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ほんとにどこまで言葉でアゲれば気が済むのか。実態のない日本一のセリフはもう飽き飽きです。
周りの凄い凄いとナレの一言で、あさの実力、またひっしこいて勉強しているシーンなどはカットされてることが多いので、まったく説得力がないのよね。どこがどう凄いの??なんどす。
実家が銀行経営で、やりたいやりたい、銀行、銀行言う割にはなにも知らず、天の五代さまからの指示待ちなあさに魅力など感じませんが。
大阪に100もの銀行が乱立。その大半は銀行のことを何も分かっていない人たちだった。
そんな時代もあったのですね。
安心して銀行にお金を預けられる事、実はとても有難いことなんだと思いました。
あさも他の多くの商人たちと同じような認識だったようですが、
反対意見にも耳を傾け、五代の話を聞いて考えを改めたようです。
人は「自分が何も分かっていない」という事が「分かっていない」ことがあると思う。
分からないことを自覚できること。分からない事を素直に聞ける姿勢。
本当はそれが大切なのかもしれないとこのドラマを見ていて感じます。
なんでも一人でやり遂げるスーパーウーマン。あさはそういうのとは少し違うようですね。
そういうヒロインであれば、事業を巡って誰かとの対立や艱難辛苦を乗り越える事がメインのドラマになるのでしょうが、作者が表現したいのはそことは真逆なのだと思います。
榮三郎が少しずつあさの魅力に気づいて心を通わせているけれど、
それは店の中での雁助の立場が微妙にもなるということなのでしょうか?
人間関係というものが複雑で微妙なバランスで成り立っていることを、
店先の話を思わず立ち聞きしてしまった雁助の横顔で見事に表現していたと思いました。
白蛇がはつの花嫁姿に一目ぼれたシーンはきちんとドラマで描写されていましたよ。
マッサンやあさがきたは心理描写をセリフに頼らず演技で表現しているシーンが多いので、私は楽しく見れます。
うーーん・・・・感想を書くのもだんだんばからしくなってきました。あさは五代に「ほかの銀行は安易に始めすぎで、失敗してます」といわれあんなにあっさりとそれを信じてしまう?
そして栄三郎に素直に謝る・・・長い間「銀行銀行!」と言い続けていた間、銀行について、五代からの受け売りじゃなくて色々自分で調べたり、勉強したりしなかったのか?自分なりのしっかりした意見はないの?
この人ほんとに大阪一の女実業家?素直とか、は美徳ではあるけど事、お金が絡めば詐欺に引っかかりやすいということで、今のあさはあまりにも頼りなさすぎる。「びっくりぽんや」というのももう絶対やめるべきだ。幼児性が抜けていないただの嬢ちゃんおばさんにしか見えない。
あさは銀行の勉強なんてしてないよ。炭鉱がいい例でしょう、五代の言う事を聞きいれていれば上手くいくと思っているびっくりぽんの馬鹿女なんですからね。五代も五代であんなに銀行をあさに進めていたのにもかかわらず雲行きが怪しくなると弱腰になる腰抜けですね。上手くっいっていない銀行に、銀行になるように勧めたのは五代じゃないのかな?勧めた本人が銀行についての具体的な方針をつくることを怠っていたからそうなったんであって「これからは銀行の時代です」といった妄想を他人におしつけるって詐欺師と同じだよ。
このドラマの中で、凄いって言い過ぎ、
そう言うの言わなくても、見て伝わる様にしないと、経営は安泰、いとも簡単、そして、あさの笑顔、お飾り、なんも無い、
また今さらに子ども云々出す、それと、うめ出しゃばり、恋バナちらつかす、どうせなら、あさが友近だったら、少しは面白くなったかも
