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皆さんのいろいろな感想、すごくためになります。
これだけあさが来たのドラマやその登場人物について
いろいろと思いを深く巡らす方たちがいる。
私は作者ではないけど、もし自分が作者だったらきっと嬉しいだろうなと思う。
私の場合、ずっと見ているうちに、なんだかこのドラマの登場人物が作り物の世界ではなく、本当に現実に生きている人たちのように感じられ、
前にもどなたかがおっしゃっていたように、自分も彼らとともに歩んできたように感じられます。
こんなふうにドラマのなかに自分を感情移入できるって、つくづく幸せなことですね。
オーバーだと笑われるかも知れないけど、これもある意味、生きていることの張り合いになります。
あさが来たが、自分にそんなふうに思わせてくれたことに感謝。
あさが直接、雁助を引きとめるシーンはどうしても必要だったと思う。
サトシを放置して爆破された炭坑を綺麗に後始末してくれたのは雁助だし、
その礼もちゃんと言うべきだったと思う。
このドラマのよくないとこは、あさと雁助の関係性を正面から描かないで、
そこにうめと雁助の関係を入れ込んじゃうことだと思う。
だから安っぽく、くだらなくなるんだよ。
呑気にうめの手から漬物を食べさせてもらったりしてないで、店の中で居場所を無くしていく初老の忠義な男の悲哀を誠実に描いていたら、それこそ「日の名残り」並みの大人の作品になったかもしれないね。
土曜日の放送で大活躍のナレーション。視聴者が見たいと思っている「仕事」の部分はナレ頼み。何でそうなるのか?
もっとしっかりした脚本を描いて欲しい。子供騙しの様な話が多いですね。
現在を生きてる人の方がもっと苦労したり、艱難辛苦を乗り越えて生きてるんじゃないかと思える方がいらっしゃると思う。
何の話よって感じですね・・・
色々な解釈があるのは当然だと思うので、否定をするわけではないのですが、
五代のことをあさがどう思っていたのかは正直わかりませんが、
私には五代のことが母娘関係に悪い影響があるとは思えないのです。
あさが「五代様のところへお商売の話をし行くから七夕の飾りはできない」
と言ったのは私にも記憶があります。
「帰ってから一緒にやろう」と言ったものの、寂しそうに千代が黙ってしまう。
でもその夜、七夕の飾りを一緒にやる場面があって、
「なぜお母ちゃんは普通のお母ちゃんとは違うのか?」と千代に突っ込まれる。
更にその後千代が五代になついている場面もありましたし、
千代の母親に対する複雑な思いは、藍之助の言う「銀行に焼もちを焼いている」
(この時点では「炭坑に焼もちを焼いている」)なのだと思ったのです。
それが決定的になったのが、あさが千代の書いた短冊を見落としていた事で、
その事に気づいてもわが子を抱きしめるのではなく、襖を閉めて泣くあさに、
それでも仕事を選ぶ女実業家の厳しさを私は感じました。
そして、母親ともっと一緒にいたいと思っていた千代を不憫に思いました。
でも、色々な捉え方があるのは当然ですし、ドラマはまだ終わったわけではなく、
千代は五代の事が引っかかっているのか?まだ分からないだけかもしれません。
そのことがどうしても気になってしまい、納得できないお気持ちはよく分かりました。
ご気分を害されたようでしたら申し訳なく思います。
この後どうなるのでしょうね。
引き際の美学ですね。辞めると決めて、周りから引き留められたり感謝の思いをかけられるのが苦手という気持ち、私も分かります。いつもの加野屋の日常の中で静かに去って行きたかったのでしょう。私は娘さんの病気の話も実は雁助が作ったものではないかと思っています。うめのあさへの忠義を心から全うさせるために自ら雁助が身を引いたのでは?そんな男気を思わせる雁助はとてもいい男だったと思います。
Eテレでヘンゼル役の瀬戸康史さんの登場で、
これからキリスト教や学校設立のことがどんなふうに描かれるのか
楽しみです。
広岡浅子さんは60代でクリスチャンになったはずですが、
そこにはあまり踏み込まないのかも。
和服も洋服も素敵な波瑠さんを毎朝観るのは気持ちが華やぎます。
「日の名残り」のこと云々だけでも、いろいろな感じ方がありますね。
メイド役のエマ・トンプソンの演じ方もよかったけど、
友近さんの演技も心に響きました。
