆泣いているところを見ると、常治が死んだことを認識しているようだ。どうして、常治の回りに集まって、寄り添わないのか、不可解。
脚本家、人の死を経験したことがないんじゃないか。
お父ちゃんの遺言やで。
喜美子に八郎、喧嘩すなや!。
父親が危篤なのに、どうして直子に何回も電話しないのか。
喫茶店で百合子が電話したら、忙しくて帰れない、という話だけ。
家族なら、何回も電話するだろう。大野夫婦も直子のことを聞かなかった。
このドラマ、本人が目の前に現れないと、誰も感心を持たないところが、不思議
父親の臨終に、長女だけが寄り添い、
奥さんが隣の部屋で待機って・・(・Д・)
信作の父親は朝まで飲んでいたので、日の出頃から暗くなるまで、マツタケを採っていたらしい。
でも、常治に食べさせるのが目的だから、1~2本採って昼の内に持っていけばいいのに、どうして大量のマツタケを一日かけて採っていたのか疑問。常治が具合悪いことを知っていたし、死んだらムダになってしまう。夜になると、相手の家族にも迷惑だろう。
相変わらず、マツタケ採りのシーンは一切なし。画面の切り替えがほとんど無し。ケチ臭いドラマ。
〜直ちゃんが今日の臨終に立ち会えなかったのは何か事情があるんじゃないの
常治さんの、喜美ちゃん髪ぽんぽんには泣かされた。アル中だの、だらしがないだの言う人に聖人君子など面白くもない、怒りや愛憎を本音でぶつけ合うのが本当の家族と書いてきた。
今までありがとう、でも、苦労かけてすまなかった、でもない「又会おな…」伝わる人には伝わる名言。
私は全然泣けなかったよ。
本当になんできみこだけが看取るのよ。
他の家族が可愛そう。
お皿いっぱいの松茸ご飯で柄が見えない
みんなで食べるというのは
笑うところ?
私は遠方で暮らしていたので、父の最期には立ち会えませんでした。
深夜に姉から容態が危ないとの電話を貰い朝一番の電車に飛び乗りましたが、途中の電車内で姉から今亡くなったとの電話を受けました。
今日のドラマを見て、姉がもう少し早く連絡してくれてたらなぁと思い出しましたが、遠くに住む人間を呼ぶタイミングは難しいところが有るのでしょうかね?
実際に付き添いをする人は遠方で心配をする人より何かと大変なのは理解しています。
直子の立場なら後で親の死に目に会えなかった事を後悔するでしょうね。
他の家族に立腹をするかも知れません。
あれだけ視聴者を敵に回すクソ親父キャラを作っておきながら、最期は本当は子供達を思っている
子煩悩で不器用で愛すべき父親!って、なんやそりゃ !
一気にジョージのここまでの圧倒的な存在感が、帳消しでガッカリしてしまったわ。
カッコよく憎まれながらも、何かを残して逝くジョージが見たかったのに残念な退場でした。
大野親子が訪問する前、医者が往診していた。大野親子としっかり会話をしていたから、病状が急変したわけ゛はない。医者は、病状が急変しないと夜の往診はしない。しかも、医者一人で、看護師も連れていない。いかにも、飾りに入れておこうという雑な感じ。
やっぱり最初の頃の印象って大事なんだなと思う。ここに来ていくら喜美子達をとても大切に思っていた感を醸し出しても、実際してきことは酷いことがほとんど。今更感しかないので常治が亡くなっても全然悲しくない。
で、いくら絵を見せたいからって一口でも食べられる?とかの言葉も無く、皆でガッツいていたのを見てドン引き。くだらない画になってて流石スカーレットだなとある意味笑えた。
今回の場面だけ観れば感動しますが、この回の為に今までの大事なことは省略して雑にまとめたと思うと壮大な茶番劇に感じました。この脚本家は良い場面ばかり筆が進むけれどそれに至る過程が雑です。良い場面ばかり見せることに拘り大事なことは描かないので偽善を感じ素直に感動できませんでした。
常治さん三姉妹可愛いかったのだろうな。特に喜美ちゃんは初めの子供。
平成令和、景気が悪いだの何だの言いながらも日本は恵まれている。そのぶん、何かが希薄になっている。他人の親と子の愛情など他人には計り知れない。
どんなにおかしな人が亡くなっとしても、クソ親父キャラがただの子煩悩な父親にされてしまっては、やはり、悲しいモノがありますよね。特に常治さんのようなインパクトのあるクソ親父で存在感を発揮していた人であれば、尚更です。ハッキリいって、明日からのお話は、キャラ不足が輪を掛けて寂しくなりますね!!
