




![]() |
5 | ![]() ![]() |
1374件 |
![]() |
4 | ![]() ![]() |
264件 |
![]() |
3 | ![]() ![]() |
163件 |
![]() |
2 | ![]() ![]() |
114件 |
![]() |
1 | ![]() ![]() |
781件 |
合計 | 2696件 |
>ドラマでは結婚後しょっちゅう会っていますよね。
あさとはつは、よく会っていますが、はつは母親に一度だけ、逆にあさは父親に一度だけしか会っていないのでは?
まして祖父は結婚後初めてで、あさとはつの里帰りも初めてですよね。
年を取ってくると、若い時不思議だったことがわかってくる。
何故年配者が孫、孫と強くこだわるのか。
それが嫁を傷つけるとか考えられないほど固執してしまう。
前頭葉機能の衰えもあるかもしれないが。
よのの描き方はリアルだと思う。
今日はおじいちゃんの最期、悲しかったです。このドラマは一回一回のエピが丁寧に作られているので、安心して見ることができます。それが長く見続けて飽きない理由でしょう。回によっての当たり外れがないですね。
お爺ちゃんが、はつに言った言葉『強い人ほど人に優しくできる』
心のメモに蛍光ペンでアンダーラインを引きました。
本当にしみじみした良いドラマですね。
今日のおじいちゃんの死で、一つの時代が終わった気がします。
そして今井一家はこれから東京に出て、銀行を作るのですね?
一方、あさの嫁いだ加野屋は九州で炭鉱業を発展させていく。
時代の大きな変転のなかで、それぞれの道を歩む両替屋。
そのなかで逞しく生きていくあさのこれからの人生がどう変わっていくのか。
ますます期待できそうです!
↑
私もです!太い方のペンでグリグリと
お祖父ちゃんの臨終は、あさよりも悲しんだ人が
多かったように思います 。
お父さんの生真面目な嫁心得みたいな躾からあさを解放し
あの時代なのに男女の狭い括りや認識を取り払い
本当の意味で人育ての出来るユーモアに溢れた男前な方でした。
もう会えないのは残念です
今日の一番は友近の演技とお祖父ちゃんだと思いました。
だけど涙ぐんでいるあさの隣で“泣けないはつ”に興ざめ!
地味だけど演技派が売りなのに…ガッカリ!
はつは久々に実家に戻り、清潔な着物に温かい布団・・衣食住の満ち足りた昔の暮らしを何日間か体験してしまった。
今が幸せと言いながらも、やはり納屋暮らしは辛すぎると思うけど。
文句ひとつ言わない出来杉君な優等生ぶりが
健気を通り越してなんだか怖い。
確かに。。今まで、はつは健気で頑張りやさんだと思って好感持ってましたが、あまりにも優等生過ぎる発言と冷静沈着な態度に、なんかそれって違うんじゃ。。と違和感が。
あさとは違う意味で応援したくなくなってきました。
はつさん泣いてたように思えたのですが。。
順番に映る時に、顔が歪んでたように見えましたが?
私だけだったのかしら??
