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前半少しずつ積み重ねてきたことが、後半になり素敵なエピソードとなって昇華している気がします。初回から見ている自分も加野屋の一員であるかのような連帯感を感じます。
この朝ドラは過剰なまでのあさアゲがとても酷いです。ドラマに昇龍拳をかましてやりたくなるよ。
具体的にどんな積み重ねがあって、どう昇華してるのかさっぱりわからない。
雁助ロスになりかけそうだったのですが、新次郎の変顔で笑って終わった。
15分の間に喜怒哀楽がうまいこと詰まっていて、次回や次週へのつなぎ方もうまい。
離れも含めて同じ敷地でしょう。でないとよのが残る意味がありませんよね。
その時々でいいシーンを作ろうとしてるけど
それまでの過程がないがしろにされているので
ちっとも感情移入出来ずに、置いていかれてます。
なのでどんなに感動シーンであろうと、いつもフゥンとしか思いません。
仕事描写が皆無過ぎでしょ。
ガッツリ入れろとは言ってない。4割くらい入れて欲しい。仕事描写入れて視聴率が下がるとは思えませんがね。むしろ、視聴者もあさ凄いなと思っえて共感できる描写が増え、人気も出ると思いますが。ある程度の人気もあるみたいだし。
最近、内容が一気に薄くなって、本当に下らなくなった。こんなんで、名作とは言えませんよ(笑)「おしん」みたいな作品が名作ですわ。「あさきた」と「おしん」比べたら可哀想か(笑)
あさと五代さんの不思議な縁、亀助のふゆに対する想い、ふゆの新次郎に対する想い、雁助とうめの想い合い、ずっと丁寧に描かれていました。むしろ引っ張りすぎだと言われるほどでした。この時間が視聴者の感情も熟成させたような気がします。
最近の朝ドラでは珍しいぐらいに、人間模様や人々の思いの深さが丁寧に描かれていましたよね。だからハマる人はとてもハマるんだと思います。要はドラマは好き好きですから。
あさの聞き上手、判りやすく人に伝えられる事は
仕事をしていく上での重要な能力のひとつです。
それはちゃんとセリフにもなってきました。
また、小さい頃からどんな人にも物怖じせずに「なんでどす?」と疑問を投げかけ、
果敢に挑んでいく姿を幾度となく見てきました。
その、時々の言葉だけを拾えば単にあさ上げしてるだけとしか見えないけれど、
実はずーっとあさの柔軟な考えを人が認め、その人が人を呼びと、
いつの間にか周囲の人たちを驚かすような人脈を作って来た、
と言う事になるんだと思います。
省略しても初めからずっとあさをの性格をきちんと描いてきていますので、
私としては別にかまいません。
時に人の心に鈍感なところも、それを無神経と捉えるか、おおらかと捉えるかは
相手が何を欲しているかで違ってくるし、それは千代との確執で表されていますね。
ところで、「五代ロス」とか「名作」だとか・・・の言葉は一部の人の話でしょ?
私はどれでもない、ただ物語を楽しんでいるだけの者もいる。
時々視聴率が上がったとかどうとかで、それみろ風に書いている方がいるのは、
このドラマが好きな私でもなんか気恥ずかしいよ。
ついでにですが・・・“頭の柔らかい視聴者”とでも書いてくださればうれしかったです。
「なんでどす?」だけで、あの激動な時代に女性が様々な事業を起こせないと思う。
その辺が甘過ぎる。
ファンタジードラマだ。
2016-01-30 22:42:27 名前無しさんのおっしゃる、
「15分の間に喜怒哀楽がうまいこと詰まっていて、次回や次週へのつなぎ方もうまい。」
私もこれに尽きると思います。
言うのは簡単ですが、これの出来てるドラマって結構少ない。
この作者はすぐれたテクニックの持ち主ですね。
洋装を新次郎さんに褒められて、褒めてくれるのはもう旦那様だけ!と言ってたけど、五代様が死んじゃったから?
