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朝ドラもファンタジーの世界の中で人生、人間を描いたドラマになっている。これはこれで人間ドラマなので面白い。『直虎』は大河の醍醐味というより、客観的に歴史、人物を見ることに重きがおかれていて、なぜか入り込みにくい。
同じ物見ててこれだけ印象が違うってすごい。
歴史小説好きで大河も見るけど、オリジナル好きだな。
どんな展開になるかワクワクする。
原作がないから、1回でも見ないと話についていけない。
知ってる話は1回ぐらい見なくてもだいたいついていける。
原作ありは俳優さんによっては自分のイメージとあわない問題も。
だからオリジナル歓迎。
ただ群像劇は、知らない人物ばかりだと難しそう。
毎回そういうのじゃなくてもいいや。
今回のは面白くまとまってると思う。
直虎は初めの方録ってなかったからオンデマンドにも入った。
続けて集中してみてると面白い。
中世歴史ファンタジーって感じで。
映像綺麗だし、コウさん美しいし。尼姿にうっとり。
大河のような超長期ドラマになってくると、人物の魅力に多くがかかってくるけど、このドラマはそこが徹底して乏しいよね。みんな薄い。
構造が破綻していることはもう前からずっと指摘されてるけど、それに加えて、人物が描ききれていないのが決定的。
主人公を中心に据えた曼荼羅図のような一つの宇宙が形成されるべきところ、中心にある仏像よりも脇にいるたった一つの仏像だけが異様に大きく描かれて、でも模様はイマイチはっきりしなくて、他の仏像は淡くぼんやり描かれているような、稚拙でいびつな絵。
能力あるプロの仕事には見えない。
あやめさんは親代わりになって、妹二人の嫁ぎ先を気にしてるうちに、自分の結婚が遅くなってしまったような感じがするけど、実際はどうなんだろう・・彼女はずっと画面には出てるのだから、どんな人生なのか、もっとわかれば、おもしろいのだけれど。あと、妹二人も井伊家のために嫁いだのだから、もっと丁寧に描いてあげてもよかったと思う。一応、彼女たちは直虎の母方のいとこで、数少ない身内だし。
時間かけるのは無理だろうから、少しだけでも、もっと肉付けしてあげたら、ドラマにも幅ができたと思う。
とりあえずアクセントとして出しましたという人物が多いよね。
いや、アクセントにもなっていない。
脇役で、ただのカキワリと化している人の、なんと多いことか。
一部の視聴者の政次と直虎のロマンチックな愛の期待だけが高まるような政次と直虎だけが中心に描かれていて、その他の登場人物のことが描かれていません。それに、おっしゃるよう一部の視聴者の期待とは裏腹に政次も直虎も恋愛には全く参戦していませんでした。男女関係になったのはなつなんだし、なつや他の人をもっと丁寧に描いてほしかった。
そう、光浦さんなんか、とりあえず出しときました〜っていう添え物感がものすごい。
一人の人間としてきちんと造型してないんだよね。彼女にも人生があるということがまったく伺えない。
とりあえず皆さんお好きなお笑いさん出してるからいいでしょ、って後はほったらかし。
うまい脚本家なら、光浦さんの資質を活かした上で、出番は少ないながらもキラリと光るキャラ付けができたろうにね。
そういう取りこぼされた人たちが、いっぱいいる。
確かに、予算の関係からか大物や豪華俳優の少ない大河だけど、それが人気のなさ、つまらなさの理由じゃないですね。
豪華俳優使ったって、失敗するものは失敗するんだから。
地味ではあっても使いようによって味の出るいい俳優は、ここにだっていっぱいいます。
それを活かしきる魅力的なさまざまな人物設定とストーリーを構築できなかったことが、一つ大きな敗因ですね。
記事見かけたんですけど、「芸能プロ関係者は『ドラマとしては中だるみもありましたが、ここまでよくNHKは高橋を引っ張ったなという感じ。それだけ視聴率への影響が大きいと判断したからでしょうし、実際、ドラマの内容からして数字を引っ張ってきたのも高橋の功績でしょ。』やっぱりなー、高橋さん中心の脚本だから政次と直虎以外の登場人物の描き方が薄すぎるんですね。ただのほんとに添え物でした。視聴率って面白いから上がるんじゃないの?何このNHKの安易な考えは。
つまり、もともと脚本は高橋さんで視聴率を稼ごうという安易な発想なんです。だから、政次を悪役に見せて実は主人公を守る良い人に設定してきた。そのため整合とれない展開になった。政次以外の登場人物はただ居るだけの物語が何もない存在に。大河には私のような恋愛好きではなく歴史好きの人が大勢いるはず。小野が史実通り裏切った形にすれば、きっと面白く見てくれたはずでは。小野三世代にわたる井伊との対決、政次のお父さんをもっと物語に生かしてほしかった。なつとは純粋に恋愛してほしかった。なつのために井伊と対決するとか?
