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選民意識などはあまり感じませんね。
どちらかというと、今回の主人公は小国の庶民的な領主として描かれていて、大大名家の蝶よ花よと育てられた姫とは一線を画すように設定されている。
共も連れず、馬を乗り回したり、夜に出かけたり、単身今川へ乗り込んだり、盗賊などに欲情してみたり。
政次を憎んだのは、直親を殺した敵と知ったとき。容貌のせいではありません(笑)
それ以前は、単なる幼馴染としての感情しかなかった。
なぜなら、好きなのな直親だったから。ひたすら純な気持ちをもっていたおとわ。
それが、途中からどんどん話がゆがみ始めて変な方向へ。
龍雲丸に対しても、純な恋ではなく、色情・欲情からスタート。エロシーンをとくと見せられました。
そして、いまだにどういう気持ちなのか、はっきりしない。
政次に対しても、結局はそうだった。
画面できちんと見せていないから、ちまたにはびこるのは、ほとんど妄想と願望による解釈。
ほんとに、このドラマは、心情描写や人物造型がヘタで稚拙。
それが観る者にいろいろ勝手な妄想を許す元凶になってますよね。
いいドラマは、何もこちらに要らないことを考えさせず、ただただひたすら画面とストーリーに引き込むものです。
直虎は、小野は井伊より下だと子どもの頃からずっと思っているので「本懐を遂げさせてやる」とブスっと心臓でもないところを付いて即死させず、苦しませて死なせ、裏切り小野としての捨て駒を全うさせた。一方「直親のために我は尼になる」と直親を持ち上げた。
直親>直虎>小野。直虎にとり、この構図は絶対的なもの。直虎と政次の絆なんて騒がれたが、その本質は絆なんて美しいものではないと思う。
龍雲丸に対して色情、浴情からスタートなんて、それは違う解釈だと思います。
もともと淡い恋をして南渓和尚にからかわれたましたが、木を切るシーンでは六左衛門と上手く木を切れなかったので、龍雲丸が教えようとしたところ、直虎の心臓がバクバクなってしまったということでしょう。直虎の純情な恋だと思います。
色情、欲情、エロシーンだなんてどこが~??です。真田丸のバクバクのエロいキスシーンに比べると1000分の1ですよ。
そういや、昔佐々木小次郎だっけかな、昔すごいセッ○○シーンがありまして、あれに比べても真田丸は100分の1のエロさかな。
選民意識というけど、封建時代には主家と臣下という格差は、わざわざ意識するまでもなく自然に存在していたのだから、
ある家の姫が、そもそも周囲に生まれたときから許嫁扱いされている男の子に純情をささげていたら、臣下の別の男の子を恋の対象として見られないのは、当然のこと。
いや、臣下じゃなくても、目に入らないでしょう。
こういうのを選民意識とは言わないですね。
直虎は、歴史を無視しているという悪い意味で、むしろ“選民意識を持たないこと”が、ドラマに悪影響を及ぼしています。
農民を自分の仲間扱いして、みんなで一緒に豊かになろう、などと表面的な形だけの民主主義みたいなやり方を導入して、あり得ない安っぽい話を作っちゃったし、
いくら貧乏な庶民的領主といっても、盗賊などと同等に話をするなどもあり得ないこと。そもそも領主なんて、身分が下の者に直接口をきかず、間に臣下を入れて意志疎通するのに、そんなこともまったくおかまいまし。
もしこのドラマが、「民主主義思想にもとづいて、今までの封建社会の概念をぶっ壊す」とぶち上げて作ったものなら、なるほどそのコンセプト通り…と姿勢ぐらいは見直しもするけど、
そんな高邁な理想などどこにもなく、ただただその場の話をつないで目先の興味を引きゃいいとばかりの作劇。
このドラマに立派な思想性や社会性などは、どこにも感じられない。
直虎はわりと私は大河ドラマのなかでは上かな。
一番は真田丸だけど、二番は八重の桜だけど、、みんな違うけど、不思議と嫌いな作品はない。
1991年の子供の頃からの視聴者だが。
そんなんへでもないとかいう、エロの度合いを言ってるんじゃなくて(笑)
お花畑ファンタジーに突然爆弾投下するのが変、バランスがおかしい、というのが批判の焦点だったでしょ。
忘れないでくださいね。
まぁ、いまに合わせていいと思うけど…笑批判されてるが、まぁ。
龍雲丸のモデルが、麦わらのルフィだったら、違う意味で、面白かった。