政府に請われて上京するほどの日本の中枢にいる一家の長女があばら屋ぐらしで、じいちゃんが危篤の際だけに実家で貸してもらった着物を着て参加する不自然さ。
その長女が親の気に入らない男と駆け落ち結婚して破産状態になったのなら100歩ぐらい譲ってわからないでもないけど、その長女は親の言うことを聞いて結婚したのだ。しかも本来は妹の所へ嫁ぐはずが相手のわがままで無理やり交換を押し切られたような結婚だった。
いくらはつが旦那と相思相愛だからと本人がいっても、遠くの方から感動気味で父親が偵察して、勝手に大丈夫だと決め付けて援助なし両親にどうしても納得いかない。
真冬でも上布団や厚着すらも出来ないし、囲炉裏のようなものもない誰かから借りたのかわからないような場所でだよ。「花子とアン」の実家ですらも、はつの状況よりまだましだったように思う。大きな布団は沢山あったからね。
もしかしてまた、今後の盛り上がるような展開の為に、こういう当時の状況や通常の感情の人間の心理などを完全無視したドラマは本当に作り物感が強くなってしまう。
まだ全体の3分の1のところでこんなにボロが出てくると今後は厳しくなると思いますよ。
はつの子供の成長具合が常におかしい、白岡の三男がもはや神隠しにあったかのように出てこなくなった、ふゆが成長していない、今井のおじいさんが危篤だというのにあさと将棋をさす余裕と時間はきっちりある、等々
惣べえの心の闇で引きつけ、次はふゆの妾問題で引きつけ、そういう後でしったら大した事のないような描写で視聴者を引きつけるのが上手い作品だなと思います。
はつは芯が強いなんてもんじゃない。精神力がすごく強い。
何もしない、憎まれ口ばかりの姑を理解し、疫病神と罵られても赦す寛大さ。
勝手に失踪した夫を迎えに行き、諭し立ち直らせる。
愚痴や不平不満、自己憐憫、責任転嫁や自暴自棄といった人間の弱さを認めたうえでのそれらを超越した強さを持っているからできること。感情にふりまわされない揺るがない自分があってこそ。
ふつう、苦労すると人間は歪む。
苦労を乗り越えて肥やしにし強く優しくなれる人は少ない。
このドラマでははつの内面の葛藤や成長などが全く描かれず、ただ聡明だからとされているので、人間味が薄く感じられる。
なかなかこんな風にはなれないよ。
はつさん臨終の時は涙ぐんでるくらいで、少し泣きっぷりが足りなかったから冷たく見えたのかな
史実では、そろそろ亡くなっているはつさん。
ドラマで命を与えてもらい今後どのような人生を歩んで行くのか楽しみにしています。
まあ細かいことを言えば色々あるのかも知れないけど、
このドラマにはそれを越える、何か力のようなものがあるね。
見る人を心地よい世界にゆったりと漂わせてくれるというか。
いま自分たちを包む現実が厳しくて醜いからこそ、
余計に人は物語の世界に浸りたいのだと思う。
久し振りにその願望をかなえてくれる朝ドラだね。
惣兵衛との再会でも家族の死に目でも取り乱さなかったはつさん。一回でいいから感情の爆発を見てみたいものです。ここまで冷静だと、逆にどうなったらなり振り構わず感情を露わにするのか、興味湧いてきます。できればネガティブな感情ではなくて、嬉しくて思わず大喜びとか、はしゃいじゃうとか…今のはつさんでは想像もできませんが(笑)。この数年で一生分の苦労をしたのだから、もうはつの不幸話はいいです。物語の中だけでも幸せになって、安心して喜怒哀楽を見せてほしい。
年表(NHK連続テレビ小説 あさが来たノベライズより)
1850年 今井あさ誕生
1857年 あさ(7歳)とはつ(9歳)の輿入れ先の入れ替えが決まる
1961年 あさ(11歳)と新次郎(22歳)との初顔合わせ
1865年 3月、新次郎の兄死去、姉はつの山王寺屋へ輿入れ
1965年 秋、あさ(15歳)、新次郎(26歳)に輿入れ
1868年 (明治元年)9月、あさ(17or18歳)玉利に借金、山王寺屋夜逃げ
1870年 はつ第1子出産
1871年 廃藩置県、あさ(21歳)蔵野(潤野)炭鉱購入
1872年 4月、あさ(21歳)炭鉱を訪れる、1ヶ月後祖父忠正死去 ←いまココ
昨日、あさ25歳発言にびっくりぽんでしたが、やっぱり自分の計算(21~22くらいだと
思って見てた)が間違ってなかったと安心。
ちなみに、1ヶ月後祖父死去の部分は「数ヵ月後」ですが、ドラマの中ではナレ&よのが
「1ヶ月」と発言していたのでそのように訂正しました。
あさの年齢を25歳(実際は21歳)と言ってみたり、結婚して10年(実際は7年)と言ってみたり、1867年12月(新撰組参上)には結婚して2年半も過ぎているはつに「まだ嫁いで1年もたってない」と言ってみたり、どうしようもないぐらいに滅茶苦茶になってます。