色恋に疎い体でやってたけど、ほんとは好意を持たれてるのも全部知っててうまいことやったんじゃないかなって感じでした。
榮三郎さんの奥様は、お付きの女中はいないのかな。
よのさんにはかのさん、あささんにはうめさんが張り付いてるのに。
「そんな甘いこといってくださるの、もう旦那様だけどす」
もう……?もうとは、前はいっぱいいたってことですか?
甘い言葉を言うのは、普通は異性ですよね。家族が誉めてくれるのを甘い言葉とは言わない。
色恋に疎いと思ってたら、ただの天然ぶりっこカマトト女だったことがバレてしまいましたね……いや、前から薄々わかってましたが。
私も2016-01-31 01:00:38名前無しさんに同意します。
>色恋に疎い体でやってたけど、ほんとは好意を持たれてるのも全部知っててうまいことやったんじゃないかなって感じでした。
あさが五代を回想したりセリフで感謝する時に、いつも愛人を偲ぶような不快な印象を受けます。
だから娘の千代が母のあさに反発するのもすごく納得できる。
もっとやれっと千代を応援したくなります。
何と言っても幼い千代を残してのアノ東京行きだし
(私は完全にアウトだと思ってる)
お母ちゃんも一緒に七夕をしようと千代が誘った時にも
「五代様の所へ行かなくては・・」と断った。
千代は母の不実を本能的に察知して当然と思います。
あの店先での七夕を振り切って五代の所へ行くあさがものすごく私は嫌でしたね。
五代様、五代様と猫なで声でつけまわしていて気持ち悪かったです。
そしてその雰囲気は五代の死後何年か知らないけど、今も感じています。
もうあさには共感できません。
おもろい夫婦の物語にひびが入って泥を塗られた気分でしらけてみています。
これがこのまま壊れていくのか、なんらかの修正回復があるのかだけを関心を持って今後見て行くつもりです。
サトシのエピや恋バナはこれでもかと引っ張りグダグダするのに
あさの仕事関係はアッサリポンとスルーしながら結果だけ見せるこのドラマ
何なんでしょう。こんなドラマを雑だなと思いこそすれ
丁寧とか一度も思ったことないです。
雁助さん退場してしまって寂しくなります。
私も、にわかに降ってわいたような「娘が病」にはほんとかな?と首を傾げたくなりましたが、どうなんでしょうね。
うめのあさとの強い絆を知って一人で出ていったのではないのかなあ。
ともあれ、ほんとに寂しくなりました。
雁助さんのような人がいてこそ、ドラマの深みが出ると思うんですけどね。
あさの周囲がイエスマンばかりにならないことを願います。
あ、千代はあさに反抗してましたね~。
あさの洋装姿もいいけれど、千代にもかわいらしい洋服を着させてあげてほしいなあ。
新しい登場人物にまだ馴染めないのですが、どんな展開になるか楽しみです。
正吉、亀助、ふゆ、五代、雁助と、つぎつぎと重要な人物が去っていき、
あさの周辺がちょっと寂しくなりましたね。
けれど見方を変えれば、一人一人の去り際をいかに魅力的に美しく描くか。
それもドラマに求められていることなんだと思うんです。
このドラマはそういうところも丁寧に描いているから、
視聴者にとっては見甲斐もあるし、楽しみでもあるんではないかと。
寂しくなったけど、まだ新次郎も千代もよのもうめも栄三郎もいるし、
はつ一家もまた絡んでくるのではないですか?
あまりネタバレ書いてはいけないので、このぐらいにしときますネ。
でもこのドラマも残すところあと二ヶ月。
久方ぶりにはまった朝ドラなので、いまからお別れするのが怖いです。
加野銀行開業に合わせて、あさ(だけ)が洋装を誂えました。つい先日は「どこがええのや、こんな金魚みたいな」と口を歪めて悪態をついたことは、やはりすっかり忘却の彼方。
よりによって千代に向かって「どないだす?似おてます?」はないだろう。
今更ながら、あの鹿鳴館のくだりを入れた意図がわからない。
口を開けば炭坑・銀行の母親に千代はとっくに不満を抱えていたのに、その上ダメ押しでデリカシーの欠片もなく幼い娘を傷つけるような言葉を吐かせる必要あるのかな?
