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合計 | 1471件 |
読み | まっさん | |
放送局 | NHK | |
クール | 2014年10月期 | |
期間 | 2014-09-29 ~ 2015-03-28 | |
時間帯 | 月曜日 08:00 | |
出演 |
風間杜夫、小池栄子がええよなぁ
二人の芝居だけで泣ける
一馬やはり遺骨かえらなかったんですね。
死んでしまったことが、信じられない。
私ならそうなってしまいそうです。
エリーの精神は限界を超えてた。
三年間も軟禁され、中傷に合い、故郷の親の安否を知るよしもない。
マッサンに自由になれたんだといわれて、倒れて
眠りこむエリーをみて心が痛み、早く楽になってと願いました。
玉音放送を聞いている間、エリーがじっとラジオを刺すように見つめていたシーンが印象的だった。この時代を生き延びたいわゆる敵国人は、この放送や周りの日本人をどのような感覚で見ていたのでしょう。
それをエリーに語らせることはしませんでしたが、私は考えさせられた演出だったと思います。
マッサンが一馬の骨壷から名前が書かれた紙を取り出し額に当てたとき、グッと来て涙がでた。やはり、戦争時代のドラマは涙なしには観れない。こんな一瞬の仕草にも心を揺さぶられるものもいます。
一馬を大切に想っていたみんなが、明日からは哀しみを忘れて一馬の分まで頑張って生きて行こう、と語る熊虎の言葉は、脚本家があえて今日という東北を襲った震災の日にぶつけたのだと思う。
それがあざといと感じる人もいるだろうが、誰もが忘れてはならない今日という日をドラマの中で想起させることは良いアイディアだ。今日は再生というキーワードが見えた回だった。
マッサン、見応えがあります。
エリーの緊張感たるや アンネの日記ほどではなくても震災孤児にも責められて、、日々どれだけ消耗していたのでしょう
一馬の遺骨戻って来ないのですね、、それでもやっと一馬のウィスキーを皆で味わえました
朝ドラは大河ではないので、現代的な表現と言うかその作品の特徴としていろいろありますよね
ごちもフクちゃんがBL的だったりヒロインが肉を担いだり、花アンもほぼ恋愛劇でした(笑)
別に擁護のつもりはありませんが すぐに泣いたり苦しんだり喜んだりマッサンの少年のような感受性が
日本一のウィスキー創りへの原動力のようにも感じます
はなちゃんが、骨箱にむかって、やっと帰ってきたねと言った時
ああ、一馬の遺骨はちゃんと戻ってこれたんだと思いましたが
やはり骨はなかったんですね。
あの時代は多くの人たちがそうだったんでしょうね。
マッサンの紙を顔に当てて泣く姿に、思わず涙が出てしまいました。
震災でいまだ2千人以上の人が行方不明のままですね。
私も今日の日に合わせての演出かなと思いました。
昨日、今日の回は単なるドラマを越えた内容になってますね。先の大戦において多くの戦没者は遺骨は戻って来なかったんですよね…祖父もそうでした。遺骨はなく、骨壺には石ころが入っていました。4年前の311でもいまだに見つかってない方がいらっしゃると思うと、胸がはりさけそうです。
戦争や災害で理不尽に奪われていってしまった方々の命を思う気持ちは私も同じです。
ですが、その事とドラマの評価は別だと考えます。
マッサンにふさわしい内容だったとは思いません。
マッサンやウィスキーから脱線した一連の戦争エピは脚本家の「我」を押し付けられた不快感がとても大きかったです。
戦争エピを中心に視聴率を稼ごうとする根性が嫌だ。それがわかっているから一馬が死んでも涙なんてこれっぽっちもでない。あざとい。
物語が終盤にきて、いろいろ考えさせられる内容だ。
おもしろい
マッサンの工場が無事だったのは、米軍が戦後自分達が酒を飲みたいからだったんですかね。
それなら、マッサンの心配は全くの無意味だった訳ですが。
エマが泣いて走り去るたび、いちいち
おばさん走りでパタパタ追い掛けるエリーウザい
何で朝から不愉快なシーン見せるんだろう。
子供が包丁持って脅すなんて見たくもないです。
こんな演出するから、マッサンって好きになれないのよね。
人情喜劇だから心に響いて感動するのかななんて期待してたのが大間違いでした。
エリーが心配です。
もう少しで終わってしまうのも淋しいです。
どうも戦時を扱ったドラマを批判するのはやりにくいのですが、今日もいろいろと違和感が多いドラマでした。戦死した一馬のお帰りなさいの回をやろう、というエリーに違和感。ごちそうさんで活男が戦死した時に、全く同じエピソードがありましたね。悲しむのは今日までにして、明日からは前を向いてせいいっぱい生きようという熊さん。現代人がいいそうな台詞だと思いました。四十九日のような区切りがあるのならわかるのですが。玉音放送の最中から泣いてる工員たち。何を言ってるかわからないというのが自然な反応だと思うのですが?