そりゃちゃんと見てる視聴者は混乱するよ。別にこれ重箱の隅じゃないからね。
↑
わかりやすい年表ありがとうございます。
以前も書いて下さった方がいて助かりましたが
こうして書かないと少しもわからない&その間違いの多さに辟易しますね。
ここまで酷い朝ドラは初めてです。
ナレの発言も、もう信用していません。
こんないい加減な作品に感情移入出来ません。残念です。
あんなふうに泣いているあさの横で、同じようには泣けないものです。
三つ子の魂百までと、あさを上回るはつの頑固な性格は早々変わらないだろうけれど、
ようやく今、本当の意味の家族ができて笑顔を見せる事が多くなり、
ずいぶん変わったなと思います。
これでメデタシ、メデタシでは終わらないだろうけれど、
あさの出番をこれ以上食わないで下さいね。
今週は今のところ、満足です。
はつさんの冷静さ…。確かにときに違和感がないでもないが。
でも宮崎さんって、これまでわたしが抱いているイメージはどちらかというと童顔で無邪気なイメージだったんですが。
自分のイメージを壊さないように役にも非常にこだわる女優さんだとか。
それでかえって優等生的と言われてしまうのかな。
けど彼女の持っている、苦難に耐えて健気に生きるというイメージは、決して誰でもが持てるものではないし、それを大切にしていこうという気持ちもわかる。
しかしまだまだいろんな可能性を持っている女優さんです。
彼女の内面で何かが吹っ切れて、いつの日かもっと冒険をしようと思われる日も来るのではないでしょうか。
わたしはそれに期待しています。
制作能力低すぎでワロタ
宮崎あおいを「明るく無邪気」とイメージしてる人は「篤姫」「ツレがウツに」「メリケンサック」とかのイメージじゃないかな。
「ユリイカ」「サッドヴァケイション」「舟を編む」とかでは、静かで芯のある役を好演していますよ。私はどちらかと言うと動ではなく静のイメージが強いので、はつ役は宮崎あおいの真骨頂が見れるぴったりな配役だと思って見ています。
今日の祖父臨終シーンも涙こそ流していませんが、無理に大泣きしている(ようにしか見えない)波瑠よりも、よっぽど胸に迫りました。隣のあさが邪魔なぐらいに。
あさはあさらしく、はつははつらしく祖父の臨終を悲しんでいたということなんでしょうね。
あさがヒロインだからあさの悲しみに焦点が当たるのは当たり前なんだけど、ダブルヒロインとしてはつに注目している人も当然多くいて、あさを食ってしまわないように演じなければならない宮崎さんも難しいのだろうなと思いました。
明日からのふゆと新次郎、よのの出方が気になりますわ。
なるほど、ぐっと悲しみを耐えていくうちに、じわっと涙が滲みでるような静かな演技ということですね。私は良いと思いました。演技力の点では、やはりはるさんよりは上ですね。でもはるさんははるさんで、カラッとした明るさが今回の役にはとてもあっていると思います。
はつはヒロインのあさを食ってしまわないように制御して、よく演じていると思います。
花アンでは仲間さんが完全に吉高さんを食ってしまったものね。
まあ、どっちが良いとか悪いとかではないけど、
まだまだ引き出しにいろんなものを持っている女優さんですね。
はつらしく、あさらしいお別れでした。
はつさんは小さい時から惣領娘として育てられ、昔なら尚更きちんと育てられ、
そしてあさとは比べものにならない程の苦労をしている。
元々持っている性格からも、人前では我慢が出来る人なんだろうと思う。
私の姉はお見合いで結婚し、何かあったら仲人さんに迷惑が掛かるし、実家が悪く言われるのも嫌だから、必死にお嫁さんを頑張ってしていた。
今の時代そんなのあり得ない様な我慢もあったけれど、やっぱり人に揉まれた人生を送っている姉は、いざというの感情の押さえ方が凄い。
だからはつさんの感情の押さえ方は、ありだと思う。
私は強い人は人に優しく出来るというおじいちゃんとのシーンで涙が出た。
好き放題に生きている次女には真似できない、はつさんはあっぱれな姉様だと思う。
そんなに時系列がくるっているのですね。手元にノベライズを持っていたり、それの中身を見た人にはドラマで正確に年表があっているのか気になりますよね。
思うのですが好きな朝ドラだと時系列がおかしいや史実と違うと批判されても私は気にならないのですが、どうしてこのドラマのファンは時系列や史実になると気にしすげるのか分かりません。自分が楽しい朝ドラだと思うなら気にしないで無視だと思うのですが?
