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合計 | 1471件 |
読み | まっさん | |
放送局 | NHK | |
クール | 2014年10月期 | |
期間 | 2014-09-29 ~ 2015-03-28 | |
時間帯 | 月曜日 08:00 | |
出演 |
大阪の町なかで、道行く人から好奇と恐れの入り混じった眼差しを向けられるエリー。夢に出てきたら、うなされてしまいそう。なんだか、童謡「青い眼の人形」を思い浮かべてしまいました。こんな状況で、鴨居社長のような人に声をかけられ、ちゃんと自分の名前を呼んでもらい、親しげにされたら、嬉しくてハグしちゃうだろうな、日本人女性の私でも。まさに地獄で仏に遭った気分だったろうから。
あと、今日は出てこなかったけれど、優子さん、可愛い!
彼女の切ない思いや腹立たしさがじんじん伝わってきて、いじらしい。エリーにイケズしたり、きついことを言ったりしているけれど、優子さんって、エリーの前では本音を語っていますね。「恋敵」じゃなかったら、いい友人になれるだろうに。
鴨居社長神出鬼没w
ヒマ人なのか、単なる女好きか
ちょっとウザくなってきた
エリーがアホっぽく見えてきたぞ大丈夫か脚本
むやみにハグすんなと言われてるのに学習能力疑うわ
エリーが、どうしても好きになれない感じ。
マッサンも同じく魅力的に思えなくて
ドラマがつまらないです。
脇役で、魅力のある人もいないし
引きのないドラマです。
↑分からないでもない…ような気もする…けどエリ-はかわいいですよ。応援したくなります。
マッサンもエリーも好きだけどつまらないです。
心が揺さぶられないドラマ、このまま見続けるとずっと愚痴を書くような嫌なアンチになりそうなので、今日でこのスレはリタイアします。
マッサン、、社長がいい話してくれてるのに我慢ならず
社長宅をバーンと飛び出して皆に迷惑掛けながら
エリーを探し 教会の響く歌声、、故郷を思い涙する、、。
「これからも 俺のためにご飯を作ってくれ!」
予定調和なんだとわかっていても ウツと胸に迫るものがあります。
優子さんはホンマにええ子やね。
エリーの「ウウッ」とか「ふぅう」と言ってるのは
日本語変換しょうとしてはるのでは?
海外に行って英語で話そうとしたら「 ンンン」とか「アイアイアイ」
とか単語を思い出すために変な人になってたと思います。
上の方のようないさぎよい態度は私は良いと思います。
すみません、先ほど「いさぎよい」と書いたのは
2014-10-18 08:10:10 名前無し さんについてでした。
2014-10-17 22:25:41さんの感想を、今、読ませていただきました。私も、いいね!の投票ができたら差し上げたいところです。
エリーが鴨居社長に会いに行ったのも、今日のエリーの「寂しい」で分かる気がします。エリーの住む住吉から鴨居商店がある船場まで行くのは気分転換の遠出に丁度よい距離かもしれませんね。大正時代の大阪の交通手段を知りませんが、鴨居社長は店前で自転車に乗っていたぐらいですから住吉・船場間はそこそこ時間がかかったかもしれません。不自然に思えた鴨居社長の接待乱入も、鴨居社長が不慣れな無茶ブリ接待に悪戦苦闘するマッサンを心の中では認めた意味あるシーンでしたし、香水も経営者の鴨居社長にとってはボトル形状に関する消費者意識調査だったようですね。
鴨居社長の神出鬼没も気に入ってます。金魚占いで予定を決めるぐらいですから、この人はこうと決めたら自分の都合で予定変更できるのでしょう。
ハグも私は気にならないのですが、今日の誤解解消を境に減るかもしれません。
どなたかがコメントされていましたが、番組を好意的にみるか否かで各々の受け止め方は違って当然ですね。私は気楽にみる派なので、細かいことは気にせず、引き続き毎朝楽しく追っかけます。