人が死ぬ時まで、皆でガツガツ食べたり、おならをさせて、笑わせることなんか必要か?
真面目にドラマづくりをしてほしいと思う。
ほんとにね。食欲なくてあまりたべてもいなさそうなのに、おならって出るの?
下らない役させられて、これがほんとのご愁傷さま!だわ。
今日の「 スカーレット 」という朝ドラでは、遂にあの常治さんが “ ほな・・・またな!! ” という言葉を喜美子ちゃんに残して亡くなりましたよね。というか、あれだけ魅力のないヒロインのクソ親父であっても、やはり、亡くなると少し寂しいモノは感じます。ですが、あるサイトの感想には 「 泣けないもう無理 」「 アザとさとおふざけに呆れた」などの声が相次いだ!! ” ということがかかれていたんですね。さすがに、良識ある視聴者は、ドラマのレベルが低いと思っているんですよ!!
それにしても、Superflyが歌う主題歌の「 フレア 」という曲は、このドラマには勿体ないですね。そして、お話が進むほどに、いっそう強くドラマと不釣り合いなのが、鮮明になっていると思うんですけど・・・!!
さて、このドラマのお話は、あの秀作「 ひよっこ 」や「 半分、青い。 」、また、「 なつぞら 」と違って、もう早くも第十三週目の半ばに入りましたね。しかも、その創り込みの甘さは、ちょっと半端ではないというか・・・!!
亡くなり際の北村一輝さんの抑えた演技が凄く良かった。
音楽⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
これはあまちゃん以来気に入ってます
脚本⭐️⭐️⭐️以上
演出⭐️⭐️から⭐️⭐️⭐️ごくたまに⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
キャスト概ね良し
このドラマ 残念なところがところどころある。
例えば今日なら 大皿に大盛りとそのあとの食べ
方。
良いところもいっぱいある。
例えば今日なら喜美子の頭を撫でるなど。
酷評するほどでもなく かといって 感心しっぱなしではない。惜しい!
あのお皿に松茸ご飯って…。普通、お茶碗に盛らない?
平たい皿にこんもり盛られて、炒飯かなんかかと思ってしまった。せっかくの松茸なのに、美味しそうにも見えず、なんてもったいない。みんなで一斉に食べようとしてたのはスプーンでだったかな?あのお皿からお箸で食べるのは難しそうだ。
あげくのはてに、常治が食べるシーンないじゃん。変なエピすぎて皿にも感動できんし、はあ。
北村一輝がとても良かった。
泣いた。
自宅で家族や友人に看取られて、幸せな良い最期だったと思う。
死んだお父ちゃんも困ったやつだったが、奥さんのマツさんも、お嬢さん育ちなだけでなく体も頭もちょっと弱くて、生活力の無い頼りない人なんだと自分は思っている。
そういう半端者同士が寄り添って、あれでもそれなりに力を合わせて精一杯に家庭を築いてきたんだろうなと思う。
現代の社会では男も女もあんまり結婚向きでないと思えば結婚しない人が増えたし、結婚しないでも生きていける。
昔は大抵の人が否応もなく結婚して子供を持ったから、親のせいで苦労させられる子供も多かったが、それでもそこには愛と理解があったんだろうなと思う。
死にかけてる病人に餅米の入ったキノコのご飯て、消化にも悪い上にキノコがマツタケなら香りもキツイし、常治は食べなくていいんだよw
戦争中に生死を共にした戦友が約束のものを届けに来ただけだ。
約束が果たされただけで意味がある。
マツタケの生えてる山に勝手に入って勝手に採っていいんかい、とは思ったw
ジョージの頭ぽんぽん鳥肌と寒気しました。やはり、今までのエゲツナイ行いは、胸に深く浸透し、払いのけることはできず泣けませんでした。つくづく、あざとい、。
今日の「 スカーレット 」という朝ドラでは、遂にあの常治さんが “ ほな・・・またな!! ” という言葉を喜美子ちゃんに残して亡くなりましたよね。というか、あれだけ魅力があるヒロインのクソ親父であっても、やはり、亡くなると少し寂しいモノは感じます。ですが、あるサイトの感想には 「 泣けた 」「 涙が止まらない 」などの声が相次いだ!! ” ということがかかれていたんですね。さすがに、良識ある視聴者は、ドラマのレベルが高いと思っているんですよ!!
