私にとっての「ツボ」は、まったくなかったなあ。
自分は、知(知性)・情(情緒)・意(意志の力)、この3拍子がそろったドラマが、「ツボにはまる」し、「良作」と感じるんだなあと、今回の視聴で気づきました(それに気づかせてくれたのは、少なくともこのドラマの功績 笑)
私が特異なんだろうかと思って皆さんのレビューを読んでいても、(上のようには言わないまでも)やはり同じように考えている方が多かったので、意を得ましたね。
私のツボは伝助さんだけでしたね。
あとは全体的に雑すぎる。
描写がなさすぎる。
最近でいえば美里ちゃんのカミングアウト
あれだけでおしまいって・・
赤毛のアンは最後にサラッと、いや大々的なのかもしれないけど、この程度で良かったです。始まった頃はギルバートだのコーデリアだの訳わからんなまえが出てきて、このサイトで置いてけぼりをくらった思いでしたが、アンに思い入れがなくても普通に視聴できるドラマでした。
白蓮事件が以外に面白かったので、白蓮さんのうたを知りたくなりました。ドラマのツボは蓮さま、伝さまですね。
蓮子の顔に惚れた伝ちゃんがかわいかった。
そう言えば予告編でかおる子様が出てましたね!
BB校長先生の跡継ぎかしら?
603です
アンに思い入れがないなんて書きましたが、赤毛のアンのブームが再来してるようで、アンの読書会などがあちこちで開かれてるようですね。
いいことだと思います。
『アンが愛した聖書のことば』という本に興味を持ちました。ドラマにもいくつか使われてるらしく、そのことばをネットで少し読んでみました。ブラックバーン校長のことばも聖書からきてるのですね。新発見がありました。
あれっ、腹心の友の皆さん大丈夫?
昨夜からもう24時間も書き込み無いですよ〜!
もうほとんど終わりなので、雑談・小話も出つくして、こっちは過疎っちゃったかな。
本家の方は、ドラマの総括で、まだまだ勢いがありますが。
白鳥さんの素性が花と同じ出身地とでたときから、このドラマは
コメディーだと思っていました。笑いや涙ありでとても不思議な世界観を体験できてよかったです。
もう後はアンが本になって、蓮子と元の腹心の友になり
お決まりの全員出席パーティーでしょ?
アホらしいから感想もないw
こんなに迷走して パルピった朝ドラは ある意味歴史に残るかも
マッサンまだかな〜
アンが出版されて日本中に感動を与えるところが見どころなんです。
今週はウルウルしてます。
茂木さんて方がスタパに出るらしいけど、どんな人かな?
脳科学者で有名人ですよ
演技が出来るとは知りませんでした
茂木さんねぇ・・・アンに造詣の深い方らしいけど、こういう形での出演はあまり好きじゃないかな。まあ、お友達の林真理子先生よりはよかったけど。
ともあれ、アンの出版にどうやったこぎつけるか注目したいですね。
はっきりいってこのドラマはわくわくドキドキさせる要素が少ない気がする。
やはりいいドラマというのは最後まで視聴者を釘づけにするほどの力を持っている。
花アンの場合は淡々とドラマが進行しているだけで面白くもなんともない。だから感想を書く気にもなれないし意欲も湧かない。
一番ドキドキわくわくし、楽しみにしていたのは
伝助のあの有名な男気あるセリフを言うシーンですね。
最初は赤毛のアンが好きで見ていたんですけど
伝助に惚れました。
今は習慣で見ている感じですかね。
後、
武 大人になったじゃんねえ。
馬鹿にされ見下される立ち位置のままで
終わらないのはよかったかな。
珍しく武は好きなキャラクターだったなあ。
何でも武役の俳優さんは新人さんとのことでしたが、あの通るイイ声といい、若いのに老け役もちゃんとこなしたり、憎めない感じでこの俳優さんは今後、楽しみです。
ところで、年表のように進む急ピッチなつめこみ展開に今さらながら思う、なんでこのエピソードで時間をとっちゃったかな、ってつくづく感じてしまう私が思うベスト3ですが3位は村岡さんと花子さんの3週間近く続いた頃の不倫だと知らなかった・辞書を粗末にする、嵐の最中にドア開く・貸さなかった傘云々のくだり、
2位は花子と金持ちとの見合い、1位は嘘つきサダ登場の何だったんだあれは?ですね。
皆さんもそれぞれに色んな思いがあればスッキリさせてみませう~