とにかくこのドラマは簡単に泣きすぎ。涙の大安売りです。
朝ドラと大河の住み分けを考えると
朝ドラで戦争を描くのは当然でしょう
今はリアルを嫌がる人が多いみたいですが
戦争はできるだけ事実を描いてほしいですね
今の大学生の半分以上が終戦がいつか言えないらしいですから
まあ、大学生は見てないでしょうが
日本人とは別の苦しみを味わったエリーに考えさせられるものがありました。最終回までに帰国して家族との再会を果たしてほしいです。
今日出てきた包丁を持った男の子はごちそうさんの時に出ていた子役さんですね。
朝ドラで戦争をやらなくてもいいと思う、他の番組でやってほしい。
戦争は終わったんじゃ。エリーはもう自由じゃ。
ここまではいい。
だけど、もう大声で英語話してもいい。歌を歌ってもいいんじゃ、というのは違う気がする。
マッサンはちょっと脳天気すぎる。想像力に欠ける。
現に、エリーは家に忍び込んだ少年に刃物突きつけられたことや、戦死した日本兵の亡霊イメージにさいなまれている。
だって戦争は終わっても身内を米英兵士に殺された人は大勢いるんだから、そんなに簡単に気持ちを切り替えられるはずがない。
なかなか外出する気になれないエリーのほうが繊細だよね。いくらエリーを励まし慰めようとする気持ちからにしても、マッサンはやっぱり思慮が足りない。
余市復興のため工場を農地に開放するような仕事面の配慮ができるだけに、エリーへのそんな描き方がちょっとがっかり。
父親を亡くした子供や、兵士に責められる?
それを、今になってぽとっと投下。
なぜ、終戦前の時間で、そういうことも描かないのだろうか。
苦労の挙句に体を壊したヒロインなのだろうが、これまでがないので、いきなり、こうなりました、と出されても白けます。
だから、この先もあまり気になりません。
山場の場面だけを、数ページだけ描いて、発売する薄い本のような状態は、許せないです。
素人が作るから、プロが描く場合は、きちんと本体があるから、あれはあれで成り立ちますが、
きちんとすべき本体で、こういう手法はやめて欲しい。
エリーさんは、グリーンが似合いますね。
今日のカーディガン、余市編始まりの頃のスーツ、どちらも綺麗でした。
早く、綺麗なワンピースやスーツを着た姿、
私も見たいですね。
今日も重苦しい雰囲気のままかなぁと思いきや、三匹の子豚に笑ってしまいました。
ごちそうさんも子豚が出てきて最終回だったなぁと思っていたら朝イチでも取り上げていて(笑)
あの時の豚ちゃんは子だくさんになったらしいですね♪
工場を停止して畑仕事だけするなら工場長不在でも大丈夫そうだから、もし出航が可能ならエリーさん一度里帰りした方がいいんじゃないかなぁ…。
戦争は終わったけれど、ストレスで参っていたであろうエリーの肉体と精神はまだ元には戻れていないようです。緊張で張りつめた糸が切れ放心状態にも近い、その上、戦勝国の人間という負い目にも似た感情や恐怖でエリーはかなり参っています。
国中が疲弊し、希望を見い出せないまま、食べものを確保するだけで精一杯の状態だったことが、ドラマを通しても分かります。
マッサンの工場の土地を畑にして従業員に解放するのも、食料事情をかんがみて、と思います。北海道ですら、敗戦前後の2年は、物不足・食料不足で大変だったと両親から聞いたことがあります。
今日はドラマの中では転換へのブリッジのような気がします。明日、何か起きるのでしょうか。エリーの体が心配です。
エリーが周囲から敵視される描写は戦争始まりの
頃からありましたよ
だから急に出してきたというと、制作側がちょっとかわいそう。
見てないんだな、としか。
