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(月〜金)昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而と、歌手としても活躍したその妻・古関金子をモデルに、昭和という激動の時代の中で人々の心に寄り添う数々の曲を生み出した作曲家とその妻の波乱万丈の生涯の物語。
あの時代本当のこと書いたら、
そく逮捕の時代よ
本当に辛く悲しい時代ですね。
でも皆んな其々の思いを抱えながら懸命に生きていると感じます。一日も早く戦争が終わりますように。
禍福は糾える縄の如し。
裕一の短調の曲が青年たちの心を捉え、無事に期待に応えられた描写がありましたが、一転、鉄男が立ち寄る場面では、日本は負け続けていると告げます。
「優しさは命取り」とは、なにやら暗い影が忍び寄ることを暗示しているようで、落ち着きません。
何か悲劇の種がここで撒かれてしまったようにも思えて、この後、裕一がどうなるのかとても気になります。
子供の頃曲がったことが嫌いだった鉄男は戦争を煽る新聞記者に再就職。
筋を通す鉄男には、真っ先かけて突進する忠君愛国の兵士になるか、地下に潜って反戦モグラになるかしてほしかった。ドラマの時代説明キャラは似合わない。子役の熱演がもったいない。
古関さんと予科練に同行した歌手、波平暁男さんは沖縄の出身で、若鷲の歌のヒット、予科練応募者増大、沖縄戦特攻などから、悩んだ戦後に軍歌拒否、しかし音楽は好き、という裕一と似た境遇だったようです。
鉄男のお父さん役の方が今日の「相棒」に出てました。
いつになったら面白くなるんだよ。
全く脚本がつまらないんだよ。
完全な朝ドラ詐欺だな。
最高に面白くなりましたね。
戦時下の描き方は今の時代では難しいと思いますが、どちらにも片寄らず戦争に振り回される主人公を上手に描いています。
ストーリーを脳内補完する必要も無く、全体的には軽い感じで、それでもしっかりと出来ているのも好感です。
いよいよ、自由な暮らしが困難な時代に突入。
主人公達がどのように考えて、行動していくか、主人公を極端なヒーローに描かない今作ならこの時代の日本人の心の変化を上手に表現出来ることと思います。
楽しみですね。
一曲目を聞かされないで二曲目がいいと言われても視聴していて困りました。
しょうもないとこで手を抜くなよ。
真面目に仕事をして下さい。
一話が充実してますね。15分とは思えない。
メリハリが効いていて、心揺さぶられる内容でした。
特に、洗濯が辛いと答えた青年は忘れがたいです。
他にもいくらでも厳しい過酷な訓練も、精神的な緊張もあるでしょう。
でも、母のことを思って、それまでの慈しみに想いを馳せるからこそ、洗濯が辛いのだろうと思いました。
何でもいいのですが、予科練の練習生は、初めて聴く「 若鷲の歌 」という曲をいつから歌えるようになったのでしょうか!? そして、鉄男くんには、何故、召集令状がこないのでしょうか!? ちょっと都合がよすぎますよね!!
これだけ頑張って、人もお金もかけたのに、まれやわろてんかみたいに、流れ見だけの作品になりました。けれどもまだ、スカーレットがいます。
鉄男より、五郎を召集してほしい。もう芸人枠の意味のないキャストは出さないでほしい。
毎回毎回、見せ場があるって凄いこと。
セットも各々の演技力も素晴らしく、朝ドラクオリティーを越えていると思います。
たまにこういう作品があるから、朝ドラやめられないんですよね。
ボツになっとるほうを公開したりすりゃあせまあ。
そねーなこたーおえりゃあせんわあ。
すごいことになってきた。こんな朝ドラ見たことない。どこまでやるんだろう。怖い、けど見る。
浜名中佐の熱き心は田中応援団長と共通するものがありグッときました。
曲の決定をめぐっては指導員たちと練習生たちが反目したみたいですが、
まさにハンモッグの関係ですね。
さくらの言う通り、都合が良すぎる。みんなも、さくらに、いいねを押してくれ。
自画自賛とかやめたら。
そもそも前に誰かが書いた意見だから、とても「いいね」は押せない。
都合がいいドラマは他にもっとあります。
前作、前前作は主人公のためのドラマでした。
今作は、ただ音楽が人より少し得意で努力しただけの主人公。
社会を変えるとか出来なくで、自分の出来ることを一生懸命頑張っているだけ。
だから、物語が広がります。
その事で朝ドラと言う僅か15分のドラマの中で、主人公の成長物語だけでなく、戦前、戦中、戦後の日本人の心の在り方の変化も音楽を通して見せて貰えるかもしれません。
