




![]() |
5 | ![]() ![]() |
1374件 |
![]() |
4 | ![]() ![]() |
264件 |
![]() |
3 | ![]() ![]() |
163件 |
![]() |
2 | ![]() ![]() |
114件 |
![]() |
1 | ![]() ![]() |
781件 |
合計 | 2696件 |
長い間にできた母娘の確執はちょっとやそっとじゃ解決しないんじゃないでしょうか。今回は新次郎やよのが仲立ちした形で一応の流れを見せました。これから女学校での千代の成長や、あさの母として、実業家としての成長でさらに二人の関係が変わっていくことだと期待しています。
私は単純にお相撲で坑夫の気持ちを掴んだのではない、と思っています。炭坑編ではまず、一段高い場所から石炭事業の理想を語るあさの姿があり、女というだけで信用できないと反発する坑夫たちの姿がありました。あさは事業主というだけで上から押さえつけようとしてましたが、坑夫たちも又あさが女だというだけで見下していました。
次にピストルを持つあさの姿を見て坑夫やその家族達が、暴力で脅されて仕事をさせられる事への危惧を抱く場面があった。あさはまだ上から押さえつけることで解決しようとしていたのですが、妻たちの嘆願があり、行き詰まっているところに新次郎が来て、あさには柔らかい力が似合っていると助言をする。その後、今までは一段高い場所から演説していたあさが、坑夫たちと同じ目線に降りた場所でこれからの炭坑について語り、今後のことは相撲で決着をつけようと提案する。
つまり、自分の理想や意見は言ったけれど押し付けはしない、従うかどうかは「同じ土俵の上」で語ろうと言ったのだと思う。対戦相手を坑夫ではなく支配人である宮部さんにした時点で、既に坑夫たちの答えは出ているのです。双方が対等な位置に立たなければ問題は解決しない。お相撲はそのことにお互いが気づいて歩み寄るキッカケになったのだとあの場面を解釈していて、個人的にはなかなか良い場面だと思っているのです。、
色んな感想があって良いと思うので、まぁ中にはそんな人もいるということで・・・。
たまにしか見ないけど
すごく面白い
はつが前日に大阪入りして、宿で一泊したのでは、というご意見、私もそのように解釈してました。銀行が開く前には来ていましたからね。豪商の娘であり嫁でもあったはつさんですから、旅の道中で汚れてしまい疲れ切った様子で妹の立派な家を尋ねるなど、彼女の性格上ちょっと出来ないのではないかと。宿泊して風呂にも入り身奇麗にしてから、必要な荷物だけ持って翌日の朝一番に来て、その日のうちに帰っていったのではないかと思いました。その辺を視聴者の想像に任せるのか、ちゃんと説明するかどうか、ちょっと微妙な場面なのかもしれないと感じます。
最近ベッドシーン(布団)多くないかい。
新たな子供ができるフラグなのだろうかw
旅の荷物は、帯の上に括り付けてあったものだけで十分でしょう。
着替えも入浴もしないでしょうし。
布団シーン(笑)は、寝室で二人きりになれた時に、あさが弱音を吐いたりして、新次郎があさを支える助言をしたり出来る、唯一二人だけになれる布団シーンと思って観ています。
お布団がピタッとくっついてるのがまた良い。
千代が幼い時、川の字で寝ていたシーンも懐かしいです。
あの頃のあさも新次郎に心の内を話してましたね。
凛として、キリッとしてるあさとは違う、新次郎と二人の時に見せるあさの弱さ、新次郎こそ大きな器の人です。
いつまでも素敵な夫婦です。波瑠あささんと玉木新次郎夫婦で良かったです。
大家族や女中さんと暮らしていると夫婦二人きりになれる時って少ないと思います。ゆっくりと話せるのは寝る前くらいでしょうね。
いつでも誰かが立ち聞きか盗み見してる家だもんね。
本当に寝る間際ぐらいしか喋れないよ。
旅の出で立ちの話題が出ていますが、はつに限らずあさだって炭鉱から帰って来た時や東京に着いた時、常にきれいな格好ですよ。
このドラマで汚れた格好しているのは炭鉱にいるとき、あと山王寺やが夜逃げして荷車押してた時くらいかな?