子供は正直ですね。あさの普通でない主婦ぶりは近所でも噂になってるんでしょう。そういうのは普通のお母ちゃんじゃない、とおままごとで否定されちゃう千代ちゃんは可哀そうです。
だけどあさ本人が「えっ? そないに違うとりますやろか」はないですよね。母親や姉のはつが、仕事は旦那様に任せ主婦はお家のことに専心する、という縁の下の力持ち的生き方をしているのをその目で見ているのに、今さら何をとぼけているんでしょう。それによのさんから、何かを選んだら何かを捨てなければならない、と仕事と家庭の両立が難しいことは指摘されて納得していたはず。自分が選んだ道が世間一般の主婦と違うことくらい自覚し、自覚したうえで、覚悟を決めて仕事を選んだのではないのでしょうか。少なくとも、実際の広岡浅子さんはそうだと思うし、ドラマのあさをどうしてこんなふうに無自覚なカマトトに描くのか疑問でなりません。そこまでして“いい子ちゃん”にしたいのかな。この時代の女性が仕事に生きるのは並大抵のことではないし、中途半端な覚悟でできたことではないと思う。それなのにドラマでは、お年寄りや主婦の好感度を下げたくないせいか、実際はほとんど女中任せなはずなのにちゃんと子育ても気にしているんですよ、と半端に良き母親ぶりも描こうとするのがすごく鼻についてしまいます。それに加えて栄三郎が感心しているように(これで栄三郎もあさ様信者!)、人の話を素直に聞いて自分が間違っていればすぐに反省して謝るし、どんなに忙しくても人に聞かれれば丁寧に教えてあげる。ここまで出来すぎの人物だと持ち上げるなら、変に幼稚で子供じみた話し方や行動などさせなければいいのに、と思ってしまいます。
本当にすべてが綺麗事で中途半端。
それと普通じゃないのは母親のあさだけでなく、仕事もせずに道楽三昧の父親・新次郎も同じですよね。それでも今日は少しその辺を反省している風なので今後変化があるのかもしれませんが。
ともかく見ていて気持ちいいだけの内容の薄いドラマにどんどん興ざめです。
はぁ~朝からたっぷりのあさ上げありがとうございますって感じ。
今度は榮三郎ですか。こんなにいつもいつも言葉にしてヒロインを褒め上げる朝ドラはこれだけでしょう。 たまにならいいけどクドイんですよ、だからウンザリするんです。
あさと新次郎のシーンでもあさが自分のこと普通の母親だと思ってたなんて呆れてしまいます。今まで何度も千代に淋しい想いをさせて来た事忘れてるんですか?としか思えない発言。
新次郎も自分がダメだと思ってたら、もっとちゃんと働いたら?
人脈なんて働いてたっていくらでも広げられますから。
初期の頃は
役者陣の中にひとり飛び抜けた大根役者(五代役:ディーンフジオカさん)が混じっていて違和感が凄かったのですが…
視聴を続けていると慣れてきたというか、極端に演技が下手な部分も気にならなくなってきて…むしろ五代さんが愛着ある存在になってきて不思議でした
今では五代役=ディーンフジオカさんがとても好きです
私も五代さんの違和感がなくなりました。
演技が上達というより、江戸時代周囲から浮きまくりだった西洋かぶれの五代さんが
明治になり、文明開化によりに西洋の文明がどんどん浸透し、
異質だった五代さんが目立たなくなったという演出かなあ、なんて思いました。
折角なじんできた五代さんがいなくなってしまうのは勿体ない限り。でもそれがドラマですから静かに受け止めたいです。
このドラマ大好きですが、そんなに怒るような内容かな?と自分は不思議に思う。
ドラマの中で凄い凄い言い過ぎだよね。あんなのどこが凄いんだよって思うよ。あさって五代の言いなりになっているただの馬鹿じゃないの。
あと、批判している人達は怒っているのではなく、このドラマが並以下の作品でおもしろくないから批判しているだけだと思う。このあさが来たをおもしろいと言っている人達だって過去の朝ドラで批判しているでしょ?どっちもどっちでそれに優劣などはないはずです。