あっこれはお茶の間のほうがいいかな?そっちにも書き込んでみます。
私にはこの朝ドラ見ても夢中になれないのです。なんというか無難な話ばかりで新鮮じゃない、波瑠を見ていてもおもしろくない。おもしろいと思えるなら時系列がくるっていても楽しめるのですがね・・・
はつとあさ、二人がいるからお互いの良さが引き立つと思います。絶妙なバランスで良い評価を得ていると思います。
私みたいにそのドラマが面白いか面白くないかで感覚的に見てる人間は、時系列のことなどを詳しく書かれている方には素直に感心します。さすが人気の朝ドラ、皆さんの関心度の高さは並じゃないですね。あくまでもドラマなんだし、色んな角度からの見方があっていいと思いますよ。
時系列、何かそうせざるを得ない理由があったのかもしれませんね。今のところ気になっていなかったので(気づいていなかった)ので、このまま流れに乗って見てゆこうと思います。今日は最後のバンクが気になりました。
今日のあさとおじいちゃんの囲碁のシーン、あさ可愛かった。
あさとはつの言葉が大衆受けするようなセリフ選び、脚本家ほんとそういうとこうまいと思います。
現代語ベースに程よく昔の表現をちょこちょこ混ぜ、方言萌え的なツボを心得た関西弁。
それを人気女優が発するとまあ何ともいじらしく可愛らしく聴こえるし、他のみんなの台詞の言葉選びもポイント抑えてる。人気があるのも納得です。
内容は常に満足と感動が短期的に得られるよう都合の良いものになっているから、漫画チックだし、苛々したりもするけど毎日見てしまうところもあり、
私の中では嫌いと嫌いになりきれないが混在してるドラマです。
2015-11-17 17:45:46様
素晴らしいです、ありがとうございました!
ふむふむ、やっぱり大幅に狂ってるんですね。
(^^;;
頭空っぽで見ないと耐えられないドラマですな。
あと、はつ、おじいちゃん死んだ時泣いてましたよ。
じわーっと涙ぐんでて、あれは感情から来る良い演技でした。
1872年 4月、あさ(21歳)炭鉱を訪れる、1ヶ月後祖父忠正死去 ←いまココ
今日の放送では弟が25歳になっていました。
実は制作側も混乱しているのでは?(笑)
お爺の葬儀やなんかも終わった感満載で、喪服も着ずに庭の木を見上げて「さいなら」ではなく「さよなら」と標準語で別れを告げたあさですが、なんでだす?
なんで今井家前当主の葬儀に誰も来ないんだす?
新次郎も惣兵衛も、白岡・眉山の両家から誰一人として弔問にも来ないのは何でだす?
「実は弔問に来てたけど」って必殺の脳内変換をしなきゃいけないんだすか?
特に新次郎はあさの手紙で危篤の知らせを受けてるよね?
ふゆの肩を抱いてる場合じゃないよね。
うめもご隠居さんの容態を気にする素振りすらないのはなんでだす?
み~んな薄情だすなぁ。
(はつは別としても)あさがずっと借り物の着物を着たきり雀で、葬儀から幾日も経ってないはずなのに、バンコの話でみんな笑顔。視聴者が泣けるわけがない。
「花アン」で吉高さんを仲間さんが喰ったのは美貌と色香!だと思いましたよ。
元々地味な宮崎さんですし抑えた演技というより今後も言われてる“出来過ぎさんキャラ”を
崩す気は無いと思うから“はつがあさを喰う”をような事な無いと思います。
寧ろ今日は“まつ毛を濡らして涙する”波瑠の横で泣けなくて一滴の涙を滲ませるのがやっとの宮崎さん。
“ばつの悪そうな”困り顔の宮崎さんが浮いてしまって可哀想な位!
