私も個性的過ぎるそのキャラ達に惹かれて観てます。あり得ないからこその面白さも、ドラマならありだし。普通の人達じゃないから楽しいんだけどな。こんなにワクワク感を貰えるドラマって、ほんと今までになかった。
私はこのドラマ、確かにコント的な演出ではかなりはずしている部分が多いと思う。
ちょっとエロさを感じさせる部分なんて特にそうかな。
その辺は批判される方の気持ちもわかりますね。
ただ、脚本・展開に関してはほとんどOKです。
(たまに時間的な描写すっ飛ばしは少々気になりましたが)
上でどなたかも書いておられるように、このドラマが現実離れしていることは最初からわかることで、私はその時点で気持ちを切り替えました。常識を超えた描写や展開が面白いのだと。
いったんそれができたらこのドラマは大いに楽しめました。
個性的なキャラクターも魅力的です。
現実では許されない行動でもドラマの世界のことならね。
その辺の受け止め方次第でこのドラマの好き嫌いが分かれるんでしょうね。
ともあれ朝ドラとしては珍しいタイプの作品でしたね。
それが私としては一番の評価点かもしれません。
ありきたりな普通のドラマにちょっと飽きていたのかも。
私としては半年間十分満足できました。
現代もののありきたりな作品が続いていた10数年前、つまらないものは本当につまらなかった。まれは独特の個性があって良い。
私は朝ドラ枠は、基本的にホームドラマ枠だと思う。
だからパティシエの話の割合はこの位で妥当とだと思う。
パティシエを詳しくやり過ぎると、職業ドラマになってしまい、朝ドラらしさが薄れてしまう。
虚構の世界とは言え、人の秘密を抱えきれずにバラしてしまったり、簡単に人を振ったり、望まれてもいないのに中途半端に仕事辞めて能登に帰ったり、父が自己破産失踪後に娘が借金してすぐ妊娠発覚したり、というのは私には受け入れ難かったです。
土屋さんはシリアスなのがあう。
山崎君も葉山君も朝ドラ終わったら前みたいな路線にしてほしい。
葉山君はNもそうだけど夜のせんせいの時は上手くなかったが悪高校生があってる。かな。一人言並。
門脇麦本当に知らなかったからよかった。朝と夜見れたし。
>他のドラマや映画、マンガ、ファンタジー、いろいろ見ましたが、このドラマ程登場人物の行動にイライラしたことは個人的にはありませんでした。
あまたの創作物を目にしようとも、物語の視点を登場人物にする限りそうでしょうね。また、まれの足りなさは脚本家の意図する所であり、不完全な人間が起こす事象に面白みを見いだせないのでしょう。また脚本家の願いは、不完全な人間に寄り添う目をもってほしかったのかもしれません。
まれの登場人物はなにかしらの足りなさを抱えており、この辺りはリアルかも。微妙に実生活にリンクするから腹が立つ人がいるのかもですね。虚構と現実の区別がつかないというか、ドラマを楽しんで見られない方はさらに腹が立つという構図なんでしょうね。まれみたいな人間にひどい目にあったという意見があるなか、リアルの欠片もないという相反する意見が飛び交う要因なのかも。リアルさを求める方は、第一話をどう感じたのかせつに問いたいです。
ゆとり発言はわたしじゃないですよ。年代で一括りにした下茶話なマスコミが生み出した蔑称で完全なる差別用語です。ゆとり世代と呼ばれる方は、そもそも忙しく働くのに精一杯でこの版は観ないだろうし、なにを言ってるんだかと苦笑しましたが。
脚本家の願望が作品に反映されている、というのはプライベートの憶測でしかなく、しかもマイナスなことをあげつらっています。書いた方々が自分が同じ事をされたらどう思うのかな。まれを無神経で最悪としましょう。けれどご自分たちはどうなのかな。感想以前の書き込みですしね。本家を観ていると本当に人間って不完全だなと思います。スルーできない自分も含めてですが。でもそういうのが人間だと思うの。だからこそわたしは、まれを描こうとした脚本家さんの着眼点を評価しています。
人間は確かに不完全ではあるものの、度重なる不義理や故意に近い失敗を繰り返して反省すらしないことを美化してるようにこのドラマは見えてしまうんですよね。
別に失敗しても不完全でもいい。でもそこから少しずつでも行動や所作が変わって成長するところを観たかった。ファンタジーだからドラマの中での酷い行動をあやふやに正当化してしまっていいとは言えないと思います。