五代なんて台詞が特に下手で大根役者と言われても当然だよ。この役者は日系の人で日本語が上手くないのかもしれないけど、日本で役者として活躍したいと思うのなら日本語が滑舌よくしゃべれるように練習したほうがいいよ。これでは見ていて良くないと言う人はいると思う。
2016-01-12 08:12:32様
> まったくか過去のエピが活かされない、その時だけ の戯言として扱われることが多いドラマですね。
ああ、なぁ~んか納得。
このドラマ、あらすじが頭に残らないというか、あらすじがはっきりしない理由の一つが「過去に◯◯ということがあった、だから今こうなっている」というふうに繋がって積み重なっていっていないんだ。なのにナレーションで「それから◯年経ちました」と言われたかと思うと、過去エピを無視した今さらなセリフが出て来て、話がサクサク進んでいるのか、同じところをぐるぐる回っているのか、ただでさえ怪しい時系列に輪をかけて訳が解らなくなるんです。
説明出来るストーリーが、はつ達が和歌山に行ったことと、恋バナ。加野屋の変遷やあさの活躍、新次郎との夫婦としての歩みはスッカスカだなんて、見ている自分が悲しくなる。
でも今日の放送では、幼少期の祖父の教えが生きてくるシーンがありましたよ。
その場限りの戯言とってどのようなシーンを差しているのかがよくわかりませんけど
あれだけ先走って批判されていた許嫁交換もちゃんと時間をかけて回収していましたよね。
あさが最初に五代の影響で銀行に興味を持ったのはまだ正吉存命中でしたね。その時はまだ時期が早い、という正吉の判断に従ってあきらめたあさだけど、それから何年も経つのにいまだに五代の受け売りをそのまま口にしているのには驚きました。「志のあるものを助けるため」と綺麗事を口にしながら実務的なことは全く勉強していない。親が東京で立派に銀行を開業しているのに相談の一つもしなかったんでしょうか。結局、五代の言う「ろくに勉強もせんと、流行に乗っただけ」だったんですね。でもそう言いながら五代は「銀行に替われへん両替屋はいずれ潰れる。それはあささんが正しいから今は耐えて資金をためることです」とあさを激励。これではまるで今のあさに足りないのは資金だけだ、と言っているように思えます。そうなのかな。あさにはまだ銀行に対する認識も具体的な勉強も足りないのではないか。栄三郎はこれで納得したようだけど、雁助もころりと転向でしょうか。
結局、ちょっと苦言を呈しても最後は「あささんは大阪一のおなごの実業家」と根拠もなく(私にはそう思える)持ち上げるだけなんですね。
本当に、あさにとっての障害が何一つないドラマでつまらないです。
五代に相談するだけで何の努力もしていないように見えるのに、周囲の人が次々に味方になってくれる。
後半こそ実業家あさの本領が見られると思ったのに期待薄ですね。
結局、お金持ちのお嬢さんの恵まれた人生にしか見えません。
ここのところのあさちゃんの雰囲気、大好きです。
仕事と子育ての悩みが重なり合って加野屋夫婦の課題になってきたところがいい。あさのことのようで新次郎が自分の仕事の在り方を思い巡らすところ。
また、丁寧に過去の出来事をすくいとってあさの成長を描いているなと思います。あさと出会ったすべての人があさの糧となり、さらにそこをちゃんと自覚し感謝する描写がいつも素晴らしい。確かに年齢的にもあさは自分の生きてきた道を振り返って顧みる頃なのかもしれないですね。
奥さんと若奥さん、お互いに全く違うタイプだから、補い合ってけっこう上手くやっていけるんじゃないかなといい感じで見ています。そのうち何かトラブルもあるのかな?
毎日ますます楽しみに、応援しています!