あとは九州も東京も京都も大阪も和歌山も
隣のセットに行くみたいに(笑)あるいはどこでもドアみたいに疲れた様子もなく移動しています。
マッサンもそうだったな。キャサリン(だったっけ?)がアメリカに行く前に大阪からわざわざ北海道によって、おそらくまた大阪に戻ってアメリカ行きの船に乗ったんでしたよね。しかも戦時中に
まさにどこでもドアだなと思いましたよ。
花子とアンも、戦時中に子供が疎開先からいきなり帰ってきたりしてた。
どうやって?という感じだったけど、朝ドラってそういうことあまり気にしないね。
移動のたんびにわざわざ電車だか何だかに乗るシーンがあったり、戦後の大阪から東京にヨレヨレに汚れて到着していたカーネーションのことを考えると、朝ドラの全てがそういうことを気にしてない訳ではない。
が、むしろカーネーションが特殊だったのだろうかと考えるようになった今日この頃。
昨日たまたまYouTubeで本ドラマを見ましたが主人公のあさは今いったい何歳なんですかね?(千代ちゃんが親子ゲンカの果てに自室でジタバタしてた回です)
千代ちゃんがあれくらいの見た目の年齢で加野銀行も設立後ということは……不惑は過ぎてますよね?
姑のよのさんも、うめさんもかのさんもいい感じに老けてってますが主人公だけが中身も相俟って未だ20代にしか見えません。
髪型が変わり、着物から洋装へ変化しましたが外見だけ絶賛コスプレ大会で中之島や尼崎界隈を新次郎と歩く姿はまるで昼間っからホステスさんと同伴客のデレデレそぞろ歩きの図にしか見えません。
あの姿を見て名の通った女性実業家とその夫と分かっていても、道行く女性たちの羨望を集めている、という描写はいかがなものですかね。
全く見ず知らずの通行人にまでここのレビュアーさんたちが言うところの主人公アゲアゲをさせているのは相当無理がありますよ。
波瑠さんの事務所的に老けメイクはNGなんでしょうか?
(だったら朝ドラのオーディション受けなければいいのに)
それにしてもあさは羽織畳むの下手だなあ。
私つい最近このサイトにお邪魔するようになった新参者です。
このドラマの感想って正直細かすぎちゃう?と思っていました。
例えばはつさんが歩いてこようが汽車でこようがいいやん。はつさんが息子を迎えに来たのが重要であってって…とか。
でも、いろんな楽しみ方があるんだな~と今は思ってます。
だって画面の隅から隅まで映ってないところまでしっかり観察して時代考証して分析してってすごくまじめに真剣にドラマと向き合ってますよね。
一見あら捜しのようにも見えたけどこれはこれでドラマの楽しみ方としては面白いかもね。
>歩いてこようが汽車でこようが
歩いて来るのと、汽車で来るのでは、疲労度や危険度がまったく違う。
汽車で来たならその汽車賃が出せるほど眉山家は経済的余裕ができたんだなと判断できる。
今と違って誰でも電車に乗るような時代と違うから、開通したばかりの新しい鉄道にたった一人で乗って来たんなら、それはそれではつの強さと賢さの証明になる。汽車の切符の買い方すら分からない人の方がほとんどだった時代だし。
歩いて来たんなら、はつの意志の強さと必死さを感じるし、それを煙たく感じる息子の心理にまで思いが及ぶ。
表面的な出来事は、必ずその背景と繋がってる。背景の処理がテキトーなドラマは自然と浅くなり、説得力を持たなくなる。
誰も朝ドラに説得力なんか期待してないわ、どうせ慰みものだし。と思ってる人には背景なんかどうでもいいから結果的に細かい描写なんかどうでもいいし、そう思わない人にとっては細かいことが大切なんでは。
