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馬鹿の一つ覚えにそうせいしか言えない無能の殿さま。
京都にいたあの白い犬と交換しても違和感あるまい
結局はドラマなんです。歴史ドキュメンタリーではないんです。と、思って花燃ゆドラマを観ています。
詳しい歴史描写は多くはなくても、観ていたら私には、時の流れも感じられます。前にも書いたかと思いますが、文が主役のオリジナル作品ですから。
ドラマとして物語として花燃ゆを楽しく視聴しています。
文に子がいないこと、辰路に久坂の子がいること、
銀姫の気持ちも伊之助の気持ちも伝わってきた。
楫取素彦は、美和に、これから支えていくというようなことを話していたが、美和の心中察しての温かな言葉だと思った。
美和の緑色の打掛には、久坂への想いがあります。久坂は、緑色を好んでいたようです。
それから、高杉の肺結核の闘病中のことですが、
あの時代は特効薬が無く不治の病で、治療法は静養しかなかったようですね。風通しのよいところで。
隔離もされずに。
来週からは、花燃ゆも時代の流れが変わっていきますね。
ドキドキしながらですが、最後まで観ていきますね。
見所ってどこですか? 早く終わって欲しい。
幕末時の肺結核(労咳)は、空気感染だとは確かに知られていませんが、
性的な感染症、気鬱から発する等、且つ発症のしやすさが親子(家族)に伝わると考えられたので、
やっぱり隔離はされていました(家族ごとの場合も・・・)し、
家族、殊に親子は近づけなかった筈ですよ。
親が労咳なら子も発症しやすい性質と思われましたので。
治療は、静養と、いわゆる高麗人参と言われていました。
再発も多く、うつりにくいがうつると死ぬ病気の扱いです。
ただこの花燃ゆという作品、日本の社会的文化的な背景は
全く考慮されてないと言って良い位なので、
日本のお話だとは思わない方が良いんじゃないですかね。
服装や地名人名は日本ですが、どこか外国をモデルにしたお話でしょう。
結核も、空気感染を防げる医療が確立されていた国なのでは。
時代劇ではなく、そういう設定のドラマだと思って見ないと。
すべてがこの調子ですから。
今更です。
そうですか?
あの司馬さんの作品、世に棲む日日でもそういう扱いになっておりませんです。
おうのの看病しているところにお雅も看病に現れ、さらにあの尼さんも現れとなっており、その他の作品でもそういう隔離処置をしたという作品はありません。
近くでは、龍馬伝でもそういう扱いはしておりません。
仮にそういう診療が一部あったとしても、それは最先端のお江戸の話ではないかと思います。地方にはそこまで浸透していなかったと。
さて、あの晋作の子供を膝に乗せるシーンは、批判している人と私は正反対の解釈をしております。時代考証の御墨付で、当時の長州ではそういう伝染病の観念がなかったのですよ、という意味を意識的に表現しているのだと解釈してます。
「結核」について幕末当時「労咳」と云われていた時代、空気感染の認識はまだ無く
やはり風通しの良い場所で安静にしてじゅうぶん栄養を取る…
「養生」するのが唯一治療法とされていたようですね。
「労咳」は気鬱から発するというのが庶民の間では一般的な考えだったようで、
パッと憂さを晴らせば病も治るとの風潮もあり、
江戸の町では若者が「吉原」などの遊郭に入り浸り
「労咳」の坩堝だったとか…
当時「隔離」が必要との認識は無かったという事でしょうね。
また沖田総司がドラマの中で隔離されていた記憶は私も無く
「労咳」と判り「子供たちとはもう遊んでやれない」と云ったとの
事ですが、
自身の体力の衰えを嘆いた気持ちが
大きかったのではないかと想われますが…
結核は、家族が感染しやすいと言われていたから、下男や被差別的な階級の人、
いわゆる姥捨て山的な扱いを受けつつ里山で元気に暮らしていた年寄り
(月経中の女性が過ごす小屋の世話などもしていました)、
そしておうのさんのような「外の女」、といった方々が世話をしたんです。
彼らは、現代の私達が気にするほど、忌避的な存在ではありませんでした。
江戸時代までの日本は基本的にフリーセックスですから、
特に農民階級では、家族間以外の性交渉も頻繁に行われ、