中の下ぐらいです
勉強しようにもしようがない時代だったんじゃないですかね。
西洋の考え方ややり方が入ってきたばかりですから、
西洋の書物が翻訳されたり、西洋の知識が学べる学校が出来たりして、
多くの人が学ぶことができるようになるのは、もっと先のことなのではないかと。
学ぶといえば「寺子屋」の時代でしょうから。
必要な知識や情報を入手できずらい状況にも関わらず、
変化を強いられた時代だったんだろうと思います。
古い商売を西洋のやり方に変えなければダメだと気づいてもやり方が分からない。
分かったつもりになる怪しい情報も多かったと思う。でも手探りでやるしかない。
自分の理解が浅いことすら分からないから、キチンと学ぼうということもないまま、
簡単にできると勘違いする。だから100もの銀行が乱立し潰れていくのでしょう。
でも、そのような中でも生き残っていく者もいる。
それは、誰かの受け売りであろうと、学べる者から素直に学ぼうとした者と
そうでない者の違いなのかなと思いました。
あさも「お金で人の手助けをする」銀行の表の顔だけを聞きかじって分かったつもり。
多くの銀行がカッコだけでやっている実態を把握せずに焦り始めていました。
でも、自分の無知や無理解を悟り、学ぼうという姿勢に変わったようですね。
新しい知識や経験を得た者が後に続く者を導くことの重要性。
それを痛感したから、五代はあさを導こうとし、学校を作ったのではないでしょうか。
いずれあさが女子大を作ることに携わるのも、
そこら辺から繋がっていくのではないかと、個人的には考えています。
榮三郎、銀行に興味がありそうに見えたのは気のせいですかね?
昨日のあさ対大番頭の対決の時の表情といい、今日の表情といい
銀行に気持ちが傾いてきたのかと思えたのですが。
もうあさは30後半~40前半?
いつまで少女漫画のヒロインぶってるんだろう
面白くなるのを期待してまだ見続けているけど、
感想も出なくなるぐらい流し見になってきた。
ここを読んで初めて、店の前でおままごとをするのはなるほど変だと思った。
今まで数多くあった時代劇の中でも、
表通りでままごとをする子供っていなかっただろうな。
加野屋が開業しようと思えばいつでも開業できる状況ではあったんでしょう。なるべく先手を打って・・との過去の経験からの思いがあったあさだったけれど、大番頭雁助の鋭い指摘や五代の今日の話で、早く打って出るばかりが得策ではないと理解したんだろうね。今まで前のめり気味だったあさの経営判断。少し周りを見渡せる余裕が出てきたのかな?
あさのモデルは1849年生まれ
三男の榮三郎の結婚が1881年とありましたから
あさは今32歳ですね。
嫁いで16年くらいですね。
「言うは易く行うは難し」という諺があるように何事も無鉄砲に事を運んでは危険だということを あさもようやく気がついたみたいですね。よかった、よかった。
私は最初、大番頭の銀行設立反対に対し早く事業に取り組まないと遅れをとってしまうぞとヤキモキしたのですが事業計画という準備段階のことまでは頭に無かったです。何事も先手必勝が一番と考えていた自分が愚かに感じたしリスクのことも念頭に入れなくては本当の事業なんて出来るわけがないとつくづく感じた今回でした。
おもえば、あさが婚礼をあげてどのくらい経っているのかもあやふやで、秋に結婚したはずが次の日の放送では夏まっさかりで、テロップやナレではっきり言った年号とセリフがチグハグで、はつが結婚して一年以上も経っているはずが、まだ一年も経ってないやないの・・・と言わせ、栄三郎の年もゆふの年もあやふやで、ふゆに至っては年を取らないで同い年くらいだったはずのあさから「若い二人を応援したくなる」とまるで子供扱いに言われてしまう有様。
視聴者からの問い合わせに、苦肉の年齢不詳にわざとしてあるとスタッフさんがプログで言い訳しないとならないようなあやふやドラマに、いまさら登場人物の年齢や時の流れなんて必要あるのかないのか・・・と最近は思う。
繰り返しで年を取らない永久日常系ドラマでもなく、成長話でもない、これは新しいジャンルの開拓なのでしょうか。
でもこんなドラマ面白くもなんともありません。はい。
せっかく銀行編に突入してるらしいのにどうして面白くならないのか考えてみたんだけど、あさが作るんなら銀行でも味噌汁でも面白くないんじゃないかと思い当った。
自分にはあさが魅力の感じられない人物なので、あさがやるんだと何も面白くないんだわ。
例えばあさが屋台を引いておでん屋を始めたとしても、あさのやるおでん屋には行きたくはない。
おそらく、出汁にも具にもこだわりがなくて、味付けが大雑把で、これと言った面白味のないおでんなのにちょっといい値段するんだよ。
雁助、五代はあさにとってメンター的存在なんだろうな。一見バカみたいにやっていて押さえるところは押さえている。
この後どのように銀行設立を進めていくのか楽しみだ。
14:50:30さん、最後のフレ―ズに笑わさせて頂きました(笑) で、誰かがこうしたらいいんじゃない?って言ったらその通りにするけど、それだけ。自分だけでは何にも出来ないのよね。ほんと魅力あるヒロインには見えないわ。
でも多くの人に魅力があるからあさがきたは人気なんでしょうね。
ここでは星一つが目立つけどそれでも星3.75の評価ですしね。
星の評価とか視聴率とかが高くても、
自分にとってあさは魅力がないからそう言ってるだけで、
他人がどう思うかは関係ないなあ。
なんで「多くの人に魅力があるから」というのを自分が感想を書くときに顧慮しなきゃいけないんだろう?
