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美和さんの店であさが話を聞く間
平十郎の視線はあからさまに美和に釘づけ。
まさか!ですよね?
平十郎の過去の職歴や留学経験は以前説明されたけど
家族持ちかどうかの説明はなかった気が。
冗談とは思うけど、従業員の恋バナはもういりません。
変な思わせぶりな描写は入れないでほしい。
なんで男女対立にしないといけないんだろう?
ふだんあれだけいい加減な仕事のやり方をしていてもチヤホヤされているあさが、見習女子行員たちに向かって少しでも失敗したら悪口を言おうと思っている男ばかりだと偉そうに言ったのを見て、あいかわらず感謝の心がないなと思ってしまいました。
昨日注意されたばかりなのにね。
それになんで仕事か結婚かって話になるのかも不思議。
女子行員って昭和まで結婚までの腰掛仕事扱いされてたし、あさだって一生雇い続ける気なんてないだろうに。
気分で応募した女性は採らないと言いつつ、お得意様の工藤さんの娘は動機があいまいでも採用するし、なんか脈絡なくその場その場でかっこいいこと言うだけで実がともなっていないなと思いました。
あのたまに幼稚な感じのあさの話し方が鼻に付いてしまって凄く苦手です。
かと思うとカッコいい事言わせるけどキャラぶれ感が、、何とかならないのでしょうかと思ってしまいます。
何気のあさ上げも忘れませんね。
遠い処から来てるのに、はつのちょっとそこまで感もこのドラマでは当たり前。
でも見てる方は違和感だらけです。
というか大森美香の私怨が込められてるよね。
短大出て数年、一般職でOLやって
頼み込んで入ったAD職も2年しか続かず、休職して物書きになってる。
だから仕事を描いても何処か地に足が付いてないし全体的に浅い。
勿論、引きこもりでもすばらしい本を書く人もいるけど大森美香はそうでないのは明白。
銀行事業も女性行員もまずはやってみることが大切。初めて尽くしで上手くいかないこともあるかもしれないけど苦しい顔一つ見せずに前に進んでいく姿勢が素晴らしいと思いました。
こういうことの積み重ねが今に繋がり、未来に繋がっていくんだね。
最近まったく面白くありません(笑)
あさが何気に偉そうにしてるのもムカつくし相変わらずのギョロ眼が目立ち過ぎ!
はつが出て来ても白々しくて苦手で、最初の頃とはまったく違う
つまらないドラマになってしまいました。。。
今日の女子行員のくだりはよかったです。
ただ、千代の反応が、年の割に子供すぎて、ちょっと気になりました。
なんだかなぁ。
これまでさんざん「さすが奥さん」「あさはすごい」とあさ上げに終始してきた男衆
平十郎、栄三郎、新次郎が揃ってあさの女子行員採用案に反対するなんて。
あさの生きざまを見ていれば女性だってその気になれば仕事ができることは十分わかるはず。
それが今さら女性は数字に弱い? しかも信用問題にしても、結局は新次郎の「おなごのおいど」云々のアホらしい理由で曖昧に濁され、逆転ですんなり承認。
なんか、これまであさの艱難辛苦や九転十起を描いてこなかった言い訳のように、あわてて苦労シーンを織り込んだかのようで、いかにもなわざとらしさに白けました。
ふだんからこのような男性社会でのあさの苦労をきっちり描いていれば
もっと説得力があったのにと思います。
結局最後はあさの思いどおりはいつものこと。
それでも、今日は久々にはつと惣兵衛のシーンが見られたのはよかったかな。
正直、眉山家のほうがよほど見たいという気持ちがわきます。
そういう意味で、明日はちょっと楽しみ。
男社会で女子が働くいうことの大変さなんて、ほとんど描かれてないんだもの。
どの口が言うてんのかって。男社会で働くのは厳しいとか。苦笑
学問の鱗片をちょいとのぞかせたり、なんでだす?女子かてって、言っていれば、見所ありと末は日本一の女商人と、女商人は当たり前のように扱われてきたわけで。
女行員に反対とか、女は、とか、いまさらとってつけたようなエビ持って来られても白けます。
で美和さんも女手ひとつで、大変やったなあ、のお返事は結局は男の力ざんす、って笑うわ。
そのとおり、美和は色、あさは物好きな人たちと信、そう、まさに女の武器と図々しさを生かして、ここまでのし上がって来た。と感じてしまうね。ヘンなドラマ。
このドラマで一番多忙なのはナレーションではないでしょうか?