父親が誰かはあまり問われませんでした。
その家の女性が産んだ子供が、その家の子供です。
だから「(父)親からの遺伝」ではなく、「家族」間でうつる、と言われたんです。
こうした詳細は知らなくても、暗黙の了解として結核の恐怖が伝わって、
リングとか病床六尺とか高瀬舟とかしみじみ読むわけです。
だから、それでも見舞いに行った雅さんや、両花の詩が響くんです。
国家が記録として残さない人民の歴史は、当時流行った読本や伝承、
考古学的な遺物などを寄せ集め、拾い集めていくものです。
司馬氏は、そうした情報を、図書館を作れる程調べ上げて当時の雰囲気を創り出し、
そこに生きる人々を生き生きと描く人だったそうですね。
すばらしい作品群だと思います。良い意味で、決して史料ではありません。
花燃ゆの問題点は、史実の中から物語に適切な要素を選ぶのではなく、
その時代の風習も事件も、都合よく勝手に創ってしまう事です。
人物やその思想を創るのは構わないと思います、物語ですから。
常識が異なる現代で表現の難しい問題まで、そのまま描く必要も無いと思います。
それなら、史料を読むのと同じですから。
言わない事で上手に騙す技量と共に、言わない約束を察して上手に騙される姿勢が、
時代劇では、受け取る側にも求められるのでしょう。落語や駄洒落等と同様。
なので、あまり好き勝手に時代を作り変えられると、
歴史に基づいた暗黙の了解部分との整合性が付かなくなる
→少女マンガや現代ものみたい、という印象になるわけです。
古臭い日本とか嫌いでしょ?ほらイケメンと美少女でわかりやすーい!的な、
小バカにしたような押し付けがましさへの反発も、うすっぺらい評として現れているかと。
ファンタジーもフィクションも決して否定はません。個人的にはSFも大好きです。
ただ、大河じゃないと思います。
ー「労咳」は気鬱から発するというのが庶民の間では一般的な考えだったようで、パッと憂さを晴らせば病も治るとの風潮もあり、ー
なるほど、勉強になります。
それで世に棲む日々の一節の中では、臥せっていた高杉は突然おうのを連れて、遊郭に芸者遊びにいくのですね。
当然おうのにとっては面白くもなんともないが、高杉はさかんに、おうのおもしろいじゃろ、面白いのう、とか言っていたがついに耐えられなくなり倒れてしまった、というような描写があったと思います。
前橋市長も念を推して群馬編群馬編言うものだからそら大政奉還 坂本龍馬暗殺 王政復古の大号令 徳川慶喜大阪退却 奥羽列藩同盟成立 会津城攻防戦 江戸城無血開城 すっ飛ばして群馬編にやらなきゃですよ
本当に無能美和目線なら有名イベントと有名人と絡ませた方が無能美和も助かるでしょw
だけど花燃ゆは美和にずっと小田ムダ様を絡ませて有名人の活躍を小田ムダ様がずっとバリアして人食いザメのように功績食って自分の肥やしにしてますよね
その上超有名イベントをすっ飛ばして群馬編に10数話費やすとは何ゆえですか?
京で始まった「鳥羽・伏見の戦い」で旧幕府軍の戦意を喪失させた
要因とも云われてた「錦の御旗」
岩倉具視の指示で大久保利通が錦を調達して品川弥二郎が長州まで
持ち帰り仕立てさせたという事ですが、この品川の姿を観ると
私の頭を過るのが高杉に刃を向けたシーンです…
少し話を戻して申し訳ありませんが、下関戦争後に再び藩の実権を握った椋梨の粛清に追われ下関に逃げる高杉と出会った品川が
“攘夷の為に命を絶って逝った仲間を想い”晋作に
斬り掛るも泣き崩れる…!「俺は誰の事も忘れたりせん!」と
晋作…二人の辛い胸の内が解り思わずもらい泣きしてしまった高良さんと品川役の音尾さんの熱演が印象深く忘れられないシーンで
実直な印象の高良さんと緩急自在の演技で良い味出してる品川役の音尾さん。私はお二人共好きな役者さんです!
そして今回久坂の遺児を捜しに京に出掛けた美和。
浪士に追われる美和を助けてくれた辰路!
辰路は美和が久坂の妻である事に気付き「(久坂の遺児を)引き取れと云う人もいて…」と言う美和の言葉に名乗り出るでもなく…
追い返す訳でもない…
これからの展開の伏線を敷いた感じで良かった!
そして思いがけない突然の訪問者に母親として女性として複雑な想いが伝わってきた杏さんとっても素敵でした!
真央ちゃんの柔らかな表情も良かったよ!