自分にとってどうなのかが問題なだけで、もし自分にとって魅力があれば、低視聴率でも低評価でもずっと応援し続ける。
そうですね、こちらは斯々の感想を書くところですから、他人がどう思おうと私にとっても魅力の無いヒロインにしか感じません。新次郎さんも同じくらい魅力を感じませんけどね。
亀助さん、リアルでいろんな人から祝福されたそうです。あさがきたの人気の高さがうかがえるエピですね。
年末の予告で新年もは亀助とふゆの恋バナが続くのかとちょっと嫌でしたけど、思った以上に楽しめました。
本当に,今はネットやらなんやらで情報が早いですからね。
交通網も発達していない時代、どのように人々が情報を得ていたのかと考えれば、とにかく口コミだったんでしょうか。
いかに信用できるアンテナの鋭い人と仲間になるか?新しい時代になり、五代さんのような人がありがたがられたのは自然なことですね。反対に、五代が自分の理想の実現のため、あさのように資金力や実行力もある人と繋がりたいと考えたのも当然でしょう。
今の日本ではもはや頭打ちですが、当時の日本には、まだまだ新しい商売のもとがそこかしこに埋もれていたんでしょうね。
最初の頃は、五代さんって違和感しかなかったのに、最近どんどん惹かれています。
好きになったかも(笑)
流し見になっちゃってるけれど朝にはちょうどいいかな?
私も最近の五代さんかっこよくなったと思う。そういえばドラマの中でも女性たちに近年は人気高い設定ですね。最初は変人扱いだったのにね。
あんなに浮いていた五代さんに時代が追いついてきたのでしょうかね。
ほんと最近の五代さんは素敵だと思います。
朝から微笑ましくて良いです。
千代ちゃんのオママゴト 自分の小さい時を思い出します。
あさもとっても素直ですね。
気持ちに余裕のある人は他人にも優しく接することができるのです。
ごちそうさん以降久しぶりに嵌ってます。
現実の人間関係がややこしすぎるので、人の意見も過ちも認め合うことができるドラマの登場人物が気持ちいいです。
セリフには出てこないけど、微妙なしぐさや所作から本当はこう思っているのかな?と予測したり、それがビンゴだったときは喜びもひとしお。
一つ前にBSで放送されている「ドンと晴れ」とは対照的な空気ですが、それがまた新鮮でどちらも楽しんでます。
雁助さん、ずっと銀行に反対みたいですけど、その理由が雁助さんの口からいつか聞けるかと思ってましたけど、全然、そこらへんのことは出てきませんね。ずっと両替屋をやっていくにしてもこれから先、将来があるわけでもないし、雁助さん自身が影響を受けてた正吉さんもこれからは両替屋ではもたない、と言ったたような。しつこく、雁助さんとうめさんの目線はこれでもかと意味ありげに映すのに、いつも雁助さんの心理描写は疎かです。
あさと雁助さんの言葉のやりとりも、内容とかよりも表情とか言い方の面白さだけが残るというか。
雁助さん自身が炭鉱に行ったり、いろんなものを見てきているし、商才のある人っぽいのに。なんで銀行じゃダメなのかがわからない。
第一、炭鉱の話なんて雁助さんが行って以降、ほとんどスルーされてるし、消化不良でモヤモヤが残る。
今日なんて、栄三郎があさを褒めちぎったあとで、ちらっと映る雁助さんの複雑そうな表情。おいおい!そりゃ、敵役の人のようなショットじゃないの。この登場人物の中では一番まともに見れる人だと思っていたので、何も考えずに突っ走るあさ、あさに感化する栄三郎、仕事しなければと思いつめる新次郎・・とそこらへんは既にわかっている話の繰り返しで何だかなあぁって感じです。
>例えばあさが屋台を引いておでん屋を始めたとしても、あさのやるおでん屋には行きたくはない