確かにいつも同じ演技で…はつの人間臭さも見てみたい!
なるほど 年を取ったり若返ったりバックトゥザフューチャーしたりしてるんですね。
さすがはビックリポン!が売りの朝ドラです。
気になる人はとことん気になる、 気にならない人は言われて見ればそうだったの?ぐらいにしか気にならない部分なのかも知れません。
大河だと大問題でしょうが、既に死んでるはつさんがゾンビしていたり、五代さんが超能力者かマジシャン的な設定だし
現れたり消えたりするキャラもいます。
年齢も何歳だからと言っても、今の時代の人と比較になる訳でもない激動の時代の話。
年齢がはっきりした所で何かが変わるでもないかと思います。
それよりも気になるのは子どもの成長の早さとか遅さです。
子役契約の関係なのかも知れないですが、なかなか大きくならないとか巨大過ぎるのはちょっとビックリポンします。
だからと言って今の時点で子役さんが本筋に絡む訳でもないし、まぁこんなものかと思っています。
これであさとはつの人格がブレたり、あさが急に大人しくなって何も興味ない人になったら許せませんけどね。
史実も本当のところは何が正しいかどうかもわからないから笑 十分楽しんでいるので不満は感じませんでしたよ
今日はおじいちゃんに持っていかれました
言葉のひとつひとつに感じ入る
回想でまたお目にかかれるのを楽しみにしています
白岡・眉山の両家から誰も弔問にも来なかった件について書かれている方がいましたが、
ドラマではそういう省略の仕方は結構あるように思いますよ。
なんといっても15分のなかに話を詰め込まなきゃならない。
だから重要なのは、作者がその回で何をポイントにしたいかだと思うんです。
脳内補完といっても、「花子とアン」のときのようにドラマの根幹に関することではないから、まあ許される範囲内ではないでしょうか。
昨日の放送、最初の方見逃しちゃったんだけど、はつってどうやって実家に帰って来たんですか?
土地勘がないからわからないけれど、大阪と京都って近所なんですか?子供連れでそんなに長距離歩ける訳ないですよね、それに「文出すお金もあらへん」って言ってたぐらいだから、道中宿に泊まるお金も無いですよね?
それとも誰か迎えに来てくれたんですか?
「いい国つくろう鎌倉幕府ではありませんでした」「あの写真は西郷隆盛ではありません」など、せっかく覚えた歴史の知識も突然はしごを外されるしで、どうも史実なるものにこだわる気になれません。
セルフの掛け合いや、間、などは気になりますよ。
ですから番頭ズなど大好きです。
わたしアンチだけど金は実家で用意でしょう、着物も用意したのですから移動費もふつうに予想ができるのですが・・・うめも大阪なのではつがこまっていれば手を貸し、うめが代わりに手紙を・・・
うめがいるから今井ははつの情報もはいり・・・だから心配なしだす。
「迫りくる 最期の床で ひと勝負 碁盤に描く 孫への思い」
大好きなあさちゃんと碁を打ちながら臨終を迎えるご隠居さん。
考えてみれば、ずいぶん幸せなお祖父ちゃんですね。
うちの亡くなったおばあちゃん、親が年齢のカウント間違えていたらしいし、昔はそのようなこともありかなーと。流れに方向性があり、ストーリーの軸がしっかりとしていれば私は楽しく見ることができます。
花アンの蓮子は美貌や色香が目立っていたけど、内面は愚かで感情的な女の悪いところをいっばい持ってる女性に見えた。
仲間さんが演じてるからまだちょいワル的な魅力もあったけど。
それに比べて、あさ来たのはつは地味でおとなしいが理知的で立派な人格者。
正反対のタイプやな。
東京に本拠地を移して、巨大財閥に成長していくはつの実家・・・
あんなあばら家に住んでる娘を、なんでほっておくのでしょうか。
はつは親の言う通りに結婚し、没落したときも助けてもらえなかった。
今井家はあまりにはつに対して冷たくないですか。
かわいい孫も、あのままあばら家で貧乏生活させておくのでしょうか?