それにしても、Superflyが歌う主題歌の「 フレア 」という曲は、このドラマに良く合っていますね。そして、お話が進むほどに、いっそう強くお話を華やいだものにしていると思うんですけど・・・!!
さて、このドラマのお話は、あの超駄作「 ひよっこ 」や「 半分、青い。 」、また、「 なつぞら 」と違って、もう早くも第十三週目の半ばに入りましたね。しかも、その創り込みの確かさは、ちょっと半端ではないというか・・・!!
私のジョージの印象は、家族愛は感じない、妻よりも喜美子を自分のものにしてた、自己愛が異常に強いジョージもう出ないで願う。
Twitterを見る限りでは、北村一輝は最後に逆転満塁ホームランを打ったな。
ずっとアンチだったワシも打たれた気分。
一部コミカルなところもあったけど、北村一輝さんの演技一つ一つに集中ししんみり。 最後に常治は喜美子が本当に好きだったことが、頭を撫でる様子で分かってきた。幼い時から今までの喜美子と常治、最後にあこぎな事してすまんと言うと思っていたけど、頭を撫でる事が最後だった事で、言葉は無いけど喜美子へのすまんとありがとうが含まれていたかも知れない・・・最後の晩餐なのかオゥちゃん一家も来てくれて家族に看取られながら逝った常治は満足だったと思う。何故か直子がそばにいなかった。
早スカ見て号泣
本スカ見て大号泣
もう大丈夫と思って昼スカを見る…超号泣
インスタ見てまた号泣
夜スカも見る予定
朝ドラでこんなに泣くとは…
やっぱりこの脚本好きだなぁ
絵付けや陶芸の思いを適当に描き5年間飛ばしたのは年内に無理やり常治の最期のお涙頂戴を描くためだけでした。安っぽい泣きの場面を作るために大事なことは省略して雑に描いて伝統の設楽焼や陶芸は茶番劇の道具にされ、あざとくて涙も出ませんでした。
私はこのお父ちゃんが好きです。
娘夫婦に仲良くしなさいと、自分達は喧嘩なんか一度もしなかったと。
それはお母ちゃんのお陰だということを分かっていたから、娘に、夫をたてろ、怒るな、と戒めたのかな。。。と思いました。
今の時代ではそんなのおかしいと思いますが、この時代はまぁそういう考えですよね。
でも娘は可愛い、愛おしいという気持ちが一杯の頭なでなでを見ると、やっぱり泣けてきました。
借金から逃げて、大酒のみで、見返りも考えずに人助けをして、融通が利かない。
良い人でもなく偉大でもなく悪い人でもなく?