マッサンとエリー初の本格的夫婦喧嘩はそれぞれの文化的特性がよく表れて興味深かったです。もともとウィスキーバカで何より仕事優先の日本男児のマッサンと、仕事が忙しくても家族サービスを大事にする欧米人のエリー。生まれ育った背景が全く違うのだから、こんなふうにぶつかるのは当然ですよね。でも、それに加えてエリーは異国に一人ぼっちで話し相手もいなくて寂しい。それは政春にもすぐにわかってあげてほしかったですね。まあ、仕事以外鈍ちんの政春だから仕方ないけど(笑)
そして喧嘩の後エリーはキャサリンから、政春は田中社長から、それぞれ外国人同士が理解し夫婦を続けるのは難しいんじゃないか、と悲観的なことを言われてしまう。そのとき優子がエリーの頑張りを伝え(ここで飯炊き指南の伏線が活かされましたね)政春を叱ったのがいいです。女同士だからこその文化を超えた理解が感じられました。その後エリーが教会で歌う埴生の宿のsweet homeの歌詞には生まれ故郷のスコットランドと日本での政春との家庭の両方への思いが込められていたでしょう。謝る政春に一言「日本語教えて」というのが素晴らしいですね。さりげないけれど、政春の立場も理解し、今度こそ本当の日本人になろうという覚悟が感じられました。
このドラマは毎日楽しく見ていますが、特に土曜日は毎週感動できて嬉しいです。
来週も楽しみ。
政春もウヰスキー作りで頭がいっぱいだしエリーも故郷を離れてひとり寂しく慣れないご飯炊きに奮闘して政春の帰りを待っているし、ふたりとも今が一番大変な時期に来ているんだね。
しかしあの当時の家屋は木造で開けっぴろげな感じだったからちょっとした怒鳴り声も近所に筒抜けになってしまうから困ったものだ。私の家は鉄筋コンクリートの作りだから、そういうこともないけど近所迷惑になるから気を使ってしまいますね。
上のコメントを見て感じたことは、そろそろ批判の波が押し寄せてきたような予感がした。このまま徐々に発展してビッグウェーブにならなければいいですけどね。
>ここまで細かく分析、検証して言うのも気持ちがよいのだろうけど、いっそ代わりの台本でも書いて貰いたいですね…
不愉快とまではなりませんでしたが、気持ちがよいわけでもありません。よければ気分転換はいらないですから。
映画でもTVドラマでも批判をすると、「文句があるなら、あんたがちゃんとしたのを作ってみせろ」式のレスポンスがなされるのを時々見かけました。まだ、その式のをする方がいるんですね。
>肯定的に見ているか否定的に見ているかの違いなんでしょうかね。
最初からどちらかの立場に身を置いてはいません。まずはニュートラルに見ているつもりです。「おかしいな」というところがあれば、その部分は否定的になるということでしょう。批判意見を書き込むのは、このスレではこれが初めてでした。
たしかに、気にならない人は気にならないところでしょう。おっしゃることも分からなくはなく、その感想を頭から否定はしません。私のも一つの見方に過ぎませんからね。
>ただ、偶然を梃にして話を進めると伏線が張りやすいとはどういうことですか??
分かりにくい書き方をしてすみません。
【 「偶然の出会い」を梃にして話を進めるのって、楽なんですよ(これは3番目を指す)。伏線を張る場合だって偶然を利用したほうが楽です。】に訂正させて下さい。
つまり、作者が鴨居社長を接待の席で出会わせてマッサンの奮闘ぶりを目の当たりにさせたのは、次の日のエリーとの会話のための伏線張りです。出会いのシチュエーションをどうするか。たまたま見つけたことにするほうが、私が作者でも簡単に考えられて楽だと思いますのでね。
>まだそれほど関わりのない今の時点から物語に絡めようとするとどうしてもこうなるんじゃないかなぁ。
少しイジりが目立ち過ぎだとは思いますが、社長を物語に絡めることには反対してません。ただ「どうしても」これしかないとは思いません。別のやり方もあるでしょう。
