ヤフーの感想にも色々書いたら誹謗中傷でもないごく普通の感想なのに削除されましたー
あそこはなんなんでしょう??
ここは大丈夫そう。
大抵の感想サイトはドラマの感想以外の雑談を書いただけで削除されるんだよ。そういうシステムなんだよ。
こちらでも、あちらでも、ごく普通の感想なのに・・・とご本人が言っていても、削除に値する問題を含んでいる感想ってよくあることだから、どういう内容か読んでみないことにはなんとも言えないんですよね。
反応しておいてなんですが、某サイトで消されたとか、そういうのも違反のうちですからね。お茶の間だからこのくらいは大目にみてはくれるでしょうけど。
普通の感想だって思ってるのは本人だけで誹謗中傷してるのに誹謗中傷してることに気付いてなかったりするんじゃない?
そうですね。
それこそ価値観の違いで。
実のある議論を、とか言われますがなかなか難しいですね。
誹謗中傷をしたいからここに来るんでしょうに。
他よりも削除がないからここに書くのは無意識にそれを求めてこのサイト来ているんですよ。
しっぱい~が乳がんだのなんだのまでいわれるのは、たんに繰り返し繰り返しぶっ込まれたからじゃないかなぁ。
一回だけの子供の一言なら、下品だ!くらいで終わったと思う。それでも一部の人はしつこく言うかもしれないけど。
でも実際は、どうしてここまで引っ張れるのか不思議なくらいリピートされ、踊りまでつけて、これでもか、これでもかとぶち込んでくる。
ここまでされちゃぁ、なめてんのかNHKふざけんな、となっても仕方ないと思うんだ。
肯定派の人が、子供の言うこと、悪意はない、言葉狩りだ、なんて言ってるけれども、その言葉を考えたのは脚本、言わせたのは大人、何でも言っていいわけじゃない。
私の思っている普通の親は、しっぱい~なんて子供が連呼して叫んでたら叱る。間違っても踊ったり一緒に連呼したりなんてしない。
そこらへん無視しないでほしい。常識ってやつを。
そういえば、あまちゃんにも常識というものは、かけらもなかったですね。
常識的に考えれば、まったくありえない行動や発言ばかりでした。
さかりのついたメスザル、そんなことを娘がいったらはっと叱り飛ばすでしょうね。
でもそこはドラマの世界。
常識を超えた世界観を描いている面がありますからね。
すべてを常識に当てはめて、だからこのドラマは良い悪いは言えない面があると思います。
しっぱいおっぱいを批判することはいいと思う。乳がんのことを本家に書き込むのは違うと思う。ニュースでタレントの乳がんの話題を見て
それをしっぱいおっぱいに結びつけてドラマ否定するって普通に見たらおかしいと思いますよ。誰が書いたかは知らないけど、何回も書き込みがあるから異常だと思い非難したんだと思います。ただ煽りたいから書き込んだんだと思うし、常識外れだから削除されたのでしょう。乳がんのことを本家に書いた人達はもう少しまともな感想を書いてほしいです。
乳ガンのことはドラマとは直接関係ないしね。
607ですが、私も乳がんコメ自体は無理やり感を感じます。
ただしっぱい~に対して肯定的なコメがあったので書きました。
肯定的に捉えた人や微笑ましいと感じた人もそれはそれじゃない?
まれっていうドラマの流れの中で考えて別に気にならないってことだろうし。
ヤダなって感じる人がいるのも理解出来るし、それをおかしいとも思わない。
だから、それが細かいこと気にしてるだけとは自分は言わない。
だけど、しっぱいおっぱいもだけど、他のことも、別にドラマだし気にならない、不快じゃなかった、といってる人がまるで常識はずれ、人の痛みが判らない人みたいに書かれる方がいるのは不愉快だし、遠回しに嫌味だなと感じる。
常識云々というより、単に不愉快に感じる演出が多く、しつこかった。本家で輪島塗に例えて書かれていた方がいたが、わたしもこのドラマは最後の方だけを綺麗に塗ろうとしたいいかげんなものであったというのが最終的な感想です。
自分が嫌いな朝ドラを批判しているときは同じに批判している側で違反を見つけても見逃すんじゃないのかな?
