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そう、浅田美代子さん、いいですよね。味のある役者になっていきそう。
素敵な青年に、英語を褒められたり、名前で読んでもらえたら、天に昇ってしまうのが乙女。
お金持ちのお坊ちゃんだからこそ、皆より質素な着物で、子供達と率先して遊ぶ花子に、お嬢様たちとは違う魅力を感じて心惹かれるのでしょう。
他愛もない初恋、まさに恋愛のレッスン・ワンですね。
隔たりの多い二人の初恋ゆえに、儚くなりそうな予感も、うまく漂っていると思います。
この流れ、とても好きです。
少し古い時代の、英米の家庭小説(少女小説?)の世界に憧れていた私には、なんとも言えず楽しいドラマです。
女学生編、いつまでも見ていたいような気がします。
人格がねじれたような悪役がいないのも、心地よく見ていられます。
校長先生の厳しさは、ベテラン教師ならではの巧みさを感じますし、かをる子さまは、まだまだビギナー、タキ先生は花子のような生徒には理解を寄せないタイプかな?
厳しい人たちにも、それぞれの色があって、楽しいです。
〉しかし一方そういう「分析」という行為自体に主観とは違う客観性、というものは必要であるということも言えると思います。
こぴ主さんはその客観的に分析したものがあくまで主観的なものだと自覚してほしいと言っているのでは?
まぁ、究極的にはと最初に書いてあるんでわかってるんでしょうけど。
ここでそういう話しはご遠慮願いたいのは主観的な考えですかね。客観的にみてそう感じてますが。
>ここでそういう話しはご遠慮願いたいのは主観的な考えですかね。客観的にみてそう感じてますが。
2014-04-16 22:37:52 名前無しさんはそう言いながら、自分自身がしっかり主観、客観について自分の意見を書いてるじゃないですか(笑)
分析、という言葉を使ったらそれは主観じゃできないことですね。また大元のコメント(2014-04-16 15:41:20さんのですよね?)には分析なんてことまるで書かれてないですよね。主観だの客観だの言い始めてるのはそれに対する反論コメントですよね。
ドラマの感想欄の感想からそのドラマがどういうものかわかることがある、ってことでしょう。だったら個人の主観でそれでいいんじゃないでしょうか。そういうことさえ書くな、ということですか?それは出来ないと思いますが。
主観をここで言って欲しくない?そんなの個人の感想誰も書けなくなりますよ。ドラマに関してもサイトに関しても。
感想というのは、個人の主観を述べるもの。
馬鹿なことを言っているんじゃないよ。
なお、その前に客観的な分析があれば、そのレベルは高くなるということ。
そうだよな。
きちんとした実験データがあって、ちゃんと考察すれば、小保方さんみたいにはならないだろう。
ここもそうあって欲しいものですね。
主観がどーした客観がどーしたレベルがどーしたって言われたら感想書けないよ。自分バカだから。だからそういう話はやめてってことじやないの。
感想書こうと思ったけどなんか難しいのでやめます。
>客観的に分析したものがあくまで主観的なものだと自覚してほしい・・
ドラマと直接関係ないかも、だけどこれ意味分からない。
分析は分析、分析は主観じゃないし主観じゃできないよ。
分析したものが主観的ならそれは分析じゃないでしょ?
なんか言葉の使い方が根本的におかしい人がいる。
自分が客観性を持って何かを見ないからあるいはそれが嫌いだから
他の人全員が客観性を持って何事も分析できない、って決めつけてる人も
いるんじゃないの?