そうですねー。
あの高杉と品川の格闘シーンは何分もなかったのにこのドラマの名シーンの一つかもしれないですね。
お前はワシを切れぬ。ワシもお前は切れぬ。ワシらが殺しあわねばならない今の長州は間違っちょる、という高杉の台詞は、寂寥感と孤独感が満ち満ちており涙を誘いました。
大政奉還はすごい出来事だからちょっとは入れて欲しかったです。
あと13回も
カレーのないカレーライスドラマ見させられるの。
早く終わってくれー
肺結核=隔離処置は幕末の一次史料に明確な証拠があり
ます。適当な推論をご都合主義で発展させるのではなく歴史の事実を勉強したいものですね。
司馬遼太郎作ー世に棲む日日
秋山香乃作ー晋作 蒼き烈日
奈良本辰也著ー高杉晋作
八尋舜右著ー高杉晋作
以上の小説、著作を改めて確認しましたが、高杉に関して、隔離処置をとったというような記述がありません。
初めは東行庵で静養していたが、むしろ中途から賑やかなほうが良いという高杉の希望で下関新町の酒造家の離れ座敷に病床を移し、そのまま最期を迎えたようです。
ドラマで表現されていた大きな瓦屋根はその酒屋のイメージだと思います。
したがって、隔離処置があったという一般論に対し、必ずしも高杉にそれが当てはまるとは限らないと思います。
ちなみに、その一次資料とはなんでしょうか。向学のため。
花が燃えてるって感じで。
面白くないぐらいならいいけど、大河とは思えないドラマを大河ドラマとして放送するのはやめて欲しい。
小説は資料じゃないでしょう。
司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」がフィクションであることを認識しましょう。
ウーン、そういう議論はしたくないですが。
小説、ドラマが、歴史的資料でないことは明らか。
したがって、ただの一度も、資料、という言葉は使っておりません。ドラマ、小説、物語の中で高杉の隔離処置という扱いはないですよ、と言ったまで。
例えば高杉の漢詩にしても、そのままでは素人の私には読めないので、素人が一次資料まで読む必要性もないとすら思っております。
ところが、証明する一次資料があるという貴兄なので、では参考にそれは何かお知らせ願いたいと言ったまで。
なぜ
群馬に時間を費やすのか
まれは
石川県=森喜朗
花燃ゆは
山口県=安倍晋三
群馬県=小渕優子
というわかりやすい構図だ
小渕優子はこのドラマが始まる直前に失脚したけどね
(笑)
あまりにも荒唐無稽で、中身スッカスカの馬鹿馬鹿しいストーリー。
いくらフィクションと言っても、ドラマにはある程度の説得力が必要ではないのかな。
大きなお世話だけど、現場の制作スタッフの皆さんは、本当にこんなドラマで満足しているのかね?
斬新な時代劇、とでも言いましょうか。
斬新な幕末。
ある意味画期的かも。後年高評価に転ずる可能性あり。
・・・ないか・・。
ないです、ないです。(笑)
ところで、今更だけど楫取素彦って誰なんですか。(笑)
群馬県知事とかになった人だっけ。
群馬に住んでる人ですら知ってるかどうか。
群馬といったら井森美幸さんでしょう。
大河ドラマ「井森美幸」やったほうがまだマシw
突然現れた錦の御旗に呆然とした。
朝敵だった長州がいかにして錦の御旗をかかげる側に至るのかこのドラマではスルーですから。
そういうのは難しいからスルーしてんだろうな。
今までの大河ドラマでは幕府側からみた錦の御旗は視聴者側としてそうなるとわかっていてもやはり重く衝撃的だった。
この花燃ゆでは何の感慨もない。
私はこの花燃ゆはわりとよく見ていたが
最近は見ていない
劣化した八重の桜
という感じの作品だと思う
このドラマのテーマは
八重の桜と同じ
三十後家は立たず
つまり
三十代で未亡人として貞操を尽くそうと思っても回りが放って置かないので無理がある
毛利元徳って三浦友和の息子って知らなかった
早く本物の大河ドラマが観たい。
今日の花もゆよかったです、胸にジーンときました。早く来週来ないかな❗どのように、なっていくのか楽しみです。
だいたい、花が燃えるって何?
このタイトルの意味を説明して!
なんとなく、戦う女性っぽいってだけでネーミングしたんじゃないだろうな!