この大河が、現時点で終了したら、男達、直虎の父とか、筧さんとか、おじいとかも含む、悲しくも美しく散って行った男達の姿と直太郎の金太郎カットしか、記憶が、残らない気がする。直虎の父は、城主は、死んで家臣を残してとおっしゃる方もいたけど、私は、直虎の父らしい優しいカッコいい死に方で、誇りに思う。
最近、このサイト民放テレビの方も参考にされてると感じる。
選民意識じゃなくて、震災時の買占めおばちゃんね。
>お花畑ファンタジーに突然爆弾投下するのが変、バランスがおかしい
超難解なんですけど?センター試験の国語より難しい。
龍雲党の人たちがかわいそうだった。
ゴクウはじめ、殺された党の人たちが、どんな人生をあゆんだのか、もう少し話を入れてもよかったと思う。結構長い間、画面には出てたけれど、いまいちそれぞれのキャラがわからず、個性がないような感じだったのは残念だった。
真田丸のきりと髭もじゃ真田行村中年のキスシーンは40代くらい?今でいうと60代だったりして。
このドラマ、お花畑のような部分はつまらないけれど、血みどろでダーティーな部分はなかなかいいできだと思った。
直親と直虎、龍雲丸と直虎の恋愛要素は入れず、政次と直虎の話をベースにダーティーな展開でもっと周辺の武将の動向を随所に入れていたら、もっと良かったと思う。
やだー!恋愛入れてほしいです。恋愛ないとつまんないです。西郷も恋愛入れないなら教育講座見てるみたいでつまんないです。
たまに観てるけど片岡愛之助の歴史捜査は面白いですよ。恋愛嫌いの人にぴったり。
「政次は、現代女性が思い描く究極の男性像だからです」と言うのは、明大講師の関修氏(心理学)だ。たとえば、好きな女のために思いをひた隠すのは、どちらかといえばひ弱なキャラクターだが……。「そこがいいんです。女性が強くなって、昔のような“俺についてこい”的なマッチョ男は必要ない。それより心から自分を思ってくれる“優しさ”こそ、現代女性が男性に求めるものなのです。その一方、男性に頼りたい、引っ張っていってほしいという矛盾した願望もあるのが女性心理。政次は、そんな矛盾した女性心理の憧れです」(関氏)そしてもうひとつ、報われない“不憫さ”も、女性を胸キュンさせるキーワード。「報われない恋は本来女性キャラの役割。男なのに女性自身も投影できる類いまれな役柄だと言えます」(関氏)
制作者も作家も女性。女性による女性のための女性の大河と思えば、政次ロスは“狙い通り”か。だって。狙われていたんですね。皆さんは。
お花畑ファンタジーと言われると抽象的過ぎて理解できないので、政次ロスを狙った女性による女性のための女性の大河って言ってほしいです。現代女性は心から自分を思ってくれる一見ひ弱な男性を求めているときちんと言ってくれるとありがたいです。お花畑ファンタジーだと単なるラベル貼りでさっぱりわからないのです。
このスレには最近来た方ですか?
その用語については、このスレを最初の方からタテ読みしてみてください。
ただ政次云々のことだけを狭く指しているのではありません。
大河ドラマを楽しむ方法は頭を空っぽにして制作者の方針に素直に従って観れば楽しめるかもしれない。教科書の一行や歴史年表の一行を変えなければ後はどんな風に脚色しても面白ければいいと思う。
脚色が悪いというわけではない。
ここで批判されている方の多くも、
史実に忠実でないから批判しているわけではないと思う。
私は、頭を空っぽにして見ていても、
「あれ?」と思うところが多く、
気になってドラマに入り込めなくなった。
最初の頃は、目の前のシーンだけを見て、
あれこれ考えないようにしていた。
今も、批判と言うよりも、がっかり感。
遅まきながら 関ケ原を観た。
ちょっと早口だったけど、歴史に真摯に向かい合っていてよかった。
あざとい脚本のラブコメファンタジー&エログロ入れてみました のおもんな城主スタッフは、悔い改めてほしい。
ほんと歴史やってよね。
2017-09-03 12:51:48
名前無しさんに一票。
なんだか、擁護するのは良いんだけど、
闇雲にとりあえず批判を否定だけして、
適当なことを書くのではなくて
ちゃんと意味が通じるように擁護していただきたいんですが。
>なんだか、擁護するのは良いんだけど、
闇雲にとりあえず批判を否定だけして、
適当なことを書くのではなくて
えっと、(ドラマを)擁護する、(ドラマの)批判を否定する、ですよね?