でも私はこのドラマがあまり好きにはなれませんでした。
それはひとえにマッサンが魅力的には見えなかったことと
エリーが日本にきて不幸に人生を終えたように見えるからです。
子供も出来ず、周囲から敵視され、何年も家から出られず、引きこもりのような生活のあげくに病気になる。
もっとエリーが日本にいてよかった、という気持ちをやってくれたらよかったのに。
それはやはりマッサンがいかにエリーを大事にし、
エリーを守るかにかかっていた。それがマッサンの魅力にも繋がったはず。
エリーでなく、マッサンの気持ちを中心にして
いかにエリーを愛しているか、ウイスキーとエリーが同等なくらいに両方に対するマッサンのモノローグで進めた方がよかった。
エリーが村のみんなから、さすがエリーと言われるエピソードなんかこんなに押し付けがましくたくさんいらないんです。
大阪でも北海道でもマッサンの実家でも。
見たいのは、マッサンとエリーの絆だったのに
エリーすごいねでも不幸だね物語になっちゃった。
終戦とともに自然消滅のように海軍が消えて、工場が停止してしまいましたが、そこはちゃんと描いて欲しかったですね。
終戦後2カ月も工場を停止して、畑を作ってみんなが働くというのはどこまで史実なんでしょう?
次のウイスキーの仕込みは?大麦の仕入れは?
毎年秋から原酒を仕込まなきゃならないんですよね?
そのへんの心配が全くない回で現実味が薄かったです。
戦時中の外国人は本当に辛かったと思うよ。終戦直後,中国では日本人とわかったら殺されたりしたのだから,そういう体験は今の私たちには想像できないことだと思う。私の父は満州で捕虜になり,シベリアで労働を強いられて人間扱いされなかった。
エリーの心労からいろいろ考えさせられたが,マッサンはもう少しその辺に寄り添っていくのかなあ?
ちゃんと見ていないと言うより、物足りないと感じるんだと思います。
エリーが敵国の人間として家にこもりっぱなし状態の時でも、裕福な暮らしぶりやそれに気が付かないことが元で特高に密告され狙われたり、その後も家では英語は普通にマッサンに注意されながらも会話としてあったりしたし。特にエマは英語の多様になんだかこの時代とは思えない恋に・・・という描写で戦争最中でエリーが軟禁状態だったなんてことも忘れてしまいそうでしたよ。
マッサンの舞台が北海道であることや、この家族は社長宅で貧困とは平民に比べれば無縁とも言えるし、戦争での苦悩を描くとすれば、エリーが外国人であるがための差別が一番の痛手であり、苦悩だと思う。それがエマの恋と一馬の出征と死というところにフォーカスが当たり過ぎて、ややそのことにヒステリックなエリーの描写期間が長すぎた。
しかもその間にも食べ物ではなく花の種を捲く、敵国の歌を推奨するなど、なんだか戦時中なのか・・・というクダリばかりで、戦後の今になって少年の敵国への恨み、エリーが戦争の痛手から外へも出られない。そんなことが今になって、突然出てきてしまったと自分も感じている。
ここにもってくるなら、前の二週間はエリーと戦争という形に焦点を当てて戦争を描くべきだったのでは、と自分は思っている。
もったいないドラマ。
なんともつまらない。
熟成が命のウィスキーは寝てればいいだけでした。
おわり。
今週になって、マッサンの仕事面での描き方はなかなかいいですね。
空襲の恐れがあると知るや、すぐに乾燥棟を避難所に改築し、大事な原酒の樽を安全な場所に移動させる。そして終戦後は工場をいったん停止して、工場の土地を農地に一般開放する。ここでたぶん、一馬が残して行った麦の種も植えて育てるんでしょうね。