銀行もショボイ職場であさの一声で全てが統制されてる様に思えます。女性を採用する件もすぐに解決。
採用決定の女性たちを前に「道を切り開くんだす」と力説するあさ。
その言葉に「そうだよね」とうなずけないのがこのドラマの説得力のなさを露呈している。
他力本願丸出しのアンタが言うなと叫びたくなり、あさのドヤ顔にいらっとした回でした。
今日は、久々によかった。
仕事の内容に立ち入ってきたからだろう。
女性も能力を生かすべきであること、女性の家事労働だって労働の一つであること、それを社会という場に移すことに何の不思議もないこと、ただし、社会で信用を得るためには厳しい姿勢とトレーニングが必要であること。
そういうもろもろが、セリフと芝居、エピソードによって表現されていた。
女が金銭を扱うことへの危惧を口にする男たちに対して、新次郎が「あさだって今まで帳場に立ってきた、これでも一応女ですのやで」と気づかせる流れもおもしろかった。
女性職員の教導者としてのあさの顔つきや言葉も、厳格でなかなかよい。
あの時代の女性の社会進出としては、ちょっと理想的に描きすぎのきらいはあるが、これが一過性のエピの挿入でなく、今後の加野銀行発展の一環と捉えられるようさまざまな局面にリンクさせてもらいたいもの。
女性実業家が主人公なら、女性の労働問題は避けて通れない大きなテーマだから。
女性が一人の人間として認められていったのは,武家社会が終わり近代日本が始まった頃でしょうからいい話だと思って見ていました。農家を継がずに銀行に入りたいという藍之助からも職業の自由が感じられていいですね。千代も藍之助も将来が楽しみです。
あさの千代の進路相談の時の驚き方が、あんなに望んでさずかったのに、子どもに無関心過ぎる親に見えて何だか嫌だった。
銀行開業から数年の間に栄三郎さん一家は本家を出たのかな?
何故分家が同居しているのか?
前作同様にヒロインはおさんどんに無縁なのね〜、子育ても周りがやってくれて、何だかな。まぁ、そんな時代だったのでしょうけれどね。
だったらお妾さんをきちんと入れて、女性として悩みなどを見せて欲しかった。
苦労を全部おねえさんが背負い込むの?