嘘つきサダ、いましたね~忘れてました(笑)
一体あのエビはなんだったんでしょう。
ほんといらない…。
時間の無駄遣いですよね。
おかげでここんとこのバタバタときたらもう。
今日の最後の、かよが孤児たちと絡むらしいというもって行き方も、やれやれです。
かよ自体がオリジナルのキャラなんですよね。
ラストに向けて適当にまとめようとしてるくせに、急遽感動的な話に持っていこうなんて、ここにきてあざといなと思いました。
とってつけた感半端ない。
武まで巻き込んだ醍醐さんと兄やんのをくっつける
周囲の三文芝居
あれもいらなかったと思います。
歩ちゃんのことで感動的な週だったのに
土曜日で台無しになりました。
後、美里ちゃんへのカミングアウト
その後がないので、する必要があったのか疑問です。
後はアンの小ネタシリーズですね
石板も屋根から落ちるのも
葡萄酒よっぱらい事件。
そういえば美里ちゃんへのフォローがありませんでしたね。
花子が『赤毛のアン』を児童文学と呼ぶのなら
美里が読んで楽しいという言葉に元気づけられるというシーンがあってもいいのにな。
美里はアンと同じく貰われっ子。過程は違うけれど、感じたものがあったはずです。それを花子に訴える場面があったらなあ。
スコット先生との約束もわかるけれど、児童書なんだから美里ちゃんを絡めて本の出版に奔走する花子だと親子の絆も見えましたね。
それにしてもかよの事を、ここにきて出すとは思いませんでした。
かよが幸せになるならまあいいですけど(笑)
尺、大丈夫なのかしら~(汗)
ホント美里ちゃんのこと、中途半端ですね。
あと、アンのファンじゃなくても、あの長い題名がどうして赤毛のアンになったかくらいは、やってほしいです。
まさか、茂木さんがアイデアだすのかな??
うん、「子供たちに夢を」とか、「子供たち」「子供たち」言っているけれど、肝心の美里へフォローがない、美里の心情描写もない、いやそれどころか、そもそも養子にした事情もよくわからなかった。
小学校の子供たちも、近所の子供たちも、「ステレオタイプ的」以下の描写で、話の都合上こういう言動をさせられてるのね、という感じでしかなかったし。
子供のこと、子供との関係を描かないのならば、甲府教師編なんかはまるごと要らなかったと思う。
子供がちゃんと生きている人間っぽく描写されていたのは、はな、朝市、兄やんなど主要人物の子供時代と、歩、タエくらいかな。
あとはかよの孤児との関わりがどういうふうに描かれるのか…
でもかよって家も失って、闇市での商売しかしていないから無職のようなものだし、結婚もしていないしで、孤児にかまっていられる余裕なんてあるんだろうか。
それにしても、
友達として本当に思いやりがあるのは
醍醐 > 蓮子
その職業への取り組みの描写の濃さでは
ラジオ > 翻訳
より見せ場が多く活躍しているのは
朝市 > 英治
というふうに、本来あるべきバランスと違っちゃっていたのが何とも不思議。
花子は脚本や童話を書いてましたから、当然文学の勉強をしていたのだと思って見てました。もう少し丁寧な描写があると良かったですね。
今のようにテレビもゲームもスマホもなかった時代に、村岡さんの放送や本から夢が広がった子どもたちが大勢いたのでしょう。
ドラマのような描き方は好きになれました。
私も学校の図書室から毎日のように本を借りてむさぼり読んだ少女時代がありました。そんなトキメキを思い出させてくれるドラマでした。
私はちび花が修和女学院に入って受けたであろうカルチャーショックを、大袈裟なくらいもっと描いて欲しかったかなぁ。
超お嬢様だけでなく外国人教師もいて、彼女たちの全てが貧農の出であるはなには宇宙人みたいに思えても不思議じゃなかった(と妄想)
当時の出会いや見聞きしたもの全てを吸収し、知識を増やし感性を養い・・・それが翻訳にとても役立ったはずなのに、ドラマではそう言った事があまり描けていません。
ただ英語さえ出来れば、辞書さえあれば翻訳なんてOK!というドラマになってしまったのが残念です。
せっかく吉太郎が甲府に戻ってきて、お嫁さんもできたのに、「おかあ、東京においで」という花子にはびっくりしたよ。
長男の立場は…。長男の嫁の立場は…。
というか、それ吉太郎夫婦と相談した上でなの?