素人としてはこれが正解だなどというつもりはありませんし、これはこれで突っ込みどころはあるでしょうが、別プランを出してみます。
料亭では少し離れた部屋に鴨居社長がいるという設定でもいいでしょう。田中社長の声やマッサンの歌が風に乗って流れてきます。芸者を偵察に出しても出さなくてもいいでしょうが出さない場合、鴨居社長の目がキラリと光って「ほおー、あの男もやる時はやりよるな」片や歌や芸は続いてます。傍らの芸者に笑いかけながら「頑張っととるのう~」芸者は「どうしはったん」それに応えずグビリと飲み干し芸者を抱きかかえる。こうすると一を聞いて十を知るような大将としての凄みが出たかと思います。
雨宿りのところはそれだけでなく、何故か鴨居社長がエリーの相手をたっぷりする時間があったという不可思議な偶然が重なり、日中には用は片付きそうなのに何故か暗くなるまで盛り上がってしまい、それは家に送るためであり、呼応するかのように夫が早く帰ってくる宣言をしているという一連の流れが、私には作者が都合よく組み立て過ぎているように見えます。一つでもそれを緩和するならここです。
それには、少し道に迷ったがなんとか探し当てたというのが無難でしょう。別候補としては、一人くらい相手になってくれる親切な人がいてもおかしくはないでしょう。当時交番はなかったのかな? 子供に聞いてみるのもよさそうです。ものおじしない子供はいるものです。
マッサンのハグ目撃は、ワンクッション置きます。歌をうたって騒いでるのですから、普段は警戒されてるとはいえ、近所のおばさん連中の好奇の目にさらされていても不思議ではありません。目撃するのはおばさん。その内の誰かがマッサンに告げ口。しかもやや大げさにのほうが流れとしては自然に思えます。
私と仕事とどっちが大事なの? というエリーの言葉にちょっと違和感を覚えました。政春のウィスキーへの情熱に惚れ、それを支えたいというこれまでのエリーの気持ちと少し矛盾しているような。もちろん、家に一人きりでひたすら夫を待ち続けるエリーの気持ち、とくに家庭を大事にする環境で育った外国人のエリーの不満や寂しさはわかるけど、なんだか日本のドラマではありきたりな決まり文句がエリーの口から出たのがちょっと気になりました。
それと国際結婚の先輩でエリーに好意的なキャサリンの口から離婚も考えたほうが、みたいな言葉が出たのも不自然な気がします。国際結婚の苦労をよく知るキャサリンだからこそ、結婚における日本女性の理不尽な立場を教えるだけでなく、頑張れと励まし応援してほしかったです。
最近偶然が多過ぎて、ご都合主義な感じが嫌になってきました。
イケズしてた優子がエリーの味方するのもワンパターンですね。
展開もありきたりで、面白味に欠けます。
エリーさんも応援したし、マッサンの逆立ちも、あり。鴨居さんも堤さんだから全然OK。
ギャグも、 キャサリンさんの音痴や、
マッサンが自宅で 鴨居さんに触られただけで過剰にぶっ飛び 倒れるシーンも 画面の隅っこに さりげなく 押し付けがましくなく描かれ、私にとっては評価高かったです。
でも急に、脚本が悪いなーと思ってしまったのです。
ワンパターン過ぎるのです。
少々ご都合な偶然や、「ないだろう!」的なシーンも、朝ドラ愛好家の我々は 愛をもって、目をつぶってきました。 なのに、です、
ストーリーのワンパターンは ないやろ、です。どこまで、視聴者をバカだと思ってるのか、というか、それで 喜ばれると思っている作り手の能力の低さを感じてしまったのです。
(だったら自分で書けよ、との意見がありましたが、そういう方は幸せです)
歌が多すぎ。微笑ましかった歌唱の数々も、いつしか食傷ぎみに。
いっそうのこと、毎週、軽い仲違いをしては、祖国を離れたエリーの覚悟を思い出し、歌を歌ってめでたしめでたしを繰り返してみるとか?