あさが、千代より五代!だった瞬間は確実に存在したよ。
それが恋愛感情じゃないとしても。
小さな子供が、お母さんには私よりも大切なものがある、と自覚するのは寂しいことだ。
それなのに、どうでもいいときに偉そうに母親ヅラするあさにイラッとする千代の気持ちはよくわかる。
人と関わりながら仕事をしている女性は、誰しも我が子と仕事の優先順位に腐心し悩みながら日々過ごします。あさの千代への対応が正しいかどうかは私にはわかりませんがあさの気持ちはよく分かります。
要は古い時代が去っていく表現を雁助が去ることでしか出来なかったわけだ。っていうか、あさが目指す新しい時代の新しい仕事をちゃんと表現できないから、雁助のところに妙に力を入れたともとれる。まあ、「雁助がいなくなる」ってのは最初から決まっててこれありきの展開なんだよね。
だから雁助の心理表現も曖昧になって、ある時は女中を骨抜きにして一緒に去ろう、なんて言っちゃうし、ある時はあさに嫉妬する。ある時は別れた女房の手紙で家族に未練たっぷりな男にもなる。最期はあささんが面白かったって、何それ?面白かったら嫉妬しなくても良かったやん。雁助さん何となく何十人格とか日によって態度が変るけど精神的に大丈夫なのか?って思う、雁助さん。
まあ、登場人物を駒のように見てないから起きる現象です。
看護師が人命にかかわる仕事をするとか、一般の会社員の女性がどうしても休めない仕事をするとか、そういうのは子供でも理解できるし、働く母を誇りに思えるよね。
明治時代だって庶民の母親は働き詰めだよ、農家とか小商売の家のおかみさんとか。専業主婦なんてめったにいない。
でもそういうのと違って、大好きな五代さんと楽しいお話するんだもん♪ちよと遊んでる暇はないのよ♪はちょっと酷いよね。
五代さんだろうが誰であろうが仕事の約束は大事なんじゃないかな。
あさと千代、はつと藍のすけの親子関係が面白くなりそうですね。銀行編にワクワクします。
どんな商売でも信用あってこそ。
千代とのことは、あさにとってはわかってないのでは?と思います。どうして千代が反発するのか、忙しくて幼い時から母親としてなかなか構ってもらえなかったから、千代のことはかけがえのない我が子と想っていても、仕事で忙しくて幼少期から母親として千代と接する機会が少なかったことが、千代のあさへの反発のようにみえます。新次郎が仲裁に入る様子では、あさちゃん、千代の心に気が付いてないかな?千代の想いに気が付いてあげてね。
自分の子供に信用されてないあさが、商売は信用第一ってちゃんちゃらおかしいな。
忙しいなら忙しいなりのコミュニケーションを取ってないから信頼関係が無いんだろ。
そういえば大女優とか第一線で活躍していた人って、
子供との仲はうまくいってなかったというのが結構多いね。
何もかもって訳にはいかないんだよ。
「九転び十起き」とか、あさを見ていてそんな風に思ったことなんて一度もないし、恵まれた環境のお金持ちの奥さまがやりたいこしているだけにしか見えないわ。五代さんという素敵なナイトもいたし、ほんと良かったねって感じ。
史実の浅子さんはそれほど起伏の多い人生で、そのつど不死鳥のように立ち上がる感じだったらしいのに、いくらフィクションとはいえモデルにしてるなら少しはそれらしく描けば、あさを応援も出来たのに。私には何だか全然共感出来ないヒロインです。
世間的には成功しているように見えるあさにも弱い面があるんですよ。子育てに正解はありませんからね。私も耳が痛いです。
自分の子供をイラつかせてるあさが教育界に乗り出すってのが、また冗談みたいで面白いな。
さすが人情喜劇。
千代ちゃんは、あさ(母親)には自分(娘)よりも心引かれるものがある、自分と過ごすよりも楽しいことがあるって、ちゃあんと感じ取っていたから、ああ育ったんだと思うよ。
あさの心はいつも千代ちゃんを一番にしてなかったものね。
子供ってさといなぁ。
全然苦難なんてないのに九転び十起きってなにそれって感じです。森光子のでんぐり返しでも見ていたほうがいいくらいです。
「100点満点主人公」なんてドラマあったら見ないし、まず作らないし。
あのはつでさえ、実は非常に頑固で自ら殻を被った性格だったので、
「ああ、はつも人間なんだ」とホッとしたし、面白かった。
順風満帆に見えるあさも、アチラを立てればコチラが立たずで、
ちゃんと苦悩しているよね。
千代も憎たらしい感じがイイ!!