とにかく昔の主体性なく何でもエリーや成り行き頼みだったマッサンと比べると、目を見張るような決断力、行動力に感心します。しかもウィスキーに関しては今現在よりも未来に繋げることを考え、また自分達の生活だけでなく余市という町の復興を考え、と視野も広くなっています。
実際の竹鶴さんも地域に貢献した方だったそうですね。
今のマッサンは実に頼もしく見えてうれしいです。
あと心配なのはエリーですね。
マッサンがもっとエリーの気持ちにも寄り添えたら、と思います。
3年も軟禁生活だったんだもの
さあ自由だと言われても
すぐに出れるわけもないよね。
エリーにとってまだ戦争は終わっていないのだろうね。
優希エマちゃん、今週も泣いたり笑ったり大変だぁ〜!彼女の表情を見ていると、何故か自分にはエマの気持ちが素直に伝わってくる気がするんですよ。
あと残りわずか。応援し続けたい。
今週は説得力のある回が続いていいです。
今日は、戦後立ち上がろうとマッサンが皆を引っ張る姿を頼もしく思い、子豚ちゃんにひと時でも
笑顔になり、でもエリーの心はまだ前に進めない。どの描写、台詞にも共感しました。
ウィスキーは少し休んでも、まずは人々がたちなおらないといけない。大切な回だったと思います。
多くの方が書いてらっしゃいますが、わたしも先週から今週の「マッサン」には涙・涙で・・。 当時どれだけ多くの人がこんなふうに悲しい思いをしたのか、若者の命が理不尽に奪われたのか。胸に突き刺さりました。
これもすでに書かれている方がいらっしゃいますが、東京大空襲の日と、東日本大震災の日を意識してドラマのエピソードを持って来たのだろうとわたしも思いました。
人の痛みや悲しみに寄り添う、素晴らしいドラマです。大笑いではなく、重くなりすぎそうなところでさり気なく笑わせてくれるところも好きです。
エリーの心の痛みが、気になります。リタさんにとっても、想像を遥かに越える辛さがあったろうと思います。しんどいですが、役者さんたちが皆さん渾身の演技なので、辛い展開でもこちらも真剣に見守ろう、と思えます。
でも、小競り合いしていた若かったマッサン&エリーが懐かしいなぁ。成熟した二人もとても素敵なのですが。
時を置いて、何度も観返すことになるでしょう。わたしにとって、こんなふうに思える最初で最後の朝ドラになるかもしれません。(まだまだ人生長いので、またいつか出会いがあればそれはそれで嬉しいですが。笑)
パートナーシップとは、愛情とは、人生とは。そういったことにきちんと向き合わせてくれるきっかけを、ちょうどいい時期に与えて貰えました。ドラマが終わってしまうなんて信じたくないくらい、心の底から寂しいですが、大切に観ていきます。
いまさら「自由に英語をしゃべってもいい」とか言われてもへ?という感じです。
特高が見張っているのに、英語なんかしゃべれない熊さんに、英語で蛍の光を歌えと強引に押し付けていたエリーを見てると、トラウマで寝込むようなキャラとは思えない。
一週一週、キャラが代わり過ぎですね。
あと、終戦の描写も違和感がありますね。史実の竹鶴さんはもっと前から畑を作っていたでしょうし、従業員も多くは農家出身で、敗戦トラウマを農業で癒すというのも、いかにも現代の都会人が考えたシナリオに思えます。
すみませんが、私もエリーは戦時中にしては白いご飯も毎日食べ、お出かけは出来なかったかもしれないけど、結構優雅に暮らしてて
英語も話し、歌も強要するくらい自由にしてきたイメージしかなくて、マッサンのエリーは自由だと言われても何だかなと思ってしまいます。
言われる言葉と、こちらが受けてるイメージが違う事が多々あるドラマだなと思ってます。
本当にその通りです。
今更、自由に?