大いなるマンネリは、快感にもなりますからね。あの、失敗しない大門未知子さんや 水戸黄門とかですね。
「あまちゃん」1回分の展開、意外性、満足感は「マッサン」は1週間かかっても届かないのでは? 玉山鉄二が下手という書き込みもありましたが、しゃべり方や 例えば頭をかきむしる仕草など、ライターの指定や、Dの演出に起因するかもしれないので、可哀想でもあります。
(女優の出身県でどうのという書き込みもありましたが、そんな事を思う人もいるんですね。血液型とかも気にされるんでしょうね)
ニッカでなら、ご夫妻のストーリーが感動的らしいので、そちらを読んでみたいと思います。
でも、まだしばらくは見ますよ。劇的に面白くなるかもしれませんから。
あまちゃん第一週目の興奮と驚きや純と愛の序盤のわくわくドキドキ感、今思い出しても楽しかった。
個人的には前作、前々作、王道マッサンもまだまだ楽しめてます。
あくまで個人的な考えですけど、ごちそうさん等「ひねる」「ななめからの切りこんだ描き方」=それすなわち優れてる作品とするのって女性的な見方っていうか女性的な好みなんじゃないかなと思う事があります、もちろん自分含めて。
女性って目新しさや細部にも細やかに目がいくものだし、変わってればかっこいいとか素敵に思える?というか
王道のど真ん中を行く強さ、ゆるぎなさ、とかそういう作品もまたいいのではと思い、今作みています。
デザイナーズの最新コレクションものじゃないけど、定番のポロシャツにジーンズを堂々と着こなすみたいな、そんな感じ。
ワンパターン、でしょうか?
軽い仲違い、仲直り、そこだけ見れば確かにワンパターンかもしれませんが、
西洋の麦と格闘するマッサン、日本の米と格闘するエリーの対比を軸に、
工場の資金繰り、日本人に理解されないウイスキーの
味、日本の女性の立場、ご近所さんとの距離、職人気質と商売人気質の違い、などなど、
一週間でとても内容が濃いし、全部丁寧に気持ちも拾ってる。この先北海道で独立するマッサンの苦労も想像できる。
一見「またお味噌汁かいー」って思っても、実はすごくしっかり出汁取って、豊かな香りがしてる、っていうドラマだと思って見てます。
ご都合主義ってどのドラマでも言われるよね(笑)。
個人的には、ご都合主義はあって当たり前。
その書き方が許容できるかどうか、かな?
例えば都合よく通りかかる、現れるなんかはご都合主義のうちに入らない。
同じ会社、ご近所さんと言うテリトリー内のことならば。
これがまったく違う場所でなぜかばったり。
その理由もよくわからない、とか、同じテリトリーでも、あんたいま仕事のはずでは?みたいな人が普通に登場したりするのは都合よすぎるなーと思う。
マッサンの中ではまだまだ気になったご都合主義はないです。
許容範囲はそれぞれですなあと思いながらここ読んでます。
西洋人て一口にいうけどさまざまでは。英国人からみたらフランス人のキスやハグはちょっと異質(滑稽)に見えることは、「ジャッカルの日」や、ピーター・メイルのプロヴァンスものの本でもよく描かれています。西洋人の書いた本を読むと、イギリス人なら握手しないところでドイツ人は握手するとか、そういうジェスチャの常識は国民性で細かく違いがあると思います。
また、時代によっても大きく違うはずです。当時のスコットランド女性が、身内でない男性にとびついてハグするのかどうか。同じ国民でも階級によっても違いますし。ビクトリア時代の英国文化では上流~中産階級の女性は人前では常に手袋をはめる(手を見せるのははしたないから)のが慎みだとされていました。その後第一次大戦の後には社会文化は大きく変わったと言われますが、パリやロンドンなど大都市から離れたスコットランドの地方出身ではまた違うでしょうしね。そのあたりの考証をどこまでちゃんとしているのかは疑問です。演じる女優は現代アメリカ人なので、なんの疑問も感じないで演じたかもしれませんが。
本当に人の感覚は様々だなと思って読んでます。
>歌が多すぎ。微笑ましかった歌唱の数々も、いつしか食傷ぎみに。
>「あまちゃん」1回分の展開、意外性、満足感は「マッサン」は1週間かかっても届かないの…
あまちゃんの方が私にはよっぽど、歌多すぎ!!でしたけど。潮騒のメモリーなんて、途中から早送りして見てました。またフルで歌っちゃうの?!長いよ〜、もう耳タコだよ〜って。
あ、誤解のないように、私はあまちゃん、好きでしたよ🎵。
ただ、あれに比べたら、マッサンに登場するうたは全く問題なしです。
私はごちそうさんの方が好きなんで
2014-10-18 11:33:36 名前無し さんはドラマのことが本当に好きで研究熱心な方のようで、たぶん、いろんな作品を繰り返し見て分析してるのでしょうね。恐れ入ります。
ご都合主義解消の別パターン、これもまた面白いけど、やっぱり話しのテンポやご指摘のシーンのドラマ全体における比重や1話15分の尺など、総合的に見れば17話のご都合は最善最適だったと思いました。ベタなんだけど。ドラマティックなダイナミズムがあって好きです。
↑↑あからさますぎて逆に怪しすぎますよ(笑)
あまちゃんも確かに歌多かった。もういいよってくらい。途中若干うざかったもん(あまちゃんも楽しく見てましたよ)。
私はエリーの歌声に癒されましたけどね^^
なんかもう笑。
いちいち「わたしはごちそうさん好きですから」「あまちゃん好きですから」っていちいち断らなきゃいけない空気、いらぬ諍いを回避するのが基本マナーになってる感じしちめんどくさいですねーー。
窮屈!