それに本家で普通に批判する人と誹謗中傷する人、これはきっちり分けて扱って欲しいです。本家のすべてが感想以前の書き込みをしてると言われてるように見えて心外と感じます。
まれが無神経で最悪ということでこのドラマが嫌いと批判することに対して、一部の誹謗中傷投稿のことを盾にあなたたちにそれを言う資格があるのかと言われるのは筋違いではないかと思います。
本家でもときどき現れて削除されたりしていますが、コメントをもってその人の人格をどうこういうことは、慎みたいですね。
本家では、「~する人は」という決めつけは禁止されているはずですが、お茶の間ではいいのでしょうか。
表現はどうであれ(いかに間接的で柔らかい表現であれ)、よくある決めつけの方向性として、
・~人は、どこかに欠点がある
・そんなことを言えるほどの見識眼/能力/資格があるのか
というものがありますが、私は、つねづね、こういうことを書く人に疑問と不信感を抱いています。
上は、明らかに誤りないし偏見だし、下は、感想の自由を否定するものです。いずれもあってはならないこと。
感想の中にさりげなくすべり込ませて、削除を免れようとするものも多い。
自分が言われて嫌なことは、人にも言わない。こういう場を使うときの鉄則です。
458さんに同意致します。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い というのはまれのスレで何度か目にしたことわざですが、8がつ9月の本家はそこまで憎むのですかというようなレビューばかりだったな。脚本家の心理を分析したようなものもあったが、ああいうものを書くのも自由なんだろうけどインタビューかなにかを基にした個人の推測なんでしょ?ほんとのところはわからないよね。私などは単純だからなるほどと信じてしまいそうだったよ。思い直したけどね。マッサンの脚本家もけっこうひどい言われようだったけど対談とか最後にしてたから、篠崎さんもぜひ表に出てきていただきたい。言いたい放題言われて気の毒だよ。
457さんに同意、458さんにも同意。
>虚構と現実の区別がつかないというか、ドラマを楽しんでみられない方はさらに腹が立つという構図なんでしょうね。
まれ意外のフィクションはフィクションとして楽しんでますよ。虚構と現実の区別がつかないのではなく、虚構としても許せないと思ってます。
ドラマに限らず大抵の物語は不完全な人間が起こす事象を描いており、それはまれに限った話ではないです。
リアルさの話ですが、まれを批判している方は完全なリアルを求めているわけではない。でも実在する土地や職業を扱っている限りはリアルからの逸脱には限度があるとは思います。
一例としてそれは社会的なマナーであったり、倫理的価値観であったりしますが、そこを踏み越えたと感じる視聴者がいれば、何らかの違和感や嫌悪感を訴える方が出ることは当然であると思います。
希の舞台は能登だけど、外浦でしたっけ? 町は架空の町でしょ?
転居先をダーツで決めるとか、初めからこのドラマはリアルなんて描こうとしてませんよ。
だから震災やリーマンショックなんて出てこないし、それ以外の点でも細かいリアリティにこだわるドラマではないと思います。
ありそうでなさそうな不思議な世界。
その中で人間的に不完全な人たちが、それでも見放されずに、愛情深く描かれている。
そんな感じかな。
でもドラマに求めるものやその見方は人それぞれだから、そういう割り切った見方ができない、どうしても現実と照らし合わせて見てしまう方も多いんでしょうね。
それは仕方ないと思います。
だけど脚本家の狙いかどうか、リアリティーにこだわらずドラマ世界を楽しめる人も実際いるわけで、そういう見方を否定するのはやめてほしいですね。たまにありますから。ドラマの整合性やリアリティにこだわらない人を否定するようなコメントが。
べつにこのドラマを好きな人、嫌いな人、両方いていいわけだし、最後までお互いを尊重して見届けましょう。
462さんに同意致します。昨日も本家で肯定派に対して、これを受け入れられる人もいるんですねとか書かれたりしてますけど、嫌みでしかないですよ。