当時としては旅の姿が綺麗すぎるという件、興味が湧いたので検索してみました。
スウェーデンの学者ツュンベリー氏の日本滞在の記録というものがありまして、
それによると日本人の清潔好き風呂好きが相当印象に残ったようです。
「日本人は常に清潔に心がけており、家でも旅先でも自分の体を洗わずに過ごす日はない」
と書き記しているようで、瀬戸内海を船で通ったときの描写には、
投錨すると日本人がしきりに風呂に入りたがることに驚く様子などが書かれています。
また、江戸時代や明治時代の宿について検索したら、木賃宿という自炊の安宿があり、
風呂はついていないが、近所の銭湯に行って風呂に入ったみたいです。
なんとしても風呂に入る、これぞ日本人、なんでしょうかね。
これは想像ですが、当時は旅先へ直接行ったり帰るのではなく、
経由地で泊まることの方が多かったでしょうから、
そこで汚れを落として自分の家に帰る、もしくは人様の家に行く、
そんな習慣もあったのかもしれないなぁと思いました。
逆に交通機関が発達したことで、習慣も変わったのかもしれません。
ただ、ドラマの中の姿は多少綺麗すぎるのだとは思いますけどね。
来週は新たなキャストが動き出しそうで楽しみです❤
書き忘れましたがツュンベリー氏が日本に滞在したのは、
江戸時代の1775年です。
まれで「仕事の描写がない、これでは視聴者が納得いかないぞ、仕事を映像で映せ」などと言われていたけど、あさが来たでも同じようなことが言われるわけですね。同じような部分に批判がはいるのは仕方ないよね。
自分が本で読んだ明治時代の話だと、鹿鳴館の時代のちょっと前ぐらい、
福島から東京に行くためには、福島から宇都宮まで汽車で行って、
宇都宮から乗り継ぎの人力車で東京まで行くとのことでした。
石炭で走ってる汽車は乗っているだけで煤煙で顔や着物の襟が汚れたんですね。
道も舗装されていないから、人力に乗ると埃でまた汚れたんでしょう。
だから遠来のお客さんを迎えた家は、まずお客さんをお風呂に入らせたと。
本当はあさも炭坑にいるときだけ顔に炭をなすりつけたような汚れをつけるんじゃなくて、
白っぽい上等な着物で九州の山の中まで旅をしちゃいけなかったんですよね。
>みかん農家を訪ねるのに、ドレスを着てお土産はみかん・・・。来週で最終回にしてください。
笑いました。でも本当に炭坑に行く時もいつも白っぽいお着物で
綺麗なまま汚れ、乱れ一つなく到着。(不思議過ぎる)
あさはTPOとか全然関係無いんですよね。
綺麗なお着物、ドレスを視聴者に見せたいだけの脚本にしか思えなくて残念です。
はつさんは小さい時からずっと我慢と苦労の連続で、演じる宮崎さんの本来の実力とも相まって感情移入しやすい役柄を間違いなくきっちり演じられ好演していますね。一方のあささんはそうした姉と対照的に、割と難しい役どころかなと感じています。セレブの奥様でしかも実業家としても飛ぶ鳥を落とす勢いです。どうしても嫌味な感じになったりで、視聴者からは妬まれがちですね。多分制作側は、波瑠さんの持つ清潔で中性的なものを漂わせる雰囲気や品格のある存在感が、この難しいあさという役柄を爽やかに演じきるにふさわしいと抜擢されたのだろうと思います。きっとこのあさ役を終えた時には、女優として大きく成長するのではないかなと感じます。私も波瑠さんという女優さんをこのドラマで初めて興味を持ちました。ふと気付けばあと残り少なくなって寂しいばかりですが毎日応援しています。
↑はつの効果やあさのキャスティングの妙、その通りだなと思います。
でもはるさんはおっとりしてるから今後大躍進、どうだろう…?