でも今日の場合はたしかに大元で感想サイトとドラマについて言ってる人は
分析なんてしてるんじゃないのにそれを分析、ととらえた人が間違えて
いたのだと思う。
なお客観とか主観とかの話がされると難しくドラマ見る必要ない、みたいな
コメントも必ず出て来るけれどそういうことの問題ではないと思う。
嫌ならそういうのは流せばいい。これもそう。ごめんなさい。
ココは昔から理屈っぽい人も多いんですよ。
わかんなきゃわかんないでいいんだと思います。
理屈っぽくなくても自分にとって意味不明のコメントとかだってありますし。
分かんないのはバカだからじゃないと思います。
主観でも客観でも他は気にせずどんどんコメントすればいいんだと
思います。
管理人さん、頼んます。
ここはこの人たちに任せて、
別に「ほのぼの感想室」なんての作ってくれ~~~。
いい人やなぁ校長先生
おそうじを一生懸命したらごほうびもらえた
男子学生とイチャついてただけではなく、女の子のために英語で紙芝居をやってあげたから遅くなったと情状酌量され
こういう展開はなかなか良いね
ドラマはそこそこほのぼのしてると感じます。
もっと刺激があってもいいくらい。
議論がなくても賛否が必ずいる感想サイトはどうやったって
ほのぼのはけっこう難しそうですね。
そんな所があったら行ってみたいです。
ほのぼのは無理でしょ。投稿者が全員、蛭子能収みたいな人ばっかりな訳ないからね。爆笑問題の太田みたいな奴とか有吉、マツコデラックス、小倉智昭、デヴィ夫人、和田アキ子みたいな魑魅魍魎の類いもいるからね。
2014-04-16 23:45:04のコメントの
>言葉の使い方が根本的におかしい人がいる。
の部分に激しく同感です。
「主観=好き嫌い」の前提で使ってる人がずっといて、話をいつもワケわからなくしてる。
「主観⊃好き嫌い」ではあるけど「=」は完全に間違いです。
要するに「客観的な根拠がない」ものが主観です。
『分析』の根拠に客観性がないなら、その分析とやらはどこまでいっても主観ですよ。
今作に限らず、例えば『叩くためにドラマ視て叩いてる批判(はダメ)』などと言う人がよくいますが、
「叩くために」には根拠が全くありません。その人には個人的に「そう見えた」ってだけです。
よってそういう意見は主観以外の何物でもありません。
ドラマの感想が主観なのは大いに結構。
そもそもここはそのための場、これが大前提。
なので他人のドラマ感想への感想、実質的には感想への干渉は(それ自体が本来不要なんですが、
敢えてそれを容認するなら)客観的根拠があることが必須条件。
これって言うまでもない当たり前のことなんですが、
いつも場を揉ます人(同じ人か否かは問わない)にはどうしたわけだか
それが絶対に理解できないみたいなんですよね。
上の引用元のコメントの人含め、そういう人の言葉の認識が根本的におかしいのが
その一因なのかもしれません。傍迷惑な話です。
主観でも客観でもOK!
しかし、この翻訳のサムライって広告は何だ?
安心の実績って?
怪しくてクリック出来ん。
どう贔屓目に見ても、ヒロインは虚言癖があるように思えて仕方ないのだが・・。
手紙書き写し事件は子供のことだから、と見るとして、父親が職業の嘘というのは見ていて、少し切なくなった。そのあと訂正しようとして時間切れ、というのもどこかで見たパターンだ。
吉高由里子さん自体はかわいく、まるで妖精のような存在感だが、学年で1番とかいわれても、あのキャラのせいか、猛勉強してる様子がそれほどないせいかで、あまり現実感がない。
2014-04-17 01:40:35 名前無しさんに同意です。
日本語ならお互い通じると思うとことばの意味の認識自体が非常に異なる場合があり混乱を招くことがありますね。
主観という言葉の意味の取り違いで議論にならない議論をくりかえしたり、またその取り違いによって、いくら感想を書く場であっても主観でものを言っていい範囲を逸脱する、それがいつも混乱をまねいています。
言葉の意味にも好き嫌いのような主観が許される、ドラマ関連のことではなく明らかに個人に被害が及ぶような範囲にまで主観だけで発言する。それは大変な勘違いです。ドラマの好き嫌いは主観でもいい。他のコメントの「ドラマに関する」ことへの同意や反論は(それも感想なのですから)主観であってもよい。でもコメントを書いた人に対する自分の好き嫌いだけで客観的根拠もなしに立ち入る人がいる。例えば○○なんて書くなんてバカだ、病気だ、年寄りだ、というようなもの(こういうのは中傷になる)や主観だけで人に要求をするもの。○○な書き方はやめろ、〇○を自覚しろ、というようなもの。そういうものがいつも混乱の種を蒔いています。
上、7行目、ドラマの好き嫌いは主観でもいい、という言い方はおかしかったです。
「ドラマの感想は主観でいい」に訂正します。
》ココは昔から理屈っぽい人も多いんですよ。
リアル話し相手のいない人達が多いってことですか?暇な人が多いとは感じてはいたけど。
感想とは文字通り「感じて」「思う」、ただそれだけのものです。自分の心がどんな動きをしたか、それを列挙しただけのものです。まさしく小学生の読書感想文そのものと言えます。
あるサイトにはこういう風に紹介されていました。つまり「面白い」「つまらない」「好き」「嫌い」も単純だけど感想になります。
それ以上の考えや内容を求めたければ「意見」となり、さらにその上が「批評」となります。興味のある方は調べてみてください。
自分(たち)の意に反するような理屈の通った反論
って、はなが花子と呼んでというのはアンの小ネタではなく、主人公のキャラ設定で重要な要素だからきちんとドラマ内で説明すべき、ということですか?