いたよね。こんなのがおもしろいと言う人とは話にならないといったような感じのものもありましたからね。こういうことを書く人達は違う朝ドラで肯定する側に立ったときに違反を犯しやすいんだよね。
ドラマにおけるリアリティということを勘違いしている人が多いんだけど、現実社会をドラマで忠実に再現しろと言っているわけではないし、そんなこと無理だし、だいたいドラマでそんなことをされても、まったく面白くない。
設定はどんなに空想的でも荒唐無稽でもかまわない。それがドラマの楽しさなんだから。
あり得ないような奇跡や不幸が起きてもいいし、あり得ないほど理想的なあるいは破壊的な人生であってもかまわない。人間じゃないものが生きて活躍しても、まったくOK。
それは、すべてドラマの「お約束」なんだから。見る者は、そのお約束の中で、ドラマを楽しもうとする構えは、とっくにできている。
で、後は何を注視するかというと、その枠のなかで登場する人物がどう動くか。そこで、人間としてごく当たり前の自然な感覚や生理に沿って動いていないと、絶対ダメ。
それから、生きている限りは、人間、葛藤や悩みからは逃れられないから、それもきちんと見せないとダメ。
こういうのを、「リアリティ」と言っている。
これがダメだと、ドラマって、見ていてすごい抵抗感を感じる。
だから、リアリティのないドラマは、どんなドラマであっても、いつも大きな批判を受けてるよね。
今回も、その例に漏れないんだけど、これほど大騒ぎになったのは、脚本がそのリアリティのなさをまったく自覚していなくて、「どう、面白いでしょ?」とでも言わんばかりに(いわゆる「ドヤ顔」ですか 笑)視聴者を置き去りにしたまま、不自然な感覚を突っ走らせたこと。
これに腹立たしさを感じる視聴者が多かったと思う。
こういう長丁場だと、途中でたいてい、視聴者からの意見を何らか反映させるものなんだけどね。
朝ドラはリアリティだけを追いかけて見ている人ばかりじゃないし、リアリティだけの朝ドラばかりがつくられるわけじゃないですから。こんなのは好みの問題だと思います。
だけどリアリティの受け止め方も人それぞれだから
脚本家のドヤ顔のとおり(笑)、こういう展開や描写を楽しめる人もいるんですよ。
この世界観でなら通常は許せない行為も許せちゃう。
そういうのって私はありますね。
登場人物のキャラ設定や心理描写も同様です。
確かにこのドラマの描写が丁寧とは言わないけど(いや、雑か 笑)
それでも十分伝わる人には伝わってるんです。
私は描写が丁寧ても自分的につまらないドラマよりは「まれ」のほうがいい。
半年間楽しかったです。
それから、花子とアン、まっさんと見てきて、大きく批判の対象になっていたのは、「ご都合主義」と「専門的なことや職業をきちんと描かない」でしたね。
「ご都合主義」は、脚本の都合のよいように自然なプロットの流れをねじまげて話を進めること。これも、見ている方は神経を逆なでされる大きな原因になる。
「専門的なことや職業をきちんと描かない」は花アンでは翻訳、まっさんではウイスキー醸造について大事なところ、肝をスキップしたと非難ごうごうでした。
やはり視聴者は、職業物を見るからには、それをきちんと知りたいと思う。いわゆる知的好奇心というやつで、それを満足させられないと、やはりフラストレーションがたまる。
まれは、残念ながら、その両方の轍を踏んでしまっている。いわば脚本の基本を踏み外したところがあるのは、否定できないでしょう。
脚本家さんは、原作物はなかなかうまいと聞いていますが、オリジナルに関しては、未熟な感じを免れませんでした。
「まっさん」と「花子とアン」はともに実在モデルのいる時代物で、
「まれ」は戦争などの時代背景もない完全オリジナルのフィクションです。
しかもリアリティ重視の作風ではない。
その点でご都合主義の許容範囲などは大部違ってくると思います。
ただパティシエを夢見る少女の半生を描いたものとして
その部分の描き方が少々物足りなかったのは確かかな。
それでも個人的には十分楽しめましたけどね。
467さんに同意ですね。批判する人はどんなドラマでもいるし