本家て削除されない範囲なら批判はいくらでも書けると思うけど、自分の好きな朝ドラで批判を見ても耐えなければいけないと私は常々思っています。
このまれを批判している人達も同じように自分の好きな作品を否定されることがあっても我慢しないといけないよね。このちゃんねるレビューは何せドラマの賛否を書き込むことが許されているのですからね。
私ごとですけど、違反は違反で別物なので、どちらの立場であっても報告しますよ。
違反ではない、または違反とまでは言えないけっちょんけちょんの批判ドラマ感想は堪えるしかないですけど。(苦笑)
逆に自分もあんまりにも納得がいかなくて、辛辣なこと書いた経験もありますし、賛否ありの感想サイトですからね。
しかし、思えば、いつも批判が天国というばかりでもなかったですよね。
枝葉ばかりに目がいっていて本質を見ようとしない、穿った見方ばかり、と否定というだけで肯定の人たちからドラマの観方について否定し続けられることもありましたけどね。
嫌いな作品にはおもいっきり批判をいれて、好きな作品に批判がはいれば歯を食いしばって耐えるってことが健全なこのサイトの使い方なのではないのでしょうか。
高志の両親どうでもいいし。
なぜ多くの人が高志の両親にこだわるの?
高志の両親については、第1週目のナレーションでおいおいと言っていと思いますよ。
まれが一番批判されてるのは、展開上やりっぱなしのところが随所にある点なんじゃないですかね?
618さん、私もそう思います。
10万回の彼女もその後どうなったのかわからないしね。
こないだの大会に来ていなかったから「辞めた」と解釈。
脇役のことまで逐一入れる必要はないと思うけどね。
みのりの結婚式がないとか、まれ一家の家族だんらんに
一徹の息子が入っていないのはかわいそうとか
私にはそこまで気にするのがよくわからない。
私は知りたい(知りたかった)です。
私もどうでも良かったですね。そんなこと観たくて観てるわけじゃなかったので。
他にも知りたかったことが、たくさんありました。
丁寧に見れば、荒さがしだと。
ゆるくみれば、ながらみでしょと。
一体全体どう見ればよかったのやら。
ながら見しながら粗探ししなきゃいい、とは思います。 625さんがそうしてたって意味じゃないですよ。
626さん
もうそれあらすじ読むだけでいいんじゃないかな…。普通に見たいよ。
627さん
「ながら見で粗探しするのは良く無い」と意図したつもり。つまり普通に見ればいいってこと。
ついでに・・桶作息子のことも気になる。
結果的に息子夫婦のエピはいらなく、子供がいないから津村家を可愛がったという設定の方が余計な批判も出なかったと思うし、その分横浜の修行を丁寧に描けばよかったのにと思った。
高志の両親のことは、無口で影の薄い高志ですが、家族も影が薄いのでまだ登場してません、ってナレで言ってました。追々お知らせします的な言い方ではなかったですよ。最後まで登場しなかったのは余程影が薄かったんでしょうね。
629さん、同感です。桶作夫婦に子どもがいないという設定なら、まだ批判が少なかった気がします。
息子がいるのに他人と家族同然に暮らしているから、なんだか腑に落ちない気になってしまいます。
もう終わったから、いいんですけどね!