「どこがええのや」と言ったからには、洋装を嫌ったあさは生涯を和服で通しました、でいいじゃない。実在した広岡浅子(ハリセン春菜似)は洋装を好んだかもしれないけど、平成の世でも好んで和服を着ている人はいるんだし、どうせフィクションならそれでいいのに。
ドレスを貶した舌の根も乾かぬうちに、ウチの洋装どないだす?クルクル~って・・・別人格か
よの婆ちゃんに金魚を買ってもらった千代。鴨居の大将の「占い金魚」の使い回し!?
あささんには内緒やで?・・・あんな大きな金魚鉢の存在を内緒に、って無茶もいいとこ。
そこへ旅姿で現れた雁助。「お母さまの働いたはる背中、よう見ときなはれや」
心配ご無用。改めて雁助に言われなくとも、背中ばかり見せられている千代です。
座敷では祝いの宴席が盛況ですが、バカ夫婦も栄三郎も雁助の不在には気付かないの?
それとも今日加野屋を出て行くのは知ってるけど、声もかけず見送りもしないの?
雁助の旅姿を見てもよのが驚かないってことは、出て行くことは周知の事実だよね。
それとも・・・どうせすぐに戻ってくるから気にしてないの?(これだね)
いいシーンでしょ感動的でしょって感じの押しつけがましい演出で加野屋を去る雁助だったけど、千代の横にいた大奥様にも挨拶ひとつしないで出て行くのも相当おかしいよ?
和歌山の眉山家にも開業を知らせる手紙が届いておりました。
「ご預金は是非加野銀行へ!」DMのはしりです。
完熟みかんが部屋中に所狭しと積み上げられていましたが、いったい季節はいつなのか?
大阪では早朝に金魚売りが通る季節に、和歌山では大量のみかん。
最先端のハウス栽培ですか?デフォルトの狂った季節感に失笑。
晴花亭で油を売る加野銀行の頭取と支配人と影の女ボス。
栄三郎が「小さいころからお父ちゃんや雁助に色々教えてもろて・・・」と雁助の名前を出しても、それ以上雁助のことで話題は広がらず。
栄三郎、せめてあんただけは嘘でもいいから雁助を見送れなかったことを悔いてくれ。
相変わらず真昼間から安物芸者のような装いの美和さん。
来週はへぇさんを虜にするのでしょうか?
誰かしらの色恋話がないと前に進まないけど、肝心の商いの話は説明と事後報告だけで進むあさが来たです。
うんざりするほど二言目には五代さま、五代さまと言っていたあさ。
五代がいなくなったら、今度は「さすが渋沢さま」。偉人なら誰でもいいの?節操無いなぁ。
尼崎の紡績工場を見てきたと言うあさ。大阪の名だたる経営者たちがずら~っと30人ほども居並ぶ中、ウチの旦那さまが初代社長になるみたい、とあからさまなウチのダンナ自慢炸裂。
五代友厚、大久保利通、福沢諭吉、渋沢栄一。
あさ様の偉人列伝。お次は成澤泉(成瀬仁蔵)が登場。
「数年後に思わぬ縁で出会うこととなりますが、それはもう少し先のお話です」とナレーション、次の瞬間「そして銀行ができて3年後・・・」って。笑
数年後の話はもう少し先、と言った直後に3年が過ぎることに突っ込むスタッフいないの?