何となくですけど、大河ドラマって主人公の名前がタイトルについていても多くのキャストが出ているのだから他のキャストの良い分、美味しい部分もあっても良いと思うのだけど直虎の場合は
直虎:それ以外の人物のドラマに占める割合が8:2ぐらいの描き方(他の人物の自分の家での部分とか恋愛や心理描写が極めてすくないので下手すると9;1かも)
今までの大河だったらどれだけ主演がガンとした存在感でも平均的には主人公:他の人物=5:5で多くても6:4ぐらいだったように記憶してるんですよね。まあ、それが「直虎」というドラマの新しさといえばそうかもしれないけど。
高橋一生こと小野が目立ちだした頃は
直虎:小野:他の人物の割合は=5;3;2ぐらいだったかも。それでもいつも直虎柴咲さんの目力の印象ばかりが頭で一杯になるのは元々存在感が強い女優だからなのかそういう脚本or演出なのかはわからないけれど、出演者の地味さの話は申し訳ないけど、いつも要所で出てくる登場人物が地味なのでそうしてもキャストが・・・という印象派否めない。
有名キャストじゃなくても、その俳優のキャラをちゃんと育てようとしていたら、もっとドラマでキャラクターが生きてくるはずだしねえ。要は脚本とキャスト、どっちもどっちということなのかな。
あと、小野の最後のシーンを見てからいつもモヤモヤっとした何かを感じていたのですが、具体的に言えば(ちょっと表現は申し訳ないのですが)、もうにっちもさっちもいかなくなった壊れかけの会社の女社長(代々続いた家で跡取り娘で独身)に長年片思いして支えてきた社員(女社長の幼馴染)が、この会社を残すのはこれしかないと自分に保険金を掛けて受取人を女社長にして、あえてまわりからは殺さるようにしかけて(本当は自殺みたいなもの)、でも女社長とその会社は残せて、幸せに死んでいく男の図~~ってのがついイメージしてしまうのだけど。
だからこそ、小野は自分が深い仲になったなつや小野が育てていたのと同然のなつの息子もいるのに、この残された人達の気持ちをかんがえたことあるのか?~とつい思ってしまう。この人達をほほっておいて、女城主のためにかけつけて自ら磔になって犠牲になるって、お前は神様のような人なのか?~~と不憫に思えて仕方ないです。
ここまでして犠牲になったのに女社長の恋の本命は別にいてそいつは一癖ありそうな流れ者。今週の直虎ちゃんは死にかけになった恋の相手を一心不乱になって頑張りますので乞うご期待を~
みたいなドラマだから変な違和感がつきまとってるのかな。
良い点と悪い点について
●良い点
政次の忠臣説をベースにストーリーを作ったのはなかなか興味深くて、そこは評価できると思う。高橋一生を配役したのも良かったと思う。
直虎と政次の絆を描かいたストーリーはおもしろいと思った。2人は男女の愛ではなく、井伊を守る同士、かけがえの無い存在であると伝わってきた。
政次の処刑や血みどろなシーンは迫力があって良かった。
気賀の惨劇も良かった。
ダーティーな展開の方がこの演出家と脚本家には向いているように思う。生ぬるいお花畑のような展開はこの演出家や脚本家には向いていない。このドラマの演出家は清盛のときの演出家と同じなので、暗くてダーティーな演出の方が上手いと思う。生ぬるい展開がなくなったドラマの中盤からはおもしろくなった。中盤まではつまらなかった。
●悪い点
このドラマで一番ダメなところは、歴史的背景が薄っぺらいことだ。同じ時代の信長も秀吉もほぼ描かれず、今川と家康ばかり。武田も北条も上杉もほとんど出ない。いくら直接井伊とは関係ないとはいえ、ここまで描かれなければ、つまらないを通り超える。
若い頃の頼りない家康の描き方はすごくいいが、その他の武将の描き方が薄っぺらすぎる。
次にダメなところは龍雲丸たちをメインキャラとして登場させたこと。彼らがストーリーの前面に押し出されすぎて、一気にファンタジー感が強まってしまっている。わざわざ龍雲丸という架空の人物を作らず、歴史上の新田として登場させ、新田に少し創作部分を増やすだけで充分である。