孫が優秀な事を嗅ぎつけて、今井のお父さん達進学させてあげてよ〜〜なんて思ってしまう位、はつさんには運が転がって来ない。
頑張れ、眉山一家。私の楽しみはそれだけになってしまった感じがする。
ひょっとしたらさほどあさに仕事の能力はなかったかもしれない。
でも、あの仕事場に女性が存在していたということ自体が
当時としてはありえないことだったのだろうね。
そういう意味でもファーストペンギンかなと。
くだらねー。
突然、突拍子もないこと言って
反対されたらほとんど恫喝まがいの視線で強引に決定させる。
言うことはすべて正しい、やることはなんの障害もなく上手くいく。
もはや神の領域ですね。
みんなアゲアゲしたくなるのもわかります
貸し付けの集金は何度も門前払いだったし、炭鉱夫達も最初は働いてくれなかったですよね。爆発もしたし障害はありましたけどね。
結局、貸付はあさが頭で解決したわけではなく、相撲で無理やり突破しようとしたり、居座りで、迷惑だからって根負けしただけのことですよね。それに男がいっても女がいっても関係ないところでした。男がしり込みしたり、面子が潰れるっていうところをあさが取り立てせなあかん、と押し切っただけのこと。
炭坑も始めは男出せっていってたけど、結局、その女のやらわない部分ではなく相撲でした。そのうちあねご、あねごの大絶賛で皆が信者みたいになっちゃっただけ。
あとは五代の助けや偉大な人達の絶賛とナレばっかりで成功している感じ。
やらわない部分ではなく⇒やわらかい部分ではなく
あさは普通の女性だったら当然障害に感じることを笑顔で前向きにやりきってしまうから苦労して仕事をしていないように感じるのかなと思う。あさみたいに自然に運や仲間を味方につけることが出来る人って世の中にいると思う。でもやみくもに味方についてくれるわけじゃなく、味方につきたくなる必然性はきちんと描かれていると思う。
皆様の意見も参考にさせてもらいながら再び
「あさが来た」を松尾芭蕉の俳句になぞらえてみました。
あさ上げを 集めて早し このドラマ
凄まじや 加野屋に横たふ あさ総帥
むざんやな 見送りもない 退職者
閑けさや 店に染み入る 盗み聞き
一言を 告げて立ち去る 偉人かな
謎深き 隣の炭鉱(ヤマ)を 見る人ぞ
確執は やり残してや 母娘
眉山の 菊より恐し はつの顔
ネット上 五代友厚 夢のあと
結果、前とあまり変わらないと思いました。
完
このドラマを愛するものですが、上記の芭蕉俳句はおもしろかったです。
説得力が弱く、普段の喋りが口半開き気味で、ぶりっ子である
前の台詞と、後の描写がチグハグで
妙に気持ち悪い
やはり、見てくれ重視でチープ
新次郎のおいども、うやむやな感じがして
残念
商売や人生の障害が、ちゃん障害を乗り越えたって感じで描かれていないから障害無しと書かれるんじゃないの。
ちゃんとあさが女であることの男にはない利点を生かした解決や、女と男とは対等である、と認めさせるようなエピになってないのでね。
雑魚部屋みたいなところに平気で寝泊まりしたり、相撲取ったり、掃除して猿回しと仲良くなった、それが見所ありとか、白馬の王子が助けにきたり。
いつも「そのうち日本一」と根拠のない褒め言葉であっさり解決しているから「困難を自分の力で乗り越えたじゃん、やったね。あさっ」て気持ちになれないんだよね。
女として差別されて、男社会でもみくちゃにされ、それに打ち勝っていくような話ってほとんどなかったよね。
ナレでその困難なところは三年後とかになってて、いろいろ大変出すわ、のセリフだけ。
誰か、いつも盲目的、信者的に持ち上げる味方がいて、女だからってことが却って武器になってた気さえするよ。
それでいて、女がこの時代男の中で働くのはどういうことか、なんて説かれてもちゃんちゃら笑っちゃうんだよね。
集金断られや炭鉱爆発なんてただの余興みたいなもので、あさがそれで苦労しただなんて断定しては言えないよ。制作側もあんなんで苦労していると視聴者が思ってくれたらいいと思っているのでしょうが、このサイトの住人からしたら、そんなのは制作側の戯言みたいなもんだよ。
自分が周りの人に恵まれたから成功できたと常に感謝できる人はなかなかいない。そして私費を投じても次の世代にそれを繋げていかなければと感じているあさのような人がスタートとなって今の働く女性の地位がある。
