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ヒロインが嫌いじゃどうしようもない方ですね。
ごきげんよう、さようなら。
ところで、ブラックバーン先生の英語が聞き取れません。
ナレーションより聞き取れません(笑う所)。
字幕にしても「英語」だけ、誰かうまく訳してくれるとたすかります。
(ネタじゃ無いから O K でしょう。)
吉高のあの鼻にかかった甘ったれた声は何とかならないものか?演技力も無いよ。村岡花子は才女らしいがあの声聞いたらガッカリしてしまう。
今は女学生の役だからかわいいよ。
いろんな吉高さんを見るのが楽しみです。
うーん、最初の頃の映像の美しさに期待しすぎたせいか、なんだか物足らない。悪くはないと思うが。
父親の存在がなんかドラマ上で重要になっていくのかなあ。
お嬢様ばかりで華やかな絵面はいいんだけど。
吉高花ちゃん ほんとに可愛い♪ 毎朝、素敵な朝ドラ満喫出来て幸せ~♪
その前の英語を勉強したり日本語の本を読みまくったりしているはなのシーンがないのに白髪を訳すシーンはちょっと不自然、いくら外国に一般的にある罰とは言えベッドじゃなくてふとんで寝ているのは日本人としては不自然。
そういうようなことを感じるのは私は自然に見てる人の自然な感想だと思います。単なるドラマにきケチをつけてるようには感じられません。
自然に見てる人にとって不親切でちょっと強引な脚本。
いくらそんなことはない、と言われてもやはり見ていてそう感じた人がいるんだ、ということは事実として、感想として認めるべきことと感じます。
自分の思い入れだけでは説得力はなくやはり皆が納得行く表現をドラマ自体が心がけていただきたいです。
不自然なことが多いですこのドラマ。名前にこだわりすぎるし
花はいい名前ではないですか、花子が本名なら花と呼ばれて嫌だと
言う気持ちも分からないでもないですけどね。
まっ、ここで答えを教えてくれる人は誰ひとりとしていませんからね
脚本家に聞きたいくらいです。ドラマの中で解明してほしい。
名前の疑問を無理に自分にいいきかせなくてもいいんですよ実際変なんだから素直な疑問でいいと思います。
私はアン知りません、ここでコーデリアや高貴のeがでましたが
回答になっていませんから。
不自然、強引な脚本。といわれると、ちょっと困る。
出演者は全員トイレに行かないし、そもそもトイレが無い。
裁縫の先生は授業をしたことはない。
風呂にも入らず化粧品も見たこと無いのにお嬢様方はきれいでうっすら化粧もしてる。
金が有る訳無いのにハナは新しい着物を着て、石版からノートに変わってる。
何より、あの女学校、男手無しでどうやって維持しているの?。
あと100以上あると思うけど、ドラマのお約束だからスルー。
(すべての人の疑問を説明して映像化すると何年かかるか判らない)
私は、自分の楽しい方に解釈して観てます。
花自身は、花子の方がいい名前だと思ってたから花子って呼んで欲しかっただけじゃないんですか?
こだわりって、誰でも何かあったりしませんか?
それが花の場合、名前だったってことじゃないのかなぁ?
はなが花子にこだわる理由は私もぜひ「ドラマの中」で知りたいです。でなきゃドラマを見ていてヒロインの人間像なんて伝わりません。確かに感想サイトを通してああだこうだ、理由をつけられてもそれはドラマとしての答とはまた違うかもしれませんしね。
それにしてもあんなに本人がこだわっているのに校友や先生たちもなぜ花子と呼んであげないのかも非常に不思議。好感を持って接しているならまわりがそう呼んであげたってまわりがこだわるようなことでもないし全然かまわないような。私なら友達が○○って呼んで、って言ったら素直にそうしますけど。変と思ったら「なぜ?」って聞くけどね。
なぜそんなことをあんなに本人だけがこだわって言い続けるのか全く不思議。花子さんって男の人に読んでもらってあんなに嬉しいのですからよほどのこだわりの理由があるんでしょうね。赤毛のアンとかねてそれがはな自身の口から語られることがあるんでしょうか?