あれだけ英語、英語で?
?の気持ちは皆さんと同じくです。
英語で歌ったのって、一馬の出征ぐらい?
本当に大切な時に歌ったほんの数回で
そんなにいわれる?本当は普通に毎日つかえた言葉。それが使えなくなた日々から、三年間です。
心の傷は深いと思います。
外国人ならではの心の傷は、日本人にはわからない苦しみがあったと思う。
外に出れないという気持ちはものすごくわかります。早くエリーにも心の終戦を。
一馬の出征から2年たっているんですよね。
戦争はどんどん激しくなり
一般の人より恵まれてはいたけど
食事内容も年ごとに質素になってましたしね。
北海道にも爆撃があったし
軍指定工場ということで狙われるとおびえていた。
3年間の軟禁生活想像以上につらいものかと思います。
別に窓を閉めて、英語は使いたい時は日常的に使ってたんじゃないですか?
それに日本人になりたいと言ってた人が、日本に来てからもう20年も経ってて、外で大きな声で英語話せないくらいで、それほど苦しいものでしょうか?
もう普通に日本語が日常語になってませんか?
外出出来ない辛さなら、少しはわかりますけど。
戦争中に日本に残った外国人たちは、みんなエリーのように息をつめて暮らしていたのだと思います。戦争初期には豊かそうにあった食糧も、マッサンの工場でさえ底をついていました。ハナとエマが配給に並んだ、というシーンがありました。
エリーは配給を受けに行きたくても、外に出る危険を避けて行きませんでしたね。しかも、特高に見張られる生活が3年間続いたのですから、身体も心もすり減ってしまったのでしょう。
戦勝国の人間は少数派でまだまだ身の危険はあったはずで、あの少年の恨みがエリーへの攻撃になりました。死んだ兵隊が夢に現れたのも、エリーの心にある罪悪感を表していたのだと思います。
開戦当初、食糧については北海道という農魚産物に富んだ地の利があったかと思いますが、後に白米は全て軍へ供出するようになり、民間には配給となります。物を作るにしても、材料の生産者も作り手も不足し、どんどん生活用品も店先から消え、様々なものが配給だったと聞きます。
戦後直後はまだ日本中が混乱し、ナレのように哀しみに溢れ、物もなく食べ物もなく貧しかったのでしょう。
当時の外国人の苦しみは、エリーを描くに当たって避けて通れないものだったと思いました。週末までにはエリーが本当に解放されることを願います。明るい「大丈夫」なエリーに会いたいですね。
エリーが「大丈夫」と言ったら泣いてしまうかもしれません。
制限されるのはつらいと、私も思いますけどね。
英語を家の中で話したとしても、外に聞こえないよう気を使う。
気晴らしに自分の大好きな母国の歌を歌いたくても歌えない。
常に家の外には特高が監視、辛くない人なんているのかな?
しかも、敷地は広いし、その中なら自由に行き来してましたよね。工場の人はみな理解があり優しく、英語でホタルの光を大合唱だってやってくれた。
買い物はハナやエマがしてくれてたから、その点でも不自由なし。
熊虎さんも理解があり、家の中では英語も話せていましたし、オルガンも自由に弾けて。
なにか不自由ありました?
特高さんも最初こそ、張り付いてましたけど、いなくなっちゃったも同然のような描写でした。
お城で暮らし、庶民の街には行けないでいるクイーンくらいの不自由さにしか感じないんですが。
あんなに大合唱してたのに? 窓を閉めれば、普通に歌えてたはずですが?