そして、もう一つ残念なところは、政次の描き方。政次を忠臣として描くなら、妻子の設定は史実通りにし、最後は親子共々処刑されるシーンを描くべきだった。または、偽の虎松の首を政次の子供の首にするというオチでも良かったかもしれない。残酷なシーンになりそうだが、忠臣説を描くなら、このくらいはやってほしかった。
悪い点もたくさんあるが、ストーリーとしては私の好きなタイプなので、毎週楽しみにしている。
政次、みじめ。
と、直虎、悪者に、見えてくるね。この人は、人の心の深い所は、わからない様に描かれている。槍で、政次殺しても、
まだ、大切な事が、わかってない様に、描かれている様に見えます。
直虎に、尽くす価値あったのかな?
政次だけじゃない。
周りも、なんか死に損みたい。
と思えてくる。
でも、直虎は、結局、自分に尽くしてくれる人の引き立て役だよね。今度は、誰の引き立て役になるんだ。
もし、政次が女上司と男女関係ではなく、恋愛感情もない、会社を守る同志だったら、なつとのことも上手く説明できる。会社は潰れかかっている、自分は重要な立場にいる。なんとかしなきゃ。でも、男女の愛は別。心はなつとは結婚したかった。そばにいてほしかった。失いたくなかった。男女の深い仲に!
なつは政次の想像の産物www
確かに!
こういう歴史を元にしたドラマって、俳優サンがメインじゃないと思うんだけどなぁ…
歴史上の人物に、いろんな俳優サンが色付けや味付けをして、初めて個性が出て、おもしろい人物像になって来ると思うし、だからこそ、脚本家サンは登場人物の一人一人をきちんと掘り下げて書かなくちゃいけないと思う。
それが出来ないなら、取って付けたような架空の人物もいらない。余計に薄っぺらくなるだけだ。
龍雲丸について
せっかく架空の人物の龍雲丸を登場させるなら、直虎と絡ませてストーリー上の主要キャラとして描くのではなく、直虎や井伊の人々の視点とは別の、全国をまわれる自由気ままな流れ者というキャラの特性を活かした視点で描くべきだった。架空の人物ならではの少々無理な展開ができるから、龍雲丸を自由に動かして、信長や秀吉、武田や上杉などの動向を客観的な視点から描くことが可能になる。そうすれば、これほど薄っぺらい内容にはならなかったと思う。全ての展開が直虎だけを中心に進むから、薄っぺらい内容になるのだと思う。
龍雲丸と和田正人は、去年の猿飛佐助と石川五右衛門に似てる。
出る頻度とか。ドラマの構成内での役回りとかが。
この作者って、なにもオリジナルでは考えつかないのかな。
直虎が政次殺してショックで記憶に逃げ込むのも、いろんなとこでよく見る展開。
そうなんですよね、あの最期では、政次が不憫なんです。
直虎に都合よすぎる感じもするし…。
そう思う最大の理由は、直虎が、磔になってまで尽くすくらい魅力的に思えないことかな。政次は自分が望んで磔になったのだけど、人生ムダにしたようで、もったいないな、と思えてしまう。
もしも、自分の大切な家と愛する家族を守るために、自分の信念で井伊家より今川家を選ぶ、たとえ井伊家から見たら「裏切り者」になっても、という展開なら、磔になったとしても、本人としては本望だったのかな、と思えるので、もっとすっきりしたかも。
毎回面白い
恐らく勝手な推測ですが、この作者はあのままの流れで独身状態の小野高橋一生を死なせるのがやっぱりどこかかわいそう、ってか救いが無いので、あえて、死ぬ直前ギリギリになつと結ばれる、という展開に持って行ったのではないかな。
だってあの展開で死んだ後に直虎と盗賊の恋愛満開じゃ、さすがに忍びなかっただろうしね。
といっても、なつとの関係を焦らすだけ焦らせておいて、あんな仲良くなった直後に、何故、直虎に尽くさねばならんのか・・という疑問も沸くのでどっとにしても疑問満載なシナリオだったというわけです。