大人になってから今んとこ赤毛のアンのエピソードをこじつけてきてないので
そのへんの不満はないです。まだ2日目だけど…
展開の遅さも子供時代よりはマシかな。
今週の出来で感想も変わりそう
>花自身は、花子の方がいい名前だと思ってたから花子って呼んで欲しかっただけじゃないんですか?
だからそれがなぜいい名前なのか?ということがそのこだわりであり花子のものの考え方や
性格を表すものなのでしょう?
そういうのが描かれなければ村岡花子の話ではなくアンの小ネタだから、なんていうのではドラマのキャラとしての説得力がないということです。花子はまだアンのことなんて知りもしないのですから。ごく子供のころから言い続けているのですよ。それはとんでもない個性ですよね。
登場人物がトイレに行くことなんかと名前のこだわり、なんて言うのは全然次元の違う話。
トイレに行くのは人間全員。
しかしこれだけ花子と呼んで、なんて言い続ける人間はそうはいませんから。
村岡花子、というヒロインを知る鍵になることでしょ?
はながトイレに行くことなんて誰だってわかる。
でも名前のこだわりの理由はわからない。だからこれだけやるならちゃんと答を出して。
って自然に見てる人のごく普通の要求でしょう。
2014-04-15 20:38:34
おい、わざとトイレの花子さんにかけていないか?
別にいいけどね。
「ねえパパ、クリスマスプレゼントな~に」
「まだ早いだろう。おまえだけだよ、そんなに早く知りたがるのは、」
「ねえママ、おなかすいた、晩御飯のおかず、何?」
「ばかだね~楽しみにして待ってなさい、おなかすいたらなお美味しいんだから。」
「子」の問題は楽しみにして半年待ちましょう。
早く知りたい、なんて誰も言ってませんよね。
これだけやるなら名前にこだわる理由はちゃんといずれドラマの中で教えてね。
そういうことでしょ?
ねえパパ、あたしが言ってることをパパの勝手で他のことにすりかえないでね!
>私はアン知りません、ここでコーデリアや高貴のeがでましたが
回答になっていませんから。
そう、ドラマの回答にはなってない、ってことですね。
だから皆待っている、ということなんでしょう。待って出て来るならば、ね。
えっとですね。花が「花子と呼んで下さい」って言ったら、テレビに向かって「またまた!何でそんなにこだわるのよ」ってツッコミしながら観てはいかがでしょうか?
それに、そのうちに花子という呼び名へのこだわりは解明されていくかもしれませんよ。それがいつになるかは私も一視聴者なのでわかりませんが。
クリスマスプレゼントの中身はそりゃあ楽しみですよね。
ワクワクしながら箱を開けたらアンの小ネタばかり出てきて
「村岡花子」は出て来なかった、ってなったらすごーく
がっかり。子供はプンプン怒るでしょう。
そうはなりませんように。神様にお祈りいたします。
花、お母さんへの手紙にも花子って書くのね。
自分たちが付けた名前を改名されて、悲しくないんだろうか。
一家の期待の星、神童のやることだから、まあいいやと許してしまうのだろうか。
自分の名前が嫌で嫌で、付けた親を恨んでいた人を知っている。
自分の名前は漢字ではなくひらがなでメールも手紙も書いて欲しいと強制されたことがあるので、その人を思い出してしまう。
(キラキラネームでもなんでもないんだけどね。
笑っちゃうよ。なんとも中身の無いやりとりだね。あほらし。
花子と呼んでほしい理由を花はこう語っていた。
「ほりゃあさぁ、花子と呼ばれた方が、自分のことがありがたく思えるじゃんけ。おじぃやんも自分の事、周右衛門とか周左衛門とか思ってみろし。その方がずっと気持ちだよ。自分の事ありがたく思えるだよ。」