ご都合主義でも職業を描かなくても結局はそのドラマが好きか受け入れられるかどうかでしょ。そのドラマが好きなら大抵の事は気にならないし、反対に批判されているところが、その人にとっては魅力的に思えて好きだったりするんです。 確かにまれは欠点もあるし、素晴らしいドラマじゃなかったかもしれないけど、独特な魅力あるドラマだと思ってます。半年間毎朝楽しみでたまりませんでした。ありがとう。
「まれ」は現実に縛られない部分と、現実的な部分が交錯する独特の世界を創っています。現実をそのまま写実的に描写するのではなく、誇張・簡素化・省略などデフォルメを駆使して新しい世界を表現したもの。常識や世間の約束事がそのまま採用されないシュールな世界です。外浦村という架空の地・ユートピアと現実が混在するこのドラマは、ファンタジーと言うよりシュールレアリズム的作品という印象です。
こうあるべきという期待を裏切る展開にイライラを感じる人がいても不思議ではない。こんなヒロインに共感できないと実際感想欄には一部激しいブーイングが飛んでいます。このドラマは斜め上な展開で思い込みを裏切ります。イライラの原因はこのドラマがもたらす既存の価値観への揺さぶり、つまり異化作用じゃないかと思います。
それと、このドラマが描いているのは典型的朝ドラタイプの理想のヒロイン像ではありませんね。視聴者が自己を投影・埋没させる形で共感するような理想像ではなく、人間臭く欠点も多い個性的な他者として描かれています。ヒロインは外部からやって来た「まれびと」にリンクしていますが、他者としてのヒロインをどう受け止めるかは視聴者次第。視聴者はこの癖のあるヒロインの行動や選択、価値観についてあれこれ考えさせられます。視聴者を刺激し一考を促す斬新で意欲的な朝ドラだと思います。シュールな「まれワールド」を楽しめる人、イライラがつのるひと。どちらも取り込んでしまうのがこのドラマのパワーであり魅力なのだと思います。
感想は人それぞれ。受け取り手次第。それは、もう言わずもがなの大前提ですよ。だからこそ、こういうレビューサイトは賑わっているわけです。
また、どんなドラマであっても賛否両論あるのも当然のこと。
私がそういうことに一切触れていないことに注意してください。
ただただ、今回の朝ドラに批判が多かったのはなぜか、ということについて考えを述べているだけなので。
471さんのご意見については、異論があります。
というのも、このドラマは初めから471さんのおっしゃるような作用・効果を狙って作られたものでないからです。
そういうことに無自覚・無意識であることは、同じ「不完全さ」や「シュールレアリスム」を描くにしても、その追求性、首尾一貫性がないことから明らかです。
だから、「純と愛」とよく比較されるのです。あれは、最初から従来の朝ドラ観に揺さぶりや攻撃をしかけた作品で、最初に堂々と朝ドラをぶっ壊すと宣言して提出されたものでした。首尾一貫さと狙うものへの強い訴求があった。
このドラマは、全く違う。そういうところが見られない。おそらくは力量不足と勘違いのゆえに、「結果的に」整合性のない支離滅裂さを露呈してしまった。(そしておそらく、いまだに、そういうことに気づいていない。)
後追いのさまざまな理屈は、なんとかそういう状況に落とし前をつけようと、結局、視聴者が四苦八苦している姿に見えます。
結局、視聴者は整合性が欲しいんですよね。自分の中でなんとか納得したい。
それが、肯定的に見ている人にも、否定的に見ている人にも、さまざまな形で表れていると感じます。
そうさせざるを得ない作品であったということでしょう。
何故批判が多かったのか述べているだけなら、他の皆さんも何故肯定してるのか述べているだけですよね。
整合性があろうがなかろうが、結局は好きか嫌いかでしょ?次の朝ドラで整合性があろうが批判がでないわけじゃないでしょう。
ただ、このまれという朝ドラはおかしいと言ってくれる人がいっぱいいると嬉しくて満足感を満たす人達はいるのでしょうけどね。半年ここを見ていて思うけど、そういう整合性ばかりを気にしている人ばかりじゃないと思う。でも、ここでは少数派なのかもしれないが私は少数派の側であっても自分が悪いだなんて思っていない。
471さんの言うことも分かるんですが、何故シュールな世界といった一部の人にのみ理解出来る、受け入れられるような意欲作(実験作)を、朝ドラでやる必要があるのか、という問題もあります。