教育もあのままではしてもらえそうにないし・・・
貧しいながらも娘は家族仲良く幸せに暮らしている、とでもいうのでしょうか?現実はそんなものじゃないでしょう。
あの家もどこかの農家の好意でかりているのでしょ?
土地ももちろん借りものですよね。ふつうなら、手を差し伸べるのが実家でしよう。もしこのままほっておくとしたら今井家の親たちはひどすぎます
はつに祖父危篤と手紙を送った所で、その場で気を揉むぐらいしか出来ないのが関の山。
手紙も出しつつ実家から急ぎの籠を用意し、これに乗って
今から孫と一緒に大阪へと言うしかあの姑さんからの許しは得られないかと思うし一刻を争う状態ならはつも乗るでしょうから。
道中の賃金と手紙となると、はつがお金を違う事に使うかも
お姑さんの布団とか買うかも、想像ですけどね。
大阪と京都は、そう遠くはないですよ。
歩いても、1日くらいかな。
特に昔の人は、よく歩いてたっていうし、行こうと思えば行けない距離ではないですよ。
最近、思うんだけど朝ドラの死に別れの場面ってイマイチだと思います。本当はお涙頂戴の感動的シーンなんだろうけど、ちっとも感動しないし逆に苦笑ものに感じてしまう。今回にしたってあんなタイミングよく御隠居様が亡くなるものかな?もう少しリアルに描いてくれてもいいんじゃないのかな?
実際はあんな分かれ方自体ありえない話なんです。人間、死ぬ時はあっというまですよ。家族に見送られて死んで行く人なんてごく希なんじゃないのかな?まぁどうせドラマだから細かいこと言っても仕方ないんだけど過去の放送分も含めて、やるんだったらもっと視聴者の心を打つような感動的な演出を披露してほしいところです。
あさのお付がふゆになってふゆが喜んでいるという場面はやはりないですね
見落としてたのかと思って、2週目の録画全部見てみました。
ふゆの台詞は8話の
あさが新次郎から恋文もらったとはつと話してるとき障子を拭きながら
振り返って「いいなあ恋文」と言うのと
その後、台所で女中さんたちに囲まれながら
「恋文やて!いっぺんでいいからもろてみたいわぁ。しかもそれがえらいきれいな文字ぃなんやて!」
と楽しげに話してる場面だけでした。
その後は11話のあのお付き再取り替えの時で
「へぇ、うちはずっとおはつ様に憧れておりますさかい」といって
うめに「ふゆよけいなこといわんでええ」とたしなめられる場面です。
まだそんなに経ってないのに懐かしい場面でした(笑)
「花子とアン」でもそうだったけど、ヒロインの両親はわかりやすいぐらいヒロイン贔屓で、もう1人の貧しい方の運命を辿った姉妹の方は極貧なのに、わかりやすく放置される図式。何故、主人公の方は常に恵まれてるのか、なんていう理由もわからずただ単に主人公だからというだけ。そして、周りが放置してて数年もの間、助けなかった貧乏な方の姉妹を突如、必死に助けようとする。まあ多分、ちょうどいいタイミングを見計らって主人公がいいことしてる風景を演出したいだけ。なんか古臭いよねえ。対比とか図式的なことでしか展開できないっていうのは。
最初の頃にはるさんがおてんば描写で木に登ってるのを見た時に嫌な予感がしたんだよね。
新次郎の方の秘密であんな変なトラウマにしたのも、今後、時代の先端を走っていく金儲け夫婦の図式に見せないための言い訳に感じましたが、細かいところが巧妙ですね。
よの、菊、寺嶋しのぶにしても話の展開上、その場限りで盛り上がるような演出に合わせて、おかしな性格にさせられてるので、キャラとしての深みがない。
スポンサーリンク