いつの間にか消えた優香
いつの間にか消えた奇兵隊にいる弟
相変わらずの陳腐で貧相な演出(演出家の自己満足?)で、脱走兵達の抵抗も鎮圧軍に因って、あっという間にあっさり終了。
“花燃ゆ紀行”の「両者は激戦を繰り広げた」のナレーションも、ただただ虚しく響くだけ。
↑↑美和さんの弟さんてまだ生存している筈なのに、全く心配している様子が無いですよねぇ。
京都に居る久坂の子供より、余程安否が気になっても不自然じゃないと思うけどなぁ。
まさか、敏三郎さんも完全スルーじゃないでしょね。
(まぁ、近々二人が一緒のシーンが観られるとは思いますが。)
みなさん辛口のご感想ですが、私は毎週楽しく拝見しています。
真央さんの演技は、少しずつ強くなっていく女性の姿がよく伝わってきて、同性としていつも勇気づけられています。波乱に満ちた美和の人生を、最後まで演じ続けてください!!応援しています。
まあ、ここの人達の気持ちはわかるんだよな。
ただ、フィクションだと思ってみれば結構おもしろいや。
少なくともまれよりは百倍マシ。
おれは
花燃ゆの
CGは嫌いだが
歌は好きだよ
あと
このドラマのいいところを言うと割りと明るいから目が悪くても見える
田井等清盛は暗くて画面がよくわからなかった
他によいところを言うと
変な歴史の解説がなくて
あっさりとしていてよい
大河ドラマをヒットさせようと思ったら
まず
土曜日の再放送をやめる
あと
ニュースで大河の話題を流すのはやめて
大河ドラマは日曜日の八時から見るしかない
という飢餓状態におく
さらに
変なサプライズはやめて
正統なドラマ作りに徹する
演技派を多用する
最近では2005年だかの
白い巨塔は大河ドラマニふさわしい品格を備えていた
あれはフジテレビだったけどね
あれには中村雅俊の息子の俊太が
財前五郎に殺された患者の息子として出ていてよかった
もし覚醒剤で逮捕されていなければ
今ごろは大河ドラマノ主役クラスになっていたと思う
あとこのドラマには上川隆也と矢田亜希子が出ていて
上川隆也の弁護士の助手として教授の娘の矢田亜希子が反財前五郎で動く
最近遺留宗佐で
上川隆也と矢田亜希子が共演していて興味深かった
今週は珍しく途中までは凄いよかったのに、
後半のドリフのコントなみのオチと、
金魚のフンみたいにくっついてくる美和が
いちいちウザくてやっぱりこの評価に。
美和も楫取も急に偉そうになってきたな
タイトルの届かぬ言葉、楫取素彦と美和の二人の伝えたいことが伝えられなかった、叶わなかったということでしょうか。江戸時代から明治時代に変わる時に、また戦いの場面を観るのは辛かった。
知藩事になったばかりの元徳、早く成果をあげたいと
楫取の声も聞くことなく藩政改革を強行した。
隊士達のリストラ、反乱、藩庁を包囲して元徳達は拘束されてしまった。事態を収める説得交渉は決裂してしまう。素彦の届かぬ言葉。大沢たかおさんの緊迫した表情、もどかしさを感じさせる喪失感、やはり大物俳優と思って魅了されながら視聴していた。
大殿敬親の説得により、奇兵隊旧諸隊達が一時は納得するもの、新政府軍の急撃に遭う。農民達から作り上げた奇兵隊を今回の内容で観ることが出来て良かった。
奥での美和も銀姫にとっては心強い存在であり嬉しい。来週が、美和も素彦も銀姫も皆に動きがあり、別れもある。明治の時代の残り少ない回、涙も流し感動しながら、激動の人生を生き抜いてきた美和を最後まで応援して観ていきたい。
みんな
美和と
寛治で書いているので
あたかも
ドリームズカムトルゥーの美和とごっちゃになってきた
おれは
ひらがなの
みわだと
思っていたが
どこかで漢字が出てきたのか
そもそも何で文を美和にしたのか
俺が見逃していた回でやったのかな
井上真央の演技は平板で
ここは
もっと起伏にとんだ松下奈緒辺りにやらせたい
↑↑連投すみません。
追記
奇兵隊を昨日観ることが出来て良かったのは
晋作が創設ということへの思いもあり良かったと思いました。
それから付け加えると
大沢たかおさんは
群馬県の藩知事になるけど
富山県の事務官(今の副知事にあたる)になったのが
滝廉太郎のお父さん
富山県で小学校三年間を過ごした
滝廉太郎は荒城の月や花で戸山の風景を曲にしている
滝廉太郎の小学校は富山城の中にあったらしい
しかし
大分県人で大久保利通の秘蔵っ子だった滝廉太郎のお父さんは