美しくて華やかな映像、素敵なセリフ。しっかりした演技。
息切れも無く、ここまで来ました。
今までの放送を見ていると、私には、傑作の予感しかありません。
歌の力は人を励まし奮い立たせ良い方に向かえば良いが、悪い方に向かえば悲劇をもたらす。裕一が作曲した予科練を描いた映画の主題歌若鷲の歌は2曲作られ最初の曲よりも練習生の心情に寄せた哀愁のある2曲目が選ばれました。若鷲の歌は大ヒットして国民に支持され、それが裕一の悲劇の始まりでつらい展開になるようですが、これから戦争で体験したことが戦後平和を願う音楽を作る切っ掛けになる大事な話になっていくので心して見ていきたい。
そもそも戦争に加担している裕一の行動は許せないのです。
史上最低最悪な朝ドラの主役だよ。
YouTubeで、西郷輝彦さんの歌声の若鷹の歌(予科練の歌)を何度も繰り返し聴いてるうちに、涙があふれてきた。
お国の為、現代に生きる私達の想像を絶するであろう決死の覚悟で戦地に向かい、そして散った当時の若者達。
彼等は「戦後」を知らない。
もし彼等が総じて終戦後も生き延びていたら、それこそ三者三様、様々な可能性に満ち溢れた人生があったんだろうなって思いながら聴いていた。
いやもう、たまんないよ。
史上最低最悪?な朝ドラの主役が作った沢山の曲がこんなにも愛されて、歌い継がれてきているんですけどね。不思議ですね。
私はとても素晴らしい主役だと思いますけど。
そもそも日本にいて、逮捕されてない日本人で、戦争に荷担してなかった人はいたのか? いたとしてもそれは何人、何割?
海軍は、てんで負けていたのに、あんな映画を見て国のために命を捧げようなんて少年達は洗脳されていたんだよ。悲しい時代の悲しい曲、こんなドラマを見て感動したらいけないでしょ、令和の日本人。
過去にあったことを知るのは大切なこと。
洗脳したことに対して、感動するわけじゃありません。
戦争批判とドラマ批判を一緒にするのは違うと思います。
洗脳されて、その時代の人は不幸。と100年後の人々は、我々のことを言ってるでしょうな。我々は全く気づいてなく、懸命に生きていても。
青春と戦争が重なった人たちは本当に切なかったでしょう。
愛する人と引き裂かれた人たち。
戦場から帰ってきても誓いあった彼女は別の人と結ばれていたとか、残酷なことに戦死したことになっていて妻は弟と再婚していたとかそんな話は特別ではなかったとか。
これから社会に出て貢献するはずの男子や働き盛りの男たちが、「生きて帰るな」と言われた日本の戦争観は根本から間違っている。
洗脳されていたのか?
裕一は、予科練の生徒は、中佐は。
智彦は、吟は、国防婦人会の女性たちは、挺身音楽隊の女性は。洗脳されていたのだろうか。
そんな簡単な話ではないと思う。
だから、悲劇なのだと思う。
裕一に腹が立つ。
棄民の歴史。
国って何だろうと思う。
国民あっての国なのに。
「国のために死ね」という国はまがい物
戦争で身内を亡くした人なら、このドラマを観ることはできないんじゃないかな。
主人公が作った戦意高揚の曲に鼓舞されて前線に行ったのだろうと想像すると腹立たしいもの。
戦争を知らない人たち向けのドラマなんだよ。制作者も視聴者も。
私の学生時代には、予科練にいたという体育教師や戦闘機の設計に憧れて大学で航空工学を専攻したという数学教師がいた。戦後国内で航空機事業が禁止されていたことがあって教員の道に進んだそうだ。年齢からしてもう故人になられたことだろうが、ふと思いだした。
私の祖父は裕一とほぼ同世代だったが、特に才能が無い役場の職員だったから招集された。最後の写真になったかもしれない幼い日の母を含めた家族写真が残っている。終戦後に無事復員してきたが当時幼稚園に通っていた母は「お父様が戻られたから」という呼び出しを受けて早退したのだそうだ。その後祖父は母よりも長く生きた。
予科練の青年の話、重いため息が出てしまいました。でも、当時の写真の中には、朗らかな明るい表情もあったりして。その当時の青年たちの姿に圧倒されました。この人たちがいたからこそ、今の自分達もいるのかな。
青年の話を聞いて一気に曲ができた裕一ですが、それは藤堂先生を送った時と同じ短調の哀しいメロディー。
ここで、三隅さんが楽譜が読めないことが判明。なのに「前の曲とは正反対で!」とカンで言ったのが大当たり。「そうなんですよ!!わかってくれました?!」と喜ぶ裕一に「もちろんです!」と応える三隅さんがなんだか楽しくて。
このあたりのやり取りの自然に出るおかしみ、ユーモラスな空気。脚本がよいなと思うのは、こういう自然なやりとりでほっと和める会話があること。