「人も、物も、名前が大事だ。名前が変われば見える景色も変わるだよ。自分が花子だと思うと、ほぉら、風の臭いまで違うじゃん」
しかし、これを言われたおじいやんも花は面白れぇ子どもじゃ、とまるっきり理解はしていない。まわりの大人達はほとんど花子と呼んでほしい花の気持ちは理解できていない、
だから、本来の名前で呼んでいるし、醍醐さんはじめ、寄宿の仲間達からも「子がつく名前なんてありきたり、花の方が花さんらしくていい」とやんわり否定。
それでも花は花子という名前に憧れ、その名前で呼ばれるひとを夢見続ける。
まわりから見たら花だろうが、花子だろうが、花江だろうがそれでいいって思うけど、そこが花の拘り。
それを説明しろと言われてもおじいやんにもおとうにもおかあにも判らないこだわりは大概の一視聴者には理解出来ないというか、理解する必要はないことなんだと思う。
だた、花にとって花子という名前が特別であるってこと。
そう呼んでもらうだけで、自分がなにか素敵に思える魔法の名前だってこと。
それは子供時代の想像力で、編み出したもう一人のステキな自分なんだと思う。
そんなみんなとは違う独特の世界や想像の翼をもった、自分と似ているアンを物語の中で見つけた時、ああ私とそっくり・・・と感情移入していけたのでは。
他の人も書いているけど、自分にしか判らないこだわり、人に話しても理解してもらえないこだわりは一つくらいあるものでは。
このドラマ、細かな目線や表情などの演出が良いなと思う。
心がほんわかなるドラマになりそうで楽しみです。
訂正いれさせて下さいまし。
その名前で呼ばれるひとを→その名前で呼ばれることを
小ネタから、子ネタか。
色々楽しそうだが、ここでは結論出んじゃろう。
書いてる本人がおらんのだから。
ま~楽しいドラマなのは衆目の一致するところじゃな~。
自分しかないこだわり、というのは誰にでもあるのはわかる。
しかしドラマでヒロインがやたらこだわること、というのはそこからヒロインの性格やら考え方、もののとらえ方が見えてくる、というのはもっともで、だからこそヒロインなのであり、それを知りたいと感じるのが視聴者の普通の思いであると思う。
それはその人にしかわからないこだわりだから、そんなこと他人ごとだから分かる必要ない、で終わるなら日常生活と同じ。ドラマを見てそのヒロインやドラマからいろいろ感じる意味がない。ましてやこれは村岡花子の物語だ。花子を知りたい、と思う気持ちは当然。
理由がこうだからこうですよ、なんていうことではない。
子供の時の理由でずっと花子が成長せずあの理由をまた誰かに同じように語るとは思えない。自分がなぜ名前にこだわるのか、少なくとも人の作品の翻訳をするような人間になるのなら自分に対してもそのくらいの考察があってもいいのでは?子供の時と同じ行為を繰り返しながらそこに花子の成長や変化を見たいと思うのが視聴者なのだと思う。
>他の人も書いているけど、自分にしか判らないこだわり、人に話しても理解してもらえないこだわりは一つくらいあるものでは。
ごめんね、熱烈なこのドラマのファンの擁護にしか見えない。
無理やりこじつけの作品に対する歪んだ愛情。
花自身の名前のこだわりへの答えには程遠い、脚本家に直接
ききたいくらいだよ。もう一度いうよ、答えは脚本家にしか
分からない。とりあえず答えがでるまで待つよ。
>自分にしか判らないこだわり、人に話しても理解してもらえないこだわりは一つくらいあるものでは。
花子が名前にこだわることについてこだわる人達のこだわりだってその人達にとってはドラマ見る上で大事なこだわり。
上のようなことを書きながら、そんなこだわり視聴者として持つ必要ない、というようなコメントの論旨には矛盾を感じる。自分はこだわらなくてもこだわる視聴者がいるということは認めた方がよいのでは?