家事をしながらの鼻歌はいいけど、
ミュージカルじゃないんだし
教会の歌のシーンはいらないって思ってしまった。
本当にごちそうさんのファンならごちそうさんの評判を落とすような投稿するわけないじゃないのw
ほんと逆効果よね。
マッサンだってごちそうさんだって花子とアンだってみんなそれぞれ面白いってばww
お味噌汁のコメント書いた者ですが、連投失礼します。
今回の「歌」って、もしかすると戦時中まで繋がるすごく大切なものなんじゃないか?と思ったのです。
ごちそうさんでの「美味しい顔」花子とアンでの「物語」のように、遠い国でも繋がるもの。
「どうして、同じ歌を美しいと思う人たちが殺しあわないといけないのか?」
そう思うときが、出てくるんじゃないか。
NHKの番宣ドキュメンタリーで、病床のエリーに余市の人たちが歌をプレゼントしたというエピソードが紹介されていました。
それが、このドラマで出てくるかは分かりません。
でも、きっと歌はエリーを支え続けるのではないでしょうか。
数カ月後、そして半年後、全く違った気持ちでエリーの歌を聴くことになるのかもしれない。
エリーの歌、もう聞き飽きました。
マッサンの土下座とコケるシーンも
同じくらい、いらないかな。
上の者ですがすみません、間違えました、病床のリタさんです。恥ずかしい(^^;;
必死で探し回って、やっと教会で見つけたエリー。
故郷の家に想いを馳せながら歌うは埴生の宿。
Home, home, sweet sweet home,
There’s no place like home,
there’s no place like home.
と英語で歌う声が、切なく哀しく美しく、
エリーの孤独で寂しい心情をよく表していました。
今日は、そんな「埴生の宿」を替え歌にしました。
故郷遠く 異国の地 二人で暮らす この宿に
寂しさ覚え 涙落ち 早く帰って 夕食を
おお わが夫よ ひたすらに ただ待つ身
あなたの夢は わが夢と 共に歩んで 行く決意
泣いて笑って また泣いて 月に語りて 夜を明かす
おお わが夫よ 夢を追い 生きている
二人で歌う 宿の歌 外は風吹き 雪の日も
暖炉に燃える 火のように 心優しく 温かい
おお わが妻よ いとしくて 恋しいや
エリー! エリー! いとしきエリー!
愛する君の 代わりなど
君なくしては 生きられぬ
2014-10-18 14:30:25さん、なるほど〜!!
この物語を通じて歌がキーとなるかもしれないですね。
うろ覚えですが、終戦を知らない外地の日本兵士が歌った歌(元が外国の有名な歌)を聞いた敵兵士が一緒に歌いだし、無駄な殺戮が回避された実話を思い出しました。
ウイスキー作りと国際結婚というテーマがどの様に扱われていくか、益々楽しみになりました。
考えすぎ。
私はエリーの歌好きです♪舞台女優さんだからこそですよね♪
元々の脚本が歌が多いのか…やっぱりシャーロットさんだからかな?どちらにしても、一人さみしい時に歌に励まされる事は自然かなって思う。独り言だけじゃ尺がもたない気がするw
舞台女優さんなんですね。
どおりでうまいわけだ。
朝から聞き入ってしまいましたよ。
マッサンめちゃめちゃ楽しんでます!