これに笑ってしまいました!ほんとこんな魅力のない主人公めずらしい。作家がのめりこんで書いてないに違いないし、あさのことを全然好きじゃなさそうです。
もっと強い気持ちで書いたドラマが見たいな~。
あさは女傑でもないし、この先も女のリーダーには見えないんだよ。
なぜかといえば、女のリーダーとして何ひとつとして印象に残るようなものが描かれていないんだよ。それは時として他人にたいして非情になる部分がまったくないんだよ。大河の八重の桜はこのあさと同時期の人物なんだけど、八重の背中に背負われた火縄銃は薩摩長州の兵士を殺すための物であり、その異様ともいえる姿と比べると今のあさは八重の足元にも及ばないよ。
今のあさを見てると実業家?になれるなんてとても思えない。ギャップがありすぎて、何だかなって感じ。普通はそのギャップがいいんじゃないって思ったりするんだけど、あさの場合幼稚すぎるかと思えば変に啖呵とか切って勇ましくなったりするけど
それがキャラぶれにしか思えなくて少しもいいと思えないんですよね。
ヒロインが好きになれないとやっぱりドラマも楽しく観れないですね、残念。
安定感抜群のドラマ。金融業や経営の難しさを無理に描こうとすると支離滅裂になりがちだが、このドラマはそれを五代という人格に背負わせる事で超越し、そこに住まう人々の人情と生活を丁寧に描いている。素晴らしい。
ちょっと中だるみと言うか展開が少ないですよね。てか最後までワンパターンかな?
でも面白いですよ、なんなら1話完結的な感じでもいい気がしますよw
興味を惹かれないお話ばかりでウンザリ。
日々閉口しております。
なんだかなぁ・・・。
あさが来たの人たちが少しずつ成長しているのがいいね。先週のようなイベント週もドキドキして面白かったけど、そんな出来事を経て今週はじっくり見ることができています。あさがしっとり素敵な女の人になってきた。テーマである柔らかな力が外見にも内面にも漂ってきたかな。
一話完結、というのはいいアイディアかもしれませんね。切りよくサクサク話を進めてくれていい。
それにしても、ドラマの評価が厳しめで、批判もけっこう辛辣に行う私が、これに関しては、まあいいか~と、脱落もせずに毎朝けっこう楽しみにテレビをつけてるのが、われながら不思議。
絶賛というわけではないけど、いつものように攻撃的な気持ちにならない(笑)
それがなぜなのか、まだよくわからないのだけど、一つ言えるのは、構造が破綻していない、ということはあるかなと思う。
構造が破綻なんて、ほんとはドラマにあるまじきことだけど、朝ドラでは、これが意外にしょっちゅう起こる。
なにせ長丁場、脚本家が疲れたり、ノーアイディアだったり、場当たり的にやっつけ仕事をしてしまうことがあるようで、今まで、何度そういうドラマに当たったか。
それに比べると、開始前には全回分の脚本ができていた、と噂で言われるだけあって、全体構造はまとまってしっかりしている。
一つ一つのエピソードの運びは舌足らずだったり、たどたどしいと感じることはあっても、まず底にある安定感が、観る者を安定させるところがあるんだろう。
それから、人物になんというか、ゆるい「かわいさ」を感じさせるところだろうか。やはり、人物にもたどたどしさがあって、そこから、ドラマにそこはかとない愛情のようなものを感じる。
綿密でよく目配りが利いているぴしっとしたドラマが断然好みの私だが、このドラマに関しては、なにか、ちょっとマジックにかかってるみたいだ。
我が娘、千代の「なんでだす」にはタジタジのあさでした、とナレーション。
常に、ほぼ毎日、何十年も、執拗に、うんざりするほど、と枕詩はいくらでも溢れ出るほどに自分が言い続けている「なんでだす?」。
娘が口にするようになったからといって、何をタジタジになる必要があるのでしょう?