当たり障りのない無難な作品ばかりでは飽きる、たまにはこういうものがあってもいいじゃないかとは、私も思うところではありますが、老若男女が毎日半年間朝に見るドラマで人を選ぶ内容を流せば、多くの批判が出るのは自明のことです。
カルト朝ドラとは、そういった皮肉が込められたネーミングなんだと思います。
まれという作品を失敗とは言いませんが、放送枠の選択を失敗したことは確かでしょう。
次の朝ドラどんなんだか知りませんがドラマ否定する人が少数派であってもヒロインの言動や登場人物で怠慢な態度があれば強烈な批判は例外なくでると思うよ。
まれや他の朝ドラに限らず、ファン専用スレ以外で肯定する側にとって嫌なものを見ないという日はないと思う、特に朝ドラならね。肯定する側が本家で気持ちよく感想を見ることなんてできないんだよね。とくにまれファンのほうは今回痛感していると思う。
いい悪いを論じることは、一切していません。
このドラマを肯定する人が悪い、なんてあり得ない。人格なんてものとも関係ない。
ただ、ここは議論が交わせる場所だから、自分がよくわからなかったり納得できないことがあれば、当然、そう言います。
また、それに対して異論を出してくださってもいい。そういうのこそ、本家ではできない突っ込んだ議論で、ここの意義でしょう。
確かに、ドラマを見るとき、大きく意見が分かれるのは、整合性のあるドラマの宇宙に没入して楽しみたいという人と、整合性はなくても気にしない、部分部分で楽しめればいい、という人がいるのが、分岐点になるんじゃないかとは思います。
これがものすごくはっきり出ていたのは、「花子とアン」でした。
あれは、脚本自体はまさに支離滅裂(「まれ」どころではありません)で、伏線を回収しないまま次にワープするなど日常茶飯でしたし、キャラブレ、テーマブレもしょっちゅうで、まともに見ているとわけがわからなくなる類のもので、脚本に対してはものすごい批判がわき起こりましたが、世間一般の受けはすごくよかった。
それは、人気の取れる「しかけ」がどんなドラマも追いつかないほど随所に仕込まれていたからで、そうした要素が脚本のまずさを凌駕した。
私はこんなドラマ耐えられない派でしたが、そのとき、ドラマの整合性を気にせず楽しめる人がいるんだ、ということがよくわかりました。。
もちろん、それは、大きくは個人の感覚や感性によるものなので、正しいとか間違いとかいう問題ではありません。
今回もまったく同じことです。今回、花アンのように一般受けしなかったのは、あれほどの爆発的な受け狙い要素がなかったからにほかなりません。
ただし、この脚本家さんが、ほんとに実験を行った、視聴率におもねることなく今までにない朝ドラ世界を構築した、カルトな視聴者を獲得することに成功した、と自覚的に評価しているなら、それはそれで、見上げた根性と見事な成功だと思います。
そういう話があるのでしょうか。寡聞にして私は知らないのですが、知っている方がいらっしゃれば教えてください。
肯定派の人は何気に否定派を否定していて面白い。
どうして嫌いなの?
どうして悪口言うの?
さりげなく相手の意見を認めてません(笑)
まあ、今回のドラマはおもしろ くなかった。
つまらないの一言。以上
なるほど。それで478さんもさりげなくファンスレに否定意見書いてるんですね。
カルトと言われるならそれでもいいよ。整合性について言われている方と話ができてよかったとは思うけど、私とは永遠に平行線で交わるってことはないと思いますし、それは仕方ないことです。それにここで話にならないとまで言われている人間ですからね、私。
まれで思ったんだけど、本家でマスコミや怪しい評論家の言う事を聞いて喜んでいる人達がいるけど、私は自分の好きか嫌いかでしかドラマを判断しないからそういう人達とは違う人種なんだと思うし、そんなの見て喜んだりなんてしません。その人達はマスコミや評論家の意見が自分と同じだからよっぽと嬉しいんだろうね、それに私は違和感です。
お茶の間の使い方で言われてきたけど、次の朝ドラのスレの使い方もまれファンの一部の方々は厳しく言及するんじゃないかと予想しています。
またそうやって不毛に煽り合う…
学習しなさい!