だからまた明日も見るよ。
感情描写や人物像にとやかく言ってもしょうがないですよね、だって丸っきりフィクションで史実ドラマじゃないんだから。
その通り
ドラマってのはフィクションです
史実が知りたければ本を読めばいいんじゃない?
知的好奇心が刺激されるきっかけになったことは事実
なんじゃないかな
ずっとあさが苦手だったって雁助さん言ってたな。
もしかするとあさも雁助が苦手だったかも。
苦手な気持ちは何故か通じ合うからね。
薄々雁助が加野屋を去ろうとしていることをあさは気付いていただろうに、一度も面と向かって話し合わなかった(ですよね?)雁助が出て行く決意をしたのは時代に乗れない昔気質の哀しさと意地、だけじゃなく、自分の意見に聞く耳持たずすげなく蹴ってきたあさの強引さにもあると思う。あさは長年加野屋を支えてきた大番頭に感謝もせず、その動向を気に留めもせず‥。
寂しく加野屋を去っていく雁助と、祝賀会で華やかに笑うあさ。この鈍感さと冷たさ。千代が嫌うのも無理はないよなぁ。
五代様ロスという言葉を聞くたびに、玉木さん可哀想~って思っちゃいます。
俺ではアカンのか~!と叫びたいでしょうに。
私は、新次郎さんも面白いです。
急激に仕事人(このフレーズは別の作品を思い出しそう)になってきてしまって、ちょっと戸惑ってしまいますけど、これはあささんの話であって、旦那さんの話ではないですものね。
ガンスケさんがいなくなって、それも淋しいです。
どっしり構えてくれてる人がいる頼もしさがあったのに。
旅立ちのシーンは、ちょっと淋しかったな。
皆、見送ったげて~~~と思ってしまった。
史実べーすであろうがこのドラマはつまらないよ。ドラマ見ても興味が涌かないから広岡の本なんて見たくもないわ。ドラマが最終回をむかえても人物への興味なんか涌かんだろう。なんでこんなつまらない史実の人物を朝ドラにしたのか意味不明だし、こんな人物が今ネットで高々と祭り上げらるのかも理解不能だ。くだらんドラマで早くおわれと思う。明日になったら星1いれたいね。
このドラマ立ち聞きが多いねぇ。品がないわ。
これがこのドラマを視聴した80歳になる私の母の最近の感想です。
このところの雁助さんとうめさんの恋バナには惹かれる部分も多かったですが、
ともに立ち聞きによって互いの真意を知るというワンパターン続きがとにかく残念でした。
多少の趣向や変化はあれ、毎日何らかの形で立ち聞き、盗み見のシーンが
あるのにはもうげんなりです。
限られた時間の中でテンポよく話を進めるための作劇法の一つであることはわかりますが
それにしてもこのドラマは多すぎ。
これまで長年朝ドラを見てきて母がこんなことを口にするのも初めてです。
ここまでくると脚本家に芸がないと言われても仕方ないのでは?
そのうえ女性実業家として後世に名を残したヒロインの仕事面が
ほとんど端折りとナレ説明ばかりの手抜き仕事。
残り2か月ですが、雁助が去ってあさに少しでも厳しいことを言う人間がことごとく去り
今後はとんとん拍子のヒロイン上げがますます加速しそうですね。
お金持ちのお嬢さんが大した苦労もなく成功するだけの話なんて正直面白くありません。
「九転び十起き」「艱難辛苦」の一片でも見せてほしいです。
既に上の感想で出ているように、雁助は滅私奉公な古いタイプの人間として描かれていないと思う。加野屋を銀行にするのは、大旦那の望みだった。銀行を出て行く雁助は、時代に合った形で加野屋ののれんを存続させるという大旦那の遺志に反している。雁助のこだわりは両替屋で働くことだけのように思える。両替屋でなくなった加野屋で働く気はなく、病気の娘の事も含め、出て行くのは私的な理由に過ぎない。自分の事だけを考えろ、と新次郎に言われた通り、雁助は私を優先することに決めたのだろう。銀行になっても加野屋に留まるのが滅私奉公。
雁助が加野屋を去る場面は、古い時代の終焉の象徴などではなく、新成加野屋に居るべき人間が、コミュニケーション不足のため出て行かざるを得なくなったマヌケな状況だと思う。雁助は「会社」という響きが冷たい、成功するかどうか分からない者に金を貸すなどできない、と銀行設立に対し不安を募らせていた。時代に取り残された自分は、新しい加野屋に邪魔になると考えていた。なのにそんな雁助に対し、加野屋の経営者たちは新体制をきちんと説明し、不安を払拭していない。雁助は自分が加野銀行にどれだけ必要とされているか、銀行になっても両替屋に大事な「信用」はやはり大事なものだ、など理解しないまま出て行ったように思える。仕事面の描写があまりにもいい加減な脚本のせいだ。