栄三郎にも長女が生まれていたけど、名前すら教えてもらえません。
よの婆ちゃんは名前もわからない孫よりも千代が可愛いようです。
さちさん文句も言わずエライね。
すっかり娘に成長した千代、なぜかあさではなくはつによく似ているという間の悪さ。
雁助は長年加野屋の大番頭として正吉の下で働いてきた。
炭鉱爆発の後始末も怠りなくやり、将来の暖簾分けを約束されるほどの信頼を得ていた。
しかし両替屋が銀行業に変わるとき、今後あさを中心に回っていく加野屋に、もはや自分のための場所はないと悟ったのだろう。
「自分がそろばんを弾いているあいだに、世の中は大きく変わってしまった」。あのときの雁助の言葉は苦汁に満ちていた。
ある意味、雁助は、終わりを告げようとしている古き良き時代にみずから殉じることを決めたのだ。
出来ればうめを一緒に連れていきたい、一時にもせよそんな甘い夢を観たこともあった。
しかしうめもうめで、あさへのご奉公という生涯を賭けた責務を背負っている。それを邪魔することは出来ない。
そう悟ったとき、雁助は決意したのだ。誰にも知られず、誰にも見送られず、静かにこの家を去ろうと。
この家の誰も、まさか雁助がこんなに早く出ていってしまうとは予期していなかった。
様子を悟ったよのが「まさかもう出ていってしまうつもりやおへんやろな」と言いながら追いかけたが、間に合わなかった。
ただ独り勝手口から出て、店先で深々と頭を下げ、背を向けて立ち去っていく雁助の姿は、まさに男の美学を全身で体現しているかのようだった。
こうして雁助とともに、一つの時代が終わりを告げた…。
とても、丁寧なドラマに見えません。
栄三郎が新居?腑に落ちない。
えこひいきが過ぎる話、相変わらず仕事場面、数年後、端折る端折るで簡単。
ナレーションで済ますことの多さに、びっくり。
従業員も事前に銀行設立を機に退職と知っていたとしても
とにかく雁助を1人で去らせたい、1人の画だけ撮りたい、
だけでそれに繋げる部分やその後の恐ろしくテキトーな事にイライラした。
雁助が千代に声を掛けて、
まさかとよのが慌てだしたのにまわりの誰もがどっかり腰を据えたまんま。
かと言ってうめ以外、例えばかのの事情をわかってますよ敢えてですよって顔もないし。
雁さんがあんなに深々お辞儀してるのに、いつまでたってもよのも追いつかない。
まぁよのも敢えて追うのを止めたのかも知れないけれど…
裏口とは言え去ってった方向がよりによってどん詰まりに見えるし。
とにかく意図だけミエミエなのに説得力なし、の演出でこれに付き合って泣く気にはなれない。
金魚も鉢にあんなに入れたら可哀想、大金持ち特有の悪趣味を演出したいなら叶ってるけど。
個人の感想は個人の感想として尊重します
私の好きなドラマは視聴率がいい
嫌いなドラマの視聴率が良いのは気になりません
見ないから
好きなドラマの視聴率がいいのはうれしいですね
同じ気持ちで見ている人達がたくさんいることを感じます
小さな金魚鉢にあんなに大きな金魚をたくさん入れていてビックリしました。金魚が可哀想、死なないかなと心配になりましたし、あさが足袋を脱がずに相撲を取ったり。見ていてとても不快でした。
あさが千代に七夕をしようと誘われて断ったのは、
五代のところへ行くためではないですよ。
亀助から手紙が来て、炭坑が売りに出されていることが分かり、
新しい炭坑を見に行くことになったからです。
そのために、「お母ちゃんともっと遊べますやうに」
短冊を一年見ることなく過ごすことになってしまいました。
この週は五代が久しぶりに加野屋を訪問する場面もあって、
千代がよくなついている様子が描かれていましたが、
どうやら千代はイケ面好きのようだと、微笑ましく視聴しました。
すれ違い母娘の今後はどのようになるのでしょうね。
雁助が言い残したことの意味に千代が気づくのは、
いつどんなキカッケになるのか、今後の展開が気になります。
五代さまロス中ですが、雁助さんもいなくなるなんて寂しくなりますね。
と同時に新次郎さんが働くようになったり、銀行も開業になったり、新しいキャストも登場で、ますます盛り上がりを見せそうで楽しみです。
広岡浅子さんは、簿記、算術、法律、経済など実業に必要な幅広い知識を独学で修得し、鉱山と銀行の経営にあたったそうですが、そういう描写は一切ないんですよね。
なんか思い付きで事業をやっている感じがして、仕事描写の雑さには疑問を抱きます。波瑠さんも、もう少し知性を感じる演技をしてもらいたいものです。