気持ちがわかる丁寧な撮り方に笑わせてもらったり、ホロリとしたり、にやにやしたり。
楽しみなドラマがあるっていいなあと思って毎日観ています。
エリーかわいすぎ。
ナレーションもエリーの母親的な感じになってるし(笑)
退屈なドラマです。
更け行く秋の夜(よ) 旅の空の
わびしき思いに 一人悩む
恋しや故郷(ふるさと) 懐かし父母(ちちはは)
夢路にたどるは 故郷(さと)の家路
埴生の宿もいいけどエリーの心情を考えると、この曲の方がピッタリくると思いませんか?ちなみにこの原曲は「家と母を夢見て」というアメリカの曲だそうです。(*^^)v
いつの間にかすっかりエリーの味方になってる優子、の言葉に説得され反省するマッサン。
あ、安直な・・・いや、良かった良かった。
ごちと似てるようで似てないな。
まぁもう少し様子見してみます。
なんか嫌な気分…朝ドラで喧嘩は見たくないです。喧嘩してるところにさらに喧嘩…でもすぐに仲直り…仲直りしたけど、これからもマッサンとエリ-のすれ違いが描かれるのでしょうか?喧嘩して仲直りのパタ-ンの繰り返し?
今週もまぁまぁだったかな。
キャサリンの「男が威張っている云々」はどうなんでしょう。
欧米の方が男社会と言う感じもしていますが・・・
日本の場合、表舞台は男が偉そうですけど、家庭では女房の方が偉そうと言うか、実権を握っているような。
私と仕事、どっちが大事?!
は言われてみたい気もしますね。
既に、金づる扱いなので・・・
おまけに「○○さん」と呼んでいたのに、いまでは「お前」なんで・・・
エリーみたいな嫁さんいいなぁ・・・
と言うのが最近の視聴理由? (^^;
以前の劇中にあった「人生のパートナー」
良い言葉です。
今週は、日本人を目指すエリーが男尊女卑的夫婦像を受け入れられず悩む姿が印象的でした。また、これまで自分より相手のことを第一に考えていたエリーとマッサンが、抱え込んだストレスが爆発し、相手にぶつけ合うという新しい局面がありました。
エリーの交友関係にも大きな変化がありました。婚約騒動が原因でエリーに辛く当たっていた優子は徐々に吹っ切れ、家を飛び出したマッサンを諭し夫婦仲の橋渡しをするまでに。今週登場のキャサリンは、国際結婚の先輩としてエリーを何かと気にかけてくれる。(彼女は過去に何かあったのかな?日本人の夫というものに対し最初から否定的なのが気になります。これから語られるのかも。)そして、落ち込んだエリーを元気づけてくれた鴨居社長。妻として外国人としての孤独感に苦しむエリーを支える友人達に心温まりました。
第三週が終わったこの時点で気になっているのは、鴨居社長がマッサンに投げかけた「本物って何や?」という言葉。本場のウィスキーを理想とするマッサンに対する問いかけですが、エリーの目指す「日本人」にも関わって来る問いだと思います。日本人にとって本物のウィスキーとは?本物の日本人とは?物づくりやアイデンティティに関わる「本物」というテーマをどのように掘り下げて行くのか興味深く、楽しみながら観ています。
私も、あれだけマッサンのウイスキー作りを応援すると言って苦しくても国へ帰ることを拒否し、逆にマッサンを叱ったエリーが、月並みな「私と仕事とどっちが大事?」という日本人のような問いかけを彼に投げかけたのは、ん?と思いました。
竹原の家でも、マッサンを支えるという覚悟を、決然とお姑さんに伝えて間もないですもんね。男尊女卑に切りこんでいくのはいいと思いますが、もうちょっと別のとっかかりはなかったものか、と思いました。
でも、エリーがご飯炊きに一喜一憂している表情やしぐさはとてもいい。日本人の前ではいつもかしこまり礼儀正しいいい子でいる彼女の、自分らしい地のリアクションが出ていて、リアリティがあります。
考えてみれば、史実からすれば二人はまだ23~25才ぐらいのはず。エリーの前髪を下ろしたあのヘアスタイルも、まだ若いことを象徴しているのでしょう。だから、その行動や考え方は、(マッサンともに)まだ至らないところがあって当然だし、ドラマもたぶんそのようなものとして描いていると思います。これから年を重ねていくうちに、落ち着きや成熟も描かれていくのでしょう。