そしてそのこだわりはここの誰も解決できないよ。アンの小ネタ説明などではとても解決できないだろう。
ドラマそのものが解決してくれなきゃ。
2014-04-15 22:36:14 名前無しさんのコメントに全面同意。
自分自身もこの花子の名前へのこだわりは花子キャラを表す大事なエピだと思うからそのあたりは単に『私とそっくり』以上の花子の自分自身と視聴者へ向けての答を待ちたい。
上にもあったけど、今日の回はよっぽど皆さん感想がないようで、、、。花子ネタは食べるものがない時の非常食のようなネタですね。
最初から読んでるけど、同じやりとりばかり。前回の方々とは違う方々なのかな。それならご本人達には新しい話題なので仕方ないのですが。でも、そうだとしたら、いかにいろんな方々が疑問に持っているかということですよね。
脚本家さん最終話まで引っ張ってでも説明いれてくださいね。
個人的な思いは以前投稿させて頂いたので省略です。
翻訳家さんになりアンをはじめ、英語の児童文学書を親しみやすい日本語訳で日本の子供達に提供し、読書の楽しさを伝えてくれた方と功績はわかっているので、半年間楽しめる材料は必要ですよね。(婦人運動の話は知らないのでそれも興味深いです)
地域おこしやアンの売名に偏ったドラマだけにはしないでほしいな。
なまえのこだわりが花子とアンのカギになってるんじゃないの?
だから子どもの時からずっと引きずってるし、これからも出てくるだろう。
やっぱりコーデリアのことは小ネタじゃなくて、重要なエピだと私は思ってます。
なんのかんの言ったって、「花子」のきちんとした説明がないから見るのをやめるというコメントがないのがすばらしい。
それだけ興味を持ってみていられることなんでしょうね。
あるいはその説明をあとに引っ張ることで、それ以外のどうでもよいツッコミをどこかにそらす役割でも果たしているのでしょうか。
それとも・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
もうやめます。
私にはどうでもいいことですから。
結果的に「村岡花子」さんになるんでしょ。
吉高由里子さんってどことなく品性に欠けるような気がしてしまっていて好きじゃないなあ、などと思っていたのですが(物まねやら真相は分からないプライベート報道の悪影響か??)このドラマでは今のところ目の演技など上手で俳優さんとしてはなかなかなのでは、と今日などは見ていて感じました。かわいいとは思いませんが独特な素朴さもあるのが悪くありませんね。きらびやかな着物を身に着けたお嬢様たちよりはずっと魅力的です。そういえば好きではない作品ですが「蛇とピアス」でも作風に合った演技をされていましたっけ。
ストーリーの方は相変わらず何だかどこを切っても何か他のドラマや漫画で見たことがあるようなものばかり。新鮮味のある面白いドラマには私はとても思えません。きらりと光るような個性は皆無。美輪さんのナレくらいでしょうか。
吉高さんがこんなに表情豊かに演じられる人なのならよけい子供っぽいありきたりな展開ではなく思い切り個性的な村岡花子の一生を見てみたいですがこの脚本だとあまり深いものは期待はできない感じが否めません。級友やら帝大生があまりにもステレオタイプ。私実は・・と言いかけたところで鐘がカーン!ってあまりにも見飽きた展開(笑)
でも先週の非常に不自然な女学校風景よりは今週は少し大人になった花子やまわりのお話としては軽く楽しめるかもしれません。
日本の児童文学翻訳者、として日本の宝とも言える村岡花子、一翻訳本に過ぎない赤毛のアンだけに捕われた一面的な描き方でなくそれなりに心に残るドラマにしていただきたいものです。
正直話がありきたりで上手い具合にどこかから持ってきたようなネタをつないだような展開なのでこのドラマ独自の感想が出てこないんですよ。あんまり。
男女のやりとりなんかまるで梅ちゃん先生でダンスパーティやるのやらないの、とか言ってたころのデジャブ。
個性にとぼしく無難なはこびなので擁護も批判もする気になれません。これが一番の感想かも。
これっていいのか悪いのか?