最近の風潮として感じられるのは、視聴率の高さ≠ドラマの質だと思います。「家政婦のミタ」でつくづく思い知らされました。あのドラマも視聴率が高かった割に、脚本が酷かったですし……あんなんで30%越えするとは世の中も変わったなぁと思いました。
このドラマは女性受けを狙いすぎというか、
女性から叩かれないよう叩かれないよう作っているのが見える。
美しい着物、ドレス、調度、小物たち。
ヒロインは頭が悪く、明るく天然で、すぐ謝る。
周囲の人物との会話のシーンが多く、同窓会のようなシーンも多い。
その分、仕事の話はできるだけ端折る。
女は仕事よりおしゃべりの話を見たいんだろうと言われているよう。
でも実際、そうなんだろうね。
感想欄とか読んでいると。
どうせ着物と恋愛とホームドラマだけでいいんだろうと、
これから制作側が視聴者を見くびって、たかをくくって行くのが怖い。
別に他のドラマと視聴率の比較をする必要もないけれど、あさが来たの場合、第一週、第二週、20.3%、20・2%だった視聴率を直近24.5%にまで上げてきたことがすごいことだと思う。あざとい煽りをドラマに組み込まなくてもこれだけ魅力あふれるドラマ作りができるんだと感心します。
雁助とうめの哀しい恋の結末に、いつか見た「日の名残り」を思いだすな・・と思っていたら、ここだけでなくあちこちでそう書かれている方がいてびっくり。あのときの執事と女中頭(?)の恋を彷彿させるんですよね。古い時代と新しい時代の移り変わりという点でもね。
日の名残りは大人の話だけど、あさが来たは子供だましだと思う。
綺麗な着物や家具調度に囲まれた美しいヒロインの話というだけでは、ここまで惹かれなかったと思う。
このドラマの場合、それのブラスアルファの部分が非常に多い。
そここそが作者の力量の見せ所であり、
ここまでは作者は視聴者の要求にしっかり応えているように感じる。
これまでいろんなドラマを応援してきたが、応援するドラマが視聴率が高いこともあり、低いこともあり、いろいろだった。
好きなドラマが視聴率が高く評判が良いと、正直嬉しいものだ。
「日の名残り」の執事なら、台所で女中とイチャイチャしたりしないよ。
雁助、今から思えば大番頭のくせにヒマそうだったな。
訂正するまでもないのですが、ブラスアルファではなく、プラスアルファです。失礼しました。
本当に雁助さんは昔の大阪ものに良く登場してきた、
お家のためなら一切を投げ打つ、不器用でまことのある男のタイプだね。
人は自分ではなかなかああは出来ないけど、
私利私欲のためだけに生きるのではなく、
男の美学を貫くかっこよさに魅力を感じてしまうものだ。
雁助がお家のために一切を投げ打つ不器用な男なら、
銀行の仕事をせっせとやっていると思う。
加野屋が発展することは正吉の望みだったんだから。
雁助は自分を捨てられないから家を出たんだよ。
自分の美学を貫くってことは自分が大切だってことさ。滅私奉公じゃなくて。
1月11日放送「大阪の大恩人(85)」
加野屋の店先、千代、さち他数人で七夕飾りしている場面にあさが通りかかる
千代「おかあちゃんも七夕飾り、かざりまひょ」
あさ「おかあちゃんなあ、今日は五代さまのところへ行って
お商売の話、しなあきまへんのや」
ふーーんと言って可愛い千代ちゃんは黙りました。
私は、この場面も胸が痛かったです。
千代ちゃんが可愛いだけに不憫さがつのりました。
よちよち歩きの千代ちゃんを涙で振り切って五代の待つ東京へ行った時も、あれは何だったのでしょうか。
何かどうしても仕方ないよね、という必然性が感じられないので、ひっかかったままです。
私は「あさが来た」が好きでした。
視聴率が良いのも分ります。
あさも新次郎も好感の持てる美男美女で画面は美しい。
着物も小物、家具調度品、照明、音楽全部素晴らしいです。
脇の俳優さん達の演技も大好きで全話録画しています。
だからこそ、どうしても納得のいかない描写にはこだわってしまいます。
ここで皆さまが指摘される数々は大変勉強になり興味深いです。
でも、私は大抵の疑問、不満、説明不足、描写不足、矛盾等々には
仕方ないのかなと思うようにしていました。
でも、このドラマのメインストーリーがあさと新次郎の夫婦の物語であるなら、あさと五代の関係の描写はおかしいと思っているだけです。
あさと千代の親子関係にも影響が出て当然と思います。
放送最終日までに納得のいく展開になるよう少しだけ期待しています。
普通に「やりたい事好きなように自由に」やってるよね?