でも私も皆さんが仰るように、あんな死に方するやつおるんかぁ~おらんやろ~と大木こだま風に叫びたくなりました。あんなの昔の少女マンガかこの作者さんの頭の中だけの人物すぎて、しかもなつが直虎に従順なのでまたもや首を傾げてしまう。子供がいるから、子供の身の安全のためにとりあえず直虎の立場を立てるという雰囲気でもなさそうだったし、こういう意味でもペラペラな人物描写なんですよ。
本田博太郎もほっしゃんも「花燃ゆ」でも出てきたけどまだあっちのほうが短い出番なりに印象的だった。
第1話で「3人の絆の物語~」みたいなナレーションがあった気がします。
なので、ヒロインと準主役2人の話だと思ってた。
亀の降板が早くてびっくりしたが、鶴の扱いは想定内。整合性は取れていると感じた。
一人残されたおとわがどうなるのか、龍雲丸や直政との関わりを期待をこめて見ている。
今日もくだんのシーンがあることだし、ここは賑やかになりそう。
楽しみな方も、粗探しの方も、しっかり見ましょう。
龍雲丸は架空とおっしゃる方もいるけど
実は架空じゃないんです。
気賀と井伊に深く関わった新田氏は滅ぼされた城主らしい。だから武家出身。書は達筆とだったらしいです。流れて井伊に関わるようになった。資料が少ないので架空?新田氏の後半の人生は今の方久が分担していますが、方久は乞食から大商人になったという経緯は新田氏のものではないのです。経緯からすると方久より龍雲丸のほうが符号するのです。前半は方久の方が架空みたいです。
なつと結婚したいし、男女の深い仲になったあと、なぜ直虎に尽くすのか不可解ですよね。愛するなつや家族を守るため今川を選び、井伊を裏切ざるを得なかったほうが、哀しくも美しいのに。そうすれば、なつの膝枕でゴロんゴロんしている政次のにゃんこのような甘えっぷりが可愛らしく見える。第一話で3人の絆の物語なんて言っちゃったから不可解な展開になっちゃったのかな。「いくな、そばにいてほしい、失いたくない、なつー」といいながらさっさと自分から消えるなんて。若くもないのだから責任もってー。
龍雲丸について
龍雲丸と方久のモデルが新田だとは気付いたが、中途半端感がある。
方久の描き方はあれでよいが、龍雲丸はやはり直虎と絡ませすぎている。今後はもっとすごい絡ませっぷりらしいので、残念。
龍雲丸の魅力は自由気ままな流れ者であることなので、直虎とはあまり絡ませず、全国の武将の動向や歴史の流れを視聴者にわかるように、キャラの特性を活かし全国を自由に流れてほしかった。戦国の世の残酷さや虚しさを龍雲丸の目を通して視聴者へ訴えるという手法をとるべきであったと思う。
政次について
結婚したいと思ったのはなつだが、政次にとっての一番の存在はなんといっても直虎。男女間の愛ではないが、全てを捨てても直虎を守りたいので、あのような結末に満足したはず。なつも、自分よりも直虎を一番だと思っている政次を好きなので、あの結末には満足していた。
>なつも、自分よりも直虎を一番だと思っている政次を好きなので
そういう、政次にとってとにもかくにも都合のいい女に造型したことが、ご都合主義といわれるゆえんで、嫌がられているのよね。
ドラマ上の人物がどう思っていたかではなくて、どのように脚本家が作り込んだかが問題にされているのだから、まったく視点が違う。
ほんとに、直虎にとって政次は、政次にとってなつは、都合のいい存在に仕立てられていた。
それに、架空の人物の「行動」じゃななくて「思考」なんてものは、あとからいくらでも重ね塗りして主観的に意味づけできるし、空想の余地も山ほどある。
そういうのが、このドラマは多すぎる。
二次創作などというものが賑わっているのがいい証拠。
しかし、この二次創作というのも、要は、「こう描けばいいのに」「こうした方がもっと見られるものになる」とここで皆さんが真摯にいろいろ考えているのと、つまりは同じことしてるわけだ。