そもそも今まで年老いた両親を気にする様子もなかったし、子供任せたり食料もらったりと頼っていたのに、急に長女ぶっちゃって。
義姉となった亜矢子さんに花子が声をかけるとかのシーンも無し。
「見せないだけで画面の外ではあったのだ」ということかもしれないけど、あんまりだ…
今更だけど、朝市の兄たちはほんとにどうしているんだろう。
朝市は結婚後もリンと暮らしているようにしか見えないけど、兄たちはどこかの婿になったのかな。
それとも安東家のことがよほど嫌いで、顔を出さないのだろうか。
スタッフの誰もがその存在を忘れてしまっただけなのだろうか。
朝市は奥さんが年下なら子供ができてもおかしくなかったと思うけど、授からなかったのかなあ。
独身・子供が望めないほど晩婚・子供が亡くなった夫婦が多いから、架空の人物朝市にはそういう嬉しい話もあってほしかった。
蓮子、悲しいのは当然だけど、いつまで母親の仕事放棄するの?富士子だって兄を亡くしたんだよ!
もう精神病でどうしようもないんだろうか。
それにしても、椿の散り方がおかしいよ。
等々、こまごまツッコミと感想でした。
624さん、私も花子がおかあに「東京で一緒に暮らさない?畑仕事は兄やんたちに任せて…」って言い出したのにはびっくり。
あんな義妹嫌すぎる~
兄やんたち、って、兄やんとあの醍醐さんでしょ?
いくらなんでもひどすぎるよ。
醍醐さんは兄やんを愛してるから、東京の生活で兄やんなし、より、甲府のボロ屋で兄やんと暮らすほうを選んだけど、東京で兄やんと暮らすのがいちばんいいに決まっている。
醍醐さんにも東京にご両親がいるんだよ?
だいたい花子、介護をなめてるよね。
仕事と家事の両立もできてなさそうなのに(家事はもも任せ)、介護もももに?
花子をよく見せようとすればするほど、ツッコミどころが増えていく感じ。
ねえ、なんで介護の話題がでるの?なんかおかしすぎるよ。
625さん。家事もやらないで介護まで妹に押し付けるなんて、まんま今日のあさイチのきょうだいトラブルの内容じゃないですか…。
誰にも相談なしに思い付きで発言するのは
花子のオハコだからw
それにしても いつから母は介護が必要になったの?
あれで認知なのかな
まあ富士の年齢を考えると、引き取るというのは介護を余儀なくされますよね。忙しい花子の事を考えると、やはりももが最終的に面倒を看るんだろうなあとは思います。花子はたぶん気がついてないだろうけれど。
醍醐さんと花のやりとりはワンシーンでもいいから観たかったな。
醍醐さんはあにやんを探していたと言ってたけど、花子が場所を教えたのよね? そのシーンは出せなかったのだろうか……。あにやんと結ばれたのは嬉しいんだけど、醍醐さんと花子が義姉妹になった雰囲気も伝わらないし。
かよの孤児引き取り話をいまからやるくらいなら、醍醐さんと花子とのシーンを入れて欲しかった。っていうか、あと5話で孤児の話とアンの出版と蓮子との関係修復をやるんですね。
予想を裏切らないインスタントさが待っている気がしてしまうのが悲しい。孤児の話はやっぱりいらないよ。
アンに搦めての孤児話なのかな。孤児の希望になる話? 必然性がわからない。アンについては美里の助言で充分足りるのに。
マリラの話を絡めてきたから、やっぱり孤児を引き取るのはアン繋がりで安置。
醍醐さんは甲府に追いやってハッピーエンドのつもりか?