放送がお休みだとさみしいですね。
15分という短い時間でも丁寧に作られ、役者さん達一人一人の見せ場、見どころを実感します。
雁助さんは、一人で勝手口から加野屋を去って行きましたが、千代に、大番頭さん旅にでも行くの?と聞かれて、よのさんは、雁助さんを呼び止める口調で、もう出で行くのと違いますやろな~と、加野屋の人間の中でうめさんだけは分かっていた、縁側で膝を崩していたうめさんだけど、一つの決意を固めたような表情、無言で見送る。立ち去って行く雁助さん。大人の二人の心に終止符を感じました。辛かったです、とても。でも、また、二人に新しい朝が来てほしいと祈る気持ちです。
ただ一人千代にだけ声を掛けた雁助さん。あさのことが苦手で、ずっと苦手だったと、けど、あさは楽しいお人やと。お母さまの背中よう見ときなはれと。
千代のあさへの反発、週末ラストのシーンは千代があさのようになりたくないと、
雁助さんが幼かった千代に残した言葉が伝わる日が来ることを待ち望みたいですね。
しばらくは、母と子の葛藤が続きそうですが、短冊を見て押し入れで泣き崩れたあさの千代への想い、子を想う母の気持ちが通じますよう、母親の仕事を理解出来る千代になれますよう願っています。明日からあさ、新次郎、榮三郎、心機一転、新しい加野屋の始まりにワクワク、視聴が楽しみです。
そうですよね。納得のいかない描写が多くて、今まで好感的に見ていた私も最近は、うまくいきすぎじゃないかと思い、?が頭に浮かぶようになりました。
何より仕事描写、あさが人間的に成長する姿がないんですよね。銀行について自ら経済学等を学んでいるシーンが皆無で…もう少し、あさが頑張ってる姿が見たいな。なんだか、のほほーんとしているだけで、頑張ろうという意欲が湧かないです。朝ドラだし、主人公が頑張る姿を見せても良いと思うんだけどな〜
そういえば雁助がただのわががま男だったのかもしれない。
正吉の最期の望みは加野屋の繁栄だった(臨終の時もしつこくお願いしていたほど)のだから、雁助があそこまで正吉に心酔してるなら、どんなことがあっても加野屋にいなければおかしい。
娘さんの病気という大きな理由をだしてきたけれど、そこは長年大番頭として働いてきた雁助なので、当主やあさにしつこく粘ればそれを理由にお金を貸してもらえるはず。なんせ炭鉱を立て直したのは雁助ですから。あれだけ大きな職場を変えるほうが、今後の生活も高リスクなはず。一緒にくらさなくても娘を助ける方法はある。
色んな理由を連発して、逃げのうってを連打してきた雁助ですが、そんな雁助に正吉への思いは微塵も感じられませんでした。
とにかくヒロインはじめ、これと言って魅力的なキャラがいないのが残念です。
その分ストーリーの面白さで引っ張って行って欲しいところですが、そこも同じ様なエピの繰返し引っ張るだけ引っ張り、かと思うと大切なところは端折ってしまう為、正直面白さがどこにも見つけられずにいます。
雁助は正吉のことは本当に敬愛してたと思う。
江戸時代が続いていたら、尊敬する旦さんのもとでしっかりと働き、
栄三郎を一人前に育てて、暖簾分けしてもらって自立してたんだろう。
時代が変わってその夢はついえ、旦さんは自分よりも分家の嫁さんを頼り、
栄三郎までがその変な分家の嫁さんの言いなりになるようになり、
あらゆる面で雁助は負け組になった。
だから雁助は負け組らしく、ひとりで加野屋を去った。
雁助にとって、あさは明治の世間そのものだから、
雁助は時代に負けたと言ってもいい。
また、雁助よりもあさにより大きく店の将来を託したのは正吉だから、
雁助を去らしめる一番の要因を作ったのは正吉だとも言える。
お家があさを選んだ以上、雁助には忠義を尽くすお家がもう存在しない。
シビアだけど正吉も商売人だし加野屋のためだからしょうがない。