どういう人にしたかったのかよく分かりませんが、でもお父ちゃんは皆から愛される人だったんだと思いました。
北村一輝さんは初回から今までずっと素晴らしい演技だった。
大久保の三林京子さん、草間の佐藤隆太さん、フカ先生のイッセイ尾形さんら、ドラマを引き立ててきた人を次々退場させ、今後余程強力な名演ができる人を投入しないと一気にガラガラと崩れる嫌な予感がする。
伊藤健太郎さん、黒島結菜さんの「アシガール」コンビだけでは非常に荷が重いと思う。
もともと大人の女性が子供扱いされて頭を触られるのが好きじゃないので、常治が喜美子の頭に手を乗せているのを見て悪寒しかしなかった。
真面目に働けども貧乏で、長女を早く大人にしてごめんねという謝罪と家族からの解放の意味での行為なら号泣もできようが、取ってつけたようなご都合主義の家族愛の押し売りで話の繋がりもないとなると、壁ドンと同じようにあの画が撮りたかっただけと悪く考えてしまう。どうしてもあのシーンを撮りたいなら、必然性を10代のうちに仕込んでいてほしかった。
常治役の北村一輝さんが苦手で、土曜スタジオパークとかお風呂の番組も見なかったのに、今日の回で一気に好きになってしまった。
見とくんだったー(´;ω;`)
朝のBSではウルウル程度だったけど、昼放送では号泣してしまった。
もう一回見たら嗚咽泣きするかも?
それにしても約1分後の13時からのニュースで言えば良いのに、あの場面にニュース速報のテロップを入れるNHKは◯鹿なのか?
今後、どんな俳優を投入しても、脚本がダメだから、期待できないと思う。
脚本家を変えるのが一番だけれど、今からじゃ手遅れか。
面白くも無いコントと下品な台詞は、封印してほしい。
もう、病気のレベルだね。
常治が喜美子の頭をポンポンしたのには、虫唾が走りそうな不快な気分だった。
子供の時から喜美子を搾取しているのに、喜美子は共依存の関係に気付かず、少し優しくされると、相手には自分が必要だと思い込み、共依存から抜け出せない。
ちゃぶ台返しは立派なモラハラです。マツも共依存の関係だから、口答えも無く、喧嘩をしなかったのです。
裏を知れば、感動物語とは、ほど遠いことが分かる。
松茸ご飯は、お茶碗によそえばよかったのに。立ったままガツガツ食べて行儀が悪い。
松茸ご飯を邪魔者扱いにして、一日かけて採ってきてくれた大野親子が可哀想。
北村一輝は好きな俳優だが、最後まで死期の迫った男には見えなかった。
枯れた演技はまだ無理なのか…
「生まれた喜び」はスルーしたのに「死別の悲しみ」には焦点を当てるこのドラマ、やはり「あざとい」と言われても仕方ないだろう
今日はほんと神回でしたよね。
私には、荒木荘の卒業回、喜美子の告白回、今回の常治の臨終回、で三回目かなぁ~。
つまらない回が続く時もあり、見忘れそうになる時が有るけど、たまにとんでもない感動回をぶちこんで来るから、見続けていけるんだと思います。
因みに私は朝ドラ挫折人間で完走をした事がまだ1度もありません。
見始めがべっぴんさんからですけど。
マツの実家と縁を戻したと言っていたが、普通なら常治が死んだことを連絡しなければならない。
親戚付き合いというのは、結婚式は出なくても、葬式には絶対来るもの。
たとえ、家族葬だとしても、焼香に来るはず。
常治をいい人間に見せるために、墓参り、謝罪したとしか思えない。話だけでタダだし。
どうせ、スルーしてしまうんだろう。脚本家、何も考えていないようだから
北村一輝さんをもってしてもあれが限界だったか・・・。
しかしあの脚本なら仕方がない、他の役者さんだったらもっと酷い事になってただろうし。
ジョージが無茶苦茶だけどどこか憎めなかったのは北村さんのおかげだと思います。
お疲れ様でした。
出来れば百合子にも頭ポンポンしてあげて欲しかったよ。
常治さんの死は悲しかったのですが、戦友を失う大野さんの切ない気持ちを、もっと上手く伝える展開もあったのにと残念でしたよね。そして、あれだけ滅茶苦茶な父親だった常治さんですが、今更家族を思う気持ちが人一倍強い人だとか中途半端な。何か、悲しいながらも、モヤモヤばかりが残るお話しになりましたね!!