でも、何人かの方が書いておられますよね。べつにアンネタのコーデアリアだって本人がその名前を好きだというだけで取り立ててその名前にこだわる説明などなかったし、花子だってちょっとした空想好きの子供のこだわりじゃないかって。花子という名前に対するこだわりに執着するのはかまわないけど、それが主人公のキャラ設定で重要な要素だからきちんと理由を説明すべき、というのはそう感じる方の理屈であって、必ずしも正しい理屈とは限らないと思うけど。
長々と感想文の書き方を論議しているみたいですけど、スルーするもの結構大変になってきます。
書き方を他の人に指導、論議するより、お手本となるべく感想でも書いた方が良いと思う。
みんな、いろいろな思いがあるにしても、やっぱり花のことは心配で待ち遠しかった様子がありホッとしたのもつかの間。
お気楽な雰囲気の花といらんこと言う父ちゃんに、妹ちゃんもあにやんもトーンダウン。
そりゃ異次元の世界からやってきたような花に直面したら、自分の身か思い知らされていたたまれないよね。
おとうやんは本当に子どもだなぁ。
みんなだって一生懸命にやってるのに・・いやいや花よりももっと実生活に追われてかんばっているのにあんな言い方されたんじゃやってられんとなるわ。
おとやぁん・・・・・!もうちっとこぴっと生きてくれ。
あの着物は醍醐さんが貸してくれたんだね。
タケシ様があの令嬢がハナだと気がついて
「てーーーーーっ!!」となるところを見たい。
こぴっと、今日の感想を(笑)
私もたけしが、はなと知って「てっー!」
て、見てみたいです。
それより、あの成績表は、何点満点?
100点?、50点?(笑)
2014-04-17 08:06:05
だったら三週間もドラマの中で名前をしつこくだして言うなと思う。
花アン信者が言っていることって単なる封じ込めでしょう。
今まで何の説明にもなっていない、そんなの気にするなと言っているのと同じです。どこのサイトでも批判や疑問を封じ込めようとしている人間がいて困る。こっちだって半年間見て判断しようといっているのがわかんないのかな?この疑問をしつこく言うつもりがなくてもドラマで
何回も花が言うのが悪い。
つまらなくなった
ドラマもここも
「ごきげんよう、さようなら」は土曜日だけでいいと思う。
長野だけに「女工哀史」絡めてきたぞ
ナレがいい。
ナレを元に役者さん達が演じてるみたい。幼稚園や小学校の発表会の劇みたいでわかりやすいですね。子供達にも観て欲しいという作りなのかな。
花は東京ではなかなか方言抜けなかったのに地元に帰ると東京言葉の方が多いのって、、、。花が周りと壁ができたみたいと言わせるため?
地方出身者ですが、地元に帰ると空港や駅に降り立つと同時に地元言葉になってる自分としては、朝一君に会った瞬間からてぇっー!と叫んでほしかったなぁ。
おどけてお嬢様言葉使う程度にしてほしかった。家に帰った時は家族で抱き合って言葉も戻ったと思ったのにかよちゃんへの話し言葉はまた壁を作る話し方にしちゃって。
故郷の懐かしい味を食べさせてやろうときっと大変な思いで用意してくれた家族とクッキーを食べさせてあげたかった花。どちらも喜ぶ顔が見たくてなのに切ないなぁ。
明日はクッキー渡せるのかな。
綺麗な着物、カヲル子さまがせっかく帰郷するのだからみんなに良いとこ見せてあげなさいとお下がりくれたのか(サイズ無理か笑)と思ってたら、やっぱり優しい醍醐さんのお力でしたか。カヲル子さまの愛すべき一面みたいです。
アンの名前が気にならないっていうのは、自分の感想としてあるだけで、あなたに対して、私は気にならないから気にするな、批判を書くなと言っているわけではないですよ。他の人も概ねそうと思いますけど。
気になる人はドラマの中でその引っかかりが解決があればそれが良いことですし、気にならない人は気にならない人で見ていくだけですから。
気にならないですよという感想も入れたことがありますが、気になる方に強要したりしたこともないですし、気になる方はドラマの中で解決できたら良いですねという旨も書いています。
半年見て決めるんだから、その件は黙ってろっていうことですか?