いつも朝ドラはこうだとか、どうせ次も批判の嵐だとかいうコメントが嫌いです。
私はまれの話をしているだけで、まだ放送していないドラマをどうこういうのは嫌みでしかない。
ここは本家ではなく雑談できるのだからいいでしょう。まだ放送していなくても過去にあったことから予想を立ててしまうのだし、次の朝ドラが本家のほうでそうならなけれ別にいいんじゃない。
471です。異論を拝見しました。472さんは「まれ」の場合、脚本家が最初にそう宣言しなかったから異化効果などを狙ったシュールレアリズム的作品ではないと仰っているように思えますが、どうでしょうか。確かに「純と愛」では脚本家が「朝ドラの枠をぶっ壊す」と宣言していました。でもその事に私はあまり意味を感じません。私は作者が何を狙ったかより作品が何を感じさせてくれたか、に興味を持っています。作者中心ではなく、作品を中心に観ているからです。
「まれ」がシュールな世界だと私が感じたのは後付けではなく、471にも書いた通り、作品自体が一貫してその世界観を示しているからです。舞台や人物造形、夢を追う者というテーマからして「まれ」は現実と非現実をないまぜにした作品となっています。加えて、魔女姫人形がナレーターと明らかされた時に、このドラマは写実主義から離れたものだと立場を明確にしています。「まれ」と「純と愛」がよく比較対象に出されるのは、カテゴリカルな類似点に気づく人が多いからではないかと思います。
472さんの仰る「首尾一貫さと狙うものへの強い訴求」は作者が作品外で宣言するから作品に宿るのではなく、作品そのものが示すものだと私は考えます。その点において「まれ」は効果を発揮したドラマだと思います。
最後になりましたが、脚本家の狙いや考えに重点を置かれている472さんと作品そのものから何を感じたかに重点を置いている私とでは、レビューのスタンスが違うことが明らかです。平行線になるのはいたし方ありません。でも、だから無駄だという意味ではなく、この場で「まれ」について深く話し合えるのはスタンスや評価が違っていても何かしら発見があり興味深いです。
479さん
ストーカー?
探り当てる行為怖いです。。
471さん、お返事ありがとうございます。
>472さんは「まれ」の場合、脚本家が最初にそう宣言しなかったら異化効果などを狙ったシュールレアリズム的作品ではないと仰っているように思えますが
いえいえ、それは穿ちすぎのお考えというものです(笑)そのようなことは、一言も申しておりませんが。
作成者が宣言→そのようになる、という図式がおかしいことは、重々おわかりでしょう。
だだ単に、私の目から見て、471さんのおっしゃるような様式・趣旨・目的はまったく感じられない。
だから、「シュールレアリスム」を追求したドラマと判断するには、客観的な根拠が要るため、それを作者自身が語るというところに求めた、ただそれだけのことです。
しかし、今のところ、そのような話はないようですね。
ただ、作者がその意図がなくても、結果的にそのようになった(そのように見えた)ということは、当然あり得ますが、私には、そのようにもまったく見えない。
以上のことから、このドラマはシュールレアリスムの追求ではないし、異化によって揺さぶりをかけるものでもない、と私も主張することができるわけです。
結局、この議論は、根拠のない主観同士のぶつかり合いということになりますね。
また、ドラマの見方ですが、私は「脚本家の狙いや考えに重点を置」いているわけではありません。おそらく、471さんと同じスタンス、目の前にあるドラマをあるがままに享受します。
ただ、あまりに首をひねるようなことが続くと、いったい、作者は何をしたくてこういうことをやってるんだろうか、なんでこんなことになってしまうのか、というところへ考えが及ぶのです。
ただ考えるだけでなく、さまざまな情報を参考にしたりして、なるべく総合的に考えるようにしています。
朝ドラなどは、放送期間が長いので、考える時間が、他のドラマに比べると、どうしても多くなってしまいますね。
471さんと私の違いは、ただ、このドラマに頭をひねるかひねらないか、ということだけでしょう。
485さん
ファンスレで485さんにたしなめたのは私ですから、探さなくてもわかりましたけど。
否定派がファンスレにあの様な投稿をする行為の方がどうかと思われますが。
471ですが、475さんの問題提起、拝見しました。475さんはシュールレアリズムが一部の人にしか理解できない、受け入れないものだと思っていらっしゃるようですが、そんなことはないと思いますよ。例えばシュールなダリの絵が一般的に受け入れられているように、個性的な世界を楽しむ人も多いです。「まれ」に関して言うと、本家では否定意見が多いですが、お茶の間では肯定的意見も多く見られますね。