今もたいして働く女性の境遇は変わっていないのかもしれないけど。
あの時代に九州と大阪を行ったり来たり、それだけでも大変なことだと私は思うけどね。
大阪から九州なども毎回ワープだからね。どうしようもない。
あさは頑張ってるのかもしれないけれど、それ以上の周りのあさ上げや、ナレで説明ばかりしてきてるから実態がなく、私の中では色々なことに説得力が無くなってしまってます。それに普段幼稚なあさが急に素晴らしいこと言っても、はぁ?って思ってしまうんですよね。そのギャップがいいとか思えないので何だかなって思うだけです。
もうかわいいあさちゃんとしては描かれていないですよ?最近は。さちさんが嫁に来て以降は周りからおばさん扱いですし(笑) 天然なところはありますがそれは年齢に関わりません。
今日の訓示のセリフや演技、すごくあさに貫禄や説得力が出てきてかっこよかったです。
数日前に信用が第一と言われたのに
頭がすっからぽんなのか、もう忘れたかのようなあさ。
自分は満足してるのかもしれんが
顧客の方はまだこの時代は、従業員たち同様
女が銀行で労働なんて・・・信用できない・・・と
思ってるんじゃないんですかね。
いちいち一人一人説得するんですかねあさは。
まあなんの障害もなく成功しちゃうんでしょうけどね
今日の女子行員の話はよかったと思います。セクハラ心配するのが、新次郎さんらしいなと笑えました。
女子行員は信用できないというのが世間の評価なら、あさが経営に携わる加野銀行はすぐにつぶれていないとおかしな設定になりますね。
栄三郎の頭取室のセットぐらい作って欲しい。
執務室に栄三郎呼んで、あさがやりたい事の提案してると、あさが頭取みたいに見える。
画面上から伝わるメッセージとして、絵面としてやっぱり頭取の部屋に自ら出向いて提案、伺う形を作らないと、あさの机上で思いついたことがそのまんまへぇさんとの軽〜い雑談を経ただけで実現に向かう様に写ってみていてつまらない。
あさはかわいいあさちゃんとしてまだ健在です。
みんなの話題の中心にいないと気が済まないから新次郎も千代宥めるのもそこそこに、あさの方を向き直して構ってあげてるじゃないですか。
この時代に女子行員育成を考えるという発想が、やはり先見の明があったという事だと思います。
今日のあさは演技もスッパリしていて気持ち良かったです。
ただ、千代役の方の品下がる口への字の顔がちょっと??です。
あさは主人公ですから・・。
話の中心になるのは当然かと思います。
ドラマが始まった頃に番組のホームページを読んだら、
戦わずに周りを味方に付けながら成功してゆく主人公を描く。
脚本家や制作側が原作を読んで感銘を受けたのは、
モデルの方の女傑振りや輝かしい功績ではなく、
あの時代に、女性である彼女に手を差し伸べた偉人や多くの人たちがいたこと、
というような感じの事が書かれていた記憶があります。
あさという主人公は、やりたいことを好きなようにやっているように見えて、
実は決められた許婚と結婚し「お家の為に働く」しか生き方はない。
でも、その事に疑問を抱き嘆いていたのは子供の時だけで、
覚悟を決めた後は愚痴や泣き言を言うことはありませんでした。
当たり前のように押し付けられた「進路」を前向きに捉え、自分の生き甲斐にしている。
そんな彼女の生き方が人の心を動かしている気がします。
障害を一人の力で乗り越えるのではなく、難破船になりそうな時、
今は航海の時ではないと助言する人が周囲にいる。
運は人が運んでくるという言葉をどこかで聞いたことがあるのですが、
人を味方につけながらいつの間にか大きくなっていく主人公。
そこで得た貴重なものを人に教えることを厭わない器の大きさ。
あっさりと軽やかな生き方ですが、誰にでもできることではないのかも。
脚本家の言葉には、出る杭は打たれに打たれる、浅子さんも、そうだったはず。その打たれても、打たれても屈しない浅子さんの姿に、心を打たれて思わず手を貸した人たち、みたいな記述はありますが、その打たれても、打たれても屈しない描写はほとんどナッシング。五代なんてほとんど私情で動いてた感がある。苦笑
打たれる部分を強調して描くと、根性物語になってお涙頂戴的になる。