今日は長文さんがお休みなので残念至極。笑いたい…。
このドラマのどこでもドアっぷりは気に入らないけれど、批判するならせめてちょっとぐぐってみましょうよ、とも思います。
和歌山県にはまだ鉄道は開通していません。この当時なら汽船会社がいくつも乱立していて、値下げ競争が始まっていたとか。夜船で来れば寝られますし、歩くよりは旅装が軽くてもいいでしょう。
みかん農家ならみかんを運ぶ船の人と仲良しでしょうし、息子が家出して…と聞けば乗せてくれたかもしれません。
考証で気になるのは、藍之助の家出を知ったらあさが銀行に入れないというところですね。
当時は勉強できるのに貧乏な子なんて普通にいて、金持ちの家が出世払いで書生を預かるなんて当たり前のことで、以前セリフで五代が若者の支援をしてるという話もあったのに、なぜ藍之助に学費を貸すから進学しろという話にならないのかが不思議です。
来週やるんでしょうか?
人前で着物の裾はだけて大股で四股を踏み、
男相手に相撲を取ったり、
馬小屋や中元部屋でも臆せず熟睡したり。
あさを思い切り度胸の良い男勝りキャラに造形し
それこそ時代を切り拓くパイオニアの優れた資質と描きながら
都合のいい時だけ女になったり母親になったり
急に新次郎に甘えた声を出したり。
あさのキャラに一貫性がなく気持ち悪い。
人間は多面的だと言っても都合よく可愛い子ちゃんに描きすぎ。
はつの家が和歌山のどこにあるのかがわからないけど、
海に遠い場所だったら船に乗るまでが大変じゃないのかな?
和歌山って広いよね。
男勝りで仕事に対することは臆せず前向き。
新次郎にだけは弱い自分を吐露できる。
いいじゃないですか。夫婦ですもの。
あの五代さまにもあさが心をよろめかせることはありませんでした。
はつが母親に渡された地券には有田と書いてありましたよ。
そもそも明治の西日本の商売は、大消費地の大阪に船で品物を運べる場所にあることが大前提です。(本当は炭鉱もあんな不便な場所にないんですが、そこは嘘ついてましたね)
何で五代にあさが心をよろめかせる事がなかった、と断言できるのでしょうか。
私はあさは心をよろめかせたのではないか、と疑っていますし、そのことを今も怒っています。
もちろん、そうでない事を願っていますが、疑いをはらす事ができません。
セリフでは「心の友」とか「ビジネスの師」などと言っていましたが、演出では十分によろめいた表現だったと思っています。
大体五代は全然「師」には見えなかったですし。
このドラマは各場面を切り取って放送している事が多くて
なぜそうなったのか等の前後の説明は省略が多いですよね。
はつの夜逃げの顛末とか、なぜ富豪の今井が貧困のはつの一家に援助しないのかとか、あさがなぜ新次郎や千代を連れずに一人で東京の五代の元へ行ったのか、炭鉱が爆破されてお店の危機なのに実家にも泊らずに何処へ泊ったのか、あさはふゆの新次郎への恋心を知っていたのか最後まで気がつかなかったのか、等々言い出したらキリが無い位たくさんの省略があります。
上にもあった、はつの旅姿や和歌山からの行程もそうです。
それは制作サイドが細かい事は描写しないから、それぞれ視聴者が適当に自由に想像して判断してくれて結構という事ではないかと思っています。
であるなら、あさが五代に恋愛感情があったのかなかったのか、炭鉱の人妻のあさの枕元へ五代が現れたのはどういう事なのか、爆破の時に炭鉱へあさと五代の二人ででかけた事はどうなのか、あさが東京の五代の事務所で一晩明かしたのはどういう事なのか等、視聴者がどう判断して想像しようがご自由に、という事だと思います。
私は五代が死んだ時に新次郎の腕の中であさが号泣していたのは、夫公認の愛人の死を泣いているように見えて不潔感と嫌悪感で一杯でした。とても不愉快でした。
年末の東京行きから五代の死までの描写は、あさに五代への恋愛感情がにじんでいたと思います。
「養之助にも会ってみたい」はいいけど、梨江は一度も千代と会ってないよね。
千代が生まれて15年間一度も母方の祖母と対面しないってすごいね。
はつみたいに貧しい訳でもないのに、超裕福でしかもその間最低2回は東京へ行ってるし、1度は千代も一緒に上京してるのに。すごい確執のある親子みたい。
梨江は和歌山へは行っても大阪の加野屋には立ち寄りもしなかったし、あさは嫌われてるのかな。そう言えば最近はお守りの存在も忘れられてるね。
勝手口で餌付けしてた猫はどうなったのかな?雁助が連れてったのかな。
あさは乗馬の練習もしてるって昔言ってたけど、結局一度も見せてもらってないね。
栄三郎の娘の名前はなんて言うんだろう?