>ラブコメファンタジー&エログロとか汚い言葉使うのやめてください。
これは、他コメント者に対する干渉で、こういうことを感想のスレで言ってはいけないことになっています。
コメントのしかたについて議論したいなら、お茶の間へ行ってください。
女性が強くなって、政次的男性を求めているということか…。自分が直虎だとすると、政次は自分より格下だし、自分のために命を差し出して働いてくれる。しかも自分より頭が良い。政次が誰が好きになろうと関係がないが、何でもハイハイしてしまうなつは自分に都合はいい。私には直虎のような女性になれないな。政次にも悪いし、なつにも悪いですもの。でも私自身がなつタイプのせいかも。
>これは、他コメント者に対する干渉で、こういうことを感想のスレで言ってはいけないことになっています。
わかりました。じゃあ、これはどうでしょう?
ラブコメファンタジー&エログロという言葉が、もし存在しましたら私にとりまして、とても品がなく、だらしなく、ぞわぞわぞわ致します。べつに言っている方を批判している訳ではありません。…他人に干渉してしまうからやっぱり駄目か。
私は、視聴率狙いで一生さん中心の甘い展開にしたのが良くなかったと思うのです。視聴率忖度ということでしょう。やっぱり、小野は子ども2人と刑に処されるほうが緊張の連続で迫力あったと思います。
要約すると、政次となつの存在は直虎に都合が良かったということですな。それでいて、盗賊たちが皆惨殺されちゃっても、直虎ちゃんの大好きなお頭だけが何とか命からがら助かりそう。
ふ~ん
・・って展開がお花畑ファンタジーなんですよ。
直親の最後の言葉も直虎を守るよ!的な印象しかないし、ナンダカナ。
たまに出てくる信玄・今川が過去の大河のそっくりさん焼き増しテンプレ映像がほんのちょっとの豪華感を添えてる以外は直虎ちゃんの半径数メートルでの話しに終始してるものなぁ。その直虎ちゃんの住んでいる部屋も変に綺麗で生活感がない。唯一、好感を持てるのがお坊さんズ&猫ちゃんだけなのでこの方たちは何とか最後まで生き延びてほしいぐらいだ。
ちなみに新聞欄での松平健さんと小林薫さんの並びで思い出すのは数十年前の大河「峠の群像」。これは掛け値なしに良くできてるのでそれの再放送、BSでいいからやってくれないかな。DVDで完全版が出てなくていつも残念なので。この2人の当時のお姿がびっくりするほどカッコいいですよ。
いやいや、政次はただ陰ながらひたすら自分を恋してくれて支えてくれるだけではないですよ。
彼の要素には、「S」「ツンデレ」というのがもう一つ大きかった。
乙ゲーだっけ?の宣伝なんかを見てると、アニメの男が「お前は~」とか「俺に~されたいんだろ?」とかってアニメの女の子に気持ち悪い(失礼w)声で、言ったりしてますが、あれが私、生理的に気色悪くってしょうがないんですよね。背中がゾワゾワ。
今の若い女の子って、あんなふうに男にサドっぽく男に扱われたり、ツンデレされることにマゾ的な萌えやら妄想やらを抱いてるのか、と宇宙人見るような目で見てるんだけど。
政次の直虎に対する態度にも、多分にそういうところがあって、、臣下のくせに平気で呼び捨て、無礼な物言いをしたり、バカにしたりいたぶったり、身体的にもけっこう手荒に扱って(手をつかんだりすっころばせたり)、封建時代の臣下にあるまじきふるまいが、不快かつ不思議でした。
なんでこんな常軌を逸した嗜虐的な描写をしつこくやるんだろうと思っていたら、それが究極のツンデレ表現だったということが判明したわけです。
やっぱりある層の女子の嗜好をしっかりマーケティングしていましたね。彼女たちはさぞ大喜びだったでしょう。
元々、直虎を主人公にしたのは、ゲームファンの間で有名だからという発想があったからだそうですが、
そうなると、主人公やファンを喜ばせるツンデレ男子がいるよね。
しかし、直親は純情な恋の相手だし早世するからダメだな。
そうそう、近くに敵対する男がいたな~たしか小野とか。
よし、彼を実は冷たい敵の顔をして実は死んでもいいほど主人公を秘かに愛する究極のツンデレナイトにしたてるか…
作家が心血を注いでゼロから創造した作中人物でなく、マーケティングと人気調査の末に計算して作られた政次像であったことが、手に取るようにわかります。
道理であんなに長く出し続けたにかかわらず人物像の掘り下げが足りず、結局はよくわからない人物だったわけですね。
ますます鼻白みます。
「峠の群像」よかったですよね。
当時、私は中学生でしたが、あのドラマには感動しました。