方向性(笑)が違うだけで。
結局、みんな、このドラマの筋書きにはいろんな意味で満足してない、ということよね。
龍雲丸達が、井伊谷のような豊かではない土地にずっと居て、盗賊として生きていけたのはおかしい。
商人達が行き来する宿場でもないし、港があるわけでもない。しのびこんで盗みをするような金持ちもいない。
せいぜい寺の仏像を盗むくらい。
井伊谷に産業や商売が生まれたのは、直虎の代というのなら(!!)、
これまでは、やはり、金のありそうな所、各地を転々と流れていたのだろうから、上の方の書かれた通り、
直虎のときめきのお相手としてではなく、各地の情報屋としての役割を持たせた方がよかったのでは?
狭い井伊谷視点で描いたドラマなので、周りの大名達のことをあまり描かないのなら、その代わりに、ふらっと流れてきた龍雲丸が、他所で見聞きしてきたことを教えてくれるとか。
もっと言えば、ナレーションを龍にしてもおもしろかったかも。
本編登場前に、ナレーターとして声のみ登場。
(べらんめえ調はやめてほしいが)
大局を見る目として龍雲丸を位置づけていたら・・・。
今のままだと、「自由気まま」なはずが、結局は直虎らと同じ、狭い世界しか知らない、せこいコソ泥で終わってしまう。
せっかく自由に想像の羽を広げられる人物を作ったのに、もったいない。
見ている人に、
「私ならこうしたのに」
「こうしたら、おもしろいのに」
と思わせるなんて。
本当にプロの仕事?情けない。
このドラマは登場人物の使い方がイマイチ。
特に龍雲丸。せっかくの自由気ままな流れ者の設定が無意味になっている。
このドラマには大局を見る目の登場人物やナレーションがない。これを全国を流れ歩く龍雲丸にその役割を持たせたら、これほどこじんまりとした話にならなかった。
政次やなつ、和尚様、直之、方久などの描き方を直虎中心の狭い視点で描くなら、せめて龍雲丸を大局を見る視点で描けば良かったと思う。
残念なところがもう次から次へと出てくるね。
本当に拡がりのないたいがだなと思う。
子供にしか入口が開かない藪に囲まれたパラレルワールドって感じだもん。
日光江戸村くらいの広さの。
>なつも、自分よりも直虎を一番だと思っている政次を好きなので
私もこういう都合の良い女に設定されたなつは、あまりにも政次と直虎のご都合主義で薄い脇役にされたみたいで、嫌だわ。NNKは視聴率とれるから一生さんで脚本書こうなんて安易で人間のレベルが低すぎると思います。
龍雲丸の言動見てると、無主で権力とは無縁に生きる者たちっていう構造が浮かび上がらず、単なる直虎の付き人みたいな感じになっちゃってますもんね。
いつでも、待機。
確かに。
ふつう、大河で架空の(仮にモデルがいたとしてもこのドラマでは人物設定が完全に架空)盗賊や海賊などを使う場合は、
間者や忍びとして、主人公が不自由で身動き取れない代わりに、自由にほうぼうを巡ってそこで情報を収集したり、陰でいろいろ仕掛けたり、という役回りを負わせますね。
それが今回は、なんと主人公の恋のお相手。あまりに子どもアニメ発想で驚いた。
まっとうな歴史物なら、武士と同じ屋敷の中にも入れない(当時の身分制からしたら)下賤の者が女城主様の色欲の相手、というのだから、行くところまで行った、という感じでしたね。
上でおっしゃるとおり、「一つのところに縛られたくない、雲のように流れていたい」という龍雲丸のコンセプトがまったく無駄になっている。
それに、直虎の彼に対する感情も、彼の直虎に対する感情も、芽生えから成長までが丁寧に追われていないので、ただただ芯のない色ボケのようにしか見えないのが、ほんとにイタイ。
身分の上下を超えた真実の愛、なんてカッコイイ思想に基づいてるわけでも何でもなく、ただただ刹那に流されてるだけ。
それでしばらくは政次の穴を埋めようという作り手の魂胆も見え見えで、あのキスだか何だか?やら、政次は生きておったのだな、やらのひたすら扇情的な予告には、あきれ果ててしまった。