葬儀で会ってるのに花子と醍醐さんの会話もやり取りもなんも無し。あ〜寒い。
尺が足りないのに詰め込みすぎて支離滅裂、
これだから脚本家はじめ制作陣に文句も言いたくなります。
今日の花子と蓮子さんの和解シーンはよかった。
お互いに気持ちをさらけ出しあっての心の通じあいは、見てるものにも説得力がある。
かよの孤児を引き取るエピソードも私はあってよかったと思う。これまでさんざん苦労したかよがこれからどうして生きていくのか、興味を持って見ていた人は多いと思うから。べつにアンネタと絡めてくれなくてもよかったけどね。
かよが、闇市でやっと生活してるのはわかったけど。村岡家と、ももの所は、どうやって生活してるのだろう。印刷所復活したの?まさか、花子のラジオ?
アンネタや宗教観が垣間見れて、かよの話しは良いとおもいます。
時が来たというのは、聖書かなんかの言葉でしょうか?
赤毛のアンは深い小説なのだと感じてきました。
戦後の村岡家は花子の印税やラジオの仕事などで食べていたように見えます。
「時が来た」ってかよが言ってたんですっけ?
マリラは独身で子育てをしてなかったから、
アンを引き取る意味合いで役回りが来たと言っていたはずですが。
宗教は関係ないと思います。
『赤毛のアン』はそもそもあまり宗教は関係ないような。
お祈りのシーンや宗派が出てくるくらい。
他の宗派の愚痴が出てくるくらい(笑)
日常をユーモラスに描いている話なので、宗教にふれてもそれくらい。
村岡さんの宗派とグリーンゲイブルズ一家の宗派は違ったけれど、
そういう意味では割り切るのは楽だったかも知れませんね。
BB校長の最上のもには未来にあるとか、曲がり角の先になどという言葉はアンからの引用らしいですが、元はと言えば聖書の言葉だってネットからの情報を読みました。
楽しめるけど、奥が深い小説なんだろうなと思います。
>『赤毛のアン』はそもそもあまり宗教は関係ないような。
関係ありますよ。
赤毛のアンは宗教は日常生活の一部です。
以前も書いたのだけど
プロテスタント・メソジストの村岡花子が
メソジストに偏見を持つ人が出てくる
アンシリーズを読んでどう感じたか
知りたかったなあ。
>『赤毛のアン』はそもそもあまり宗教は関係ないような。
これを書いた者ですが、お祈りもしていると書きましたが。
宗教物ではないと言いたかったんですけど、言葉足らずだったらすみません。
アンの中であちらの宗派がどうの、というのは偏見というか『愚痴』くらいに捉えていました。北米は日常の中に宗教が根付いていますから、いうまでもなくみなお祈りもするし教会にも行きますよね。
>メソジストに偏見を持つ人が出てくるアンシリーズ
カソリックの方なのかな。重複するけど井戸端会議的な愚痴だと子供時分ですけど捉えていました。キリスト教にもいろいろあって、余所のとこの悪口というか、日本で言うならあのお宅はどうのこうのという程度の流れだし(メソジストのなにそれが悪いとかは出ない)、それに対して誰かがなにかの運動をするわけでもないし(ありましたっけ。あったらすみません)。向こうでは当たり前な光景なんじゃないんですかね。
日本は無宗教の人が大多数ですよね、北米とはありようがまったく違うと思いますが。
あとこれは余計なお世話かも知れませんが『ペテロの葬列』でキリスト信者の方がいろいろ持論を唱えてらして、作品として世に出すのはやっかいなのだなと感じました。脚本家さんの力量を考えても宗教がらみは避けて良かったのかもしれませんね。
宗教が強くドラマででなくてよかったです。派閥の違う流派をどうこう言う姿なんて見たくもないです。
このドラマが気に入らない方々は史実の村岡花子の伝記と赤毛のアンでも見て楽しめばいいんじゃないの。