うめとの恋愛も含め、思い込みの激しい雁助が情報不足のまま結論を出してしまったように見える。これでは元妻に会いに行ったところで、お金だけ送ってくれればよかったのに!と迷惑顔されるかもしれない。カンチガイな雁助が、幼い千代に働く母親の背中を見よなどアドバイスするのも苦笑もの。こんな所に差し込まれたあさアゲを大きくなった千代が思い出して納得、なんて陳腐な話にならなといいが。
繋ぎ(特に仕事面)をきっちり描いていれば、雁助退場が本当の感動シーンになったかもしれない。というか、このドラマ全体がずっとマシな話になっただろう。残念。
毎日楽しみに見ていますー
23:11:59 さんに同意です。
過去のドラマでも立ち聞きが多い作品はやはり批判されておりましたが、このドラマの立ち聞きの多さは別格。
全くもってその通り、お母様の言われる様に本当に品の無いドラマだと思います。
2016-01-31 23:28:03さんの意見に同意です。
確かに雁助は両替屋で働くことだけのように拘った人で早合点でおっちょこちょい気質。こういう部分が変に魅力的に見えるのかもしれないけど、あさや栄三郎のことを勝手に悪く解釈したり被害妄想気味でプライドが高く思い込みの激しいタイプとも言える、有能な番頭だったとは思えない。こういう人は起業して自分が権力者になればいいのであって元々、番頭には向いていない。
あさが雁助をどう思っていたのか、そういう描写すらないのでもはやわからない。ただ、加野屋や炭鉱がピンチになった時などは2人でにらめっこのような形相をしていたり、それほど仲が悪かったとは思えなかったけれど、あさは基本、自分が関心のある人物以外は放置か無視が多い。例えば姉に頼まれてたふゆの縁談や、姉が拘っていた許婚交換、サトシの「新次郎さんはお元気ですか?」発言など面倒くさそうな案件は聞かなかったことにしてる。だから多分、あさが苦手としている雁助が去る件に対してもあさはノータッチなのだろう。
これほどヒロインが自分の都合の悪い部分を放置し続けてるのは、あまり今までも見たことがない。「花子とアン」「まれ」ですら大事な事をここまで見て見ぬフリしてる所はなかった気がする。「花アン」「まれ」ではヒロインの態度の悪さを叩かれていたので、それに懲りたのか、「あさ来た」では、ヒロインは面倒くさそうなことは無視するのが無難、という手法なのかもしれない。
どうでもいいような恋バナはとことん引っ張り、面倒くさいことや出しゃばりだと視聴者に言われそうなことは極力せず、基本無視、仕事をしているそぶり(実際はナレーションかセリフで説明しているだけ)をチラつかせて他はあえて何もしない。それが視聴者を不快にさせない手法だと制作者は気づいたのかもしれないが、そのやり方があざといと思うような視聴者もいる。
少し前にうめは65歳過ぎとの噂があったから、そこから数年たった今現状のうめはたぶん70歳ちょっと手前。昔の人の70歳で女中奉公およびあさの日本各地の旅のお供はきついんじゃない?
雁助がもし再登場あったとしても今より随分経ってからだろうし、いい加減、うめを幸せにしてあげて!
今週はひとり静かに加野屋を去っていく雁助と、
銀行開業に沸くあさを初め加野屋の人々と、
新旧の世代交代が感動的なかたちで描かれていましたね。
やはり脚本のしっかりしたドラマは、
何ものにも換えがたいです。
こんなひとときを毎朝持てることに感謝。
雁助さん役の人は無駄遣いされたと思う。
下手な脚本のせいで。
相変わらず雑な仕事関係の描写に呆れました。
お涙頂戴や恋バナにはグダグダと時間をさくのに。
きっとラストまでこの調子なんでしょうね、残念な朝ドラです。
このドラマは毎週毎週テーマをしぼって、
そこでダダッと盛り上げるから、
すごく迫力あるし見応えがある。
あさと千代の母娘対決はこれからどうなるのか。
そしてはつと息子たちは?
視聴者としては、たまには惣兵衛さんのお顔もみたいね。
あさと生涯をともにすると改めて決意したうめのその後は?