大久保利通の暗殺で運命が暗転し
滝廉太郎自身はドイツに留学したあと20代で死んでしまう
恋仲に
富山の風景が最終回で写ったけど
あの川岸は
滝廉太郎が花で描いた舞台とされているところらしい
新たな朝ドラ
こちらの方が大河ドラマなみの話とキャスト
大河兼朝ドラのようだ
こっちはもう誰も注目も期待してないのでさっさと終わって
くださって結構です
今までの積み重ねがあれば、また今までの回を生かせば良い回だったのにと悔やまれる。
揖取(小田村)と木戸(桂)をごちゃごちゃに描いてそれぞれの物語をしっかりとみせなかったこと。富永有隣をあれだけ、美和(文)と絡ませていたにもかかわらず今回奇兵隊諸隊脱走の首謀者として出さなかったこと。
本当にもったいない。
そしてそれをだいなしにした演出。椿、水仙、烏、羽根のしつこい演出は興ざめだった。
みんな
よく観ていますね
俺としては
長州の
奇兵隊をもとの農民に戻れと言って
彼らが
反抗した
のを撃ち殺す辺りのえがきかたは
きれいに描き過ぎると思った
あんな場面ならないほうがましだと思う
ドラマの中での戦いや攻撃のシーンは辛いです。
届かぬ言葉での回で、隊士達が銃撃される場面で映された、椿の花、水仙に血が飛び散る、打ち掛けが燃える。
私は、花燃ゆというタイトルに合った粋な演出と思いながら観ました。
史実通りに描かれてませんが、富永有燐、本田博太郎さんの有燐は迫力がありました。
公式サイトの動画、明治編スタートを観ました。
全ての人達が動いて行きますね。悲しく辛いこともありますが、動画をみてこれからの花燃ゆ、最終章もすごく楽しみです。鞠が思わぬ言葉を…!!
25日あさいちに楫取素彦役
大沢たかおさん出られます。
何かを象徴させる比喩的な演出は一度だからこそ光ります。
何度も繰り返すのは粋ではないと思います。
労咳の高杉が子供を膝に抱くシーンで見るのをやめました。私は中世から近現代史を専門に研究していますが、肺結核末期=隔離という手段は幕末以前から日本では常識でした。江戸に限った話ではありません。全滅を免れる為に日本中の村落や部落で口伝継承され、労咳隔離措置は幕府も各藩に徹底させています。昔の日本人が医術に無知だった訳ではありません。史料は沢山あります。嘘で誤魔化す事は出来ません。龍馬伝や司馬遼太郎の小説でも労咳末期の大人に子供を近づける描写などありません。抵抗力のある
大人以外は近づく事は許されなかった。その認識のもとで脚色されています。このドラマを見て、結核の誤った認識のまま、ドラマと同様の子供と結核患者との接触で、子供の重症化や持病難病との合併で死亡事故などにつながる事がない様、賢明に対応してもらう事を祈るだけです。
私は先に記述したように、単なる幕末フアンの素人ですが、世に棲む日々外3冊には、そうした記述はないと投稿した者です。この3冊には労咳だから、隔離、とか、感染の認識があったとかそういった記述は一切ありません。
世に棲む日日文庫本第4巻288P以下、下関の家にお雅は東一(梅之進)を連れてきた、とあります。
晋作蒼き烈日単行本434P以下父上にお会いできますよ、の台詞に始まって延々と高杉と梅之進との会話が描かれております。
八尋著高杉晋作単行本210P以下2月のはじめころお雅が下関にきて看病をはじめ211P4月14日、雅は目をふせ梅之進の手を握りしめた、とありますので梅之進を同行していたことがわかります。
奈良本著高杉晋作には、その最期、として6Pだけ割り当てられておりますがそうした労咳の認識の事も、逆にお雅の事も一切ふれられておりません。
大河ドラマ花神でも隔離、または感染するような認識の描写はありません。
上記訂正
2行目この3冊をこの4冊に訂正
労咳末期の高杉を創作上表現するのに、隔離だけではヘミングウェイの老人と海の様に、高杉と病魔だけになってしまいます。雅や他の人物が看病していたという脚色で物語に厚みと、高杉の時流に対する心情を描く事が可能になります。しかし、あくまで当時の医学の常識の範疇での事です。高杉が梅之進を膝に抱くのと、雅が梅之進を同行させていた事とは意味合いが全く違い過ぎます。
司馬さんは正確な労咳の知識を御存知でした。
逆に花燃ゆの様な常軌を逸した描写など皆無でした。
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