子供がいるから他人とは共生できない、さようなら、っていうのはある意味ぞっとする。誰もが誰かの代わりになんてなれない。本家で養子にすれば、という書き込みが以前あったけど、籍の問題でカタがつくのかな。昔の習わしですよね。いまでは聞いたこともない。
圭太が婿に入ったみたいとか気にする人は、ご年配なのかな。だいたいあの結婚式自体が身内のなかでささやかに上げたものだし。
ドラマ自体に登場はしていなけど、桶作夫婦の息子は帰京していますよ。文さんのセリフでありました。シーンを出さないのは息子のくだりはもう終わったから。わたしは文さんのセリフもべつにいらなかったかな。桶作家の息子や、圭太のことも、息子という設定だから気になる人がいるのかな。みのりは女性だから実家で暮らせとは言われないのかな。不思議でした。
独立すべきという声はいちばん多かったけれど、それこそ一昔前は大家族で暮らしていたはず。いまは独立しても親がなんだかんだと世話を焼いてくるし(それこそ寂しくて、もしくは老後の不安の下心があって)独立ってなんだろうと考えます。親がいちばん独立できてない人が多いな、と周りを見ても思う現代です。
桶作家の疑似家族は、血縁のない他人に頼ってお互いに独立できていないとも言えますね。
私がみのりの親なら、娘夫婦は独立して暮らすか自分達と暮らすように進めます。なんで桶作家に住むのだろうと不自然に思いました。ドラマの都合上だなと理解しました。撮影が楽だから。
設定や描き方を少し工夫すればストーリーの大筋を変えなくても、もっと多くの人の共感を得られるヒロイン像を創れたはず。
本家でもここまで批判が増える事もなかったであろうし、仮に批判が多くても「花子とアン」のようにリアルの世界で跳ね返すことができたかもしれない。
お茶の間での肯定派と否定派の無駄な争いもなくならないまでも、ここまで増える事もなかった。
あまちゃん以降の流れで期待値が高かっただけに余計残念。
>桶作家の疑似家族は、血縁のない他人に頼ってお互いに独立できていないとも言えますね。
そうかもしれません。ただ、血縁になぜみなさんがそこまで拘るかわからないのです。あとは戸籍ですか? 本当にわからない。法律に縛られる関係を手に入れたいと望む人が多くいるということでしょうか。先ほども書いたとおり、いまどき親子で完全に精神的にも物理的にも独立している人って、ごくわずかではないでしょうか。親子の縁を絶ちきった、親の顔を見たくもない人でも、憎むことで依存するわけですし。
そうは言ってもまれ一家と桶作夫婦はどうしたって他人です。だからこそうまくいっている面はありますよ。ある一線は引けますから。口出ししすぎないのぞましい距離感が、じつにこのドラマの見所でした。個人的におしつけがましい口やかましい人種が苦手なので、文さんは理想の人物像です。田中裕子さんは見事に演じられました。
変なのは、家族は一緒にいるだけでいい、と言いながら、桶作家の息子のことや、圭太の両親のことは頭からすっぽりと抜け落ちている希の「ダブルスタンダード」かな?
このドラマの変なところは、もちろんそこだけじゃないけどね。
それから、感想サイトへの書き込み数が多いから、「世間の注目を浴びたドラマ」とか「やはり魅力があるんだろう」という解釈には疑問を感じます。
他人に影響を与える方法として、何らかの優れた実績を示すというやり方もできますが、同時に最低な手段も存在します。
例えは悪いですが、「露出狂」なんかはその典型です。露出狂が他人に与える不快な影響力は無視できません。
私がこのドラマに対して感じる不快感は、そちらのほうに近いかもしれません。だから「斬新」だとか「シュール」だとか「時代の先をいっている」とか「わかる人にだけわかる」と言われてもピンと来ないのです。
解釈の自由があるように、解釈に対して疑問をもつ自由もあります。
半年間、ありがとうございました。
べつに疑問をもったり不愉快に感じる人がいてもいいんじゃない?
「まれ」スタッフは強い風当たりに負けずに最後までやりきったと思いますよ。
朝ドラがすべて現実や常識を重視した、一般的世間受けの良い王道路線でなければならない、という決まりはありません。
とくに実在モデルのいない現代物で、舞台も架空の村の、半ばファンタジー的なドラマなのだから、作品制作の自由度は高いはず。
演出などいろいろ変わったことをやってみたのはよいと思います。
このドラマを受け付けなかった方々には申し訳ないけれど
私を始め、十分楽しめた人も少なからずいたわけですから
それでいいんじゃないの?