悲しみや切なさに沈んだ時に、ふと、ゆるめてくれるのがいい感じです。
戦意高揚の楽曲。戦争を知らない世代が多勢になった現代では、こういう楽曲について賛否両論はあるだろう。古関は結局国に利用されていたのでは、と。
古関自身も葛藤はあったに違いない。
けれどあの時代は誰も戦争を止められなかった軍国主義の時代。ならばせめて国の為に身を捧げる兵士達に、彼らの存在意義を讃え、勇気を与える楽曲が必要で、それが彼らの支えとなるのなら、という想いだったのかもしれない。
当時の学校教師達も、軍国主義の教えを叩き込んだ生徒達の多くを戦争に送り込んでしまった事に、戦後になって自責の念に囚われたと聞く。
古関も戦後、同じように自分を責めたのだろうか。
本当に戦争は愚かだ。このドラマは戦時歌謡を通して、戦争を考える機会をくれている。
時代考証が滅茶苦茶なせいか全く予科練に見えません。
裕一の作曲した曲もあまり良いとは思えませんでした。
二日目の夜は、三隅は別の部屋で寝たのだろうか。まだ寝ている裕一を見て動揺するのは不思議。
取材に来た記者に羊羮をくれる取材先。鉄男は昭和18年にどんな記者をやっているのか。(バンブーで代替スイーツをさんざんやったというのに)
当時の写真を織り混ぜる試みはよいが、それはドラマと事実との境界線を消す効果を持つ。真摯に慎重に描いてほしい。
ちなみに、「若鷲の歌」の制作にあたっては、西條八十と古関裕而が一日 入隊したらしい。練習生の心に添う曲を作りたいなら、作詞段階から取材する方が自然だ。「ハ~ヨカレン」を入れるかどうかも二人で協議した方が説得力がある。ドラマではすでに詞は完成していて、裕一が粘ることによって霞ヶ浦に向かう。
このようにした意図がよくわからない。
「私利私欲」ってなんだ(笑) 「私情」の間違いでしょう。
>予科練の練習生は、初めて聴く「 若鷲の歌 」という曲をいつから歌えるようになったのでしょうか!?
さくらさんのご指摘通り滅茶苦茶な演出に呆れてしまいます。
全くふざけた朝ドラを制作するのはやめてほしい。
そうかなあ、戦意高揚には聞こえない。むしろ不安や恐怖を何とか抑え、戦地に向かうための拠り所のような切なさを感じる。
当事者たちが、ヨカレン、戦地で、空上で、どのような気持ちでこれを口ずさんだかを思うと涙が出る。だから自ずと短調を選んだのではないか。
洗脳だろうがなんだろうが、その時代、その集団の考え方や行動に縛られざるを得ないということだ。裕一、音、その個人を責めても仕方がない。
鉄や石油が必要だ、大陸の権益がないと日本は立ち行かない、それがほとんどの人に擦り込まれていた。そして、戦争に立ち向かった。本当はそんなものは必要なかったかもしれない。事実、大陸を失っても戦後の日本は発展を遂げた。しかし戦前の日本人はやり方次第では大陸など手放しても発展できるとは誰も思わなかった。洗脳だろうがなんだろうが、それ以外の道が見えてなかったことに変わらない。
今だって同じだ、国同士が様々な手段で小競り合いを繰り返している。それ以外の道が見えてない。
数百年後の人たちから見ると、今の我々を何と嘆かわしい人たちだ、と思うだろう。国という小さな箱に縛られて、民族というアイデンティティしか考えられない、大きな世界、それ以外の道が見えてないから、飢え疫病、難民で苦しむ人たちを受け入れず、手を差しのべず、見殺しにする政策に多くの人が荷担したのだと。
また、経済や情報の覇権争いで、その片棒を担いで大没落を招いたとしたら、「その発端となった△△政策とその支持者は、どう考えても失敗は明らかなことに荷担した。○○の手先に違いない。裏切り者だ。」などと1百年後には言われているのでは。当の我々はそれぞれの信念でベストを尽くしたにしても。
戦意高揚とかは他人がつけた呼び名であって、裕一は心を込めて、予科練の少年たちの気持ちに寄り添って、ただ一心に作った曲なんだろうね。だから人々の心をうった。昭和後半生まれだけど、露営の歌も若鷲の歌も聞いたことがある。子供の頃、大人たちが歌ってた。
五郎君と梅ちゃん挨拶に来てくれて、
いっぺんで空気が和んだ(⌒▽⌒)
五郎君の曲を編曲してお祝いを言う
裕一の優しさもいいね。
短調が悲しいなんて、それこそテンプレート的発想
五郎くんは非国民だね。
召集令状が届いたらどうするのかな?
国家には逆らえないという時代だったのが悲しいですね。
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