堅苦しい作風のドラマがティーンエイジャーに受けないなんてことはないのです。
いいものは、年齢、性別に関係なく、感動を与えてくれるものです。
それまでも、両親の習慣で大河は見ていましたが、「峠の群像」からですよ。大河ドラマっていいものだ。ずっと続けて見たいと思ったのは。
「峠の群像」は「堅苦しい」と書きましたが、重くおもしろみがない、というのではなかったですね。とにかく細部まで丁寧に、真面目に作られていました。(中学生にもそれはわかりました)
浪士たちの恋バナも描かれていました(それこそ小林薫さんとか)。でも、とりあえず入れた尺稼ぎなどではなく、ちゃんと、相手の娘についても丁寧な作りと描写がされていました。だから、場面場面でそれぞれの人物に感情移入してしまうドラマでした。
もちろん、「峠の群像」だけではありません。
じっくり丁寧に作られた大河は、他にもたくさんありました。
10代当時、私が「直虎」を見ていたら、「わ~、少女マンガみたいでおもしろい」とは思わなかったと思います。
当時もやはり、マンガは好きだけど、大河で見たくないよと思ったに違いありません。
「直虎」は、2,3時間しか上映時間のない映画や舞台演劇みたいですね。
限られた時間内で人物も事件も表現しなくてはならない映画や劇は、人物描写の範囲は限られるし、まわりくどいことなんかやっていられません。
さっさとせりふで説明し、バーンと映像で直接訴えます。
特に演劇は、舞台の上だけが見せられる範囲なので、その狭さの方に観客の意識が向かないように、目玉シーンの連発です。
「直虎」が劇(学生会だったり、劇画だったり)のようだというのは、その作りに似たところがあるからです。
でも、実際には、1年間という時間をもらっているのです。
じっくり描くべきところにもっと時間を割くこともできたのにと、歯がゆく思います。
口移しは、気にする程でも、なかったね。
鈴木さん、いい人だったね。亡くなったのか。息子子供なのにすっかり武士だな。しっかり育っている。
くだらない また たじまか(失笑)
お涙頂戴にございます。
くだらねぇ
はァ・・
今日はたじまのことを持ち上げる&直虎と龍雲丸が2人が自分だけが生き残ってることをお互い酔いしれてイチャイチャする回でしたねえ(遠い目)。
「峠の群像」「黄金の日々」「いのち」「獅子の時代」「翔ぶが如く」・・キラ星のような大河ドラマが過去にはありましたよねえ。多分、あの頃の大河は今思うと他のどの国に出しても恥ずかしくない脅威のレベルだった。最近は「平清盛」「八重の桜」などで昔の勢いを取り戻してきたかのように見えた時期もあったけど・・。
今日の放送、1時間の間にこれでもかと色々仕組んで泣かせようとしたシーンが多々ありましたが。私は白じらしさに苦笑しました。
今までの流れとか何も考えず出来るだけ思い出さず、せいいっぱい目の前のことだけに集中すると良いとの話もありましたが、脳筋で徹しないといけないことをやはり今日、気づき、何も考えずに見ることはドラマに関しては無理だし、色んな人の鑑賞に堪えてこそだラマなのではないか、と改めて思いました。
真田丸の時の幸村ときりのキスは、あんまり気にならなかったよ。
こっちは、初めから、乙ゲー的に、宣伝してたので、私みたいな腐女子が、食いついてしまう腐女子脳達。
それに巻き込まれる大河脳達。皆さん素直に見れない洗脳。
エンドレスローテーション。
素直な気持ちで、見れなくなった。
それに、色々、やはり話しおかしいぞ?なんか。龍雲丸だけ、生き延びて、私が、龍雲丸だったら、自分の見誤りを悔いるな。あーヤバいと思ったら、逃げるは、恥だが役に立つ。
海に飛び込めば見えないから、その様に指示を出す、一人でも
多く生かす事を考えると思いました。
そうなんですよねー井伊の脳筋脳は、生きてるんですよね。
もう、人が、井伊は長所、脳筋は、裏の短所の方なんだけど、解放してあげて欲しい。虎松、将来、徳川の重鎮になって、とんびが、鷹なのかな。
でも、秀吉の育ちは、もっと、ひどかったよね。
今日も良かった。
朝ドラと違って、無駄に回想シーンを使わないのが良い。
唯一、ほうきゅうが頭を丸めて新しい金儲けを悟ったシーンだけ良かった。この作者さんはコメディの方が弾けられるのかも。
今日も泣かせようって あざとさが鼻につく。
相変わらず 劇伴五月蝿いし
ナレは気持ち悪いし
あっ 中村梅雀は役者としては好きなんだけどねwww
繰り返される戦。
終わらない殺し合い。
勝ってもまた次の戦に駆り出される。
勝つとは何なのか?