現に視聴率だって19%くらいあるわけでしょう。
ながら見視聴、時計代わりはどの朝ドラも同じだし
私の周辺には普通に楽しんでいる人も多かったですよ。
必ずしもネット=世間全般の声ではないと思います。
もちろん演出・脚本など全面成功とは言えなくても
とりあえず新しい試みに取り組んだ姿勢は評価したいです。
>桶作家の息子のことや、圭太の両親のこと
家族は一緒にいるだけでいいというのは、まれの発言ですから。
桶作家の息子とは家族であるはずがないし、
あの、嫁の立場からすると、夫の実家はぶっちゃけ他人かなと(ごほごほ…)
そこまでまれがはっきり意識していったのではないのでしょうが。
あくまで失踪した父親への言葉ですよ。
これを文さんが言ったらおかしいですけど。
立場によって違うんじゃないかな~。
最終回を観て改めて思ったんですけど、わたしもまれはシュールだと感じた。小さいまれはなんだかロボットのようで、ちょっと不気味。不思議の国のアリスやオズの魔法使いに出てくるキャラクターのように見えるんですよね。まれ家族もみんなそう。
ちょっとずつずれているのね。このずれよう、気持ち悪さがわたしはすごく好き。藍子はやっぱり最後までひとりの女だった。徹の女であり続けた。すごいことだと思う。
嫌悪感にまみれる人の気持ちは想像ができます。
横浜のまれの下宿部屋も大好きです。
真っ赤な色がサイケデリックで、まれがじたばたするもんだから相乗効果で渦になって目が回りそう。横浜の登場人物も濃厚ですしね。
こういうのは完全に好みになりますよ。
だから反発も大きい。
感想サイトへの書き込み数が多いのは良かれあしかれ無視できないドラマだったでしょう。だからといって「世間の注目を浴びたドラマ」とまでは言えないかな。このサイトは一握りの人しかいないわけですし。魅力があるかどうかはそれこそ感想の範疇。だから疑問を持っていいと思いますよ。
まれは子供が産まれてから、徹が自分たちを捨てて家を出て行ったことが許せないようになったと
言っていましたが、
実の息子ではなく、他人と暮らす桶作夫妻のことは、自分たち津村一家には都合がいいから、
まったく疑問には思っていないんですよね。
将来、匠も歩実も結婚してまったく実家に寄り付かなくなった時、まれや圭太は流れ着いて来た
他人一家と楽しく暮らすことが出来るのかな。
そんな想像は出来るかな…。
文さんたちだって、まれが匠や歩実を可愛いと思って育てているように、哲也のことを可愛がって
育てたんだろうと思うんですよね。
その哲也の姿はあのさよなら桜餅のお話以来、
一度もない。本当にさよなら、だった。
でも悲しいので、もう考えないことにします。
やっと終わりました…。
640さんのご意見、なんとなくわかります。
疑似家族があんなに大家族になって本当の家族のように仲良く暮らしていたら、息子さんは寄りつきにくいでしょうね、、。お嫁さんは折り合いが悪かったみたいだからいいけど、息子とは仲が悪いわけではなさそうだったから、文さん達が、息子のことはほとんど頭にないみたいな様子なのが悲しく感じます。
まあ、終わったから、いいか…。
家族でも他人でもずっと仲良く暮らすのは難しいと思う。
実の子が老後を見てくれると思っていた私の母親と,そうじゃなくなってきたと思う私とは感覚がずいぶん違う。血がつながった親子でも考え方が大きく違うのである。
桶作夫婦を見て老後の生き方を考えさせられた。そして若年層の移住家族が増えてる町などがテレビに出ると興味を持つようになった。
どうして寄り付きにくいとか思うのかわかりません。それって、ご自分がそう思われてるだけでしょう?