自分は三週にわたって出てくるから名前のことが気になると書くけど、気にしていないスタンスからの感想、反論は書かないでくれっていうのと同じことに感じますし、それこそ自分とは異なる意見の封じ込めと思いますけど。
それと自分と意見が異なる人をやみくもに信者呼ばわりするのはやめて頂きたいです。
はなが朝市と再会する山梨の田園風景。やっぱりいいですね。清々しい気分になります。
はなを見てもあまりの変身ぶりに信じられない朝市が、「はなではございません。花子と呼んでください」の言葉でようやくはなと確信する。いいですね、筋が通ってます。周りの人には理解できなくても、それがはななんだから仕方ないですよね。
でも、案の定、久しぶりに帰った我が家は居心地のいい場所ではなかった。やっぱり、おとうは無神経すぎますね。見ていて本当に腹が立ちます。事情を知らないはなも、妹を思いやってのつもりの言葉でかえって妹を傷つけてしまう。幼くして奉公に出た吉太郎も女工になるかよも家のために自分を犠牲にしているのに、どうしておとうはそこに気がつかないんだろう。
タケシ様ははなと気づいていなかったんですね。私も、てっ、おめえがはなけ?と驚く顔を早く見たいです(笑)
私はこのドラマ、名前へのこだわりも気にならず普通に楽しんでいるけど、だからって花アン信者じゃありませんよ。ただ、あまりドラマを理詰めで見ようとするつもりはなく、感覚や感性で見る性質だから、あまり細かいことが気にならないのかも。
人によってドラマの見方も色々だなぁと思います。
人に対してあれこれ言い過ぎずら
こだわることは悪いことじゃないし、花子のこだわりには何かあると感じる。
花子と家族の今後が課題なんだね。
武さまと朝市と北澤さんにモテモテの花子
〉〉
はなが花子と呼んでというのはアンの小ネタではなく、主人公のキャラ設定で重要な要素だからきちんとドラマ内で説明すべき、ということですか?
私は『花子と呼んで』と言うのは花が理想とする女性像が『花子』という名前に相応しい女性であって、花はその名に相応しい女性になって誰からもそう認められ呼ばれるように成長していくドラマなのかなぁと思って観ています。これ以前にも投稿しました。
でもこれは勝手な思い込みです。
キャラ設定に重要な要素とかそんなのドラマで説明いれて欲しいなんて思ってもいません。
最終的になーんだアンの小ネタだったのかってなっても構いません。また、頑なに理由を求めているわけでもありません。ドラマを観て自分で納得するかどうかだと思います。
ただ、自分がこの先ドラマを観ていく上での楽しみや期待です。
小説などを読むのにしてもそんな想像とか巡らせて読み進めていくので、そういう楽しみ方をする人もいるんだと捨て置いてほしいなっと思いました。
説明を求めている方とはまたちょっと違うと思い投稿しました。
花子にこだわるのは、もうきちんと説明があったのに
それに納得できない人が多いだけのような。
アンネタからのとってきた
花の性格がこだわりが強い一つのエピソードのように思えます。
醍醐さん、花さんから友達と思われていないのに
優しいですね。
クッキーはみんなで楽しく食べるのかと思いましたが
意外でした。
妹とお兄ちゃんの葛藤は当然ですね。
花に残された道は、一生懸命勉強し、将来家族を養うことでしょうか。
はなにとっては久しぶりの帰郷だったけど、今日はいろいろ切なかったですね。醍醐さんが好意で貸してくれた着物一式も、故郷では単純に綺麗!と感動されるのではなく、苦労した兄や妹に複雑な思いを掻き立ててしまう。おかあが苦労して材料集めて作ってくれたほうとうや兄やんが作ってくれた草餅も、はなは素直においしいと思って食べてるのに、ふだん贅沢な料理食べてる口には合わないだろう、みたいに言われてしまう。そのためにせっかくスコット先生から作り方を教わったクッキーも出しそびれてしまう。あんなに小さいころから家族に食べさせてあげたいと思っていたクッキーなのに。おまけに同じく給費生になったらと女学校進学を勧めたかよは女工になることが決まっているという。何かすべてが裏目に出てしまっている感じですね。こうして家族の厳しい現実に触れたはながこれをどう受け止め、どんなふうに変わっていくのか注目したいです。もちろん、初恋の行方も気になるけど。