龍雲丸に関しては、新田氏が清水城を落とされてから、どうやって生き延びるかということについては盗賊は合っていると思います。「盗賊は嫌だが盗賊をやっているうちに世の中が見えてきた」と回想シーンにありましたしね。新田氏は源氏ゆかりの名家だったので、そうなると方久のほうが架空なのですよね。新田氏の城主という立場を考えると、猿飛佐助のような井伊の密偵でもおかしいですし、各地の情報屋としての役割設定も不自然のような気がします。一説では新田氏は書がすばらしかったので、龍雲丸もよく書をたしなむ場面が出てきてました。やっぱり、清水城主の新田氏の品格を演出しているんだなあと思います。人物的にはやっぱり、方久の方が架空かな。
一部の方は龍雲丸を盗賊としか理解出来ていないようですが、彼は清水城主の新田氏ですよ。どう調べても。
個人的には12話くらいから34話までがおもしろかった。
12話くらいまではベタな三角関係の話だったのでイマイチだったし、35話からは龍雲丸が無意味に直虎と絡んでくるらしいので、あまり期待していない。でも、最後まで見る予定。
政次忠臣説をベースに、直虎と政次の井伊を守る絆を描くだけで充分だと思った。女と男の愛ではなく、人と人の絆を描くために、奸臣のふりをしたということ以外は全部史実どおりにした方が良かったと思った。
おそらくこの先、龍雲丸の描き方にかなり不満が出るような気がする。もっと別の手法があったはず。
私は代々の清水城主の子である龍雲丸と直虎がどうシンクロするのか楽しみですね。
城を奪われた共通の経験がありますし。
でも龍雲丸は城を奪われても、ひょうひょうとして庶民派で人を助けている。
絡み合って影響し合い、対照的な二人の生き方がどうなるのか。
新田氏はあくまで方久と龍雲丸の2人のモデルだと思う。
龍雲丸は新田氏とは別の人物設定。幼少期の設定に新田氏を使っているだけ。
だからこそ、直虎と出会った以降の描き方が残念。
「盗賊は嫌だが盗賊をやっているうちに世の中が見えてきた」のだから、全国を流れつつ、龍雲丸の目を通して、もっと世の中を広い視点で歴史を描くべきだった。
前回までは今後の期待をこめて星5としていたが、予告を見て、今日の35話はあまり期待していない。
元清水城主の子龍雲丸、元井伊城主の直虎、でも価値観が180度違う。
どう影響し合うのか?
ただ全国を流れただけの、世の中の広い視点だけを龍雲丸に持たせるだけでは、それこそただの情報屋になってしまいます。
龍雲丸は史実の新田氏の城主だった出自が大きいと思います。
つまり、直虎と同じ視点も持てるが、違う価値観を持っているみたいな。損得勘定なく庶民の立場からも色々考えるみたいな。
論点ずらしてるけど、
今度は新田新田の印象づけがうるさいな。
論点ズレてる!
出自が明らかだどうのこうのという事じゃなく、
ドラマで現に描かれてきた事がおかしいって話でしょ。
木の仕事終わってからも何にもない井伊にずっとかかずらわっていて、盗賊なのに、世情にも大して通じてないという。
小野政次にはたくさんの家臣がいた。政次が死んだあと、あの家臣たちはどうしているのだろう。小野家はどうなっているのだろう。井伊家はどう対処しているのだろう。なぜ描かれないのだろう。
奥山六左衛門や中野直之には仕える家臣がいないのだろうか。誰かに命じることなく、いつも自分で動いているからやはり仕える者はいないのだろうか。井伊家の兵力は小野家頼みで、奥山家や中野家は兵力を持たず、戦いが起こったら農民頼りなのだろうか。徳川家は家臣団の少ない井伊家を再興しても、それが果たして戦力になるのだろうか。
新田氏がモデルなのだとしても、
「架空の人物ではないのだから、今の龍雲丸で合っている。嘘はない」
のではありません。
実在の人物なら、なおさら、今の龍雲丸の描かれ方は嘘っぽいと思いませんか?