今一番かわいい時期だと思うけど、よのさんは栄三郎の子には興味ないのね。
あさは千代に銀行で働いてほしいみたいだけど、子供を一人しか産まなかったことについては誰も触れないね。なんか色々へんなドラマ。まぁ今に始まったことじゃないけど。
ドラマの感想なんだから賞賛があれば批判があってもいいです。どっちも遠慮せずに「ドラマ」について感想書いてよ。遠慮のない感想はおもしろいです。わたしはやや批判的にこのドラマを見ていて世間の評判も冷ややかに見ています。
主人公は美しいけど、ドライなのか、表情の変化に乏しいのか
最後に顔のアップで終わったり、泣きの演技のときなど、
いつも物足りないな…と気になってしまう。
朝ドラの主人公って昔はそんな方ばかりで
十分頑張ってるんだろうけど。
何より、脚本が最近雑で、とにかく主人公を持ち上げて
夫婦ベタベタしとけば満足でしょって、
見てる人を馬鹿にしてるような浅い内容なのが気になる。
広岡浅子の座右の銘であった「九転び十起き」が
白岡あさの人生のどこにあるんだろう?
ピストル持って炭鉱へ乗り込んだまではカッコよかったけど
ピストルの暴発一発で荒くれ男は一気にびびり、
あさが相撲を取って男を投げ飛ばせばそれまでが嘘のような絶賛。
「おおきに姐御」の大合唱。
炭鉱爆破の事後処理もほとんど大番頭に任せきり。
銀行開業の資金が必要となれば
買い増した炭鉱から都合よく仰山石炭が出て加野炭鉱の経営回復。
たしかにあさは度胸も思い切りもよく頑張っているけれど
仕事での苦労や挫折が一切描かれないのは片手落ち。
苦労の描写がないのに言葉だけ「九転び十起き」とか
「艱難辛苦」とか言われても空々しいだけで説得力がない。
その分、娘との確執など家庭で苦労したと言いたいのかもしれないけれど
それもほとんどが他人任せで中途半端。
何でも「びっくりポン」でやり過ごせるお気楽金持ち娘が
自分の好きなことをしたい放題してるようにしか見えない。
予想したドラマと全く違ってがっかりポンです。
もっと面白くなってもいいはずの題材なのに、それほど面白くない。
あさがますます嫌いになってきました。
性格も嫌だし、変にあの甘えた感じがどうもダメです。
もう少し、ヒロインを賢そうに描いてほしかった。
仕事のできる賢い女ってそんなにヒロインにしては駄目なのか?