あとは雁助が加野屋に恨みを抱いてどこかに爆弾を仕掛ける話にならないよう祈るだけだ。
若く見えるけど実は年を食ってる雁助だから、もう爆弾を仕掛ける元気もないだろうけど。
もし、このドラマの雁助が自分よりもあさにより大きく店の将来を託した、とか栄三郎が変な分家の嫁さんの言いなりになるようになったことをあれこれ気を悪くして自分が負け組み、とか思っていたら単に器の小さな男、肝っ玉の小さな男、ってことですね。
ここに至るまでの雁助のしつこさというか、ねちっこさを考えるとそれが正解なのかも。
何だか昔の古い男のかっこつけの部分を延々表現していたのですね。なるほど。
栄三郎やあさ、新次郎が大番頭の気持ちをちゃんと掴んでなかった。信頼関係が希薄だった物語のようにもとれますね。新次郎やあさは本気で雁助を引き止めなかったし、あさにいたっては、うめばかりに気をとられて、雁助にはほとんど未練もなく本当に経営者と従業員の意思疎通が出来てない店の話だなと、嫌気がさした。
へえさんも、大番頭さんは大事とあれほど言っていたのに。
このドラマは信頼関係が薄すぎる。あさは、五代にはあれほどいちゃついてたのに。
五代があさにどんな思いを抱いていたかははっきりとしたセリフでは描写されていませんでしたが、あさが五代に寄せる思いは男と女の情ではありませんでした。あくまで仕事上の憧れや目標だったと思います。東京でうっすらとした五代の思いに触れた時は、ひとつきっぱりと意思表示をした場面でした。五代もあさの思いに納得したはずです。あさの五代に対する態度は一貫して変わってはいません。ポワッとしているようで、きっぱりとした分別を持っているところがあさの魅力のように思います。
雁助さん、手紙が届いた時に、何で今なん?というようなこと言ってた気がするけど、ほんとはまだ出ていきたくなかったんじゃないかな?
これからの加野屋に自分は不要なんじゃないかという思いも確かにあったけど、娘さんのことが無ければ、もっと考える時間が持てて残る道ができたかも。
とはいえ、このまま残る道を選んだら、今後の展開の中で影が薄くなりそうで、やっぱりこの幕引きが一番彼の個性を印象付けるいい選択だったんだろうねえ。
雁助が店の前で深々と頭を下げるシーンは少しジーンときました。
両替屋の大番頭として店に尽くしてきた彼は、銀行設立の件で長年あさと対立しました。
最初は彼の意見が優勢だったものの、時代の流れと共に次第に雲行きが変わり、
銀行設立を容認せざるを得なくなっても納得がいかず、店での居場所を見失っていく雁助。
銀行設立が決まり、いよいよ辞めようと考えていた時に娘さんが重病の知らせ。
一言では言い尽くせない退職の理由を、店の誰もが理解していると同時に、
誰もが雁助に去って欲しくはなかった。それは多分雁助も承知のはずです。
でも、銀行という括りの中では自分の存在価値を見出せなかったのだと思います。
見送る者もない寂しい旅立ちに、「両替屋」の大番頭として彼なりの美学を感じました。
店の者が総出で温かい労いの言葉をかけられ、大阪締めで見送られるようなことは、
雁助にとっては居たたまれないものがあったのかもしれません。
おそらく、銀行設立祝いの宴への出席も固辞し、
敢えて宴の最中を選んで出て行ったように私には見えました。
旅姿の雁助に「もう出て行くのか?」とよのが驚き慌てて追いかけましたが、
宴に出ている榮三郎や新次郎を呼びに行っているうちに行ってしまったのか、
丁寧に見送りをお断りしたのか・・・。
雁助の心中を察してその場を離れないうめと、
逆に空気を読まないよのの素直な態度、どちらも私には救いに思えました。
優しさには色んな形がありますよね。
正吉の死から長い時間をかけ、新旧交代の様が丁寧に描かれていたと思います。
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