親の口癖を子がまねる事なぞ、ハジメ人間の時代からあることだと思ってました。
そのうち「せやけど」もイヤと言うほど連呼し始めるに違いありません。
もちろん、びっくりぽんも・・・うへぇ~
「(よそのお母ちゃんと)そないにちごてますやろか?」
私が白目をむいて絶句です。どの角度から見れば同じだと思えるのか?
東京行きの際に、家庭や良い母になることを捨てて仕事を選んだことも忘れているようです。
確か「男やったら覚悟決めなはれ!」の後に、ドリフのコントばりのズッコケシーン。
きっとあさの頭にはズッコケシーンだけが記憶に残り、「覚悟」の部分は消えうせたのね。
・・・いや待てよ。その後に涙の子別れがあったから、東京に行った瞬間に脳内はバカンスモードに切り替わって、その時に記憶がリセットされたのかも?
東京から戻ったあさは、涙の別れなどなかったかのようにしれ~っとしていたものね。
どこが普通の母親と違うかを新次郎に並べたてられ、「そないゆうたらホンマだすなぁ」とやっと理解できたあさ。やっぱり1から10まで説明されないとわからない女です。
それよりも新次郎の虚言癖の方が重症。藍之助と遊ぶしか脳がなかった頃に、せっせと野良仕事をする惣兵衛(←久々に書いた!)を見て、「(ワテも)子がおったらどないなことも頑張れる」とか一丁前の口叩いてたのに、今頃になって「マズイのはひょっとしたらワテの方かも」ってか?いやいや、ひょっとしなくてもマズイっしょ?
なんだろうこの夫婦。二人揃って頭ん中おめでたいね。
毎日お店のど真ん前でおままごと。そりゃ閑古鳥も鳴くでしょう。
老舗両替商の威厳もクソもありません。200年続いた暖簾も泣いています。
今日はドングリ坊主のたっちゃんがお父ちゃん役に任命されましたが、五代が現れた途端に、お母ちゃん(千代)は「五代さんや~!」とお父ちゃんを捨てて抱きついてしまいました。
こ、これは・・・。
冒頭で千代があさの口真似をしていたのは、まさかのここへ繋がる布石だったとは・・・。
東京からの帰りが遅くなったあさに「何があった?」と新次郎が尋ねた瞬間、ギロッと母親を睨みつけた表情の乏しかった3代目千代。
やっぱりあの時の千代は母親の不実を見抜いていたんだ・・・。
こんなことまで母親の真似をするなんて、千代おそろしい子ッ!
あの親にしてこの子あり。やはり血は争えませんね。
「炭坑の修復に入れ込んでるうちにすっかり“乗り遅れて”しもて」
表で千代がやらかしちゃった事など露知らず、銀行について五代に助言を求めるあさ。
だ・か・らぁ~!「もっとちゃんと考えときます」って勉強始めたばっかりちゃうんかい!!
昨日だって五代の学校行ったけど、廊下からのぞき見してただけやん・・・。
せめて少しだけでも勉強してるとこ見せてちょうだいよ~。
だいたい「みんながやってる」とか「乗り遅れる」とか、大阪一の女実業家が聞いて呆れる。
まぁでも、大阪には他に女実業家はいなさそうだし、たった一人でも女の中では一番だわな。
・・・ん?まさか大阪の全実業家の中で一番て意味じゃないよね、ね?
「銀行とは名ばかりの、金持ちがろくに勉強もせんと作った流行に乗っただけの格好つけ」
五代がいずれ潰れると言ったそれこそが、あさの作りたがっている銀行なのは間違いない。
死期の迫った五代アゲのため、五代ガールズとなったよの&かの。
五代の背中に向かって早くも手など合わせて拝んでおりました。ちょ、まだ早いって!
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