なぜ阿呆のようにふるまわせないといけないんだろう。
あさのおかげと言われても全然そう思えません。
セリフと実態が一致しないし説得力ゼロ。
あさは洋装になってもおバカ。
ヒロインは生活感がなくても綺麗な格好のほうがいいです。まれでは貧乏くさいとか不潔だとか散々批判されていたから,あさが九州に行くときに野宿でもしていう台詞が出たときに,また叩かれるのかな?って不安になったくらいです。
今のように道路の舗装がないから土埃や,汽車の煙や囲炉裏のすす等で花子とアンほどではないにしても昔の人は黒く汚れていたのでしょう。温泉地でもない限りお風呂に毎日入ることなんて贅沢だったのでしょう。そういう生活感丸出しのドラマより綺麗な着物やドレスの方が楽しめていいなあって,朝ですから特に思います。
馬鹿丸出しのヒロインを半年間も見せられてうんざりです。次回からは少し知的な女性を見せてほしい。ヒロインを馬鹿にすれば視聴者受けすると思っているのかな?この制作サイド。そういうのが嫌な視聴者もいるんだよ。なんかキツイ半年間になりそうで悲しくなるよ。
財閥の超お金持の妹夫婦をもてなすため、自分たちは普段はなかなか食べられないであろう白米の炊き込みご飯と具沢山の味噌汁を用意するはつ。貧しい生活を妹に恥じることもなく大らかな微笑みが眩しい。
裕福な今井家で綺麗な着物着て優雅にお琴弾いていたはんなりしたお嬢さまが、今や農業と家事を切り盛りする肝っ玉母ちゃんになっている。
でもしっかりと躾をされ身についた聡明さ、気品は質素な身なりから滲み出ていますね。
これからあさの事業が佳境に差し掛かるというのに時間をさいて和歌山編いるかなぁ?って思ってたけど、やっぱりはつを見るのは嬉しいわ。
今日は40過ぎてもまだ子どものように新次郎にたしなめられ口をつまむあさに対して寛容に笑えました。って、これがはつマジックですか!
あさが褒められる場面にどうも違和感を感じる、
という感想には大変共感を感じるのですが、
何故かこのドラマを批判する気にはなれずにいます。
そこいら辺もう少し説得力のある描写があったらなぁとは思うのですが、
よく分からないけどなんだか面白いからイイやという感じ。
たとえば、東京編は具体的な視察の場面などを見てみたかったし、
銀行の設立についてはもう少し詳しい説明が欲しかった。
でも、あらら~トホホ~と感じた次には引き込まれる部分があるので
結局毎朝8時が来るのを楽しみにしてるんですよねぇ。
面白いという人、面白くないという人がいるのも分かるし、
個人の感じ方だから「これでいいのだ」と思う。
今週は、眉山一家の和歌山での暮らしぶりが見れるようで楽しみです。
あさはドラマ内ではどうやら変人扱いなようなので(笑)
らしくていいと思います。
いつまでも子どもっぽいところがあるのは偉人の常。
私は美貌の変人、あさが好きですよ。
ドラマは面白いけど、いい歳したあさの口をつまむ仕草がいつまでやるのだろうか…
明治維新でに対照的な運命を歩んだ姉妹とその家族たち。それぞれの幸せを見事に描いた素敵な作品だと思います。ここに来てさらにその思いが強くなりました。
お口つまみは今井の娘のころからのあさのアイデンティティで、新次郎とのコミュニケーション手段。おばあちゃんになってもお口つまみスピリッツは忘れないでほしいわ。
あさの口つまみ、びっくりぽんと同じくこのドラマのいい小道具だと思いますよ。おばあさんになっても、いらん口をたたいて、ハッと気づいて口をつまむの、ずっとやってたら面白い。
それより、あさ夫婦の会話にもう少し工夫がほしい。触れ込みではオモロイ夫婦のはずだったんだけど、あまりオモロく感じられない。ちょっと脚本が手詰まりかな。
ボケとツッコミを含めた大阪弁の軽妙さが見られないのは残念しごく。
今日多かったですよね~口つまみ 呆
びっくりぽん出ないと思ったら、偉人モデルの実業家。。新次郎まで、しつこい。
新次郎の目が笑ってなくて怖いなぁ
なんか今日の見て、きれいじゃないと見所無し、
あの先生が持っていた新聞の切り抜き、わざとらしい、皆さん、芝居が下手に見えました。
惣兵衛さん、新次郎に会えた時凄く嬉しそうでしたね。
新次郎は、玉木さん所作が本当にきれいです。
食事する姿だけでもとってもきれいでした。
藍之助は、加野銀行で働きたい気持ちがまだみえます。
どうなるのでしょう?
菊さん、はつに歩み寄り温和な感じで良かったです。
ほんとわざわざ新聞の切り抜き見せて、何気にあさ上げ。
新次郎まで口つまみいらないわ~ くだらない。
スポンサーリンク