さすがに五年も経っていますから、花も醍醐さんは友達と思い、また周りの人達とも親交があると思いますよ。笑
クッキー、花の家族を想う気持ちとともにみんなで食べられたら良いですね。
まあ一番悪いのはお父ちゃんだけけどね。
怪しげな活動に参加ばかりしいてろくに稼ぎがないから
家が貧しくて
かよが女工にならないといけなくなる。
それにしてもいくら貧乏演出でも朝から顔が汚すぎ
朝市、目の前に川の水があるんだから、顔くらい洗え
と思いました。
今日の「花子とアン」の感想は特に浮かばないなあ。
実家に無事、帰ってきたのは、よかったけど何だか印象が薄いなあ。
黒木華さん、吉高さんより背が高くてお姉さんみたいだった。
実際は年下の兄やん役はそれなりに兄貴らしく見えた。
おじいやんの「そうさな」もお決まりパターン
朝市と対面した時ぐらいかな、少し印象があったのは。
武は一目ぼれしてたんだね、花子に。何だ、そういう事か。
家族が騒動になる原因は妹の「女工」行きにあったんだね。
ドラマを見なれているせいか全体的にベタなイメージ満載でした。
私はけっこうベタが好きかな(笑)
ドラマの流れに乗って違和感なく自然に楽しめてる。
あまちゃんみたいな底抜けのお笑いも好きだったけど、そんなに奇をてらったような面白エピソードはなくてもいい感じ。
よほどのご都合主義や強引な展開とかがなければこのまま観続けられそうな気がします。
また名前のこだわり云々ですか?
何度もの行き違いの答は簡単だと思う。自然に見ている人達で花子がずっと名前にこだわるのには引っかかる人が多い。引っかからない人もいるけれどあれだけ何度も出てくる描写なら当然そこを作者は意識して作ってる。まずこれを否定できる人はいないと思う。
自然に見ていて引っかかる人達は単にその「理由」というよりその作者のこだわりの答え(そんなに何度も花子に言わせることが花子の一体何と結びつき何の意味があるのか、ということ)がドラマの中で示されなければドラマとしてはおかしいと感じる。
アンネタを知っている一部の人はその答えは赤毛のアンの中にあるんだからそれでいい、と考える。(アンとかけているから、アンだって理由なくこだわってただけだから、ということで作者のこだわりを納得できる。)つまりこのドラマは「赤毛のアンを知っていることを前提」として見ている。
だから双方にドラマ解釈において違いが出てくるのだと思う。
アンと関係なく見てる人はいくら後者のような人に説明されても納得が行くわけがない。その前提がないんだから。
つまり、この名前へのこだわりに関しての何か答えのようなものがドラマの中で示されるようならこれはアンを知らなくても万人向けのドラマであり、そうでなければアンを読んだことのある人向けのあくまでもアンが前提にあってのドラマ、ということになると思う。
そして自然に見ていて引っかかっている人たちは万人向けのドラマと思っているから今後何かドラマの中でその答えが示されることを期待している、ということ。
自然に見ている人達がそれを期待する、ということをなぜ一部のアンネタを知り、アンの中にその答えがある人はことさら否定しようとし続けるのかわからない。答えはもう出ているのだから、とか答えを期待する必要はない、というのはあくまでアンを知っている人にのみ言えること、ということがどうしても納得できないのだろうか。
それは赤毛のアンを知っていなければこのドラマを理解できない、これはそういう人向けのドラマである、と主張しているのと同じことである。
これはアンを知っていれば100倍楽しめるドラマではあってもそうでなければ楽しめない、と作者は言っている訳ではないのだと思えるが。
>花子にこだわるのは、もうきちんと説明があったのに
それに納得できない人が多いだけのような。
それは多いでしょうね。
きちんと説明、というのはアンを読んだことがある人にだけ納得できる説明ですから。