朝ドラだからこれで十分、とか言う擁護コメントがまた出て来そうですよね。私はそれはない、と感じますがね。
理由1 はなが「花子」の「子」にこだわるのは、アンが「e」にこだわったエピソードと掛けていると思われます。
理由2 生まれ変わったと思って自分の好きな名前を付け直した。
瀕死の高熱、生まれ変わったはなのエピソード
幼少期、はな(山田望叶)は池に落ちて大変な高熱を出し、生死の境を彷徨います。結局はなは一命を取り留め回復をするのですが、その時はなは、本当に自分は死ぬのだと感じ「辞世の句」を残しています。
そして、辞世の句とともに感じたのが、「命を大事に」する気持ちであり、生まれ変わって好きな名前で生きるということ。父・吉平(伊原剛志)に対してこの時の気持ちを以下のように説明しています。
「おら、あん時ホントに死ぬ覚悟しただよ。いっぺん死んで生まれ変わったも同じだ。おら、うまれかわったこの命をでーじ(大事)にするだよ。ほんだからやっぱし、自分の好きな名前を自分で付け直すことにしただよ。みんな、おらのことは花子 と呼んでくれろ!」
そして、「なんで花子がそんなにいいかさっぱりわからん」と首を傾げる爺や(石橋蓮司)に対しては、
「そりゃあさあ、花子って呼ばれた方が自分のこと有り難く思えるじゃんけ」
「そのほうがずっと気持ちいいだよ。(中略)人も物も名前がでーじ(大事)だ。名前が変われば、見える景色も変わるだよ。自分が花子だと思うと、ほーら風のニオイまでちがうじゃん!」
以上の理由からではないでしょうか。
↑
うん、正解かどうかは半年待ってね。
理由2はともかくも理由1はここで出されている一連の疑問、あるいは期待に対して今の時点での説得力はないですね。
なぜなら「赤毛のアン」のエピとかけている、などと言う理由は作者の思い入れによる都合であり、オンタイムではなの成長を追って見ている者にとっては彼女がアンに出会う前から「アンのエピにかけている」などということはキャラにとって彼女が超能力者でもない限りここでその理由を言ってもらうような必要がまったくないからです。
また2についてもはなは池に落ちる前から花子と呼んで、と言ってませんでしたっけ?(記憶違いだったらごめんなさい。)
疑問や期待を持っている人たちは誰かの見解にもとづいた理由をここで聞きたいのではないと思います。誰もそれをここの誰かに答えてもらうことなど期待していない。むしろそういう先走りの理由を感想サイトで聞きたくないのではないでしょうか。自然に見ている人にとっては今の時点でアンのネタだのエピだの聞いてもピンとは来ない。
ドラマの中で見たい、ドラマの中の表現で知りたい、と言っているのでしょう?
それをドラマの進行とともにはな自身の言葉や発見から知ってそしてそこからこのヒロインの持つ性格や個性を自分で見つけながらドラマを見たいのだと思います。
どうも行き違いが感じられます。ここで個人のアンへの知識や思い入れに基づいた理由を聞きたい人はいないのではないでしょうか。
そういうものがかえってうっとうしいのでは?