養女のカミングアウトとかまだ言うかね。花子が美里に本当は物心がついてから言おうと思っていたけど戦争でいつ死ぬか分からないから真実をと言っているんだけどな。
花子や英治にもも夫妻そして美里自身も死ぬ可能性が高いから、本当の親を知らないで死んでほしくないという切なる気持ちがこめられているのにね。ほんとやれやれだよ。
家族の問題は騒ぐだけ騒いで、しばらくすると
何事もなかったようにみんな仲良し仲良しのドラマだからね。
それが穏やかで暖かい上品なドラマだったと言われるのでしょうが。
花子の功績がどうとかより、家族の問題をしっかりもっと見たかったって人もいるというだけですから、ヤレヤレだなんて言わなくてもいいと思うよ。
それを言うタイミングでしょう。
どんな親でも、これを子どもに「いま」言っていいかどうか、「いま」言うべきかということに神経を使う。
普通の親なら、あそこであんなこと言わないよね、人間の自然な生理の流れに反してるよね、と自然に気づいて、自然に口にして(ここに書いて)いるだけでしょ。
それにしても、ここでも本家でも、最後の最後まで、人の感想に口を出す人がいたんですね。
それまで本当の親と思い込んでいた相手から、突然あなたは養女だったのよと言われ、動揺しない人間がいるでしょうか。そういう人の心の機微を、このドラマはきちんと描かないんですよね。そもそも美里を養女にした経緯だって、全然説得力あるように描かれていない。次々と目新しいエピを放り込むだけで、それをきちんと収拾しない。何もこれに始まったことじゃなくて、それこそ数えるときりがないほどです。そういう、ドラマにとって一番根幹の部分をきちんと描かない作品は、残念ながら間違っても良作とは言えないでしょうね。
>宗教が強くドラマででなくてよかったです。派閥の違う流派をどうこう言う姿なんて見たくもないです。
赤毛のアンは世界中に愛読者がいる。その中にはメソジストの方もおられるだろう
その方たちはどう感じたんだろう
それは私がアンシリーズを読んでいたときの疑問というだけですので、原案のアンのゆりかごも関係ないです。
またアンシリーズは宗教本ではないけれど、赤毛のアンは、教会に行きお祈りをするだけではありません。
生活や考え方すべてに、宗教が溶け込んでいますよ。
養女の件は、カミングアウトして
美里は部屋を飛び出した。
それっきりで終わっているから批判が出るんだと思います。
日本は宗教が生活に根ざしてないから
宗教と聞いてもイメージが湧かないのだと思いますが
外国は毎週日曜に教会に行ったり、食前に祈りを捧げたり
日々の生活への感謝に神の存在は欠かせない。
アンも怒られた後に、神様に許しを乞うていましたね。
花子は甲府では、教会の部屋を使わせて貰って
女学生時代は完璧にキリスト教系列の学校
村岡印刷は本来は、聖書の印刷をしていた。
それらを全てを抜いてしまって『ご機嫌よう』だけ
何と無く上品な西洋風で浸透させたプロデューサーや
脚本家は本当に視聴率の事しか考えてなかったのでしょうね。
そこまで深く掘り下げなくても 精神世界として子どもに語るとか
それぐらいは出来たでしょうにね どこまでも残念ドラマです。
キリスト教の精神を入れたらかえって敬遠されるのかもしれませんね。
実際ミッションスクール出身の人たちを嫌う風潮が一部であったりしますから難しいところだと思います。
私はドラマが始まってから赤毛のアンをざっと読み、このサイトからアン情報をもらって読み直して味わいを深めています。