あさが来たは、あさが打たれても笑顔で爽やかにユーモアを持ってしのいでいくのがいいんだから。それがこのドラマの持ち味だと思う。
話の中心になるのは良いとしても、あさが言えば何でもごり押しになってあさ中心に物事が動くことに違和感があります。
週刊誌でも賛否両論の声が聞こえてきたし、エセフェミニズムの嵐にうんざりしてたところにまた五代再登場をわざわざ局が発表するのもあざとらしくて、視聴意欲がなくなくこのごろです。
今でも十分、お涙頂戴と恋バナばかりの物語になってますし、打たれても打たれてもなんて描写あったかしら?と。いつの間にか上手くいく描写はありましたけど、あさがしてる苦労なんて特別な事でもなく、お金持ちである環境に周りの協力がある優遇されたヒロインに応援したいと思う気持ちは少しも持てません。
許嫁のことですが、しきたりだから仕方ない、でも、それに従いたくない、という描写はありましたけど、結局あさは新次郎からのパチパチはんプレからは、新次郎のことを好きになってる描写もありましたよね。
だからこそ、素直に許嫁のことも受け入れる気持ちにわけだったと思いますが。しかも、自分はシロヘビと呼んでいた惣兵衛と結婚するはずだった、その事実まで知ったわけで。だから泣き言なんてでるわけがないし、それこそ泣き言なんて言ったらワガママでしょうね。
そろばんの勉強なども、パチパチはんは許嫁からの贈り物だってことで、その時からさせてもらえてましたしね。
当たり前のように押し付けられて、嫌だろうがなんだろうが家に従って嫁にいったのは、はつであってあさでは決してないと感じています。
はつ、もっと出てきて。最近のはつはかっこいいよ。陰気くさくて片意地だったはつはもういないって感じ。
不用意で不必要な持ち上げは、正しい成長を阻害する。
それを朝ドラで語る事になろうとは・・・。
はぁ・・・
どんな朝ドラもヒロインはアゲられるのがほとんどだからあさが来たに始まったことじゃない。苦労する姿を視聴者に見せるのもヒロインアゲの一種だし。自分のお気に入りがアゲられれば気持ちよく見ることができるし、嫌いな女優ならば不愉快になるだけのことさ。
今日の一番気になったこと
はつは和歌山から大阪まで、遠路はるばる来たはず。
でも、荷物も何も持たず、遠いところを旅してきたようには全然見えない。どこかの旅館に昨夜は一泊して、荷物などはそこに置いてきたのだろうか?
でも、ふつうは一刻も早く妹の家に到着したいだろうから、それはないだろう。たとえ夜だって直接行くだろう。
あのはつの旅で汚れた様子も、疲れた様子もなく、持ち物もなく
あの、ちょっとそこから来た感じ・・・・いったいなんなんだ?
もしかして、明治20年には和歌山から大阪まで、列車が開通してたのか(笑)
このドラマどんどんひどくなっていく。
最初のころは面白かったのに。やっぱり半年間持たせるって難しいんだね
あさの戦わずに成功する。打たれても屈しない姿に手を差し伸べる人がいる
というのは、私が思うにこんな感じ。
↓
子供の頃は、興味があっても女というだけで勉強はNG。読みたい本も読ませてもらえず、
算盤にも触らせて貰えず、でも諦めずに父に叱られてあかん子と呼ばれた(打たれる)
しかし、父においどを叩かれる姿を見た新次郎(手を差し伸べる人)から算盤を貰う(成功)
品物のように決められた許婚と結婚するに疑問を抱き悩む(打たれる)
しかし運命に抗って何か行動を起こすことはしない。許婚の新次郎が素敵な人だと感じたら、あっさりと結婚して家に収まってしまう(戦わない)
だが、日頃のあさの言動を見聞きしていた正吉に気に入られてしまい、
加野屋の仕事を任されるようになり(手を差し伸べる人)
結局戦わずしてぱちぱちはんも読書もやり放題の生活を手に入れる(成功)
加野屋を銀行にする夢を抱くが、正吉、雁助、榮三郎の反対に合い、
長きに渡って自分の念願を果たせずにいる(打たれる)
正吉には素直に従い、雁助、榮三郎と対立はしても自分を押し通そうとはしない(戦わない)
だが、時代の流れが変わったことで榮三郎が味方になり(手を差し伸べる人)
結局時機を待つだけで銀行を設立できる環境が整ってしまう(成功)
これって鳴くまで待とうほととぎす?