ドラマでの解決、自分での納得を待ちたい、という人がいるのになぜあえてこの時点で「理由」として答を披露しなければならないのかわからないです。たとえあげられているような「理由」が正解だとしてもそれはドラマの中で語られるべきことであり、それが感想サイトの誰かの予想でしか語られないようであれば、これは自然に見ているドラマ視聴者にとって片手落ちのドラマなのであり、そうでないことを期待している人たちがまだたくさんいるのですよ。
だから半年待って、というコメントが返ってくるのです。
2014-04-16 01:15:24 名前無しさんのような「理由」はこのドラマを見ているひとりの視聴者さんの予想の範囲、として受け止めます。
しかしドラマにとってまたこのドラマの「花子」にとっては名前へのこだわりは彼女のキャラを知る一つの「鍵」になっていると感じている人もいるということはコメントを読めばよく分かります。
自分で見て行くことによって鍵を開けたいと感じている人もいますのでそれを考慮してコメントを書いて頂きたいな、と感じます。
そもそも花子の話を書くのになにもアンのエピと花子の人生をかけなければいけない、なんてまるで感じていない期待していない視聴者はいるのです。かけなければいけない理由など特別の思い入れを持っている人以外感じないのではありませんか?
今週になってあまりアンのネタが入っていない、ということにはなんだかほっとするものさえあります。ここもそんなことが元で荒れることがない、ということでもありますし。
理由1 はなが「花子」の「子」にこだわるのは、アンが「e」にこだわったエピソードと掛けていると思われます。
これは今のところまででは万人にとって見ていて分かる理由にはならない。
アンの話を知っていてつぶさに覚えている一部の人達だけに通用する理由。
今回のドラマには感想ではなくこの手のコメントが多すぎると感じる。
それだけ皆で共有できるドラマ自体の肯定にしても否定にしても語るべきポイントがない、ということなのか?
>今回のドラマには感想ではなくこの手のコメントが多すぎると感じる
そうですね。
eだのアンの小ネタだの判らん!と言い続けるコメントが多いと感じますね。
名前以外で話題になることがない。
ここで名前をだしたくないと思っていても
ドラマの中で散々名前について出ているのだから
しかたないでしょう。ドラマの中で明確な答えが
出るまで待つしかないと思う。
ここで予想や解釈の仕方の説明はもういらない。
ふーん、花子と呼んでもらいたい理由が判らないと不自然と感じる人もいるんですね。人っていろいろで面白い。
別にそう思うことがヘンとかそういう意味ではないので誤解なく。
アンが「コーデリアと呼んで」ほしい理由も別に語られるわけでもなくアン流の考え方、そんな少女チックな想像が大好きな子供、という理解で読み進めてそれで別に違和感感じなかったから、花子と呼んでくりょうもそれと同じような感覚でいろいろなことに敏感な子供の発想だと理解していました。
「子」がつく名前に憧れた経験のある私には特にこだわり所でもなかったし。
7歳やそこいらの子どもが憧れる、好きになるということに深い理由はあまりないんじゃないんかなとも思うし。
そこになんにもひっかかってもなかったし、アンの小ネタとかも細かい部分は判らないせいか普通に視聴してそこそこ楽しんでいます。
自分は花子って名前が単純に好きなんだって納得できているのでどっちでもいいですけど、拘りがある方は、なにか理由があるのかないのか、この作品の中で語られるのかそれは観て行くしかないですし、いずれスッキリ判ると良いですね。
しかしながらですね、理由は聞きたくない、答えは自分で見つけたいとおっしゃりながらも、わざわざなぜ花子って名前に拘るんだと疑問を投げかけてしまえぱ、答えは帰ってきてしまうでしょうし、そのことについての感想を書きたいかたもいるのも仕方がないことだと思います。
そこになにかひっかかる疑問を感じないで見ている人もいるわけだから。とくに
>まっ、ここで答えを教えてくれる人は誰ひとりとしていませんからね
などと書かれたら、やはり自分なりの解釈として書く方もいらっしゃると思いますよ。