息子さんの今の気持ちなんて描写されてないし
津村家に戻ってあげて欲しいと言われたのは、息子さんですよ。今の大家族で暮らす楽しそうな文さん達を安心して、喜んでいるかもしれない。
私なら年老いた両親二人きりで暮らしているよりずっと安心出来ますし、津村家に感謝するかも。
田舎から都会にでてずっと帰ってこない人もいるよ。桶作の息子はひとりっ子だから、もし津村家が存在しなかったら能登で一緒に暮すか都会に両親を読んで暮すかなんだけど能登では仕事がないし、元治さんは都会には行きたくなさそうだよね。放送でも文さんは希や一徹は本当の孫じゃないと言っているから物事の分別はわかっていると思うんだけど、元治さんはそういうのがあやふやになっていると思う。
問題は桶作の息子の哲也なんじゃないの?彼が能登で暮らしたいと思えば希達がいようが文さん元治さんは何とかするし、希達もでていくでしょう。哲也自身がどうしたいかをはっきりされば済む問題で希達津村一家がどうこうじゃないと思う。哲也が本当の息子で主導権を握っていることに変わりはないんだからね。桶作が好意で他人を住まわせることには問題ないと思います。
元治さんだけど、津村一家が一度出て行った時の寂しそうな様子や、希が子供や夫と一緒に桶作家に住むことになった時の嬉しそうな表情は印象に残っている。
息子が東京に行って滅多に帰って来ない、民宿も辞めちゃって人との関わりも減ってしまった。
元治さんは、きっと凄く寂しい思いをしていたんだなと思った。
だから、希たちの同居はとても嬉しい出来事なんだと思う。希や徹が横浜に行ったら、代わりにみのりが入って来たのも喜んだはず。
自分はそう考えていたので、寄生とか乗っ取りとか全然思わなかったです。
桶作の家に津村家が仲良く暮らす設定なのだからそれ自体は問題ないと思います。地方の高齢化と移住を脚本家はテーマの一つに入れたんでしょうから,それなりに見ていました。息子さんの生き方があまり出てこないということは,都会で暮らしてたまに帰ってくるよくあるパターンなのでしょう。
えっと、唯一元治さんを不憫だなと思うのは、塩作りを引退して世界の祭りを観て廻る夢が実現できていないこと。
一徹という弟子が出来て彼を教育というか鍛えるのも楽しいとは思うけど…。
でも、人の幸せはそれぞれだから、他人がとやかく言うことはないかもね。
塩田を潰してカフェというのは不可能にしても、塩カフェってなかなかいいアイデアだと思ったけどな。
息子一家はとりあえず故郷を頼って家族で帰ろうと決意した。東京暮らしの嫁孫が田舎暮らしにすぐに馴染めるかどうかはわからないが、家族で自分たちを頼って帰って来たなら私ならできる限りで力を尽くしてあげたいと思うが。あの文さんクイズで息子夫婦をバッサリと切った時点で、息子はともかくも嫁は二度と桶作夫婦に心許すことはないだろうなと思った。他人だろうが何だろうが楽しく暮らしたいなら共生も別にいいんじゃない?確かに親の勝手かも。
津村家を寄生だという人達はある意味、この脚本家の術中にひっかかったんじゃないの?だって他人の津村一家が擬似家族に見えるから息子がどうこうと言っているのでしょうからね。脚本家は最初から擬似家族を描いたんだから、視聴者が擬似家族に見えないといったらまずいでしょう。
他人との共生(疑似家族)がテーマだとしたら、楽しいことだけじゃなく、いずれは文さんや元治さんが年老いて、介護生活になった時の問題も避けて通れないと思う。他人だけど長年世話になった分、藍子やみのりを中心に介護してあげるんだろうか?
スポンサーリンク