だから、二人の新婚らしいいちゃいちゃも、まだかわいらしくてほほえましい。それにつけても、何を描いても、不思議に嫌らしさやあざとさを感じさせないドラマだなあと思います。さりげないようでいて、実はよく考えられているのかもしれません。
キリスト教の聖職者の妻が、夫婦別れを言い出したのには、びっくりでした。
う~ん・・・濱田マリさん、好きなんだけどなあ。
それとも、マッサン&エリーの結婚は、正式な結婚じゃないってことになるのでしょうか。
たしかに、教会で牧師さんとか、司祭さんに類する人が立ち会っている映像はなかったようではありますが。
設定が、「日本の男と結婚なんかするもんじゃない」って主張の女性だから、ってことで済ませなさい、というのが脚本家の主張なんでしょうが、そうできるかできないかが、評価の分かれ目なんですよね。
主役二人のかわいらしさは否定しないけれど、それだけで見られるドラマでもないです。
今週は、エリーよりユウコサンのほうが、愛おしかった。
カモイ氏は、演じる俳優さんのいつもの役どころのまんまで、あまり新味が感じられない。
別のドラマでも、見たことがある感じ。
これも、この俳優さんのファンなら、「これこれ、これが見たかったのよ」となるところでしょう。
アニメ名作劇場のナレーションのような、「○○は、どうするのでしょう」的な調子も、なじめないし、回想シーンの吹き替えも流れをぶった切るような印象で、いまいちです。
ドラマの中に、アニメ名作劇場、歴史ドキュメンタリーが突っ込まれているようで、落ち着かないです。
もう少し見ると、慣れてくる部分かな?とも思いますが。
おそらく、まっとうすぎるから面白味に欠けるんじゃないかな。
毒がなさすぎるのも。裏が全然なさそうなのも道徳的でいいんだけどね。周囲は善良で温かい人ばかりだし。
熱心な仕事ぶりもちゃんと描かれ、多忙すぎる夫とのすれ違いからの諍いもとても自然。愛する妻の為すぐ己の非を改め、長々とひっぱらないから観る方もストレスがたまらない。
気になるほどのひっかかりもなく、粗くもない。
難しそうな姑もすぐ退場。意地悪してきた優子もコロッといいひとに。肩すかし喰らったみたいで。そりゃ愛されヒロインもわかるけどさ。
この先も優等生的に無難に進むんだろうなと思わせる。
それはそれでいいんだけど、なんか物足らないんだよね。
あれだけ強い意思で祖国を捨てて来たエリーが
現代の日本女性の様な台詞を言って
マッサンに怒ることに違和感を感じました。
私は、今回は、刺激的だったり、派手派手しいことを極力抑えて、ストーリーをがっぷり真正面から正攻法で見せてもらいたいと思っているので、今のスタンスやテイストがちょうどいいです。いろいろな方が書かれていますが、ストレスのないのがほんとうに心地いい。
ひねりも、今回はそう必要ないかな。人間の生きざまと心をきちんと描いてくれさえすれば、そこに引っぱられて見続けると思います。それにユーモアが加わってくれれば、もう恩の字。
一つだけ、ちょっと苦手なのは、やはりあのナレーションですね。ナレがほしいと思うのは、こちらがあずかり知らない事情があったときや時間がとんで状況が連続しないとき。いらないと感じるのは、黙って余韻を味わいたいときや十分に既知のことをわざわざ言うとき。前作は視聴者目当てで今回はエリー目当てという違いがありますが、ともに要らないところで言葉が入りすぎです。特に、画面を見てこちらが「がんばって!」と思っているところにかぶせて「がんばって、エリー!」というのはまったく不要。これを直してくれたら言うことないんだけどなあ。
注目する役者がいないとつまらんのー
魅力的なキャラがいないのが残念!
うーん、、、感想難しい。
みなさんのおっしゃること賛否両方ごもっともと思えるたり
するので、、、
まあ朝ドラに多くを求めすぎかもしれないけど、
期待を超えるおもしろさがあるかというとNoに
なってしまいますね。
カーネは期待を超えてくれたと思いますけど、なかなか
そんなのはないのか、それともこれから化けてくれるのか?
化けてくれるのを期待したいです。
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