カルト朝ドラというのは「まれ」ファンがごく少数派との前提で作られたものですね。それはネットの書き込み数が根拠になっていると思いますが、ネット評価と世間一般評価が必ずしも一致しないのは酷評の嵐だった「花子とアン」の視聴率の高さが物語っていると思います。(個人的には「花アン」は好まなかったので意外でした。)「まれ」も20%前後と健闘しています。周りの評判もまずまずですし、私個人の実感としては「まれ」がカルト朝ドラというのはしっくり来ません。
ドラマ離れの傾向が強い昨今、朝ドラも進化を余儀なくされていると思います。類型化したものより個性が求められる時代だと思います。万人受けを狙った凡作より意欲作でその是非を世に問い続ける朝ドラのあり方を私は評価します。次の作品がどんな路線を取るのか知りませんが、蓋を開けてのお楽しみ。驚かせて欲しいと望んでいます。
484さんのご意見に同感です。
このドラマが結果的に成功作か失敗作かはともかく、
制作者がいつもとは違う新しい朝ドラを狙ったことは、
その様々な設定などから明らかだと思います。
そもそも、そうでなかったら、自己破産して夜逃げした一家がダーツで転居先を決めるなどというありえない設定や魔女姫ナレーションなど思いつかないでしょう。
朝ドラでそういう脚本・演出を試みたことにご不満の方もいるようですが、私は朝ドラという枠そのものに大した執着もないし、世間受けの良い無難な伝統や王道にばかりこだわるのでなく、少なくとも時代などの縛りの少ない現代物では、いろいろ大いに挑戦してほしいですね。ここでの評価はともかく、実際にそういうのを好む視聴者も少なからずいるのですから。
整合性や丁寧な描写を好む視聴者もいれば、
そうでなく奇抜な発想や展開に胸躍らせる視聴者もいる。
そういうことでしょう。
488、489さんに同意です。
487
。。。苦笑
怖いです。
491さん。またファンスレにも嫌がらせですか。
アラシ認定させて頂きますので、もうお相手しません。
484です。486さんが私の感想に対して異論を出された時、「純と愛」を例えに使われていたので、それを根拠にしているのかと思いました。486さんのご意見は根拠のない主観だということ、了解しました。
この議論は「根拠のない主観同士のぶつかりあい」と書かれていらっしゃいますが、私の方は自分の意見の根拠になったものは何か例を挙げていますよ。486さんの異論の根拠が何かよくわかりません。「私にはそう見えないからそう見えない」と仰っているのはわかりますが、それでは堂々巡りで議論になりませんね。486さんと私のスタンスは色んな意味で違うと思いますよ。また別の議論でお話する機会があるかもしれませんが、今回はこれで失礼します。
整合性がないと思う人間がいようが、マスコミがどう言おうがこの作品が好きだと言う人がいていいと思うんだけど。世間は整合性がない朝ドラは避難されるのは当然だということを強調したい人達がたくさんいるってことなのかな?視聴者が整合性がないと感じるから批判は書き込まれるなら過去にあった朝ドラで出た批判も少なからずとも整合性というものがないから出るんだよね。
煽るのはやめませんか。
「~人達」と括ると、議論ではなく対立になってしまいますよ。
好きだって言う人を否定はしてないでしょ。
次の朝ドラどんなんだか知りませんがドラマ否定する人が少数派であってもヒロインの言動や登場人物で怠慢な態度があれば強烈な批判は例外なくでると思うよ。
まれや他の朝ドラに限らず、ファン専用スレ以外で肯定する側にとって嫌なものを見ないという日はないと思う、特に朝ドラならね。肯定する側が本家で気持ちよく感想を見ることなんてできないんだよね。とくにまれファンのほうは今回痛感していると思う。
こういうサイトでは,ドラマの中身と批判が合ってるようには思わないね。全否定と全肯定の感想ばかりって賛否が戦ってるだけでしょ。このサイトはまだましだと思っていたけど,他と変わらない体質になってきてるよ。真面目な方は離れていくだろう。
失敗おっぱいが言葉としてどうかは別にして、なぜ乳がんなのかどこをどう考えても結びつかない。過去に盲人用信号機のメロディが「とおりゃんせ」で歌詞が「行きはよいよい帰りは怖い」というのは目の不自由な方を馬鹿にしていると息巻いた議員がいたんだけど、当事者たる目の不自由な方たちは、そんなこと考えたことも無い、音が出て助かる、そんなことを言う人がいるなんてむしろ恥ずかしい・・と語っていましたね。
あまり過剰に反応するのもどうかと。
鬼怒川で水害がおこっているのにまれを放送して腹が立つとかもありましたよ。乳がんって北斗晶のことを言っているんじゃないの?いわゆるこじつけというやつなのでは?
スポンサーリンク