その説明が感想サイトじゃなくてドラマの中でなされれば皆納得することでしょう。
やっぱり時代背景が前回と似たような感じだから新鮮味が感じられない。
少し飽きてきた。
美味しい料理ばかりだと、ときめかないように、たまには不味い料理も食ってみたい気がする。へんな例えかもしれないが「純と愛」のようなドラマも不評だったけど、いいお口直しになってたかもね。
>自然に見ている人達で花子がずっと名前にこだわるのには引っかかる人が多い
とは限らない。
何度も入れられる場所だし。見ていると同じ人が何かいも同じことを繰り返し言っているケースもあると感じている。
それは別として、花子の名前に関しては、アンのネタだから良いと言っている人もいれば、アン抜きで見ているけど気にならないと言っている人もいる人もいるよね。
どちらにしても、名前にこだわりがあるという人を否定しているのでもなく、自分としては気にならないと書いているだけのこと。
なぜそれを否定としてとらえるのかな。
「おら、あん時ホントに死ぬ覚悟しただよ。いっぺん死んで生まれ変わったも同じだ。おら、うまれかわったこの命をでーじ(大事)にするだよ。ほんだからやっぱし、自分の好きな名前を自分で付け直すことにしただよ。みんな、おらのことは花子 と呼んでくれろ!」
「そりゃあさあ、花子って呼ばれた方が自分のこと有り難く思えるじゃんけ」
「そのほうがずっと気持ちいいだよ。」
「名前が変われば、見える景色も変わるだよ。自分が花子だと思うと、ほーら風のニオイまでちがうじゃん!」
アンネタから持ってきたのは間違いない話。
そして名前にこだわるのは上記の理由ですよ。
>きちんと説明、というのはアンを読んだことがある人にだけ納得できる説明ですから。
ドラマできちんと説明はありましたという意味です。
上の方が書かれていますので省略しますけど。
確かにお祖父ちゃんとの話で言ってましたね。
小ハナが目をキラキラさせて。
名前へのこだわりについては気にならない人は気にならなくていいいし、気になっていて今後のドラマに期待する、って人は期待して、で終わり、ってことだと思う。
それを何度も蒸し返す人がいるのがおかしくなるんだよ。
人のドラマの見方にいろいろ言いたいから蒸し返してるんだと思う。それはある意味他の人の見方に対する否定をしてる、ととられてもおかしくない。
私はアンのことはある程度は知っているけれど名前のことについてはやはりドラマの中で何か今後あるのでは、と思っているしもちろん期待もしている。
同じような人達の存在をここで見てる。
同じ人がそれを何度も繰り返しているとは思えないし、普通にドラマ見ててそこにあれ?と感じるのは決しておかしい感覚だとは思わない。
2014-04-17 11:25:39 2014-04-17 11:27:18 さんに激しく同意致します。
花が花子にこだわってるのは もう説明がついています。
>同じような人達の存在をここで見てる。
IPアドレスが透けて見えない限り、それは判らないなww
それにここの人数何人だと思う?
多いとか少ないとかあんまり意味ないよ。
日本の朝ドラ視聴者の半分くらいの人がココに集っているならともかく。
とにかくもう名前の件はどうでもいいじゃんけって感じ。
タケシさまのてっ!がいつくるかの方が気になるぜ。
>ドラマできちんと説明はありましたという意味です。
これは幼少の頃のはなのことでしょう?
はなは大きくなってもまだ名前にこだわり続けてる。
大人になってもあの理由、ってだけじゃとても納得はできないから
まだ期待して見てる、というコメントはあったと思うけど。
またやってる。
客観さんと主観さん出てきてこの件について説明をお願いします。
>名前のことについてはやはりドラマの中で何か今後あるのでは、と思っているしもちろん期待もしている。
それってなぜ拘るかって事じゃなく
そのこだわりで何かが起きるって事?
前者ならもう一度ドラマを見直したほうがいいと思う
後者なら理解出来る。
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