その事柄に対しての感想なり書いたころへり反論なりが出てきても仕方がない場所で自分で気が付きたい人がいるから配慮しろっていうのはなんだかよく判らないです。
2014-04-16 06:48:31 名前無しさんの気持ち、何となく分かります。
ちょっと普通の感覚では、ないような気がします。前々から感じていたのですが深夜にあれだけの感想をよく書けるものだと感心すると同時に不眠症なのか?と疑ってしまいます。
名前のこだわりへの予想や解釈を自由に書けばいいでしょう。
ドラマの中でなければ答えにならないけどね。
コーデリアやeをつかっての説明は飽きた。
このドラマをそうとう擁護したい人達がいることは
わかったよ。
>だからなぜそれがいい名前なのか
そんなの人によって色々じゃありませんか。必ずしも理屈の問題じゃないかもしれません。語感とかその言葉のイメージとか。私も自分の愛称ではないけれど、ペンネームとかちょっとこだわって愛着のあるものを使っていますよ。そこに理屈なんてありません。はなはおとうの話からか、どこからか知らないけれど、子のつく名前を知ってなんとなく憧れた。それだけじゃないの? 別にいちいち理由を説明してもらわなくてもかまわないですけどね、私は。
>そうとう擁護したい人達がいることは
フサーに感想として肯定しているだけと思えるのに、やっぱりいるんだよね。
すぐ肯定意見に擁護って書く人。荒らしたいんかな。
↑のものですが
2014-04-15 22:17:19さんが細かくドラマの台詞を引用して説明してくださっていましたね。私も同感です。
ただ、はなはこういう子なんだって理解すればいいんだと思う。
まあ、後々ドラマ内で説明があるかもしれないけど。
汽車の中にいた中坊はタケシ様だよね。
「てー」って花子のことじーーっと見てた。
タケシ様、ハナタレ花子に一目ぼれ?(笑
給費生と言いかけて遅刻してしまった花子
コンプレックスを学力となまえで克服しようとしてるのでは?
ブラックバーン校長は花子の才能を見抜いて育ててるような気がする。
赤い綺麗な着物でgo homeか
明治生まれの祖母は学校に四年しか行ってなく、女学校を出た嫁を妬んでいたのを思い出した。
今日は、うるっときました!
やっぱり、校長はじめ、先生方は生徒のこと家族と思ってるんだろうなあ。
サグラダファミリア、聖家族って思ってるんだと思った。
my girlsを皆さんと訳してますね。
私は、英会話はできないけど、これって、
私のかわいい子どもや、姉妹の意味合いもあるのかなあと思ってました。
少なくとも、先生方は、家族、姉妹とおもって親愛をもって、可愛がってる気がします。
あと、このまま、日本語がきれいでいてほしい。方言はあじがあるし、故郷の言語なんでこれでいいけど、
今までの朝ドラみたいに、現代風にならないでほしいなあ。
女優さんたちは、慣れない日本語に不自然さがあるけど、私も美しい日本語、しゃべれなくなったから、お嬢様言葉を聞くのが楽しみです!
そうさのう・・・・深夜枠は毎晩のようになんだかのぅ・・・・
さってと、
タキ先生が花のことを快くおもっていないという姿勢はずっと変わりませんね。
成長してますます目の上のタンコブというところでしょうか。
なにがそんなに気に入らないのか、私は名前よりそっちの方が気になります。
確かにブラックバーン校長は、花に特別なものを見出していて、それを開花させようとしているのではないかと感じられます。
あの絵から何を読み取って「go home!」と言ったのか、花が学校へ帰ってからのお楽しみでしょうか。
列車に乗っていたのはやはり地主さんのところのタケシですかね。
あまりに幼い雰囲気で゛、花と同い年には見えない・・というか、花が大人っぽい魅力にあふれすぎ?(笑
ん?でも朝市はつり合いがとれる年齢にも見えるし、やっぱタケシが幼いのかな。
毎日楽しみに観ています。
先生方の優しさにホッコリしました。
汽車にいたのは、やはりタケシ様ですよね(笑)
ポーッとしてて可愛い(笑)
しかし、お兄ちゃんがだんだん荒んできましたね。
お父ちゃんは憎めないのかもしれないけど、私は好きになれないです。
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