社会福祉が整っていたわけでもない時代、いくら元の肩書きが偉くても、落城した城主を養ってくれる奇特な人などいなかったでしょう。
手に職はないし、自分の食べ物すら作れない階層の人間。盗賊稼業に身を落とすしかなかったというのは、わかります。
密偵なんて、犬みたいなことはできないにしても、「世の中が見えてきた」とまで言わせるのなら、城にいた頃には知らなかった広い世間を知ったということなのだから、もっと、井伊谷の人々よりは、情勢を知っている人物に設定してもよかったのでは。ということなのです。
実際の新田氏が、直虎に情報をくれたかどうかは、問題ではないでしょう。
少なくとも、ドラマでは、あれだけの手下を抱えていたら、彼らを食わせていくのに、ただ博打やこそ泥をしているだけでは不可能だということは、想像に難くありません。
いろんな場所に行って、いろんなことに首を突っ込んだりしているでしょうから、そういう設定も、貴重なネタのひとつにできるのにねえ。もったいない。ということなのです。
新田氏なんて知らないし、どうでもいいこと。
そもそも史実なんて都合のいいとこだけ切り取って、あとはまるで無視したドラマでしょ、これは。
龍雲丸がどう描かれ、ドラマの中でどういう役割に位置づけられてるか、それがうまくいってるかいっていないか、ドラマのバランスを壊していないか、質を下げていないか、焦点はそこだけ。
役割は、直虎の色情の相手、そしてお付きの者。
ドラマのバランスは壊している。
質は幼稚に下げている。
彼からは、ほとんど得るものがない。セリフ、直虎とのやり取りや会話も稚拙で、出てくるとガックリする。
いてもいなくてもいい(むしろいない方がいい)人物の第一位。
出すなら、間者にしておくのがベストの選択だった。
なんで論点ずれているいるのですか?名家新田城主というのは無視できないでしょう。史実の中でそれは無視できません。井伊には木の仕事であと気賀にいきました。
>盗賊なのに、世情にも大して通じてないという。
盗賊だから世情に通じているんです。
私は直虎の価値観が今まで好きではなかったのですね。選民意識のようなものが随所にあって。
でも、城主であった同じ立場の人間しか影響させることはできない。下のものでは駄目なのです。
龍雲丸の関わりは選民意識を打破するのに大きいと思います。
なぜ、政次については史実改竄を喜んで受け入れ、龍雲丸については史実史実とこだわるのだろうか。
だから「直虎のためだけに登場した人物」のひとり、になっている。
「世情に通じている」彼がもたらす情報は、井伊谷のためになる、情勢などではなく、直虎だけに働きかけるもの。
>政次については史実改竄を喜んで受け入れ、龍雲丸については史実史実とこだわるのだろうか。
それは他の方で政次については私は史実改竄反対でした。小野は裏切った方が、他の登場人物たちが直虎のご都合主義のような居るだけの存在にならなかったと思います。
龍雲丸に関しても、直虎の選民意識に影響を与えられる貴重な新田氏の出自と思います。
>役割は、直虎の色情の相手、そしてお付きの者。
いやいや、直虎は恋をしているだけで色情ではありません。龍雲丸もお付きの者ではありません。
おとわには姫としての特権意識があったと思うのです。恋愛のことは全く分からないおとわ時代、亀のことは恋愛対象で、自分の許嫁として相応しい身分だと思っていました。しかし、性格も容姿も亀のように素敵な鶴のことは恋愛対象の範疇にすらなかった。のち、政次を嫌うのも選民意識があってのことです。で、思うのです。もし、磔になるのが、政次ではなく直親だったらどうなるか?絶対助けたと思う(笑)
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