あともう2ヶ月だけど、いっときも目が離せません。
正直、朝ドラにこんなにはまろうとは。
銀行なんかちゃっちゃとうまく行っちゃったし、新次郎はどこかで勝手に祀り上げられてるし、これから先はもう、ちよとあさの対立、はつの息子たちの問題など、また内輪の人間関係が延々と展開するんでしょう。女子大なんかきっと「家族親戚の内輪話」の付け足しにしか過ぎない。
とても広い世界に羽ばたく物語になりそうな予感だけさせておいて、
実はとっても狭い世間の話しかしないドラマ。
ですね、実際はあさと愉快な仲間達って感じの加野屋物語ですね。
期待して損しちゃった。
もっとワクワクするようなあさの実業家への道のりを見せて貰えるんだとばかり。
偉大な人をモデルにしててもフィクションなら別物ってことですね。
ガッカリ。
一時は炭鉱でもお世話になった雁助が去って行くのに、何もお別れや感謝を言わないあさに違和感。
千代の育児を周りに任せっきりだったのに、今更口出しして千代の気持ちをずっと聞こうとしないあさに不信感。。
まあ雁助がいなくても事業は滞りなく進み
千代と睨み合ってもいつかは千代が母アゲするでしょうけど。
商い、教育と言っても、お金のことを中心に考えているようにしか見えないあさに親近感は湧きません。
自分にとって朝ドラ一位は、
カーネーションで絶対に揺るがないんだけど、
二位をこれまで通りごちそうさんにするか、
それともあさが来たにするかで、
気持ちが揺るぎ始めている(笑)。
そのぐらいにこのドラマの世界に魅了された。
ごちそうさんは良いときはものすごく良いんだけど、
ちょっと全体にむらがあるんだよね。
それからすると、このあさが来たは、全体にバランスがとれてる。
うーん、迷います。
確かに女傑物語は女傑物語で、とても面白いだろうと思う。
自分も最初はそれを期待したこともあった。
だけど、これはこれで頭を切り換えて見るととっても面白い。
この脚本家さんの作品って、実はこれまであまり見たことないんだけど、
こんなに人情物語がうまい人とは思わなかった。
人の心の深部まで分け入って、そこでぐっと足を踏ん張って、
じっくり時間をかけて描く力がすごいね。
描き方が浅薄だったり通り一遍だったりしたら、
こんなにははまれなかっただろう。
明治の女傑の事業の部分がみたいと思うのは、このお話の第1話で女学生に教育論を説くあさのシーンを入れたからですね。
あんなのをみたら、これからそういった展開になるのだと思うと思います。
ど素人の意見ですが(^^)
いくらこのドラマはフィクションだと謳い、おもろい夫婦の人情物だと宣伝しても、同時に広岡浅子という実在モデルがいて、それが幕末明治期に女ながらにビジネスの道を切り開いた女傑と呼ばれる人物であることも発表したら、それなりの描写を求める視聴者がいても不思議はない。現に関連本を買う人も多いのだから。
それにコミカルな人情話で事業面をまともに描く気がないのなら、台詞でだけ「九転十起」という広岡氏の座右の銘を利用したりしないでほしい。画面上、ほとんどヒロインが苦労する描写がないのに口でだけ「九転十起」だの「いばらの道」だの「艱難辛苦」だの言われても視聴者はきょとん。違和感を覚え白けるばかりです。
その上、福沢諭吉だの渋沢栄一だのという歴史上の有名どころの名前はしっかり利用する。
そういう意味でこのドラマは史実の良いとこどりの上っ面だけ。
べつにヒロインの仕事面ばかり描いてほしいわけではなく、この当時には珍しい夫婦愛の形態や仕事優先にしたがゆえの娘との葛藤なども十分描いてくれていい。
けれども史実と全く異なる五代友厚との恋バナめいた展開や奉公人の恋バナなど、余計な描写にいたずらに時間をかけて事業面をナレだけで進行するのはどうかと思う。
ビジネス面と人情話の両立はその気になればできるのではないか。
才能ある脚本家ならもっとうまく描けるのではないかと思います。
ていうかそもそも、この夫婦、おもろい夫婦かな。
方言とコスチューム設定取っ払って考えると
凡庸なラブコメドラマのカップルと同じことしかやってない。
千代ちゃん、あさをやっつけて(^O^)
新次郎随分と大人になったね。
今日のあさは女傑そのもの
千代はそれが嫌なんでしょう。
どこで育て方間違えたんだろうって...;;
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