激しい流れの中でちっぽけな存在に過ぎなくても、必死に生きる。
例え歴史に名を残せなくても─直虎が男だったのか女だったのか、それすらわからないくらい歴史に埋もれても─。
そういうドラマだと思う。
まあ、正直、難点はあるとは思う。
私も途中でリタイアしかかった。
あと3ヶ月、なんとか走り抜けてほしい。
大河として観なければ、それなりに面白いのかも。
死ぬか生きるかの時代に、政次みたいな男は嫌。
ま、これ創作だけどね。
もっと、力強く大志を抱いて生き抜く男じゃないきゃつまらないわ。
大河は習慣で見てるけど、こんな薄くて緊張感のないのは初めて。
誰も彼も、世界を変えるほどの器じゃないから、こんなにうっすい話になっちゃうのね。
峠の群像の話題が出て嬉しい!全話かかさず見てました。その時の小林薫さんの一途な恋愛も懐かしい!
今日の直虎と龍雲丸素敵だった~。誰がなんと言おうと素敵だった。直虎は龍雲丸が好きだった。龍雲丸はいつも自然体。
方久は坊主頭似合いました(笑)
しっかし、南渓和尚の龍雲丸への絡みは久しぶりに笑った。
にゃんけいのにゃあにゃあは、久しぶりに可愛かった。
でも、大河だから、大河として見る。
前回のとき予告で龍雲丸と直虎の絡みがすごすぎて、嫌な予感がして心配していたのですが、予想に反してそれほどたいしたシーンもなく、ほっとしました。
35話は全く期待していなかったので、予想外にわりといい話しでした。
この話しの流れなら、今後も見れそうです。
ドラマを見るまでは、龍雲丸とのラブストーリーだろうと、かなりげんなりと思っていたけれど、恐る恐る見てみたら、そこに男女間の恋愛は無さそうで安心しました。そういえば、結局、政次とも男女間の恋愛はなく、井伊を守る絆で結ばれた2人でしたが、龍雲丸とも、自分だけが生き残ってしまうという同じ境遇の同士という感じですね。
でも、きっと恋愛脳で見ている人には、ラストの手を握るシーンは2人は恋しているように見えるのかな?あれは、お互いが支えになるという友情のように見えましたが。
亀、鶴、おとわの3人の絆の物語だと思ったら、龍雲丸とか出てくるし、亀はスケコマシ呼ばわりされた挙句その後ほとんど出番ないし、材木やら綿布やらの話は忘却の彼方だし。目をつむれる限度を超えた。
残虐の嵐が通り過ぎると、またお子ちゃま向けの幼稚な話と絵に戻った感。
どうしてこのドラマは、こう稚拙なアンバランスさがいつまでたっても治らないんだろう。均衡というものを知らないのか。
それに、大人の鑑賞に堪える理屈と深みがまったくない。
嵐のあと、少しは人間的に深みや大きさの出た主人公を見られるかと思ったら、また「われのせいじゃ~」「われのようなつまらない者が生き残って…」
いつまでたっても子どもの思考回路から脱せず、龍雲丸とヨチヨチ傷のなめあい。
どこまでいっても情けなく魅力のない主人公。
こんなふがいない殿様に殺された政次も、浮かばれまい。彼の燃えるような井伊を守るという執念が、まったく直虎の魂に響いていない。
しかし、氏真もあんなにあっさりと懐柔されて穏やかな人になってしまって(史実でも、徳川に下ってその後、優雅な生活を送って長寿をまっとうし、今川家は徳川の重臣として後々まで栄えたらしいけど)
井伊にとって悪魔のような存在として描かれた氏真も、ちょっと待ってればすぐにこういう人畜無害のお兄ちゃんになったものを、
その“魔手”から直虎を守る一心で無残に命を奪われた政次が、ますます犬死に感が強くて、あわれ。
合掌。
やはり面白くないですね。今日は何を伝えたかったのか?
時代考証の先生の意見をよくききヒストリアでやったように氏真有能説で描いてくれていたら、今日の退場シーンの味わいが格別だったのに。
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