過去の朝ドラであった批判をこのドラマにも適用して考えたうえで、このドラマを批判しているだけですよ。過去の作品と同じことをしているだけです。
あさが実業家としての力をつけて周りへの影響力を得るにつれて、鼻もちならないところが出てくる。
そこを見たい。
イメージ的には、権力を持った実業家ってそういうもの。
その鼻をへし折られて、一つ勉強した、というところが描かれていれば、ドラマに深みが出る。
お客様の「顔」が見えないあさの銀行。ようやく大口預金者の方が来店して「おー」と私のテンション上がりかけた次の瞬間、用件は「娘の縁談」かぃ(涙)
本作が銀行業務を描かないことに関しては徹底しています。炭坑のときとずいぶん様子が違うのですが、ここまで徹底しているのには何か事情でもあるのでしょうか?
超低金利をいいことに、我が家の大事な預金やなけなしの学資積立金を投資や生命保険にまわせと言ってくる昨今の銀行の営業姿勢には大きな疑問はあり、朝ドラみて銀行の原点に立ち返れ~~と言いたくはなりますが、それ?まぁちゃうわな(笑)
女性行員の育成という加野銀行の先進性は、あさならではのものです。ただ、銀行の本業や新次郎が手がける紡績事業・炭坑事業などの本来事業がほとんど見えないままでは、女性行員の育成もあくまで周辺的な事柄にすぎないと感じてしまいます。
(もちろん、女性が学問を修め、働き、自己実現を考え得る世に向かう曙としての価値が大きいことは言うまでもないことです)
私は本作を楽しんで観ていますし、否定するつもりは全くないのです。あさの洋装も目の保養です。ただどうしても「女性実業家」であるあさの人生を描くという本作において、近頃「女性」であることが押し出されすぎている気がしてなりません。
ドラマ前半のあさは、大名貸しを取り立て大阪の両替屋を仰天させ、押しかけた人々全てに銀手形の換金をする決断をし、加野家の金庫はすっからかんにするも大阪の人々の信用を勝ち得る。そこからどん底の加野屋再生に奔走するあさの活躍には説得力があり、商人としての機転・才能が垣間見えました。頭のやわらかさは指摘されつつも、「女性」であることにそれほど重きはおかれていなかったように思います。
今のあさをみていると、このままではあさの「実業家」としての評価が正当になされないかもしれず、何とも心穏やかではいられません。
波瑠さんの知性のない演技が「あさ」という人物を駄目にしていると思う。あと脚本も。ギャグチックなオマヌケシーンはいらない。馬鹿に見える。白ける。
偉人が手を差し伸べるには、それ相応の知性が必要だと思うのだけれど、何だか波瑠さんが演じる「あさ」は永遠の18歳みたいなキャピキャピ娘にしか見えないな。
「あさ」も知識は沢山あって、色々と苦労している所もあるんだろうけど、ナレだけじゃ説得力がないよ。映像として見せないと。
何も、ど根性朝ドラにしろとは言わないからさ、アンバランスな脚本構成は嫌いだな。昨日のコスプレシーンみたいな無駄なシーンはカットしたら、感動するシーン、優しい気持ちになれるシーン、仕事を頑張って凄いなと思わせるシーンを満遍なく入れられるし、大作になったと思うよ。
最初は凄く期待してたんだけど、なんだか残念やな〜。
たまには、ど根性ドラマも見たくなってきたな、と思う今日この頃です。
コスプレシーンは密かに好きですのでなくさないで欲しい。
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