丸熊陶業やめて独立してから、自宅と工房、サニーカフェしか場面が変わらなくなった。
室内セットのみで、ロケシーンも無く、たまに信楽の風景写真1枚を使い回す。
陶芸作業のシーンは無く、完成品を運ぶだけ。重要なエピソードは、台詞だけで、映像シーンは皆無。
こんなことで、これから、面白くなるのだろうか。
「ゲゲゲの女房」の再放送見ると、昔のことを語ったり回想するシーン、細かく映像が入るんですよね、
若かった頃の思い出話には、若い頃の様子、ほんの少しでも、映像が挟まると、全然、臨場感が違います。
こういうのが丁寧な作り方だなと思います。スカーレットは映像が少ないから、伝わらないし、おもしろくないなぁと感じます。
北村さんと富田さんは芝居が上手すぎる。
ピアノも泣かしにくるなぁ。
ジョージだけがこの中身の薄いご都合朝ドラで、唯一リアルろくでなし親父としてスパイス的な味が有ったのに
ここのとこの甘々お父ちゃんキャラで、すっかりキャラ崩壊親父になってガッカリさせられてしまっていたが
最期くらいは、益々イメージが壊れてしまうお涙頂戴なんかにせず、ここまで一手にスカーレットを背負っていた
クソ親父らしい壮絶な最期でワイルドなジョージを見せて欲しかった。
それにしても、ジョージ退場後にこのドラマが益々訳の分からない薄っぺら朝ドラになってしまうんじゃないかと
喜美子とハチの強引と言うかご都合だけで、声を荒げた言い合いですれ違ってしまっている雰囲気が最悪だよ。
あのすっ飛ばした五年間が又、後々まで尾を引くんじゃないかって程モヤモヤしそうな暗く浅い展開になるのかと。
結果が見えている事を端折りながら強引に持って行っている展開ばかりで、見所ってものが全然理解出来ないのは
結果じゃなくて、過程をしっかり見せて貰えてこそドラマなのになと何時もの不満が募って行きそう。
お父ちゃんがついに退場。
悪いが正直なところ、ほっとしている。
彼の存在自体が、この物語を不条理でもやもやしたものにしていたので、喜美子が信楽に帰ってから、ずっと見るのがキツかった。
早くに亡くなってしまったのは、話の流れとして、当然酒によるものとしか考えられないが、そういう中で、この父親が家族に何を残していったのだろうかと考えると、何だか虚しい気持ちになる。
もちろん、作中人物たちは、家族であるから父親がどんな人間でも、愛を惜しみなく注ぎ、その死を悲しんでいるのだろうが、外から見ている私たちにとっては、その内心などあずかり知れないものだ。
彼が、どんでもないダメ人間ながらも、周囲の人間から死を惜しまれるような何かを持っていたことをストーリーや映像で見せていれば、退場の余韻も深かったろうと思うけれど、残念ながら、そういう部分は、ドラマ上かなり手薄だったと言わざるを得ない。
今までの朝ドラで、父親の死がこんなに空疎に感じられたことはちょっとなかったと、ふり返って思う。
百合子、今からでも、家を出て自立した方がいい。短大も公立なら学費がタダみたいだし、学費免除になるかも。
奨学金とバイトで十分やっていけるよ。日本育英会なら、教員になれば、返済しなくてもいいし。やる気かあれば、十分可能です。
今日の回で☆ひとつが並ぶのおかしいね。
良い回も有ればダメな回も有るドラマだと思う。
今日は本当に素晴らしかったのに。
良いとかダメとか関係無く、このドラマに憎しみを持ってる人が居るような感じ。
とにかく貶して☆ひとつを投下しなきゃ気が済まないんだろうね。
私、気持ち悪いからこのサイトを去りたくなってきた。
常治さん、最後まで漢だった、カッコ良かった。この日を忘れません。
即ち傾奇者の義とは己が意地を貫き通し
生きることである
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