母国の歌も歌えない?
戦争が始まる頃から却って英語での会話、増えたと感じるくらいでした。
ほたるの光、英語バージョンも何回歌ってましたっけ。
三年間、軟禁状態で苦しいみたいな表現は最初のみで、エリーちゃんはすきにしていたようにしか見えず、今週になって、あらー、そういえば軟禁だったんだっけ?で、その辛さは想像にお任せしますじゃ実感わきませんね。
説得力になにかと欠け、視聴者の良心的解釈に頼るドラマでは感動は程遠いです。
朝ドラで戦争を描くなと思ってる人は少ないと思います。
これまでだっていろいろありました。
その描き方が好きになれるかは視聴者の自由です。
私は今日、久しぶりに見てエマちゃんの相変わらずの共産党の劇?みたいなどストレートな台詞を聞いて、もはや演じてる子が可哀想になってきました。
あんなにわかりやすい台詞じゃないと戦争の悲惨さが視聴者に届かないと思っているのかな?
マッサンの描写は以前より良くなっているようにも感じましたが、もはや毎日見る気にはなれません。。。
戦争初期から?
石を投げられた!も、セリフと怪我の紛争だけ。
雇い入れた女性に密告されて、
特高が来るも、
あっという間に海軍降臨で解決。
密告者も謝罪して退場。
外に出られず、
日に日にフラストレーションを溜めて、壊れていくような場面はなかったのでは?
エマの恋愛編では、軟禁生活からヒステリーを起こしたのではなく、
自分が恋人に戦死されてたからでしょ。
モデルになった人物と同じ設定にしても、夫になるマッサンすら知らなかったことを、
15分のうちに明かして解決。
物足りないというか、描写としてはカウントし難いのです、私には。
今週登場の包丁少年が、このあと、謝罪に来たりすることでもあって、そのせいで、エリーが病をおして孤児援護活動でもはじめて、地元の人の心からの崇敬を集めるような流れなら、まだ、よしとしますが、
あと半月では、そんなにエピも広げられないでしょう。
足らぬ足らぬは、
描写が足らぬ、なんですよ。
もちろん、人によっては、それはお前の鑑賞力が足らないんだ!と、お考えになる人もいるとおもいますが。
私はエリーが日に日に壊れていくの心配してたほうですけど。あの親子2人のエピも傷ついていたし、エマの恋バナの時はエリーどうしたの?ぐらい心配して、やはり外に出れない苦しみ大きいなあと思ってたし、特高のみはりは毎日のように描写あったし、三年間の苦しみって凄まじいと
昨日今日のエリーをみてよく耐えた、一気に緊張が解けて、しんどくなったと思ってみました。
描写不足かな?私はそうは思いません。
今日の豚の場面は最高でした。エリーの心からの笑顔も久しぶりに晴れやかで。当時の人たちの生きていく力にこちらが励まされる気がしました。
↑↑の方に同意です。
私も描写不足だと思います。 エリーは優雅に暮らしてた印象しかないですね。
もっと過酷な日本人の方がいっぱいいたと思うくらいで。
突然エリーの苦しみをこれでもかと描かれても、これまでの描写の積み重ねが無いので白けるだけで同情も出来ません。
すみません、↑↑↑の方に同意です。
当時の日本人が被った苦労と、外国人が日本に留まったことで被った苦労はまた違うものを感じます。前者に関してはこれまで様々なドラマや映画で表現されていましたが、後者は今までにあまり見たことがなく(だいたい皆さんお国に帰国されることが多かったかと)すごく新鮮に感じます。
わりと裕福な生活を送り、北海道というある意味本土と違う特色もあったと思われる部分も偽りなく描写されています。過度にお涙頂戴にしなくても、シャーロットさんの真に迫る演技が切実なエリーの状態を表現していてすごく引き込まれます。
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