美里さんの幼女の件はその後親子の関係が悪くならなかったので良かったと思ってました。今日の放送で歩文庫が出てきて、美里が館長になるくらいでしたから、自分の身の上を受け止められる年齢になったのだと察しました。花子を支える娘になっていくのでしょうか?でも時間がありませんね。友情と家族と仕事プラス恋愛が詰まっていて、カットされたところもたくさんあったのでしょう。
個人的にはやんちゃな歩くんのシーンが好きでした。落書き論争も懐かしく思えます。
吉高花子の生涯はサラッとではありましたが、エグミがなく楽しい半年でした。
ちょっと気になったので・・私はクリスチャンですし、またお祈りも大切なものと思っています。
娘ももちろんカトリックの学校に通っております。
しかしながら、日常すべて祈りなんて・・・ことはないですから。
こんなことを言ってはなんですが、神を信じながらも教会で喧嘩なんてこともしばしば見ています。苦笑
それでも神は許して下さる、そのことを気付けるかどうか・・そんなことのくりかえしです。
人間はおろかなものそういう存在でしかないとつくづく思います。
まして、朝ドラに宗教信者のあるべき姿を問うことなのかなとはなはだ疑問。
しょせん朝ドラです。
>646 に
いいね!1000あげたいよ。
朝市のスピンオフも楽しみですが、前に醍醐さんのことをもっと見たいという方のコメントを読んで、なるほど私も見たい!と思いました。
それで、見てみたいキャラがたくさんあったので箇条書きに書かせてもらうと
○醍醐さんと吉太郎のぶどう作り
→果たしてこの2人に農業は継げるのか?!おとうもいなくなってしまって優しいおかあだけになったので、1度は村から出て行こうとした醍醐さんの前に突如おじいの幽霊が現れ、手取り足取り農家の基本を教えたり等々の奮闘記)
○消えた茂木先生
→実は、あのあと英語能力を独学で習得した茂木先生。ブラックバーン先生の後釜の学長として、教鞭をふるって・・いたりして?
○徳丸武の109回目のプロポーズ
→地主なのにいまだに結婚できてない武の見合いの日々。108回振られ続けて、あきらめかけた見合い109回目に花子そっくりの美女が現れる。
○サダの正体
→サダとは何者だったのか?実はサダは女忍者の末裔だった?だから来る時も去る時も風のように現れ去っていく、見知らぬ田舎で寝泊りするのも簡単なことだった。
実はサダの旦那は吉平に瓜二つ。吉平演じる伊原さんがサダの夫をワイルドに演じる。
○まんじゅう売りはどこに行った?
→只のまんじゅう売りの行商をしていた気のいい村松さんは、おとうに感化されしなくてもいい思想運動した挙句、追われてもないのに逃げ回っていたのが気の毒だった。まんじゅう売りさんにも幸せな場面があるといいな、と。
○スコット先生の帰郷
なんとすこっと先生は65歳過ぎて昔の恋人と再会し、ここでもパルピが巻き起こり運命の相手と結婚していた。かも。
(ここで、絢香さんの♪これからはじまるあなたの物語~が流れたら絶対、泣きそう・・
○そして最後は伝助さんですかね・・
晩年の伝助さんの恋人役は松たか子さんか松雪泰子さんあたりを希望。存在感・演技力が並外れた吉田さんの相手役はこの2人がいいなぁ、と。
これらを10分ぐらいのオムニバズム形式のスピンオフとかしたら、見てみたいなあ。
とまあ、好き放題書いてしまいましたが、雑談なのでお許しくださいね。すいませんすいません~。
でもこのドラマのキャラで魅力的な人が多くてその後が気になったからなのだとしたら、すごく素敵なことだと思うんですよ~。
>>649さん
朝市のスピンオフ楽しみですよね!
でも朝市だけの話に留まらないようです。
あなたの希望があったりするかも、ですよ~
(ネタバレなんで伏せますけど♪)
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